私は泣かない。
そう決めたあの日から私は今日まで誰を前にしても涙を見せないようにしている。
そうしたところであまり困る事はなかった。その事で私はちょっと寂しい、と言うより辛い気分になったりする事もあるんだけど、困る事がない、と言う事は正しい事なのかもしれないとも思う。
「一葉、明日予定開いてる?」
クラスメイトにそう尋ねられて私は頷いた。以前の私のことを知らない、高校入学してからの付き合いである彼女は、普段は笑っている事が多い私をこれと言って特徴はないものの明るくそれなりに性格がいいと思ってくれている。
そう思われる事は正直嬉しい。
(……やっぱり悪い事じゃないのかもしれない)
「なにかあるの?」
「クラスの皆で映画行こうと思うんだけどどう?」
「なんの映画?」
最近話題になっていたその映画のタイトルを聞いて、私はちょっと憂鬱になった。
彼女はそんな私の些細な感情の揺れにはまったく気がつかなかったようで、
「じゃあ、決定ね。あ、宮古、あんたもどう?」
そう声をかけられて僕は映画に誘われたようだ、と言う事は先程の会話を聞いていたのですぐに理解したけれど「なにが?」と尋ね返した。彼女はそんな風に主語のない台詞を使うくせに、それに正しい反応を返すと「盗み聞きすんな」と訳の分からない態度を取ったりするから。
想像通り彼女は、一から再び丁寧に説明してくれた。僕もそれにちゃんと相槌を返してから「いいよ」と頷く。
「僕以外に誰が行くの?」
「あんたと、さっき一葉も行くって言ったから、今のところ八人かな?」
その面子を聞き、麻布さんの名前が含まれていない事に僕は内心で酷く憤慨した。
なんの映画を見るのかと尋ねると、恋愛物の邦画らしい。普段恋愛物に興味がない僕だが彼女に言わせると「とにかく感動して泣ける映画」だそうで、僕はそんなものを見るなら、尚更、麻布さんがそこにいるべきだ、と強く思い、なんとなくを装い首をぐるりと回転させた。
いつものように、僕の隣の席で次の授業の準備をしようとしている麻布さんに僕は何気ない素振りで声をかける。
「やぁ、麻布さん、ちょっといいかい?」
「……え? なに?」
「いやぁ、明日皆と映画に行くんだけど、よかったら麻布さんもいかがだろうか?」
「明日? 何時から行くの? 午前中はちょっと用事があって」
「全然大丈夫。お昼からだから。ね、そうだよね? そうそう、麻布さんも前に見たいって言ってた映画だし、絶対楽しめる事間違いなし。いや、僕も前から是非あの感動を味わいたいと思っていたんだ。なんていいタイミング――」
「宮古、なんか話し方気持ち悪い」
「なにを言っている。僕は至って正常で、これ以上ないって程落ち着いていて、落ち着きすぎて情熱的になれない俯瞰じみた自分に嫌悪感を抱くくらいだ」
「はいはい――で、響もよかったらおいでよ」
麻布さんはちょっと考え込んでから、うん、と小さく頷き、僕は内心でガッツポーズをする。
これも僕の流暢な誘い文句の賜物だろう。
ただ、僕は響、と幾ら同性とは言え気安く呼ばれた事には再び憤慨する。
いや、しかし、それも仕方ない。
もし彼女に親しみを込めて名前を呼ぶ事が許されるなら、きっと誰もがそうしたいと思うだろう。
誰だってそうだ。僕だってそうだ。だからこそふざけるなよ、このやろう。
とは言っても、その時僕はただバカみたいに舞い上がっていただけではない――実際舞い上がっていた事をその日の夜実感して少し死にたくなりもした――。授業が終わり再び休み時間になると、僕は周防さんに声をかけた。
「明日楽しみだね」
「うん、そうね」
「周防さんと映画行くのって初めてだけど、周防さんって普段どんな映画見る?」
「私? うーん、アクションとか、コメディとか好きかな?」
「意外な趣味だね」
「え、そう?」
「最近の女の子は銃や頭を叩くための鍋の蓋より、大切な誰かが死んでしまったり、こっちが恥ずかしいくらいの甘い台詞が大好きだと僕は思ってる。あまりいいとは思わないけど」
そう言うと、彼女はちょっと沈黙し、そして先程誘われた時に一瞬だけ浮かべた表情をもう一度浮かべた。
「そういうのも嫌いじゃないんだけど」
「むしろ周防さんはそういうの好きそうだ」
「え、私そんなふうに見える?」
「見えるね」
「どこらへんが?」
「スイーツかっこ笑いって感じ」
「……なにそれ」
「まぁ、至って普通の女の子って感じ」
その頃にはもうさっきの表情は消えていた。多分、彼女はうまく誤魔化せていると思っているのだろう。
それはある程度は通じているようだった。事実さっき周防さんを誘った彼女はそれに気がついていなかったのだから。
僕はふと彼女がなにに対してそんな憂鬱そうな表情を浮かべるのだろうと考える。それに気がついたのは僕も偶然だった。僕にとって彼女は仲のいい明るいクラスメイトで、映画に誘われた事を煩わしいと感じるような子には見えない。
そして、今までも彼女はもしかすると日常の節々で、そんな表情を浮かべていたのかもしれない。
(一体なにが彼女を憂鬱にさせたのか)
「じゃあ明日の映画は元々はあんまり興味なし?」
「そういう訳じゃないけど、どちらかと言うと見たかったけど……宮古君突っ込みすぎ」
「え? そうかな」
