六.質問と回答と開放
御代が次の質問を決めかねている間に、俺が二人の今の状況を正確に分析してみよう。ここまで観察してきた二人の情報は完全な思考トレースを可能にするくらいには蓄積された。はずれは万に一つも無い。
まずは阿竹側。御代と俺の接点を例の絵本として絞りきっているあたりは、流石と言うべきだ。その結論に至らしめた根拠はいくつかある。順序だてて理論を組み立てていこう。
前提として、御代と俺は幼馴染であり、同じ幼稚園に通っていた事。これは阿竹の第二質問で確定され、理論の中核部分を支える土台と言える。そしてヒントの『きっかけ』を、『知り合った』きっかけではなく、『仲良くなった』きっかけだと決めてかかっている点。これは、御代の口ぶりから判断が可能である。御代は俺への愛情に対し、最初から絶対の自信を持っているが、それが今の所一方通行である事も理解している。自分の感情は確かだが、相手である俺の感情が不透明な状態と言える訳だ。
もしも、俺との出会いが記憶に残るくらいに強烈で、運命的な物であれば、少し態度は変わっていたと考えるのが自然。よって『知り合った』きっかけはごく平凡な物であり、記憶に残っているかどうかも分からない物、すなわちこのゲームのキーワードとして出すはずがない。
よって『仲良くなった』きっかけがキーワードに関連している、という結論に帰結する。
第三の質問、『共通の遊び』で、直接的に仲良くなったきっかけを探りにきた。これは実に的確な質問だと言える。わき道にそれず、ひたすら真っ直ぐ。阿竹の性格そのものを表しているようだ。
そして、御代の解答によってそれが『絵本』だと決まってから、阿竹は詳しくその本を聞き出した訳だが、それこそが今回で一番のファインプレー。ともすれば凡手に見えるかもしれないが、先ほども述べた通りこれはなかなか出来る芸当ではない。なぜならば、『絵本』は『御代だけが知りうる』一方的なヒントではないからだ。
そもそもこのゲームは、『自分しか知らないヒント』を、お互いに探りあうゲーム。一般的な絵本であれば、それは出版社から発行されたものであり、タイトルを教えてしまえば、その内容を相手に熟知されている事が十分に起こりうる。よって、絵本の中にヒントを隠す事は、ありえるはずがない。と、いうのがそのままそこに隠す理由、盲点となるのだ。これは、このゲームの公平性、ひいては俺に対する信頼があってこそ成り立つ理屈である。御代と俺は共通して絵本を読むのが好きだった。しかし絵本をヒントに出すはずはない。なぜなら、私がその絵本を読んだ可能性があるから。しかし例外が一つだけある。
なぜ、俺は絵本にヒントを隠したのか。答えは実に簡単だ。
今俺の手元にあるこの『絵本』が、俺と阿竹しか知りえない絵本だったからである。
つまり、この絵本の作者は、俺だ。幼稚園児の頃の俺だ。
阿竹はそこまで考えていたという訳だ。考えた上で、絵本を掘り下げにきた。根拠はおそらく、阿竹自身が先程に述べていた、俺を好きになった理由の中に含まれている。根拠となっているのは、この台詞。
『そう、一ノ瀬君は天才だと思うのよ私は』
阿竹は俺の、創作する事が好きな性格をかなり高いレベルで理解していた。そしてそれが成長するにつれて培った物ではなく、天性の物であるという事も十分理解していた。だからこそ、御代の口から『本を読む』という言葉が出た時点で、『それは誰が作った物か』という発想に移れたのだ。
積み重ねた理屈の塔の上に、第四の質問は成り立っていたのである。
そしてこれは予想というよりは、予言に近い。次の阿竹の質問はこうだ。
「その話の結末は、どうなるの?」
御代がこの質問に答えた時点で、御代側の情報は出尽くした事になる。御代と俺しか結末を知らない絵本。であるならば、ヒントはそこにあるはずだ。
