第十三話
出番を次に控え、僕たちはステージ袖で待機している。前日の失敗で吹っ切れたのか、4人とも緊張した表情ながら、その目は落ち着いていた。僕もギターを小脇に抱えながら、静かな気持ちで出番を待っている。舞台袖には前のバンドの随分と歪んでリズム感のはっきりしないギターの音や、調子っぱずれに音割れしたボーカルの音が響き渡り、僕の思考は焦点を失い、ぼんやりと体育館袖の深い赤色をした幕のかすかに揺れるのを眺めていた。
やがて轟音はやみ、僕の思考は再びはっきりとした輪郭を取り戻す。小さな伸びを一つして立ち上がり、四人は数秒見つめあい、僕は小さくうなずく。
「よし、行こう」
僕は舞台中央のマイクスタンドへ向かう。シールドをギターからエフェクターのラック、ラックからアンプへとつなぎ、ギターをチューニングする。やはり舞台の上でのチューニングは緊張してやりづらい。チューニングを終えたらアンプの電源を入れる。徐々にボリュームをあげていき、アンプが轟音を吐き出し始める。次にマイクの高さを調整し、次はドラムから順にモニター音のチェック。保坂、池田、小林とそれぞれが音を出していくうちに、僕はこの数ヶ月繰り返されたスタジオでの練習を思い出す。僕もギターとマイクの音量をチェックし、最後に四人であわせて音量バランスのチェック。問題ない、いつも通り演奏しよう。
ここで僕がPAの人に合図を送ると、照明が落とされ、僕たちは演奏を開始することになる。しかしその前に、僕はまだ明るい体育館の客席を見渡す。3000人以上は入るであろう体育館の中で彼女を見つけることなどできるはずもない。でも、そうすることによって、僕はもう一度、この歌を歌う意味を深く心に刻み付ける。僕は小さく息を吐き軽く目を閉じて、右手を上げた。
照明は落とされ、ステージ上の僕たちにスポットライトが浴びせられる。四人はステージ上でお互いに目で合図を送る。うなずいた小林が、弦を軽くはじき、フィードバックノイズを出す。次第に増幅されていく音響の中、保坂がカウントを刻み、一斉に僕らの演奏が始まる。保坂のバスドラムと池田のベースが刻む腹を振るわせる重低音のリズムと耳を劈くギターの轟音とシンバルの甲高い響き。イントロを演奏しながら暗い海のようになった客席を見遣り、遠く灯台からの光のようなスポットライトを見上げる。網膜を焼くような強い光に目が眩み、音の洪水に飲み込まれて、僕は記憶のフラッシュバックを体験する。あぁ!あぁ!!!あの日の夜空が!スタジオの風景が!教室に差し込む夕日が!!彼女の笑顔が!!そしてその後、僕はただそのイメージの奔流の中に巻き込まれながら必死に歌い、ギターを掻き毟った。
二度目のサビが終わり、間奏に入る。僕は小林のソロのバッキングになるため、ギターの音量を絞る。ようやく一種の混乱状態から脱した僕は、小林のソロに合わせてコードを弾きながら、落ち着きを取り戻す。顔を上げると、静かな夜空のイメージと彼女の笑顔が、眼前の暗闇を彩っていく。スポットライトの光は虹色に分光され、万華鏡のように光り輝く。僕は幸せな気持ちになり、思わず笑顔になった。そして、いよいよ最後のサビ。
まず小林のギターのコード音だけが暗い体育館に孤独に響き渡った。次第に池田のベース、僕のサイドギターと音は次第に厚みを増していき、暗い夜空に光を描いていく。最後に保坂のドラムの音が加わり、光の満ちた暗闇に向かって僕は最後のメロディを歌い上げる。
届いて欲しい。これが僕からあなたへのラブソングだ。
君に出会えて、僕はこんなにもすばらしい気持ちになれたんだ。
だから、お願い。君も、どうか幸せに‥‥‥。
僕は心の底から祈り、腹の底から叫び上げた。
最後のコードの音がフェードアウトし、僕らの演奏は終了した。スポットライトは落とされ、再び照明が点き、僕らはそれぞれの楽器を持ち、ステージを後にした。
ステージを降りたところで、僕たちはクラスメイトたちに囲まれ、「すっごいよかったよー」という、とってつけたような賛辞の言葉をいくつか頂いたが、僕と保坂は、その場に池田と小林を残して早々と退散した。僕は教室に楽器を置いた後、僅かばかりの期待を胸に校内をうろついたが、結局、彼女の姿を見ることはなかった。
その後、閉会式で僕らのバンドが校内で二位になったことが発表され、後夜祭で再び演奏をする機会が得られた。心底嬉しそうにしている池田と小林を見て、僕は素直に、頑張ってきた甲斐があったな、と嬉しく思った。決勝の時と違い、観客が立ち見の後夜祭では盛り上がり方も断然上で、僕は心から楽しんで演奏することができた。ありがとう、と心からバンドメンバーに感謝した。
そして、これが僕たちのバンドの最後の演奏となった。
学園祭も終わり、僕の生活は学園祭前の日常へ戻った。
変わったことといえば、学校の屋上で保坂とたまに話をするようになったことと、池田と小林が付き合い始めたことぐらいだろう。
そして、あれ以来、僕は彼女とは会っていない。
一ヶ月ほどたった頃、彼女の家の近くまで来たので立ち寄ってみると、表札は既に外されていた。
それ以来、僕は彼女に会っていない。