Neetel Inside ニートノベル
表紙

越えられない彼女
日陰の体育祭

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 笛の音と共に、騎馬たちが走り出していく。
 運動会の花形、騎馬戦の練習の始まりだ。
 1年生だけ、紅白7騎ずつだけど結構面白い。
 けど、僕はその中にいない。
 80m走なんかは問題ないけど、組体操や騎馬戦なんかに出たら、気分が悪くなったときに周りを巻き込んで倒れる危険があるからだ。
 小学校の頃、運動会で4年生までやらされた全校ダンスも、2年のときに倒れてからは不参加だった。
 なので、僕は盛り上がるみんなをぼんやりと眺めながらそういった時間を潰すことになる。
 去年までは紅白帽だったけど、今年は鉢巻になったせいで日差しを浴び続けるとちょっと暑い。
 そんな時は、緑のネットに体重を預けて僅かな木陰に入ったり、体育倉庫の軒下にいたりして少し涼む。
 小学校の騎馬戦は何を考えたか女子まで騎馬を作ってて(暗黙の了解で男子は女子を狙っちゃいけなかったけど、乱戦に紛れて胸を触りに行った猛者が一組いた。うらやましい)、少し盛り上がりに欠けるところがあったけど中学校はやっぱり違う。
 騎馬戦は、練習だということを感じさせないようなヒートアップを見せていた。
 普通逃げ回る騎馬が一組ぐらい現れるんだけど、なんとそれがない。
 既に乱戦の域を越えて、何がなんだか分からない団子が出来上がりつつあった。
 筒井が乱戦の中央で、辺りから来る手をひらすら払いのけている。本当に手芸部かあいつ。
 守口も必死に頑張っているけど、既に鉢巻ではなくて転倒させることが目的になってる攻撃を受けて倒れそうだ。
 攻撃してるほうは見たことないから、うちのクラスじゃないな。守口を狙うってことは、野球部繋がりかな?
 守口があわや転倒というところで、笛が吹かれる。それでもお構い無しに戦いを続ける奴らを、神庭先生が笛を吹いて散らす。
 ここから各陣営に戻って、カウント。といっても、見ている側からすれば勝敗は分かりきっている。3対4で、赤の勝ち。
 一応、戻ってカウントが終わるまでに潰れれば逆転――今回は引き分けだけど――もあるけど、ここまで来るとみんな死力を尽くして騎馬を崩さないようにするからそんなアクシデントもまず見れない。
 この無駄な時間、なくていいと思うんだけどなー。

「と思うんだよ」
「あー分かる分かる。下の人たちすごい頑張ってるよね」
 うんうんと今西は頷く。
 今西がノートを写している間、体育の授業中に感じたことをふと思い出して喋ってみたのだけど、分かってもらえたみたいだ。
「どれぐらいきついのか一回やってみたいんだけどな、あれ」
「え、何Mだったの?」
「いやいやそういうんじゃなくて」
 凄く楽しそうな目でこっちを見てくる。猫がおもちゃを見つけた時の目だ。
「へーそうなのかー、戸田くんドMなのかー」
「何勝手に悪化させてんだよ」
「じゃあ悪化してないだけでMではあると」
「だからそうじゃなくて、つーか騎馬戦なら上でもいいし」
「あー、そのほうがいいかもね。戸田くんちっちゃいし割と細いし」
「そりゃ今西に比べりゃ小さいわ」
 椅子に座ってる今でも十分でかい。脚も長いのに。
「ふははー」
 胸を張ってもでかい。いや胸がじゃなくて、ね。
「だが待て、今西はでかいから騎馬戦なら下だろ」
「うん」
「てことは、今西もMじゃね?」
「何その理屈! そもそもやんないし騎馬戦!」
「うちの小学校では女子もやってた!」
「うちはなかった! 女子はダンスやらされてた!」
「え、6年になっても?」
「そうそう。練習のときは男子が外で騎馬戦やってる間、体育館で踊ってるの。こうやって」
 架空のポンポンを持って、1年前に流行った曲を口ずさみながら今西が手を動かす。
「結構覚えてるもんだなー、これ」
 ん。
 気にしてなかったけど、この口ぶりは今西は運動会に出てたのか?
 つまり春か秋までは学校に来てた、ってことだよな。
「そういや、女子は何やってんの?」
「え? ああ。女子は棒倒し」
「棒倒しって砂場でやるあれ?」
「あれ。棒はもっとでかいけど」
「砂は?」
「ないない。人が守りながら倒すんだけど、結構凄まじいよ。女の戦いって感じ」
「えー面白そう。保健室からだと見えないんだよねー」
 保健室は位置的に校舎のほぼ真ん中にある。
 窓はボロい校舎のほうにしかないので、遮られて校庭は全く見えない。ギリギリで体育倉庫が見えるかもしれない、ぐらいだ。
「なら見に来ればいいじゃん」
「え、でも」
「バレないって。体育倉庫の影からでも見てれば絶対に」
「そうなの?」
「うんうん。僕も体育倉庫の周りによくいるけど、誰もこっちなんか見ないし。大丈夫」
「……考えとく」
 今西はいまいち乗り気じゃないみたいだ。シャーペンをくるくる回して、なにやら考えている。
 そこまで人目につきたくない何かがあるんだろうか。
 確かに筒井たちからは結構な拒絶を感じたけど、目の前の今西を見ている限りその理由は分からない。
 けど、一つ分かったことがある。
 今西が回しているペンを落としたところで、それを取り上げて回してみせる。
「え、何それうまっ!」
 回転は安定して、見事に持続する。
 伊達に小学校の頃ずっと腕を競い合っていたわけではない。
 ペン回しでなら、僕は今西を超えているようだ。

     

