Neetel Inside ニートノベル
表紙

禁術師
第二話 魔法書の幽姫

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 中継都市と呼ばれる町、ザルベルガ。
 それが、次にメイラたちが訪れた都市の名前だ。名前の通り、いろんなことでの中継として使われることが多いという、ただそれだけの都市だ。とはいえもちろん、そうであるために町として発展していて、神国内では神都パラシアの次の大都市として認識されている。メイラが“初めて使った”という『導き』によってこの町へとたどり着き、そして今は各々歩きながら周囲を見ては目をキラキラさせている真っ最中なのだった(メイラもメルミナもこういう所に来た事はないそうだ)。店の種類も豊富で、なるほどたしかに慣れていない人からしてみれば新鮮な空間なことだろう。
「なあ、やっぱり気になるんだけどよ……」
「どしたの、るーくん?ついにあたしの可愛さに目が腐った?」
「腐らねえよ……」
 周囲も賑やかなので、今回はランドルーザの町のときとは違って周りの人間から奇異の視線を浴びせられる事もない。そして、メイラが元の姿に戻ったとはいえ、やはり二人は二人のままだった。進歩は、ない。
「『導き』って……どんな魔法なんだ?」
「えと、“やっぱり”っていうのは、前にも聞いたってことなの?あたしは知らないんだけど、『禁術師』さんに訊いたってことだよね」
「そうなんだが、あいつは答えなかったからよ。毎度毎度、確かに効果はあるから不安ってわけじゃねえけど、どんな魔法なのか気になって仕方ねえ」
「ふーん。いいよ、別に教えてあげても。そんなに隠すようなものでもないんだし。……ただ、何もせずに教えるっていうのもあたし的におもしろくないしー、そうだねー、じゃあ――」
「――これは変態として、卑猥な香りがっ!?」
「「しないっ!」」
 メイラが変態一名の背後に立ち、背中を彼女が持っている大きな本で押し、それと同時にルゥラナが正面から鳩尾を殴る。全力で。メイラが押さえていたにもかかわらず、それでも少し後退するほどの威力で。そして変態、撃沈す。
「ふ、ふ、ふふ……いい、実にいいコンビネーションじゃあないか。私は感動するよ。(意識的には)出会って間もないというのに、これほどのシンクロ率、なるほど実に嫉妬するほどだよ。変態である私から言わせてもらうと、これはフラグが立っているといっても過言ではないのじゃあないかな。そう、君たちは生まれたときから結ばれることが運命として決まっていたのだ。そうに違いない、でなければこれほどまでに息の合った男女などそうそういないはずだからね。さあ、そうと決まれば早速結婚式の準備をしよう。……なに、早すぎる?大丈夫だよ、それほど急ぐ事もない。この戦いが終わったら結婚する、それでいいじゃあないか。戦いを終えてからの結婚、それを目指して奮闘する、なんと素晴らしき愛の力っ!ああ、私は今、新たなカップルの誕生に嫉妬しているとはいえ、それでもなお溢れるこの喜び、祝福の思いっ!いとエクセレントっ!」
「レクお兄ちゃんにこそ相応しい死亡フラグですよ、それは」
 実に冷ややかに、まるで変態を見つめるかのような目で(というか実際に変態だ)レクシスを見つめ、そしてメルミナがナイフを投げた。鳩尾に。全力で。そしてルゥラナは固まった。
 そして腹部から溢れ出すドロッとした、液体。周囲の人には感づかれないように腹部を押さえるレクシス。腹部から流れ出るその液体は――緑色だった。
「残念、野菜ジュースっ!」
「その行為に意味はっ!?ついでになぜトマトジュースを選ばないっ!そして野菜ジュースははたして緑色っ!?」
「というか青汁的な」
「無駄な工夫してんじゃねえ!」
 メルミナもレクシスに加担していたのか、とルゥラナが思ったものの、しかしさっきメルミナが投げたナイフはとても手加減していなかったように思えたのは彼だけだったのか。もしかして隙あらば殺そうとしてるのか、という推測も生まれたものの、流石にそれはないと自分で自分の推測を否定する。さっきのは二人のネタ、そう勝手に解釈した。
「えと、話を戻すよ。そうだねー、じゃあ推測してみて、どんな魔法なのか」
「……ヒントとかは?」
「これまでも何回か使ったんだよね、だったらなし」
「……んー、何かメイラと共通の思いを持っている奴を探す魔法、とかか?」
「ちょっと違うよ。正解は、あたしを探している人を探す魔法」
 なぜか得意顔で答える。胸を張りながら。
「意識的だとか無意識的にだとかはどっちでもいいんだけどね、あたしを個人名で指名するだとか、『禁術師』だとか、『魔王』だとか、とにかくね、あたしを探している人がいる所を探すの。それか、あたしとは思っていなくても、あたしみたいに改革的な人とか、そういう風に思ってる人もね。訊かないけど、みんなも心のどこかであたしみたいな人を探してたんじゃないかな?」
 少し小悪魔な笑みを浮かべる。実際は、子供特有の笑顔なんだろうけれど。
 そうメイラに言われて、たしかにそうだったと三人は思う。
 メルミナは、『禁術師』を探していた。
 レクシスは、何らかの転機を求めていた。
 ルゥラナは、別に探していたとは思えなかったものの、無意識の内に、自分を何らかの形で救ってくれる人物を求めていたのかもしれない。
 ここにはいないが、シノイも、改革を目指す人物を探していたのだろう。
 確かに全員、何らかの形でメイラを探していた人物だ。
「つまり今回会う奴も、何らかの形でメイラを探している人物だ、と」
「うん、そうなるんだよ。……ただ、一つ問題があるんだけど、あたしを探している人物が必ずしもあたしの仲間になってくれる人とは限らないんだよね」
「まあ、そうなるよな」
 探している理由が、こちらにとって都合のいいものとは限らない。もしかしたら、メイラを恨んでいる人物と出会う可能性だってあるのだ(とはいえ、『禁術師』そのものはメジャーではないのでその可能性は低い)。いつもいつも、上手く事が運ぶことなどありえない。
「まっ、そんなことばっか気にしてたってどうにもなんないんだもん、ほっとく方がいいよ。だから、このお話は終了、ね?」
 そう言って、再びメイラとメルミナが周囲を見ては一喜一憂し(“憂”の方はほとんどないけれど)、真面目な空気を吹き飛ばす。こういうところは助かる、そう思うルゥラナとレクシスだった。



 礼拝堂。
 再びだった。ただし、今回は前回よりも広い。ランドルーザもそこそこに大きな町だったとはいえ、それでもザルベルガの方が大きい。人口が多ければ、その分広くなるのは当然だ。もちろんランドルーザ同様にこの礼拝堂(の奥の方)で政治も行われている。
 実は、既に昨日この町に一行は到着していて、今日『神官』と出会うための予約はとっていた(前回の反省を活かしている)。この辺りはきちんとしているというべきか(ちなみにそれはルゥラナとレクシスの役目で、残り二名は町で遊んでいた)。
「人一人と出会うために、予め話をつけておかないといけないなんてめんどくさいねー」
「ま、しょうがないだろ。この町でのトップなんだからよ」
 会う約束は午後からなのだが、こういうところで几帳面なルゥラナが無駄な本領発揮をしているために、まだ午前(しかも朝に含まれるような時間帯)なのに既に礼拝堂に到着している。彼が言うには、誰かに会おうと思うなら会いたい方が下手に出て、そして時間に余裕を持って会いに行くべきだ、とのこと。もちろん残り三人は「それにしても早すぎる」とのつっこみだ。実にごもっともだ。
「ううー、暇だよー、るーくん」
「暇ですよー、ルゥお兄ちゃんー」
 そしてさっきから、メイラとメルミナはご覧の有様だ。
「暇ならその辺で逆立ちしとけ」
「ここは礼拝堂だよっ!?」
「大丈夫だ、子供なら」
「なるほど、たしかに!」
 メイラが逆立ちをしようとする(もちろん少し人がいる)。
「やめぃ。やめやめ、やめんかい」
 いろんな意味でやばいため(特に衣服的な問題で)止めようとする声も、どこか口調が変わってしまっていた。それほどに暇ということだろうか(?)。そしてメイラが逆立ちするのをやめる。少し周りから奇異の視線を浴びせられたが、少しするとそれもなくなる。
「ねーねー、なんで午前から会う約束しなかったのー?」
「仕方ないだろ。なんか、どっかからお偉い人が三人も来るらしくて、午前はその対応で精一杯なんだってよ。『神官』は町のリーダーなんだから、そればかりはどうしようもない」
「お偉い……人?」
 と、メイラはその言葉に引っかかった。これまでのどこかだらけたような雰囲気が、どういうわけか引き締まったようになる。ルゥラナはそれに対して疑問符を浮かべる。
「るーくん……それは、物凄く重要事項だと思う」
「どうした。そんなこと、誰にだってあることじゃないのか」
「誰にだってあるよ、あるんだけどよく考えてみて。今回の場合、それは『神官』さんなんでしょ?『神官』さんにとってお偉い人って誰だと思う?」
「『神官』にとって……?」
 ここに至って、ルゥラナはメイラの言わんとすることが分かる。
 『神官』とは、神国内においては『神徒』の次に偉い役職といえる。となれば、その『神官』よりも偉い役職となれば一つしかない。
「『神徒』……!?」
 かつての『神魔戦争』において、『魔王』を滅したとされる三人の『神』の子孫。『魔王』の子孫であるメイラと対極に位置する存在。そして同時に、神国内で最強を誇る三人。
「メイラちゃん、これってもしかしてとってもやばい状況だったりしますか?」
「うん、もしかしなくてもメルちゃんの言うとおりだよ……」
「……そんなに強いのかな、その『神徒』っていうのは。いつも私は気になっていたのだが」
 レクシスが心底疑問そうに尋ねる。知らなくても無理はないか、という表情でメイラが答える。
「強いとかね、弱いとかね、そういう話じゃないんだよレクお兄ちゃん。そういう次元じゃない――というより、そういう話が出来ないの」
「……というと?」
「無茶苦茶に聞こえるかもなんだけどね、『神徒』の中に一人厄介な司力の人がいてね、普通の武器での攻撃とか魔法とか、そういうのが全部効かないの。予め準備をしとかないと、戦う事すらできない。だから、強い弱いの問題じゃないし、それにそれを破ったとしても、元々の力も高いから倒すのは難しいの」
 どうするべきか、と迷うように言う。ただし、他の三人の心情としてはそれどころではないけれど。
「……攻撃無効?そんなことできる奴がいるのか?」
「できたからこそ、昔三人の『神』は『神』であれたんだけどね。まあ、とにかく一刻も早くこの場からは逃げた方がいいのは確かだとは思うし、とりあえず逃げよっか。また逃げてから詳しい説明はしてあげるから」
「その方が得策そうだね」
 こんなことを話している内に『神徒』が来てしまう可能性だってある。だからこそ、今すぐに逃げるべきだという結論に全員が達する。
 しかし物事というのは非情で、時に最悪の結末が訪れることだってある。そう、たとえば今この瞬間のように。
「――っ」
 メイラが困惑の表情を浮かべた。それに合わせるかのように、礼拝堂の入り口が外から何者かによって開けられる。全員が最悪の事態が訪れない事を祈ったが、その祈りもむなしく。現れてしまったのは『神徒』の三人だった。顔を見たことがなくても、それでも気配だけでそれがそれであると分かるほどの存在感。雰囲気。その三人が、礼拝堂の中へと入ってきた。

     

 セルベル=センセントルート。パスティン=クルノア。ヒノワ=シャイナル。現在の『神徒』である三人の名前だ。『神魔戦争』のころと同じく、前者二人が男、最後が女。ただ、年齢までもが『神魔戦争』のころと同じというわけではなく(メイラと同じ考え方だ)、男の二人は共にだいたい二十歳ぐらいであるし、女の方に至ってはまだ十二歳ぐらいの女の子だという噂だ(女の子と表現する方が相応しい)。
 そしてその三人と、今まさに入り口から出ようとしていたメイラたちが運悪く鉢合わせする。外から入ってきた三人は少し目をパチパチさせていたが、メイラたちが出ようとしていると理解したところで、三人の中でもリーダー格のような男、おそらくセルベルが頭を掻くかこような仕草をする。
「あー、あー……なあ、これって俺がどいた方がいいんだよな」
「当然でしょう」
 それに答えたのが、おそらくパスティンという男。シノイと似て、どこか落ち着いた雰囲気のある風貌だ。優しそう、という方が相応しいかもしれない。
「すみませんね、お嬢さん方。彼はいつもこうでして……」
「いえ、こちらこそすみません」
 思わずルゥラナが謝る程の真面目さだった。彼が謝る光景というのもなかなかレアであろう。出会って即戦闘開始、というのをイメージしていた三人は、なんだか肩透かしを食らった気分だ。
「なーなーなー、わたしらさっさと『神官』に会いに行かなくていいのかよー?急な用事だって話だったじゃんか」
「ええ、すぐに行きますよ」
 そしておそらく、駄々をこねているかのように見えてしまうこの女の子がヒノワだ。なんだか元気な女の子というイメージを受ける、そんな女の子だった。我がままも多そうに見えるというのは気のせいではなさそうだ。
「おっ、女の子もいるじゃん。よー、わたしはヒノワ。ヒノワ=シャイナルって言った方がいいか?あんたの名前は?」
「……メイラ」
「ほうほう、メイラかー。ん、どしたよそんなに暗そうな表情しちゃってさ。ほらほら、もっと笑っていかない?」
「……ヒノワ。相手の女の子が対応に困っているだろう」
「そんなことないっしょ。たぶん。ね、ないよね」
「……ない、けど」
「ほらやっぱりないじゃんさ。わたしが正しかったっしょ?パスティンはいちいち厳しいっての。あんたもさ、外で元気に遊んでおけばもっと明るくなれるかもしれないしさ、そんな難しそうな本ばっか読んでないで元気に遊んでおきなって」
「……本?」
 なぜか、セルベルが異様に反応した。本でも好きなのだろうか。それまでは面倒くさそうにしていた彼だったが、その単語が出た途端に明らかに生き生きしている。だがその反対に、メイラはびくっとしたような反応を見せる。
(……みんな。あたしが合図したら、速攻でこの礼拝堂から逃げ出して。お願い)
 三人の頭の中に、そんなメイラの声が響く。三人は無言でアイコンタクトをする。
「……その本、どこかで見たことがあるような……?」
 パスティンが少しずつ勘づき出す。まだあまり思い出せていないようだが、それも時間の問題だった。少なくとも、本へと注意がいってしまった以上、話を逸らすのも難しいだろう。
「ん?どったのパスティン。おーい、ぱーすちゃーん」
「――っ!そうか、その魔法書は」
「――今っ!」
 同時に、セルベルら三人を囲うかのようにメイラの簡易結界術が発動する。決して長く足止めは出来ないだろうが、それでもルゥラナたちがメイラの命令を実行するのには十分な時間だった。セルベルらを避けるかのように扉へと手を伸ばし、そして開け、そのまま礼拝堂を後にする。その場に残ったのはメイラとセルベルらの三人だった。そして、それを見届けるかのようなタイミングでメイラの結界が破られる。時間にして約5秒。礼拝堂の中にいる人が、こちらに注意を向けようとしないほどの静かな手際だった。パスティンが感心するかのように反応するも、それでもやはり彼は優秀だった。
「……セルベル、追跡頼んだ」
「あー。いいぜ、任せられた」
 言うが早く、すぐさま身を翻すセルベル。彼がリーダーに見えるのだが、それでも別に上下関係だとかはあまりないようだ。だが、彼のその行動をみすみす逃すメイラではない。
「させないよっ!」
 そう言って再び結界を発動させようとしていたメイラにヒノワの槍のようなものが襲い掛かる。
「それはわたしの台詞っ!」
 危険を察知したメイラは攻撃を中断し、転がるようにして一旦射程距離から逃れる。そしてその隙にセルベルはルゥラナたちの追跡に入った。
 ヒノワの使うそれは、ただの槍ではない。文字通りの神槍だ。素材は術者の魔力。破壊力に特化しているという、防御破壊の槍。周りを見ると、いつのまにかパスティンも神杖と呼ばれるものを手にしていた。おそらく、この流れでいくとセルベルも神剣を手にしているにちがいない。メイラは嫌な汗を少し流す。
 さすがにここまで来ると一般人も何かが起きているということに気がついたらしく、皆どこかへと逃げていく。『神官』を呼びに行ったか逃げたかのどちらかだろう。もしくは逃げつつ呼びに行ったのかもしれない。
「ううー、ちょっとミスったかも……」
「あっはは、あんたもちゃんと動けるんじゃん。なんだ、わたしって余計なお世話だったのかもねー」
 こちらも感心するかのように言う。そんな褒め言葉を聞いているだけの余裕がメイラにはなかったが。
「――その魔法書。そしてその魔法技術。あなたは……『魔王』ですね、メイラさん。いえ、メイラ=シュライナさん」
「あれ、子供相手に『神徒』様ともあろう御方が丁寧語で喋ってていいの?」
「まあ、こういうキャラですし、なにより『魔王』が相手ですからね」
「ふぅん。でも、あたしは『魔王』じゃないよ。あたしは『新☆魔王』」
「えっ、なになにその明るい響き。わたしそっちのが好きかも」
 傍から見れば、別に今にも戦いそうな雰囲気にはとてもではないが見えないだろう。ある意味、そのスキルはメイラの得意技で、その場を自分のペースに引き込むのがそれの意味だ。事実、いつも余裕ぶったりだとかするのが彼女だ。
(だけどあたしもまだ八歳だもん。決して強くはないし、何よりあたしは禁術を全て知らないし。だからこその『魔法書』モードなわけだけど……)
 メイラが持っている魔法書。それはメイラ(16)が持っていた扇そのものだ。状況に応じて武器の形を変えられるのが特徴で、形に応じて能力が変わってくる。扇は基本形態であり、“自分の魔力の制限”が能力だ。自分への枷みたいなものだと考えればいい(主に日々の訓練用に使ったりだとかする)。魔法書なら逆に魔力の向上と魔法を扱う技術の上昇、杖だと魔力の大幅上昇と魔法威力の向上、といった具合だ。
(でもあたしは扇を使う余裕なんてあるわけないし、杖を扱うほどの技量もまだないし、剣だって後が続かないし……)
 だから彼女は今、魔法書を手にしている。実際、彼女のその判断は正解だろう。最善に違いない。
 戦いとは何も、力の強さだけで決まるものではない。その場の支配だとか、気持ちだとかで大きく変化する。自分のペースに相手を引き込めれば、それはもちろん有利に働くし、相手がこちらのことを“強い”と思っていれば、実際強く感じるし、それらは無視できない要素だ。だから自称弱い彼女は、いつも場を支配することを心がけている。ところが、それが効かない相手がいるのも事実だ。
 パスティンはその最たる例で、なぜなら彼の司力こそが『掌握』だからだ。情報の掌握、その場の掌握、その他様々を掌握する力。まさにメイラの天敵ともいえる相手だ。ちなみにヒノワは『加護』、セルベルが『破壊』を司る。これらは文字通りの意味で、守るちからと破壊する力だ。
「……さて、『魔王』さん」
「『新☆魔王』だよ」
「だよー」
 なぜかヒノワが便乗してきた。パスティンはどことなく呆れている。
「どちらでもいいです。とにかく、『神魔戦争』から続く因縁、ここで出会ったのもまた運命なんでしょう。『パラ教』の『神徒』として、『魔王』たるあなたを」
「『新☆魔王』」
「……『新☆魔王』たるあなたを見逃すわけにもいかないでしょう。問答無用で申し訳ないですが、あなたを討たせていただきます」
「話も聞いてもらえないのかな」
「今更何を私たちに話すことがあると」
「……『神魔戦争』の真相」
「私たちは既に知っています。ですから『パラ教』を広めているんです。あなたが知っていることは私でも知っています」
「真相って、『パラ教』の神話?あれ、思いっきり嘘だよ、なにを勘違いしちゃったのかは知らないんだけど」
「無駄ですよ『新☆魔王』さん。私にかく乱は効きません。いくら私を騙そうとしたところで無駄です」
「……」
 メイラが言葉に詰まる。彼女もまだ八歳だ、それほど言い返すのが得意なわけではない。丸め込まれても仕方がない。
「さて、いきますかヒノワ」
「あいあいっと。りょーかい」
(2対1、か……)
 メイラはひとまず考える。逃げるための算段を。

     

 俺、つまりはルゥラナは仲間の二人と共に走る。分かれた方がいいという意見と固まった方がいいという意見があったのだが、結果として見ての通り三人一緒に逃げている真っ最中だ。周囲の人も一瞬興味を示してくるが、それもこの喧騒の中ではまさに一瞬のことだ。
「……皆さん、追われてます」
「分かってるよ」
 それぐらいすぐに分かった。これでも元々は名の売れた冒険者、追われていることに気づかないことはない。それに、相手も隠そうとしていないのだからなおさらだ。ただ向こうとしては、今すぐ追い詰めるのではなく相手が疲労するのを狙っているというイメージを受ける。だから、後ろを振り返ったところで姿は見えない。
「あの三人の中のリーダー的存在だったセルベルさんが追いかけてきてるみたいです」
 お得意の司力『情報』を使ったのか、そんな情報を伝えてくる。走りながらでもそこまで魔法が制御できるというのはなかなかのものだ。俺は司力はもとより、魔法さえ大して使えないからな。
「メイラの方は大丈夫かな」
「分かりません。礼拝堂の中までは調べられませんから……」
 話で聞いたことがある。礼拝堂の壁だとかには魔法耐性があるらしく、基本的に魔法を通さないようになっているらしい。だからメルミナお得意の『情報』も例外ではないということだろう。そういう意味で、メイラが余計に心配だ。よっぽど強い魔法でも使わなければ壁を壊して逃げる、だとかが出来ないし(それに物理ダメージのある魔法じゃないとだめだ)、転移ができるかは知らないけれど、それも出来ないし。一種の牢獄のような場所だろう、あそこは。
「だがしかし、それよりも私たちは自分の心配をするべきだろうね。メイラちゃんの言葉が正しければ、おそらく私たちの攻撃が効かない。追いつかれたら……危険だ」
「まあ、そうなるよな」
 未だに俺はメイラの言葉に半信半疑なんだが、あんな場面で嘘を言うような奴にメイラは見えない。ならおそらく、本当なんだろうという結論に達するわけだが、俺の常識論がそれをなかなか許してくれない。何事も自分の目で見てみないと信じないという性格が実はあって、それで失敗した事だってたしかにあるというのは分かっている。でも、どうしようもないだろう性格なんて。
「かといって、逃げながら出来る事なんて限られてるし、このまま逃げてるだけじゃいつかは追いつかれるし。……くそっ、どうしろってんだ」
 だから、目下の問題はそれだ。逃げつつ何かをしないといけないわけだが、出来る事がない。少々ルートをややこしくしたところで無駄なのは明らかだし(というより、それを出来るだけのこの町に関する知識もないわけだけど)、待ち伏せをしようにもメイラの話が正しければ無駄だし。せめて攻撃が通るというならいろいろと選択肢も増えるというのに。それに、こういうときの作戦指揮が上手いメイラがいないというのも痛手だ。これまでの道中でメイラがそういう方面に長けているということは分かっているのだが、その彼女がここにいない。逃げるということの難しさを初めて知った、といったところか。
「……いや。まだ手はある」
 横でレクシスが呟く。
「こちらから相手の姿が見えないということは、相手からも見えていないということだ。おそらく、周囲の人の反応だとかを見て私たちを追っているにちがいない。なら、まだ手はある」
 どちらかというと、確信に近い声だった。走りながらレクシスがメルミナの方を見る。
「メルちゃん、『情報操師』たる君にお願いがある。聞いてくれるかな?」
「ええ、それはもちろんなんなりと、レクお兄ちゃん」
 メルミナが、小鳥の姿をした魔法を周囲に出現させた。そしてそれを解き放ったのが視界に映った。



 ルゥラナがそんなことを考えていた時。
(追跡を引き受けちまったのはいいけどよ……面倒くせえなあ……)
 そう思いつつ、セルベルは逃げた三人を追跡する。周囲の人々の動きを見て逃げた三人の行方を推測し、そして追いかける。
(まー、ぶっちゃけ本気で追いかけてもいいけどよ、なんか面倒くさいし。向こうから待ち伏せだとかしてくれたらラッキーなんだけどよー)
 セルベルには、ヒノワの司力『加護』がかかっている。だから、いくら待ち伏せされようと攻撃が効かないのだから、それを気にかける必要もない。ただひたすらに追いかけるだけでいい。とはいえ、別に『加護』などがなくても彼はそうしただろうが。それだけ自分の力に彼は自信を持っている。
(はー、面倒くさいのも事実だけどよぉ、こうしてたって埒が明かねえか。しゃーねえ、そろそろ本気出すか……っと、おお?)
 彼がそう考えた時。突然、人々の動きが変化する。これまで彼に逃走者の居場所を伝えていた人々の動きが、一変してぎこちないものへと変化する。まるで、情報が混乱しているかのように。
(ミスったな。……くっくっ、なるほど『情報』を操る奴が紛れ込んでたか、それは失念してたな。……これじゃ、これ以上追いかけられねえか)
 セルベルは追跡を止めた。そしてそのまま、これまでの追跡劇などなかったかのような表情になり、これからのことを考える。しばらく考えた末、彼は来た方向とも追いかけていた方向とも別の方向へと歩き出した。
(どぉせ今から戻ったって『神官』の話を聞くだけだしなぁ。面倒くせえ、町でもぶらぶらすっか)
 そして彼は普段の表情へと切り替え、そして町の喧騒に溶け込む。そしてそのまま歩き続ける。



「成功のようだね」
 レクシスがそう告げる。同時に俺もそれを察知した。
「……なるほど、相手が人を頼りに追いかけてきてるなら、その“人”の情報を操作する、ってわけか。色んな応用が出来る魔法なんだな」
「というより、こういうのが本分なんですよ。だって、メルちゃんは『情報操師』なんですから」
「情報操作、か」
 『情報』の魔法の優れた点は、魔法にかかっている本人に気取らせる事なく情報に干渉し、そして誘導できるという点にこそある。だから、さっき魔法にかかっていた人々だって、自分たちが魔法にかかっていたということすら認知していないだろう。
「どうする、このまま逃げて隠れるか?」
「メイラちゃんはそうしろと言っていたからね、それが一番得策なのだろう。ひとまず、もう一度見つかることがないように隠れた方がいいだろうね」
「ですね」
 助けに入れないことを歯痒く思いつつ後ろを一瞬振り返ったが、すぐに正面を向く。俺が今出来ることを、精一杯するほうがいい。変な気を起こして、むしろ状況を悪化させてはいけない。だから、俺はひとまず身を隠す。
 俺たち三人は、今度は静かに町を歩く。

     

