七.第三の女子
これから後半戦に入る前に、少し前半戦を振り返ってみる事にしよう。
俺は仮病を使って学校を休み、阿竹宮子、御代真理の二人を家に呼び寄せた。そして俺の部屋に閉じ込め、あるゲームを事実上強制させた。理由は、とにかく俺が二人の裏側の顔まで観察したかったからである。
二人は俺に惚れており、それを活用しない理由は無い。二人に回答用の黒いクマのぬいぐるみと僅かなヒントを与え、この長い腹の探り合いは始まった。
俺がいない俺の部屋に入ってきたという事もあって、少し舞い上がり気味の二人だったが、ゲームが本格的に始まれば様子は一変。少ない言葉を通じてその裏にある大きな情報が行き来し、新たな取引、取り決めを追加しながら、二人は懸命に戦った。一問一答交代制がその最たる物だろう。この決まりにより、二人は正しい情報と間違った情報の判別がつき易くなったのである。
そして御代の五つ目の質問を前にして、阿竹が痛恨の誤答。が、その時点では阿竹の有利は揺るがない。だが、御代の五つ目の質問が、俺や阿竹の想定していた物よりも的確であり、御代はそれなりの自信を盛っての回答と相成った。
「『友達』」
御代の『気づき』は武器になる。と、俺は確かに言ったが、その武器は諸刃の刃だった。御代は少し進みすぎた。俺と阿竹の『きっかけ』から、阿竹と第三の女『緑谷優希』の『きっかけ』にまで足を伸ばしてしまったのである。
『友達』。それは、残念ながら不正解だ。
しかしながらドアは開かれる。もはや運命的なタイミングとも言えるだろう。阿竹と御代が部屋で丁々発止やりあって、俺がそれを観察している間にも、やはり地球は回っていたのである。
同じ時間。とある少女の中で、心境の変化が起きていたらしい。
開いたドアの隙間から、俺と阿竹にとっては見覚えのある顔が覗いた。
『緑谷優希』その人である。
「あの……」
まるでブラックホールの中のように、完全に硬直する阿竹と御代。そこにいるはずのない人物がいたのだ。言うなれば死体が起き上がった時の感覚によく似ている。
一番最初に俺が説明した通り、改造した俺の部屋は、外からは簡単に開くように出来ている。これは不慮の事態に備え、安全性を考慮しての事だったが、それが思わぬ出来事を発生させてくれたようだ。
「良かった! あなたついに家から出られたのね! 来週からは学校もきてくれる?」
阿竹は立ち上がって手を一つ叩いて喜んでいたが、決して緑谷の方には近寄らなかった。笑っているように見えて眼は笑っていない。緑谷は首を横に振って答えたが、声がうまく出ない様子だった。その様は何かの小動物が天敵に怯えているようで、この場合、阿竹が天敵というよりは、自分の部屋以外の存在が全て天敵と言った方が多分正しいだろう。
「一ノ瀬君を探しにきたんでしょ?」
続けて阿竹がそう問いかけた。緑谷は頷き、阿竹は真っ白な微笑みを讃えてこう言う。
「一ノ瀬君はこの部屋にはいないわ。今少し別の所にいるのよ。いつここに来るかも分からないから、探してきたらどう?」
ギリギリ嘘はついていない。だが、裏のある台詞だった。ドアは半開きのまま、そこから閉まりも開きもせず、緑谷は少し潤んだ瞳で御代を見る。二人は初対面のはずだ。だが、御代は緑谷が俺に好意を抱いている事を知っていて、一方で緑谷は御代が俺の幼馴染な事も知らないはず。
「緑谷、と言ったか。先ほど、メールを見させてもらった」
傍目から見ても明らかに接触を避けようとする阿竹と正反対に、御代は真正面から迎え撃つ構えのようだ。阿竹が御代の方を振り向き、僅かに睨んだ。その隙を突いて、緑谷は俺の部屋に入り、あっという間にドアを閉めたのである。
ガチャリ、と音をたてて鍵が閉まった。ドアは再び閉じられ、俺の部屋に閉じ込められた女子が二人から三人に増えた。
「ゆ、優希。どういう事?」
阿竹が緑谷を呼ぶ時は下の名前で呼ぶ。阿竹と緑谷は、小学校の時からの同級生だからだ。
「えっと……」
俺が緑谷の家を訪れた時も、緑谷はよく言葉に詰まり、話はなかなか前に進まないのだが、阿竹曰く二人きりの時は、もう少し喋ってくれるらしい。他人に対し何かを言うという行為が、緑谷にとっては努力の対象なのだ。
「わ、私、その……」
「ゆっくりで良いぞ」
と、御代が強い口調で言った。御代なりに気を使ったつもりだろうが、その言い方では緑谷にとっては逆効果だろう。気を使われている、と意識する事で、緑谷の脳はより硬化する。
「は、はい、すいません……」
