Neetel Inside 文芸新都
表紙

アンダンテ&スタッカート
第五話「珈琲と赤眼鏡」

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 通い慣れたカフェには既にユキヒトの姿があり、彼は小説を片手にとても美味しいそうにティーカップを傾けていた。どちらかといえばそういった面に興味はあまりなさそうな印象を持っていたためか、繊細そうな姿を見ると多少僕の中で衝撃があった。
「明良」
 ユキヒトがこちらの姿を捉えたようで、手にしていたティーカップを丁寧に置き、そして小説に栞を挿して閉じてから僕へと手を振る。僕はその光景にいささか“面白み”を感じて笑みを漏らしながら、彼へと右手を挙げた。
 駅前のカフェは随分と古びていて、流石に改築でもした方がよいのではないかと思う程の造りであった。もし仮にデート中の男女がお茶でも、と思ったとしても、けしてここに近寄ることはないだろう。それくらいに時代を感じさせる独特の空気を、ここは放っているのだ。
だからこそ、変に騒がしさを感じさせないここを、僕は大学入学時から利用している。別に違いの分かる人間を演じているつもりはないのだが、ここの古さと、美味しいとはとても言えないが、どこか忘れられなくなる珈琲の味が僕は好きなのだ。
「それにしても、なんだか独特な雰囲気だな。もっとおしゃれな場所はなかったのか?」
 彼は少し不満そうにそう言うが、数年間ここに通い続けているだけあって、ふとした用事があるとすぐにここを選んでしまうのだ。大学の友人をここへと呼んだことがあったが、今目の前で渋い顔をするユキヒトと同じく、不評と文句しか返ってこなかった。
「まあ静かで色々話す場所としては最適だろう?」
 僕は彼と向き合うように座り、そしていつもの珈琲をウェイトレスに頼む。ここは店だけではなくウェイトレスも独特で、非常に無愛想なのだ。いや、無愛想というか、一言もしゃべらない。気がつけば席に座る客の横に立っているし、メニューを聞くと即座に客から離れていく。
 顔だけ見ればそれほど悪くないし、無愛想さを除けばそれなりに気になるという気持ちを抱くことのできる人物なのだが……。僕はぼんやりと裏へと入っていくウェイトレスの後ろ姿を見ながらそんな思考を巡らせる。
「さて、と……。話しをしないとな」
 ユキヒトの声で僕ははっとして思考を切り替えた。
「それで明良、お前はどう思う?」
 どう思う。その言葉を心の中で反芻してみる。
「色々と考えてみたんだ」
 ほう。
 彼は一度頷くと顔の前で手を組む。
「同窓会を行った後、僕と三島だけが自然に帰路を共にし、そうしてから別れた。そして次の日、突然木崎が僕の家にやってきて僕に『三島が帰ってきていない』と訴えかけてきた」
「あいつは意外と行動する奴だからな。何をするにしても」
 そういうと彼は紅茶のお代りを頼む。そこで僕はやっと自分の頼んだものがきていたことと、ユキヒトの言葉に耳を傾けるウェイトレスに気付いた。彼女は本当に、一体何者なのだろうか、と首を傾げながらも僕は続ける。
「この一連の流れの中で、突然という言葉が飛び交いすぎていて、むしろその“突然さ”が“普通”なんじゃないかと思い始めたんだ」
 ユキヒトは首を傾げる。
「どこからか、僕と三島の行動はレールの上に乗っていたのかもしれないのではないかってね。“偶然”三島が僕と見つけて、そして“偶然”僕と三島は帰ることになる。そして僕は“気分的”に彼女の誘いを断り、そして別れる」
 面白いとは思わないか。僕はユキヒトにそう問いかけてみる。
 なるほど。彼はそう言うと少し微笑みながら紅茶を飲む。
「面白いな。まるでミステリーみたいだ」
「小説に例えられても困るな。どうせ現実では警察が動いて終わりさ」
 僕がなんとなく思ったことをそのまま吐いてみると、彼は軽く首を振る。
「だが面白いだろう? 明良が探偵で、実はこの失踪事件には犯人がいて、用意周到な奴だったと推理する。そして答えを探すうちに――」
 犯人にたどり着いてしまうわけか。僕は彼の話が面白く聞こえてきて、不意にその会話に乗り込んでみるのもいいだろうと感じ、口を開いた。
「そうして実はそこに真犯人がいて……そうだな誰がいいだろうか――」
 そうきたか、ユキヒトは笑った。
「じゃあ俺にしてみよう」
「お前が真犯人か。灯台もと暗しってやつだな」
 僕らは二人で思わず笑ってしまった。くだらない会話もここまでくると中々に楽しいものだ。
「そんな小説みたいな出来事、あったら面白そうだよな……」
 ユキヒトはこんな風に出してみたいもんだ。と栞の挟まれた小説をとんとん、と指で叩いた。
「もし出版されたら僕は買おう」
 買うのか。ユキヒトは甲高い笑い声をあげ、そして目に涙を浮かべている。彼のツボは相変わらず分からないが、ともかく馬鹿笑いしてくれているのだ。良い発言ができたのだと思っておこう。
「買ってちゃんと読んで、そして本を閉じてからこう言ってやるんだ」
 なんて言うんだい。ユキヒトはそう僕に問いかける。
「中々良かった……ってさ」
 そう言ってから、あまりのばかばかしさに今度は僕も馬鹿笑いに参加する。こうやって笑ってみるのも久々なら悪くないものだ。
 ここ最近はなんだか、笑いにくいことがやけに多かったからか、この機会があってくれてよかったと、とても思えた。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第五話―

