Neetel Inside ニートノベル
表紙

境界
他でもなく外ではなく

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 回想が中断されたままだった。というわけで歩きつつ再開する。
 榊田の右手が首をかすめたあたりからコンテニューか。
「いや、どうしたんだよ? 全てを終わらせる?」
「ああ、そうだ」
「んで、ガラスを大破させて目的は完了したわけか?」
「そんなわけないだろう。……お前がまだ生きている限りは」
 そう言ってから右腕を引きもどし、お互い距離をとって体勢を立て直す。すると再びそれは僕をめがけて飛んできた。直線的に延びる様は槍のようで、一突きされれば終わってしまうようだった。
 今度は掃除用具の入ったロッカーが凹む。
「お前……どんな力してんだよ」
「余裕だな」
「余裕だったら特に押さえつけてるって」
「まぁあまり痕跡は残すものじゃないな。少し加減してやる」
 いくら力があったとて、人間の耐久力の限界値はそう高くない。もしも僕がムキムキだったところであの一撃を受ければそれでノックアウトだっただろう。むしろ下手に筋肉が無いだけ身軽かつ被弾範囲が狭く、それこそが幸いしていると言ってもよかった。
 教室の備品はどんどんなぎ倒されていった。死体が出来上がるよりはずっとマシだ。教室一つと駄目生徒の命を天秤にかけたらどうなるだろう。客観的な判断はともかく自分の命だ、何にも変えられない。
「なんだよ、わけがわからない!」
「終わらせると言ったはずだ」
「だからなんでこれで終わることになるんだ!」
 返答はなく、死闘が続いた。
 壁伝いに右周りするように逃げる。こちらは机の並びの隙間を縫うが榊田には関係ない。力押しもいい所だ。加減というのは物を壊さないと言うだけで、といいつつ散乱はしてるわけだが、僕に対する脅威は変わっていなかった。
「はぁ……っつ! 日ごろ……もっと、運動、しておくべき、だった……はぁっ」
 いくら頭が避けようとしても次第に身体のレスポンスは悪くなる。肺に二酸化炭素が溜まり脳に回る酸素も薄くなっていくと、回避反応すらおぼつかなくなってくる。ただ、来たものに当たらないように手足を動かす。だが、段々と回避距離は狭くなっていってしまう。
 そもそも付け焼刃にも劣るせせこましい刃など、強靭に鍛え上げられた刀に相対すればすぐに削るしのぎも無くなってしまう。均衡はいとも容易く破られてしまった。
「遅い」
「が……っ!」
 蛇のような腕が首を捕えた。片手ながら喉仏は微動だにできない程抑えられ、声を出すことはもうできない。どころか、わずかな気道の隙間から息を吸うので精いっぱい。
 だが、もっと致命的なことがあった。首を絞められればむしろ回避することは難しいことでもある。しかし最も死へ繋がり易いだろう、血管を抑えるという行為。
 循環が滞った首から上は正常でなくなっていくことは分かる。分かっていてもどうしようもない。
「…………!」
 声なき声を、身体のばたつきで示す。
「死にたくなければ、誓え」
 ぶんぶんを首を縦に振りたかったが、できないほどに固定されてしまっていた。だから抵抗を無くすことで肯定を伝える。するとすっと手の力が解かれ、身体が重力に任せて落下した。そこで血の巡りが再び開始。
 ぐったりとした僕を見降ろして、榊田は言った。
「いいか。お前はもう普通になろうだなんて、二度と、望むな」
「な……で……」
「理由なんて無駄な過程はどうでもいい。いいから誓え。もし違えば、俺は今度こそ、お前を殺さなくちゃいけない。それだけだ。じゃあな」
 そう言い残して、ガラスを破ったのとは反対の扉から榊田は出て行った。
 僕は少しの間座り込んで回復を待ち、動けるほどになってから教室を片づけた。集会が終わる前に行動を終えなくてはと思っていた。
 流石に割ったものはカモフラージュできないが、倒れた机くらいなら元通りにできる。カモフラージュというと若干違う気もするが、解釈としては近いと思う。
 ――そこからは、千堂も教室に戻ってきている話。