「はい次のグループ」
 神庭先生の指示で、僕を含む並んでいた6人が前に出る。
 地面に手をついて、昨日やった通りに足の間隔を調整。左膝を立てて、右足は膝をついてつま先で地面を踏み込む。
 そういえば、靴紐をもうちょっときちんと結んでおくべきだったかな。
「よーい」
ついていた膝を上げて、つま先に力を込める。ザリッという音が鳴った。
 銃声。一気に走り出す。前には2人。抜きたい。先頭は明らかに僕より早いけど、2番目の奴と僕とはほぼ同じぐらいだ。
 必死に追いつこうとする。少しだけ距離が詰まる。だけど、それじゃ間に合わない。ラインがどんどん迫ってきて、ゴールイン。
 減速して、Uターン。息は乱れているけど、気分は特に悪くならない。よし、上々だ。
 次の順番の奴らが走り出すのを横目で見ながら、コースの横を通って列の一番後ろに並ぶ。
「やるじゃん戸田っち」
 加藤が話しかけてくる。
 サッカー部で、普段はあんま話さないほうだ。繋がりといえば、クラス対抗リレーで前のバトン走者ってことぐらいだけど。
「まあね」
「その調子でリレーも頑張ってくれよー」
 あー、やっぱりか。
 こいつ、前の練習でも張り切ってたもんな。
 確かに、うちのクラスは足速い奴そこそこいるけど3組もなかなかのものだ。
 体育館で2回やってみて、2組と3組はそのどちらもアンカー同士の競り合いになって1勝1敗。
1組は完全に置いていかれていて、ちょっとかわいそうだった。
「任せろよ。つーかそっちこそパスミスるなよ」
「的場と一緒にすんなよ。俺はあんなヘマしないから」
 会話がそこで途切れて、一瞬沈黙が訪れる。
 話題を求めて、少し視線がさまよう。銃声が鳴って、そっちに意識が行った。
「お、次で終わりじゃん」
 加藤も同じだったのか、走っている奴らを見ている。
 見ると、分かりやすく足の遅そうな、まあはっきり言えば太ってるかヒョロい奴らが走っている。
 コースの向こう側で走っている女子も、そんな感じの奴らばっかりだ。
「分かりやすいなあいつら」
 加藤も抱く感想は同じ。
 もしかしたら、分かりやすいってのはあいつらのやる気のなさかもしれないけど。

 リレーが終わった後は、騎馬戦と棒倒し。
 それが終わったら一旦休み時間で、次の時間でクラス対抗リレーをやるらしい。
 連続で走ってもいいと思うんだけど、男女が別れたまんまだから楽なんだろうな。
 例によって、みんなが楽しそうに靴を脱いで騎馬を組みに走っていく中、体育倉庫の屋根の軒下へ。
 頭に手を当てると、そこが熱い。髪の毛が、熱を吸っている。
なんか面白いので、鉢巻を外してその熱を楽しんでいるとトントン、と肩を叩かれた。
 後ろを振り返る。
 むに。
「……楽しいか?」
「わりと」
 振り返った僕のほっぺたに指を食い込ませて、今西が笑う。
 肩を叩いて、その手の指を立てておくだけのあの簡単なイタズラだ。
 これ、やられるととても微妙に腹が立つんだよな。
「やっぱり来たのか」
「うん、まあ。ちょっと迷ったけど」
「最初から見てた?」
「見てた見てた。戸田くん、思ってた以上に足早いんだね」
「まあね」
 昔から運動はほとんどやらなかったけど、なぜか足は結構早い。
 運動部の奴にも、僕より遅いのがそこそこいるぐらいだ。
「どう見ても早そうには見えないのにねー」
 足を見てくる。うん、我ながら筋肉のかけらも
「……思ったより美脚?」
「何見てるんだよ!」
 褒められてるんだろうけどちょっと気持ち悪いぞ!
「えー、でもなかなか」
「僕の足じゃなくて騎馬戦見ろよ!」
 指差した瞬間、笛が鳴る。
 今回は3対3での引き分けらしい。
「えー、騎馬戦こんだけ?」
「いや、最初からちゃんと見てればそこそこ長かったからね?」
「つまんないなー。次棒倒しだっけ?」
「そうそう」
 体育委員によって太い木の棒が運ばれてきて、女子が頑張って立てている。
「見てろよ、こっちもこっちで面白いからさ」
 棒は組ごとに3本。その周りに女子達が次々と群がっていく。
 大体みんなが集まり終えたところで、笛が吹かれる。
 女子は男子ほどアクティブじゃないけど、それでもいくらかは相手の陣地へと走っていく。
 グラウンドの真ん中で赤組と白組がすれ違って、敵陣へ到達。攻防戦が始まった。
 赤組は分散しているのに対して、白組は一点集中で倒しにいっているみたいだ。
「うわ、すごい棒に掴まってる」
少し傾いた白の真ん中の棒に、一人の女子がジャンプしてぶら下がった。重みで、一気にバランスが崩れる。おお、倒れた。
 周りの女子が歓声を上げて、別の棒に移っていく。倒れた棒を守っていた女子たちは、ルールでもう参加できないのでそれを見ているだけ、ではなくてちょっと邪魔したりしている。
「あれは真似できないわ……」
「いや、今西ぐらい適任な奴いないだろ」
 ジャンプしなくても背伸びすればぶら下がれるんじゃないか。
「えーだってさ、ぶら下がっただけで体操服脱げてお腹見えそうだったじゃん」
「見えそうってかまあ見えてたね」
「そこまでは無理だー」
 ぷるぷると首を振る。
 うーむ、正直理解できるようなできないような。
 お腹ぐらい見えたところで気にすることないと思うんだけど、やっぱり女子だから、かな。
「うっわー、ほんと凄いあれ」
 その女子は、更に2本目の棒に掴まっている。今度は警戒されたのか、倒れかけたけど持ちこたえられているようだ。
 赤の棒も気がつけば1本倒されていて、2本目も集中攻撃でかなりきわどい所まできている。
「あー、倒されちゃいそう。玲ちゃんがんばれー、先倒せー」
「レイ?」
「あのぶら下がってる子。なんか勝ってほしいじゃん、あっちに」
「いや、僕白だし」
 ずっと持っていて、へろへろになった鉢巻を見せる。
「あーそういや。一応戸田くん応援する予定だったのにな」
「この棒倒しだけで裏切られるのか僕」
「応援してほしい?」
「んー」
 そりゃまあ、もちろん。
 ただ、ここで素直にそう言うのは、悔しい。
 間違いなく「もー戸田くんはあたしがいないと何もできないんだからー」ぐらい言うだろうし。
 必要なのは、意表を突く返しだ。
「――応援してよ」
「あ。やっぱり。本当に、戸田くんはあたしが――」
「クラスを、ね」
 ニヤリと笑ってみる。どうだ、これは予想してないだろ。
「……クラス、ってああ、リレーだっけ?」
 少し間を置いて普通に返してきたけど、一瞬の間があって目も泳いだ。どうやらこの奇襲は成功したようだ。
「クラス対抗リレー、3組とすげーいい勝負だからさ。そっち応援して」
「じゃあ戸田君の応援は、いいの?」
 そして、その質問を待っていた。
「今西がそんなに応援したいってんなら、してもいいよ」
 偉そうな口調で、そう言ってやる。
「えー、じゃあやらなーい」
 ぷいっとそっぽを向かれた。
けど、直後にグラウンドで吹かれた笛の音に、今西の首は再びこっちに向いた。
「あー、同点かー」
 騎馬戦に続いて、最終的には棒倒しもお互いに2本を倒しての同点。玲とかいう女子も活躍したみたいだ。
「この後何?」
「クラス対抗リレー、だけどその前に休み時間」
 棒がゆっくりと地面に倒される中、休み時間ということで有り余る元気で走り回ってる奴や、水を飲みにこっちに歩いてくる奴らも結構いっぱいいる。
「ん、じゃああたし帰るね。またお昼」
「おう、ってか1時間後だけどな」
 長い手をふらりと振って、今西が歩いていく。その姿をなんとなく見送る。
 12時が近づいてあまり伸びない、けどそれでも長い今西の影が姿より少し遅れて校舎で見えなくなったときに、ちょうどチャイムが鳴った。