「宮古君ってなんかいつでもなんでも堂々って言うかズケズケと言ってくるよね」
「正直者でいようと思っているから」
「正直者……かぁ。宮古君って不思議なとこあるよね。なに言われても嫌な感じに思わないのってなんでだろ?」
周防さんはそう言うと、どこか遠くを見るような目をしてふらふらと視線を泳がせたが、その視線がやがて止まり、僕もそちらの方を見ると、違うクラスの女子生徒がこちらへとやってくるところだった。その彼女は背筋を伸ばした姿勢で僕達の傍までやってきたけれど、ちらりと僕を見てから出た言葉は、対照的にちょっとそわそわしたものだった。
「どうしたの? 由良」
「ちょっと話があったんだけど、ごめん、出直す」
「二人で話がしたいなら、僕はいいけど」
そうフォローのつもりで声をかけたが、由良と言われた彼女は「いい、なんか話す気なくなったから」と素っ気なく言う。
僕は気を使われたようで、実のところこれ以上話す事も特になかったのだが、そう言われるとここから離れにくくなってしまう。
「明日時間作れない?」
「ごめん、明日クラスの子と映画行くんだ」
「そうなの?」
彼女は苛立たしそうに舌打ちをすると「じゃあまた今度」と言い残し立ち去ろうとする。
「言えずにイライラするくらいなら、今言った方がいい」
そう声をかけた。
僕は彼女に良かれと思い、そう言ったのだが、そんな僕の気持ちなんてまるで分かろうともしてくれないようだった。彼女は僕をきっと睨みつけて「あのさ」と切り出し、僕は頷く。
「男なのに、僕とかなよなよしくてダサいんだけど」
「…………」
と言うとさっさと教室から出て行ってしまった。と言うか、僕は彼女にいきなりそんなことを言われた衝撃でしばらくぽかんとしていて、気がつくと教室からいなくなってしまっていた。
「……なんか今メチャクチャ失礼な事を言われた気がしてきた」
「ごめん、由良ってちょっときついとこあるから」
「なんかちょっとショックなんだけど!?」
なぜか代わりに周防さんに謝られる。僕は今更になってふつふつと怒りを覚えたのだが、だからと言って彼女に当たるのは筋違いだし、みっともないのでその場で地団太をしばらく踏んで冷静さを取り戻す。
「誰なの? あの子」
「友達なんだけど」
近江由良と言うらしい彼女は、周防さんとは幼馴染みの間柄らしく中学校ではクラスも同じだったらしい。今はそれぞれクラスも別でそれぞれに友人も出来たため以前ほど一緒に遊ぶ事はなくなったが、やはり今でも仲はいいと彼女が説明してくれた。
僕はなんだか対照的な二人だと思いながらおもむろに腕を組む。
「全く、幾ら寛容な俺でも、初対面からあんなふうに言われたらちょっとへこむぜ」
「……宮古君、似合ってないからやめたほうがいいと思う」
「……自分でもそう思ったから、やっぱり正直に生きるよ」
翌日映画館の前に待ち合わせの時間よりも少し早めにやってくると、そこにいたのは麻布さんを含めて半分ほどが既に集まっていた。僕は私服姿の彼女を見るのはまだ数回目で制服とは違うその姿を見る度にいずれは二人だけで出掛けてみたいなと願望を抱く。
時間に少し遅れてきたのは二人で、その内の一人は周防さんだった。
「ごめーん」
急いだのか少し呼吸を乱しながら彼女は笑った。僕達の誰も彼女を責めるような事はなかった。
彼女の立ち位置がそうさせるのだろうか。彼女はそんなふうに遅れるものの痺れを切らすまではいかないほんの数分の遅刻をし、お約束のように慌しくやってくるのがどことなく似合っていた。その彼女よりも更に遅れた男の子の方は女子グループから一斉に非難を浴びていて、僕はほんの少し同情する。
全員集まった事を確認するとぞろぞろと建物の中へと入る。
受付で券を買い、隣に設置されていた売店で好き好きに飲食物を買う。上映時間に合わせて集まったので僕達は館内に移動した。少し買い物で遅れてしまったため麻布さんとは少し離れた席になってしまい、僕は暗くなった館内で一人こっそりと溜め息を零した。
「どうしたの?」
「いや、きっと世の中の男女は映画の中の登場人物を見ながら、自分達もそんなふうになりたいと思っているに違いないと――ってどうしたの? ってなにが?」
「いや、溜め息吐いてたから」
一番端の席で、僕の隣に腰掛けた周防さんにそう声をかけられて僕は動揺していた。まさか気付かれるとは思ってなかったので思わず口走ってしまったが、彼女は僕の呟きを特定の――当然宮古さんだけど――誰かに向けたものだとは気がつかなかったようで「あぁ」と館内に肩を並べて座っている二人組みのカップルを見て納得したようにそう言った。
「やっぱりこういうのって付き合っている人と見たいものだよね」
「周防さんもそう思う?」
「思うよ、そりゃ。ま、恋人いない私達には関係ない話だけど、ね?」
「まぁ、確かに。だけどそういう映画を一緒に見てから始まる恋愛もあるかもしれない」
「きゃあ、今口説かれてる?」
「あくまで一般論」
当然本気にそんな風に思っているわけもなく、彼女は小声で笑った。その様子は本当に映画が始まる事を楽しみにしているようで、昨日感じた憂鬱さをそこに見つけ出す事は出来なかった。
携帯電話の電源をお切りください、と全く意味のない館内放送が流れ出し、それを合図にするように周囲のざわめきが小さくなっていく。そうしてほぼ無音に近づくと、正面のスクリーンに映像が映し出された。