「ふむ……」
 話し終えると、隣のやつは深く考え込んでいた。
「普通になろうだなんて思うなって、なんなんだろうな」
「ふむ……」
 どうやらお取り込み中みたいだ。仕方ない、と会話することを諦める。
 でもやっぱりおかしいよな。
 だって僕は望む以前に、例え望まなくとも、完全に普通のはずなのだから。

     

 僕たちは学校で足をとめた。
 実はその前に榊田の家に寄ったのだが「今日はまだ帰ってないです」と言われてしまった。バイトかと聞いたら「いえ、今日は久しぶりの休みだそうですよ」とのことだ。
 あんなことがあったすぐでどこに出かけたのだろう? 知る限りでは僕ら以外に友達と呼べるような奴は居ないと思うけれど……。
「学校かもしれないな」
 千堂は言った。
「何もかも全て学校区域内で起きている。ならば、奴が学校にいると言う可能性は高いと思うぞ。証拠の隠滅かもしれないし、罠をしかけているかもしれない。あるいは策略を練りに行ったのかもしれない」
 これ以上何をするつもりかはさっぱりだがな――。そう続ける。
 他に思いつく場所は無い。一緒に遊んだことはないのだから、思い出の場所と言えるような所もない。まさか、二時間ドラマよろしく海に面した崖に行っているということはないだろう。
 自分たちにとっての共通の場と言えばやはり一か所だけだ。
「うん、アテもないし行ってみるか」
「ああ」
 すっかり暗くなった道を歩いた。街灯の立っていない住宅街の路地を通ると、言い知れない不安を感じる。
「進んでも闇、振り向いても闇、か」
 隣で同じことを考えていた奴、というよりは僕の思考を読んだ可能性もあるが、はか細く声を出し僕の制服の裾をこっそりと掴んだ。
 
 まだ7時にはなっていない時間。ギリギリ正門は開いていた。部活はとうに終わっているものの、残っている生徒もちらほらいるだろう。
 電気がついているのは職員室だろうか。窓際の机に座っている先生の影が見える。動いている頭の影、は歩いているのか。特に非常事態とは思えない。まぁ、榊田だって居たとしてもわざわざ事を荒立てたりはしないだろう。
「なぁ」
 グラウンドを見て、ふと思う。
「なんで、榊田は国原を殺したりなんかしたんだ?」
「さぁ……な」
 返事はそっけなかった。だが、いつかは処理すべきことには違いないはずだ。
 例えば「学校に恨みがあるから生徒を殺してやろう」というような理由ではないのなら、個別なものがあったってことだ。だが消極性の極まっている国原がそんなものを作るような気はしない。多少の問題は起きても、殺されるほどの衝突は自分から尻尾を巻いて逃げるか謝るかするはず。
「私達に、問題があったのかもしれない」
「え?」
 意外な言葉に、思わず聞き返した。
「国原に問題があった――というのならば、『私達の友達だったから』ということもある、かもしれない」
 自信のない語尾をぶら下げては居るが、半ば確信を持ったような良いぶりだった。確かに、その方が確率は高いだろう。僕は別段喧嘩を吹っ掛ける奴ではないが、恨みを買いやすい順で言えば明らかに国原よりは遥かに上なのだ。
「全てを終わらせに来た」
 榊田の言葉だ。なるほど、つながるじゃないか。
 もしもこれが思う通りの意味ならば「“私達に”問題が」と言わずに“誰”と断定できてしまう。
 教室で二人になった時のことを思い出す。疑問ならばもう一つある。
 榊田はなんであの集会で僕だけが自由になったことを知っていたのだろう。

     