     

 今日は待ちに待った……わけではないけど、体育祭の日。
 だったんだけど。
「残念だったなー」
 妹尾先生が窓の外を見ながら言う。
 昨日の天気予報では降水確率40%だった空は、どんよりと曇って雨が降り続いている。
「今日は月曜日課で、火曜日に延期な。給食はないけど、まさか弁当を忘れた奴はいないよな」
「さすがにそんな馬鹿いるわけないじゃんよー、な」
「じゃあなんでこっち見てるんだよ」
 筒井と松田は今日も通常進行です。
「はいはい、お前ら黙れ。朝の会終わりにするぞ」
「えー、もう終わりでいいじゃん」
「駄目だ。はい、礼」
 無理やり礼をさせて、妹尾先生が教室を出て行く。
「なんだよあれ。マジウザくね?」
「挨拶とかどうでもいいっての」
 二人が悪態をつく。
 正直筋違いだとは思うけど、そんな空気の読めないことを言うほど馬鹿じゃないので胸のうちにしまっておく。
 いい人だと思うんだけどな、あの人。
 僕が保健室で寝てると、時々様子見に来たりするし、今西も嫌ってないみたいだし。
 さっきの弁当の確認、は冗談だろうけど。
 昨日の帰りの会でも注意されてたことだし、さすがに忘れる奴なんていないだろう。

「え、今日お弁当だったの?」
 いたー!
 2時間目の体育の後、来てるか気になって保健室を覗いてみて、ついでに何気なく聞いてみたら衝撃の一言が今西の口からこぼれ出た。
「マジで持ってきてないの?」
「うん。てことでお弁当ちょーだい」
「何をおっしゃっているやら」
 にこやかに出してきた手を払いのける。てか時間ヤバイな。
「んじゃそういうことで」
「あ、待て」
 伸びてくる手をかわして、教室へと階段を駆け上がる。
 今西はとにかく保健室の外に出たがらないから、ひとまずは安心だ。
 それにしても、知らないとは思ってなかった。
 田原先生なら教えててもおかしくないだろうに。
 週5日やっている往復のおかげか、あっという間に階段を上がりきって教室へ。
 既に大抵の男子は着替えを終えていて、女子が後ろのほうでもぞもぞしている。
 …………本音を言えば、凝視もとい観察したいところだけど、エロい奴だと思われたくないので意図的に見ないようにしながら自分の机に。
 上の体操服を脱いで、ぐしゃぐしゃに置いてあるワイシャツを拾い上げて着る。
 次に下を脱いで、ズボンを履く、あれ。ベルトがない。
 素早く教室を見渡す。ニヤついてるのは、牧橋か!
「牧橋てめぇ!」
 ズボンを手で押さえながら、机の間を縫って牧橋へと近づいていく。
「うおバレたバレた。お前らどけ!」
 牧橋も負けじと必死で逃げていく。扉から外に出られたら厄介だから、
 下半身に開放感。
 後ろから近づいていた筒井に、ズボンを下ろされた!
「てめーらぁぁ!」
 普通に女子とかこっち見てるし!
 慌ててズボンをずり上げて、えーっとどっち追いかけようか!
 迷っている間に、二人とも扉の近くまで到達する。こういう追いかけっこでは、全力を出せない僕のほうが不利だ。さすがにこの格好で保健室は笑えない。
 となれば。
 僕は第三の選択肢を選ぶことにする。
 教室の後ろへ行って、牧橋のロッカーを漁る。
「あ、こら戸田!」
「弁当が惜しけりゃベルト返せ!」
 鞄からつかみ出した人質、いや箱質か? を盾に、ベルトの返還を迫る。
「よしわかった、弁当返せ」
「どう考えても取って逃げる気だろ」
「いやいや、マジだから。ちゃんと返すから」
 じりじりと距離を詰めながら、お互いにいろいろ裏のある笑顔で交渉を続ける。
 ちなみに、僕はズボンが落ちないように押さえながら、襲撃を警戒して内股。3年間使うからってサイズの大きいズボンが憎い。
 遂に苗木さんの机を挟んで、僕と牧橋はにらみ合う。苗木さん困ってるけど気にしない。僕だって困ってる。
 もはや交渉は不要とばかりに、僕らの手は相手の隙を窺っている。
 相変わらず顔は笑いながら、緊張が最高潮に達したその時――チャイムが鳴った。
 咄嗟に次の時間を確認する。理科。ってことは、
「おい早く返せ、八重はまずい!」
「うわ、もっと早くそれ言え!」
 今までの緊張が嘘のように、迅速な人質、いや箱質と、なんだろうベルト質? の交換が成立する。
 慌てて僕と牧橋と苗木さんが席に着いたところで、八重先生が入ってきた。
 座ってズボンにベルトを通しながら、安堵のため息を漏らす。
「はいじゃあ授業始め……おいなんだその弁当箱は。まだ3時間目だぞ、しまえ」
「え、あ、すいません」
 八重先生に指差されて、周囲から笑われながら牧橋が弁当箱をロッカーにしまいにいく。ざまあみろ。
 そうか、あれ今西に持ってってやればよかったかな。