僕にとって恋愛映画とはありがちで陳腐で、どこかで見た事のあるものの焼き増しのようなものなのだけど、そういうものだからこそ、いつ見ても、それなりに楽しめる事が出来るのかもしれない。作る側も見る側も、ある程度のお約束を理解していて、どこでやきもきして、どこで盛り上がればいいか分かりやすく置き去り感を味わう必要がないからだ。
映画はもう終盤に差し掛かっていて、今最後の盛り上がりを見せようとしていた。ストーリーは余命僅かな恋人の女性が、男性から離れようとしていくものの、男性はそれでも女性と寄り添う事を選び、様々な障害を乗り越えて、今お互いの気持ちを再確認し合い、最後まで共に生きる事を約束しあうところだ。
クラスメイトの男子が「いいよなぁ、ああいうの」と囁き、それに女子が同じく小声で「うん」と頷いていた。
僕はどちらかと言うとぼんやりとスクリーンを眺めていて、そんなに誰かが死なないと愛とは永遠にはなりえないのだろうか。そうか、離婚とかあるもんな、結婚すらせずに別れていく事もざらにあるしな、なんて思いながら、まぁ、映画としてはそれなりに楽しみながらも、感情移入なんて事はほとんど出来ずにいた。
「……ちょっとトイレ」
僕の隣に座っていた周防さんがそう言い、立ち上がった。
「ちょっと、今一番いいシーンなのに?」
反対側に座っている女子がそう彼女に言うものの、周防さんはそれすらろくに聞かず、こちらを振り返る事もせず歩き出していた。僕は彼女が壁の向こうに消えていくのを見送りながら、その一連の動作が、ぎこちない割に、同時にやけにスムーズである事が気にかかる。
まるで、自分が映画の途中でこうやって立ち上がる事はあらかじめ決まっていたかのように。そう言えば彼女は僕と違って買い物に手間取った様子はなかったが、やってきたのは僕よりも後で、今思うとそれは僕の隣――と言うよりも一番端の席に座る事を狙ったかのようでもあった。
「もったいないなぁ」
隣でそういうクラスメイトは、それでも続いている物語を見逃したくないと言うように思考をすぐに切り替えると、スクリーンへと視線を戻した。だけど今僕はその四角い世界の中で繋がれている手よりも、周防さんの事が気にかかっていた。
もし、立ち上がった彼女がいつものように笑っていたなら僕も、きっと気にする事はなかっただろう。そう、いつものようにこんな大事なシーンでトイレに行こうとするなんて抜けた事をする自分に対して、皆に苦笑の一つでも見せていれば、普段通りの彼女だと受け取る事が出来ただろう。
それは些細な違和感。
だけど僕は、そのほんの僅かな違いと彼女の少し震えた台詞を見逃す事はしなかった。
「僕もトイレ行ってくる」
「は?」
スクリーンの中でまだ二人の愛は盛り上がっている。
隣の彼女はこれまたそんな場面を見逃そうとしている二人目の事を「バカ?」と言う目で見てくる。
だけど、しょうがない。僕は彼女に「我慢できないんだ」と言い残すと、周防さんの足取りを追いかける。
僕は恋愛映画は好きじゃない。どちらかと言うとヒューマンドラマの方が好きだ。
そして人の心に機微をもたらすものは、きっと映画の中より現実の中にこそ溢れている筈だから。
明日天気になあれ
泣きたい時に泣けない周防一葉さんの感情表現について
男性用と女性用のトイレは並んで設置されていて、僕はわざわざ周防さんが出てくるのと同じタイミングで出てきたように見せると、僕に気がついた周防さんは悲鳴のような声をあげた。
「み、宮古君!? なんでここにいるの?」
「なんでってトイレ」
「や、やだ」
周防さんはまるで僕に自分の今の姿を見られたくないというように、ばたばたとした動作で自分の顔を両手でかばおうとしたけれどそれはもう手遅れだった。僕は蛍光灯で明るく照らされた彼女の顔を見て少し不思議な感じを覚える。
珍しいもの。そのなかでもきっとそんなものが見られるとは思ってもいなかった意外なものに出くわした時、きっとそんなふうになるのだろう。それは驚くというよりも、妙な違和感が先にやってきて、僕は感嘆するように吐息を零した。
「泣いてるの?」
「い、いや、これは」
彼女は慌てたように否定をしようとするが、やがてもう無駄だと悟ったらしくその手を下ろした。そしてなぜか深々と溜め息を吐いて「ごめん」と僕に謝罪をしてきた。
「謝るような事じゃないと思う」
出来るなら彼女にハンカチの一枚でも差し出してあげたかったが、生憎と僕はそんなものを持ち歩くような性分ではなかった。
そんな僕の心境をなんとなく理解したのか、彼女は持ってきていたバッグからハンカチを取り出すとそれを目元に当てた。既に微かに湿っているようできっとトイレで今以上に彼女は涙を零していたのだろう。
「映画に感動して泣くなんて珍しい事じゃない」
「うん、でもほら」
「確かに周防さんが泣くのはちょっと意外だったけど」
歯切れの悪い彼女の言葉を僕が引き継ぐと、彼女は「あーあ、最悪」と言いながら、壁際に置かれた長椅子に腰を下ろした。映画はまだ続いているが、どうやら今すぐ戻ろうと言うつもりにはなれないようだった。
「あの、周防君」
「なに?」
「私が泣いてた事、皆には内緒にしていてくれる?」
