Neetel Inside ニートノベル
表紙

越えられない彼女
隣は何をする人ぞ

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「はいじゃあ次の列の男子来い」
「っしゃー、いいの引くぞ」
 筒井が、マウンドに向かうピッチャーのように腕をぐるぐる回しながら立ち上がる。
 テストが終わって、今日の道徳の時間はその後に約束されていた一大イベント――席替えだ。
 うちのクラスのやり方は、妹尾先生がそれぞれ青とピンクで書かれた1から18までのカードを用意して、それぞれ引いていくというものだ。
 全員が引き終わった後、どの数字がどこの席になるかが発表されるので不正はできない、らしい。
 既に女子は引き終わっていて、男子の番。
 通路は狭くて抜け駆けはできないから、まだ一度も席替えをしていない今は目が悪いから先に引いたチョビを除いて、出席番号順に引いていってることになる。
 筒井の後に続いて、僕も教卓へ。
 妹尾先生が持っている袋から、画用紙でできた手のひらよりちょっと小さいぐらいのカードを1枚引いて、すぐ自分の机に戻る。
 あっけない作業だけど、席替えの醍醐味はこの後のワクワク感だもんな。
 途中で確認した数字は『2』。んー、前のほう、かな?
「戸田お前何引いたー?」
 早速、筒井が身体を後ろに向けて僕に聞いてくる。
「これ」
 めんどくさいので、そのままカードを見せる。
「おーなかなか」
「筒井は?」
「俺は11」
「おーなかなか」
 ……言っておいてなんだけど、何がなかなかなんだろう。
「でさー、隣誰がいい?」
「ちょ、声でかいだろ」
 このクラスの男子と女子の仲はどちらかと言えばよくない、ぐらいに入る。
 筒井は手芸部で繋がりがあるのと地のキャラで割と平気っぽいけど、僕はうかつにそういう話を聞かれるのが怖い立場にいるのだ。
「なんだよー、チキンだなー戸田」
 そう言いながらも、声を落としてくれる筒井。ありがたいけど、隣の鈴木さんがこっちをガン見してるんですけど。
「俺は暗いタイプじゃなきゃ誰でもいいんだけどさー、戸田は気になる人とかいないわけ」
「いないいない。僕も誰でもいいって」
「いや嘘だろ。好きな人いるんだろ? 言っちゃえよ」
「お前手口が韮瀬と同じなんだけど」
「えっ、うわ、マジかよ。ないわー」
 軽く頭を抱える筒井。
「まあまあ、そんなに気にするなって」
「うっせ。ニラと同じとか言うなよな、このガラスのハートが傷つくだろ」
「どんなガラスだよ」
「うわーひでえ、更に傷つくわー」
「勝手に傷ついてろよもう」
「だってさあー、ニラだぞ? 誰でもいいって言ってたけど正直隣なったらアレだろ?」
「え、普通にいけるけど」
 むしろ当たりの部類かもしれない。
「……マジ? お前まさかニラが」
 ネチャリとした笑い。
「いやいやいやいや」
「へーそうかー、戸田くんは韮瀬さんのことがなー、へー」
「違うっての!」
 言いながら、強烈なやっちゃった感。
 これはもうどれだけ否定しても取り合ってもらえないパターンだ。
「いやーいいこと聞いた、覚えとくわ」
「筒井てめぇ!」
「あ、席替えの結果発表されたぞ。見に行こうぜ」
 ニヤニヤしながら筒井が立ち上がる。
 黒板の前には既に人だかりができていて、みんなが自分の番号と照らし合わせてるせいでなかなかいなくなりそうにない。
「少し待ってから見に行くわ」
「いいのかよ、愛しの韮瀬と隣かもしれないぜ」
「ないない」

 あったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
 僕の札である2番は今の席からひとつ後ろにずれただけだったから、簡単に移動を終えて周りが移動でごたごたするのを眺めてたら、なんか韮瀬がこっちに来た。
 嫌な予感がこの時点でしたんだけど、まさかなと思ってたら「戸田くん、何番?」って聞かれて答えると「じゃあ隣かー」って。
 なんなんだこれ。ほんとなんなんだこれ。
 筒井に何言われるか分かったもんじゃないぞ。
「最悪だー……」
 小声で呟く。周りのガタガタがあるから、他の人には聞こえてないはず。
 なんか脱力して、椅子に座って机に突っ伏す。あー、どうしよっかなー。
「ちょっとそこ通してくれー」
 ん。
 妹尾先生の声に顔を上げてみる。
 だいたいの移動が終わった中で、先生が机を運んでいた。
 今日は休みもいなかったはず、と思って、すぐに答えに思い当たる。今西か。
 周りでも「あれ誰の?」「今西でしょ」「ああ……」みたいな声が聞こえる。
 けど、気になったのはその声の調子。
 今聞こえたのは多分ぐっちゃんの声だけど、あのなんとも言えない嫌な感じはなんなんだろう。
 色んな悪い感情が篭ってる、見下したような声。
 目は先生が机を運ぶのを追いながら、声がいつかの筒井の友達の声と合わせて僕の中で響く。
 僕が知っている限り、今西は間違いなくそんな声を浴びせられるような奴じゃないはずなんだ。
 そりゃ時々はイラッともするけれど。
 だから、その理由を知りたいと思わないじゃない。
 けれど、聞くのが怖くもあって。
 妹尾先生が扉側の列の一番後ろ、6×6の配置から飛び出た箇所に机を置くのを見て、また今日も僕は質問を飲み込んだ。

     

 ガタガタと机を動かして、6人が向かい合う。
 今回の班のメンバーは甍、ぐっちゃん、笹川さん、韮瀬、南風原さん。
 まあまあの面子、と言っていいんじゃないかな。
 ……韮瀬が隣でなければもっとよかったんだけど。
「じゃあ班毎に係決めろー。決まったとこから班長が紙取りに来い」                 
 妹尾先生の指示で、各班が一斉に騒がしくなりはじめた。
「班長誰やる?」
 はずなのに沈黙が僕らを支配する。
「俺副班長なら」
「え、あたしも副班長やりたい」
 その沈黙は、甍と笹川さんによって破られた。
 くそ、二人とも分かってやがる。
 副班長ってやつは、大抵何の仕事もないことが多い。
 だからみんなやりたがるわけで、僕も正直やりたかった。
 けど、今の僕にはそうはいかない事情がある。
 ただでさえ韮瀬と隣同士になったこの状況、筒井に散々からかわれるだけでなくてクラス全体にまで飛び火することも覚悟しなくちゃいけない。
 そのときに、限界までイジられるネタを持っていちゃ駄目だ。
 うかつに副班長になって韮瀬が班長になろうものならもう何を言われるやらわかったもんじゃない。
 このクラスの係は6人の班に班長・副班長が1人、配布係と回収係がそれぞれ2人。
 配布係と回収係はプリントを配ったり集めたりするだけの簡単な係だけど、2人いるというのがこんなに恨めしくなるとは思わなかった。
 当然、韮瀬と同じ係になるのも避けなくちゃいけない。
 つまり、今僕はかなり難しい局面に立たされているのだ。
 向こうの出方を読んでうまいこと韮瀬を回避しないと……ん。
 今、僕が班長になれば万事解決じゃね?
 2人はジャンケンで決める流れになってるし、もう韮瀬が副班長になることはないだろう。
 これはチャンスだ!
「あ、じゃあこのジャンケン負けたほうが班長になればいいんじゃない?」
 南風原さーん!
「お、それいいじゃん」
 ぐっちゃーん!
 なんという提案を。
 このままでは困る……ってほどでもないけど、韮瀬の回避にやや神経を使わなくちゃいけなくなりそうだ。
 とりあえず、向こうの出方を見てからどっちの係になるかを――
「えー、じゃあ俺降りるわ」
 お?
「うっそー。ありがとこいのぼりー」
「うわー、そう呼ぶならおれやっぱやるわ」
 げ。
「ちょ、ごめんごめん。許して」
「いや駄目。ジャンケンしようぜ」
 あーもうなんでそんな流れになる!
 こいのぼりってのは甍のあだ名。ただ、本人は嫌っている。
 なんでもこいのぼりって歌が音楽の教科書に載ってて、その歌い出しが『甍の波と 雲の波』だかららしいんだけど。
 それをこの状況で出すとは、なんとも空気が読めないというか……。
 こうなったら僕が止めに行くか。
「いや、1回やめるって言ったんだからアウトでしょ」
「んだよ戸田。入ってくんなよ」
「えー戸田くんの言ってること正しいと思うけどな」
「そうだよこいのぼりー。言ったんだから守れよー」
 僕の言葉を、笹川さんだけじゃなくてノリでぐっちゃんも後押ししてきた。
「は? じゃあいいよ、やめっけどお前らどっちか班長やれよ」
「え、ちょ」
「もう嫌っつっても駄目だかんな」
 甍が完全にすねた風に言い放つ。
 なんか妙な展開だけど、班長になる覚悟はもうできてたから問題はない。
 ぐっちゃんが「どうすんだよ」という目でこっちを見てくる。任せろ、僕が解決してやる。
「んじゃウチ班長やる」
「「え」」
 ここまで黙っていた韮瀬の発言に、僕と甍の驚きがハモった。
「環奈、こんなんの言うこと気にすることないじゃん」
「ん、いいからいいから」
 かわいそう、という口ぶりの笹川さんを軽く制すと、韮瀬は立ち上がって紙を取りに言ってしまう。
 また班全体を、今度はちょっと気まずい沈黙が覆う。
 前言撤回。
 この班、不安な面子です。