 良く考えると変だ。千堂が集会に出てくることなんて僕ですら知らなかった。知っているとすれば先生、あと精々集会の進行をする生徒会の誰かしらくらいだろう。
 だったとして僕が出ていくことはわかるもんなのか? 頭を悩ませる。
 答えの出ぬまま、僕たちは廊下を歩いていた。生徒の残りは大概部室に居る。だから二人分の空しい足音だけしか聞こえない。
「ちなみにこれどこいってるんだ?」
「教室だ。さっきの話を聞いたら行かざるを得ないだろう」
「ああ」
 ガラスを破った教室だからすぐわかる。まぁ先生には色々あってやっちゃいましたって言ったけど。どやされるかと思ったら案外「次からは気を付けるように」だけで済んだのは、千堂の転校の話の直後だったからだろうか。彼女と付き合いのある自分にも多少の情けをかけてくれたとか、あるいは僕がキレたと思ったのかもしれない。
 今はガムテープで応急処置をしてあるはずだ。それ以前通い慣れた場所だから足が勝手に向かうけど。
「もうみんな帰ってるのかな」
「かもしれないな。巡回の人が来るまで、それがタイムリミットだろう。まぁそれを誤魔化してずっと探索して見てもいいが」
「見つかるって分かってるならいいけどな。明日また来てもいいんだから」
 言ってるうちに着いた。千堂が扉に手をかける。
「それでは開けるぞ」
「どうぞ」
「なにか物証があるかもしれない。まずはそれを探してみよう」
「手掛かりが無いんじゃ一番確実なとこだな」
 いっせのーせ、という呼吸で開かれる。
「よぉ」
「よ……う」
「榊田、何をしている」
 物証も何も、探し人兼証人がそこには居た。ぐったりと窓際の角に座り込んでいる。
「何ってちょっとばっか休憩だよ。激しい運動しちまったもんで」
「まさか、またなんかやったんじゃあ……ないよな?」
「分からんぞ、用心するに越したことはない」
 千堂は僕の前に腕を置いて通せんぼをする。これはあからさまな榊田に対する敵対意志だ。
「おやおや、千堂は用心深い。正しい判断だと思うけどな。ただし、予想は所詮予想。正しければ大きく間違っている点もある」
「何がだ? 私が何を間違った。何にせよ過去についてはもうどうしようもないことだ。修正はできない」
 怪訝そうな難しい目をして睨んでいる様は、いつもの彼女とは思えない。普段の無感動な様子とかけ離れている。
 榊田は逆に余裕に満ちた表情だ。
「だから間違ってるって言うんだ。よく考えてみろよ。俺が折角何時になくべらべら喋っているんだぜ? 少しは察してほしいもんだ。まぁ仕方ない、ヒントを出してやるか。確かに過去はそうだろう。だが、直せるものはいくらでもあるだろう。さぁ、どうだ?」
「未来?」
 僕がつい口を挟んだ。榊田はにやりと笑う。
「正解といえば正解だ。だが、俺の言いたいこととしては不正解。どうせなら的のど真ん中を射てほしいな。さて、時間軸とはあまり関係のない事柄だってあるだろう。加えてみんながみんな持っているもの」
「――思考、か」
 次に答えたのは千堂。
「そうだそうだ、大正解だ。流石に流石だな。俺がこの文脈で言いたいのはそこだよ」
「何かが違うのか?」
「違わないけど違うと言っておくか」
「半端な答えだな。なら間違ってないじゃないか」
「半分正解で半分ハズレ。なにパズルだよ。こういうの得意だと思ったけどな」
「学校でやる下らない問題が解けた所であらゆる問題が解けるとは限らないのだ」
 僕はその下らないものさえ満足に解けていないというのが物悲しい。
「……実を言えば既に一応、分かっているつもりだ。だが、どこかでも引っかかりがあると認めない性分でね」
「そうか。ならもう、何も言わなくてもいいか」
「一つだけ。答えとやらは、今のお前の状況を説明する理由にもなるのか」
「……ご名答」
 それだけ言うと、榊田は力なくうなだれた。
 今の状況? ここに居る理由か。
「大丈夫か?」
 隣で茫然としていたこちらに声がかかる。
「ああ、ああ」
「そうか、なら携帯電話は持っているか? 生憎私のは電源が切れてしまったよ」
「有るけど、どこにかけるんだ?」
「119」
「え。なんで。燃えてるものも何も――」
 すると、千堂の指先が僕の言葉を遮る。
「急患だよ」
 指す先は、力無く座り込んでいる人間の方。

 止められて彼に近付けなかったために気付かなかった。けれど目のいい彼女には見えていたのだった。
 榊田の服が妙に赤いことを。

     