「なんで?」
「どうしても」
「うん、分かった」
頷いてみせると彼女はほっとしたようだったけど、僕が彼女の隣に腰掛けると少し驚いたようだった。
「戻らないの?」
「周防さんだって戻ってないし」
「私は、ちょっと今行ったらまた泣いちゃいそうだから」
どうやらあの映画に感動して泣いているのは間違いないようだった。
「私の事は気にしないでいいよ」
「いやぁ、それはちょっと無理かなぁ」
「本当に気遣ってくれなくても大丈夫だから。別に嫌で泣いてる訳じゃないし」
「いや、気を遣うんなら本当は、君を一人にしたほうがいいのかもしれない」
「へ?」
彼女は抜けた声でそう言って――もしかするとそう思うんならさっさと行ってくれればいいのにと思ったりもしたかもしれない――なんとも言えないと言うように僕を見た。
「気を遣っているんじゃなくて、君が気になるだけだから」
「え?」
「別に告白じゃないよ。なんで君は泣いているところを隠したがっているのか気になる。別にああいう映画を見て女の子が泣くのは珍しい事じゃないと思う。もしかすると今頃向こうで泣いている子もいるかもしれない。その子を見て誰もなにこいつ? なんて思いもしないだろう。だと言うのになんで君はこんなふうに人目を忍んでこそこそ泣いているのか、そこにちょっと興味が沸いた」
「…………」
「気を悪くしたなら、謝るし、退散するけど」
僕に見つかった事を彼女は最悪だと思っただろうか、それとも少しは運がよかったと思っただろうか。
彼女は僕のズケズケとした物言いにしばらく気難しい表情を浮かべたけれど、やがてそれは笑いへと変わった。
「宮古君って」
「うん」
「デリカシーなさすぎ」
「正直者でいようと思ってますから」
見せ付けるように白い歯を零して微笑んだ。
「私、中学の時は泣き虫だったの」
「意外な事実だ」
「でしょ? 高校じゃうまく隠してるつもりだったのに。よりによって宮古君に見つかっちゃうなんて」
「けどなんで隠すの? 別にいいと思うんだけど」
「皆の前で泣きたくないから」
彼女はぴしゃりと言い切った。そこには強い意志があり、誰にも触れさせないと思わせる力強さがあった。
「どうして?」
「ただ泣くだけで皆の同情を引いたりするの情けないから」
スラスラと言うが、なんだかそれは自分で用意したと言うよりも、どこかで習った文章をただ音読しているだけのようにも思えた。
「とは言っても、別に君は泣き虫じゃなくなった訳じゃない。実際にこうやって人目を忍んで君は涙を零してる」
「……だって、そんな簡単に強くなれたら苦労しないし」
「泣かない事って強いのかな」
「分からないけど、泣き虫は弱いって思う」
「泣く事で、なにか過去に問題でも起きたの?」
「宮古君って本当、普通の人は聞いてこないような事も聞いてくるよね」
「だって自分が気になる映画の続きは誰だって見たいだろう? それが現実になった途端、適当な理由をつけてあっさり諦めるよりは続きを見るための努力をしたほうが、例え見られなくても満足は出来る」
「いつ努力したのよ」
半眼でそう言うものの彼女は「誰にも言わない?」と諦めたようだった。
「言わない」
彼女もなんで自分が話そうと思ったのかはよく分からないようだった。ただ「宮古君ってなんか話しやすいのよね」と言い訳をするように付け加えた。
「昨日話した由良って子、いたでしょ」
「あぁ、あのきつい子」
「そ、そのきつい子。あの子に言われたの。いつでもどこでも泣いてだらしないって」
「あー、言いそうだね、それ」
「結構ショックだったの、言われた時は」
初対面の僕でもそれなりに傷ついたのだから、仲のいい彼女の場合は尚更だろう。
「困ったら泣いたらいいと思ってない? とか言われちゃってさ。その時も泣いちゃったんだけど、それでまた怒られて。それからはもう大喧嘩。私も由良も言いたい放題だったんだけど、まぁ、それでもちょっと私も考えたの。そうなのかもしれないって」
「泣いてばかりいられないって?」
「私だって泣いたから物事がうまくいった、なんて思われるのも癪だしさ。それだったら泣かなくても私はうまくやっていけられる事を見せたかったし、私もそういう自分のほうがいいと思ったし」
「ちょっとずれてる気もするけど」
「そうかな」
「多分、彼女はすぐに泣くような性格を直した方がいいと思ったんだろうけど、君の泣き虫が今改善されてる訳じゃない」
「だってさ、そんな簡単に性格変えられないもん」
「それならそれで性格だからしょうがないと言ったほうがいいんじゃないかな?」
「いやだ、なんか負けたみたいじゃない」
「性格に優劣も勝敗もないだろう。君が頻繁に泣く事を見てたのはきっと近江さん以外にもいただろうけど、その人達は不快感を抱く事無く、そんなところに好感を抱いていたかもしれない」
「泣き虫が好きな人なんているかな」
「スイーツかっこ笑いは男も結構いるし、そういう子を男はかばってあげたくなるものなんだ」
それに思い当たるところでもあったのか、彼女はどことなく困ったように小さく頷く。
もう涙もすっかり乾いたようで彼女はハンカチをもうバッグに仕舞っていた。
「言いたい事は凄く分かる」
「でもやめる気はない?」
