四.舌戦
沈思黙考、これからする質問を頭の中で整えている御代。例のぬいぐるみをヒントと頭の中で確定していないと仮定するならば、第一のヒント『きっかけ』から連想される物などはたかが知れている。例えば、俺と最初に会った場所、日時、状況。最初に交わした会話。あるいは、俺のどこを気に入ったか、くらいの物。だが、それらから解答へとたどり着くのは、解答を知っている俺から見れば至難の技のように思える。
質問にどこまで答えるかは、答える側の判断次第。その果物はリンゴですか? と聞かれ、リンゴだと答えるまでは義務だが、リンゴが腐っている事を伝える必要は無い。正確で、なおかつ相手から多く情報を引き出せる質問が肝心。
「では、質問だ」
御代は立ち上がり、ベッドに座ったままの阿竹を見下ろしながら言った。阿竹が唾を飲み込む。
「お前は隆志と、最終的にどうなりたいんだ?」
それはまさに、ここまで真面目に考察してきた俺を否定する一撃。
「な、そんな事何も関係無いでしょ!?」
この阿竹の突っ込みには俺も同意せざるを得ない。が、御代は事もなげに淡々と述べる。
「本当はこの部屋に入る前に確認しておきたかったくらいだ。しかしお前は、普通に聞いても正直には答えないだろう。良い機会だと思ったから今聞いているまでの事だ」
「……あなたはこのゲームに勝つ気は無いの?」
「その質問に私が答えるのは、お前が私の質問に答えてからだ。私は、お前の気持ちを確かめたいだけだ。お前の口から、嘘偽りの無い言葉で、はっきりとな」
理由は分からないでもないが、貴重な質問の機会、それも最初のを一つ潰してしまうのは良策とは言えないだろう。だが人それぞれに優先順位は存在する。今の所ルールは守っているのだし、俺がとやかく言えた物ではない。
「分かったわ。最終的にどうなりたいか、ね」
ここでようやく、阿竹も腹を括ったようだ。既に質問は放たれ、もう戻る事は無いと悟ったのだろう。問題は、どこまで正直に言うか。
「私は……」
阿竹がゆっくりと口を開く。
「私は、一ノ瀬君との子供が欲しい!」
瞬間、空気が凍てついた。
御代も俺も、ただ呆然となって阿竹の事を見た。阿竹は握りこぶしを二つ作って、それを膝の上に乗せて、肩を震わせていた。あの阿竹が、ここまでストレートな、いやいやキャッチャーミットさえ貫通しそうな剛速球発言をするなど、予想だにしていなかったのだ。
「ま、待て待て。落ち着け」
御代は両手のひらを阿竹の方に向けて、抑えるようなポーズを取っていた。確かに「お嫁さんになる」よりは威力が上だし、しかもあの阿竹がついに言ったのだから、そうなるのも無理は無い。一方で阿竹本人はというと、唇をかみ締めてくやしそうに御代を見上げていた。
「冗談じゃない! それは私の役目だ!」
気を持ち直したのか、御代がそう言った。いや、気を持ち直したというよりは、気を違えたと言った方が正しいかもしれないが。
「……少し言い訳させて」
と前置きを置いて、阿竹は続ける。
「私は別に一ノ瀬君が好きとか、そういう訳じゃなくて、なんていうかその……」
言葉を紡げば紡ぐほど早口になっていく。
「そう、一ノ瀬君は天才だと思うのよ私は。つい先月だって写真展に応募して銀賞を受賞したし、自分で作った音楽をプロに提供していたりするのよ? 学園祭で演劇をやってたの見た事ある? 次の日に複数の劇団からスカウトがかかったらしいわ。絵も抜群に上手くて、何度も賞を取ってるし、この歳で特許をいくつも持っていてそれで沢山お金稼いでいるのよ? どう考えたって天才じゃないの」
確かにそれらは全部事実ではあるが、よく知っている物だ。
「もちろん成績は常にトップだし、運動も出来るし、顔もそこそこでしょ? つまりね、一ノ瀬君は能力が高い人間だから、それでその優秀な遺伝子が、ね、分かるでしょ。だから私は……」
今度は小さな声で、例の要望を口に出した。
随分と正直、かつ利己的な理由だが、改めて考えてみると、例えば『優しさ』とかそもそも『好き』という感情さえ、一体何なのか良く分からない俺にとっては、もっともらしい理由に思える。
「愛してる」とは、「あなたと遺伝したい」と、同じ意味なのかもしれない。
などと、そんな義理も無いのに下手なフォローを入れさせられてしまうほど、阿竹は悲惨な状況だった。「ついに言ってしまった」という恥に思う感情と、「余計な情報を多く与えてしまった」という失策によって、かなり大きくプライドが傷ついているようだ。
御代の一つ目の質問は、無駄な物だと決め付けていた俺の予想は、見事に裏切られたようだ。というより、侮っていた。この質問によって御代が得た物は、阿竹にとっての俺の魅力、端的に言えば惚れた理由。それと、かなり本気の覚悟をしているという事。あとは、阿竹の基本思考ルーチンという所だろうか。本能と理性を分けて考えないタイプというか、総合的な情報を元に、自分の理屈で判断を下す。それから少し、阿竹と俺の距離感みたいな物も、もしかしたらつかめたかもしれない。
一つの質問でここまで得られれば、戦果は十分だろう。それが計算づくの事だったら恐ろしい事だが、偶然とみてまず間違いは無い。なぜならば、御代は今、得た情報を整理するよりもまず、阿竹以上にインパクトのある台詞を考えているからだ。なぜ俺にそんな事が分かるのか。態度を見れば、分かりやすすぎる程だ。
「私はちゃんと答えたわ。今度は私が質問させてもらう番ね」
先に体勢を持ち直したのは阿竹の方だった。過ぎた事には頓着しない、さっぱりとした性格。
阿竹もベッドから立ち上がり、二歩後ずさりした御代に三歩近づきこう訊いた。
「もしも一ノ瀬君が、私を選んだら、あなたはそれからどうする?」
これも御代と同じく、予想外の質問だ。御代は答えに窮している。まだ先ほどの阿竹の台詞から完全に立ち直っていない。
その間に、阿竹のこの質問について、今度は本気で分析してみるとしよう。
まず第一の効果として、『揺さぶり』。ただでさえ今、御代は自分の予想以上の答えを返してきた相手に対して、軽い恐怖を抱いている状態。一つ目の質問を潰してでも確認したかった事は確認できた上に、予想以上の情報も得られてアドバンテージは確実にあるというのに、それを生かす事が出来ない。ならば、ここは一気に畳みかければ、一度渡した有利を手放させる事が出来るかもしれない。その観点から見れば、この阿竹の質問は、相手を揺さぶるのに十分な効果を発揮するだろう。
第二の効果として、『心理分析』。この質問の答えによって、御代の考え方はかなり大きく把握できると阿竹は思っているはずだ。例えば、俺が希望して阿竹と付き合う事になった場合、御代は大人しく諦めるのか。それとも、まだまだ付きまとって奪取を目論むのか。気持ちの本気さ云々ではなく、ただ現実的にどう行動するのか。「分からない」という答えをする事は可能だが、自分の中では分かりきった事をそう言うのは、情報を意図的に隠すというよりは嘘になる。本当に分からなければ、そう答えるべきなのは分かっていても、果たして御代のプライドがそれを許すかどうか。いずれにせよ、明確な答えを得て、その下にある心理を推し測るという点で、この質問はなかなか優れていると言えるだろう。直接的に答えに繋がっている訳ではないが、長期戦を見据えた時に、相手を理解しているかどうかは決定的な差となる。
そして第三の効果。それは『保障』である。
正直に話す、という前提に基づいて言えば、答えは同時にこのゲーム後の結果への保障にもなる。「負けたらもう隆志には付きまとわない」と言わせれば良し。「負けても絶対に諦めない」と言わせれば俺の持つ印象が悪化すると判断し、なお良し。どちらに転んでもプラスになる質問という訳だ。
ただし、あえてここで今断言するが、ゲーム後については、俺は特に何も考えていない。付き合う、とは言ったが、それはあくまでもこのゲームを成立させるためである。……まあ、ゲームが終わってから「あれは嘘でした」などと言えば、俺が血を見る事になるのは火を見るより明らかなので、ゲーム後に関しての約束は大人しく従おうと思う。何よりも結果だ。
三つの効果をそれぞれ簡単に言い表せば、第一の効果『揺さぶり』は相手の利益損失、つまり抑制。畳みかけによる短期決戦を狙っている。第二の効果『心理分析』は、長期戦にもつれ込んだ場合の自分の有利の確保。言い換えれば後に得る情報への投資。第三の効果『保障』はゲーム結果への保険。あるいはその一歩前、最後は結局俺の判断。その材料の提供と言った所だろうか。