 二人目の失踪者が出たのは、ユキヒトとあの古びたカフェで会話をしてから間もなくであった。そしてまたも姿を消したのは同窓会参加者であり、僕とはさして絡みもしなかった人物であったが、どちらかといえば、クラスでは中心に近い位置にいた覚えのある女子であった。まあ覚えがあるという時点で、その光景が僕が“忘れていない”という言い訳の為に咄嗟にでっち上げた幻想なのかもしれない。
まあ実質覚えていないに等しいのだ。仕方のないことである。
 僕は焼きたてのトーストをぱりりと齧り、先程黙り込んだ携帯をぼんやりと覗き、そして指で弄ってみる。だがそれに反応する気配はない。当たり前だ。単なる無機物になにを期待しているのだろうか。
 「二人目」のニュースを知ることができたのも、この携帯が朝早くにけたたましく鳴ったのが原因だ。こんな朝早く、六時や七時等という希望に胸を膨らませていた大学初めくらいにしか起きたことのない時間に鳴らすような人間はそういないだろう。
 そういない中“ではないところ”に彼女がいたせいで、僕は今こうやって健全な時間にトーストを齧る羽目になっているのだ。
 木崎美紀。
 よもやまた彼女の声を耳にすることになろうとは思いもよらなかった。というよりも携帯の番号をいつの間にか控えられていた事にまず驚いた。前回の押しかけと併せてストーカー扱いで通報しても問題はないのではないだろうか。
 彼女はどうやら、二人目が消えたことで更に僕に対する不信感を覚えたようであったが、二度目について(というよりも一人目も彼女から話を聞くまで全く知らなかったのだが)詳細を知らなかったと知るや、すぐさまに事情のみを離して消えてしまった。
「三度目も考えておくべきなんだろうか……」
 トーストの最後の一切れを飲みこみ、いれておいた紅茶を飲み干して僕は軽く洗ってから食器棚に放り込んでおく。久しぶりに起きたのだから何かをしなければと思うのだが、意外とやることが見つからない。
 友人でも呼んで遊ぶとか、夕方から飲みでも行く等とそれなりには思いつくのだがどうもしっくりこない。適当にで済ませていいような休日でもないような気がしてしまうのは、やはり身近で事件が起こっているからなのだろうか。
「……」
 溜息。
 静寂が部屋に訪れた途端、なんだかとても不安になり、孤独が心をよぎり、無性に喧騒が欲しくなった。
「大学にでも行ってみるか」
 僕は無理にでも空気を変えようとそんな言葉を吐きだして玄関へと向かい、スニーカを履くと外へと出た。ここから大学まではそうかからない。適度に出かけるとしたらうってつけの場所だろう。
 修二がいるのなら良い話し相手にもなる。彼なら大半は授業か図書館だ。探せば見つかるだろう。
 そうして僕は扉の鍵を閉めると、駅へと足を向けた。

   ―――――

 到着してまず、意外と盛況な大学の姿に僕は驚いた。そういえば朝方なのだ。受けようと思えば早朝始まりの授業でさえ受けることのできる時間だ。しかしこんな時間に暇を潰している生徒がどこにいようか。少なくとも知り合いの中で該当する人物は存在しない。
「……図書館、か」
 僕は資料は豊富であるが、それほど読み物は揃っていない“かた苦しさ”で練り上げられたような建物を一度見てから、静かにもう一度溜息を吐く。何故こんな有意義そうに始まった一日のまず初めを図書室で過ごさなくてはならないのだろうか。

