ガルの告白から早一ヶ月、ガルの年の離れた兄であり現在この村の村長であるコールとの話は何の問題もなく終わった。ハッキリ言って拍子抜けもいいところだった。最悪の場合二人で駆け落ちする話まで考えていただけに、ここまで二人の仲をすんなり認めてもらえるとは思わなかったのだ。今はガルと二人夫婦として私の家に住んでいる。国の状況が状況なだけに、とても裕福とは言えない暮らしではあったけれど、間違いなく私は幸せだった。そう、私は幸せだったのだ。だからこそ、その時私は気付きもしなかった。ガルの兄であるコールが私たちの婚姻を祝福する裏で、どんな策謀を張り巡らせていたかなんて…。
その日、私はいつもと同じように森に出かけて狩りを行っていた。森の中を30分ほど進んだところで私は異変に気付いた。肉食の獣が出るかもしれないこの森で、人間の足跡を見つけた。しかも複数、恐らくは5~6人といったところだろう。ここは本来、村人たちは足を踏み入れない立ち入り禁止区域だ。たとえ村人でなかろうとこんな道もない森の中を移動する人間など狩人以外いないはずだ。その足跡を見つめ、考え込んでいた私は背後から迫る男の気配に気づかなかった。その数秒後、不意に後頭部に走る強烈な衝撃で私は意識を失うことになる。今思えば彼らもある意味狩人だった。ただ私と違って、狩る対象が獣ではなく人間であったというだけだったのだ。意識を失う直前に、私は男たちの言葉を断片的にだが聞くことができた。
依頼 おびき寄せるだけ 後は好きにしてもいい
これ以外には男たちの下卑た笑いしか覚えていない。私の意識はそのまま闇に落ちていった。
顔に水のようなものが当たって目が覚めた。後頭部を殴られた後遺症か、意識がはっきりしない。男たちの叫び声が聞こえる。辺りを確認しようと起き上がろうとするが、体は縄で縛られていて動くことはできなかった。顔にあたっていた滴が地面に落ちると、それが水ではなく血であるということに私は気付いた。その次の瞬間、鈍い音がしたかと思うと、叫び声の種類が一つ減った。その叫び声の中で、微かに獣のうめき声のようなものが聞こえてくる。
「ガァアアアアアアアア」
さっきより随分近くで獣の声がする。この状態では私は獣に食われてしまうだろう。せめて自分の命を奪う者の姿くらいは拝んでおこうと思い、縛られた体で無理やり体勢を変えた。目に飛び込んできた光景は壮絶の一言だった。おそらく私を襲った者たちだったであろうその死体たちは、手足をもがれて喉を引き裂かれ、はらわたを外気にさらしていた。散らばった肉片と血の海の中心に立っている獣の姿を見て私は絶句した。
「ガ、ガル…?」
その目には理性は宿っておらず、返事は返ってこなかった。どうしていいのかもわからず、私は只変わり果てた姿となったガルを見つめていた。そうしてガルを見つめてどれくらい時間が経ったのかはわからなかったけど、不意にガルの頭上に網が投げられ、ガルの体を絡め取った。
「よし、いいぞ。そのまま動けなくするんだ!」
無理やり押さえつけられるガルの口に薬品がしみ込んだ布が当てられると、抵抗がだんだんと弱くなっていき、やがて動かなくなった。ガルを捕えるための指示を出していた人物が近寄ってきてその姿がハッキリ見えた時、私は驚きを隠せなかった。
「義兄さん…?」
私の声を聞いて少し意外な顔をするコールは、私が横たわっているそばまで来てしゃがみ込むと話しかけてきた。
「生きていたのか。ふむ…。まあいいか、せっかくだから役に立ってもらおう。弟の大事な花嫁だからな」
そう言うとコールは私にガルと同じように、薬品のしみ込んだ布を口に当てて私の意識を奪った。
眼が覚めると私は牢屋に入れられていた。さっきのように縄で縛られてはいなかったので動くことはできたが、まだ後頭部がズキズキしていた。ふと気を失う前のガルの姿を思い出して、私は自分の体を抱きしめた。体の震えが止まらない。疑問と不安だけが頭を支配し始めた時、コールが牢屋の外に立っているのが見えた。
「義兄さん、これはどういうことなの?なんで私が牢屋に…。いえ、それよりガルはどうなったの?」
いまいち考えがまとまらないまま、私はコールに質問をぶつけた。コールは嘘のように冷静で淡々と話し始めた。
「…私の一族の義務のことは知ってるな?」
突然の返答に私は驚いたが、このままでは冷静に話をすることもできないので、コールの話の流れに乗ることにした。
「長男以外は一人で村を出なくてはならないというあれ?」
「それは嘘だ。皆この村から一歩も出てはいない」
意味がわからず私は眉をひそめるがコールは構わずに話を続けた。
「この村の財政状況は知ってるな?」
要領を得ない話し方に、私はいらついて声を荒げた。
「そんなの知ってるわよ!私が知りたいのはそんなことじゃない!!」
「そうだ、この村は皆知っている通りとても貧しい。故に私の曽祖父の代である提案が出された」
私の言葉を完全に無視してコールは話を続けた。
「皆の少ない資産を集め、それを資金としこの村でコトダマ使いを生み出し特権階級となって、この村を救うという計画が立てられた」
コールは私に話し続けた。コトダマ使いの力の源はあの禍紅石であるということ、禍紅石は5歳前後の子供の声帯にしか上手く融合しないこと、コトダマ使いの資質は子から親に受け継がれるものであること、コトダマを使うにはコストというものが必要なことを説明した。
「そして、この村で生まれたコトダマ使いとしての成功作がガルというわけだ」
「ガルが…コトダマ使い?」
「随分苦労したよ。コトダマの特性が生体を強制的に動かすものだとわかったところまではよかったが、コストがコトダマ使いの理性であることには皆頭を悩ませてきたからな」
私はハッとなってコールを睨む。
「コトダマを使用するにも理性が無くては皆言葉をまともに話せなくなるようでね。敵を操って使役するような高度なコトダマは使用できなかったわけだ」
「人体実験をしてたっていうの?しかも肉親を使って…!」
コールは私と目を合わせずに、床を見つめながら目を細めた。
「さっきも言ったが、コトダマ使いの資質は子から親に受け継がれるものだ。実際私たちは5人兄弟だった。ほとんどが異母兄弟だったが、ガルと兄弟の一人は同じ母から生まれていたのでガルは実験対象から外れていたのだがな…」
私は理解できなかった。こんなことを平然と話しているこの男の心が…。
「皆死んでしまった時にガルがちょうど5歳だったので私と父はガルに禍紅石を融合させ、特殊な教育を施した」
「特殊な教育?」
「いや、調教といった方が正しいかも知れんが…。まあそれはともかく、あいつの怒りの感情が高ぶった時に喉から獣のうめき声のような声を出す癖をつけさせた」
私はあの時の、獣のうめき声を思い出した。あれはやはりガルのものだったのだろう。
「コトダマなんていうが実際は少し違っていてね。コトダマ使いがコトダマを使う時に必要なのは、使用者のコトダマを放つという意思と、声、コスト、そして特性に準じた言葉だと言われているが、実際言葉が無くても効果はある。無論威力はやや小さくなるが、それに伴ってコストも減少する」
コールはにやりと笑うと、話を続けた。
「そして生体を強制的に動かす力を他者ではなく自分自身に使用することで、ガルは超人的な動きを実現させたわけだ」
あの惨状を思い出して私は言葉を詰まらせる。
「だが一つ問題があった。余計なところでコトダマを使わせないように、極力怒らないような性格に育てられたせいでガルはまったく怒らなくなってしまってな。力を使わせることができなかったのだ」
それを聞いて私は理解した。この男が何故私たちの中をすんなり認めたのかを…。
「あんた、まさか…!」
「そうだ。ガルに心の底から怒ってもらうために、君たちの仲を認め、傭兵を差し向けたのは私だ」
怒りで目の前がどす黒い何かで染まっていくのを感じながら私は全力で叫んだ。
「この、ひとでなしがぁあああ!!」
「そうだな。だが君の夫であるガルも、もはや心は人ではない」
鉄格子を握り締め、叫び続ける私を冷ややかな目で見るとコールは背を向けて歩いて行った。
「まだ君にもガルにも役に立ってもらう。自害するなら止めないがよく考えて行動することだ」
そう言ってコールはこの牢屋のある部屋から出ていった。叫び疲れた私の心の中には絶望しか残っていなかった。