Neetel Inside ニートノベル
表紙

Z軸を投げ捨てて
渋谷

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 次の日になっても俺は憂鬱気分から抜け出せないでいた。
 さわやかな朝の日差しも清らかな小鳥のさえずりも、今の俺には嘲笑にしか感じられない。
 俺はいつも通りに新橋を五分ほど外で待たせて、共に学校へ向かう。
 「で、昨日の五反田の話は何だったんだ?」
 開口一番、新橋は俺に尋ねてくる。
 「五反田君ちの物置の本から悪魔が出てきました。それに一目惚れした五反田君は寿命と引き替えに悪魔を彼女にしました。めでたしめでたし。しね」
 俺はありのまま起こった事を話した。
 「お前らなぁ……そんなに転校生が気になるんなら告白でもなんでもしてくりゃいいだろ。俺は関係ないぞ」
 新橋は俺の話を信じない。当たり前だが。
 「しね」も自分に言ったと思ったらしい。まあ新橋も含んでるけど。
 今日の俺は機嫌も気分も良くないので、新橋に八つ当たりすることに決める。
 「じゃ本当だったら今日から一ヶ月、渋谷に午後ティー奢れよ」
 「何でお前じゃなくて渋谷なんだよ?」
 その疑問に俺は答えない。
 ただの気まぐれだ。


 「あ、おはよう四谷。昨日はゴメンな、何て言うか」
 教室で顔を合わせるなり五反田が謝ってきた。
 しね、とは思ったが別にこいつが俺に何かしたわけでもない。
 俺はため息一つで返して、話を変える。
 「悪魔ちゃんはどうしたんだよ」
 「悪魔ちゃん? おい四谷、一応言っておくがさっきの約束『悪魔ってあだ名の子に告白した』とかじゃないよな? そんなの認めないぞ」
 新橋が横から口を出す。
 五反田はそれを聞いて思わず笑ってしまった様子だ。
 「違うって。まあ後で教えるよ……でな、あの後親父からこっぴどく叱られてな……。責任取ってお前が面倒みろ、だってさ」
 「面倒、ねぇ」
 責任、の字の方が気になる。気になるが、聞きたくない。
 「お、五反田。昨日のお楽しみは何だったんだよ? 彼女いない男同士でラブホ男子会か?」
 「お楽しみ? 何かしてたの?」
 目白と神田が会話に加わってくる。
 神田は……小柄で童顔、見た目通り気が弱くて人に流されやすい奴。
 目白に一番いじられる役割だが、同時にかわいがられている節もある。
 「ま、口で言ってもわかんないだろうから……ほい、これ」
 携帯電話を手早く操作し、新橋、目白、神田の三人に画面を見せる。
 俺も横からのぞき込んでそれを見ると、そこには五反田と悪魔ちゃんのツーショットが写っていた。
 「え? 誰だよこの娘」
 新橋は顔をしかめて。
 「何コレ? コスプレ?」
 神田は困惑した表情で。
 「お前ら……まさか金の力でサバト(意味深)を……」
 目白は冗談を言ったつもりだったが、目の焦点が微妙に合っていない。
 「おいちょっと上野来て、渋谷も! 大塚……は、いないか」
 新橋が後ろで話してた二人に声をかけた。
 つられて来た二人も所感想を漏らす。
 「おお、可愛いねこの子! 五反田彼女できたの? いいなぁ」
 「彼女か……まさか五反田に先を越されるとは思わなかった」
 渋谷は嬉しそうに、上野はあくまで冷静に。
 「いや実はな、ちょっと新橋に呪いをかけようと思って悪魔を召喚してみたんだけど存外可愛くて。好きな人が、できました」
 俺以外の皆の視線が集まる中、五反田は恥ずかしそうに語った。
 「え? は? 呪い? え、ちょ、何、どゆこと? なんで俺呪われるの?」
 「悪魔を召喚とか全然笑えねぇぞ。……で、いくら払った?」
 「えー何それー嘘でしょー?」
 「悪魔? 召喚ってどうやったの?」
 「そう言えばお前、黒魔導がどうのか言ってたな。まさか本当だったのか、それ」
 それぞれ思い思いの言葉を出し、収拾がつかなくなる。
 と、そこで何者かが扉を開いた。入って来たのは先生だった。既にチャイムは鳴っている。
 「HRだ、さっさと席につけお前らー」
 新橋達は興奮冷めやらない様子で、各々自分の席へと戻っていった。
 俺もそそくさと着席する。
 今日はまともに授業を受ける気にはなれない。
 寝てもいい教科は寝過ごす事にしよう。

 放課後。
 結局、体育と昼飯以外ほとんど眠り込んでしまった。
 だるい体を起こし上げ、鞄を持ち上げると渋谷が近寄ってきた。
 「ごめん四谷、自転車貸してくれない? これからバイトあるんだけど、来る途中でパンクしちゃったんだ」
 「構わないけど、チャリ俺の家だぞ? まあ徒歩二分もかからないけど」
 「ありがと! じゃ行こうか」
 俺は渋谷と共に帰路につく。
 いつも通り何も起こらない帰宅、のはずだった。