「きりーつ、れい」
『ありがとうございましたー』
 礼をしながら、内心げんなりする。
 この後に待っている掃除の時間を考えたら、あと一時間授業があってもまったく構わなかったのに。
 筒井のやり口は特に何も騒がず、ただしこっちをニヤニヤしながら見続けるというなんとも腹立たしいもので、おかげで僕は今ストレスが絶好調だ。
 給食が特に会話もなく終始重い空気の中だったのも原因にある。
 あー、掃除サボって保健室行きたいなー。
 前に運ばれていく机の波に逆らって掃除ロッカーに向かいながら、大きくため息。
 とにかく、韮瀬とはできるだけ喋らないようにしないとなー。
 まあそれはそれでからかわれるんだろうけど、さ。
 ロッカーから、箒を一本取り出して掃き始める。雑巾を絞って待機姿勢の筒井をなるべく視界に入れないようにしながら。
 分担はいつも通り、教室の窓側半分。
 だけど、今日はちょっとだけ丁寧に。
 韮瀬は僕がきちんと掃いてないと、やっぱり注意してくるからな。
 今思えば、あいつは掃き掃除よりも黒板を綺麗にしてるほうが性に合ってたんじゃないのか。
 そんなことを思いながら掃き終わって、ちり取りを取りに行こうとすると今日は珍しく韮瀬が先に掃き終わっていた。
 拭き掃除を始めた奴らの群れを掻い潜りながら、戻ってきてゴミを取り始める。
 それをゴミ箱に捨てたら、退屈な時間だ。
「ねえ」
 で、話しかけられるのが一番怖かったんだよなぁ。
「ん?」
 できるだけ親しげに見られないように、気をつけながら。
「いつも掃き終わってからちり取り取りに行くのって大変じゃない」
「え、ああ」
「だから、先に箒取りにいった方が一緒に持ってきとくことにしない?」
「お、いいよ」
 確かにそれはいい案だ。
「じゃ、明日からよろしく」
「うん」
 そこで会話が途切れたので、ちらっと拭き掃除のほうを見てみる。
 筒井は既に5往復し終えていたようで、実にいい笑顔でこっちを見ていた。
 あぁぁー。
 机の移動が始まったので、とりあえずそこに混ざってその視線から逃れようとする。
 けど向こうもそう甘くはない。僕の隣の列の机を運びながら、話しかけてきた。
「何話してたの? やっぱ人に言えないタイプの話?」
「んなわけないだろ。掃除の話」
「へー、ほぉー」
 ああ、腹立つわ……。
 その全く信用していないという態度と顔に軽く殺意を抱きながら、机を運び終える。
 とにかく筒井から離れるために、箒を持って素早く、かつ丁寧に掃除を開始。矛盾してる気もするけど気のせいだ。
 今度は韮瀬より早く掃き終えると、ちり取りでゴミを集める。
 会話がないようにあえて深く俯きながら、韮瀬が持ってきたゴミも取ると捨てる。
 韮瀬が手を出してきたので、箒を渡す。気がついたら、最後に箒を片付けるのは韮瀬の役目、みたいな感じになってきた。
 そのために韮瀬はいつも掃除ロッカーの前に運ばれる列の机を運んで、開けやすいように隙間を作っている。賢いやつだ。
 あ、もしかして片付けるのが韮瀬ってことはちり取り出すのは僕がやるべきなのか。
 後で言ってみよう。筒井のいないときに。
 今の僕に必要なのは、韮瀬と関わらずに掃除を終えること。
 拭き終わるや否や、素早く机を運んで椅子を下ろし、大体終わったところでロッカーから鞄を出して一目散に教室を出る。
 今日はだいぶ疲れたから、早く保健室に休みに行こう。

