Neetel Inside 文芸新都
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GOING UNDERGROUND
目蓋の裏側

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「おいガラナ、ブルーチアかけろブルーチア」
 ノギが言った。すでにビールとウイスキーと日本酒と、その他いろんな液体が彼の胃でシェイクされている。おまけに脳みそもだ。意識それ自体がぐるぐる回り、目玉もどこを向いているのか分からない。話している相手であるガラナがきちんと見えているのかも怪しかった。
「ブルーチア? いんにゃあそれよりヴェルヴェットアンダーグラウンドなんてどうなんかなあって私は思うわけよ。なにせ今的な気分ってかそうしたいろんな様々なファクターをひっぱこんでみたら、ヴェルヴェッツの方が適当相応しいわけでないかって思うのね」
 いつもの独特なイントネーションでガラナが答えた。とっくに成人しているのに中学生もしくはそれ以下の幼女と見られかねない小柄な彼女は、流れてもいない音楽にあわせて体をゆらゆらと揺らした。彼女だけに聞こえる音楽でもあるのか、でなきゃ自分の心臓の音に合わせて踊っているのだ。
「ヴェルヴェットアンダーグラウンド? いやそれも良いけど僕は今ブルーチアが良いんだよ。知ってるか? ブルーチアってLSDのことなんだぜ確か。LSDなんて手に入るわけないから、せめてその名を冠したバンドの音楽をキめたいっつう僕の心境を察しろよ」
「ああまた君はそういうお馬鹿極まりなさげな発言しちゃうわけなんだね。でもさ、そういう考えが音楽を聴く動機になり得るってんならまんざらブッ外れてる思考ってわけじゃなさ気。ういー。しかしでも、ブルーチアのCDどっか行った感じみたいな、ああそういやあ、あのファーストアルバムのタイトルってなんての? なんて読むの?」
「わかんね」ノギはソファに倒れこんで言った。「ブルーチアのファーストってしか呼んだことねえな。あとヴェルヴェットのあれも『バナナ』としか言わないな、僕。ラモーンズだったら『激情』とか『ロケット』だな」
「あぶらだこみたいなもんだね」
「そうだ、ソフトマシーンその辺りになかった? ソフトマシーンっていうのは確かバロウズから取ったんだったか、読んだことねえけど。スティーリーダンもだったかな。クソ、酒がねえじゃねえか。もっとも僕がガブガブ飲んだせいなんだが……ガラナ、ひとっぱしりコンビニかドンキ行って、酒買ってきてくれ。あれがいい、あれが。ジャニス・ジョプリンが飲んでたやつ。ナントカ・カントカ」
「なにナントカ・カントカって」ガラナが呆れた顔で言う。「せめて前半か後半かどっちか思い出してそれにナントカって付けるなら分かるようなもんだけど、どっちもナントカじゃしんどい」
「サザンなんとかだ。サザンなんとか。いや待て、今すぐ思い出すから」
「いつでも良いよ」
 ガラナは結局ブルーチアもヴェルヴェット・アンダーグラウンドもかけなかった。ソフトマシーンも。代わりに自分でギターを弾き始めた。アンプに直接、弦の錆びまくったストラトを繋ぎ、フルボリュームで鳴らす。深夜のご近所に騒音公害攻撃。ノギはうんざりしてコンセントを抜いた。アンプが止まってもガラナはまだ、ギターを引き続けている。素面のはずなのに随分と彼女は妙なテンションだ。普段からこうなのだ。二十四時間・三百六十五日、三百六十度視界に入るものは全部きらきらと光って見える。脳はいつだって恍惚状態にあり視線は遥か彼方を見ているかのよう。ノギはしばしばそんな彼女が羨ましくなる。だから飲むのだ。対抗し、彼女と同じ状態になるために。いくら飲んでもそうはならないということが、彼自身も分かっているのだけれど。何度金槌で殴られるような頭痛・便器にへばり付いてする嘔吐・眩暈倦怠感すなわち二日酔いに襲われようとも彼は飲む。