 救急車のサイレンが小さく遠くから聞こえ始めると、だんだんと大きくなる。そして近くまで来たところで音が止まった。
「こちらです」
 誘導のために校庭へ出ていた千堂の声が廊下から聞こえる。しかし足音は複数。救急隊員だ。
「彼です」
「ありがとうございました」
 隊員は一言だけ謝辞を口に出し、一目散に榊田に駆け寄った。
「切り傷……」
 小さくそういうのが聞こえた。
「搬送するぞ」
 一通り様子を見たところで隊長らしき人物は言う。するとほかの隊員が担架を広げて上に榊田を乗せた。
「ご家族と先生には私から言っておきますので、榊田をよろしくお願いします」
 いつかの警察へ聞き込みに行った時のような改まった口調の彼女はずいぶんと堂々としている。対して僕はずっと立ち尽くしているだけだった。救急車が来るまで榊田が無理しないように監視しているという建前で教室に残っていたのだが、実際は何をすればいいのかわからないというのが正直なところだ。
 この物語に僕はついていけていなかった。色々と追いつけていないのだ。
 何がどうなってこの状況なのか。
「それと先生にお話になる前に、警察も呼んでおいた方が良いかと」
 切り傷を見てのことだろう。救急の人であれば事故や事件の被害者を搬送することもある。近隣の事件を漏らすということはないはずだ。それを鑑みての話だと思う。
 担架が持ち上げられる、と同時に榊田が呻く。最低限の処置は済ませているだろうが、痛みは軽減されるわけもない。僕たちと話していた時も一杯一杯だったのだろうか。
「そうですね。では今からかけます」
「私たちは病院へ運びます。ここから一番近い病院――」
「はい、わかります」
「そうですか、ではお願いします」
 淡々と言葉は交わされ、隊員は素早くしかし丁寧な動きで榊田を運んで行った。
 教室には僕と千堂だけが残った。あとは生々しい血痕があるだけ。
「よし、ではいくぞ」
 スイッチが切り替わったように元の言葉遣いに戻る。
「警察は? ていうか先生に言わなくていいのか、絶対騒ぎになってるぞ」
「その方が動きやすいだろう」
「動くったって犯人は病人に担ぎ込まれていってるじゃないか」
「ああ、申し訳ない」
 せせら笑う企んだ表情。
「我ながらどうかしていたよ。あの判別不可の死体が国原だったと知っていたところで、お前を襲ったところで、犯人という証拠にはならないんだ」
「確かにそうだな」
 ってことは、あの傷はまさか――
「そう。犯人にやられたんだ。榊田はあくまで何が起こっていたのか知っていただけなんだよ」
 だったらどうして僕を襲うのかとか、色々疑問は尽きないが。
「行くぞ、生徒会室に」
「ああ」
 職員室は同じ一階。だが僕らは階段を上った。

     

