長い梅雨が明けて夏が始まろうとしている、そんなある日の朝。
僕、和泉新斗(いずみにいと)は新しく始まる生活に不安を感じながらも、長い坂道を歩いていた。
僕は十七歳の高校二年生、大した取り柄は無し、成績はいまいち、スポーツはやや得意といったところか。
ルックスは中の下、彼女居ない暦は年齢、そして童貞というオマケつきだ。
家庭は、父と母との三人暮らし。
父の仕事の関係で、住み慣れた街からこの田舎の町に引っ越してきた。
当然引っ越してきたのだから、僕は転校することになってしまう訳で。
高校二年生の梅雨明けなんて微妙な季節に転校なんて、と僕は反対していた。
せめて夏休みぐらいは長年連れ添った友達と過ごしたかったし、なにより転校するにも新学期の方がそれっぽいと思っていたからである。
父の仕事の都合での引越しに、僕がどんな文句を言おうと聞きいれて貰えることもなく、
僕はこんな辺鄙な田舎町に連れてこられてしまった。
「くそ・・」
僕はボヤキながら新しい学校への道を歩く。
当たり一面、見渡す限りの山、畑・・。
新しい家を出て数十分、コンビニすら見ていない。
車も全然通らないし、バスは一時間に一本ぐらいだろうか。
おまけに道は舗装されておらず、ずっと砂利道。
まぁ、空気は綺麗なんだけど、今はそんなことどうでも良かった。
遊ぶ所も無さそうだし、さっきからすれ違う人は腰の曲がったお年寄り、朝早くから虫取り網を握って短パンで走り回る子供達だけ。
「はぁ・・」
予想通りの田舎っぷりに僕はため息をもらす。
こんな所で生活していけるのか、と不安に駆られずにはいられない。
それと僕にはもうひとつ大きな不安要素があった。
それは今日から通うことになる新しい学校のことである。
転校する、というコトに対しての不安自体は少ない。
僕は人見知りなどはしないし、友達も多いほうだし、世渡りは上手いほうだからだ。
でも今回ばかりは違った。
新しい学校の多くの噂を、引越し前から耳にしたことがあったからだ。
私立新都学園、それがこの学校の名だ。
新都学園はある噂のせいで僕の前住んでいた街でも有名だった。
遊ぶところが無いためか、高校生にもなって男子生徒達が山でかくれんぼをした。
男子生徒達は遭難して、救助隊が一週間の捜索劇、新聞を賑わした。
一人のオタク系の男子生徒がインターネットの通信販売で催涙スプレーを購入。
校内でスプレーを乱射したり、近所の住人の人達に乱射したりして新聞沙汰になった。
マラソン部の少女は体力づくりのため、ランニングで遠出。
捜索願を出された挙句、山を越えた隣県で保護された。
猫好きの女子生徒は、「可哀想だから・・・」と野良猫を自宅に保護し続け、
猫屋敷の少女、として案の定新聞記事になった。
とまぁ、挙げたらキリがないぐらい、馬鹿げた問題や事件で有名な学校なのである。
しかも生徒数が少ないためか、学園側も利益が無くなっては困るのだろう、問題を起こしても退学にはならず、
何食わぬ顔で学園生活を送り続けているというのだ。
要するに、変人だらけの変な学校なのである。
変人とうまくやっていけるか、僕まで変人になってしまわないか、流石に心配だ。
などと弱気になっているうちに、気づけば長い坂道を登りきり、新都学園が僕の前に姿を現した。
「嘘だろ・・」
思わず呟いてしまった。
木製の校舎、それは老朽化が進みあちこち黒ずんでいるし、校門は錆きってボロボロである。
何故か駐輪所には雨に濡れてボロボロになったダンボールが山のように積んであるし、その横にはキャットフード。
バラバラになった自転車のパーツが散乱していたり、ますます訳がわからない悲惨なことになっている。
僕はいきなり挫けそうになりながらも、靴を履き替え、職員室に向かった。
「失礼します。」
僕は軽くドアをノックした後、職員室のドアを開いた。
「あなたが和泉君ね?」
学校からは想像もつかないような美人な女教師がそこには居た。
歳は二十五、六ぐらいだろうか。
腰まで伸びた綺麗な茶色い髪とメガネ、スカートから伸びる白い脚に目が行く・・。
って見とれてる場合じゃねえ。
はいそうです、と返事をした後、軽く頭を下げておいた。
この時もちょっと脚に見とれてたのは内緒だ。
「そんなに丁寧にしなくても良いわよ、先生だと思わなくて良いから。楽にいきましょ。」
フっと微笑みつつもそんな馬鹿っぽい発言をした後、
「じゃ、教室に案内するから。着いてきて」
と職員室を出る。
僕も先生を追いかけ、職員室を後にした。
先生と僕が立ち止まったのは「2-B」と殴り書きがされた教室の前。
ドアには「ヌクモリティ」とか「こなぁあああゆきぃぃ」とか謎なラグガキがされていたりする。
「ここが和泉君のクラスよ、和泉君には自己紹介してもらうけど、その前に皆に紹介するから。ちょっとここで待っててね。」
そう言い残して先生は教室の中へ入っていった。
ってことは今の綺麗な先生が担任なんだな、とちょっと不覚にもニヤけてしまう。
「和泉君、はいってきて~」
と妄想中の僕に、教室の中から先生の呼ぶ声が聞こえた。
ついに来たか。
どうか僕のクラスはまともですように、と無駄な願いを込めつつ、教室のドアを潜った。
教室に入った瞬間に、やはり無駄だった願いは一瞬で打ち砕かれた。
間違いない、あれが猫少女だ。
一目でわかった、何故かって?