 さて、さっきは逃げてきたけれども。
 よく考えれば、今日の僕の弁当はサンドイッチ。分けられないものじゃないのだ。
 どうせなら、恩を売っておくのもありじゃないのか。
 ということで、今西に分けに来たわけなのだけれども。
「どっから出てきたその弁当!」
「いやー、今日先生たちは仕出し弁当頼むらしいんだけど、その注文にギリギリ間に合ったから1個追加してもらえた」
 卵焼きを口に放り込んで、割り箸でVサインを作る。
「お行儀悪い。女の子なんだから」
「はーい」
 同じ弁当を食べている田原先生にお叱りを受けて、Vサインを解除するとごま塩のかかったご飯を口に放り込む。
「けど、戸田くんがそのお弁当を分けてくれるなら喜んでもらうよ」
「いやなんでそうなる」
「え、給食届けるわけでもないのにここに来たってことはそうじゃないの?」
 言葉に詰まる。これが今西の怖いところだ。
「まあまあ、その心がけはよろしい。ほら、そこに座って食べなさい」
 仕方がないので、勧められるがままに今西の好きなぐるぐる回る椅子に座る。
 これ、少し傾いてるからあんま好きじゃないんだけどな。
 ランチボックスを開けて、ラップにくるまれているサンドイッチを取り出す。
「玉子でいい?」
「え、マジでくれるんだ」
「代わりになんかくれよ」
「うん。ところで、ツナがいい」
「贅沢言うんじゃねー」
 要望は無視して、玉子サンドを渡す。今西はぶちぶち言いながらも、ラップを剥いてかじり始めた。
「はにほしひー?」
「お行儀!」
「ごめんなさーい。で、何欲しい?」
 長い体を縮こまらせながら口の中の玉子サンドを飲み込んで、今西が箸で弁当を指す。
「じゃあ、カマボコで」
「分かった。じゃああーんして」
 むせた。
「どうしてそうなる!」
 えーっとなんていうか、間接キスだろ!
「えー、嫌?」
 そりゃもちろん、嫌、かな……?
 よく考えたらおいしい状況かも、っていやいや。
「嫌とか以前に問題あるわ!」
「ちぇー」
 口を尖らせる今西をよそに、手でカマボコを持っていく。
「奈美ちゃん、一応言っておくと病気には経口感染って言ってね、口移しで感染するのもあるのよ」
「いや先生、ハナっから冗談ですから」
 ですよねー。
 なら受けておくべきだったのかな、なんて思ったりもして。
 今西より先に、サンドイッチを食べ終える。
 昼休みだし、今日は教室に帰るか。
「んじゃ今西、帰るけど放課後どうする?」
「あーお願い」
「分かった。じゃ、火曜は弁当忘れるなよー」
「雨ならねー」
「いや晴れでもだろ」
 光合成でもする気か。
「んー、あたし体育祭は来ないから。家で応援してる」
「えーなんでだよー」
「ごめん」
 今西が頭を下げる。
 その返事になっていない返事に何か触れてはいけないものを感じて、僕は追及をやめた。
 てか普通に忘れかけてたけど、今西って扱いは不登校なんだもんな。来なくて当然か。
「そか。じゃ、放課後」
「うん、ノートよろしくー」

     

『――日曜日は残念でしたが、今日は天気にも恵まれ――』
 あちー。
 5月にしては強い日差しが、僕の頭へと照りつける。
 去年までは紅白帽で防げたけど、今年は鉢巻だから防衛手段がない。
 とっとと校長先生の話が終わってくれればいいんだけど、この人入学式でも結構喋ってたからな。
『――平日にも関わらずお集まりいただきました父兄及び近隣住民の――』
 僕たちがうんざりする中、マイク越しの校長先生の話はまだ終わらない。
 あまりの退屈さに、地面に落ちていた小指の爪ほどの小石を拾い上げて、目の前の松田に向けて投げてみる。ヒット。
 けど、松田は気付かない。威力が低すぎたか。
 もうちょっと大きい石は先週の金曜の準備のときに拾われてしまって、もう転がっていない。となれば、狙う場所を変えよう。
 今度は首筋。うまく狙って、えい。
 小石は見事に首筋に吸い込まれていく。体操服の中まで入ったのか、松田の身体がびくりと震えた。
 後ろを振り返って、笑いながら足で砂をかけてくる。みんな座ってるから派手に避けられなくて、靴下が汚れた。
 さて、反撃せねばなるまい。とはいえ、もう石は通用しない。ならば砂の掛け合いに持ち込もう。
 僕と松田の間で小さなザッザッという音が響く。隣に並んでる不破がこっちを睨んできてる気がするけど男には譲れない戦いが
『せんせーい!』
 突然響き渡った声に、二人とも驚いて前を見る。
 いつの間に校長先生の話やその他もろもろが終わったのか、気がつけば二人の応援団長が声の大きさを競い合うように選手宣誓を行っていた。
 マイクを使っていないのに、校長の話以上の音量が僕の鼓膜まで届く。すごい。
ところで、こういうのは男女でやるもんじゃないのかな。
『誓いまぁぁぁす!』
 一際でっかく叫んだ後、最後に自分たちの名前を叫んで団長が退散する。
 続いて、朝礼台に3年生が一人上がってきた。
『池田敬太くん基準!体操体形にぃーっ、開けっ!』
 マイクに向けて叫ばれる。誰だよ。
 とりあえず適当に広がって、周りを見ながら微調整。
 いつも通りの体操が始まるのかと思っていたら、スピーカーから聞き覚えのある音楽、てかラジオ体操第一が流れてきた。
 うわー懐かしいな。5年生ぐらいから基本的にサボってたし。
 正直うろ覚えだったけど、周りを見ながらなんとか体を動かす。
 改めて聞いてみると、壇上であの3年生がやってくれてなかったら何言ってるのか分からない指示も多いな。
 最後に深呼吸して、割とさっくりラジオ体操は終わり。これから応援席に戻って、
『全体、屈伸!』
 神庭先生何言ってらっしゃるんですか。
 結局、追加でいつもの体育と変わらない準備運動。ラジオ体操は一体なんだったんだ。