「人の行動原理は何によるか、わかる?」
 パソコンと相対し忙しくキーボードを叩く彼女はこちらを向かずに言う。
「答えは簡単よ。自己満足。どういう形であれ人はしたいようにするのよ。意識が伴って初めて実行に移す。だから結局はどんな理由を唱えようともそれはすべて言い訳になるのよね」
「何が言いたい」
 生徒会室。そこでたった一人座っている影がある。
「じゃあ、問題よ」
 彼女は嘆息を一つ入れた。何故わからないの、と馬鹿にするように。
「何故、私は国原さんを殺したでしょう」
 なされたのは問題提起だった。
「お前がさっき言っただろう、自己満足と」
 そこで僕の後ろにいた千堂が口をはさむ。
「自分の思うがままに国原を――私たちの友達を殺したのだ」
「あっはは……。あははははは!」
「何がおかしい」
「ははははははははははははははははは!」
「やめろ」
「はははははははははははははははははははは!」
「やめろ!」
「あはははははははははははははははははははははははははははは!」
 千堂は叫んだ、が狂った高笑いは消えない。
「ははははははははははははっははは! っはーあ。なかなか面白いことを言うじゃない」
 目にたまった涙を人差し指で拭っている。到底悲しみの涙ではない。
「……あなたが友達とかって! いやいやいや。こりゃ殺した甲斐があるってものだわ。よりにもよって貴方みたいな――いえ、私たちみたいな人からそんな言葉が聞けるなんて」
「お前と同じにするな!」
 隣の奴にはいつもの平静など見受けられない。そして、強い口調は一切相手を怯ませることはできなかった。
「あら、何が違うの? 普通から零れ落ちてしまった異常も異常の異形じゃないの。あれだけクラスから距離を置かれていたらとてもじゃないけど否定できないんじゃない? あまり言いたくはないのだけど、私もそう仲が良いわけじゃないわ。夕凪だって所詮生徒会員だからよく一緒にいるだけ。友達の居ない同士ひとくくりにした方が良いと思ったのだけど、ダメだったかしら?」
「僕がいる」
 考えるより先に言葉が口をついていた。
 友達なら僕がいる。榊田もいる。国原だって、いたのだ。
「そういえば、そうだったわね。貴方がいたんだった」
 そういうと、彼女はとても苦いものを飲んだような表情をして唇を強く噛み始めた。薄らと血がにじんでいるのがわかった。千堂の方へ眼をやると、変わらず厳しい目であちらを睨みつけていた。
「でもね。確かに貴方は特別だけれど――認識していないからこそタチが悪いのよね」
 体を流れる液体で益々赤くなった唇が動いた。
「気付いていない? 僕が? 何を?」
「ほら」
 ケタケタケタ、と。気味の悪い三日月の形に口を歪ませて笑っている。彼女が自分を異形というのは分かる気がする。でも、それに千堂を巻き込まないでほしい。
 そう思ったのだが――。
「原因というなら、それは貴方だというのにまるで何も知らないのね」
「は?」
 これは後で認識したこと、そしてこの時気付き始めた本当なのだが。巻き込んでいたのは実は僕の方だったのだ。“私たち”の中には僕も含まれていたのだ。
 だがこの時はそんなこと自覚出来うるはずもなく、きょとんとするばかり。
 そこで千堂が目の前に立った。
「そんなことはどうでもいい。雑談も茶番もする気はないんだ。原因なんて知ったことじゃない。私たちは、私とこいつは、犯人を突き止めるためにここに来たのだ」
 ふっ、と綿貫は鼻を鳴らす。
「それはそれは。じゃあ改めて自己紹介しましょうか。初めまして、犯人よ」
「初めまして、殺人犯」

     

「それはそれはご丁寧に」
「綿貫! お前が犯人だっていうのか?」
 僕は叫んだ。
「ええ、そうよ。あ、もしかしてよくある推理ドラマよろしく『証拠を出せ!』とか『それはあんたの想像だろう?』なんて言ってほしかったのかしら。ご期待に添えられずごめんなさいね」
「そういうことじゃない! 本当にお前が……国原を殺したって言うのか」
「間違いないわ。ついでに言うと貴方のお友達が血まみれになっていたのも私のせいね」
 彼女は未だキーボードを叩いている。
「やめておけ」
 千堂が僕を制止する。
「殺人犯の通りなど、およそ私たちがわかるものではない」
「あらそうかしら」
「ふん。お前はどうせ私も異常なのだから、考えは理解できるんじゃないかとでも言うつもりだろう。だがな、事実理解できなかったのだ。残念だったな」
「そんなことはないわよ」
 ふっ、と笑う音が聞こえた。
「何?」
「確かにね、世の中には誰も理解できない理由で殺す人もいるけれど私は違うわ。少なくとも貴方は私と同じ感情を持っている。いえ、人ならばおおよそが持ちうるものだもの。ただ、やっぱり異常は異常らしく私のは少しひんまがっちゃっていただけ」
「そのひん曲がり方など知ったことではない」
「ま、これ以上言っても仕方がないでしょう。そういうことにしておくわ。さて――」
 綿貫はパソコンの電源を落とした。画面の明かりが無くなり、気持ち暗くなったように思えた。そうして椅子を後ろに出して立ち上がる。
「これからどうしましょう」
「相談、はもう無理だ」
「ええわかってる」
 立ち上がった彼女の手には赤い血塗られた包丁が握られている。多分その色は榊田のものだろう。
「バトルはあまり得意ではないのだがな」
 千堂は不格好ながらも空手の構えのように半身に開き両手に握り拳を作っていた。僕もそれを見てぎこちなくそれらしいポーズをとってみる。
「二対一とは卑怯ね」
「丸腰に武器を使うとは卑怯だと思うがな」
 武器があるとはいえ、所詮は女だ。力の上では男が勝る。加えて数もこちらが上。あの鋭いヤツさえどうにかしてしまえばこっちのもの。
「ま、おあいこと言うことで」
 綿貫は包丁を握る手を前に突き出した。
「決着をつけるぞ」
「ああ」
 こちらも覚悟を決める。
「では――さようなら」
 そして。
「なっ……!」
 綿貫は切っ先を自らの首に突き刺した。

