01
赤田が起動したとある電子端末の画面には、そんな言葉が映し出されている。
彼はデスクトップパソコンの前で、少しフカフカでそれなりに座り心地の良い椅子自分の体重を任せてくつろいでいた。
学校から帰ってきて、特にすることもなく手持ち無沙汰でネットサーフィン。
そんな生活はいつから始まっていつまで続くのだろう。
いや、いつかは終りがくるんだろう。
でも、今ぐらいは別にこうして手持ち無沙汰になるのも風流じゃないか、僕は日本人なんだから風流を感じる義務があるんだ、などとこじつけ気味の理由付けをしながらマウスをかちかち動かしていたら、いつの間にやら何かをダウンロードしていた。
どうやらそれはアプリケーションのひとつのようで、自分の持っている電子端末の中にぶち込んで動作させてみるといいらしい。
よし、それならばやってみようと彼はなんの抵抗も無くそれをぶち込んだのだった。
「つまるところ、これはカメラの補助機能なのかな」
被写体という言葉をヒントに、彼はそんな結論を導き出した。
単純に、こいつはこの端末にくっついているカメラというやつを少し楽しくおかしくするものなのだろう。
だが、彼はこの端末で写真というものを撮ったことがなかった。
いかんせん、使う機会がなかった。
「さぁ、街へ出ましょう…………か。はいはい、本屋に立ち読みでもしてきましょうか」
彼は日課の一つである、家から徒歩三分の本屋での立ち読みを始めることにした。
簡単だ、金は要らない。
要るのは体一つでOKだ。
端末を左のポケットにねじ込み、コートを羽織り、靴を履いて彼は玄関のドアを開けた。
外はまだ明るいが、やはり日は短くなっているようだった。
彼は道路の端を歩き始めた。
ご近所さんとの付き合いは、それなりに有るか無いかの微妙な関係で、彼は無言の会釈を通りすがりの人々に送り続ける。
交差点を2つ横切り、踏切を1つ超えた先に書店がある。
書店のおっちゃんは、あのホコリをはたく謎の万能棒を所持していて、それを武器に書店の警備を行っているからたちが悪い、今日はどんな言い訳をして居座ろうかと考えていたら、いつの間にか書店についていた。
「よぉボウズ」
奥から声が聞こえた。
彼は体中の毛が逆立つのを感じた。
これで立ち読みはもう絶望的である――――ため息ひとつしかつくことができなかった。
「よぉおっちゃん。もうけてまっか」
皮肉を込めて言ってやる。
立ち読みは人間に与えられた天賦の権利だと彼はかたくなに信じているので、そんなことしか言えなかった。
「ぼてぼてでんがな。うちの店も、このデフレスパイラルに巻き込まれて沈没しそうだ」
つまらなそうに肩をすくめる。
無理もない。
ここ最近の不景気に加えて、出版業界はどうやら大不振らしい。
そんなこんなではこんな本屋は厳しいに違いない。
「いい考えがあるぞ、おっちゃん。立ち読み容認を大々的に発表すれば、この店は未来永劫安泰だ」
彼は手近にあった雑誌を手にとり、パラパラとめくった。
それと同時に、おっちゃんは手元のタイマーを握る。
「三分間待ってやる」
カチリと音が鳴り、続けてカチカチと小刻みな音が聞こえ始める。
この店のルールは至極単純。
立ち読み一回三分間。
その先には万能棒が待っている。
彼はチッと短く舌打ちしてから言った。
「まて、話せば分かる」
と言いながら、その目は雑誌に釘付け。
会話による和解を目指しているとは到底思えない態度である。
目と口が別々の主体をもって動き始める。
「問答無用。あと二分三十秒だ」
お決まりの返答をしてから、おっちゃんは奥に消えていく。
おそらく万能棒を取りに行ったのだろう。
いよいよ事態は切迫してきた。
これではどうしようもない。
彼は焦って雑誌を戻して、別の雑誌を取ろうとする。
その時ストンと何かが落ちた。
「あっ」
拾い上げたそれには、さっきと変わらず、同じ言葉が映し出されていた。
彼はそれを見て思いつく。
そうだ、IT革命が起きてから何年経つのだ、僕にはこれがあるじゃないかと彼はカメラを起動した。
違法結構自由奔放。
いや、いけないこととはわかっていても、彼は欲望に従うことにした。
開いたページでは思春期御用達のグラビアアイドルがはちきれんばかりの肢体をあられも無く晒していた。
最高だ。
よし、今日のところはこれで勘弁してやろう。
彼はカメラを構えてボタンを押した。
パシャリと音がする。
すると、突然雑誌の重さが無くなった。
おや、と思ってカメラをどけてみると、雑誌が消えていた。
「……これはまいった」
もう一度、画面を見てみる。
そこには確かに、今撮った雑誌が収められていた。
「おいボウズ、あと四〇秒だ。支度は出来たか? 生きるか死ぬかはお前次第だ」
と、突然おっちゃんが現れる。
右手にはタイマー。
左手には万能棒を携えている。
だが今はそれどころではない。
赤田はとっさに別の雑誌を手に取る。
「どの雑誌もつまらないな。一冊読むのに 10秒とかからない。このページ数は見掛け倒しってやつだな」
彼は次々と雑誌を取って開いては戻し、取って開いては戻した。
苦し紛れの粉飾決済。
おっちゃんの目は誤魔化せるだろうか。
彼の肝は零下近くまで冷え込む。
「………成程。俺としたことが、お前の読書スピードを鍛えていたとはな。いいだろう。次回からはお前だけ一回一分だ。それ以上の時間はやらん」
そう言いながら近づいてきたので、赤田は手に取っていた雑誌を棚に戻した。
ちょっと予定が狂ったが、どうでもいい。
気づかれない事に越したことはない。
彼はそそくさと店をあとにした。