 旗が、近づいてくる。
 共にやってくる声援とも単なる叫びともつかない声、声、声。
 その大きさに少したじろぐけれど、周りの熱狂に身をゆだねて、僕も一部となる。
 ドンドンというこの騒ぎの中でも掻き消されずに響く太鼓。その調子は変わらないはずなのに、何故か大きくなったかのように聞こえてくる。
 いよいよ、その瞬間。立ち上がりながら両手を天へ。そして、立ち上がりきらないうちに手を下ろしながらまた座る。
 ただそれだけの行為が、人の波を作り出す。あっという間に僕たちの座っている応援席を抜けて、旗持ちの走る僅か先へとウェーブは去っていく。
 そして、戻ってきた。
 再び、波の一部としてクラスの白組全てが動く。人によっては、鉢巻を放り上げて上空に二つ目の波を起こそうとしている。
 その波は学年が上がるほど大きくなっていくみたいだ。3年生までくると、女子まで投げ上げている人がいる。どれが誰のだか、ちゃんとわかるのかな。
 今度は波が揺り返すことはなく、トラックの端と端で紅白の旗が振られる。
 司会が何か話しているようだけど、激しさを増す太鼓の音が全てを飲み込んでいく。
 じわじわと、そのテンポが速くなる。合わせて、旗を振る速度も上がっていく。
 その両方が最高潮に達して、太鼓がドドン! と鳴り止む。それに合わせて、旗もピタリと、少し止まれてなかったな、白……。
 けどそんなことには目もくれず、応援団長が飛び跳ねる。
「白組勝つぞーっ!」
『『オオーーッッ!』』
 向こうで叫んでいる赤組と相まって、叫び声だけは二重。
 これで応援合戦は終了。校長、教頭、神庭先生が審査員となって点数が付けられる。
 その3人が壇上に現れる。
 まず、神庭先生の発表。手に持った紅白の札のうち、どちらを上げるかで結果を表明する。
 焦らすように両方を見比べる神庭先生。グラウンドの、応援席の緊張が高まっていく。
 そして遂に札を後ろ手に隠すと、直後さっと上げた。
 ……白。
 まだ勝ってもいないのに、歓声が白組を支配する。
 続いて教頭先生。この人は焦らしもせずに、赤の札を掲げた。
 打って変わって、グラウンドの向こうから叫び声が聞こえる。
 そして、校長先生。この人も焦らすタイプのようで、どちらかを出すかに見えてすぐに戻す、ということを繰り返す。
 徐々に、その間隔が長くなる。赤をゆっくりと上げたかと思うと、戻す。そして白をさらにゆっくりと上げていく。上がる、上がる上がる、戻った!
 そして赤。じりじりと、じりじりと、じりじりと、あっ!
 その手が下がることはなく、そのまま一気に上がりきった。
 赤組の方から、一際大きな歓声が聞こえてきた。

『白速いです、赤組も頑張ってください!』
 もう何度目か分からない、この実況。
 個性がないのかわざとそうしているのか、白と赤が入れ替わったり順位を発表したりする以外になんの変化も見られない。
 とはいえ、白が勝っているのはいいことだ。
 応援合戦で負けたマイナスは大きい。プログラムの2番から4番、1年から3年まで一気に行われるこの80m走で盛り返さなくちゃ。
 僕が走るのは次の次。で、今回うちのクラスで走るのは甍と守口。でも両方赤だから、応援していいやら。
 銃声と共に、スタート。次の次に走る僕たちは、立ち上がっておく。
このグループは早いほうなのに、守口がその中でも際立って早い。2位との差を少しずつ広げていく。
 幸いにも、甍はそこまで早くないみたいだ。それでも僕より上だけど。6人中、5位につけている。
 しかも2位と3位は白。これはいい感じだ。ゴール。
 1位こそ取られたけど、2位と3位とってればトータルで同じぐらいの得点になるんじゃないかな。
 続いて、僕たちの前のグループがスタート。砂埃が少し止んだぐらいで、クラウチングの体勢に。前を見ると、今度は白がワンツーフィニッシュを決めていた。上々。
 さて、いよいよ僕らの番だ。
 練習のときに負けた二人は、両方とも赤。これはまずい。
 1位は無理だろうけど、なんとしてでも2位に入ってやる。
「位置について、よーい」
 勝つ勝つ勝つ。それだけを考えろ!
 銃声と共に、一気に走る。よし、ひとまず2位だ。
 強く地面を蹴って、更に、更に早く。練習で2位だったあいつは、きっと僕のすぐ後ろぐらいにいるはず。見えてないけど、追いつかれるわけにはいかない、来た!
 ゴールテープまであと少し。そんなところで、並ばれる。抜き去りたいけど、そんな加速ができるはずがない。
 とはいえ、向こうも限界なようで――――ゴール。
 一気に減速、ゆっくり歩く。まずい、勝ったかどうか自信がない。
 肩で息をしていると、その肩を見知らぬ先生に叩かれた。
「3位のところに並んでね、呼吸整えてからでいいから」
 …………うあー!負けたー!
 少しふらつきながら、3位の旗の後ろの皆さんに合流する。
 周りとおしゃべりしている奴が大半だけど、ちょうど近くに知り合いがいないので、ひとりで息を整えながらこっそり2位の奴を睨みつける。
 くそ、何組かは知らないけど、クラス対抗リレーで覚えてろよ。

     

