Neetel Inside 文芸新都
表紙

春の文芸ミステリー企画
ちなみにコアラの握力はガセらしい/のなめ

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 「しかし平和だねぇワトソン君。これでは私の出番が無いではないか……」
 ロッキングチェアが前後にゆったりと揺れている。
 新聞を読みながらパイプを吹かし、暖炉の熱気にあたっている初老の男性。
 彼は奥で紅茶を入れている青年に退屈を漏らす。
 「僕はワトソンじゃあなくて赤部(あかぶ)ですよ、永保(えいほう)先生」
 それを受け取り、ポットを傾け振り向く青年。
 手元からは芳香を伴った湯気が天井へと上ってゆく。
 「知ってるさそんなことは。名探偵は得てして知的なジョークを嗜むものなのだよ」
 「そうなんですか? 知りませんでした! さっすが先生、名探偵!」
 「ハッハッハ、褒めてもボーナスくらいしか出ないぞ! もっと褒めなさい!」

 活気無い駅前の、古臭い貸しビル。
 その二階の一室にある、永保「名」探偵事務所のいつもの光景である。
 
 「あ、先生。手紙はご覧になりましたか?」
 一息ついたところで赤部は今朝に一通の封筒が届いた事を思い出し、棚から差し出す。
 差出人は不明、宛先は印刷文字で住所と「永保名探偵様へ」と書いてあった。
 『名』の字は太字で強調してある。
 渡された永保はそれを見て、顔をほころばせた。
 「見たまえ赤部君。私が名探偵だと言うことは既に周知の事実といった所だな!」
 「そりゃそうですよ。僕なんて名探偵は永保先生とシャーロック・ホームズと毛利小五郎と石川五右衛門しか聞いた事ありませんもん」
 「勉強が足らんな赤部君。それに名探偵はコナン君の方じゃないか」
 言いつつ封を丁寧にやぶく永保。
 中には一枚の紙が三つ折りになって入っている。
 一行、書いてあるだけだった。
 やはりデジタル的な文字で。

 
 「うきいにhそろこうぇあもあらけろk ∀より」


 「これは……」
 「うわあ、何だこれは。何語で書いてあるんだろう?」
 赤部は一目見るなり、間抜けな声で間抜けな発言をする。
 「暗号、だな」
 ベレー帽を被り直し、パイプを口から離す永保。
 その瞳は無邪気な子供のように輝いていた。
 「アン語? 赤毛のアンってこんな会話してるんですか?」
 「暗号だよ、あ・ん・ご・う。どうやら私に挑戦を求めているらしいな」
 ああ、と手を叩き、赤部は理解する。
 「でも全然わかりませんよ、こんなの! 先生、わかるんですか?」
 ――待ってました。
 そう言わんばかりに、永保は深く笑う。
 「既に九割は解けた。あと気に掛かるのは……ここだけだな」
 彼が指さしたのは右隅、『∀より』の部分。
 赤部は眼をまん丸くして、驚愕と尊敬の眼差しを永保へと向けた。
 「ええ、も、もう九割!? す、凄すぎる……。正に天才ですね」
 「これこれ褒めるでない。……いや褒めてもよろしいよ? 私が天才なのは確かだが、この文字の読みだけが思い出せんのだ」
 知らない、わからないと言わないのは彼の見栄と意地である。
 一方赤部は心当たりを探すように頭を捻っていた。
 「これ僕知ってますよ。確か、ガンダムにこんな文字でターンエーって読む奴がいました」
 嬉々として言う赤部に、永保は不機嫌そうに口をすぼめる。
 「私だって知ってるもん。……『たーんえー』、か。『たね』なら孫が見てたが」
 「あ、そう言えばそんな名前だった気も……」
 「まあ、どっちにしろ関係は無さそうだな。これで十割だ」



 

 三十分が過ぎる。
 赤部は紙を見ながら部屋中をうろつき回り、永保はそんな赤部を眺めながら椅子で揺られていた。
 「わかり……かけました」
 「ほう、言ってみなさい」
 赤部のはっきりしない物言い、しかし何かを掴んだような顔。
 それを見て永保はまるで出題者のような態度を取る。
 「まず、このアルファベット。これは間違いなく打ち間違いです。残った文字を並べると、
 『そらいろ』、『うろこ』、『けぇき』、『あに』。そして『あ』『う』『も』の三文字が残ります。……ここからがわかりません」
 赤部はそう言って、頭を抱えて深いため息を吐き出した。
 黙って聞いていた永保だが、それを見て思わず笑みをこぼす。
 「まあ、よくやったよ。考え方自体は悪くない。さて」

 「――じゃあ、解いてみせようか」
 
 永保の目つきが、変わる。
 事象の本質を見通すような、見えざる一点を射抜くような、目。
 「アルファベットが打ち間違い、だと言ったね」
 口調も静かなものになり、赤部も気配の流転を肌で感じ取った。
 「はい。hとkの二つだけあって所で、なにか意味があるとは思いません」
 赤部の声量も、自然に小さくなる。
 「そう、そこは合っている。しかしそこからだ」
 「そこから……?」
 「ひらがなは全部で何文字ある?」
 言われて指差し数える。十五個で間違いない。
 「十五。割れる数は一と十五以外で、二つあるね」
 「三と五ですね」
 永保は、赤部の目を見たまま頷く。
 「さっき『あ』『う』『も』が残る、と自分で言ったのを覚えているだろう。『三』文字が、な」
 赤部はハッとした顔つきになり、余白にひらがなを書き込む。
 『うきい』、
 『にそろ』、
 『こうぇ』、
 『あもあ』、
 『らけろ』。
 
 「これだけだと意味がない……! まさか!?」
 「そう、これは……縦読みなんだ」
 一瞬の目配せ。
 二人は同時に口走った。


 「『うにこあら』!!」


 「……って、何ですか?」
 苦労して導き出した言葉。その意味を赤部には感じ取る事ができなかった。
 永保の方はと言えば、説明するのも無粋だと言いたげな表情をしている。
 「コアラの握力を知っているかね? なんと彼等の握力は1tにも上るという。ウニを素手で握りつぶすなど、造作も無いことなのさ」
 「なるほど、そう言う事だったのか! さすが先生、知識も知能も超一流ですね!」
 「私にとってはこんなもの朝飯前だよ。君も精進しなさい。そして私を褒め称えなさい」
 突如、扉を叩く音が部屋に響く。
 ベルも表にあるというのに、随分乱暴な叩き方だ。
 「あ、誰か来たようなのでちょっと行ってきます」
 「うむ、忙しくなりそうだな」
 
 永保の予想通り、その日は随分と忙しくなった。

       

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