「宮古君から見ると、私は正直者じゃないのかもしれないけど」
周防さんが立ち上がる。話し込んでいるうちに映画がそろそろ終わる時間になろうとしていた。
彼女は泣いてか、それとも話したからか、すっきりしたと言うような表情をして僕に向き直る。
まだ座ったままだった僕はそんな白い光に照らされた彼女を見て、まるで切れ目のないスクリーンの中に存在する演技達者な女優を見たような気にさせられる。そう思うほど晴れやかだった。
「そうしている自分の事嫌いじゃないんだ。自分で言うのもなんなんだけど今の私の事私はいいと思ってるし、泣いてばっかりの頃はちょっと嫌だったから」
彼女は、普段と変わらないいつも僕が見ているあの笑顔を浮かべた。
その笑顔は穏やかで、微笑ましくてそれをみるだけで、彼女に好感を覚える事が出来るものだった。
きっとその笑顔があれば、泣く事で人の心を引こうとする必要なんて欠片もないと言えるほど。
「なるほど」
僕は、どうやら自分に言える事はなさそうだと思い、そう同意した。
彼女も満足そうにもう一度微笑み、それと同時に映画が終わったようで出口からどっと人が押し寄せてくる。
「宮古君、よかったの? 映画見ないで」
「いいよ、全然。だって」
「だって?」
「映画の物語は皆知っていて、誰かに聞く事が出来るけど、今僕が見た物語は僕が誰かに喋らない限り僕だけのものだし、なによりとても面白いものだったから」
「……やっぱりちょっと宮古君って変」
「よく言われる」
「あー、ちょっと一葉なにしてたの?」
集団と一緒に出てきたらしいクラスメイトがまず彼女を見つけそう叫んだ。彼女は「ちょっと電話かかってきちゃって。面白かった? どうなったか気になるー」と先程までの様子を全く感じさせないように残念そうな声を出した。
そんな姿を見て皆は、しょうがないなぁ、と言う態度をする。
でも、やっぱりそこには怒るでも呆れるでもなくて、彼女の笑顔に誘われて思わず笑い返してしまうような空気に包まれていた。
「あ、宮古、あんたもなにやってたのよ」
「えっと僕は」
声をかけられて僕はクラスメイト達へと近づいた。彼女と同じ言い訳をするのも芸がなかったけれど、まさか先程の会話を正直に話す訳にもいかず、どうしたものかと散々悩んだ後、わざとらしく両手を広げるとふんと大きく鼻で笑った。
「なんつーの、俺、ああいうくさいのダメなんだよね。もうバカらしくて最後まで見ていられなかった――」
とそれ以上続きを言う事は出来なかった。そこまで言ったところで、僕は一人の女子生徒からビンタをくらい、情けなく床に転がり、他の女の子達からも「うわ、さいてー」とあまりにきついブーイングを受け取る羽目になった。
それだけならまだ耐えられたのだけど、麻布さんにまで「私もいいと思ったのに、宮古君気に入らなかったんだ」といつもは僕を見上げる彼女から見下ろされた時、僕は自分の選択を死ぬほど後悔した。
「慣れない事やるから」
誰のせいだ、と周防さんを恨めしそうに見ながらも、僕はそれ以上詰め寄る事はしなかった。
僕も、彼女の笑顔にうまく丸め込まれた一人のようなものだったから。
「私さ、転校するんだ」
「え?」
映画を見てから数日後、再び教室へとやってきていた近江さんと周防さんの会話を、僕は席に座ったままなんとなく聞いていたが、その言葉を聞いて二人のほうに視線を向けさせられる事になった。
「いつ?」
「来月。お父さんの仕事でさ。私も急でびっくりしちゃった」
寂しさを誤魔化すように彼女は笑った。気が強いと言う印象の彼女だったけれど、さすがにショックを覚えているのか、完全にその動揺を隠し切ることは出来ていないようだった。きっと前回さっさと帰ってしまったのも告白するために緊張していて一度それが切れてしまうとそのまま話す事が出来なかったのだろう。
「そんな……いきなりすぎるよ」
「本当はもっと早く言いたかったんだけど、言いだせなくて。ごめん」
「ううん、ううん」
彼女はしきりに首を横に振った。そこには心の底から別れる事を悲しむ少女がいる。
僕はこの時、二人の友情は本物なのだろうと悟った。
きっと今まで二人の間には色んな事が会ったんだろう。いい事も悪い事も。その中で、お互いの距離が近づいたり離れたりする事もあっただろうし、それこそお互いのそれまでの生き方に変化をもたらす事もあったのだろう。それでも、その関係は壊れる事は決してなく、きっと二人は今までお互いを認め合っていたんだろう。
「転校して落ち着いたら連絡するから」
「……うん、絶対だよ」
「うん、絶対」
「……うん、うん」
周防さんはなにかを言おうとしては、それを言葉にする事が出来ずに、口を何度かパクパクさせては短い言葉を反芻させていた。
僕はそんな二人を気付かれないように、だけどじっと見つめていた。
周防さんは急に突きつけられた現実に、自分の中で渦巻く感情の変遷についていけていなかった。
そして、それはすぐに限界が訪れて、
「……やだ」
言葉はそれだけで、彼女から溢れたのは涙だった。
彼女はぼろぼろと両目から大量に涙を零し続けた。
彼女が泣いている姿など、このクラスで僕以外誰も見た事がなく、今まで二人の話を耳にしていなかった他の生徒達もその姿にぎょっとしたように視線を向ける事になった。