 暇だ。
 1年男子の出番はこの後、障害物競走、綱引き、クラス対抗リレー、騎馬戦。
けど、僕は徒競走に出たから障害物には出ないし、騎馬戦には出られないからあと2種目だ。
 次の出番である綱引きはブログラムで12番、当分暇なわけで。
「死ねぐっちゃん!」
「てめぇこそ!」
 ぐっちゃんこと山口と隣のクラスの知らない奴らが、水筒でチャンバラを繰り広げている。
 僕はといえば、頭にタオルを載せてそれを眺めているだけだ。
 あいつらの水筒みたいにカバーついてないし、何よりそんなことしたら潰れかねないし。
 他の奴らもみんなどっかで遊びまわってたり、仕事をしていたりと忙しそうだ。
 男子の席には、僕以外は談笑してるオタクグループがいるだけ。いくらなんでもあいつらの話題にはついていけない。麦がタクアンとか何を言ってるんだ?
 ぼーっ、と今度はグラウンドに視線を移す。玉入れだ。
 この競技も、いろんな奴がいて面白い。玉をまとめて放り投げてみる奴とか、何人かで一斉に投げてみる奴とか。
 中には色を無視して、向こうのチームの流れ玉を投げてるのもいる。お、入った。
 具体的に言えば、棒倒しでぶら下がってた女子だ。確か玲だっけ?
 彼女は妙にコントロールがよくて、次々と玉を投げ入れている。普通、こういうのってなかなか入らないものなのに。
 銃声。終わりを告げる合図だけど、気にせずボールを投げる奴は後を絶たない。もう1回銃が鳴って、ようやく止まる。
 応援団長がカゴを持つと、中の玉を思いっきり放り上げてカウントスタート。
 放送の声。応援席も、それに合わせていーち、にーい、さーん。
 10、20、30、40。ぽんぽんと、途切れずに紅白が飛び交う。
 徐々に団長がカゴから玉を出すのに苦労するようになってきて、緊張が高まる。46、47、48……歓声が上がる。
 赤の団長が放り投げた玉には、ひらひらと舞うリボン。最初から入っていた玉で、ラストの合図だ。
 赤がなくなっても、白のカウントは続く。50を越え、55を越え、結局57まで続いた。
 なかなか大差での負けだ。どれだけの差でも取られる得点は同じだから別にいいっちゃいいんだけど。
 ぞろぞろと、女子達が戻ってくる。朝はそこそこきちんと並んでいた椅子は、既に秩序なんてなかったかのようなグチャグチャっぷりで、通りにくそうだ。
「痛っ」
つま先に衝撃。しかも、踏まれたんじゃなくて通るときにどかした椅子の脚が落ちてきた。
 そこまで痛かったわけじゃないけど、つい声が出る。
「あ、ごめん」
 その椅子を動かした奴、韮瀬は軽く頭を下げて通り過ぎようとしたけど、僕を見て心配そうに眉根を寄せる。
「顔死んでるけど大丈夫? 先生呼んでくる?」
「いや全然平気」
 顔が死んでるのは暇すぎるせいです。
「無茶しちゃダメだよ、校外学習のときとか大変だったし」
「あー、あんときは悪いことした」
 僕のせいでバスの出発が遅れたとか妹尾先生が言ってたな。
「そうそう。ウチが班長だったからってちょっと怒られるし」
「マジか!」
 それは本当に悪いことしてた。
「まあ、怒るっていうか『多少遅れてきてもいいんだぞ』ってたしなめられた、みたいな。友代とかも結構フラフラだったし」
「へー……そういや不破見てない気がする」
「綾が白だから、そっち行っちゃった。あたしも行けばよかったかなー」
 相変わらずあの二人、べったりだなー。
 そういう趣味の人たちじゃないかって言ってるやつもいたし。
「あー、僕も行こうかな。こっちみんな遊びまわってるし」
「行く?」
「よし」
 立ち上がって、何とはなしに二人並んで白のほうへ向けて歩き出す。
「どっかで見た状況だなーこれ」
「今日はジャージじゃなくて体操服だけどねー」
 あと、韮瀬はいつもと違って髪の毛を2つにまとめるのではなくて今西みたいにポニーテールにしている。
 長さは大体同じぐらい、いや今西のがちょっと長いくらいかな?
「なんか髪についてる?」
「いや、いつもと違うなって」
「んーまあ今日動くし、たまにはいいかなって」
 サッカーゴールにテープを巻いて作られた入退場門のところでは、知らない先生が声を張り上げて3年生を集めていた。
 グラウンドの外周に張ってある緑色のネットギリギリまで広がる人ごみを潜り抜けて、白の陣地へ。
 人ごみを抜けるときに韮瀬と少し離れて、合流しないままそれぞれの目的地へ向かっていく。
「よー」
「あれ何戸田っち、来たの?」
 守口と筒井と山ちゃんのほうの山口が、制汗剤のボトルを持って何やらやっている。
「今リレーのバトンの練習してんのよ。やる?」
「あー、受け取るほうなら」
「オッケーオッケー、じゃ行くから」
 後ろに右手を出して、守口が来るのを待ち構える。ある程度近づいたのを確認して、前を向くと助走をスタート。
 少ししたところで、手の中に冷たくて固い感触。それを握り締めると、手を前に戻して振りながら加速……はしない。
 走るのをやめて、Uターンすると守口に制汗剤を返す。
「いい感じじゃん」
「本番で倒れんなよー」
「はははは」
 笑えない。
「3組に絶対勝つかんなー。運動部、意地見せろよ」
 下手な運動部より早い文化部の筒井が、守口と山口に声援を送る。
「意地見せろよー」
 その流れに僕も便乗。実際、筒井とそこまで変わらないし。
「てめーら野球部馬鹿にしてんじゃねーぞ。コーチマジ鬼だから。リレーで1位取らなかったらトレーニング追加とか言ってるし」
「剣道部は何もないけど馬鹿にしてんじゃねーぞ」
 これが小さいけどリレー選手の守口と、そこそこでかいけど僕より遅い山ちゃんの差か?
 脚の長さで言えば僕より絶対有利なのに。
 ……そういや、今西はやっぱり、この僕の美脚(とは思えないけど)を見に来ないんだろうか。
 別に見どころがあるわけじゃないけど、なんていうかやっぱり、どっかにいて欲しいな。
「んじゃ、もっかいやるか?」
「よし、やろやろ」
 再び距離を取って、今度は2本を使用して僕と筒井がバトンを受け取る側。
 渡す側の2人が走り出す。少しずつ距離が詰まって、
「おーい男子、綱引きだから並べ!」
 急停止。八重先生が、僕達を連れに来た。
「えーもうそんな時間かよ。気付かなかった」
「せっかく練習しようとしてたのになー」
 口々にこぼれる文句。ちょっと盛り上がりに水を差された気分だ。
「ほらお前ら、並べ」
「はーい」
 渋々といった様子で、2人が制汗剤を椅子の上に置く。
 全校の男子が参加する綱引き。ごった返す入場門へと、僕たちは一旦敵になりに行く。

     

