世間でよく言われるように、春は出会いの季節らしい。
でも程度があるだろう? 一体なんだんだろう、ここ数日の出来事は。
環境の変化ってのを思い知った。高校生になりました、なんて変化じゃない。
入学早々見知らぬ可愛い子に運命の人とか言われて、ネトゲの知り合いは美人だけど何を考えてるのかわからない先輩で、疎遠になってた幼馴染みが久しぶりに話しかけてきて。
変化を嫌う俺にはかなりキツイイベントの連続である。
そりゃあさ、高校に入って三年過ごせばそれなりに色々あるんだろうとか思い描いてましたよ。けどさ、こんなに密集してるなんて思わないだろ?
なんというか、ちょっとしたゲームのオープニングみたいだな。あとは転校生辺りが居れば、もう確定的だろ。
なんて考えていた時の事だった。
「初めまして、サクラ・折笠です(さくら おりかさ)! ご覧の通り色んな血が混ざってます!!」
来た。
「席は……上田君の後ろでいいわね」
谷井ちゃんの言葉に椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がりガッツポーズ。……する陽介。
窮屈そうに制服に収まっている胸と少し癖のある金髪のショートヘアを揺らしながら彼女は後ろの席に座った。
まぁいい、こういう場合隣の奴と仲良くなるのがお約束。隣同士仲良くすればいいんだ。
そう他人事のように考えていると、グラッ、と椅子が揺れた。
「上田くん、よろしくね!」
快活という言葉がよく似合う声で、元気よく友達百人が目標とでも言いたげな雰囲気。
「あぁ、よろしく。」
元々この高校に入るはずだったんだが、家庭の都合で遅れたんだとか。
それって転校生と言えるのか?
「入学式に居なかったら転校生だよ」
転校生の定義なんてそんなもの、だそうだ。
「ねぇ、教科書見せてよ」
それこそ隣の奴に見せて貰えばいいじゃないかとそっちを見ると、睨むような視線を返された。
「ほい」
今日の授業分、全ての教科書を渡すと俺は机に突っ伏した。
どうやら折笠サクラ(サクラが先だったか?)という女は遠慮という言葉すら知らないようで、俺から色々と強奪していった。
転校してくるというには語弊があるかもしれないが、うちに通う事が決まっていたのならもう少し準備ぐらいしていて欲しいもんだ。
そしてとにかく元気がいい。快活な口調でサラサラの髪、はっきりした目鼻立ちにたわわな胸。それらを大きく動かしながら喋っている。
普通転校生なら同性を中心に輪を作り質問攻めに遭うのだろうが、元々この高校に入る事が決まっていたからだろうか、休み時間毎に眼鏡をかけた女子達とそこそこに喋っていた程度だと思う。
「関西から来たって事は普段は関西弁?」
いつも通り陽介と昼食の用意をしていると、何故か折笠が混ざっていた。
「んーん、色々引っ越してるからね。一応英語とフランス語もいけるよ。」
「なら大阪は無しか……。じゃあ、金髪さんだな」
ちょっと待て。それはあまりイメージがよくない。……あのお守りはちょっと欲しいけど。
「普通に、折笠、とか、サクラ、って呼んでよ」
笑いながら購買のパンを食べている折笠。オタクなら突っ込むところなんだけどな。
「あっ、そうだ。武史、お前炭酸平気だったよな?」
「あぁ、むしろ結構好きだけど。」
「じゃあこれをお前に託そう。新発売に釣られて買ったが俺の口に合う気がしない。」
手渡されたパンのビニールを読んでみる。
「新発売☆弾ける炭酸うぐいすパン……」
これを製造した奴、今すぐ表に出ろ。
「折笠、これも食べるかい?」
「もうお腹一杯だよ」
しれっと笑顔で言いながら、新しいパンを口に運んでいる。
「非常食という事に」
速やかに鞄に突っ込む。
そんなくだらない話をしていると一つの影が近づいてきた。
「今日あんた日直でしょ?」
いきなりの声に俺は、
「ぬへ?」
パンを咥えたまま間抜けな返事をしてしまう。
「さっき先生が呼んでた。あとで職員室に来てって」
用件だけを告げその場から去る杏子。去り際に一瞬視線が泳いだような……。
「睨まれた、のかな? 上田くんの知り合い?」
不思議そうな顔をして折笠が問いかけてくる。
「知り合いもなにも、武史と野中は幼馴染みって奴だ。しかしフラグは折れている! こいつを狙うんなら今ですよ、サクラさんや」