案の定口をつぐんでしまったようだ。それを見て、阿竹はこう言う。
「少し落ち着いて話せるようになったら話しかけてね。その間に、こっちでいくつか確かめたい事があるから」
長年の友人というのもあって、流石に扱いには多少慣れているようだ。言葉を待たれるという状況そのものが、緑谷にとってはかなり辛い事である事を、阿竹は重々承知している。
阿竹はまず、カメラの方を向いてこう言った。
「結局さっきの御代さんの答えは合っているの? それとも、優希がこの部屋に入って来たのとたまたまタイミングが合っていただけ?」
俺はどう答えるかどうか少し迷って、方向性を決めた。どんな時もより面白い方に転がる方が、俺にとっては望ましい。スピーカーのスイッチをオンにして、そっけなくこう言った。
「確かめてみたらどうだ?」
阿竹がぬいぐるみを見た。そして掴み、両耳を引っ張って、『友達』と言った。超がつくほど上から目線の俺の挑発に乗ったのか、阿竹としてはやや思慮に欠ける行為だった。御代が誤答した今、回答権は阿竹にあった。これでまた回答権は移ってしまう。
その上、当然ドアも開かない。
「……間違いだったようね、御代さん」
御代はそれに答えず、そっと緑谷の横顔を眺めている。緑谷は、胸に手をあてて、静かに深呼吸しているようだ。
その間に、御代が『友達』と言った理由を俺なりに考えてみよう。察するに、おそらくこうだ。
まず絵本の話が大前提にある。俺の書いたこの絵本は、森のパンダと仲間達が、協力して人間を追い払うという筋書きだった。一方で、阿竹が俺と最初に言葉を交わしたきっかけが、緑谷優希という存在だった。五つ目の質問の答えから、緑谷優希が元々、阿竹と何らかの関わりを持っていた事に気づいたのだろう。そしてこの二つの事象の共通点が、『友達』だと判断した。森のパンダと『友達』。阿竹宮子の『友達』緑谷優希。
更に、俺の出した第二のヒントも少し関わっていると、俺は見ている。
御代がちょうど良く、阿竹の方に向き直り、しっかりとした口調でこう述べた。
「隆志が出した第二のヒントは、『部屋の中にあるもの』だった。だけど、この部屋は殺風景で、普段とあまり変わらない。ヒントになりえそうな物と言えばこのクマのぬいぐるみくらいの物だな、と私も最初はそう思った」
御代が淡々と続ける。
「だが、それが盲点だった。この部屋には、いつもこの部屋には無い物がもう一つある」
一息つき、阿竹がまるでどこかの名探偵のように真っ直ぐと指差したのは、阿竹だった。
「お前だ」
真犯人を言い当てられたような阿竹は、鼻で笑って、「あなたもね」と返したが、御代は動じない。
「それで、私はお前について考えてみた。そして至った結論が……『友達』だった」
阿竹はそれを聞いて、激しく動揺していた。しどろもどろになりながらも言葉を紡ぐ。
「な、何をいきなり。そんな事言って惑わせようたってそうはいかないんだからね。ま、まあ少しくらいは、仲良くしてあげてもいいけど……」
阿竹はそわそわとしている。
「……何を言ってる? 私と隆志が恋人になったら、お前は隆志にとって『友達』だと言っているんだぞ」
阿竹の顔が見る見る真っ赤になっていく。あえて補足すると、クラスのリーダー的存在ゆえに、普段クラスメイトと一枚透明な壁を挟んでいる阿竹は、あまり親しい友人が出来ないのが悩みの一つらしい。『友達』という言葉は、正解ではなかったが、阿竹にとっては弱点のキーワードだったという事だ。
「うるさいわね! 分かってるわよそんな事!」
ヒステリックに叫ぶ阿竹に、御代が若干引いている。
「と、とにかく、正解がまだ出ていないと言う事は、このゲームは続行みたいね」
気を取り直して阿竹がそう言った。御代は深く頷いた後、カメラの方を向いて言った。
「ところで隆志、今阿竹がぬいぐるみに答えを言って間違えたが、それが同じ答えであっても、回答権を一回分消化した事になる。と、判断して良いのか?」
俺はマイクのスイッチを入れ、答える。
「ああ、今阿竹には回答権が無い」
「え!? 私はただちゃんと答えを確かめるつもりだったのよ!?」
阿竹は更に激しく動揺しながら叫ぶ。
「御代が間違え、解答権は阿竹に移った。その後で緑谷が偶然部屋に入ってきた。次に回答権を持った阿竹が間違えたら、回答権が失われるのは当然の理屈だ」
「そ、そんな……」