 ピストルの音と共に、3人のランナーがスタートする。
 待ちに待った――ってほどでもないけど、クラス対抗リレーの幕開けだ。
 白組はただでさえ点数で負けてたのに、綱引きでも負けて「もう無理」というオーラが漂っていたけど、クラスでなら話は別だ。
 1組は青、2組は赤、3組は白のハチマキ。現在の順位はほぼ並んで白、青、赤だ。
 まるでフランス国旗、はこの並び方だっけ?
「チョビー」
 こういう時はチョビに聞くに限る。
「えっと、戸田くん何?」
 ぼそぼそとしたチョビの声は、周りの声援のせいで聞こえにくい。
 少し首を伸ばして、聞き取ろうとする。
 僕の走順は22番目、チョビは18番目。距離はトラック半周で、奇数のやつと偶数のやつがそれぞれトラックの反対側で並んでいるから、間に2人。
 ちょっと遠いけど、間の奴らは両方とも応援のために立ち上がっているから、そこまで元気のない僕とチョビの会話にはそこまで影響がない。
「フランス国旗の色の並びってどうなってる?」
「え、っと、確か青、白、赤」
「おー、サンキュ」
 つまり今の青、赤、白って並びは、うん。
 考えるのをやめよう。
 気がつけば第6走者まで来ていて、少し前に。
 青がどんどん後ろとの距離を開けていて、赤はじりじりと白との間を詰められてきている。
 けど問題ない。1組の作戦は序盤に早い奴を結集させていて、2組は逆に序盤に遅い奴をぶつけて逆転を狙う。そして3組はバランスよく、だ。
 毎回、1組は序盤だけリードして、25人目辺りで最下位まで落ちていく。
 最初は青、少し遅れてもつれ合いながら白と赤にも第7走者にバトンが渡る。
「モーちゃん、がんばー!」
 ここで登場するのが我がクラスの誇るデ……巨漢、モーちゃんこと砂川だ。
 女子にすら負ける50m10秒9のその走力は、あっという間に3位へと後退し、さらにその差を大きく広げていく。
 ここで開けられた分を取り返すために、第8走者では例外的に作戦を無視して金田が出陣。
 アンカーも務める(ここで走るのは今西がいない分の埋め合わせ枠だ)その走り。本当に早い。
 白が女子だったこともあって、距離の半分以上を埋めてバトンが渡った。
 とはいえ、ここからはしばらく鈍足ゾーン。苗木さんと大綿さんの後、オタク軍団の半分が走って、白との差はまあまあってところ。
 さて、そろそろ加速の時間だ。
 クラスの文化部をほとんど放出して、運動部たちがちょっとずつ差を縮めていく。青と白は既にトップを競り合っていて、周りのテンションはどんどんエスカレートしていく。僕も含めて、みんなレースの様子を見るために立っている。
 お、白がトップになった。けど青の女子とうちの女子の速度はほぼ拮抗している。ここからだ。
 目の前で、チョビにバトンが渡る。すかさず、前の高沢さんがレーンに並ぶ。そろそろ、僕の出番だ。
 チョビが懸命に走って、少しまた差が詰まる。安河内さんにバトンが渡って、また詰まる。
 青を射程に捉えて、高沢さんへ。走り終わった後、減速する安河内さんの胸は大変いい光景である。
 ばれないように、視線は高沢さんを追うかのようなさりげない動きで、こっそりと目に焼き付けながらレーンへ。
 いよいよ、加藤にバトンが渡った。
 レーンから見ると、少し白と後ろ2組との差が開いている気がする。まだまだ挽回可能ではあるけれど。
 加藤は、張り切っていただけあって十分早い。青との距離がかなり詰まる。同時に、僕との距離もあっという間に詰まっていく。
 助走スタート。すぐ前で青がバトンを受け取って、本格的に走り出す。よし、あの速さなら抜ける。
 思ったより手にバトンが触れるのが遅くて、ちょっと振り返ってしまう。その瞬間に、手にバトンの感触。慌てて握る。
 後ろを向いた分で、助走の速度がだいぶ落ちた。すぐ目の前の青ハチマキの女子の背中を目指して、思い切り走り出す。
 やっぱり、僕のほうが早い。競り合いながらカーブへ突入する。
 抜くためにアウトを取って、並んだ。
 周りの歓声が妙に大きく、はっきり聞こえる。「頑張れー!」という何人もの声が、それぞれ誰から発せられたか聞き取れそうだ。
 ふと、今西の顔が浮かぶ。来ないって言ってたけど、あいつなら来ててもおかしくないんじゃないかな。
 一瞬だけ、観客席を眺め回す。レースに集中していたはずなのに、いとも簡単にそれは行えた。
 保護者席に並ぶ、顔。その中に、見知ったものはない。
 やっぱり来てないのかな。ああ、救護テントにいたりして。
 頭でこんなことを考えながら、足は正確に走り続ける。青いハチマキを少しずつ引き離していく。
カーブを抜けた。バトンを渡す相手、千倉の背中がどんどん迫る。こっちを見て、走り出した。
 その手に向けて、バトンを叩きつけるように渡す。すぐにグッと手ごたえが返ってきて、離して減速。既に走り終わった人間の列に並ぶ。
「よくやった戸田っち!」
 まず、守口が飛びついてくる。
「ナイス戸田」
 続いて、アンカーのタスキをかけた金田がハイタッチ。
「っしゃ、あー」
 息が上がっているので、周りほどはしゃげない。
 少しふらふらしながら、レースの行方を見守る。
 白と赤の距離は、微妙に詰まってきてはいる。けど、まだ白は十分に早い奴を温存しているからわからない。
 対して、うちもこの後ある不破、小峰、韮瀬の卓球部ゾーンを越えればそこからはトップクラスの奴らばかりだ。
 ここでどれだけ差を詰められるかが、勝負を分ける。
 甍にバトンが渡る。早い。けど、白も負けていない。
 健闘もあまり差を詰められないまま、不破へバトンが渡る。
 さすがに男子の相手は厳しいか、また差が開く。次の小峰は女子と走るから、大丈夫だろうけど。確か、クラスの女子で二番目に早いはずだし。
 白に一拍遅れてバトンパス。走り出した小峰は、体格の割に早い。僕と同じぐらい、は言いすぎか。開いた白との差を大きく取り返しにきている。
 目の前でバトンの受け渡しを待つ韮瀬は、だいぶ焦った表情をしている。白も女子が連続で走ることを利用して、抜き去る気なのか少し前に出ているみたいだ。
 白のランナーが助走を始める。直後、韮瀬も続いた。
 それは早くないか? と心配が頭をよぎる。けど、多分あれならほぼスタートが横並びになるだろう。攻めに行く気だ。
 まず白が、韮瀬のほぼ真横でバトンパス。続いて小峰も、っ!
 渡せると思って安心したか、小峰が少し減速したせいで韮瀬に届かない。慌ててもう一度、強く踏み込んで走り出す。
 韮瀬も来ないのに違和感を覚えて、半分後ろを振り返る。けど小峰が強く踏み込んだのを見て、速度を落とさずにパスを受け取る。
 けど、
「大丈夫だったか今の」
「いやまずくね?」
 僕らから、そんな呟きが漏れる。
 今の動き、バトンが受け渡しできる範囲――オーバーゾーン以内に入っていたかかなりギリギリだ。というか、多分出ていた。
 韮瀬があそこで振り返ったせいで、気付けなかったんじゃないか。
 韮瀬の走りは白とほぼ拮抗しているのに、みんな少し不安そうな顔になる。
「……気にしたってしょうがないじゃん」
 さっきまでとは違うざわざわ感の広がるところに、金田の声がみんなの注目を集める。
「ニラ頑張ってんだから、勝とうぜ」
 そしてガッツポーズ。
「っしゃ! だな! 頑張れよ守口ー!」
 そこに、松田も乗っかる。
 レーンの上の守口は声援に笑顔で手を振ると、すぐに真剣な顔つきになってバトンを待つ体勢になった。
 白がわずかに先に、続いて赤がバトンパス。
 守口は走る。走る。早いのはわかっていたけど、いつもよりも早いんじゃないか。
 青も頑張るけど、遂にカーブの中ほどで抜かされた。
 僕も含めた2組のみんなから歓声が上がる。
 そこから、派手なデッドヒートが始まった。
 赤がさらに差を広げたかと思えば、30番目で一気に抜き返される。
 そこからまた盛り返して、並んだかと思えばまた少し競り負ける。
 残り5人。けど、ここで松田が本気を出した。
 抜いたばかりか、ぐっと差を広げる。なんだこいつ、さっきからかっこよすぎる。
 けど、アンカーまでの残りの3人がその差をじりじりと詰めてきた。
 半周遅れてついてくる1組がもはや眼中にはないかのように、2組と3組は圧倒的に盛り上がる。
 そして、遂にアンカーにバトンが渡る。
 またほとんど差がない状態で、タスキをかけた2人が走り出した。
「っしゃああああああああああ!」
 走り出すや否や、上がる歓声。
 金田、ヤバイ。白のアンカーも相当なのに、その上を行っている。距離が広がっていく。
「いいぞ! 行け! 行け!」
 思わず、僕も熱くなって応援に力がこもる。
 実行委員が、青のアンカーガ行くや否や慌ててゴールテープを張っている。どう考えても、そこに飛び込むのは金田だった。
 アンカーは僕達と違って1周。けど、半周を過ぎてもお互いスピードには衰えが見られない。
 赤いタスキがどんどん僕達に、勝利に近づいてくる。
 カーブを曲がり、最後の直線を一気に駆けて、最後にさっきと同じようにガッツポーズをしながら、金田がテープを切った。

