Neetel Inside 文芸新都
表紙

アンダンテ&スタッカート
第十一話「川西彩香」

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 僕が彼女と出会ったのは、大学二回生となって、本当に間もない頃だった。僕はぼんやりと日数を指で折って数えるくらいのことしかしていなかったし、それに今よりも修二は忙しくてあまり会う事が出来ず、正真正銘の一人であった。いや、高校時代の友人が誰もいない大学を選べば基本はそうなるものだ。自身で少しでも動かなければ何もできないことだって分かっていた。ただ僕は一年間その行為を一度として行うことはなかった。声をかけられても適当に返事をしていると、自然と相手も離れていく。そんな応酬を何度も繰り返していた。
 その行為が果たして今の僕に必要なのか、それが全く分からなかったのだ。目の前で失恋をして、更に挽回の機会すら失って、恋した人物の死に顔をこの瞳に焼き付けた僕が次に一体何をすればいいのか、そんなことが二十歳になるかならないかの少年に判断できるわけはないのだ。
 だから正直、そう、驚いたのだ。
 この出会いは、僕に大きな影響を及ぼすものだと感じたのだ。

「――先輩?」
 スピーカから響く彼女の声を聞いて僕ははっとし、そして一度だけ息を吸い込むと、言ったのだ。
「この答えはこれじゃあ出してはいけない気がするんだ」
 それから僕は彩香とこれから会う約束を取り付けると携帯を切った。切ってから、さてまずはといつものように思考を巡らせる。服装、ああ良く考えれば今僕はとてもみすぼらしい姿じゃないか。
 ある程度はマシにするべきだろう。と僕は適当にあり合わせを着てから外へと出る。

 ざあざあ。

 雨。と僕は無意識のうちに言葉を吐きだした。その言葉は冷たく地面へとただ落下して行く滴に打ちつけられて消えていった。酷い降りようだ。これでは音もよく聞こえないかもしれない。
 彩香と落ち合う場所を喫茶店と決めておいたのは正解だったのかもしれない。雨にぬれて気が落ちた状態で、更に彼女の気を落としたら、多分これからも付き合ってはいけない関係となる気がした。
 僕からの答えははっきりとしているのだ。
答えは“いいえ”しかない。
 彼女はとても大切な友人であるが、そのラインでしかない。一生付き合いたいと思えるラインでしかないのだ。総てを投げ出し、もしくは互いの関係が破壊されてしまう危険があるほどのとても身近な線引きができる人物ではない。非常に申し訳ないのだが……。
 ばさりと音を立てて開いた傘を差すと、じんわりと沁み込む冷えを感じながら歩きだす。
 そういえば、彩香と出会った日も雨ではなかっただろうか。思えばあの日から彼女は少し発言が変だったのだ。それでいて、人の感情を読む事がとてもうまかった。特に僕の思考は本当にすぐに読みとっていた。
 今思えば彼女は、あの頃から僕の事を好いてくれていたのかもしれない……。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第十一話―