     

「戸田くーん」
「んあー」
「戸田くんやーい」
 頭に、シャーペンの先でつつかれる微妙な痛みが走る。
 仕方がないので、机に顎だけ乗せてぐでーっとしていた姿勢から身体を起こす。
 うー、顎がじんわりと痛い。ついでに腰も少し痛い。
「なんだよー」
「いや、元気ないけどどうしたのかなーって」
「疲れたんだよー……」
 また同じ姿勢に戻って、腕をぶらぶら。
 席替えがあったことはとりあえず今西には内緒。韮瀬の話に関しては十分すぎるほど僕の敵になり得るし。
 あと。
 今西の机の位置を、教えたくないのもある。
 37人のクラスだから1箇所飛び出てしまうのはしょうがないし、そこに今西の机を置くのも当然のことだろうけど。
 でも、僕はあの配置が嫌だ。
 見るたびに、なんとも言えないもやもや感に襲われる。
「起きてよーつまんなーい」
 ……けどなんかそんなこと考えるのがアホらしくなってきた。
 腕を持ち上げて、僕の頭をぽんぽんと叩いてくる今西の手を払う。
「やめれー」
「やめねー」
 僕の手をかわして、また頭を叩こうとしてくる。
 ならばと右ひじを机に置いて、手を振りながら妨害。今西もパターンを読みながら避けようとしているけど、定期的に引っかかってなかなか叩くには至らない。
「ぬー」
「ふははー」
 笑うと、机が振動するのが顎から伝わってくる。不思議な感覚で面白いな。
 あれ、なか今西の手が引っ込んでないか?
 嫌な予感がして、右手を今西のほうに向けて振ろうとした瞬間
「うりゃっ!」
「ひょうぁっ!」
 脇腹を掴まれた!
 身体全体がビクッとなって、身体が反射で左側に傾く。
 慌ててバランスを取ろうとしたけど手遅れで、派手な音を立てながら僕は床に落ちた。
 頭は打たなかったけど、受身を取った左腕とあと腰に強烈な痛みが走る。
「え、うわ、ちょ、戸田くん大丈夫!?」
「っつうぅぅ、ふざけんなよ……」
「本当に大丈夫、戸田くん? 頭打ってない?」
 田原先生も立ち上がって駆け寄ってきてくれた。
「腕と腰が痛いですけど大丈夫です、たぶん」
「じゃあ一応腕まくってみて。痣になってると困るから」
「あ、はい」
 起き上がって椅子に座りなおして、一番痛いところまで、ワイシャツの袖をまくる。
「大丈夫そうね。で、奈美ちゃん」
 めずらしくきつい声。後ろでおどおどと成り行きを見ていた今西は、びくぅと反応する。
「今回は何もなかったからいいけど、頭打ってたら下手したら死んじゃうことまであるんだからね。
こういう風にふざけてて死ぬ子供は年に何百人もいるの。気をつけなさい」
「はい……」
「あと、戸田くんに謝りなさい」
「……ごめんなさい」
 しゅんとした顔で、僕に頭を下げてきた。
 その姿は普段より一回り、いや二周りは小さく見える。
 僕のほうが大きいんじゃないかって、錯覚してしまうほどに。
 だから、