周防さんはその中でも周囲の視線など構う気配もなく、ただただ泣いていた。
僕はその元々泣き虫な彼女の姿を、無言で見つめる。
きっと、今この瞬間正直になったと言う事ではなく、それでも、きっと彼女はその涙を堪え切れなかったんだろう。
周防さんにとって、もう涙を隠し切ることの出来ないその悲しさ。
だけど、僕はそれを美しいと思う。
「あはは」
彼女は今日も笑っていた。
僕はあまり日頃代わり栄えがないせいであんまり彼女に注意を向ける事がない。
「さて」
部活を終え、帰ろうと校門までやってきたところで周防さんに出会った。
「今帰り?」
「うん」
「途中までどう?」
「いいよ」
僕の誘いに彼女は頷き、僕達は並んで自転車を漕いだ。
「近江さんは元気?」
「うん、ああいう性格だし、楽しくやってるみたい」
「だろうねぇ」
「私も早く由良がいない生活に慣れないとね」
「まだ慣れてないの?」
「うん、ちょっとね」
僕にはとてもそうは見えない様子だったが、彼女が言うならその通りで僕がきっと見落としているのだろう。
それから僕達は他愛もない話を幾つかし別れ、僕は一人で自転車を漕ぎ出し、明日の予定を考える。
別に彼女の事がどうでもいいと言う訳ではない。
ただ、彼女の事を僕が今どう考えてもなんの意味もないし、なんの価値もなかった。
彼女は今ちょっと寂しいけれど、それでも幸せで、そしてその幸せを感じ続けるために、少し戦っている。
きっと戦うという選択肢を放棄しても、幸せになるための別の道はあるのだろう。
だけど、彼女は今の幸せに縋るのではなく、それを愛して、守ろうとしている。
それを知っているだけで僕は充分。
そしてそれを感じさせない日々を送る彼女を見る事に観察する視線なんていらない。
ただ、そこに笑顔があれば。
「み、宮古君!? なんでここにいるの?」
「なんでってトイレ」
「や、やだ」
周防さんはまるで僕に自分の今の姿を見られたくないというように、ばたばたとした動作で自分の顔を両手でかばおうとしたけれどそれはもう手遅れだった。僕は蛍光灯で明るく照らされた彼女の顔を見て少し不思議な感じを覚える。
珍しいもの。そのなかでもきっとそんなものが見られるとは思ってもいなかった意外なものに出くわした時、きっとそんなふうになるのだろう。それは驚くというよりも、妙な違和感が先にやってきて、僕は感嘆するように吐息を零した。
「泣いてるの?」
「い、いや、これは」
彼女は慌てたように否定をしようとするが、やがてもう無駄だと悟ったらしくその手を下ろした。そしてなぜか深々と溜め息を吐いて「ごめん」と僕に謝罪をしてきた。
「謝るような事じゃないと思う」
出来るなら彼女にハンカチの一枚でも差し出してあげたかったが、生憎と僕はそんなものを持ち歩くような性分ではなかった。
そんな僕の心境をなんとなく理解したのか、彼女は持ってきていたバッグからハンカチを取り出すとそれを目元に当てた。既に微かに湿っているようできっとトイレで今以上に彼女は涙を零していたのだろう。
「映画に感動して泣くなんて珍しい事じゃない」
「うん、でもほら」
「確かに周防さんが泣くのはちょっと意外だったけど」
歯切れの悪い彼女の言葉を僕が引き継ぐと、彼女は「あーあ、最悪」と言いながら、壁際に置かれた長椅子に腰を下ろした。映画はまだ続いているが、どうやら今すぐ戻ろうと言うつもりにはなれないようだった。
「あの、周防君」
「なに?」
「私が泣いてた事、皆には内緒にしていてくれる?」
「なんで?」
「どうしても」
「うん、分かった」
頷いてみせると彼女はほっとしたようだったけど、僕が彼女の隣に腰掛けると少し驚いたようだった。
「戻らないの?」
「周防さんだって戻ってないし」
「私は、ちょっと今行ったらまた泣いちゃいそうだから」
どうやらあの映画に感動して泣いているのは間違いないようだった。
「私の事は気にしないでいいよ」
「いやぁ、それはちょっと無理かなぁ」
「本当に気遣ってくれなくても大丈夫だから。別に嫌で泣いてる訳じゃないし」
「いや、気を遣うんなら本当は、君を一人にしたほうがいいのかもしれない」
「へ?」
彼女は抜けた声でそう言って――もしかするとそう思うんならさっさと行ってくれればいいのにと思ったりもしたかもしれない――なんとも言えないと言うように僕を見た。
「気を遣っているんじゃなくて、君が気になるだけだから」
「え?」
「別に告白じゃないよ。なんで君は泣いているところを隠したがっているのか気になる。別にああいう映画を見て女の子が泣くのは珍しい事じゃないと思う。もしかすると今頃向こうで泣いている子もいるかもしれない。その子を見て誰もなにこいつ? なんて思いもしないだろう。だと言うのになんで君はこんなふうに人目を忍んでこそこそ泣いているのか、そこにちょっと興味が沸いた」
「…………」
「気を悪くしたなら、謝るし、退散するけど」
僕に見つかった事を彼女は最悪だと思っただろうか、それとも少しは運がよかったと思っただろうか。
彼女は僕のズケズケとした物言いにしばらく気難しい表情を浮かべたけれど、やがてそれは笑いへと変わった。
「宮古君って」
「うん」
「デリカシーなさすぎ」
「正直者でいようと思ってますから」