「君はもう少し友好関係を開いた方が良いと思うよ」
 修二は手にしていた本に栞を挟みながら呟いた。そんなことは分かっているんだと思いつつも、その言葉を外気に触れさせることは結局できなかった。
「お前こそ、友人と言ったら僕くらいじゃないのか?」
「僕はそれで良いからね」
 ほんの少しの対抗から投げかけた言葉を、彼はとん、とまるで取り易い速度の球を受け止めるかのように、そう呟いた。
「群れるのは苦手だし、一緒にいて楽しい、気が休まると思えるのは君くらいしかいないのさ」
 彼の言葉を噛み砕いた結果、僕には「選んだ末の孤独である」と言っているように感じた。ああ確かにこれだけの秀才ぶりを発揮していて、そこそこ顔も良いのなら人は寄ってくるだろう。多少金髪に染め上げられた髪がネックとなる気もするのだが、それでもすれ違う人間に挨拶を送るくらいにはなるだろう。
「ああ、選んでくれて光栄だよ」
「別に光栄に思ってほしいから言ったわけじゃないよ」
 階段の前で僕らは止まる。いや、修二が止まったことによって僕も止まった。
 彼はそこでやっと、手にしていた本を肩かけの鞄へと放り込むと僕の肩に手を置いた。
「僕は君の生き方が羨ましいんだよ」
「君の方が随分と立派だ」
 彼は首を振る。
「僕は所詮勉学しかないんだよ。無趣味だし、特に大した人生経験もない。ただただ無難なレールを歩き続けている人間なんだよ」
「その無難なレールに皆憧れる」
「そうだね、だから僕は、その逆に憧れるんだよ」
 それは、彼でなければ多分いら立ちを覚えてもいい返答だった。修二以外の時この言葉はただの自慢、自分を魅せる為の道具にしかならなかっただろう。
自らをはっきりと観察した上での彼の発言となると、途端にそれは本当に彼の本心なのだと確信が持ててしまう。
 僕はにこりと爽やかな笑みを浮かべる彼を見て、ふと思った。
「なんでそんなに重荷を背負うんだ?」
 その言葉に、彼はただ無言で頷いただけだった。この先は、きっと彼自身も踏み込めない領域なのだろう。彼が唯一怖がる“自身”との向き合いを行わければならない場所なのだろう。
「じゃあ僕は行くよ」
 ああ、と返答をして手を振る。
僕は階段を降りる。
彼は階段を上がる。
 だからここで会話は終わり。お別れなのだ。
「ああそうだ」
「どうした?」
「ふと思った事なんだが……」
 彼は暫く宙を眺めた後、すっと僕へと視線を移す。
「誰かになりたい気持ちは、誰だって持つものだと思うかい?」
 その突然の問いかけに、僕は暫く思考を巡らした後、二度程首を振った。
「さあ、少なくとも僕はあまり思った事がないよ」
「僕は、一度だけあるよ」
 そう言うと彼は今度こそ階段を登って行ってしまった。
ただ一人残された僕は、ぼんやりとしながらその上がっていった階段を眺め、そして暫くしてから一歩足を段下に落とした。

   ―――――

 腕に巻いた時計はゆっくりと針を働かせ、時刻の経過をただひたすらに刻み続けている。例え誰にも見られていなかったとしてもこの針は休まず働いている事を思うと、こんな職業には就きたくないものだと思う。
 そんなくだらないことをぼんやりと考えつつ、構内の食堂の隅で突っ伏していた。することがなくてとても暇だ。これでもしも友人がもっといれば……。そんなことを考えて周囲に視線を振ってみる。
 いかにも高そうな服装で身を固めた女性、妙に凝った服装を身にまとった“いかにも”な男性、携帯ゲーム機を片手に盛り上がる男性陣、僕と同じようにぼんやりとした表情を浮かべながら机を囲む男女。
 果たしてこの中に割って入ることのできる人間がいるのだろうか。いや、よほど空気が読めないか、場に馴染むことのできる人間ならば一歩を踏み出す事ができるかもしれない。
 だが僕はそのどちらでもない。残念ながらただの凡人であるし、ある程度の恐怖心や躊躇いも感じるようにできてしまっている。
「まったくこれはこれで参った」
「参った、のですか?」
 僕の何気ない呟きを誰かが繰り返した。その声の主を探そうと無意識に首をひねって後方を見てみると、そこには少女が一人立っていた。
 その少女は、薄い桃色のストールを捲いて、少し丈の長いスカート、黒いストッキングを身に着け、そして首元には小さな首飾りを下げていた。幼さを感じる顔立ちと赤く染まったさらりとしたセミロングがなんとなく綺麗にマッチしていた。
 そんな少女は、僕の向かいに座るとにこりと笑う。
「君は?」
「参ったって言葉が気になっちゃった者です」
 少女は少し砕けた言葉でそう返事を返すと、じっと僕を見つめてくる。ああ、自己紹介よりも先に参ったの理由を言わなくてはならないのか、と気付いたのは無言の見つめ合いが始まってから一分経つか経たないかくらいの時であった。
「あまり知り合いがいないから暇なんだよ」
「孤立してるんですか?」
 やけにはっきりとモノを言う子だ。僕は濁していた真実を突き付けられ、溜息と共に頷きで返答をする。
「一人も?」
「一人はいるかな」
「その人は?」
「勉強熱心で今授業に行ったよ」
「貴方は?」
「この時間は授業を取っていない」
 テンポ良く続く言葉の応酬を繰り返しているうちに、僕の今の現状を再確認させられていることに気がついた。そして同時に、どうにかしようとは思っていない自分がいることにも気付いた。
 もしも目の前で繋がれたかもしれない人物が死んでいなかったならば、僕はこうはなっていなかったのだろうか。想いが届いていたら、あの時手を引いて抱きしめることができたのなら……。
 随分と引きずっているものだと僕は首を振る。未だに僕は振られたという事実、そしてもうチャンスさえも失われているということを信じられていないようだ。だからこうやって一人で思考したがるのだ。
「それは、一人になりたいからなのではないのですか?」
 ふと吐きだされた一言に僕は面食らう。
「どういうこと?」
「考え事をしたい時って、一人になりたくなるじゃないですか。だから、そういう考え方があったりして、誰かと一緒にいたいと思わないんじゃないかなって」
 随分と極論を出す子だと思った。だが、それが若干合っていることに僕は少しだけ悔しさを覚えた。全く知らない筈の少女にそこまで言われたくはなかった。
 僕は額に手を当てて暫く目を瞑る。
「そうだ、自分から探せないなら良い手段がありますよ」
 ふと聞こえた声に、僕は目を開いた。
「私が二人目になれば、友達増えますよね」
 その言葉に、僕は困惑し、そして思わず少女を見た。少女はにこりと笑ってから、頬に手をやる。
「私も暇なんですよ、この時間」
「……」
「暇つぶしに付き合う程度の友人も、たまにはいいですよ?」
 僕は暫く、目の前に座りさらりと言葉を吐き続ける少女の姿をよく見てから、調子を崩されたといった様子で頭をかいた。
「それは……ありがたい」
「川西彩香です。今年入ってきました」
「僕は明良です。一つ上の学年です」
「じゃあ、先輩だ」
 そういうと少女―川西彩香―はとても嬉しそうに一度笑みを浮かべた。