「いいよ」
 僕は今西を許してやった。
 その顔がほっとしたように緩む。
「けど、ただってわけじゃないぞ」
「え?」
「許してやるから、これから椅子交換しろよ。その軋まないほう」
「え、えー。それは」
「嫌なの?」
「うぅー」
 渋々といった面持ちで立ち上がって、席を空ける。
「いやーすまないねー」
 にやにやしながら、鞄を引きずって椅子を移る。
 座った丸椅子は全然軋まなくて、回転も滑らかで、傾いてもいなくて。
 あと、残った今西の体温でちょっと温かかった。
「うわーやっぱりちょびっと傾いてるー」
「我慢しなさーい」
 そう言うと今西は顔をしかめた。
 うん、それでいい。
 がちゃがちゃ、椅子の傾きがどうにか直らないかと身体を揺すっている今西は普段通りで。
 当然、僕より大きく見えた。
 僕が越えてやりたいのは、しゅんとしてる今西でも保健室に誰か来て身体を縮こまらせてる今西でもなくて、この馬鹿でかい今西なんだ。
「あー直んないー!」
「直るんだったらとっくに僕が何とかしてるって」
「ねえねえ、せめていない時はあたしがそっち座ってていいでしょ?」
「えーどうしようかなー」
 考えるフリをしてやる。本当は、もう返事は決まっているけれど。
「お願いだってばー」
「さっき落とされた恨みとかあるしなー」
「そ、それはさっき許すって」
「なんか文句でも」
「いやいやいや何にも!」
 慌ててぶんぶん腕を振って否定する今西。うん、面白かったしそろそろいいかな。
「まあ、そこまで言うなら使わせてやらんこともない」
「やったー! さすが戸田くん!」
「ははは、ほめろ」
「美脚ー!」
「またそれかよ!」
「事実だもん!」
「え、いや、うん」
 なんか強く言われて、思わず納得してしまう。
「ほんといい脚してるよ、保障する」
「あ、ありがと? じゃなくて、もっと他のところを!」
 ついペースに乗せられそうになって、軌道を修正する。
 この間今西をひたすら、最後のほうは「もういいからほんとやめて」と言わせるまであることないこと褒めちぎった苦労を味あわせようとしたのに、気がつけば向こうのペースにされていた。
 こういうところが今西の怖いところなんだよなぁ。
「え、えっとじゃあ腕……はきちんと見たことがない」
「体の一部をほめろって言ってるんじゃないから!」
「小さくてかわいい」
「そりゃお前に比べれば大体の1年は小さくてかわいいだろ!」
「いやかわいいのはレア」
 えっ。
 なんだそれどう返したらいいんだ。
「ちなみに美脚よりレア」
 なぜか親指を立てながら言われた。意味が分からない。
 やばい、なんか暑くなってきた。顔赤くなってないよな。なってたら死ぬ。
「あーもうその話おしまいな! 次!」
「えー」
 まだまだ語れる、とでも言いたげな顔。
 いったい、今西の中で僕はどういう扱いを受けているんだ?