なるほど、短時間で出した割りには良く出来ている質問だ。状況を立て直すのはとにかく上手いらしい。御代からの質問の答えも現に今、御代への揺さぶりとして働いている事を考えると、発言する前にその程度の計算はしていたのかもしれない。
「答えられない? 一ノ瀬君が私と付き合う事になったら、あなたはどうするのかって事よ」
さりげなく一回目の質問から『もしも』という言葉が外れている。揺さぶりの色を強くしてきたようだ。
この攻撃を受けての御代。どう反撃するのか。
「……その質問に答える前に、さっき私がした質問の答えに関して言っておく事がある」
「何? 時間稼ぎ?」
「さっきお前は隆志が『写真展で銀賞をとった』と言っていたが、正確にはアマチュアのカメラマンに人気の雑誌で、一年に一回開かれるコンテストで、銀賞と銅賞をとったんだ」
正確な情報ではあるが、別段今言う必要がある物ではない。阿竹の指摘はおそらく図星だろうが、効果はあった。御代は深呼吸一回でいつもの御代を取り戻した。阿竹は少し目を瞑り、再度尋ねる。
「……分かったわ。で、私の質問の答えは?」
御代は再び俺のベッドに腰掛けると、手を前で握って、搾り出すように言った。
「もしも負けたら、私は死ぬ」
またも部屋が凍りついた。今度はまた少し違う意味の絶対零度だ。
「う、嘘よ」
阿竹がどうにか紡げた言葉がそれだった。俺はむしろ逆で、御代ならあるいは言いかねないとは思っていた。それも、本気で。
「嘘じゃない。真剣に考えたらそうするしかなかった」
御代の声は微動だにせず続く。
「隆志に見放される人生を私は生きていたくない。それに、もしも隆志がお前とキスをしている所を目撃でもしたら、私は何をしでかすか分かったものじゃない。だから死んだ方が良い」
「……卑怯よ。そんなの卑怯だわ。そんな言い方して、一ノ瀬君と私の同情でも誘うつもり?」
阿竹は自らの言葉を尖らせて、どうにか自分の体を支えているようだ。
「そんなつもりはない。だから、隆志がもしも、『フラれて死なれたら気分が悪いから死ぬな』と言ってくれたなら、私は生きるつもりだ。ただその時は隆志に、これから私がどう生きれば良いか教えてもらいたい。私はその通りに生きる」
「……あなた、ここから出たらまず病院に行く事をおすすめするわ。精神科と脳外科ね」
憎まれ口を叩く阿竹と、それを気にしない御代。確かに、御代は病んでると思われても仕方が無いが、それも考え方次第だと俺は思う。人も基本的には生き物であるため、生きる事が大前提の上に成り立っているのだが、動物との決定的な違いはそこに理由を求める点である。生きる理由は即ち生きがいとも言い換えられる。生きがい無くして人はきちんと生きられない。御代にとっての生きがいが俺であるならば、死ぬ事自体は別に間違った選択肢ではないだろう。もちろん、道徳とかその他諸々社会的側面を排除した場合は、であるが。
「さ、私もきちんと正直に答えたぞ。今度は私の質問だ」
攻守交替、御代二回目の質問。
そろそろ俺としては本題に戻って欲しい所だ。目下二人がやらなければならない事をもう一度確認しておこう。まずこの部屋を出るキーワードのヒントは二つ存在し、一つは二人がそれぞれ持っている俺との『きっかけ』に関係しているという事。もう一つは『この部屋にある物』に関係しているという事。そして二人は相手から情報を得なければ、おそらくキーワードにたどり着くのは難しい。
「先ほど、お前は妙に最近の隆志について詳しかったが、それらの情報をどうやって仕入れた?」
早速さっき得た情報を生かしてくるか、と思ったが、この質問はどうだろう。少なくとも、先ほどの答えで御代は阿竹が俺を見初めた理由、つまり惚れた『きっかけ』を得ている。情報源を特定するという行為はつまるところ、行動を突き止める事に繋がると考えたのかもしれない。
が、御代の質問の仕方はやや範囲が大きすぎる。
「一ノ瀬君を知っている友達がいて、その友達から教えてもらったのよ」
そう、情報を得ているのが自らの力で無い場合、つまり『友達』から教えてもらった場合は、『どうやって得ているか?』というのは、その友達の事まで教える義務が発生しない質問の仕方だ。『誰から得ているか?』であれば、言わなければいけない訳だが、質問の時点ではその友達の存在も確定できていない。という事から、悪手とは言えないまでも、どうにか及第点と言った所だろうか。これで御代は次の質問の時に、『誰から』と変えて同じ意味の質問をしなければいけなくなった。
「それじゃ、次は私の番」
阿竹は立ち上がり、再び御代を見下した。
「あなたと一ノ瀬君が知り合ったのはいつ?」
基本的な質問だが、阿竹としてはこれははっきりとしておかなければいけない所だろう。
よくよく考えれば、御代の二つ目の質問は空を切った物の、逆にこの質問、御代は阿竹にする必要がほとんど無い。なぜならば、阿竹と俺が同じ学校になったのは高校からであり、出会った最初の日は入学式以降のいつかという事になる。一方で阿竹にしてみれば、御代と俺が幼馴染であるという事は知っていても、正確にいつ頃からの幼馴染なのかまでは知らなかったのだろう。御代の質問が空ぶった今は、元々あった一手の遅れを取り戻す絶好のチャンスという風に阿竹は考えているのだろう。
また、これは蛇足かもしれないが、作戦的側面でこの質問を見れば、阿竹の思索に若干の軌道修正が入った事を意味している。阿竹の最初の質問は、三つの効果を狙った戦略的な物だったが、二つ目の質問はえらく現実的である。御代に対し、揺さぶりは無効であると判断したのか、あるいは、もう御代という人間を掌握しきったのか、その辺は本人に尋ねてみなければ分からない所だが、どちらにせよ阿竹は解答に一歩でも迫る道を選択したようだ。
「私が隆志を知ったのは、幼稚園の年長組の頃だ。正確な日付は覚えていない」
簡単な答えだが、一番良い答え方でもあるだろう。余計な情報は一切加えず、かつ質問にはきちんと答えている。
「私の番だ」
三回目の御代の質問。
「隆志を知っている友達というのは誰だ?」
やはり、先ほどの質問をより正確に繰り返した。
「緑谷優希」
名前だけをポツリといって、阿竹は解答を終えた。これには御代もいささか驚いたようだ。自分が知らない人物の名前を挙げられるとは思っていなかったのだろう。御代は視線を動かし、その名前を記憶の中から探しているようだが、見つかるはずがない。「緑谷優希」その名を知るのは、学校ではおそらく、阿竹と俺と、うちのクラスの担任くらいのはずだからだ。
やや困惑する御代を尻目に、続いて阿竹の質問。
「幼稚園の頃、あなたと一ノ瀬君が好きだった共通の遊びは何?」
ここでピンポイントに攻めてきた阿竹。だがこれはギリギリの質問でもある。御代の好きだった遊びを聞くのは無論セーフだが、そこから一歩進めて『共通の』となると、俺が好きだったかどうかを確認できない今、確たる自信が無ければ答えられない質問だろう。
だがここまでしてきた会話から、御代の場合、こと俺に関しては妙な自信を持っていると踏まえていると判断しての質問。ここで曖昧な答えは帰ってこないと見切っている辺り、第一の質問の効果が出てきたと見える。
御代は再び答えに困るかと思いきや、ここは意外に即答。
「一緒に本を読む事。私が一番好きなのはままごとだったが、隆志はままごとは嫌いだった」
確かに、正確な答えだ。俺は本を読むのが好きな子供だった。後半は必要の無い答えだが、少しだけ、阿竹に嫉妬の念を植え付ける程度の効果はあったようだ。
「随分と余裕ね。どんな本を読んでたのかしら?」
「それに答える前に私の質問だ」
勢いに乗せて聞こうと思ったのが失敗したと言うよりは、そこまで期待はしていなかったが、わずかでも可能性があるから仕掛けてみた程度だろう。
次は御代の質問だが、ここが一つの分かれ道だ。御代は今の所、少しづつ解答には迫っているものの、先の質問で全く知らない人物の名前を挙げられてしまった事により、その人物について相手から情報を得なければいけなくなった。下手すれば、『緑谷優希』の素性を把握するのに何個も何個も質問を消費させられかねない状況。そこまで悠長な事をしていれば、その隙に阿竹は確実に答えへと迫る。だが、阿竹と俺が知っていて、自分が知らない情報を得るという考え方をすれば、着眼点は間違っていない。
別方向から探すべきか、それとも『緑谷優希』に関して深く調査するか。御代の判断は、一体どちらか。