それは少女の机の上と少女の腕の中には猫が居るからだ。
予想と違い、かなり容姿端麗である。
青白い色のショートカットの髪、小柄で年下のように見える。
見るからに大人しそうな、そんな感じの可愛い少女である。
だが、いくら可愛くともこいつが高危険度の変人なのは間違いないのだ。
まさか新聞レベルの奴が同じクラスなんて、と涙ぐみそうになっていると
「彼が今日転校してきた和泉君です。和泉君、自己紹介してくれる?」
と僕の心中なんて何も察することなく、美人教師は話を進めていく。
悔やんでても仕方が無いのでとりあえず無難な自己紹介をすることにし、僕は口を開いた。
「別府街から引っ越してきました和泉新斗です、よろしくお願いします。」
我ながら無難すぎたか?
だが転校初日ならこの程度が良いと一人納得していた。
その時、廊下側でガタッと勢いよく椅子から立ち上がる音がする。
「すいませ~ん、質問して良いですかぁ?」
と何故かいきなり絡まれる。
くそ、無難に逃げたつもりだったのに。
僕に絡んできたのは茶色い肩までの髪を、右上のあたりでひとつに結んだ女の子だ。
サラサラヘアーと一目でわかるぐらいの巨乳が特徴的、顔もかなり可愛い。
「あ、ど、どうぞ・・。」
僕はややテンぱりつつも女の子に答えた。
すると少女は、小悪魔っぽい目つきで僕に質問した。
「和泉君は童貞ですか?」
こいつは何てことを聞いてくるんだ。
僕は確かに童貞だ。
だがここで童貞と言えば笑われるかもしれない。
というかほぼ笑われるで確定、逆に童貞では無いと言えば何を聞かれるかわからない。
細かいコトを聞かれて非童貞が嘘だとバレればもうこの学校に僕の居場所は無いだろう。
何て答えれば無難なのだろう?
ここは「想像にお任せします」でいくか?いや無難ではない。
逆に「何でお前にそんなコト教えなきゃならねーんだよ」とキレキャラ風に言ってみるとか?
いやDQNだと思われるかもしれない。
「えーっと、その。」
僕がどう答えれば良いか迷っていると、今度は窓側から一人の男子が立ち上がる。
「和泉、そんな馬鹿らしーコト答えなくて良いぜ、あいつは馬鹿だからな~。それよりお前、部活はどこにすんの?」
立ち上がった男子が僕に問いかけてきた。
今度はいきなり呼び捨てか、しかももう部活の話をしてくる。
それは自己紹介で聞くことじゃないんじゃないのか?
と疑問を持ちつつ答えようとすると、今度はさっきの女子生徒が口を挟んできた。
「あ、おいコラ、今はあたしが質問してるんだから、あんたは黙っときなさいよ!」
「何だと?お前が空気読まねぇこと聞くからだろ、黙ってろよ垂れ乳!」
「ちょ、垂れてないし。てか失礼なこと言うなよ!」
と少女は男子生徒に向かっていきなりノートを投げつける。
ノートは見事に男子生徒の頭に命中した、しかも縦に。絶対痛い。
「ちょ・・おま・・やりやがったな!」
男子生徒も負けまいとわざわざ鞄から取り出した筆箱を少女に投げつける。
少女は筆箱を軽く避けるとフっと微笑みつつ、今度は縦笛を投げつける。
縦笛を顔面に直撃された男子生徒は下敷きを投げつける。
なんですか?これは。
普通高校生にもなって教室の端と端が文房具の投げ合いなんかしないだろう。
今時漫画やエロゲでも使われないような、一昔前の展開が、たかが転校生の自己紹介から勃発している。
二人から投げられたモノは何度も僕の眼前ギリギリを飛び交っている。
どうしたら良いんだろう、と唖然とする僕の肩をポンと叩き、美人教師が前へ出る。
「はいはい、二人供、和泉君が困ってるでしょ、喧嘩するなら続きは教室の外でしなさい。」
そう教師が言った瞬間、上等だ、と言わんばかりに二人は教室を飛び出して行った。
まるで小学校の様である。
「ごめんね、和泉君。馬鹿ばっかりのクラスで。」
そんな簡単に言わないで下さい、と思ったが話がこじれると馬鹿馬鹿しいので適当に相槌をうっておいた。
「じゃあ、席に座ってくれる?和泉君の席はあの窓際の一番後ろだから。」
と僕の席を指差す。
・・そこはあの猫少女の隣の席だった。
流石に転校初日に席を替えてくれと暴れることはできない、暴れたら僕まで変人の一人になってしまう。
「は、はい、わかりました。」
それだけ言って僕は指定された席につき、教室を後ろから眺めた。
一生懸命エアガンを分解して改造でもしているのか謎な奴。
鼻息を荒くしながら教室でノートパソコンを叩いているピザ。
何故か人形サイズの服を裁縫している女の子、と目に付くだけでも危なそうな奴ばっかりである。
これはもしかすると僕の予想以上に危険な学校なのではないだろうか?
僕はこれから始まる新しい生活に、部屋の隅でヒザを抱えてガクガクと震えそうな程の不安を抱いていた。
「どうなるんだろう・・僕の人生・・。」
僕は窓から空を見上げた。
するとそこには都会には無い、とても綺麗な景色が広がっていた。
そして、僕の隣では猫が二匹、嬉しそうに鳴いていた・・・。