     

「うわ、来たぞ!」
 静かな教室に、おもむろに守口の叫びが響く。
 プリントに県庁所在地を書き込むのに疲れていた僕たちは、一斉に反応した。
何が起きたかと窓際の守口のほうを向いて、すぐにその意味を理解する。
「あー降ってきてる、ってか勢いやばくない?」
「またプールなしかよつまんねー」
 見ていて分かるぐらいに勢いを増しながら、雨が降ってきていた。
 衣替えと合わせて今週からプールの授業が始まるはずだったのに、なぜか体育がある日はいつも雨。
 今朝は曇ってて、いけるかと期待して水着を持ってきた僕たちのダメージは大きい。
 特に僕の場合は、今日は体調がよかっただけあってなおさらだ……。
「あらら、みんな次の時間プールなの」
「今週ずっと雨だよー」
「呪われてるってうちのクラス」
 弓張先生が時間割表を見ながら残念そうな声で言うと、教室のあちこちから返事が返ってくる。
 若い女の先生なのと、ノリがいいせいでこうやって話に引きずり込めば授業が潰れていくので社会の授業ではよく見られる光景だ。
「でもそういうことってあるよね。私が小学生の頃5回しかプール入れなかったことあるし」
「えー何それ気になる」
「じゃあプリント埋め終わったら話してあげるから頑張りなさい」
 あ、でも最近先生も成長してきてるな。
「うわーえげつねー」
「何がえげつないの」
 ばしん、と資料集が筒井の頭に落ちる。クラス中から笑い声が起きた。
 さてと、そろそろプリントに戻るか。
 日本地図に書かれた47個のカッコのうち、埋まってないのは半分ぐらい。
 地図帳をめくって県庁所在地を見つけていくんだけど、これがなかなか面倒臭い。
 いくつか埋めたところで誰か終わってないかと周りを見渡してみる。まあいるわけが、
 あった。
 僕の隣で、韮瀬が退屈そうにプリントに何か落書きしている。
 そのプリントのカッコは、一つ残らず埋まっていた。
「韮瀬」
「んぅ!?」
 咄嗟に落書きしていた部分を手で隠して、韮瀬がこっちを向く。
「な、何どうしたの?」
「いや、そのプリント見せてくんないかなーって」
「え、あ、いい……けどちょっと待って!」
 そう言って、慌てて左手で僕から見えないように隠しながら落書きを消しゴムで消していく。
 そこまで焦るなんて一体何を描いてたんだろう。
「はい」
 心なしか、ややぶっきらぼうにプリントを渡される。
「ありがと」
 受け取ってとりあえず写し始める。
 筒井に付きまとわれ続けていた先週だったら考えられなかったことだ。
 丸一週間をかけた『興味ないですよ』アピールはどうにか効を奏したと言えそうで、最近は飽きられたのか絡んでくることもめっきり減っている。
 ただ、今週ずっと「韮瀬の水着姿見られなくて残念だったなー」って絡んでくるのは正直そろそろ勘弁していただきたい。
 というか韮瀬の水着ねぇ。見て楽しいかというとどうなんだ。
 ……横目で、どことは言わないけれどチラ見してみる。
 夏服なのでなんというか分かりやすくなっていてよろしい。
 ふむ――――わざわざ期待するほどではないな。
 なんと言ってもこのクラスには安河内さんという大物がいるし、どう考えてもそっちを見たほうがいい。
 ああ、なんで降ったんだ雨。
 思わず、もう一度窓の外を眺めてみる。まあ止んでるわけないよね。
「終わったの?」
「あ、ごめん、まだ」
 おっといけない、いろいろ忘れてた。
 頭の中のいろんなことを追い払って、書き写す作業に戻る。うわー面倒臭い。
「てか韮瀬早くない? どうやったの?」
 そんな疑問が口をついて出る。普通に凄いな。
「ん、地図帳の後ろのほう見ただけだけど」
「えっ?」
 なんだそれ聞いてないぞ。
 びっくりする僕に、韮瀬が僕の机に広げてあった地図帳を手にとってパラパラとめくる。
「この『地名さくいん』ってページの赤くて太い文字あるでしょ。これが県庁所在地」
 見せてきたページには、確かに僕が今まで写してきた県庁所在地が五十音順に記されていた。
「うわー、それ早く言ってよ」
「ごめん、ウチも今教えればいいって気付いた」
 ん、なんで僕謝られてるんだろうな。
「で、プリント持ってっていい?」
「うん――あ、ごめんやっぱり最後まで写させて」
 戻しかけた手を途中で止めて、韮瀬にお願い。
 よく考えたら、もう四国と九州しか残ってないんだからそのまま写させてもらったほうが早いよな。
「え、うん」
 ん。
 頷いてくれたけど、なんか一瞬えっ? って顔をしたような。
 ……そんなにこのプリント、見せたくないんだろうか?
 やっぱりさっきの落書きかな。消してたし。
 気になってきたので、さっき描いてたあたりをじっくり見てみる。んー、なんかシャーペンの跡がうっすらと見えるけどもよくわかんないや。
 上を黒でこすれば出てくるかもしれないけど、そこまでしたら流石に怒って持っていかれてしまうだろう。
 まあ、ここは写し終わるのを優先ということで。