「そうだサザン・コンフォートだ。ガラナ、サザン・コンフォートだよ」
 と彼が思い出して言っても相手はいない。「もうなんでもいいから買って来て」と彼自身が告げガラナは数分前にドアを開け放したまま出かけていったのだ。彼女が帰ってくるまで彼は退屈だった。しかたがないのでギターを持って弾こうとするが、指は満足に動かない。そのまま床にすっ転び吹っ飛んだギターはクローゼットの扉に激突。己の間抜けさを笑って彼は待った。大人しく床の上で。
 ガラナは数分後に帰ってきた、酒瓶を満載したビニール袋を抱えて。かなり重労働だった。彼女はぜえぜえ息を吐いて、玄関の床の上に突っ伏す。奇しくもノギと同じポーズで。
「酒。ビール。転がすんでよろしく」瓶を玄関先から台所を経由して居間へ行くように、ガラナは転がした。それをキャッチすべきノギはまだ天井を見上げている。
 ビール瓶は無数の空き缶に激突して止まった。まるでボーリングだ。二人して行ったことがある。スコアは両者合わせても百に到底達しないという、悲惨な結果に終わった。指の皮も盛大に向け、二度と行かないことを決意した。
「サ――――ンディ・モ――――ニン」倒れたままでガラナが歌いだした。バナナの一曲目。ノギは起きることなくそれを聞いている。
 やがて曲が終わった。数コーラス少ない気がしたが。
 次の曲が始まる。「アイム・ウェイティング・フォー・ザ・マン」。ガラナはメロディではなくギターを口ずさむ。「ダッダッダッダッダッダッダッ、ダッダッダッダッダッダッダッ」前奏が延々終わらないのでノギが歌い始めた。「アァイ、ウェリフォーザマァン」彼はそう歌っているつもりだったが、実際は呂律が回っていないため、何語かまったく分からぬ無国籍言語だった。
 曲は適当なところでフェードアウトした。二人ともやる気がなくなったため。
 ガラナはビール瓶と同じくゴロゴロと転がり居間に入ってきた。
「あぁー。どうすんのかな結局私たちはこれから。ういー、どうすんのー」
「どうすんのって」ノギが言う。「何が」
 ガラナは自分でも言葉の意味を決めていなかったのか、考えてから答えた。
「いやー。何の曲かけるのかって」
「ああ」ノギは言う。「バナナだろ。すでに二曲目までやったから、三曲目から。なんだっけタイトル忘れた、なんとかかんとかだよ」
「またそれ?」
「またそれ」
「あいー。じゃあ探しますか、バナナどこにあるのか」
 CD棚はだいぶ前に、酔っ払ったノギが転倒した際ぶっ倒れ、そのままだった。CDやMD、ビデオテープ、カセットが満載されていたため全部流れ出した。床の上に溢れたそれらをノギもガラナも適当にかきわけたため、どこになにがあるか分からなくなった。
 ガラナがゴミの山でも漁るかのように探している間、ノギはビールを啜った。一本、そしてもう一本。肴はチョコレート。本当はから揚げでも食いたかったが、見当たる食料はこれだけだった。つまみも買ってきてくれと頼むべきだった、とノギは公開した。しかたないのでチョコレートを食べ終えて彼は、先ほど摘んでいた焼き鳥のパックを舐め始めた。
「おわ。何でそういうことしてるのか分かんないよ」ガラナがCDの山を崩しながら言う。「なにそれ」
「舐めてるだけだよ。気にせず探したら」
「ベロは人に見せちゃ駄目な部位でしょ」
「そんなの聞いたことねえ」
「駄目だよ……それは駄目」
「バナナを見つけたらやめるよ……」
 ガラナは程なくしてバナナの代わりにリボルバーを見つけた。
「良いな。リボルバー行こう」
