Neetel Inside 文芸新都
表紙

アンダンテ&スタッカート
第十六話「後悔」

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   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第十六話―

 今日の紅茶はやけに苦みが強かった。好みでも変わったのかと思ったが、淹れているのはいつもの店長で、運んでくるのは相変わらず無表情な店員だった。
 あれから僕らはすぐさまに場所を変えて、改めて話合いを行っていた。あの殺人犯の動きが止まったところを見ると、これ以上襲ってくる危険性はなさそうであったが、それが一時的な気まぐれからなのか、それともターゲットを直前で変更したのかは分からない。
いずれにせよ、僕には数日前よりも猶予ができたとみていいだろう。
僕の手にした情報、それまでの出来事をある程度順序良く話すと、彼女もまた資料を取り出す。
「西田遥が行方不明になった時のこと、調べてみると妙に変なのよ」
「変?」
「あまりにも綺麗過ぎるのよ。行方不明と判断されるまでの過程が。まるで、元々行方不明になる予定だったみたいに色々な物事が整理されているの」
 そういうと雪咲は資料を広げて、一つ一つを説明して行く。
「西田遥が行方不明になってから、目撃者が続々と現れ、そして暫くしてからすっとなくなったの。しかもその出現場所が無差別過ぎたあとに消息を絶ったせいでなにも分からず終いとなってしまった。例えば彼女が一人家出をしていたならばそれなりに見かけた場所が一定していてもいいの。そうじゃなくても、誘拐かなにかだとしてもその出現方法は大体その人間の考えと習性からある程度考えられたりするわ」
「けれどもそれがない、と」雪咲は頷く。
「無差別過ぎて、私には逆に計画的なものであったとしか思えないのよ。それも西田遥自身のね」
「どういうことだ?」
「西田遥が行方不明になったのは、宮下亜希子の死から数日経ってなのよ。これから何か予測できることはない?」
 僕は腕を組み、そうしてまとまった思考を一言で表した。
「西田遥が、宮下亜希子のストーカー?」
「その可能性はありえなくはないわ。そして同時に、誰かの手を借りて自らを行方不明として扱われるように仕立て上げた。行方不明者なんて最近じゃ幾らでも出ているから、確かに隠れ蓑として使うには上等よ」
「それじゃあ、あの時会ったのは」
「予想でしかないけれども、二年間、苛めを行った者への復讐の準備をしてきた西田遥、じゃあないかしら」
 ゆっくりと、何かが繋がって行く。まるで無関係だった出来事に、宮下というキーワードがはめ込まれることでありとあらゆるものが組み上がって行くのだ。
 けれども、幾つか疑問が残っていた。
「けれども、だとしても順序良く殺害していた状況から、突然僕を襲うようになったのは何故なのだろうか。関連性を畏れてのこと?」
「少なくとも、情報を多く持ち過ぎているといった点もあるのではないかしら」
 喋り疲れたのか、雪咲はそこで紅茶を飲み始めた。香りと温かさで落ちついた表情を浮かべている。
「貴方が心を許している人物、意外と多くはないのではないかしら?」
 ふと、その言葉で僕は修二を思い出す。が、修二が僕の話を知ったのはつい先日のことだ。警戒し始めると同時にターゲットが変えられた時、彼は関与はしていなかった筈だ。彩香とも今は会ってはいない。それに彼女に関しては僕から何か情報を受け渡したということもない。
 となると、彼なのだろうか。
「最近、事件を機に会うようになった男がいる」
「その男、本当に事件を調べているのかしら?」
 その言葉に、僕は反射的に首を振る。
「けれども彼と話す時、必ず僕と同じように独自に探って……」
「“いつだって、自分と同じ場所に目星をつけて探っている”と?」
 雪咲は僕の会話をばっさりと切り捨てる。僕は口を閉じ、目の前で静かにティーカップを口元まで持っていく彼女の姿を見つめる。
「確証はとれないけれども、これからその男とコンタクトを取ることは極力避けるべきじゃないかしら」
 彼女は飲み終えたティーカップをカチリと受け皿の上に音を立てて起き、一息ついた。
 僕の周囲で疑える人物はそう多くはない。僕は少しだけ人に情報を漏らし過ぎているのではないだろうか。無言のままケーキを一欠け口に運ぶと咀嚼する。味がよくわからなかった。思考がぐるぐると様々な記憶を引きだしては放置していくので片づけてみないと感覚もまともになりそうにない。
「兎にも角にも、貴方はもう少し自分の命を大切にすべきだわ」
 そう言うと雪咲は立ち上がる。レシートを手にすると払っておくと呟き、ファイルをいつ見ても重そうな鞄に詰め込み、最後に僕を見る。
「私としては、もう少し貴方と色々会話してみたいから、ここで死なれたら少し“損”なのよ」
 そう言うと、彼女は喫茶店を後にした。
 残された僕はその言葉を何度か内で反芻しながら、ケーキをもう一欠け口に含み、ゆっくりとかみしめる。生クリームの甘みがじわりと広がり、そしてどこかべったりとした感触が口内に残った。
 しかしどうやら僕は未だに死を軽く見ているようだ。以前よりも大分重く見始めたと思うし、あの死神にも世話になることは少なくなるだろうと思っていたのだが。それに僕には少なくとも「需要」というものがあるらしい。雪咲の相手をするという、小さな需要が。
「ユキヒト、西田遥、サチか……」
 この人物がどう関連してくるのだろうか。コンタクトが取れるかもしれないと感じられる西田遥とサチはともかく、ユキヒトはどう繋がるのだろうか。西田遥と出会うこともなさそうであるし、サチとなると更に接触の方法が見当たらない。
 三人組がどういったカタチで繋がるのか、さて、どうしたものか。
 時計を見てみると、大分日は落ち始めている。ああ、一日のうちに何度もという可能性はないだろうが、それでも早々に退散しておくのは大切だろう。
 少なくとも需要がある今は、死ぬことができない。