 正門を出て東へ歩く。俺の家は角を曲がったらもう見える場所にある。
 「何か本当みたいだったね、彼女が悪魔だってさ?」
 と渋谷。俺が寝てる間に色々質問していたようだ。
 「まあ、俺も実際見たからな。認めたくないが本当だ」
 「新橋もなんだかんだで結構転校生と喋ってるし……いいなぁ二人とも」
 渋谷は羨ましそうにそう言うが、醜い嫉妬や逆恨みの心は持たない。俺や昨日の五反田とは大違いだ。
 「ま、僕は貧乏だから……例え彼女が出来たところで別れそうだけどね」
 苦笑いして呟く渋谷。その言葉に俺はこう返してやった。
 「ばーか、恋愛なんて熱いハートだよハート。金の力で人の心を買ったとしても、その金が無くなりゃ見向きもされねぇ。
 金じゃ真実の愛は買えないのさ」
 「……うん、そうだよね。そうだといいな」
 臭い発言も素直に聞いてくれる渋谷。
 俺とは違い性格も良いし顔も整っているのに、俺と同じく彼女がいない。
 貧乏のせいだとは思いたくないな。

 角を曲がって木陰をくぐり、あと数十メートルで俺の家へ到着だ。
 「しっかしお前もバイト大変だな。学費も食費も家賃も自分で払ってんだろ?」
 「うん、実家の借金が凄くてね。高校出たらすぐ就職する予定なんだ」
 何食わぬ顔で渋谷は言う。
 泣き言や陰口の一つも出さない渋谷は、本当に人間ができていると思う。
 ただ、できている……できすぎている故に、周りに心配をかけさせまいとしている。
 「渋谷、あまり無理するなよ? 何かあったら相談に乗るぞ」
 彼はいつものように笑顔で言う。
 「ありがと、大丈夫だよ――
 
 ――あ」
 俺が、「何だ、やっぱり何かあるのか?」と聞くより早く、渋谷は自分から道路へ飛び出して行った。
 何の脈絡も無く。
 
 大型トラックが走ってくる前に、飛び出して行った。



     

 歩道から車道へ飛び出したその瞬間、背筋と喉の奥に冷たい何かが走るのを感じた。
 動くことを優先して邪魔な呼吸を止めたまま、僕はトラックの前で『そいつ』を拾い上げる。
 トラックは僕に気づいたのかブレーキをかき鳴らすも、時は既に遅し。
 
 世界が、急激に遅くなる。
 眼前に迫るトラックも、僕の筋肉の動きも、耳をつんざくブレーキ音ですらもスロー。
 世界より100倍速い僕の思考は、死ぬ間際に「『こいつ』を四谷に放り投げよう」と判断した。
 なんとか腕だけでも動かして――

 「しぶやあああああああああああああああああああ!」
 ブレーキ音と四谷の悲鳴を、何か大きな音が断ち切った。
 
 
 僕は、腕の中の『こいつ』ごと吹っ飛ばされ、回転しながら街路樹へと叩きつけられる。
 「がはっ!」
 背中をしたたかに打ち付け、僅かに残っていた肺の空気が全部外に逃げた。
 痛みを堪えて腕の中を恐る恐る除くと、『こいつ』はどうやら無事みたいだ。
 安堵のため息を吐こうにも空気が肺に残っていない。
 呼吸を整え、自分の体を確かめるように動かすと……、
 特に大きな怪我は無く、容易に立ち上がることができた。
 おかしいな、トラックに思いっきり撥ねられたはずなのに。

 「渋谷! 無事か!?」
 四谷が必死の形相で駆け寄ってくる。
 「ああ、こっちは全然……」
 「そうか、良かった……」
 同じくため息をつく四谷。ワイシャツの裾が少し破けて、ズボンが煤けている。
 「坊主、無事か!?」
 続けて、トラックの運転手も慌てて降りてきた。
 「大丈夫みたいっすね」
 四谷が僕を見て、乾いた笑いをこぼす。
 しかし、運転手はなおも落ち着きを取り戻さなかった。
 
 「そっちじゃねぇ、お前だお前! 何で轢かれてそんなに元気なんだよ!? 20mくらい転がっていったぞ!」
 
 え?
 撥ねられたのは、僕じゃなかった?
 「あ、俺は受け流したので全然大丈夫です。ノーダメです」
 服が所々破けているにも関わらず四谷は平然としている。
 
 四谷が轢かれて、僕は無傷。
 つまり……僕は四谷に助けてもらったらしい。
 「ごめん四谷。ありがとう、助かったよ」
 本人の言うとおり、四谷は全くの無傷だろう。下手すると痛みすら感じてないかもしれない。
 だけど、僕にとっては……『命の恩人』だ。
 「何でいきなり飛び出したんだ、お前は?」
 四谷は相当呆れているようだ。
 僕は大事に抱きかかえていた『こいつ』を、彼に見せてあげる。