     

「なっ……!」
 僕たちの目の前で、彼女は崩れ落ちる。糸の切れた人形のように。それでも流れる血は生きている人間であるということを示している。
 金属が落下した高い音とともにあおむけに倒れた。
「おい!」
 もはや彼女は何もしゃべらない。吐血するばかりでやりようもないのだろう。
 駆け寄っては見るけれど、どうしようもなかった。
「なんで……」
 綿貫は笑う。
「――――」
 何を言っているのか、もうかすか過ぎて聞こえなかった。それを最後にもうピクリとも動かなくなる。まだ死んではいないのだろうが、もう手遅れだと思う。
「とりあえず、救急車を」
 例え無駄だったとしても放っておけるわけはない。
「私がしよう。また携帯電話を貸してくれ」
「ああ」
 手渡すと、千堂は生徒会室の外へ出て行った。
 僕は血の海に残った。
 だからといってすることはない。ただ、人が死んでいくまでを見ているだけしかないのだ。
「ねぇ……」
 すると、声がした。
「言えた義理でないのは分かってるんだけどね……」
「綿貫?!」
 赤にまみれた彼女がぜいぜいと息を切らしつつ、ひどく枯れた声とも言えない隙間風のような音で話していた。
 ひとしきり吐くものを吐き終えたために話せるようになったのだろう。ただ、首に穴が開いているのでもう人のようにはできないみたいだ。
「ひざまくら、してくれないかしら」
「え……」
「……最期のお願いってやつ」
 最期とか言うな! とは言えなかった。とても助かるとは思えないし、それ以前に彼女は友達を殺し友達を傷つた敵なのだから。
「わかった」
 でもクラスメイトだ。千堂に付き合いがある僕もクラスからは距離を置かれていた。そん中で、話してくれた友達だった。
 もしかしたらそれも他の理由や企みがあったのかもしれないけれど。
「……ありがとう」
 彼女は笑った。こんな風に笑うんだな。こんな状況じゃなければ最高だろうに。
 僕の服も、赤く染まる。知ったことじゃあない。綿貫の頭を浮かせ、そこに座った。生暖かい液体の温度を感じる。本来の彼女のサラサラの髪の毛とはもう似ても似つかない感触だった。
「呼んだぞ」
 千堂が戻ってきた。何をしているのか、とは聞かれなかった。見透かせる彼女に説明は不要だと思う。
 そして救急車のサイレンが聞こえるまで僕らはそうしていた。
 段々と膝に触れるものの命が消えて行く様が分かってしまう。これが生気なのだろう。見えないけれど、無くなっていくのが分かる。
「貴方にばれた時点で、もう私の負けだから」
「え?」
 救急車で搬送されたのを見送り影が見えなくなった頃、おもむろに千堂は言った。
「あの時彼女はそう言っていたんだよ」
 
 僕たちは学校に戻ることもなく帰路に立った。これで事件は終わり。
 幸い榊田は命を取り留めたらしい。榊田だけは。綿貫はやはりあの時点ですでに手遅れだったそうだ。
 もう以前の日常は戻ってこない。役者が降板しては、二度目の公演もしようがない。そして千堂も転校する。結局榊田だけしか残らないのか。次点で夕凪位と言いたいが、綿貫に付属して付き合いがあったレベルなので無理だろう。
 結果を見れば二人が死んだ。被害者と加害者が死んだだけなのだ。でも、その周りもこうして何かを失っていく。決して二人の間だけの問題ではない。
 僕はこれからどうやって生きていこう。
「つまらないな」
 とりあえず言うこともなかった口癖であるはずの言葉でも呟いてみる。
 やはり、日常は帰ってこない。

       

表紙

近所の山田君 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha