ボクらに加護を。
まとめて読む
目覚めが悪すぎる。
朝から妹がドスを効かせた声で「おい、起きろミノムシ男。遅刻したいのか?」なんて起こしてくれたからだ。起こしてくれるのはとても嬉しいのだけど、言い方というのがあるだろうと心の中で呟くことしか出来ない俺はダメな兄貴のお手本にしてくれたまえ。
朝っぱらから卑屈な思いを胸に秘めているのを知ってか知らずか、妹は布団を被ったまま芋虫のように右往左往する俺の華奢な身体に素足で何発か蹴りを入れてくる。
「なんだよ、まだ六時三十分だろ。もう少しだけ寝かせてくれてもいいだろ?」
「パパが朝のスタートは家族揃ってないと機嫌が悪くなるの知ってるだろ?」
「くどいぞ妹よ。二度も言わすでない。お前の愛する兄上に暫しの安眠を与えよ」
「あっそ、んじゃ分かったよ。だったら私は兄貴がどうなっても知らないから」
やっと毎朝の鬱陶しいイベントから開放されたぜ!と内心は思っていそうな口調で俺の部屋を後にする妹の背中に一瞥をくれた後に俺は先ほどの兄と妹の心温まるハートフルウェイクアップイベントなど無かったかのようにベッドを降りてフローリングの床に足を着ける。妹がいる前で俺が起き上がれなかったのは、妹が俺を起こしに来る遥か以前よりもう一人の俺がお目覚め状態だったからなのだが、それを妹の前で白状しようものなら妹はもう一人の俺に対して攻撃の狙いを集中させるに違いない。
相手が君たちだから正直に打ち明けるけど、そんなことされたら俺は高校三年生にもなるのに朝からオネショをする自信で心が満ち溢れてしまう…っというか、ようするに俺はマゾヒストです。
我が家は親父が結婚当初にローンで購入した築20年の一戸建て住宅で二階には部屋が二つある。一つは俺の部屋、もう一つは妹の部屋になっているが、その間には海より深くて広い川がある。妹がいて羨ましいだって?お前は馬鹿や廊下!←これは誤字じゃないから勘違いしないでね。リアルに妹を持つ者の心情や心労をお前達は理解していない!妹は悪魔だ。詐欺師だ。変態だ。この三拍子を表面上は隠して外面だけは良いが、家の玄関を越えれば奴らは被った偽りのフェイスマスクを脱ぎ捨てて真の極悪非道な一面を俺のような繊細で天使のようにピュアなハートを持つ思春期の男の子達に遠慮なく晒してくるのだよ。
妹の使用済みの下着なんか汚物です。汚らわしい布でしかありません。
妹の使用済みの歯ブラシなんか汚物です。ただの燃えないゴミですから。
妹の使用済みのスプーンなんか汚物です。皿洗いは俺の役目なので無言で洗浄してやります。
おっと、長くなったけど俺は全世界の妹属性を持つ紳士諸君を敵に回すつもりはないので勘違いはしないでもらいたい。多分、俺の妹が悪女なだけだと思うんだ。うん、きっとそうだ、そうに違いない!
階下にコッソリと静かに足音さえも立てないように歩んでいた最中に、俺は親父に首根っこを掴まれてしまった。親父の顔に視線を這わすと極悪非道な表情をしていて今にも舌で俺の顔を舐め回そうとしているような、いやそれは言い過ぎだスマン。
「おいコラ、糞坊主。おめぇ、今何時だと思っとるんじゃぃ」
「ご、ごめんなさい。明日からは六時丁度に起きるようにします」
「よろし~ぃ。それでは席に着きたまえ。今朝はお父さんの創作料理第六十回だぞぃ」
なんてこったい。朝から親父の創作料理を食す罰ゲームが用意されているとは。俺の家族は親父と妹しかいない。俺が物心ついた頃には母親はいなかった。親父の話では交通事故で死んだらしい。今の俺からしたら親父に嫌気が差して蒸発したように思えてならないのだが、一階の和室に圧倒的な存在感を帯びて置いてある高級そうな黒塗りの仏壇には、確かに母親らしき人の遺影が飾られていた。俺には見知らぬおばさんという印象しか抱けないでいる。俺でさえこんなだから、妹からしたらもっと薄い印象しか持てないのだろう。
「おい、何をボサッとしてんだ。早く食えよ」
「い、いただきますっ。パクリッ、ぐぅふおぉうぉうぅおおおぅお!!??」
親父の料理の味を一言で例えるなら生み出されたばかりの「う●こ」を食べているような感じだ。それでも俺は文句を言えずに食べている。食べなければ死ぬんだ!(色々な意味で)
妹は親父の前ではすごく行儀が良い。お嫁さんにしたいくらいな慎ましさが伝わってくる。何より、俺と違って味覚が死んでるので親父の料理さえ美味しいとおかわりするくらいなのだから、ある意味では羨ましく思っている。
親父は自分の分はさっさと平らげてテレビのニュースに無言で視線を寄せている。よほど興味深いニュースでもあったんだろうか。俺も吐きそうなのを我慢しながら番組のテロップを目で追った。
"夢のない若者が増加"という見出しで一瞬ドキッとした。それはまさに自分のことじゃないか。俺の場合は夢がないという以前に自分が何が得意で何が好きなのかも曖昧なわけだが。そうだ、俺には何も無い。何も無いという事実だけがただ転がっているだけの無感情な状態。それが現在の俺"川島圭祐"の全てを表すのに適切な言葉だった。
俺の住んでいる町は、漁業と観光だけで静かに回る人口九万人の日本海に面した小さな町だ。時より外から窓を通じて部屋の中に磯の代わりがする……なんてことはないけど、車で五分ほど北に走ればすぐそこは絶景な海が広がっている。気軽に海に出会える町といえば土地のことを知らない見知らぬ人からすれば聞こえは良いが、実際には雨も雪も容赦なく降って昨年は台風の影響で齎された河川の増水によって大型バスが泥水の中をスイミングする光景が全国放送で沢山の人たちに目撃されることになった。妹はそれを他人事のように「嘘!?この橋ってアソコじゃん!やべぇ、マジパネェっす」とか歓喜に踊りながら携帯で友人達にメールしていたなぁっと思い出しながら、友人の多い妹が羨ましい気分になった自分を罵りたくなる。
僕は友達が少ない。
少ないというか、実際には友達なんか一人もいない。でも、学校の昼食後に話をするような友人なら五人くらいはいる。ちょ、調子が良い時でそれくらい……。
田舎な町だから登下校には市営バスや電車を使う人も少なくない。幸いにも俺んちは学校からそう離れていない市内にあるので自転車で通える距離だ。
とはいえ、先にも憂いだ通りに俺には登下校を共にするような親しい同級生はいないし、妹は公立に通っているので俺とは逆方向だ。しかも、そっちの方が自宅から遥かに近いわけだが、私立に通わざるを得ない僕の学力に問題があるのだから仕方が無い。親父は受験の時に公立に落ちたら働いてもらう、と言っていたけど幸いにも私立に通わせてくれてるので申し訳ないと思いながらも感謝してる。
親父は公務員だ。しかも中間管理職なので人様の家よりも裕福な部類に入るかもしれない。さらに、亡き母親はそれなりに名の売れた漫画家だったらしく、死後十五年ほど経過している現在も毎年それなりの印税が我が家には転がり込んでくる。嗚呼、愛しのママン、ありがとう。
自転車を駐輪場に置いたら鍵をしなくては盗まれる。高校という小さなコミュニティの内部であっても度々に盗難事件が発生する。理由は簡単。俺の通う市内唯一の私立校「聖楽高等学校」には不良、ヤンキーと云われる類の学生が結構な数いるからだ。
不良といってもリーゼントや長ランという昔のようなスタイルに影響されている者たちは皆無だ。今は極普通の生徒が不良グループの一員だったりする。なんていうか、日本オワタ!という感じで、教師も見た目だけでは判断できないのでかなり対応に苦慮している様子でご愁傷様と肩を叩いて優しげに語り掛けてやりたいくらいだ。無論、嘲笑。
もしも、妹が聖楽に通学していたら間違いなく不良になっていただろうなぁと妄想を膨らませながら今日の俺はいつもとは異なり、そこはかとなくだが胸を弾ませている。
何故なら本日は三年生としての最初の登校日であり、クラス発表があるからだよ、諸君。
クラス発表、つまり二年生のクラスメイトに与えた悪い印象は全てリセットされて、ゼロから真新しい俺として青春を謳歌できる"やりなおし"の日なのだよ!
今年こそは"リスタート"だ。去年、一昨年と苦汁を飲まされた日々は追憶に葬り去り、今日から俺は誰もが初対面の真っ白なキャンバスに舞い降りる川島圭祐なのさ。
下駄箱で上履きに履き替えても、外靴を隠されたり画鋲を入れられたりする典型的なイジメを心配する必要も今日は皆無なんだ!(残念ながら明日からは未確定)
昇降口に設置された大きな木製のボードにクラス発表の名簿リストが貼ってある。周りには新三年生が蠢いていて近づけそうに無い。出来るだけ新しい教室に入るのは早めの方が良い。何故なら、終盤に入ってしまうと扉を開けた瞬間にクラスメイトたちからの熱い値踏みの視線を突き刺されるからだ。それはすなわち、イジメ対象の選別行為でもある。
だからまずは値踏みをされないくらいの順番に教室に入らなくてはいけない。その為には、可及的速やかに自分のクラスを知る必要が在る。他のクラスメイトについて把握する必要はゼロに等しい。というか、この段階で必要以上に知ってしまうと歓喜と絶望に胸を締め付けられて早退したくなってしまいそうな予感がする、というかこれは二年生の春に味わっているので恐らくかなりの高い可能性であると思います!
しかし、見えない。遠すぎる。俺の視力は0.5だからこの距離からあの小さな文字を判別するのは不可能に近い。そうか、心の目があった。心の目を開放して文字を視覚ではなく、感覚で捕らえればなんとかなるかも。う~ん、今の俺のレベルではそれは到底不可能だ。ならばどうする?このまま人が少なくなるまで待つのか?それでは二年生の春に味わった恥辱と屈辱と陵辱の味を舐めることになるだろ!それは、それだけはご勘弁を。
どうしようもなく、ただ蹲るしか出来ない俺は本当に周囲の皆さんの邪魔でしかなかっただろうね。まぁ、どうせこんな捻くれた人間のことなんか誰も気にも留めてないだろうけどな。なんて自暴自棄になりかけていたら、瞬間的に何かが耳に入ってきた。なんだろうか、これは……音?えっと、よく耳を澄ませてみればそれが声だと判別できた。お、ちょっと待てよ、これは……おいおい、あり得ないぞ。そっか、そうか、そうだよな。俺なんかに声かけないよな。あははは、やっぱり空耳だったか。なんて思ったらやっぱり俺に声をかけてくる女の子がいた。しかも、肩たたきのサービス付だ。
「ねぇ、どうしたの?大丈夫?気分悪いの?」
耳元で囁かれた声にハッとなって声の主の顔を見上げた。そこにはそう、例えるなら非常にチープで笑われてしまいそうなのだが、まさに「天使」のような女の子がいた。しかも、俺は彼女のことを知っている。知っているというか、俺にとって三年間ずっと憧れていた存在。彼女の名前は「北村愛莉」といい、本校いや市内で最も有名で美しい女子高生だった。
ファンクラブメンバー証にはナンバー百五十の数字が印字されている。何処の誰が作ったかは知らないがよく出来ている。恐らく、地元の名刺印刷業者にでも頼んだんだろう。部活で使うので、とか言えば少しでも値引きしてくれるに違いない。そういうところでは日本海に面していて冬場にはとてつもなく寒くなる町だけど、アットホームな一面がある良い町なのだ。商店街は不景気の煽りを受けてシャッターどおりになっているけどな。
本人を前にして語るのが恥ずかしいくらい、俺はファンクラブに入会するほど彼女に魅せられていた。彼女の何処が良いかって?そんな野暮な質問はノーセンキューだぜ。何処なんてこっちゃない。全部だよ!もう顔も身体も声も性格も前も後ろも左右も!
いやはや、俺ってもしかすると一万年と二千年前から愛してたな。だめだ、本人を目の前にしているという現実に頭がクラクラしてワケが分からなくなってる。案の定、俺は口を半開きにして呆然と彼女を見ていた。勿論、目は彼女に限ったことではないが恥ずかしくて見れないので首筋を見つめていた。なんてこったい。首筋も透き通るような繊細で決め細やかで純白な肌が広がっているじゃないか。さ、触りたい。
「あの……あなた、大丈夫?」
「あ…えっと、大丈夫です(見た目は。内部では激しい核分裂が確認されました)」
「先生を呼ばなくてもいい?立てる?」
「多分(すみません、身体の一部が起立しやがりました。それが理由で足は立ちにくい)」
「ほら、手を貸したげるから立ちなよ」
「え……いいよ、一人で立てるからっ(マジっすか!?でも手汗すごいから無理っす)」
俺が彼女の行為に拒否を示すと彼女は「……そう」とだけ呟いて立ち去ってしまった。なんて罪深いんだ、川島圭祐という男は。
僕が座ってから時間に換算するとおよそ一分も経過していないと思う。その一分弱のやり取りをするのに僕は二年以上も費やしたのだ。そう、まさに夢だった。夢にも見たし、妄想も沢山した。この二年間は夢と妄想のバーゲンセールを貪り食らう空虚な日々を送っていた。彼女にとって僕は学年で百人以上いる男子のうちの一人でしかない。しかも、二年間で一度も日の目を浴びたことの無いような根暗で陰湿でジメジメした場所を自分で好んで居座るような典型的なモテない男子。そんな俺に誰が行為を寄せてくれるだろうか。誰の眼中にも無かった存在。誰の目にも留まらない存在。誰の言葉にも浮かばない存在。
そう、僕は二年間の高校生活をただ死んでいないだけの存在として過ごしてきたのだ。
そんな生きた屍のような僕が学園のアイドルと一分未満という刹那ではあったけど、会話を出来たのは本当に嬉しい誤算だった。ありがとう、アイドル。今夜のおかずは決まりました。惜しむらくは、彼女の柔らかな手を握ることが出来なかったことかな。きっと蕩けてしまいそうなくらいにフンワリとした癒しの手をしていることだろう。
ふと肩を叩かれた。叩かれた方に首を向けた瞬間に僕の頬に誰かの人差し指が突き刺さった。
「はははっ、ひっかかってやんのお~!」
そんな古典的なイタズラ(引っ掛かったけど)を俺なんかに仕掛けてくるのは駒野佑二しかいない。彼とは去年同じクラスで僕の数少ない会話をするメンバーの一人だ。
「……駒野、なんだよ(上質な妄想をしているところで邪魔をしやがって)」
「あれぇ、つれないな。せっかく、お前と同じクラスになったのによお」
「マジでか?じゃあ教えてくれよ。俺は何組になったんだ?」
俺の問いかけに駒野のニヤニヤとした表情で「三組だよ」と答えた。
「……三組か。一年は四組、二年は六組、初めての奇数。吉となる凶となるか」
「そんなら大吉だな」
「どういう意味だ?俺ら仲間が全員同じクラスになったとか?」
「馬鹿だな、そんなレベルじゃないって。学年中の男子が羨ましがると思うけどなあ!」
「だからどういう意味だよ」
「まぁまぁ、気にしないで行こうぜ。楽しみは後に取っとくもんだろ」
「ふむ。確かにお前の言うとおり俺は楽しみを後に取っておく方だけど、その度に妹に奪われる俺の気持ちを少しは考えてくれよ」
「いいよなぁ~。俺もあんな可愛い妹が欲しい」
なるほど。見方によってはあんなのでも可愛い部類に入るのかもしれないな。毎日一つ屋根の下で暮らしていると視覚が慣れてしまって良いものも大したことがないように思えてしまうかもな。たまには物の捕らえ方に一工夫してみるのも検討しよう。
駒野は一度だけ我が家に遊びに来た。それは去年の暮れだ。小学校以来、四年ぶりの俺の客人としてだ。彼は玄関に入るや否や、年頃の女の子が好んで履いているブーツを見て「ちょwwwおまwこれ誰のだよwww」とニコニコ動画のコメントのような台詞を俺に投げかけてきた。俺は特に意識することもなく妹のだと回答した。すると彼はその事実にも驚いたらしく「ちょwwwおまwそれ誰のだよwww」とニコニコ動画のコメントのような台詞を再び俺に投げた。勿論、俺の妹だよ、と若干煙たそうに答えてみたが、彼の興奮は収まらないままに突然に妹のブーツを手にとって匂いを嗅ぎ始めた。
「ちょwwwおまw嗅ぐなよボケェ!」
流石の俺もニコニコ動画のコメントのようなノリで対応してしまった。その時、階段から運悪く妹が降りてきた所で俺達と鉢合わせになった。勿論、彼女の逆鱗に触れたよ。
「……最悪っ。兄共々に死んでくれませんか?」
「ちょwwwおまwキツイこと言うね!てかマジ可愛いwwwチューして!」
妹に近づいた駒野の頬を妹が平手で薙ぎ払った。駒野は尻餅をついて玄関マットに倒れこんだ。その時だよ、俺が妹に歯向かわないようにしようと心に誓ったのは。
勿論、そのブーツは後ほど俺のポケットマネーから弁償させられた。古いブーツは駒野が欲しがったので定価の三倍の値段で売り飛ばした。これで俺はぼろ儲け。商売なんか簡単やで!
「お前、俺んち出入り禁止になってっから二度とアイツには会えないぞ」
「そっか。まぁ、暫くはこのブーツを大切にしとくから、時間が二人の距離を縮めてくれるだろうよ」
「お前を見てるとバカと一途は紙一重だなって思えるよ」
「ありがとう。褒め言葉だと受け取っておくよ。将来の義理の御兄さん」
駒野の言葉に「前言撤回」と言ってそれから三日間だけ無視してやったら、四日目の昼下がりに「あの言葉は嘘だった」と泣きそうな顔で俺に縋り付いて来たので妹のブーツを変なことに使用しないことを約束させた上で許してやった。流石に自分の妹が他人のおかずにされるのは胸が熱くなるからな。
三年三組の教室は言わなくても分かると思うけど一組と二組の次に位置していて、階段から離れた一番奥にある。ようするに避難訓練で一番出遅れる場所ということだ。生死を左右する問題なので出来れば階段付近が良かったけど、幸いにも三組のすぐ隣に非常階段がある。人一人がやっと上り下り出来る程度の狭くてらせん状になった階段だけど、これがあるなら俺はもしもの時に窓から飛び降りなくて済みそうだ。
教室の扉は開けっ放しになっていた。これは非常に有難い。もしも閉まっていたなら開けるまでの葛藤で時間が潰れただろうし、開けた瞬間に三十人近い人間から一斉に値踏みをされるのだから困ったものだ。現在の彼ら彼女らにはそういった心理が働いている。それは僕も同じだから断言できる。人という者は初めての環境では一つ一つの動作や行動に慎重になるものだ。良い言い方をすれば、些細なことでも気にかけて大切に思えるが、悪い言い方をすれば、小さな埃にも神経を研ぎ澄ませて塵が一つでもあれば容赦なく罵倒する姑のような存在だろう。考えすぎだって?何を言う。僕は去年に経験しているのだ。
そろりとさり気無く、誰かの呼吸の合間を狙ってするりと教室内に侵入することに成功した俺達。というか、誰も俺達のことなんか見向きもしてなかったような……。
遠めで教室全体を見渡すとどうやら席の順序は名簿と同じらしい。黒板には名簿と席の番号が書かれたB2ポスターを縦に折り曲げて半分にしたくらいの紙がセロテープで貼られていた。何故か誰も電気をつけない。だから遠目では流石に見えにくい。教室全体は薄暗い妖気が漂っているような嫌な感じだった。
裸眼視力2.0の駒野のおかげで自分の席を確保した僕はようやく腰を落ち着かすことが出来た。少しずつ安堵感が満ちてきて教室だけでなく、新しいクラスメイトたち一人一人を確認するだけの余裕が僕にも生まれた。幸いなことに去年も同じクラスだった同級生は男子では二人だけだった。しかも、僕とは直接的に接点のない中立的なポジションに所属していた人たちだ。女子では見知った顔が五人ほどいたが、殆ど交流はゼロなので特に意識する必要は無いだろう。そもそも彼女達は僕のことなど黙殺しているに違いない。
どうやら駒野は毎年お馴染みの女子のクオリティチェックをしているようだ。クオリティチェックというのは日本語に直すと"品質調査"で駒野が提唱している女子生徒の可愛さをいくつかのパラメーターで数値化する取り組みだ。お前は何処の工場勤務だよと呟きたくなるが、実はとても面白い診断結果になっていたりする。だが、ここでその方法を明かしてしまうと悪用されかねないので割愛させていただく。
ちなみに僕には女子の顔を一秒以上注視する度胸はない。相手と目が合う前に目を逸らす、それが僕のジャスティス。これは僕の中でタブー視している事柄だ。これを少しでも破ってしまうと「何見てるの?キモイんだけど」という台詞を浴びせられてしまう。あくまで"あなたは見てませんよ~。僕は空気を見てるんですよ~"なさり気無さをアピールしなくてはいけない。サッカーで言うなら相手選手に必要以上に足をかけてファールしたとしても"偶然あたったんだ!"という感じに意図的じゃないことをアピールするようなそんな感じ。ようするに、彼女達の意識上に僕という存在を描かせないことが大切なんだ。
「なんや?電気つけんかったら辛気臭いやろお」
このクラス、三年三組の担任の本田先生のご登場だ。噂によると今年で三十八歳になると聞いたのだけど、身長百八十三センチという大柄な割りに実年齢と相違する甘いマスクとダンディな声が男女問わずに人気のあるカリスマ(笑)教師だ。
そんな彼が担任なのだからさぞかしクラスの連中は盛り上がっているのだろう。周りでは笑い声や私語が飛び交っている。僕だけを素通りして。器用なこった。
「そんじゃあ、九時から始業式があるからいっちょやってみっか」
始業式。あの全校生徒が体育館に一堂に集うイベントか。昔の学生は一時間以上を立ちっぱなしで校長先生の毒にも薬にもならない話を聴かされていたそうだ(親父の話より)だけど、貧血で倒れる軟弱な生徒が増えたこともあってか、僕たちの世代では座ることが許されているからまだ楽だな。床は冷たいけどね。でも、女子がよくやってる所謂女の子座りというのを見れるのはこういったイベントだけなので非常に貴重で有難く、目の保養として拝ませて戴こうではないか!ふぅ、つくづく自分が底辺な人間だと認識します。
ぞろそろと立ち上がってばらばらに体育館に向かって歩き始めるクラスメイトたち。その時、僕らにはハッキリとは聞こえない位置でとある女子生徒が本田先生に「……ちゃんがいない」と報告しているのが目に入った。誰か欠席でもしているのだろうか。
体育館での始業式には全校生徒が六百人と教職員が三十名ほど参加した。
式は終始、和やかな雰囲気で執り行われていたが、最後の最後でいつもの皆さんたちが乱入してくださいました。これで退屈が凌げそうです。
「はっはっは~、お前ら何座ってんだよお~、さっさと立てよ!」
その団体さんは全員が土足で笑い声を上げながら体育館に入ってきた。人数を数えると八人ばかり。去年は固定メンバーが十二人くらい居たから何名か留年でもしたのだろう。後輩たちに申し訳ないことをしてしまったような居た堪れない気分にしてくれるぜ。
「こら、お前ら、土足はあかんぞ!邪魔するんやったら出て行かんか!」
「うっせー馬鹿!指図するなやカス!」
ヤンキーの古典落語を聴いているかのような典型に定まった素晴らしい台詞の数々。ある意味では今がようやく始業式の本編とも言えるのではないだろうか。
そうこうしている内に、式のプログラムは終盤に差し掛かった。
「続いて、生徒会会長より挨拶」
こんな荒れた状況下で挨拶文を読まなくてはいけない生徒会長様、ご愁傷様です。ですが、こういったことを踏まえた上で生徒会長という役職に立候補されたものだと思いますので有無を言わさずに気の利いたことを何なりとお申し付けください。
俺は生徒会長のことなど微塵も気の毒には思わない。何故なら日向で輝く彼らが僕にとっては憧れの存在であり、嫉妬の対象であるからだ。至極当然だろう。
だけど、マイク越しに聴こえてきた生徒会長の声に僕は思わず胸を鷲づかみにされた。
「おい、そこのヤンキー諸君。貴様らは反吐の底の吹き溜まりか!?」
「な、なんだとこらぁ!もういっぺん言ってみろよ!」
「ああ、何度でも言って差し上げよう。貴様らは相変わらずにのさばる反吐の底の吹き溜まりかと聞いてるんだ!」
生徒会長の凛として罵声に場内から拍手が沸き起こった。いいぞもっとやれ、などといった歓声で埋め尽くされ始めるとヤンキーご一行も居心地が悪くなったのか、無言で立ち去っていた。その様子をニヤニヤと眺めているのが俺なのさ。
「えーゴホンっ。今しがた式の進行に支障を来たす者が現れたが排除した。それでは最後までしっかりと耳を傾けてくれたまえ」
身体は華奢だけど、目が大きくて鋭い眼光。鼻筋が真っ直ぐに通っていて唇は真一文字に結ばれている。化粧さえしていないように見えたが美しかった。そう、うちの自慢の生徒会長は俺より一学年下の女子なのだ。僕のマイハニーノートの登録ナンバー二番は彼女、"石河諒子"が占有している。
始業式が終わった後は、ホームルームが待っていた。
そこでは今後の学習の流れや学校行事、そして進路について話された。そして、ホームルームの一番最後には本田先生から進路調査票が全員に手渡された。
俺の手のひらに納まるサイズのその用紙には、第一から第三まで希望の進路を書くスペースが設けられていて、これが今日の宿題ということだった。宿題ではあるけど、提出期限は一週間ほど設定されているので急いで出す必要は無いのだろう。
だけど、俺には希望の進路なんかありはしない。
今朝のテレビのニュースを思い出した。夢や希望を持たない若者が増えているという統計に関するニュースだった。あれを見て親父は何て思ったのか。嘆いていたのか?他人事だと思ったのか?ここにいるんだよ、あんたの息子がその統計の一部なんだよ。
周りの生徒達は「大学行く?」とか「俺は専門」とか「私は就職」とか思い思いに期待と不安を表情に僅かに載せながら雑談している。でも、僕はたった一人孤独にそれに耐えるしかなかった。本田先生、お願いです。早くホームルームを終えてください。そう叫びだしたい気持ちで胸が張り裂けそうだった。泣きはしない。泣いたって誰も同情なんかしてくれない。ただの見世物になるだけなら涙なんか今後一切、人前では流さない。僕はそう心に決めている。いや、そう決心するしかなかったのだ。そう、あれは去年の体育祭で起きた僕が一生忘れられないような事件だった。
そうやって回想を巡らしている時に聞き覚えのある声が教室の入り口からした。
「すみませーん、今戻りましたぁ」
この声は……間違いない。僕のアイドル、北村愛莉だ。でも、どうしてだ?どうしてこんなところで彼女の声が……?そうか、恐らく他のクラスからの言伝を届けに来てくれたのだろう。優しくて可愛くて生徒からも先生からも信頼されてて、正直あなたには嫉妬しちゃいそうになるけど、今日の僕にかけてくれた言葉を聴けばそれが偽りの被せ物じゃないことが僕のような影の存在にも理解できました。ありがとう。
「おう、北村。ようし、やっと全員揃ったな」
「あのぅ、センセ、私の席がわかんないんですけどぉ」
「悪い、席順の紙を黒板から剥がしとったわ。えっとなぁ、そこのお前誰だっけ?」
ふと、僕について言われたように思って顔を上げると確かに本田先生は僕の顔に指を刺していた。なんて失礼な人なんだろう。人として最低だな、指差すとか。なんてことはどうでもいいとして、どうして本田先生は俺の名前を今更聞いてるんだ?
「……川島です」
「あん?聞こえんかった。もういっぺん、デカイ声で言ってくれや」
「(……ちっ、うっせーな)……」
「おい、今なんて言った?」
「あ、すいません。えっと、川島でーす」
「おっけー、おい北村。川島の後ろだ後ろ。そこがお前の席だ」
ちょっと待ってくれよ!土、ど、ど、ど、どういうことなの?き、き、き、北村さんが俺とクラスメイトで、しかも席は俺の後ろとか、有り得んだろが!
「ねぇねぇ、よろしくね」
「(有り得てる!)よ、よろしく……」
俺の憧れの存在(アイドル)北村愛莉ちゃんが俺の後ろの席で俺の背中を見つめてるなんて、これは何かのフラグか!?それとも何者かの陰謀なのか!?
ホームルームはまだ続きそうだ。なんか知らないが本田先生は自己紹介は明日やるとか言ってやがる。マジか。自己紹介とかマジで苦手なんだが。どうしよう、欠席するか?でも、休んだところで別の日に単独でやらされそうなオチが用意されるっぽいからここは明日に挑んどいた方が良さそうだな。なんたって、去年は自己紹介の日に風邪で休んだおかげで翌日に病み上がりの俺は体育の時に男子も女子も集められた場所で体育館のステージに上がらされて一人で自己紹介させられたんだからな。あの時は正直、死のうかと思ったから。いや、むしろアレを俺だけにやらせた体育教師の青葉が転任させられたのは俺からのタレコミが教頭の地獄耳に入ったからだと専らの噂だ。
なんてことはどうでもいい!今は明日のこと、というより北村愛莉ちゃんの視線を俺の背中が受け流せずにいるのだが……。これは取りあえず、今は寝たフリをしよう。うん、そうすればきっとなんとかなるさ。なんとか……。
身体の痛みと机の硬さで目が覚めた。目を開けると暗い教室に少しばかりの夕日が入り込んでいて俺の足元の薄汚れた木の床を照らしていた。
「(……んん、なんだ身体が痛いぞ)」
静かだ。静か過ぎる。どういうことだ。誰もいないのか?今は何時だ?
一番最後の疑問を思わず口にして五秒ほど空白を開けてから俺の背後から、
「五時だよ」
そう囁くような返答があった。その声は、そこにいるのは……北村愛莉!?
「な、な、なんで北村さんが……!?というか、誰も起こしてくれなかったのか」
「あっ、なんかね、みんな自分達ばっか話が盛り上がってる感じでさ、先生が解散って言った後も何人か残って話してたんだけど、私が本を読み終えた頃には川島くんしか残ってなかったよぉ」
なんてこったい……。初日早々、俺は”居ない者”として扱われたのか。というか、北村愛莉はこんな時間まで残って何をしてるんだ?それをハッキリさせておきたくなった。
「あのさ、北村さんは一人で何やってたの?ずっといたの?」
「えっとね、私はこれ読んでたんだけど、分かる?」
彼女が手にしていたのは文庫本だった。恐らく、ライトノベルと呼ばれる類の書籍だろう。表紙とタイトルを見ただけで把握できた。
「……グリグリメガネと月光蟲?」
「すごいっ、よく読めたねぇ~。もしかしてぇ、こういうの好きなのぉ?」
読めたのは確か妹がこの題名と同名の初音ミクという女性アーティストの楽曲をニコニコ動画で聴いていた覚えがあるから、だと思う。と彼女に正直に白状した。
「あ、そうだよぉ。このグリグリメガネと月光蟲はボカロ曲を元にした小説なんだよぉ」
「へぇ、そうなんだ」
俺がそう味気ない返事をしてみると、彼女の表情はさっきまでとは異なる熱のような温かさを帯びたように見えた。
「ボカロとか分かるってことは、ニコニコ動画とか見てたりする?」
「いや……。なんていうか、妹がさ、いるんだけどね。妹が、好きなんだよ。でさ、俺はよくわかんないんだけどニコニコ動画とか見てるらしいんだよね。あの、コメントとか弾幕とかを動画に流せるの」
「へぇ、妹さんがいるんだぁ。いいなぁ~兄妹」
心から羨ましがる彼女から発せられた台詞に何となく話題を繋げそうな気がした。
「き、北村さんは一人っ子なの?」
「そうだよ」
どうしてだか、そこで会話はシャットダウンされた。
俺は何か悪いことを聞いたのかな。そういえば、女子とこういう何気ない会話をするのって久しぶりだな。しかも、相手は毎晩僕の妄想でお世話になっている愛莉ちゃんなんだから、今日の俺の運勢はきっと大吉に違いない。そういえば、今朝の駒野の言葉を思い出した。アイツは確か大吉だとかなんかニヤニヤしながら言ってたな。愛莉ちゃんとクラスメイトになれたことだったのか。というか、アイツ……一人で帰りやがった。
いや、待てよ。これは意図的に俺達が二人になれる機会をアイツが作ってくれたと解釈した方が良いかもしれないぞ。しかし、そう考えるとアイツの手の上で転がされてることに腹立たしさを覚えるんだけどな。駒野よ、お前はやはりデキる男なんだな。
俺が脳内でそんな想像を張り巡らせている隅で、愛莉ちゃんは鞄に何かのクリアファイルやファンシーな可愛いキャラクターがプリントされた"ふんわり乙女チック"なペンケースを詰めて帰る用意をし始めていた。俺もそれに習うかのように鞄にガサゴソと机の中のアイテムを詰め込んでいく。ふいに愛莉ちゃんが口を開いた。
「あっ、そうだ、忘れるとこだった!ハイ、川島くん、忘れ物っ」
愛莉ちゃんは胸ポケットから何度かコンパクトに折られている紙を取り出した。
それを俺の背後から俺の顔の付近に差し出した。視界に突然、現れた白い物体に驚いた。
「い、いきなり何、どうしたの?……これは」
「進路調査票」
「って、なんで愛……北村さんが?」
「始業式が終わった後にトイレで私と川島くんぶつかったじゃん」
「あの時、落としたのか!?」
「そう。川島くんが立ち去った後に気づいたんだけど、これって大事なものでしょ?
だから拾った私が本人に渡したほうがいいかなって思ったの。でもね、胸のポケットに入れたのを私も忘れちゃってて、気づいたら川島くん寝てたから、起こすのも悪いし、私もグリグリメガネと月光蟲が読みたかったし」
「それで、こんな遅くまで?なんか悪かったね」
「あ、気にしないで。私、こんな感じに読書することが多いから」
彼女はそう言い終わると、思い出したように先ほどの文庫本を鞄から取り出してパラパラと何ページかめくったところに茶色い栞を差した。きっと読み終わったところに栞を入れ忘れたのだろう。いつもはしっかりとしている彼女の小さなことだけど抜けた一面を見ることが出来て、僕は嬉しかった。例えばそんな些細なことであっても、好きな人のプライベートが垣間見れるのは誰だって胸が躍るに違いない。進路調査表。嫌なモノを見られてしまった気がした。空白なのは家に帰ってから記入するつもりだったと言い訳が出来るけど、実際は空っぽな俺を他人に、好きな人に覗かれたことが嫌な気持ちにさせた。さっきまで何も無いことを開き直ろうと思っていたのに、こんな些細なことで気持ちがアップダウンしてしまう。それだけ小さな人間だということを俺は知ることになる。そしてまた、自己嫌悪に陥るのだ。
僕は鞄を左肩に下げた。理由は彼女に僕の鞄が当てない為だ。そして、席を立ち後ろのつまり教卓とは逆の方向のドアから出ようとした。
その瞬間、愛莉ちゃんが俺の右手の袖をギュッと掴んだ。
何が起きたのか分からなかった。もしかして、彼女の気に障るようなことをしたかとこれまでの自分の言動を瞬く間に振り返ったが答えが出ず、彼女の喉から音がこぼれるまで黙るしかなかった。そして、十数秒が過ぎてふと僕が視線を落とすと彼女と目が合った。
その刹那、彼女の目元口元が笑った。それに吊られて俺も声もなく笑ってしまう。
「川島くんってさぁ~(ニタァっと笑いながら)」
「……なに?(苦笑しながら)」
「(真顔で)オタクでしょ?」
彼女は突然に壊れてしまったように思えた。俺は一先ずオタクではないという事実を伝えることにした。
「悪いけど、ハズレだよ」
「でもさぁ、オタクな人ほどそうじゃないって言うよね」
なんだこの娘は、俺のことをオタクだと思ってたのか?オタク相手だからと自分より見下せたから、あんなに気さくに話しかけてくれたのか。
なんだよ、コイツ。ただの嫌な女じゃないか。そこいらの奴らと同類だったなんて、俺の目は節穴すぎたな。そう考えると、俺の中の女神のイメージを自分自身で破壊しようとする彼女に怒りがこみ上げた。俺は彼女の腕を払って無言で立ち去ろうとした。
「ご、ごめんなさい!」
急に必死になってそう俺に声をかける彼女。もうどうでもいいけど一応、反応は返しておこう。
「何が、ごめんなわけ?」
「オタクって決め付けちゃって……」
「一度目で違うって言ったのに、どうして俺をオタクにしたいわけ?」
俺は少しだけ嘲笑めいた感じに彼女を挑発した。お前の意見は正しくない、俺が正しいのにそれを理解できないお前が悪いんだよ、そういう意図を含んでいた。勿論、彼女がそれを理解できなくても構わない。俺自信がそういった気持ちを組み入れることで納得できればそれでいいのだ。
「えっと、それはね……言えない、ごめんね」
「……」
なんだ、これは。俺は遊ばれてるのか?ツクヅク女子という生き物が理解できない。男子なら俺に対して暴力で支配しようとしてくる。暴言を浴びせかける。そこに特別な意図は隠されていない。ありのままをありのまま俺にぶつけて来る。
対して、女子は表とは異なる裏の意図を持っている。ありとあらゆることに対してそうだと言えるだろう。目の前の彼女もきっとそうに違いない。
「悪いけど、二度と話しかけないでくれるかな」
「……え?」
「僕は一人でも生きていけるんだ」
「え、ちょっと待ってよっ」
最後の言葉に偽りがないと言えば嘘になる。僕は一人でも生きていける?そんなことはない。僕のような陰日向で十七年間を生きてきたナメクジ人間でも、親父や妹や駒野との会話を楽しんでるし、それが無くなれば不安にだってなる。自分の中の考えを他人に伝えなければ、誰かに問わなければそれが本当に正しいのか、正しくないのかなんて分からないじゃないか。この世には正しいことも正しくないことも善も悪も肯定も否定もないと思ってる。だからこの場合は、僕の行動が有意義なものかどうかを判断する材料として他者の介入を望んでいるということにしよう。そう、俺は他者の介入を望んでる。そして、俺自身が他者に介入したいと切望している。俺は孤独であるから、孤独の苦しみを知ることが出来た。人は一人では生きていけないのだ。俺はずっと、十七年間もずっと、誰かとの関わりを求めて純粋に生きてきたはずだった。そのつもりだったのに……誰も俺を理解しようとしないし、俺も誰も理解しようとしなかったのか。
「ごめんなさい、ちゃんと言うからっ、だから誤解したままサヨナラなんて嫌だよっ」
彼女の震える声に我に帰る。俺は、好きな人さえも安易に傷つけてしまうような人間に成り下がったのか。そうか、そうだよな。俺みたいな醜いゴミ箱の中身がお花畑の蝶々に愛されるはずもないのだから、お花畑を腐食させてもいいやって思っても当然だよな。
「わかった。じゃぁ、話して。聞くから」
彼女は少しだけ深呼吸をしてから、ゆっくりとした口調で穏やかに言った。
「あのね、私、オタクなの」
三年間、ずっと片思いでファンクラブまで入会して妄想と夢の中で散々お世話になった北村愛莉の口から突然、カミングアウトされたオタクという事実。
俺は一体、それに対してどう返答すればいいんだよ……。
【続く】