シェンロン・カイナ
19.ガキ
ミルナが卓男の会社を訪れる数日前。
マリの葬式が、夕闇が丘高校の裏手にある寺にて密やかに行われた。
喪主のマスターはどこか現実感のない顔で葬儀屋に言われた通りに動いている。ひょっとするとまだ夢見心地だったのかもしれない。
それだけ唐突で、理不尽な死だった。
けれど死の概念は元々はそういうものである。
生は音沙汰なければ確定したままではない。いつどこで無くなるか誰にもわからないが、そう思っていては身動きが取れないので、結局は恐怖や戸惑いを頭から追い出して生きていくしかない。
葬儀に参加したのはほとんどが同級生や教師たちであった。
マスターは天涯孤独の身の上だったらしく、その上本人を含む母方の親戚一同が沈黙を保ったため、座敷はブレザー姿の学生が密集している有様であった。
彼らはお互いにあまり口を利かず、かといって重苦しい雰囲気に包まれているわけでもなかった。
時折思い出したように遺影を見上げては、また顔を伏せる。
同じ学校の生徒が死んだ、その事実にあまり衝撃を受けないことに各人が驚愕していたのである。
女子生徒は泣いているものがあったが、男子たちはそれをどこか遠い眼差しで見つめている。
悲しくないわけではない。
マリとまったく縁のなかったわけでもない。
しかし、どこか静かなのである。
ひそひそと肩を寄せ合って彼らは囁きを交わしたが、奇妙なことにマリに関する事柄は一切話題に昇らなかった。
葬儀の場で死者の話題が出ないなど、と思われるかもしれないが、現にそうだったのだから仕方がない。
彼女は一種のタブーのような扱いを受け、皆、その禁を破る先駆者になることを避けていた。
だけれど、誰もがその禁を最初に破るものを内心ではわかっていたのかもしれない。
式が終わり、皆が境内に散らばり始めた時、カンナのぞっとするような怒声が響き渡った。
だいぶ後になっても、クリスはなぜその時、彼女をひとりにしたのかわからなかった。
ちゃんと見張っておかねばならない精神衛生下にカンナが置かれていることなど百も承知でありながら、こっそりと寺の裏で煙草を吸っていたのだ。
彼は喫煙家ではなかったが、その日に限ってとっぽい友達から煙草を譲ってもらった。
クリスとマリの関係を知らない者はいなかったから、その友達も暗い顔で手持ちの煙草とライターを黙って差し出してくれたのだった。
まだ火のついた煙草を砂利の中に踏みつぶして駆け出し、騒ぎの現場に着いた時にはもう、カンナは相手の胸倉を掴んで何事か喚き立てていた。相手はそれを黙って聞いている。
(金髪のガキ……?)
しかし近づいてみると、それが学ランに身を包んだ少女であることが分かった。
紺色のブレザー姿の学生たちが、二人を遠巻きに眺めている。誰も止めに入ろうとしない。
あんたが、と叫んでカンナが少女を木の幹に叩きつけた。衝撃でゆさ、と枝が震える。少女の顔が苦悶に歪んだ。
「やめろ、カンナ、やめろったら!」
「うるさい! 離して! こいつが、こいつが!」
後ろから羽交い絞めにして、クリスはカンナを引き剥がした。
女子とは思えない膂力で彼女は抵抗したが、ようやっとのことで学ラン少女から距離を取ることに成功した。
「マリの葬式で煙草なんか吸って……!」
カンナの目の端から涙がこぼれた。
「未成年のくせに!」
クリスの胸がちくりと痛んだ。
「あんた、全然悲しそうじゃない」
マリの身体からだんだんと力が抜けていく。
「なんでそんなやつがここにいるの? どうしてそんな、平気でいられるの? 悲しくないんだったら来ないでよ。私はこんなに、苦しくて、悲しいのに――」
マリを殺してしまったことが、悲しくてしょうがないのに。
そのセリフをうっかりカンナが口にしなかったことにクリスは安堵し、少女を見やった。
襟を直した少女はさして怒った風でもなく、足元でまだ紫煙を立ち昇らせていた煙草を踏み潰した。
「ごめん、マリのこと、悲しくないわけじゃないんだ」
そうして彼女は、自分を放射線状に取り巻く見物人を見回した。
「ほんとごめん、私、いない方がいいっぽい、ね」
小さな背中を、カンナの断末魔じみた叫びが追い掛けた。
「おまえが死ねばよかったんだ! 殺されるなんて、おまえにぴったりの死にざまだ!」
少女は答えず、長い長い階段をひとりで降りていった。
それから数日、想像していたような崩壊はカンナには起こらなかった。
奇妙なことにカンナはそれまでの情緒不安定から幾分か回復した。
少なくともトイレに行けないと愚図ることはなくなったし、夜中にしがみついてきてすすり泣くこともなくなった。
ちゃんと言われる前に歯を磨くし、台所にも復活して食事を作った。
しかしクリスにはかえってそれらのことが大地震を前にした微弱な余震のように感じられるのだった。
(カンナを守らなくちゃいけない。俺にしか守ってやれない)
(そのためにマリを殺したんだ。そのためだけに、マリを殺したんだ。マリを――)
目の前にちらちらと自分を責めるような眼差しを向けているマリの顔が浮かんだ。
それはいつでもクリスのそばを漂っていた。朝起きる時も飯を食っている時も糞を垂れている時もカンナと眠る時も、それはいつも彼を睨んでいた。
皮肉なことに、それが幽霊なんかではないとクリスにはわかっていた。
生前のマリは優しすぎて、きっと殺されたとしても、自分を恨んだりはしないだろう、という身勝手ともさえ言える信頼があったから。
だからこれは――とクリスは手を振って眼前の顔を消そうと試みた。
すかっと虚像をすりぬけるだけで手ごたえはない。
(この顔は、俺自身が感じてる罪悪感ってやつの形なんだろう。こいつは一生消えないのかもしれないな)
マリの顔とにらめっこをしている時、コンコンと書斎の扉が叩かれた
カンナの家に居つくようになってからもうだいぶ経過していたが、今ではクリスはかつて彼女の父親の部屋だった書斎の住人になっていた。
長年使われていなかったため埃まみれの部屋を横断し、扉を開けると青ざめた顔をしたカンナに出くわした。
「どうした? 何かあった?」
「ん」とカンナはやや言い淀んだ。
「あの、大したことじゃ、ないかもしれないんだけど」
「うん」
「スクラップ記事が足りないの」
クリスは押し黙った。
彼女の言っている記事とは、普段から集めている未解決事件の記事のことだろう。
マリとの闘いのことをクリスは思い出した。
「やっぱりまずかったかな。ど、どうしよう、もうホールには入れないし、警察に見つかったら」
「カンナ、おまえ、記事を触る時、手袋してたよな」
「うん。情報は綺麗に保存しないとって思ってたから」
「だったら平気だよ。あんな記事だけで誰が俺たちに辿り着けるもんか」
「そうかな?」
「それに」とクリスは笑顔になって彼女の肩を優しく叩いた。
「おまえは正義の味方じゃないか。おまえがやることに間違いなんてないよ。警察が来たら、魔術で追っ払っちまえ」
「――そうだよね」カンナは弱々しく微笑んだ。
「私は悪いことなんてしてないものね」
「ああ、そうとも」
悪くないわけがなかった。そんなことは、わかっていたのだ。誰よりも。
部室にあったマリの遺品の中で、机の上に出しっぱなしにされていた編みかけのマフラーだけはクリスがこっそりと回収した。
マリの死は不審死として扱われ、他殺、自殺の両面から捜査されていたが、こんなマフラーがあっては自殺の線が薄くなってしまうだろうと思ったのだ。
小説家だった父親の蔵書に埋もれるように、書斎の中でクリスは重々しい顔つきでマフラーを眺めていた。
処分に困っていたのだ。
一度は燃やしてしまおうかと思ったのだが、ガソリンをかけて火種を放っても、そのマフラーは決して燃え上がらなかった。
それどころか斬ることも裂くことも叶わなかった。
何か不思議な力で守られている。
視界にちらつく怨霊の面影よりも、決してなくならない毛糸の集まりにクリスは震えた。
(雨さえ降れば消せる。だけどこんな時に限って雨なんか降りはしない。ただの水じゃダメなんだ――どういうわけか雨じゃないと。生まれてきたことに理由がないように、能力にも理屈なんか通じねえんだ。都合が悪いぜ、くそっ、カンナめ――)
数年前、マリに編んでもらったセーターが雨に濡れて溶けだしてしまった時から、クリスはマリのことに薄々感づいていた。
もっと早くに、もっと深く話し合っていたら、こんな結末は避けられたのだろうか。
答えてくれるものは誰もいない。机の上にはいつまでも、途中で止まったままの出来損ないが再び編まれ始める時を待っていた。
<顎ノート>
カンナのクズっぷりに興奮していた覚えがあります。
あとイラついてるクリスがざまぁすぎてニヤニヤしてた。
リア充なんてみんな粉々に吹っ飛ばしてやる!
あまりにも説明不足な能力描写。
「雨」に濡らすと溶ける糸なので、フツーに洗濯機とか放り込んでもぐるんぐるん回ってます。
「理不尽」がテーマだったので能力も意味不明なものが多いという。
あとこのあたりの設定は跡付けだったので、序盤の方に無理やりマリとクリスのセーター話組み込んだりしてた。
なんか、当時の俺の執筆状況って、滅び行く国の最後の政治の裏舞台みたい。もう末期、みたいな。