「? よく分かんないけど、私彼氏居るから。ごめんね、上田くん」
とりあえず陽介の後頭部を掌で軽く叩いておく。お前のせいで告白する前からフられたじゃないか。……告白する気もなかったのに。
「しかしよぉ、いつの間にまた喋るようになったんだ?」
「……わからん」
久しぶりに話したのは……、深夜の自販機前か。
「何かあったの?」
目を爛々と輝かせて陽介の話に食いつく折笠。
「それが――」
「呼び出しあるみたいだし、ちょっと行ってくるわ」
話を遮るように立ち上がり、職員室へと向かった。
「いやぁ! 来ないでぇぇえええ!」
校門を出てすぐにある住宅街で場違いな叫びが響いている。
声の中心には小さな体を更に小さくした八代さんが居た。
壁を背にして鞄を必死に抱え込み、辛うじて立ったまま必死に眼で威嚇している。
その涙を蓄えた目線の先には……、フサフサの長い毛と大きく振られる尻尾、愛嬌のある顔に備え付けられている口からは舌がだらしなく出ている真っ白な獣。
「……ピレネー?」
「た、助けてくださぁい」
こちらに気付いた八代さんは語尾を小さくしながらもSOSを発している。
タララタッタラー。
少し考えて、頭の中で定番の効果音を出しながら鞄から取り出したのは例のパン。
「さぁ、ジョリィ。餌だぞー!」
今名付けたばかりの大型犬に呼びかけながら餌であるパンを掲げて気付かせる。
気付くやいなや毛と尻尾を揺らし巨体を此方めがけて投げ出してくる。
その凶悪なまでの突進が決まる前に、コンクリートの塀と塀の間にパンを投げ込んだ。
犬が塀の間に挟まるのを確認すると、八代さんが腰を抜かす前に手を引き、駅へと走り出した。
「ありがとう、ハァ、ハァ、ございました。」
肩で呼吸しながら小さく体を折り曲げて途切れ途切れにお礼を言う八代さんに、気にしないでいいよ、なんてちょっと格好つけたりして。
「すごく助かりました。……私、小さい頃から大きな犬が苦手で」
「噛まれたりしたの?」
「それが……、何故か大きな犬は私を見ると突進して来るんです」
それは……、犬に好かれてるのでは? とは、声と顔を暗くしている彼女には言いにくい。
「それにしても、犬の扱いが上手なんですね」
「いや、飼ってた事もないんだけど……」
でも前もこんな事あったような気がする。
「――それじゃあ、ここで。ありがとうございました」
彼女が構内へと吸い込まれていくのを見送ってから、さっきの出来事を頭の中で思い出しつつ家へと歩き出した。
珍しくけたたましい金属音を聴く前に目が覚めた。
起き上がった姿勢のままぼぉーっとしていると、夢を見ていた事を思い出す。
とてつもなく大きな犬に追いかけられる夢。
確か真っ白な……、昨日見たピレネーがオーバーラップする。
「あの時は二人夢中で逃げたよな」
小さな俺と小さな杏子。幼稚園に通ってた頃だったはずだ。
近所で飼われていたサモエドに追いかけられたんだよな。
泣き出しそうな杏子の手を取って必死で逃げたっけ。
「確かあの時も――」
小さな俺にとってはとてつもない楽しみだった、週に一度の大袋のリスカのコーンポタージュスナック。
開けたばかりのそれを取られた。いや、渡すしか助かる方法を思いつかなかった。
「だから真っ先に浮かんだのがパンだったのか」
別に面白くもない話だが、当事者である八代さんとの話のネタぐらいにはなるだろ。
そう思いながら、まだ暖かい布団に後ろ髪引かれる思いで部屋を出た。
終わりかけの桜吹雪が舞う道を歩き、今日も高校へと向かう。
環境の変化で芽生えた大きな不安。……それと、ちょっとした好奇心。
前に頭に浮かんだ三人に金髪転校生キャラが追加されて、また思った。
エロゲとかギャルゲっぽいよな、って。……あれ? って事は俺主人公の立ち位置になってないか?
それらの主人公はバイタリティ溢れる、やれば出来る男だから成立するんだよ。
俺みたいな保守的なちょいオタがいくらそんな状況に陥っても、ヒロイン達とは結ばれないし、バッドルート一直線じゃないか。
……なんて面倒な。
珍しく自覚したわずかばかりの好奇心はすぐに不安へと飲み込まれる。
ふと歩道の色が変わったところで顔を上げると寝癖が直りきっていない悪友の後頭部が目に入り、今頭の中にあるモノを忘れるために足を速めた。