   ―――――

「あれ、先輩だ」
 店を出てみると知っている顔と鉢合わせた。彩香は女性を三人ほど連れていて、丁度帰宅している途中のようだった。
 彼女は柔らかな表情を浮かべるとおそらくは友人であるだろう女性らと別れてこちらにやってきた。嬉しそうにクリーム色のカーディガンを揺らし、薄い桃色のスカートを振ってこちらへと歩いてくる。
「お久しぶりです。先輩」
 彼女は相変わらずの笑顔を浮かべていた。
「元気?」
 僕は彼女となるべく目を合わせないように、それでいて気づかいを込めた言葉をかける。数日前にフった相手である。彼女はそれほど気にしてはいないように見えるが、それが表面的にである可能性はなくはない。少しだけ感じる距離感に僕はどう接するべきか悩みながら、手探りで言葉を選ぶ。
「いつも通りにしてください」
「参ったな……。変な気を遣って申し訳ない」
 けれども、そんな僕の思考は見事に見透かされているようで、彩香はじいと僕の眼を見ながらそう言った。完全に参った、降参だと両手を上げつつ謝罪の言葉を彼女にかける。
「気にしていないと言ったら、嘘になりますけどね」
 戸惑う僕に対して追いうちのように彼女はそんな言葉を吐いてくる。それも笑顔で。さてどうしたものかと更に混乱する。
「私は結構単純だから、真正面から言われたら意外とスッキリできるんです」
「それなら良かった。いや、良かったと言える立場ではないか」
「だから気にするのはやめてくださいね。私だって、それなりに整理したから今こうやって先輩と会話ができるんですから」
 彩香は一度、二度とくるりと僕の前で回転する。ふわりと風を孕んで浮かぶ服と髪と、それから浮かべられた彼女のどこか幼げな笑顔を見て、僕は少しだけ何かが動く音を聞いた。
「先輩は、私の事、好きですか?」
 その言葉は、果たしてどういった意味で答えればいいのだろうか。僕は口を閉じたまま、暫く考え続ける。その間彩香はただこちらをじっと見つめ、返答を待ち続けている。その表情には大きな期待は感じられない。ただ純粋に答えを欲しがっている様子であった。
 暫く、その答え方を模索し続け、そうしてふと泡のように浮かびあがってきた一言を、そのまま気泡としてごぽりと吐き出した。
「うん」
 多分それが僕から出せる最高の答えであり、そして最低の言葉でもあった。逃げと、曖昧さを孕んだそれは、僕の心をぎゅうと強く握る。
 けれども、彼女は一度頷いてからそっか、と呟くと小さく微笑む。感じていた冷たい感情と吸い込むたびに重苦しく感じた空気が、それだけで途端に姿を変え、僕の意識が浮上していくのがはっきりとわかった。
「それだけでも、私は嬉しいです」
 だから、一つだけ。
 言葉では吐き出されなかった。けれどもその“言葉”は僕にハッキリと届いていた。彩香は一歩、二歩、三歩と歩み寄ってくると、そっと僕の身体に腕をまわし、胸に顔をうずめた。
「少しだけ、少しだけ……」
 弱弱しくそう呟き続ける彼女を見て、僕は彼女の背に手を回し、優しく抱きとめた。力を入れるだけで壊れそうな彼女の身体を、丁寧に包む。彩香の身体のラインがはっきりと感じられ、彼女の鼓動も伝わってくる。僕よりもはるかに高いテンポで刻まれるそれが、今の彼女の心境を如実に表していた。
 彼女は、傷ついているのだと、はっきりとわかった。
「ごめん」
 けれども、その傷をいやすことのできる手段を僕は持っていない。
 彼女の柔らかな身体を抱きしめながら、僕はただ謝ることしかできない。なんて脆弱なのだと自らに訴えかけながら、それでも答えを覆そうとしない自身を悔やんだ。