見せ付けるように白い歯を零して微笑んだ。
「私、中学の時は泣き虫だったの」
「意外な事実だ」
「でしょ? 高校じゃうまく隠してるつもりだったのに。よりによって宮古君に見つかっちゃうなんて」
「けどなんで隠すの? 別にいいと思うんだけど」
「皆の前で泣きたくないから」
彼女はぴしゃりと言い切った。そこには強い意志があり、誰にも触れさせないと思わせる力強さがあった。
「どうして?」
「ただ泣くだけで皆の同情を引いたりするの情けないから」
スラスラと言うが、なんだかそれは自分で用意したと言うよりも、どこかで習った文章をただ音読しているだけのようにも思えた。
「とは言っても、別に君は泣き虫じゃなくなった訳じゃない。実際にこうやって人目を忍んで君は涙を零してる」
「……だって、そんな簡単に強くなれたら苦労しないし」
「泣かない事って強いのかな」
「分からないけど、泣き虫は弱いって思う」
「泣く事で、なにか過去に問題でも起きたの?」
「宮古君って本当、普通の人は聞いてこないような事も聞いてくるよね」
「だって自分が気になる映画の続きは誰だって見たいだろう? それが現実になった途端、適当な理由をつけてあっさり諦めるよりは続きを見るための努力をしたほうが、例え見られなくても満足は出来る」
「いつ努力したのよ」
半眼でそう言うものの彼女は「誰にも言わない?」と諦めたようだった。
「言わない」
彼女もなんで自分が話そうと思ったのかはよく分からないようだった。ただ「宮古君ってなんか話しやすいのよね」と言い訳をするように付け加えた。
「昨日話した由良って子、いたでしょ」
「あぁ、あのきつい子」
「そ、そのきつい子。あの子に言われたの。いつでもどこでも泣いてだらしないって」
「あー、言いそうだね、それ」
「結構ショックだったの、言われた時は」
初対面の僕でもそれなりに傷ついたのだから、仲のいい彼女の場合は尚更だろう。
「困ったら泣いたらいいと思ってない? とか言われちゃってさ。その時も泣いちゃったんだけど、それでまた怒られて。それからはもう大喧嘩。私も由良も言いたい放題だったんだけど、まぁ、それでもちょっと私も考えたの。そうなのかもしれないって」
「泣いてばかりいられないって?」
「私だって泣いたから物事がうまくいった、なんて思われるのも癪だしさ。それだったら泣かなくても私はうまくやっていけられる事を見せたかったし、私もそういう自分のほうがいいと思ったし」
「ちょっとずれてる気もするけど」
「そうかな」
「多分、彼女はすぐに泣くような性格を直した方がいいと思ったんだろうけど、君の泣き虫が今改善されてる訳じゃない」
「だってさ、そんな簡単に性格変えられないもん」
「それならそれで性格だからしょうがないと言ったほうがいいんじゃないかな?」
「いやだ、なんか負けたみたいじゃない」
「性格に優劣も勝敗もないだろう。君が頻繁に泣く事を見てたのはきっと近江さん以外にもいただろうけど、その人達は不快感を抱く事無く、そんなところに好感を抱いていたかもしれない」
「泣き虫が好きな人なんているかな」
「スイーツかっこ笑いは男も結構いるし、そういう子を男はかばってあげたくなるものなんだ」
それに思い当たるところでもあったのか、彼女はどことなく困ったように小さく頷く。
もう涙もすっかり乾いたようで彼女はハンカチをもうバッグに仕舞っていた。
「言いたい事は凄く分かる」
「でもやめる気はない?」
「宮古君から見ると、私は正直者じゃないのかもしれないけど」
周防さんが立ち上がる。話し込んでいるうちに映画がそろそろ終わる時間になろうとしていた。
彼女は泣いてか、それとも話したからか、すっきりしたと言うような表情をして僕に向き直る。
まだ座ったままだった僕はそんな白い光に照らされた彼女を見て、まるで切れ目のないスクリーンの中に存在する演技達者な女優を見たような気にさせられる。そう思うほど晴れやかだった。
「そうしている自分の事嫌いじゃないんだ。自分で言うのもなんなんだけど今の私の事私はいいと思ってるし、泣いてばっかりの頃はちょっと嫌だったから」
彼女は、普段と変わらないいつも僕が見ているあの笑顔を浮かべた。
その笑顔は穏やかで、微笑ましくてそれをみるだけで、彼女に好感を覚える事が出来るものだった。
きっとその笑顔があれば、泣く事で人の心を引こうとする必要なんて欠片もないと言えるほど。
「なるほど」
僕は、どうやら自分に言える事はなさそうだと思い、そう同意した。
彼女も満足そうにもう一度微笑み、それと同時に映画が終わったようで出口からどっと人が押し寄せてくる。
「宮古君、よかったの? 映画見ないで」
「いいよ、全然。だって」
「だって?」
「映画の物語は皆知っていて、誰かに聞く事が出来るけど、今僕が見た物語は僕が誰かに喋らない限り僕だけのものだし、なによりとても面白いものだったから」
「……やっぱりちょっと宮古君って変」
「よく言われる」
「あー、ちょっと一葉なにしてたの?」
集団と一緒に出てきたらしいクラスメイトがまず彼女を見つけそう叫んだ。彼女は「ちょっと電話かかってきちゃって。面白かった? どうなったか気になるー」と先程までの様子を全く感じさせないように残念そうな声を出した。