驚愕し、明らかに落ち込む阿竹。それを見ながら、勝ったと言わんばかりに、御代がぬいぐるみを阿竹から奪った。俺はただただ純粋な親切心から、それを止めてやる。
「待て、御代。お前にも回答権は無い」
御代も阿竹と同じくらい驚愕し、カメラを見た。あちらからは見えないはずなのに、モニターを通して正確に俺の眼を見ているようにさえ感じる。俺は毅然とした口調で続ける。
「最初に言ったはずだ。回答は交代制。最初の一回を除き、常に誰か一人が回答する権利を有している。そして解答を間違えたら回答権を失う」
「だ、だから、阿竹が間違えたから、次は私の番ではないのか?」
若干の間を置いてから、俺はこう言う。
「その部屋にはもう一人、人がいるじゃないか」
先ほどからずっと沈黙を守り、胸に手をあててゆっくりと深呼吸をしていた人物に、二人の視線が集まる。
「途中参加は認めない。とは、俺は言っていないぞ」
新たな火種を部屋に放り投げて、俺はマイクの電源をオフにした。
緑谷はヒッと息を飲み込んで、二人の強烈な視線から目を逸らした。
「心配しないで優希。そのクマのぬいぐるみの耳を掴んで、『ギブアップ』と言うだけでここから出られるわ」
御代の持ったぬいぐるみを指差して、阿竹が満面の笑顔で言った。御代はゆっくりと近づき、ぬいぐるみを緑谷に向かって突き出した。緑谷は、それを恐る恐る受け取った。
「あ、あの……」
二人が言葉を待つ。それが苦手である事を分かっていても、ここは緑谷が喋らなければ話が進まない。
「わ、私は……」
ゆっくりゆっくりと、言葉を紡いでいく緑谷。
「私、カメラの用意とか、あとマイクとか、その、モニターとか。色々準備を手伝ってて……あ、一ノ瀬さんから準備して欲しいって言われてて、それで私してて……」
緑谷は機械工作が得意で、任せて間違いは無かった。無論、資金は俺が出したし、ある程度手も加えたが、特に音声関係は緑谷の知識なしでは到底実現できなかったであろうくらいにすこぶる快適だ。
「一ノ瀬さんはカメラを使って何をするか教えてくれなかったけど、その、準備したカメラとマイクの台数とか、映像を転送する方法とかで、なんとなく分かって……」
隠していた訳ではないが、あえて言う必要も無いから言わなかった。いや、むしろ俺は心のどこかで、今まさに起きているこの展開を望んでいたのかもしれない。
「それで今日、ここに来てみたけれど、チャイム鳴らしても誰も出てこなくて……」
妙だな、と俺は思った。チャイムが鳴れば、いくら激闘中の二人でも気づくはずだ。俺の方は、六台のモニターが全て部屋の映像に切り替わっていたため、外及び家の中の別のカメラは見えなかった。しかし二人と同じく、音がすれば流石に気づくはずだ。確かチャイムは壊れていなかったはずだが、一体どういう事だろうか。考えられる可能性は、突然チャイムが壊れてしまった。あるいは、緑谷が嘘をついているか。前者の可能性は限りなく低いが、後者の可能性も、緑谷という人物を査定に入れると同じくらい低い気がする。
「それで、失礼かもと思ったんですど、入ってきてしまったんです……」
そう言って、緑谷がかもし出すお通夜みたいな空気を切り裂くように、阿竹がこう尋ねた。
「……分かったわ。それで、優希はどうしたいの?」
「阿竹、そういう言い方は気の毒じゃないか。それに、私達はまだ何の説明もしてない」
「わ、分かってるんです!」
御代のフォローを遮って緑谷がそう叫んだ。思わず大きな声を出してしまった事を恥ずかしがっているのか、顔を赤らめながら、背負ったリュックの中から、小さい無線機のような物を取り出した。
「それは、何?」
「こ、これはその、傍受装置です……」
なるほど、してやられたようだ。俺が部屋に仕掛けたマイクは、電波で音を飛ばすタイプ。そしてそれを緑谷は知っている。当然の事だ。リアルタイムで監視が出来るそれを薦めたのは、他の誰でもない緑谷本人だから。
「この部屋を、最初に脱出した人が、一ノ瀬さんの彼女になれるんですよね……?」
第三の女子緑谷が、俺の部屋を訪れたのはそれなりの覚悟を伴った行動らしい。
「隆志の事だからそれが本当であるかどうかは微妙だ。ただ、私達の行動を見て楽しんでいるだけかもしれない」
ごもっともだが、御代に言われるとなんだか腑に落ちない。今日、俺が付き合う相手を決めるとは言ったが、このゲームはあくまでもそれを判断する素材の一つにしか過ぎない。確かに俺はあらかじめそう言っておいたが、もしも御代が一番にここを脱出できたとして、俺がそれでも阿竹を選んだら、御代が俺を後ろから包丁で刺す可能性は大いにある。だから、今御代の言った言葉が、正しいわりに妙に納得できない物なのだろう。
「それでも良いです……。一ノ瀬さんが楽しんでくれるなら、私も楽しいですから……」
それを聞いた御代は口をへの字に結んで、引き下がった。今度は阿竹がずいと前に出る。
「つまり、優希もこのゲームに参加したいって事?」
核心をつく阿竹の質問に、不安げな瞳ながら、しっかりとした口調で、緑谷は答えた。
「……はい」
「だが、一つ問題があるぞ」
再び御代が迫る。段々と三人の距離が近くなっていく。
「ぬいぐるみに設定された答えは、あくまでも私と阿竹と隆志の『きっかけ』に関する事だ。緑谷が隆志と知り合ったきっかけは阿竹を通じてなんだろう? ゲームに公平性が無くなってしまうじゃないか」
確かに、御代の言い分は正しいが、これには裏がある。
「えっとその、違うんです。私と一ノ瀬さんが知り合ったのは、宮子ちゃんに一ノ瀬さんを呼んできてとお願いするより前なんです」
これは阿竹も初耳だろう。御代はそれを聞いて、じっと阿竹を見つめる。話の流れからは逸れるが、今の緑谷の発言は御代にとって値千金の物だったかもしれない。
「一ノ瀬さんにはもう話をしてあるんですけれど、私、中学生の頃に一ノ瀬さんに助けてもらっているんです」
「どういう事?」と、阿竹。
「今は詳しくお話できませんが、一ノ瀬さんは私にとって命の恩人なんです」
「人の話は盗聴しておいて、自分の事は話せない、か」
珍しく御代が皮肉を言った。随分と気に障っているらしい。
「す、すいません! で、でも、それで私、一ノ瀬さんをずっと盗聴してたんです」
確かにこれは事実だ。俺の部屋には一年前から盗聴器が仕掛けてあった。俺は早くに気づいていたが、わざと放置していたのだ。趣味の悪いストーカーがいたものだ、と思いながら俺は普通に生活を続けた。別に聞かれてまずい事は、特に無かったからである。
「ちょ、ちょっと待って優希。盗聴ってあなた……」
「だけど、一ノ瀬さんにはとっくにバレてました……。初めて宮子ちゃんが一ノ瀬さんを私の家に連れてきた日の夜、一ノ瀬さんは盗聴器ごしに私にこう言ったんです。
『この盗聴器の事、阿竹には秘密にしてやるから、少し協力して欲しい事がある』って」
「それで今日の準備を手伝わされた、という事か」
御代の言葉に、緑谷が大きく首を振った。
「私は一ノ瀬さんの力に少しでもなれればと思って協力したんです」
怒涛のごとく明らかになる事実に、阿竹は軽い眩暈を引き起こしたようだった。一度緑谷から離れ、ベッドに座る。
「全く、変人だらけだわ」
そうボヤくと、御代が「お前もだろ」と言うような瞳で阿竹を見ていた。
「えっと、それじゃあ私、答えても良いですか?」
「駄目よ」「駄目だ」
二人が声を揃えた。仲が良い事は実に良い事だ。
少し慣れてきたかと思いきや、再び怯え始める緑谷。
「隆志、私たちがこんなの納得できると思うか?」
「この神聖な戦いに途中参加なんて認められるはずがないわ!」
猛烈な勢いでカメラに向かって苦情を申し上げる二人は、これまでのどの場面よりも一致団結していた。
「しかも緑谷は我々の会話を聞いていたんだぞ。圧倒的に有利すぎる」
それはどうだろうか。元々自分の持っていたキーワードを相手から隠すゲームでもあった為、一概に第三者が有利だとは言えないと思うが、まあそれを基に反論した所で御代も阿竹も納得はしてくれないだろう。
「大体、さっき優希がこの部屋に入って来た時に、私たちは出ようと思えば出れ……あ、」
阿竹が言葉に詰まった。どうしたのだろう、俺はモニターの中の阿竹に注目する。
「どうした?」
「う、えっとその……」
体をクネクネとうねらせて、カメラと御代と緑谷を順番に見ている。本当にどうしたと言うのだろうか。この動揺のしようは、御代に最初の質問を投げかけられて以来だ。先ほど、俺のした挑発に乗ったのも、普段の冷静沈着な阿竹宮子像からはかけ離れた行動だった。何か明確な理由があるはずである。
「ほら、ここにきて結構時間が経ってるじゃない? だから、これは仕方の無い事のなのよ」
御代は疑問符を浮かべ、阿竹はますます顔を紅潮させる。
「じ、実はね、優希が部屋に入ってくる前から、そろそろやばいな、とは思ってたのよ。今の今まで忘れてたんだけど……」
「まさかお前……」
補足、人間には『生理現象』という抵抗不可能な制限が存在する。