僕はアナログ式の腕時計をいじくり始めた。長い針と短い針がばらばらに十、九、八と逆に動いていく。
「何をしているの?」
不意に女性の声が聞こえたので腕時計から顔を上げると、一人の少女と目が合った。そして彼女は僕に微笑みかけた。
「時間を巻き戻しているんだ」と僕は返す。
「『時計の針』じゃなくて『時間』なのねえ?」
彼女はそう言って首をかしげた。
「うん。時間を巻き戻しているんだ」
腕時計に目を落とすと僕はまた時間を巻き戻し始めた。時計の横についているダイヤルを回すカリカリという小さな音だけが響く。
「どうして?」
少し間をおいて彼女がまた質問してきた。
「君に会うためさ」
僕は目線を腕時計に落としたまま答えた。ダイヤルをいじる指が少し痛くなってきた。
「私はここにいるわよ? どういうこと?」
腕時計に目をやっていても、彼女が首をかしげる様子が手に取るように分かる。僕は大きく息を吸って目を数秒閉じ、ゆっくり息を吐き出し目を開けた。
「あれか六十年たったからね。忘れるのも無理はないよ。でもね、僕は覚えている。あの約束を」
「約束……」
「……生きて帰ろうって。そして、また一緒に遊ぼうって」
「うん……覚えてるよ」そう小さい声が聞こえた。
「もうすぐ夏がくるね。また思い出すよ、あの日を」
一緒に泳いだ海、とんぼが飛んでいた空、緑のはっぱが輝いていた森。共に遊んだあの日々。
「……暑かったね、すごく」
「うん。とけちゃいそうなくらい暑かった」
「本当に迎えに来てくれるの?」
彼女はあの時と同じよわよわしい声で言った。
僕はあの時「必ず迎えに行く」とは言えなかった。心では思っていたけれどそれを声に出す勇気がなく、別の言葉を発していた。僕は自分が生きてさえいればいいと一瞬思ってしまった。まだ十三歳だったから、それに僕は精一杯頑張った、そう言い訳し続けた。でも、そのあとに残ったものはなかった。全部光になった。
何度後悔してもあの頃に戻れないのは分かっている。でももし、もし最後に奇跡が起きてあの頃に戻れるのなら……僕は言うだろう。
「ああ、必ず君を迎えに行く。何年たっても絶対に」
今なら声に出して約束できる。もうあんな後悔は二度としたくない。
「……ありがとう。待ってるね」
顔を上げると、もう目の前にはだれも居なかった。
僕は空を見ると時計を付けている左手を天に掲げた。
「じゃあ、今から迎えに行くよ。待っててね」
そうつぶやいて僕は目を閉じた。