が、これがイコール勝利と繋がらないのが、俺の張り巡らせた戦略という事だけはあらかじめ示しておこう。
さて、一方で御代側も考察していこう。
現状、御代はいつもよりも動揺している状態である。それは阿竹が積み重ねてきた揺さぶりの攻撃に起因する物でもあり、予想以上に阿竹が本気だった事を知った事もあり、その上、見ず知らずのライバルが突如として登場してきた事も影響している。おそらく、注意力、考察力は普段の半分の能力も出せていない事だろう。
今どうにか御代を支えているのは、何としても負けたくないという意地から来る、閃きだけ。だがこれが大きな武器となり、阿竹に迫っている。
御代にとっての鍵は、間違いなく『緑谷優希』の存在だろう。そこに辿りつき、また、苦手なパソコンを使ってうまく情報を引き出せた事は、発想と応用の練磨に他ならない。しかし後一歩、阿竹が意図的に隠している情報を探り当てなければ、御代に勝利の可能性はもたらされない。七対三、いや、八対二といった所で、御代の不利は続いている。
御代が見破らなければならない阿竹が取り繕っている虚偽。その焦点は即ち、いかにして緑谷優希と俺をめぐり合わせたか、である。そして原点に立ち返り、『きっかけ』の言葉を思い出せば、あるいは、たどり着きうるかもしれない。そして手番は今、御代にある。
話は、モニターの中に戻る。
いよいよ、御代が第五の質問を繰り出す時だ。
「……ひとつ、提案がある」
自分の不利を悟り、何らかの策を打つのだろうか。と、俺は予感する。
「今更何?」
至って冷たく問う阿竹。勝利が近い事を確信している証拠だ。
「現状、私にはどうにか話が見えてきた所だ。一方でお前は、核心に迫りつつある」
「それがどうしたの?」
「それを踏まえた上での提案なのだが……ぬいぐるみの回答権を、お互いに強制的に回していかないか?」
「……どういう事?」
「つまり、私が質問し、お前が答え、そうしたら、私は何も分からなくても、そのクマのぬいぐるみに答えを言う。次にお前が私に質問し、私が答えたら、お前もぬいぐるみに答えを言う。ようは、最初のどちらでもいい回答権を、あらかじめ交代制に変えないか、という事だ」
このタイミングでこの提案。冴えてはいるが、やや遅い。これを果たして阿竹は受けるかどうか。
「もしも仮に、どちらかが質問の答えを言い終わった途端、どちらも回答に気づいてしまった場合、すぐにぬいぐるみの取り合いが始まるだろう。先に言っておくが、そうなったら私は絶対にぬいぐるみを離さないぞ。多分お前も絶対に離さない。そして耳を互いに引っ張って、同時に同じ答えを言ってしまったら、勝負は引き分けになる。ここまでしてきた努力も水の泡だ」
御代が口で戦っている。それだけ必死、という事か。
「もしかしたら最悪、ぬいぐるみが壊れてしまう可能性さえある。何せ精密機械だ。私達の手では直せないし、閉じ込められてしまうかも」
「それはないわ。ドアは外から開くと言っていたし、一ノ瀬君の口ぶりだと、そういう不測の事態が起きたら、すぐにこの部屋にこれる位置で、私達を監視しているはず」
冷静な答えだ。御代の口車で阿竹を運ぶ事は難しいだろう。
「なら、今奪い合いをしておくか?」
「あら、そんなに自信があるようには見えないけれど?」
目と言葉で、バチバチと見えるような火花が散っている。こんな事を、どちらかにでも聞かれたら事だが、今のような二人を見るのは、正直言って楽しい。
なんというか、生きている感じがするのだ。この感覚は、何かを創りあげるあの時の感覚に似てる。
「どうしたら、この条件を飲み込んでくれるんだ?」
御代が阿竹にそう尋ねた。もう随分と折れている方だ。