   ―――――

 思えばあれからなにかにつけて彼女と一緒にいたものだと思う。暇となれば互いに連絡を取り合ってよく会話をしたり、街で遊んでいたり。そんなことを繰り返していた。
 けれどもその中に恋といった出来事は一つも含まれていなかったし、本当に最も信頼のできる友人の一人として彼女とは接していた。彼女と出会って以降多少なりともコミュニケーションのとれる知り合いはできるようになったし、正直川西彩香という存在は恩人に近いと思う。
 けれども、それでも僕が彼女の告白に応えることはできそうにない。結局のところいつまでたっても僕は未練にまみれていて、それでいてその気持ちに酔い続けているのだ。
 他の女性と関係を持とうとは思えない。ほんの少し遊ぶという行為も僕には道を外れるようでとても怖いのだ。ようするに臆病で、潔癖なのだ。
「あ、先輩」
「やあ」
 彩香は頬を赤らめながら僕を見て笑う。そんな彼女の可愛らしい姿を見て感情が高揚する。
それでも駄目なのだ、と自分に言い聞かせる。なんと面倒くさい人間なのだろうか。
「あの、先輩……」
「悪いけれども、君とはそこまでの関係にはなれないよ」
 その言葉を吐きだした瞬間、彼女は止まった。
「私じゃ、駄目ですか?」
「駄目じゃないよ。でも、恋人とか、そういうのじゃないんだ」
 必死に彼女を責めないようにする言葉が出てくるが、きっとこれがまた更に彼女に傷をつけているのだろうと思うと、更に心が揺さぶられた。
「……そっか」
「ごめん」
 彩香は首を振ると、笑みを浮かべた。その笑みが、少しだけ強張っているのを見て、僕はやってしまったと思う。
「いいんです。私、そう言われるかもしれないって思ってましたから」
「……」
「先輩は、今好きな人がいるんですか?」
 その問いかけは、一体なんだったのだろうか。僕は暫くどう問いかければいいか迷い、そして思考を巡らした結果、脳裏に浮かんだ亜希子の姿を思い出し、そして素直に口にした。
「ああ、いるよ」
「そうですか……」
 そういうと彩香はくるりと踵を返すと、歩きだす。僕をかき混ぜているなんともいえない感情が、思わず彩香を追おうとしたが、すぐに辞めた。
「でも、これからも仲良くしてくれますよね?」
 彩香の背中が語った言葉。その言葉が、とてもずしりと僕に重くのしかかる。
「ああ、当たり前だ。君は親友だよ」
 そう言うと、彩香は無言のまま再び歩き出し、そして僕の前から姿を消した。明日、もし学校に行って彼女がいなかったとしても、それは仕方ない。僕の責任だと思いつつ、ポケットに手を入れ地面に目を落としながら、僕もゆっくりと帰路についた。

 その翌日、新たな死体が発見された。


   つづく。

       

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Neetsha