 暫くして、彩香は落ちついたようで僕から離れると赤くした顔で微笑む。もう大丈夫とは言葉で言っているが、声は潤んでいるし身体は震えている、よく見れば視線も泳いでいるしやはり動揺は消えないようだった。
「ずっと友達ですよ」
「ああ」僕はそう頷いた。
「ずっと、ずっと遊んでくださいね」
「友達だからな」その言葉が、なんだかとても残酷に聞こえた。
「最後に、もう一つお願いしていいですか」
「なんだい?」
 彼女はそこで目をつぶると、すうと深く深呼吸した。すっかり日の落ちた中で彼女だけがどこか明るく見えた。
それでいて会ってから今までの中で最も純粋で、最も綺麗に見えた。多分、それは錯覚ではないのだろう。
「私の名前、言ってもらえますか?」
 それは、きっと彼女からの“最後”の言葉。
 この先僕の傍にいたとしても、それ以上の距離を縮めることのできなくなる魔法の言葉となるだろう。僕がこれから音として外にはじき出す言葉は、彼女の気持ちをハッキリとさせるものだ。
 言わなくてはならない。
 僕もまた、すうと一度深く呼吸をしてから、静かに待つ彼女の姿を真正面から見据える。

「川西彩香」


   ―――――

 彼女が去ってから、僕は一人で帰宅した。
 彩香は僕が名前を呼んでから今まで会った中で一番綺麗な笑顔を見せてから、僕に一礼すると踵を返して消えてしまった。
 学校でまた会ったとしても彼女はもうそれまでの彼女ではなくなっているのだろう。
 ただの僕の友人の一人として、これから彩香は存在し続ける。
 そう考えると、どこかさびしさを感じた。
 ボトルで購入してきたコーラをグラスに注いてから机に適当に置き、ベッドに腰掛け天井を見上げてみる。ここ最近は本当に色んな事があり過ぎていたからか、いざ落ちつくと疲労感がとてつもなく積み重なっているようだった。僕はグラスを一気に空にして寝転がると右腕で視界を覆う。
 西田遥は今も虎視眈々と僕の殺害方法を考えているのだろうか。サチは今何をしているのだろうか。案外関係のないところで静かにやっているのではないだろうか。いや、そう願いたい気持ちもある。ユキヒトは、本当に調べているのだろうか。
「川西彩香」
 多くの事を考えても、やはり戻ってくるのは彼女のことであった。
 この感情が、思考状態が、少しでも彩香にとっての救いとなるのだろうか。そんなことを考えてから、その考え自体がとても罪深く無責任なものだと感じて唇をかみしめた。
 非情になる時は、非情になりきるべきなのだ。
 そうしてぐっと目をつぶると僕は眠れ、眠れと呪うようにただ呟き続ける。まるで罪悪感から逃げ出すように、いや本当に逃げ出す為の言葉なのだろう。
 それから僕は、深く暗い闇へと意識毎投げ出され、消えていった。

   ―――――

 ポストに手紙が投かんされた硬質的な音で目が覚める。ああ、やってきたのかと僕は一体それがどんな手紙であるのかを察知しながらも、その答え合わせの為にポストへと向かい、投函されたそれを見る。

――終わりへ

 機械のように精密に書かれたそれを見て、僕は物語が終息して行っていることを改めて理解する。
 僕が見つけるか、あがりである僕まで殺害が終わるか。
 秒読み段階であり、その為に全ての疑問を潰さなくてはならない。
 僕はテレビを点け、今日もきっと誰かが死に絶えたのだろうとニュースの文面を確認していく。死に慣れ過ぎているとこういった行動も日常的に見えてしまうから困ったものだ。
【女子大生多数が変死】
 復讐は、もう手段を選ばなくなっている。そこに表示された身元の名を確認した結果、残っているのが僕と日吉飛鳥の二人なのだろうと確信する。つまり、メインディッシュだけが残っているのだ。それを食したいがために、殺人鬼はそれ以外を無理にでもたいらげたのだろう。
 顎に手をやり、今日中にユキヒトやありとあらゆる人物をコンタクトを取っていかなければと考えていると、不意にニュースキャスターが慌ただしくなり始め、そして手にした一枚の紙を読み上げ始める。
【たった今更にもう一人、遺体が発見されました。身元の確認まで終わっているようです。遺体は――県――市在住の……】
 その言葉を、僕は無意識に塞いだ。
 ありえなかった。否定的な感情が沸き上がっては消えて、次々と脳内を浸食して僕の平静を食いちぎっていく。
 つい数時間前まであれだけ元気で、笑顔で、この手に抱いた時の感触はとても柔らかくて、暖かかくて、鼓動は確かに生きているものだったのに。
 こんなことがあっていいのだろうか。

【荷物についていた学生証から、遺体が川西彩香さんであるという判断がされ、これから更に調査を行う予定との――】

 全てが裏返って行く。
 迷路のように入り組んでいく。
 ミノタウルスは、一体どれだけの迷い人を餌食にすれば気が済むのだろうか。


   つづく

       

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Neetsha