「そうねそれじゃあ……私が今、先に一回答えを言わせてもらえるなら、良いわ」
御代は考えている。この条件を提示してきたという事は即ち、確定まで及ばずとも、阿竹は大体の所にあたりをつけてきているという事だ。それでもすぐにぬいぐるみを引っ張って答えないのは、万が一外した場合、次の御代の質問が危うい可能性を秘めている。難しい判断だろうが、ここは答えは一つしかない。
「分かった。良いだろう。先にお前が一回ぬいぐるみに答え、そのあと私の質問。そして私の質問に対するお前の解答。それから私がぬいぐるみに答えるという順番だ」
「ええ、分かったわ」
客観的に見てみると、阿竹にとっては破格の取引である。先に述べた、ぬいぐるみの奪い合いによる損傷や、引き分けの可能性は、丸々阿竹にも言えた事。このリスクを回避しつつ、回答権を一度多く得られた。
とはいえ、御代にとってもこれは生命線である。奪い合いになった時、制するのは恐らく運動神経の良い阿竹。御代の合気道は、他人を傷つけ何かを奪う為の技術ではない。不利な状況ではあるが、阿竹が解答をミスした後、次の御代の質問が成功すれば、一気にチャンスはやってくる。しかも、阿竹は一度間違っているので、お手つき。つまり、考える時間はたっぷり与えられるという事だ。いつ阿竹が答えにたどり着くか分からない、ギリギリの状況よりは、いくらかマシに思考回路が働く事だろう。
この取り決めは、両者にとってそれぞれ別の得があり、別の損がある。
「それじゃ、私が答えを言わせてもらうわ」
阿竹がぬいぐるみを掴み、両耳をつまんで引っ張り、こう言った。
「『森』」
静寂。ドアは開かない。
「違う、みたいね」
阿竹は少し残念そうに呟いた。本当は少し所ではないが、少しで済ませている所が阿竹らしいといえばらしい。これで全くくやしくなさそうにしても、それはそれで演技くさい。
「なあ、もしかして、」
御代は阿竹を見つめ、大真面目な顔で訊く。
「絵本の森と、ひきこもりの『もり』をかけてると思ったのか? 駄洒落じゃあるまいし、隆志がそんな幼稚な仕掛けはしないだろう」
まさに図星。阿竹はフンと鼻で笑って、御代を急かした。
「あなたの質問の番よ。早くね」
気のせいか、阿竹は先ほどから少し焦っている様子がある。立ってみてもうろうろと部屋を歩き、ベッドに座っても座りなおしが多い。何を焦っているのだろうか。状況は以前、阿竹有利なままである。
だが、その有利も、この質問で吹き飛ぶ可能性が大いにありうる。御代がどこを突くのか。俺はモニターに集中する。
「少し考えさせてもらいたい」
「……早くしてよね」
確かに、ここでは御代に時間が与えられればられるほど、阿竹は不利になる確率が高い。が、キーワードを答える交代制はあくまでも俺が課したルールである。一方が間違えなければ、もう一方は答えられない。常に一人のみが回答する権利を有している。今、答えを間違えた阿竹は、御代が間違えるまで答える事が出来ない。
俺はふと、モニターの時計を見た。二人が俺の部屋に入ってから、既に一時間半が経過している。俺の予測では、一時間程度でどちらかが答えにたどり着くと思っていたのだが、余計なやりとりが俺の予想以上に多かったようだ。
「むう……」
御代はまだまだ考える。ついに阿竹が小刻みに貧乏揺すりを始めた。相手を焦らせる戦略、とも取れるが、ただ単にイライラしているだけとも取れる。
「よし、質問を決めた」
「早くして!」
悲鳴交じりに阿竹が叫んだ。何だかこれは、ただ事ではない気がするが、ゲームも終盤、ついに決戦の時となって、興奮していると解釈しようと思えば出来なくもない。
「隆志を最初に緑谷優希の家に誘った時、お前は隆志に何と言った?」