 図書室へ足を踏み入れてみると、なんだか冷たい空気と重苦しい雰囲気に息苦しさを覚えた。重要な書物等を良好な状態で保管するためのものなのだろうが、その古い書物から放たれる空気がこの重苦しいものを作り出している張本人なのかもしれない。
 さて、と僕はこの図書館の中でも、それなりに明るい受付回りを見てみる。受付の事務員は相変わらず暇そうで、しかしやってきた生徒を見ると面倒くさそうに業務を行っていた。
「……あっ」
 修二の姿も見えないな。とぼんやりと周囲を眺めながら歩き始めた時、背中に軽い衝撃が走った。同時に少し低めな女性の声が小さく聞こえ、そして最後にばさばさ、と小気味よい音が響く。
 振り向いて謝りの言葉でも一言、と思ったが、視界に入った姿を見て僕は少しだけ驚く。
「……どうしたんです?」
 一見幼げに見えるその顔立ちと姿から、大人びた声が放たれる。
「あ、いや……」
「どうせ、声とイメージが合わなかったのでしょう?」
 そう言われて僕はくっと口を閉じた。図星過ぎたのだ。
 例えば幼げな声で、ほんの少し“しな”を練り込んでいるような声ならば僕も彼女の姿には何の違和感も感じなかったし、それで終わりだっただろう。だが、人というものはどこかにギャップを感じると興味を持ってしまうものだ。
「あの、すいません」
 少しだけ沸いた興味も彼女の、よく目立つ赤縁の眼鏡越しに見える静かな瞳に気圧されてしまいながらも、かろうじて漏れ出た五文字を空気に触れさせた。
 彼女は一度じっと僕を見つめた後、じゃあ、と呟いてから目を逸らし、今度ははっきりとした口調で言った。
「ぶつかって崩れた本を運ぶの、手伝ってもらえないかしら?」
 ふと気づいて下を向くと、目の前の少女が一人で抱えていたとは思えない量の本が、大小それぞれ散る様にして落ちていた。
「こんなに沢山の本を?」
「ええ、調べる事が好きなのよ。何かを」
「何かを?」僕は繰り返す。
「一つのことに興味を持ったらとりあえず調べてみたくなってしまうのよ。それが私の専門のものと違っていても、ね」
 調べることが好きな少女、か。と思った時、ふと、つい先日修二に言われた言葉を思い返し、そしてそれを当てはめた言葉がぐぐ、と喉元をせりあがってきた。
「つまり、君は調べることに対して“特別”なのか」
「特別?」
 ふとした瞬間に泡のように漏れ出た言葉に彼女は反応し、そして首を傾げる。僕は思わず出た言葉にしまったと思いつつも、それなりに食いついてくれたことに多少安堵感を覚えた。
 僕は彼女の疑問のニュアンスを含んだ言葉に返答を返さずに本を幾つか拾い上げるとただ一言、
「君の席は?」
 とだけ問いかけた。彼女もまたそれに対して、
「そこ」
 とだけ答えた。
 僕らは簡素な受け答えを済ませると黙って指示された席へと向かい、そして積み上げられた本を置いた。その重量感のある音はおそらく、そこらで惰眠を貪りにきている生徒達の数人に多少の驚きを与えられただろう。そう考えると、この重い音も意味があるように思えた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 簡潔な言葉をトレードし、僕はさて、と足早にその場を立ち去ろうと思い立つ。彼女に多少の興味は沸いているが、そういつまでもいると彼女の“特別”の邪魔になるだろう。そろそろ食堂も空く時間であるし、そうしたらまた修二がいつも通り四人席を一人で使用しているか彩香が気楽そうな顔でうろついているか、はたまた他の誰かが昼食の席を取れなくて四苦八苦しているだろう。
「それじゃあ」
 そう言って僕は歩きだす。いや、正確には歩きだそうとしたのだった。
 だがそれを、彼女は妨害する。
「待ってよ」
 その一言と衣服の裾を握る彼女の小さな手が、僕の動きを止める。
「さっきの続き聞かせてくれないかしら。その特別ってどういうことなのかしら?」
 彼女の表情を見てみると、先程の冷ややかな表情とはまた違う、少しだけ幼さを感じる微笑みがそこにはあった。
 どうやら僕は、彼女の“特別”の琴線に触れてしまったようだった。

   つづく

       

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Neetsha