 結局、プリントはそのまま回収されてしまって何を書いてたのかは分からないまま終わってしまった。
 けど、気になるものは気になる。
 ということで。
「環奈? 確かに上手いけどどうかしたの?」
 こういうときは、レッツ聞き込み。
 5時間目の技術の時間、僕の机は技術室の3×3で9つある4人用机の真ん中。ちょうと、小峰と近くの席になる。
 これは幸いと、紙やすりを懸命にかけている背中に声をかけて韮瀬の絵が上手いかを聞いてみた。
 やっぱり上手いのか。なら堂々と見せたらいいのに。
「いや、環奈人に絵見せるのなんか知らないけどやたら恥ずかしがるから」
「なになに何の話ー? 恋バナ?」
 笹川さんが高沢さんのところに行ったのを見て、不破がその席を占拠しに来た。
 しかしそんなに他人の恋バナが好きか。言われる側の気持ちにもなってみろ。
「違う違う」
「環奈の話」
「え、それはつまり恋バナ?」
「違う!」
 この2人にまでその方向で取られたら笑えないぞ。
「んーその否定の仕方……」
「違うって。韮瀬の落書きを見てみたいって話をしてた」
 とにかく話を本筋に戻す。見覚えがある展開だし、多少強引にでもこの話題からは逃げないといけない。
「え、なんでそんなの見たいの?」
「環奈が見せたがらないから気になるんだって」
「へー、そうなんだ知らなかった」
「知代1組だったもんねー」
「ねー。今年は一緒でよかったよー」
 不破が小峰を抱きしめる。
「知代かかるかかる」
 けど、小峰が手を止めないせいで紙やすりから出た粉が不破にかかっている。いや、手を止めろよ。
「あーうわー」
 慌ててパンパンと叩いて粉を払うけど、今度は眼鏡にかかって不破は散々なことになっている。
 そんな状態でも、細かい紙やすりに取り替えながら板を磨き続ける小峰。なんかこええ。
「あ、ごめん戸田くんどういう話だっけ」
 おお、ようやく思い出してもらえた。
「いや、だから落書き見てみたいってだけなんだけど」
「あー、そうそう。で、それだけど見せられるかもしれない」
「お」
 流石は友達。何かあるのかな。
「綾、アレ見せてもいいと思う?」
「アレ?」
「アレよアレ」
「ああ、アレか。……周り隠すならいいんじゃない?」
「もちろんでしょ、そうじゃないとあきちゃんもユッピーも怒るって」
「え、ユッピー怒るとかマジやばくない? 見たことないじゃん」
 あれ、なんかまた2人で盛り上がりはじめた。
 まあいいや、この盛り上がりが一段落したら見せてもらえるかまた聞いてみよう。
 で、アレってなんなんだ?

     

 結局、何かが分からないまま技術の時間は終わって。
「隠すの難しくない?」
「他にいい絵ないかなー」
 だけど帰りの会に妹尾先生が来るまでの僅かな時間に、『アレ』を見せてもらえることになった。
 教室の隅、掃除ロッカーの前で僕は不破と小峰が額をつき合わせてノートをめくるのを眺めている。
 ノートの内容は見えないけど、表紙には……えっと、『たっきゅーぶこーかんにっき☆』と蛍光ペンで書いてあるみたいだ。
 なるほど、そんなことやってるのか。
「あ、これよくない?」
「うん、いけてるいけてる」
 そう言って、2人は手でノートの残りを隠しながら絵を見せてくる。
 一目見て、
「んふっ」
 思わず吹き出した。
 デフォルメされた東郷先生と思われる人が、すごい量の言葉をフキダシで喋っている。
 背景には数直線っぽいものが描かれているから間違いないだろう。
「やばいわこれ。超似てる」
 リーゼントな髪型とか、細い目とか。あと服装がジャージなのもポイント。
「でしょでしょ? 超ヤバくない?」
「環奈普通に描いても上手いけどこういうの描かせると――」
「なになにウチの噂?」
 っ!?
 背後から聞こえてきた韮瀬の声に、思わずビクッとする。
 不破と小峰は反射的にノートを畳んで隠すけど、韮瀬はそれを見逃さない。
「え、何今の交換日記? なんで隠すの? てかなんで戸田くんに見せてんの?」
「いや別に何でも」
「えっと、戸田くんが環奈の絵見たいって」
 不破ぁぁぁぁ!
「ちょ、え、マジ? マジで? 見せた?」
 慌てる韮瀬の隣で、2人へ懸命にアイコンタクト。見せてないよね、よね?
「東郷のやつ見せた」
 小峰ぇぇぇぇ!
「えー嘘! うわ、えー、うわー」
 じわじわと顔を赤くしながら韮瀬が悶える。やばいどうしよう。
 というかこの状況筒井に見られてたらまたいらん誤解生まないか。
 恐怖を覚えて、筒井の姿を探す……あ、廊下でなんか蹴って遊んでる。よかった一安心
「てかなんで戸田くん見ようなんて思ったの!?」
 してる場合じゃない。なんでって見たかっただけだし。
「いや、見たかったから」
「理由になってない!」
 無茶なー!
「ちょ、ごめん環奈落ち着いて」
「綾も綾でなんで見せたの!」
「え、だって」
「だってじゃなくて!」
 駄目だ会話になってないぞこれ。
「だから環奈落ち着いてって」
「ごめん韮瀬」
「あーもう!」
 韮瀬は対話できてないし、僕たちは戸惑うしで状況がグチャグチャになりかけたところで。
「はいみんな座れー。筒井は教室入れー」
 救世主こと妹尾先生が、帰りの会を始めに現れた。

「ほんとごめんなさい」
 沈黙。
 帰りの会がいつも通り進行する中、僕と韮瀬の間には険悪より更にタチの悪い空気が流れている。
 さっきから3回ぐらい謝っているのに、うんともすんとも言ってくれない。
 というかこの状況2度目だ。おかしいぞ最近。
「悪気があったとかじゃなくて、ただ見てみたくて」
 沈黙。
「てか普通に上手いじゃんあれ。みんなに見せればいいのに」
 沈黙。
「むしろ僕がもっと見たい」
 沈黙……お?
 筆箱からいきなりメモ帳を取り出して、なんか描き始めた。え、これはつまり。
 30秒もしないうちに完成したらしくて、メモ帳が僕のほうに投げられる。
 ふわっと飛んで、机と机の境目辺りで裏返しになったそれをめくってみると、ネコバスみたいな笑い顔の猫が『バーカ』と言っていた。
 これもやっぱり上手い。あとこの猫結構かわいい。
 どう返すべきか迷った末に、猫の下に『ごめんなさい』と書いて送り返す。
 なんか消しゴムかけてる。あ、返って来た。
 ごめんなさいの下に、『こんなんなら見せたげる』と書き足されていて、その横にはなんか情けない顔の男が……『←戸田』って。
 けどもうしょうがないから『ありがとうございます』と書き込んで、ついでに戸田の部分を塗りつぶして返す。
 返って来た紙には、顔の下に胴体がついていて『TODA』と書かれた服を着ていた。
 何か返事したいけど、紙にちょうどいいスペースがない。
 どこに書こうかと迷っていると、周りからガタガタという椅子を引く音が聞こえてきた。
 見ると、いつの間にか帰りの会は終わっていたらしくてみんなが椅子を机の上に上げながら立ち上がっている。
 慌てて僕も立ち上がりながら、仕方がないので紙は机の上のものと一緒に鞄の中へ。
「きをつけー、れーい」
 日直のだるそうな号令と共に頭を下げて、机を前に出す。
 さあ掃除か。面倒臭いなあ。
 鞄をロッカーに放り込んで、箒を取り出す……あれ?
 韮瀬はもう箒を持って掃き始めているのに、ちり取りがまだ置いてある。
 出し忘れたのかな? と思って韮瀬のほうを向いてみると、
「ちり取り、出してくれる?」
 と暗に当然やるよね、と言っている顔で言われた。
 うー、これはもしかしてずっと僕が出すパターンか。
 ……けどまあ、また喋ってくれたわけだし。
 やるしかないよなぁ。

       

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Neetsha