その瞬間、阿竹の揺れがピタリと止まった。じっと御代を見つめ、心の底から驚いている。
この質問、俺が一言で評価すれば、『素晴らしい』だ。
さて、この質問に至った御代の考えを、例のごとく一度トレースしてみよう。
メールの内容から、俺と緑谷の接点は御代である事が分かった。だが、どういう経緯で会う事になったのか、その経緯はメールには書かれていなかった。しかしながら、『会った事』『繋がりが阿竹』である事から、ある程度の予想は立てられる。
御代のした質問について、別の角度から考えてみよう。緑谷優希と俺、どちらから会いたいと願ったかについて。
まず俺から会いたいと願うパターン。これは俺が引きこもりに興味を持ったとして、同じクラスに重度の引きこもりがいる事を知って、という順番を経てから「会いたい」と思うはず。だがこの場合、俺はわざわざ阿竹を通す必要が無い。住所なら担任から教えてもらえるし、引きこもりの説得に行くのに学級委員の許可が必要という決まりは存在しない。
逆に、緑谷の方から俺に会いたいと願うパターン。接点が謎といえば謎だが、それはひとまず置いておいて、緑谷がもしもそう願ったのなら、自らの幼馴染である阿竹に、俺との面会を依頼するしか、それを叶える手段は無い。
という事は、俺と緑谷が阿竹を通じて会いうる可能性は、まず緑谷が阿竹に依頼し、阿竹が俺にそれを伝え、俺が承諾し、会いに行くしか無い訳だが、果たして俺がそれを受諾するかどうか、だ。
緑谷が俺と会いたいと願う事はつまり、緑谷が以前から俺を知っていたという事である。知っていて、なおかつ興味があったために、そう願った訳だ。ここで問題になるのは、果たして阿竹が俺にそれを正確に伝えるかどうか。
阿竹にとっての得とはこの場合、緑谷優希という存在を使って、俺との接点を作る事。それプラス、緑谷優希の引きこもり脱出が実現できれば、学級委員としてこの上ない収穫となる。だがこれは諸刃の刃でもある。俺が緑谷優希に対して興味を持ち、それが一定以上を超えれば、緑谷が俺を恋人にと望んだ場合、それが実現する可能性が出てくる。俺の事が好きな阿竹としては、この現実は何としても避けたい。
そしてここで阿竹が作る策の材料となるのが、緑谷の性格。引きこもりは大抵そうだが、緑谷は言ってみれば至極内向的な性格である。例え俺と会い、言葉を交わせる程度の間柄になるにせよ、告白まで至るには時間がかかると判断するはずだ。だからこそ、先ほどのメールでの告白文を見た時、阿竹は驚いたのである。
つまり、阿竹さえ俺に伝えなければ、緑谷の抱く恋心は、しばらくの間秘められたままになる。俺を誘う時に、緑谷が俺に会いたがっているという情報を隠せば、これは簡単に実現可能という事。
『隆志を最初に緑谷優希の家に誘った時、お前は隆志に何と言った?』
この答えによって、多くの事実が明らかになる。特に阿竹が隠したがっていた事が、はっきりと明らかになるのだ。
阿竹は一度カメラの方を見て、御代の方を向き直し、観念したようにこう答えた。
「『一ノ瀬君、いつもつまらなそうにしてるけど、重度の引きこもりって興味がある? もしもあれば、今日その人の家に行くんだけれど、ついてこない?』と、私は言ったわ」
確かに阿竹は真実を言った。かなり前になる自分の台詞を一字一句覚えているあたり、なんとも恐ろしい人間だ。
これで、御代が積み重ねてきた考察というパズルの、最後の一ピースが埋まったはずだ。
御代はただ無言のまま、勝利の笑みを浮かべもせず、かといって、まだ答えに迷っている様子も見せず、阿竹からぬいぐるみを受け取った。そして両耳を引っ張って、しっかりとした声で言った。
「『友達』」
少しの間があり、二人が唾を飲み込む音が聞こえた。そして、俺の部屋のドアは開かれた。