 「……心優しい渋谷さんのやりそうなこった」
 痩せて気を失った黒猫は、僕の腕の中で確かに呼吸を続けていた。 


 
 「で、あの猫どうしたんだよ」
 僕の部屋の数少ない漫画をめくりつつ、四谷は尋ねてきた。
 「できれば飼いたかったけど、そんな余裕無いしペット禁止だから……逃がしたよ」
 「ああ、うちも親が猫アレルギーなんだよな……」

 あれから四谷は警察と救急車を呼ぼうとした運転手を無理矢理説得して、家に帰った。
 僕は近くのコンビニで猫缶を購入。急な出費になってしまったが、仕方がない。
 予想通り空腹で倒れていたようで、猫は匂いを嗅いだだけで飛び起き、猛烈な速度で食べ始めた。
 それを見届けた後、僕は四谷に自転車を借りて、なんとかバイトに間に合う事ができた。
 猫は僕に懐いたようですり寄って来たんだけど、飼うこともできない僕は「ごめんね、猫は飼えないんだ」と一言謝ってその場から……逃げた。
 
 余計なおせっかいだったのかもしれない。
 醜い自己満足だったのかもしれない。
 それでも、僕は助けたかった。
 僕は、自分が助かりたかったのだ。

 バイトが終わった後、四谷の家に自転車を返しに行こうとしたら四谷からメールが来てるのに気づいた。
 『バイトいつ終わる?』と。
 それに僕は、『今終わった所だよ』と返信した。
 すると一分もしないうちに、再びメールが送られてきた。
 『おっけそっち行くわ』
 おいおい、と僕はメールを打つ。
 『借りたのは僕だから、こっちが返しに行くよ』
 返信は少し遅れて十分後。その内容は衝撃的な物だった。

 『ついたからあけて』
 
 僕の家と渋谷の家は、自転車で三十分以上はかかる距離だ。
 それを彼は走ってここまで取りに来た。息ひとつ切らさずに。
 ……前々から疑問に思っていたが、四谷は本当に人間なのだろうか。

 そして、今に至る。
 一人暮らしの僕には友達が来ることは嬉しいので、四谷に少しくつろいで貰っていた。
 「家で待っててくれれば自転車届けたのに」
 「お前が帰る時どうするんだよ。バス代だって浮かせたいんだろ?」
 四谷は途中で買ってきた煎餅をかじりながら漫画に目を通している。
 「て言うかお前さぁ、猫助けるためでもアレは死ぬって。自分の命を大切にしろ」
 漫画からこちらに目を向け、真剣な表情で四谷は僕を咎めた。
 「四谷だって僕を助けてくれたじゃない。ありがたかったけどさ」
 「俺はいいんだよ。死ぬつもり無いし」
 四谷は本当に優しい人だ。
 彼女がいないのが不思議でならないくらいに。
 「あの猫、大丈夫かな」
 僕は唐突にさっきの猫が気がかりになった。
 「腹減って道の真ん中で倒れてるくらいのアホ猫だから危ないな」
 「やっぱり、飼い主が見つかるまで無理を言ってでも飼うべきだったかも……」
 ピン、ポーーン、とそこでチャイムが鳴る。
 「誰だろう?」
 「猫が助けてくれたお礼に美少女になって嫁に来たんじゃね」
 四谷が仰向けにベッドに倒れ込み、大の字状態で冗談を言う。
 「あっはっは、まさかそんな」
 僕は笑って玄関のドアを開ける。
 そこにいたのは僕の知らない、見た目中学生くらいの女の子だった。
 黒いワンピースに帽子を被った、おとなしそうな子。
 「えっと、君……誰?」
 彼女は息を大きく吸い込んだ。 


 「先ほどは危ないところを助けて頂き真にありがたすぎて感謝の言葉もございませんッ!」
 帽子を取って流れるように土下座する彼女。

 えっと。

 「このご恩は一生どころか何億何兆転生しようと忘れることができません! できませんとも!」
 その頭の上からは、大きな二つの……耳のような物が生えていて。
 
 えーっと。

 「煮るなり焼くなり食うなり犯るなりそっと頭を撫でるなり! 生殺与奪は貴方に有り!」
 お尻の辺りからは、黒くて長い……しっぽのような物がついていて。

 えーーっと。

 「貴方のおそばに居させて下さああああああああああああああああああああああああああい!!」
 後ろでは四谷がのっぺらぼうのような無表情でこの子と僕を見比べていて。
 
 え……っと……

 「渋谷」
 怖気が走るような低い声で、四谷が呟く。
 その瞳には光の一片も無く、塗りつぶしたような黒だけがあった。
 「な、何でしょう四谷くん」

 「特に意味は無いけど殴っていいか?」
 止めて下さい。
 死にます。

       

表紙

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Neetsha