「逃走は爆発だーっ」
 なんて、とある名言的なノリであたし、メイラは言ってみる。それと同時に、礼拝堂内に爆発が巻き起こる。沢山の爆薬でも爆発させたかのように、爆発が入り乱れているというか、なんというか。それで、あたしは壁に穴を開けた(むしろ大穴だったり)。礼拝堂の魔法耐性?そんなの無視無視、かまってる暇なんてないもん。
「……礼拝堂の壁を難なく魔法で壊すとはなんて非常識な」
「ふふんっ、天才とはいつも受け入れられないものよね。あたしって罪な存在ー」
「なんか話ずれてねー?」
 ヒノワちゃんのズバリな指摘はスルーさせてもらう。せっかくボケたんだもん、それを認めるわけにはいかないというか、うん。
 そして、あまりの爆発に砂埃的なものが舞い上がって視界が無いというオマケ付きで、あたしは逃げる。逃げるよ。逃げる分には視界が悪くたってそこまで問題は無いもんね。
(あ、でも少し細工しとこっかな)
 それを終えてから、あたしは相手に目もくれず一目散に外へと逃げる(“目”もなにも、目は閉じてるけどね。なんて)。
 外へ出て、あたしはようやく目を開ける(あ、少し目にゴミが入っちゃったかも)。突然礼拝堂が謎の爆発を起こした挙句、小さな可愛い(ここが重要)女の子がそこから飛び出してきたんだもんね、周りの人から注目を浴びてるんだけど、それも当然だよね。可愛いもん。……可愛いもんっ!(ここ、ものすっごく重要っ!)
 去り際に、あたしは思い出したかのように後ろを振り返った。
「べーっ!」
 舌を出してみたり。うん、なんとなく腹いせ。それからもう一回元の方向を向いて、あたしはその場から離れた。今度は余計なことなんてせずに。



 『新☆魔王』の非常識魔法攻撃によって、前代未聞の大損害を受けた礼拝堂ではようやく砂埃も晴れて、その場の人間に視界が戻ってくる。パスティンとヒノワも例外ではなく、晴れてからやっとのことで逃げられたことに気がつく。隠れているということも考慮してか、パスティンがしばらく周囲を『掌握』してみるが、特に隠れているというわけでもなさそうだった。それから至って冷静に、彼は自分の服の埃を払うかのような仕草をする。ヒノワはなんだか逃げられたことにご立腹の様子だったが、なんとなくパスティンに倣って服の埃を払うかのような仕草をした。ちなみに彼女が他人の真似をするときは、とても不機嫌な時である。
 と、そんな場に、ようやく駆けつけたその町の『神官』が二人に声をかけた。
「御二方、ご無事ですかっ!?大丈夫です!」
「……(なぜ自分で答える?)ああ、リリーさんですか。ええ、大丈夫ですよ私たちは。ただ、建物の方はそうとも言えませんけれど」
「御二方がご無事ならそれでいいですよ。そうなんですよ」
 “彼女”がザルベルガの『神官』、リリントリリル=リーリルザだ。“リ”ばっかりだ。名前を見て分かるだろうが偽名だ(そしてそういう意味で有名だ)。なぜ『神官』が偽名を使う必要があるのかは巷でも謎とされていて、おそらく本人も知らないんだろう。彼女はそういう性格だ(巷では、性格に難ありと認識されている)。それでも『神官』なのだから、おそらく仕事はきちんとするのだろうが。
「ええ、問題ないですよ。だって所詮私の給料が差し引かれるだけなんですから。ちょー悲しっす!そして私の給料高っ!」
 また、元気な女でもある。ただし実は年齢は四十を超えているとかなんとか。見た目が二十台に見えるため、それはそれで彼女の不思議の一つとして巷では認識されているそうな(巷での名の売れ具合は尋常ではない)。そしてその見た目と、実年齢に触れられた時の悪魔の形相から、彼女は『聖母の後光(ワールドエンド)』と呼ばれていたりいなかったり。
「しかし、『神徒』様二人がいてこれだけの被害。一体誰と戦っていたんですか?役立たずと少なからず思っているというのは隠すべき本音!」
「……。いや、少し昔からの因縁がある人物、というより子供とちょっと出会ってね。油断していた」
「それはご災難です。油断なんてしてるからだっつーの、なんてー!」
 おそらく、『神徒』とこんな口調で話せるのは全『パラ教』信者で彼女だけであろう。それはそれで彼女の武勇伝として語られている。
「……この姉ちゃん元気だな」
 それまで口を閉ざしていたヒノワが洩らす。そしてリリントリリルは(以下、リリー)その“姉ちゃん”という言葉に反応する。聖母の表情で。そして近づく。
「うんーうんー、君はいい子だねー。私をタブーで言わない子供は私大好きです。半端ねっす」
「タブー……。なんか変なおば」
 と言ったところで、いつのまにか奪っていたヒノワの神槍が首元に突きつけられた。もちろんリリーによって。同じく聖母の表情で。無刀取りではないが(槍だし)それに近いものをパスティンは感じた。少しの恐怖とともに。ちなみに反応したのは“おb”辺りだ。口の形で何を言おうとしているのか理解できるスキルを持っているに違いない。
「タブーの前に人間平等。『神徒』とて容赦しない」
「……」
 彼女は生まれて初めて死の恐怖を感じた。それもそのはず、『加護』で効かないのは“『神魔戦争』に関係していない攻撃”だけだからだ。というのはつまり、昔使われた武器や魔法、戦争に関係している人物からの攻撃が無効化できないということで、神槍による攻撃は防げない。そういう意味で、『加護』とは『魔王』(『新☆魔王』)には意味が無いものだ。
 そしてリリーはヒノワに武器を返す。固まっていた彼女だったが、ひとまず武器を消す。パスティンも同様だった。
「リリーさん、すみませんけれど用事ができたので、急用とやらの詳しい話は聞けなさそうですね。とりあえずどんな用だったかだけ言って下さい、用事が終わったらまた来ますから」
「いえ、大丈夫です。急用というのはただの嘘でしたから。ばっかでー」
 そして『神徒』をからかうことができるのも彼女だけに違いない。全世界中で。
「……とりあえずはセルベルを見つけて、それから『新☆魔王』の対策を考えよう。ヒノワ、行こうか」
「あい、了解ー」
 二人は穴からではなく、きちんと扉を開けてそこから外へ出た。そういうところは彼は真面目だ。リリーの「いってらっしゃい。帰ってこなくていいけどねー」という言葉に見送られて二人は町へと戻る。
「……それにしても凄い破壊力ね。私も試してみたいなー」
 残された彼女がその爆発の跡を見て感心と関心を示していた。だが、そんな彼女は地面に変なものが落ちていることに気がついた。好奇心旺盛な彼女は、特にそれが何であるかを確かめずにそれを手に取った。「なんだろうかしら、これ?」と呟いてから、改めて詳しくそれを見る。
「……指輪?売れるかな」
 ちゃっかり懐にそれを忍ばせた。



 夜になり、メイラたち四人が再び町の一角に集まっていた(裏道のような所だ)。別にこれは運良く出会ったとかではなく、有事の際に集まる場所を決めていたメイラの功労だ。既に一行はそれぞれの見に起こったことを話し終わっていて、今からはこれからどうするかということの話し合いが始まろうとしている。
「……で、話は戻るけどよ。『神官』の仲間への勧誘どうするんだ?あれだけ派手に暴れてまた礼拝堂に正面から戻るとかありえねえし、かといって行かなけりゃ話し合いもできねえし。それに『神徒』もそこにいるかもしれねえから絶対戻れねえだろ」
「うんうん、普通の意見をありがとね、るーくん」
 一人で頷きながら、馬鹿にしているかのような褒めているかのような。
「だけどごめんね、るーくん。あたしは天才だもん。それくらいの対策はしているのだー」
「な、ナルシストっ……!?」
 そういえば自分の事を『天才少女』などと呼んでいたということを、今になって彼は思い出す。
「あたしは転移とかとは相性が悪くて使えないんだけどね、それでも使えるようにすることは出来るんだよ、ちょっと工夫すれば」
 得意げに胸を張りながら、ご機嫌な表情でメイラは言う。
「この間見せた指輪、あれがあるところなら転移出来るようになるんだよ。えっへん、それを礼拝堂に落としてきといたんだよー。うん、あたしってやっぱ『天才少女』だよねー。うんー」
 ルゥラナとしてはそれを認めると、なんだか色んな意味で負けてしまう気がしたのであえて反応はしなかった。ただそれでも、「とてもじゃないが八歳の子供が考えるような手段じゃないよな……」とは考えていたが。これは小さな声で呟いていた。それを聞いたレクシスが、「それには変態たる私も同意見だね」と答えたため、ルゥラナは「じゃあ俺は意見を変えよう」という風な会話が密かに行われていたのだが、それを知るのは当事者の二人だけである。

     

「ええと……これって如何なる状況?」
「俺に訊かれて分かるわけが無い」
 メイラの質問に答えたのはご存知の俺、ルゥラナだ。あの後、何をどうしたのかは知らないにしても、とりあえずメイラの魔力で作った指輪のもとに転移したそうだ。二人も転移できるのかどうか不安だったけれど(それでも四人はきついらしく、俺とメイラの二人だけが転移した)、彼女いわく、この方法での転移は比較的楽に出来るそうだ。だから、別に疲れたような表情も見えなかった。
 そうして転移したところ(どこかの部屋のようだ)、なんと目の前に人がいるではないか。つまり、その指輪がその人物に拾われていたということになるんだろう(午前に礼拝堂を襲って、もう夜なんだから既に現場の捜査はしっかりと終わっているだろうし、メイラが言っていた通りなら指輪を“落としてきた”んだから、現場に落ちていたその指輪を誰かが拾ってしまっているだろうということは、今になって考えてみれば容易に想像できたことだろう)。
 相手の、見た目は二十ぐらいに見える女の人は突然の事態に驚くと同時に……目がキラキラしていた。……なぜ。
「あなた方は誰っ!?人です」
「……(なんで自分で答えてるんだ?)ええとだな、俺たちは……どういう風に説明しろと――」
「あたしは『新☆魔王』だよ。リリーさんをあたしの仲間にしにきたのー」
「うん、あまりに直接的すぎる説明をどうもありがとう」
 なんで『パラ教』の信者、それもメイラが言うにはなんと相手はリリーさん、つまりリリントリリル=リーリルザさんだという。思いっきり『神官』じゃないか。勧誘なんてのは第一印象が大切だというのに、こんな説明をしたんでは仲間になるどころの話ではない。すぐに人を呼ばれるのがオチだろう。『神徒』なんて呼ばれたら、それこそまさに終わりだ。向こうが本気を出せば、逃げられないような状況を作るぐらいはできるはずだから。
 俺は相手の表情を窺う。……目がキラキラしていた。……だからなぜだ、なぜなんだ。そういえば、この人はたいそう好奇心旺盛だという噂を巷で聞いたことがある。今回もそれだということなんだろうか。
「『新☆魔王』って……今朝礼拝堂を襲った、あの?そんな人が、私に何か用ですか……?今聞いただろーが!」
「……(だからなんで自分で答えてるんだろう?)えとね、あたしは争いたくてあんなことしたんじゃないの。ちょっと揉めてね、結果としてあんなことになっちゃったんだけど……ごめんなさい。謝ります。でも、あたしが今言いたいのはそんなことじゃないの。貴女の力を、あたしに貸してほしいの」
 おお、こっちのメイラはきちんと勧誘ができてるじゃないか。メイラ(16)の時は勧誘なんて言葉は全くもって当てはまらなかったし、あれは礼儀的にも色々と問題があった。これが普通だというのに、なんだか感動してしまっている俺がここにいる。
「『神官』たる私にそれを頼むということは、『パラ教』関係のことですか。ですよねーっ」
「うん、そう」
 とりあえず、他の人を呼ばれるという心配はひとまず不要のようだ。相手が会話に関心を示している内はその心配はいらないだろう。
「ズバリ訊くよ、貴女は『パラ教』の改革に興味があるよね。今の『パラ教』のあり方に、どこか賛成できてない……よね」
 既に知っていることを訊くというのも、また随分と性格が悪い。こういうところはやはりメイラか。『導き』によってここを訪れたんだから、その対象の人物は“改革者”へと興味を示しているということだ。自分と同じ考えを持つ人物を、探している。
 相手も流石は『神官』、頭はいいらしく、メイラがそう言っただけでこちらが何を言おうとしているか理解できたらしい。確認するかのように訊いてくる。
「それは、『神官』である私に内部協力者として仲間になってほしいということなのね。私って理解早っ!」
「まあ、はっきりと言っちまうなら裏切りというか、背信行為なんだけどな」
 この辺りははっきりとさせておいた方がいい。後々に気が変わった、なんてことになったら洒落にならない。改革だとかは、内部からの崩壊に気をつけなければいけないものだから。
「お嬢ちゃんの言う通り、たしかに私には改革をしたいという願いもあるわ。争いなんてしたところで、その結果の平和なんて高が知れてるもの。私格好いいっ!?」
 別に格好よくない、ということは二人とも思うが口には出さない。それが優しさだろう。
「けれど、こうは考えなかったのかしら。私の思い描く改革方法と、あなた方が思い浮かべる改革方法が異なるという場合は。もしそうなら、私は他の人を呼ぶことになるかもね。手柄を立てておくというのも、決して悪い手ではないもの。むしろ良かったり!?」
「……」
 そう言われて、ルゥラナはたしかにそれを考えていなかったと思った。シノイの時が上手く事が運びすぎたために、考え方が違う人間がいるかもしれない、ということは失念していたのだ。たとえ同じ改革という言葉でも、人によってその言葉への考え方というものは違う。同じであることが稀なのであって、常に同じであると思うことはまさに愚である。
 しかし、それに対してメイラは笑ったかのように見えた。
「ううん、それはないよ」
 それは推測ではなく――断言だった。
「だってリリーさん、今朝あたしと『神徒』さん二人が戦ってるのを実は見ていたよね。それでも助けに入る事も無く、むしろ観察してたでしょ?」
「……ふぅん、面白いことを言うわね。好きですっ!」
 メイラへの無駄な告白は無視しておこう。
「これはあたしの推測になっちゃうんだけどね、あたしはこう考えたんだよ。今回リリーさんが『神徒』さんたちをこの町に呼んだのは、何か用事があったとかそんなんじゃなくて、ただ単純に三人を殺そうとしたからじゃないのかな」
「……おい、それは推測としてこの人に失礼だろ」
「いえ、いいわ。続けてね。よっしゃこいや!」
「……それで、リリーさんは『神徒』さんをこの町に呼ぶことが出来た。『神徒』さんは強いという噂があったけど、それでも三人だけなら数で押し切れると考えたんだと思う。だから、戦える人を礼拝堂に集めておいた。……三人を殺そうとした理由っていうのも、多分改革するためにあの三人は確実に邪魔になると思ったからなんだよね。あたしも、それが一番手っ取り早いと考えるよ。殺したら殺したで色々と混乱が起きるだろうけど、その対策もしてたんだよね。……で、そこまでの準備は完璧だったんだけど、いざ実行するという直前になって問題が発生しちゃった。そう、あたしたちが現れて、それで騒ぎを起こしちゃったの。まあ、騒ぎ自体は計画にも多少なりとも被害を与えたかもだけど、、むしろ騒ぎに便乗して三人を殺せるかもしれないとも考えたと思うの。一人はどこかに行っちゃってたけど、それぐらい後で誤魔化せるだろうしね。だから、計画は予定通りにいこうと思った。けど、そこでリリーさんは考えた。騒ぎを起こした張本人だったあたしは逃げた。あえて戦うということをせずに、真っ先に逃げた。だったら、それはなんでなんだろう。そう考えたんじゃないのかな。自慢も入っちゃうんだけどね、あたしはあの時かなり強い魔法を使ったよ。礼拝堂の壁を壊してしまうほどのね。そんな“強い人”が、真っ先に逃げ出すことを選んだ相手、『神徒』。戦う事さえも厭われた、その相手。それが、どれほどの力を持つのか、正直リリーさんは計りかねた。だから結果として、今に至ってるというわけ」
「……」
 推測などとメイラは言うが、ルゥラナにはとてもそうは思えなかった。真実を知らない彼でさえ、本当はそうだったと錯覚しかねないほどの一貫した仮説。だから、ルゥラナはこう思う。
(やっぱお前はとてもじゃなけど八歳には見えないっての)
 若干皮肉を込めて。なんかを馬鹿にするかのように。というよりはつっこんでいた。心の中で。
「どこまで当たってた?」
「全部だよ。ブラボーっ!」
 ルゥラナは少しというかかなり驚愕。「全部って。……全部って!」などと思った。というより少し洩らす。
「うふふ、お嬢ちゃん気に入ったよ。まだ詳しい話は聞かないといけないにしても、分かったわ、あなたに協力する。実力は今朝、十分見せてもらったから心配はいらないしね。感謝しろい」
「感謝しまっす!」
 なんだかいいコンビが誕生したなあ、と彼は思った。性格が似ているのだろうか。
「本当に、なんで俺がついてきたんだか。俺、別にいなくてもよかったよな……」
「そんなこともねぇんじゃねぇか?」
 だとしたらいいんだが、と言おうとしたところで違和感に気づく。今のは、男の声。そもそも、今この場でルゥラナの呟きに答える人物は存在しない、はずだ。壁にもたれるかのようにして彼女らを眺めていた彼が、周囲を見る。横に、誰かがいた。
「お前は――」
 視認したとき、その時既に遅く――ルゥラナはその人物の、セルベルの神剣で前から腹部を貫通させられていた。壁に神剣が刺さる。
「ぐぅっ――がっ」
 そしてセルベルはそれを抜く。それに合わせて、そこから溢れ出す血。血。血。止め処なく流れ続ける赤い液体。ドロッとしたその液体。止まることなく、彼を嘲笑うかのように流れ続けるそれが、床を、壁を、赤く染め上げる。そのままルゥラナは、床へと倒れこんだ。床に溜まった血溜まりがバシャっという音を立てた。それでもなお、血は流れ続ける。
「るーくんっ――!?」
「さあ」
 セルベルは構え直すかのように神剣を振り、ルゥラナの血を少し払う。
「戦争を始めよぉか」
 ルゥラナの意識が、そこで途切れた。

     

 どうして?
「かっ――流石に元冒険者だけはあるってか。きちんと急所は外してるじゃねぇか。そうじゃなけりゃ面白くもない――か」
 どうしてなの?
「ああ――安心していいぜ『新☆魔王』さんよぉ。今この礼拝堂にいる『神徒』は俺だけだ。他の奴らは町の方でてめぇらを探してる真っ最中だ。だから、これ以上状況が悪化するってぇ心配はいらねぇよ。かかっ、つっても十分に酷いってかぁ?」
 どうしてあたしじゃないの?
「ん?どうした黙っちまってよぉ。……ああ、そういやぁてめぇは『新☆魔王』だなんていったところで、所詮はまだ八歳の可愛い女の子なんだっけか、話には聞いてるぜぇ。それじゃぁ、この状況は少々きついわぁな」
 どうして、るーくんなの?
「まあ――いい。それはさておきだ。さて、てめぇはこれからどう行動する?このまま尻尾巻いて逃げちまうか?それとも俺と戦ってみるか?ただ、ここで俺と戦わねぇっつんならこいつは間違いなく死ぬわな。俺がさらにトドメをさしちまうかもしれねぇし、このまま放っておくってぇのもありだわな。この出血量だ、何もしなけりゃぁ確実に死ぬ。さあどうする、王子を助けるお姫様?」
 るーくんは悪くない。悪いのは、あたしだけなのに。
「こいつが襲われたことが理解できねぇっつー顔だな。だとしたらお笑いもんだぜぇ、馬鹿じゃねぇのか。こいつはてめぇの仲間だろぉ。仲間ってぇのは何も一方的に力を貸すための存在なんかじゃぁねぇ。同じ存在になることなんだよ。だから、自分に襲われる非があるってぇなら、それは仲間にもあるってことになるんだわな。本人たちに、その思いがあるかないかに限らずによぉ」
 分からない。
「それに、てめぇも知ってるんだろぉ、こいつの正体。一見すると別に分からねぇかもしれねぇけどよ、俺たちには分かる。そうだろ、『新☆魔王』さんよぉ。『神魔戦争』に関わってた存在なら、それが分からねぇはずもねぇ。そういう目で見たら、そりゃてめぇだって『魔王』の忘れ形見だったってぇことぐらい会ってすぐに理解できただろうさ。そう思って見てなかっただけで、気づいたらなんてことはない。そんなもんなんだよ、世界ってぇのはな」
 分からない。分かりたくない。
「なんだ、てめぇはそれを口に出したくねぇってのか?その存在を認めたくねぇってぇのか?かっ……笑わせるんじゃぁねぇよ。そんなご都合主義、この世にはねぇっつーの。世界なんてのは残酷なんだよ。てめぇが認めようが認めまいが、それは、真実は、いつも俺たちの後についてくる。どれだけ逃げようとも、どれだけ否定しようとも、真実ってぇのは消えるはずもねぇさ。なぜなら真実ってぇのは何よりも――世界なんだからよぉ。……それでもてめぇが言わねぇっつーんなら仕方ねぇ。俺がてめぇに世界を教えてやる」
 分からない。分からない分からない分からない。
「てめぇが『魔王』の忘れ形見みてぇな存在なようによぉ、こいつは『万魔の王』ルートの子孫。つまりこいつも俺たちの敵ってぇことなんだよ」
 ……分かりたくもない。でもあたしは、それでも――



「いくらか前の話だっけか、神国内のとある村が魔物によって滅ぼされたんだっけなぁ。あのころは俺もまだ十台だっけかな、懐かしい限りだ」
 懐かしむかのように、彼は話す。
「ただよぉ、この話もまた変な話だとは思わねぇか『新☆魔王』さんよぉ」
「――思わない」
「かっ、つれねーなぁ。まあいいぜ。とりあえず俺の過去話に付き合ってもらうとしようかぁ。あの時俺が感じた違和感、それはその“魔物に襲われて”村が滅んだってぇ部分だ。なぜなら魔物なんてぇのは、集団意識なんかはねぇ。あっても同属間での仲間意識ぐらいだろうさ。そんな奴らが一緒くたになって村を襲う?ありえねぇだろぉが、そんなことはよぉ。過去にもそういうのがなかったとは言わねぇけどよぉ、そういうのがあった場合ってぇのは一つに限られてるんだな、これが。それが、『万魔の王』が現れた時だ」
 なおも、彼は淡々とそれを語る。
「知ってるよなぁ、『新☆魔王』さん。『万魔の王』っつっても、異形の存在だとかじゃぁねぇんだな、これが。そいつはなぁ、元々は人間なんだとさ。ある日突然『万魔の王』として覚醒し、そしてその覚醒時に多くの魔物を呼び寄せるんだそうだ。だから俺はこう考えるんだよぉ、数年前のあの事件はこいつが覚醒した時に起きたものだったんじゃないか、ってな。生き残ってた村人の話によれば、一人変な奴がそこにはいたそうだ。なぜか魔物にも一切襲われることなく、なおかつ自分でその時に家族を殺してたっつー、一見してただの変人に思えるよぉな奴だ。そいつは事件後まもなくその村から姿を消したらしいがよぉ、噂ではそいつは世間で有名になってる冒険者『殺人周期』じゃぁねぇかと言われてるんだなぁ、これが。まあ、実際に見たところ本当にそうだったし、俺的には噂が真実になったってぇ感じだがよ。そもそもてめぇらは、なぜこいつが『殺人周期』だなんて呼ばれてるか知ってっかぁ?それはな、こいつが訪れたとされる村が極稀に地図から消えちまうかららしいぜ。どこまで本当なのかはちっとばかし疑問だが、たしかにそういう事件もここ数年でなかったわけじゃぁねぇ。で、そこからつけられたとされる二つ名が『殺人周期』だそうだ。“キャプリースフェイト”、つまりは“気まぐれな運命”だな。これを考えた奴は実に暇だったんだろぉな。実に相応しいじゃぁねぇか。かかかっ」
「――で」
「はぁ?何だって?」
「るーくんを、馬鹿にしないでっ!」
「……おぉー、怖い怖い。おっかねぇなぁ。子供は子供らしく、可愛らしくねぇとな。せっかくの可愛い顔が台無しになっちまうぜぇ?」
 すっ、とセルベルが横に半歩移動する。ヒュンという風を切るかのような音がしたと同時に、先程までセルベルがいた所の背後の壁が何かによって縦に切り裂かれる。
「怖えなぁ、問答無用ってかぁ?俺ってばそんなことされるようなことをしたっけかぁ?」
 今度はセルベルは下から上へと剣を走らせるような動きをする。そして何かを切り、セルベルの背後の両側の壁が何かに切り裂かれたかのようになる。パラパラと、切り裂かれた壁の破片が空を舞う。
「ひゅー、これだけの魔法でも呪文なしってか。流石は『新☆魔王』、感嘆してやろう」
 魔法には、呪文が必要だ。強力な魔法ほど、より長く。だが、呪文というのはあくまで魔法使用の補助であって、強力な魔法使いともなればその基準が変わってくる。すなわち、弱い魔法に呪文を必要としなくなるということだ。
「まぁ――やっぱ『魔王』ってぇのはこうじゃねぇとな。自分から戦いに身を投じる、俺ぁ好きだぜぇ、そういう信条。……どうする、リリー『神官』。『新☆魔王』さんは戦う気満々のようだぜぇ。この機会に便乗しといた方がいいんじゃぁねぇか?」
「……」
 すっと腰に提げていた細剣を抜く。けれど、それをメイラが静止する。
「いいよ、リリーさん。あたしだけでやるから心配しないで。……大丈夫」
「かっ――そいつは戦いの邪魔だってぇか。それとも、足手まといってかぁ?また随分と酷い仕打ちじゃぁねぇか。けどよ、そう簡単にそいつを逃がすつもりなんて更々ねぇし、それにてめぇのためにもそいつから先に殺しとくってぇのもありだよなぁ。かかかっ――」
「――もういいよ。喋らなくても」
「おおっ?ついに本気でも出すつもりってか。楽しみなこった、八歳の体で何ができるか楽しみだぜぇ、『新☆魔王』さんよぉ。さて、じゃぁてめぇの本気に合わせて俺もそろそろ真面目にやってみるとすっかぁ――」
「――要らない」
 セルベルの言葉を遮るかのように、メイラが言う。
「あなたは要らない。この世界にとって、あたしの世界にとって、存在しちゃだめ」
「かっ、俺の存在否定か。そりゃーねぇんじゃねぇかな」
「でも、あたしは『魔王』。『魔王少女』で『天才少女』で『魔法少女』で『新☆魔王』で『禁術師』な、それがあたし。真っ当な幸せなんて、望めるべくして望めるわけもない。ただ壊して殺すことでしか、本当は願いなんて叶えられない。それがいかに最善でなかろうと、どれだけそれに後悔しようと、それを選ぶ以外にあたしには道はない。運命なんて言葉は使わない、あたしが運命。願いはあたしが自分で叶える。どれだけ障害があろうと、あたしはそれを“悪”らしく壊して殺すだけ。だからあたしはあたしとして、あなたを殺し尽くします」
「……やってみな」
 メイラが、彼女の魔法書を開く。それは、彼女の前で浮いていた。
「あ、でもその前にるーくんが先決だよね。あたしは治癒ができないけど――まあ、あれしかないか」
 メイラが魔法書に手をかざすと同時に、ルゥラナを淡い光が包み込む。それは、瞬く間にルゥラナの傷を癒し、そして出血が止まる。それだけではない、さらに彼は徐々に顔の血の気が戻ってくる。まるで、流れてしまった血が、何事もなかったかのように彼の中に戻ってきているかのように。
「治癒はできずとも蘇生はできるってぇか。色々と規格外だな」
「ま、あたしとるーくんの“命”がリンクしちゃうから、これから先、どちらか一方が死んじゃったらもう片方も巻き添えで死んじゃうんだけどね」
「いいのかぁ、そんなこと教えちまってよぉ。俺がこの倒れてる奴をもう一回刺しちまったらてめぇも死ぬっつぅことだぜ」
「そうだろうね。ま、あたしはあなたにそんなことはさせないけど」
「……?」
「一つあなたに教えておいてあげる。魔法使いを相手取る時はね、決して長く話させちゃ駄目なんだよ。真の魔法使いっていうのはね、そういう会話の中に呪文を隠してることがあるんだもん」
 どこか悲しそうな表情で、不敵に、メイラは笑った。
「じゃ、さよなら『神徒』さん――」
 そしてメイラは再び魔法書に手をかざす。

【――イービルクルセイド】

     

 目覚めは残酷だ。
 どれほど世界に絶望したところで、どれほど世界から逃げたって、世界から退場するまでは、それはいつだって人を世界へと招く。いや、実際は退場したところでそれから逃れることなんてできないのかもしれないけれど。その世界から消えたところで、その存在の影響というのか残滓というのか、とにかくそういうものは残ってしまうからだ。ある人はそれを遺志と呼ぶかもしれないし、ある人はそれを存在だと呼ぶかもしれない。そう考えてみれば、存在なんてのは別にたいした存在でもないのかもしれない。その存在無くとも、それでもなお世界にあり続けるその存在。周囲を変質させ、影響させ、そしてその存在を始めさせたり終わらせたりするもの。それは、それほど珍しいことではない。存在は存在から始まって、同じくそれに帰結する『存在のサイクル』。終わりはなく、仮にそれが終わるとすれば、それは存在の完全なる消滅以外にはありえない。そこに一筋でも続きがある限り、それは終わらない。
 だから俺は死ねない。世界に絶望せず、世界から逃げず、決して退場なんてしてやるわけにはいかない。俺もサイクルの一部な以上、そのルールからはみ出ることは出来ない。せめて、俺は、俺のような存在は、絶対にここで終わらせる。サイクルの終点を、俺が作る。全てのサイクルを消すわけじゃない、俺のだけだ。その方法を探すために旅に出たんだっけか。俺は、俺の中に何かが眠っているということは自覚している。どんなものなのかは分からないが、それは悲しいサイクルの一部だと分かる。なくてもいい、ないほうがいいサイクルなのだから、俺で終わらせる。だからこそ、俺は目覚める。使命を果たさないまま、ただ死ぬわけにはいかない。



 重い瞼をゆっくりと開く。
 俺、ルゥラナの目に入るのはどこかの室内の光景。明かりは点いていないが、窓から外の風景を見るに、今は朝のようだった。室内には、俺以外には誰もいない。
「――っ!」
 突然、腹部に痛みを感じる。まるで、何か刃物で貫かれていたかのような痛み。服の上からそこを触ってみたところ、傷は消えているようだ。
 一度、状況を整理してみる。
 たしか俺はリリーとやらを仲間に勧誘していたはずだった。それで、――何があったんだっけか。……思い出せない。彼女らの無駄な会話は鮮明に覚えているのだけれど、それ以降の記憶が飛んでいる。今の状況と合わせて考えてみると、おそらくその時に何かがあって、俺が怪我――したんだろうと思う。あくまで推測だけれど。
 と、そこまで状況を把握したところで、外からドアが開けられた。そこにいたのは彼女――メイラだった。
「やっほい。可愛いメイラちゃん登場っ!」
「……」
 どう反応しろと。
「もうっ、ノリ悪いよるーくん。そこはちゃんと『ああ、俺の愛しい可愛いキュートなメイラちゃんっ!ごめんよ二週間も心配をかけてっ!』ってな具合に返してくれないと。あたしがせっかく元気付けてあげようとしてたのにー」
「……。待て。待て待て待て。今、何と仰いましたかメイラさんや。俺の聞き間違いでなければ二週間という単語が出たと思われるのですが、はたして?」
「うん、マジもマジだよ、超マゾだよ」
 別に俺はマゾでもなんでもないんだがな。
 それにしても、二週間?そんなに意識を失ってたっていうのか。どうりでなんだか体が重いわけだ。そんなことより、よく二週間も食事せずに生きてたなという方が俺には摩訶不思議に思える。人間って、二週間もそれで生きていられるものなのだろうか。
「たぶんあたしとるーくんの命がリンクしちゃったせいで、片方が栄養とってたからじゃないのかな。なんだかこの二週間、あたしも体が重かったしー」
「うんそうか、ところで今なんかとてつもない話が隠れていた気がするんだが、もう一回最初から言ってみろや」
「たぶんあたしとるーくんの命がリンクしちゃったせいで――」
「――そこっ!それは一体どういう状況でそうなったんだ。それにその状況は一体なんだ」
 なかなかの勢いで話しているものの、俺は依然として横になっているままだし、メイラは立っているしで、立場的にはメイラの方が見下ろす感じになっている。なんだか情けない話だ。
「どういう状況って、るーくんが死にかけたから助けたんだよ?」
「そこまで!?」
 軽く訊いたつもりだったが、意外とヘビーだった。
「えと、あたしは治癒が出来ないからそれを通り越して蘇生魔法で治癒をしたんだけど、」
「さらっと凄いことを言ってる気がする」
「やっぱり蘇生ともなれば『対価』は大きくてね、今回の場合はあたしとるーくんの命を繋ぐことでうんたらかんたらして、それで治したの」
「とても抽象的な説明をありがとう」
「で、命を繋いじゃってるから、もしもあたしかるーくんが片方死んだらもう片方も道連れだから、そこんとこよろしくぅ!」
 ……。え。ええ?片方死んだらもう片方も、て。なんだそのよく分からない状況。
 ただ、そんな俺の気持ちを理解してなのか、その後にメイラは「ごめんね」と続ける。
「なんか、るーくんに悪いことしちゃったよね。ごめんね、勝手にしちゃって」
「いや……覚えてないが、それは死にかけた俺が悪いんだろうよ。なにもお前が謝ることじゃねえし、むしろ俺は感謝するべきなんだろうさ。ありがとうな、助けてくれて」
「るーくん……」
 ちょっとうるうるしながら、メイラは言う。
「なんか気持ち悪い……」
「酷くねぇかぁっ!?」
 思わず体を起こした。そして腹部に痛みを感じて、そのまま視界は暗転。しない。
「なにはともあれ、るーくんの目が覚めて本当によかったぁ。あたし、本当に心配してたんだからね。……嘘じゃないよ、本当だよ?あたしは生まれて初めて、心配のあまり眠れないっていう体験をしたぐらいなんだもん。まー、その後あたしも倒れちゃって大変だったらしいんだけど、それぐらいいいよね」
「まあ……いいんじゃねえか。多分」
 少し見詰め合って、そして笑う。最近、こういう笑いがなかったため、どこか新鮮に感じられた。そう、まるで家族の間での笑いのような、そんな感じ。
「ねえ……るーくん、命を繋いじゃったことで、もう一つ言っとかないと駄目なことがあるの。言ってもいい?」
「断る道理もねえだろ」
「うん。じゃあね、それを話す前に一つ確認。るーくんってさ、司力につてどこまで知ってるかな」
「一般魔法とは異なり、人それぞれ個人によって異なる属性を司る、物理的なダメージがある魔法ってとこでいいか?」
「一般知識としてそれだけ知ってれば十分だよ。うん、だいだいそんな感じ。ただ、あたしが話したいのは知らないみたいだから話すね。司力の覚醒、って知ってる?」
「魔法を扱いなれた時に、勝手に力に目覚めるんじゃなかったっけか」
「そうなんだけど、目覚める時に何が起きるか」
「……知らねえな」
「……『対価』がいるんだよ」
「『対価』?」
「そう。分かり易い属性なんかを司るときの『対価』は別にたいしたものでもないの。だけど、分かりにくいレアな属性の場合、それが大きくなる。それが強いものであればあるほど」
「……というと?」
「例えば、『時』を司るなら自分の時を対価に、『死』を司るなら自分の死を対価に、『愛』を司るなら自分の愛を対価に、『情報』を司るなら自分の情報を対価に、『全』を司るなら……自分の全てを対価に。うん、そんな感じ」
「お前の……全てを対価に?全てってなんなんだ」
「全て、だなんて言っても今じゃないんだよ、影響があるのは。そうだねー、影響があるのはむしろあたしの死後、かな。あたしの、これまでの“存在”が全て消えるの。綺麗さっぱり、ね。この扇だけを残して。今は魔法書だけど」
「“存在”の抹消……?」
「うん、つまりは『存在のサイクル』の終了。あたしに関する全ての情報が、この世界から抹消されるってわけだよ。物も、情報も、全て。あたしは元々この世界にいなかったことになるの。……ほら、だから『神魔戦争』のときの『魔王』、つまりあたしの先祖に関する情報がないんだよ。扇だけは例外らしくて、それのおかげであたしは『神魔戦争』について明確に知ってるんだけど、やっぱりそれは例外」
「だったら、なんで『神魔戦争』っていう記録が残ってるんだ。たしかに情報が改ざんされてるにしても、『魔王』が存在したってことはどうして伝わってる?その理論でいくと、それさえも消されてしまうんじゃないのか?」
「……分からない。あたしが思うに、たぶん昔の『神』の三人は『魔王』さんとの気持ちの繋がりみたいなのがあって、それが強すぎたから影響を完全に受けなかったのかもしれないよ。でも、それでも完全には影響なしとはいかず、敵として神話に残ってしまったとかね」
「そうだとしたら、神話の不自然さも説明できる、ってか。他の記録は一切抹消されてるのにそれだけには残ってたっつー不思議。……筋は通ってるな」
「あくまで推測なんだけどね。どこまで本当かなんてもう知るよしもないし、知る必要もないんじゃないかな。今更あたしたちがどうこうできるようなものでもないんだし。で、あたしが話したかったのは、その『存在のサイクル』の終了が、命を繋いじゃったるーくんにも影響しちゃう、ってことなの。つまり……道連れ、みたいなものかな」
「――っ!?それは……本当か!?」
「うん、本当。……ごめんね」
「いや――そうじゃない。そうじゃないんだ。むしろ、これは――」
 俺が、探し求めていたもの。
「俺はな、メイラ。ずっと、『存在のサイクル』の終了が可能な方法を探していたんだ。俺は、“俺の中にいる何か”がいることは感じられてる。そして、それは悲しい存在で、それは普通なら俺が死んだら次の誰かに受け継がれてしまうものだってことも――感覚的に理解できる。それが嫌だから――受け継がせたくないから――俺はそれを探していた。もしそれが可能だってなら、その“何か”諸共消え去れると思ったからだ」
「……」
「だから変な話になっちまうが……これも感謝するべきなんだろうな。普通なら感謝なんてできないんだろうが、それでも俺は例外的にお前に感謝する。お前は、別に謝らなくていいんだ。むしろ、素直に感謝されてくれ。頼む」
「るーくん……。――分かったよ、素直に感謝されとく。でもるーくん、だからって死のうだなんて思ったら駄目なんだよ?あたしまで巻き添えで死んじゃうんだから」
「分かってる。俺は自分から世界を捨てはしないさ」
「そう……だったら、私も……安心……」
 すると、突然メイラがベッドの方に倒れてくる。座ったまま、俺はそれを受け止める。
 見ると、メイラは眠っていた。俺のことを心配してたって言ってたっけか。なるほど、嘘じゃなかったようだ。
 別に寝顔を見てる分には、こいつも本当にただの可愛い子供なんだが――っていかんいかん。これじゃロリコンみたいじゃないか。俺はレクシスじゃないんだから、そういうわけにもいかない。断固拒否する。
 ……ああ、それにしても眠い。とりあえず今は寝よう。色んなことを考えるのは、別に明日でいいだろう。重荷が外れた今日ぐらい、ゆっくりしたっていいはずだ。それで罰が当たるわけでもないんだし。
 ただ、このまま寝るというのはメイラによくないだろうから、気が引けたがメイラをベッドの中に入れておくということにする。幸いベッドも広い、これなら文句もないだろう。……多分。
 そして俺は瞼を閉じる。今はただ、ゆっくりと。

     

「君はなんと羨ましいことをしていたのかな。いや、ここでわざわざとぼける必要性はないさ。これは既に私の視覚的情報として入っているため、それは時間の無駄というべき愚行といえるだろうね。変態としてわざわざ言うなら、兄が妹と一緒のベッドで寝るという行為にはとても大きな意味があるのだ。そりゃ物心つく前に何度か寝た事はあるかもしれないさ、本当の兄妹ならね。けれど、物心ついてしまってからの、というよりは変態として自分に目覚めてからのそれは、以前のそれとは次元の違う話となるわけだ。それは私たちの悲願であり、気づいた頃には決して叶えることは出来なくなってしまっているというこの世の摂理でもあり、私たちを苛む究極の誘惑でもあるわけだ。ましてや君にとっては義妹であるメイラちゃんと、君はベッドを共にしたわけだ。それは私をさらに誘惑するものでもあり、同時に嫉妬に私を駆らせるものでもある。これもまた世の摂理であって、これから逃れることの出来る変態など世界には存在せず、もし仮にいようものならそいつは変態ではないと断言しよう。それが変態のルールというものだ。ではここでルゥ君に一つ例え話で質問をしてみよう。質問に答えないことは決して許さないので断念するように。君が変態のロリコンのシスコン、というか妹好きだとする。そして世の変態たちが渇望する状況を得た勝ち組――つまり本当の妹が君にはいるわけだ。……いや、もうこの際究極的に義妹ということにしておこうか。さて、そんな時に一人のどこの馬の骨とも知れない男が君の妹を君から奪って、そして彼に盗られてしまった。……いや、この場合変態としては、義妹がいながらそれまで手にかけなかった兄の方こそを責めるべきなのだろうが、そこは話の都合上無視させてもらうことにしよう。さて、君はそんな時どうするかな。――そう、考えるまでもないね、その男を抹殺すればいいんだよ。何も殺すことはない、人間を終わらせればいい。そんなの、どうとでもしようがあるだろう?けれど私が言いたいのはそんな抹殺方法なんかではない。私が君に考えてほしいのは、その兄の気持ちだ。一体彼はどう思うのだろうかな、妹が盗られたということに対して。これまで自分しか彼女の中にはいなかったというのに、遂に他人が侵入してしまったのだ。それは皮肉にも、一度入り始めたら悪循環が続き、それはもう留めることはできなくなってしまうものだ。兄は悲しいだろうね。世界に絶望するかもしれないね。出来る事なら少しでいいから時間を巻き戻して、その泥棒男を殴りたいことだろうね。私にはその想いが切実に伝わってくるよ、なぜならその兄の気持ちと私の今の気持ちとは同じなのだからね」
 ああ――それにしても眠いな。昨日はしっかり休んだはずだったんだが、それでもまだなんだか体が重い。食事もとってないからなのかもしれない。といあえず、今は目の前の食事に専念することにしよう。さっきからなんだか長い話が聞こえていたような気がするが、おそらく勘違いにちがいない。疲れているから幻聴っぽいのが聞こえたのかもしれないな。そうだ、そういうことにしておこう。一番それが無難な考え方だろうな。



「――分かった。じゃあ私はこの指輪をそういう人に渡せばいいのね?売れるっかなー」
「うん、そう。渡す人は慎重にしてね。それと売っちゃ駄目」
「了解。残念」
 だいたいシノイの時と同じような話をリリーにして、そして一行は礼拝堂を去る。
 ルゥラナの目が覚めてから一週間。そう考えてみれば、この町にいた時間は結構長いのかもしれなかった。少なくとも、この町に愛着がわくぐらいはいただろうと思われる。町を歩きながら、一行は話す。
「セルベルさんはね、死んだの」
 そう、メイラはどこか物憂げな顔で語る。
「あたしだけが使える、二つ以上の司力を合成させて使用する魔法、『失われた魔法』、つまり『禁術』でね。だから、死んだっていうよりはあたしが殺しちゃったってことになるんだよね。……ごめんねみんな、みんなとした約束をあたしが最初に破っちゃって。リーダーとして失格、かな……」
「いいさ、別に」
「そうそう、そこまで気にすることでもないよメイラちゃん」
「そんなこと言ってたら、私なんていつもレクシスさんを殺してるんですよ」
「精神的にね……」
「あはは。でもまあ……殺したっていうのも少しニュアンスが違うかもね。どっちかというと、“消した”んだし」
「……消した?」
「そ。この間るーくんに言った事の他人バージョンみたいなかんじだよ。つまり他人の存在を、消したの」
「また随分と規格外な……。それってつまり最強なんじゃねえか?問答無用なんだろ?」
「そんなわけないよ。むしろ、あたしのリスクが大きいもん。たぶんこれから先、あたしは無駄に魔法が使えなくなる」
「それはどういう意味でですか?魔力のに関係してるのか、それとも――別の何かに関係してるのか」
「――鋭いねメルちゃん。うん、たぶんメルちゃんが思ってる通りなんだけど、それは魔力以外のこと、だよ。どう説明したらいいのかよく分からないんだけどね、うんそう、病気みたいなものかな。魔法を過度に使うと、たぶんあたしは倒れるんだと思う。なんとなく、そんな気がするもん。今でも、なんだか胸の辺りが少し痛いし……。心臓辺りかもしれないね」
 これが、禁術の『対価』だよ――と彼女は言う。
「――ああ、そうだ。この機会にみんなに禁術について教えとこうっかな。あたしの属性って『全』だってことはみんな気づいてるよね。『魔王』さんのときもそうだったから、たぶんこれは遺伝なんだと思うよ。で、あたしは全ての属性を操れるわけなんだけど、それはそれでまた別の問題があるんだよね。一つ新しい属性の司力を使うたびに、そのつど『対価』がいるの。だからあたしは無闇に色んな司力は使えないし――使うこともできないの。全てを操る頃には、既に全てが終わっているってわけ」
「……どうしてそんな話を俺たちに?」
「んんっ?ううん、別に深い意味は無いんだけど、なんだかみんな知りたそうな顔してたでしょ?大方『禁術師』さんに意味深な事言われて気になってたんじゃないかと思って」
 本当に深い意味はないんだよ、と断っておき、そしてさらに話を続ける。
「まあつまり――あたしは二つの意味でそんなに戦えないんだよねー。だから――」
 三人の先を歩いていたメイラが立ち止まり、くるっと回って三人を見る。三人も立ち止まる。
「――あたしを守ってくれる?」
「……なるほど、そこに持っていくか」
 ルゥラナは苦笑する。そんなあたりまえなことを、とでも言わんばかりの顔だ。
「安心しろ。任せていい」
「うん、任せた」
 即答かよ、とルゥラナがつっこむ。それに応えてメイラも苦笑する。
「まあ私たちに頼っても構わないよメイラちゃん。こっちは一歩離れて見守らせてもらうよ」
「ですね」
「……なんで離れるんだよ」
「そりゃあほら、君は数日前にメイラちゃんと一緒に寝た間柄だからだろう」
「それは誤解だって言っただろ。つーかそれを言うならあそこで勝手に寝たメイラが――」
 そして一行は再び歩き始める。朝の買出し客たちを横目に、一行は町を去る。

       

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Neetsha