 ゴール後の僕たちのテンションは、抜群に高かった。
 そんな中、発表された順位は。
『1位、3組。2位、1組。2組はラインの反則があったため、失格となります』

     

『白組、344点。赤組、408点。赤組の優勝です』
 グラウンドの向こうから、歓声が聞こえてくる。
 白組は正直そんなこと分かっていたので、悔しがると言うよりもしらけた空気だ。
 大きい競技は騎馬戦ぐらいでしか赤には勝てなかったし、僕はそれにすら出てないからほぼ完敗なのかな。
 運動会の勝ち負けなんて拘ることじゃないけど、悔しいような悔しくないような。
 団長が前に出て、校長先生から旗を受け取っているのをぼんやりと眺める。
 選手宣誓がずいぶん前だった気がするけど、まだ3時になったばっかりなんだよな。
 それほど競技に参加していなかったのに、わりと濃い時間を過ごした気がする。
 多分、その主原因は午後の応援席が重すぎたせいだ。
 あの時僕達側にいた奴らは大して気にしていないっぽかったけど、そうじゃない人の中にはだいぶ韮瀬に苛立っている奴もいる。
 韮瀬も韮瀬で、謝りたいけどタイミングを逸しちゃってるみたいでそりゃもうピリピリしてた。
 不破も扱いに困ってたみたいだし。
 騎馬戦で男子がみんな行っちゃったときとか、もうね。
 逃げようかと思ったけど行くところがなくて、救護テントに行こうかと本気で思った。
『続いて、学年別クラス対抗リレーの表彰です』
 そして、また空気が少しざわっとする。
『1年生優勝、1年3組』
 だいぶ色黒な感じの男子が朝礼台に上って、トロフィーを受け取っている。アンカーの奴だ。
 体育座りの韮瀬は、膝をぎゅっと抱えてその間に顔を埋めている。周りから聞こえる、ひそひそ話を遮断するように。
 傍から見てもすごく気にしているのが分かって、胸が苦しくなる。
 確かに、判断をミスったのは韮瀬だ。けど、目の前で見ていた僕たちはあの時韮瀬が必死だったってことがすごくよく分かる。
 金田が言っていたみたいに、気にしたってもうしょうがないことのはずだ。
 そう、声を大にして言いたい衝動に駆られる。
 けど、それでクラスの中での僕の立場がどうなるかを考えると、怖くなる。
 言葉は喉の奥に引っ込んでいって、結局何も起こらないままだ。
 表彰が終わって、校長先生の講評が始まる。
 それを全部聞き流しながら、考えを巡らせる。
 弁当を食べている時、牧橋は不満たらたらだった。あいつそんなに早くないのに。
 そこはまあどうにか分かってもらうとして、やっぱり他の奴らの反感を消すのは僕じゃない誰かに任せるしかない。
 男子の中心ぽい奴らのうち、金田は分かってくれてるみたいだから筒井がどう思ってるのかがポイントだな。
 女子はグループできてるから、正直どうしたらいいのかわからない。
一番韮瀬に反感持ってたのはテニス部組だけど、仲いい人いないからな。というか、校外学習で一緒になった卓球部組と今西以外に話す女子とかいないし。
 筒井が動かせれば文化部はなんとかなる、かな。もともと、苗木さんとかが怒る様子が思い浮かばないけど。
 不破や小峰も言えば、てか言わなくても協力はしてくれるだろうし、そっちを頼ったほうがいいのかな……うおっ!
 スピーカーから響いた、キィィィィンという音に思考が中断させられる。
『えー、ではこれから後片付けに入ります。まず一旦教室に戻って椅子を片します。ちゃんと昇降口で脚を雑巾で拭いてください』
 音の原因は、教頭先生の大声か。話してる最中も、小さくキィィンという音が入る。
『その後、各自でグラウンドの片づけをします。終わり次第先生の指示に従って下校してください』
 最後まで聞かないうちから、気の早い奴らは応援席へと移動を開始している。
 既にごちゃごちゃし始めた人の流れに乗って、僕も応援席へ。
 自分の椅子に戻って、タオルと水筒を椅子の上に載せて、けどまだ移動しない。
 とりあえず今やるべきことは、ちょっとだけ待つこと。
 そして、不破と一緒に少し遅れてやってきた、韮瀬の元気のない肩を叩いて
「お疲れ」
 と笑顔で言ってやることだ。
 不破も韮瀬も何を言ってるんだみたいな顔でこっちを見てくるけど、気にしない。
 ひとまず、これが今僕にできる精一杯のことだ。
 それ以上は言わずに、自分の椅子を運ぶ。
「何あれ?」「……んー」という会話が聞こえた気もするけど、何も言わないからな。

       

表紙

暇゙人 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha