夏はあまり好きじゃない。エアコンの冷房が苦手（暖房もだけど）な俺には、どう考えても地獄だ。
部屋に閉じ篭って左クリックで物語りを進めたり、コントローラーで戦闘機を操縦したりしていたいが、扇風機だけで暑さに対抗するのは甚だ心許なく、そんな事をしていればそのうち俺は溶けて無くなるんじゃないだろうか。
かといって外に出ればいいのかというとそういう訳でもなく、外では太陽が紫外線交じりの熱光線で俺の肌を少しずつローストしていくものだから、そのうち、上手に焼けました、なんていうシステムボイスと共にこんがりと焼きあがってしまうに違いない。
そんな感じで、俺と夏、というテーマで暑さに対しての自己防衛案を考えていたのだが、気がつけば、一番涼しい場所を探して歩き回る猫のように、リビングに辿り着いていた。
夏休みといえば、学生にとって、一年を通してのメインイベントの一つであるが、そのメインイベントを今の所無為に過ごしている。
陽介とはそれなりに顔を合わせているが、あいつは金城先輩に何かと呼び出されているらしく、去年とは違い頻繁には遊んでいない。
ＰＣ部も登校日を除いて休み。それを知らずに部室に行き、保健室で涼んで帰る羽目になった。……電話かメールででも教えてくれれば、そんな事にはならなかったのに。
そうえいば、倒れそうになりながら高校に辿り着いた時、部活動に励む折笠を見かけたな。相変わらずチアの衣装が良く似合っていた。……灼熱の屋外でよくやるよ。
祭りの夜以来、杏子とは言葉を交わしていない。
また前の状態に戻っただけ。
そう思う事もあったが、小骨が喉に引っかかるように、何かが気になっている。けれど、何かを言おうと考えてもかける言葉なんて浮かばないし、同じ高校に通っているんだから、また話せる事もあるだろう、と、気楽に考えていく事にした。
そして……八代さんとは一度だけ話をした。
要約すると「分からない」だそうだ。
ずっと『運命の人』の事を考えてきて、そう思える人に出会ったまでは良かったものの、その人から違うと言われて、けれど『運命の人』は居ると分かって――。
全てを知ってから抱いた気持ちは、好きや嫌い、そういう想いではなく、どうすれば良いのか分からない。そんな不安や怯えにも似た漠然とした感情。
自分もそういう考えによく行き着いてしまうので、彼女の言いたい事はなんとなく分かる。
そして、それでいいと思った。
あの時、俺が最後に口にした言葉は、告白だったのか、と、問われても、答えるのが難しい。
彼女が俺の事をどう思ってるかは教えてもらえなかったけど、俺は彼女を心の底から好きだと言えない。
見た目は勿論好みだ。
けれど、容姿だけでいうなら、二次元を含めて、それこそ山のように居る。
そして、それとこれとは別。
彼女が俺を『運命の人』という『思い出』として見ていたように、俺も『八代遙歌』という女の子の上辺だけを見ていたのではないか。
もっと知り合えたはずなのに、積極的にはならず、お互いの気持ちを自分の中でだけ押し付けあっていた。
そのまま、今以上の関係になっても、すぐに壊れるような気がする。
だから……これで良かったんだ。
リビングのソファーに寝転んで現実と夢を往復していると、無造作に放り投げていた携帯が最近設定したばかりの電子音を鳴らし、着信を知らせる。
「もしもし――」
電話の相手へ予定通りに行ける事を告げると、少し弾んだ小さな声で「楽しみ」と、当日を心待ちにする声を漏らした。
きっと受話器の持ちながら、いつものように笑っているに違いない。その絵を頭の中で浮かべると、自然と頬が緩んだ。……キモイなぁ、俺。
夏はあまり好きじゃないのに、何故こんな所に居るんだろう。……なんて、そんな野暮な事は思わない。
始発の電車に乗って行き着いた先、早朝にも関わらず大勢の人が並ぶ列の中、横に居る彼女は清楚な白に青いリボンがワンポイントになっている帽子を被り、可愛らしい絵と大小様々な文字がプリントされている数枚の紙に目を落としている。
列が動き出したので「そろそろですよ」と前に進むように促すと、彼女は帽子を抑えながら顔を上げ、目を細めて入り口の方を見た。
「まさか、こういう形で来る事になるなんて思ってもいなかったわ」
「ですね」
「でも……私達らしいかも」
クスッ、と微笑む。それが癖だと気付いたのは、つい最近。
相談したあの日。部長の言葉で、考える事を止めた。……違う。選ぶべき道が分かった。
部長が口にした気持ちと同じものが、俺の中にもあったような気がする。
さすがにその場で気持ちが固まる事はなかったからしばらく待たせてしまったけど、自分の想いを伝え返す事が出来た。
勿論、その後も八代さんとの事は悩んでいたし、まだ杏子の事も考えている。
けれど、そこには『友達』、『幼馴染み』という枠があり、その枠以上の想いは二人へは無いと思う。
悩みが無くなったとは言えないけれど、自分の気持ちに線引きする事で、割り切って考えられるようになった。
そして、特別な気持ちは一人の女性にしか向けられていない。
伝え返してから何日か経った時に「夏休み中にどこかへ行きましょう」と誘い、二人で話し合い、今日、朝から大群に紛れていたのだけれど、二人とも初参加だというのに……世界最大のオタク向けイベントを舐めていたのかもしれない。
入り口が開いて一時間、漸く入った会場はネットやニュースで見知った以上に人で溢れ返っていた。
人が、氾濫した川のような流れを作っており、流れに逆らおうものなら、すぐにでも逸れてしまいそうだ。
その中を互いに見失わないよう流れに従い並んで歩いていると、部長が不意に立ち止まり、こちらを向く。
「手を出して」
言われるままに差し出した手を握られ、心臓が、ドクッ、と大きく一度打った。
初めて触れた部長の手は、同じコントローラーを持っているとは思えない程、細く柔らかい。
「これで大丈夫ね」
人目のある所で手を繋ぐのは気恥ずかしく、会場の暑さ以上に体が熱を感じている。
部長は恥ずかしくないんだろうか。前へ向き直り、再び映った横顔は涼しげだ。
けれど、違う熱を持っている事は火を見るより明らか。握り合った手を引っ張られながら、歩くペースが上がっていく。
「そんなに楽しみだったんですか？」
こちらを向かずに、こくり、と、首を縦に振る。
「じゃあ、企業ブースから行きましょうか」
「……どうして？」
「部長のお目当てはそこでしょう？」
答えを返してくれないまま、部長はまた立ち止まり、今度は黒く長い髪を流しながら体ごと振り向いた。
真っ直ぐに見つめてくる瞳は強い光を宿している。
「ねぇ、武史君――」
時間は止まり、辺りの数え切れない人や本の山、綺麗に並べられている机が背景へと変わっていく。
「好きよ」
恥ずかしそうに微笑む顔が、写真のように焼きついた。
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