 CDプレイヤーにセットし再生すると、一曲目「タックスマン」が流れ始めた。しかしプレイヤーからは異音、曲は途切れ途切れだ。レコードじゃあるまいしなぜこんなことになるのか、と思いながらノギはビールを飲む。早くまた酔いたかった。
「どうなんだろうね、本当、どうなるんだろ」ガラナが言った。
「またかよ。何がどうなるって」
「ああ……この曲」
「これはこれでサイケでいいんじゃないの。なんとなくさ……やっぱビールよりサザンコンフォートが良かった。ビールとサザンコンフォート混ぜてもいいかもな。やったことないしうまくないかもしれないけど、どうでもいいよ」
「そうだね。どうでもいい的なとこあるよね、いろいろあるよね」
「僕らの頭の中身とかさ、そういうとこもね」
「うー」ガラナは突如うなり始めた。「ロボトミーしようかなあ。ロボトミー」
「どこでしてもらうんだよ。病院に電話して予約すんの? 『ロボトミーしてください』って」
「医者にしてもらわなくても大丈夫、ベッドに寝てアイスピックで頭ン中ぐりぐりってやると良くて、すごく良い結果出るっぽい感じはするよ。多分だけど。そういうことなら別にしてもいいみたいな様子」
「わかんね」ノギはビールを煽り言う。「お前の思考はわかんね。宇宙人に脳みそ弄くられてるんじゃねえ? すでにさ。いつのことかは知らないけど。そういう感じだよ、マジで」
 もしそうだったら自分も宇宙人に頭を弄くってもらい彼女とおんなじになりたいもんだ、とノギは思った。オレンジ色のUFOにさらわれて脳切開され得体の知れない金属片を埋め込まれる。痛いのなら遠慮したいけど、きっとよろしくやってくれるさ。
 タックスマンは終わった。次の曲は始まらない。「エリナー・リグビー」だったか? いや違う「アイム・オンリー・スリーピング」か。音楽なんてもうどうでもいいや。ノギはビールを飲み干して、その場に横になった。そして考える。朝起きたときガラナはまだいるか。どっかに行って、もう帰って来ないかもしれない。なんとなくそんな気がする。いつそうなっても別に構わない。
 ガラナは目を瞑ったノギのところへやってきて、言った。
「寝た? いやまだ寝てない。君は寝てるのか寝てないのか分かんないから。ああどうしようかな私も、もう寝るっぽい感じはするんよ。いやあこういう気分、微妙だから重要っていう所もあるよね。だからってまあ寝る決意する、そういうところまでは至らないけれど。頭かあ、さっき君が言ったのも結構面白。宇宙人ってなんのために牛さらって血抜いたり金属埋めたりすんの? 工作? 夏休みの工作? 宿題なわけ? アサガオの観察みたいに人間観察して得点もらうわけ? それってやっぱ、そういうことを一番最後の日までやらないでいてギリギリでなんとかどうにか解決しようっていう磯野カツオ的な人もいたりなんかして。きっと面白い。まあなんにしろいろんなものをいろいろ弄くってみたい気分って、あるよねえ。そういう気分的な日が。なんだっていいんだけど。あああ。寝てるのかな? 君が寝てるのか寝てないのか分からないけど君の舌ちょっと見たい気分かもしれない。見てしまってもいいのだろうかよくないのだろうか私はちょぴっと悩むみたいな、気分的なものはあるよ。だからちょっと見たいなあ。あと、舌だけじゃなく、目蓋の裏側も見たいなあ。目蓋の裏側、普通、人には見せないよね。だから、見たくなるんだよね。特に君の目蓋の裏側だよ。バナナ聞くのも良いけれど、そっちもきっと良いのよね」
 そうしてノギは、目蓋が引っ張り上げられる感覚を味わい、このまま抗って目を閉じ続けるべきか、それともいっそ無抵抗に目を開けるべきか迷う。
 答えは永遠に出ない。


 完

       

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