そんな姿を見て皆は、しょうがないなぁ、と言う態度をする。
でも、やっぱりそこには怒るでも呆れるでもなくて、彼女の笑顔に誘われて思わず笑い返してしまうような空気に包まれていた。
「あ、宮古、あんたもなにやってたのよ」
「えっと僕は」
声をかけられて僕はクラスメイト達へと近づいた。彼女と同じ言い訳をするのも芸がなかったけれど、まさか先程の会話を正直に話す訳にもいかず、どうしたものかと散々悩んだ後、わざとらしく両手を広げるとふんと大きく鼻で笑った。
「なんつーの、俺、ああいうくさいのダメなんだよね。もうバカらしくて最後まで見ていられなかった――」
とそれ以上続きを言う事は出来なかった。そこまで言ったところで、僕は一人の女子生徒からビンタをくらい、情けなく床に転がり、他の女の子達からも「うわ、さいてー」とあまりにきついブーイングを受け取る羽目になった。
それだけならまだ耐えられたのだけど、麻布さんにまで「私もいいと思ったのに、宮古君気に入らなかったんだ」といつもは僕を見上げる彼女から見下ろされた時、僕は自分の選択を死ぬほど後悔した。
「慣れない事やるから」
誰のせいだ、と周防さんを恨めしそうに見ながらも、僕はそれ以上詰め寄る事はしなかった。
僕も、彼女の笑顔にうまく丸め込まれた一人のようなものだったから。
「私さ、転校するんだ」
「え?」
映画を見てから数日後、再び教室へとやってきていた近江さんと周防さんの会話を、僕は席に座ったままなんとなく聞いていたが、その言葉を聞いて二人のほうに視線を向けさせられる事になった。
「いつ?」
「来月。お父さんの仕事でさ。私も急でびっくりしちゃった」
寂しさを誤魔化すように彼女は笑った。気が強いと言う印象の彼女だったけれど、さすがにショックを覚えているのか、完全にその動揺を隠し切ることは出来ていないようだった。きっと前回さっさと帰ってしまったのも告白するために緊張していて一度それが切れてしまうとそのまま話す事が出来なかったのだろう。
「そんな……いきなりすぎるよ」
「本当はもっと早く言いたかったんだけど、言いだせなくて。ごめん」
「ううん、ううん」
彼女はしきりに首を横に振った。そこには心の底から別れる事を悲しむ少女がいる。
僕はこの時、二人の友情は本物なのだろうと悟った。
きっと今まで二人の間には色んな事が会ったんだろう。いい事も悪い事も。その中で、お互いの距離が近づいたり離れたりする事もあっただろうし、それこそお互いのそれまでの生き方に変化をもたらす事もあったのだろう。それでも、その関係は壊れる事は決してなく、きっと二人は今までお互いを認め合っていたんだろう。
「転校して落ち着いたら連絡するから」
「……うん、絶対だよ」
「うん、絶対」
「……うん、うん」
周防さんはなにかを言おうとしては、それを言葉にする事が出来ずに、口を何度かパクパクさせては短い言葉を反芻させていた。
僕はそんな二人を気付かれないように、だけどじっと見つめていた。
周防さんは急に突きつけられた現実に、自分の中で渦巻く感情の変遷についていけていなかった。
そして、それはすぐに限界が訪れて、
「……やだ」
言葉はそれだけで、彼女から溢れたのは涙だった。
彼女はぼろぼろと両目から大量に涙を零し続けた。
彼女が泣いている姿など、このクラスで僕以外誰も見た事がなく、今まで二人の話を耳にしていなかった他の生徒達もその姿にぎょっとしたように視線を向ける事になった。
周防さんはその中でも周囲の視線など構う気配もなく、ただただ泣いていた。
僕はその元々泣き虫な彼女の姿を、無言で見つめる。
きっと、今この瞬間正直になったと言う事ではなく、それでも、きっと彼女はその涙を堪え切れなかったんだろう。
周防さんにとって、もう涙を隠し切ることの出来ないその悲しさ。
だけど、僕はそれを美しいと思う。
「あはは」
彼女は今日も笑っていた。
僕はあまり日頃代わり栄えがないせいであんまり彼女に注意を向ける事がない。
「さて」
部活を終え、帰ろうと校門までやってきたところで周防さんに出会った。
「今帰り?」
「うん」
「途中までどう?」
「いいよ」
僕の誘いに彼女は頷き、僕達は並んで自転車を漕いだ。
「近江さんは元気?」
「うん、ああいう性格だし、楽しくやってるみたい」
「だろうねぇ」
「私も早く由良がいない生活に慣れないとね」
「まだ慣れてないの?」
「うん、ちょっとね」
僕にはとてもそうは見えない様子だったが、彼女が言うならその通りで僕がきっと見落としているのだろう。
それから僕達は他愛もない話を幾つかし別れ、僕は一人で自転車を漕ぎ出し、明日の予定を考える。
別に彼女の事がどうでもいいと言う訳ではない。
ただ、彼女の事を僕が今どう考えてもなんの意味もないし、なんの価値もなかった。
彼女は今ちょっと寂しいけれど、それでも幸せで、そしてその幸せを感じ続けるために、少し戦っている。
きっと戦うという選択肢を放棄しても、幸せになるための別の道はあるのだろう。
だけど、彼女は今の幸せに縋るのではなく、それを愛して、守ろうとしている。
それを知っているだけで僕は充分。
そしてそれを感じさせない日々を送る彼女を見る事に観察する視線なんていらない。
ただ、そこに笑顔があれば。