Neetel Inside 文芸新都
表紙

日々は群像

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 文化祭の出し物はクラスで話し合った結果、劇になった。主役はもちろん、木下と西村である。
 夏休みに入り、僕のクラスでは休みを利用して劇の準備が行われている。少し早い取り組みのような気もするが、クラスの女子に言わせれば夏休みの間にしっかり準備をすることで文化祭の最優秀賞をいただこうという魂胆らしい。
 僕は何故か大道具小道具の責任者として選ばれてしまったが、面倒くさいので屋上でサボっていた。
 屋上は日光が強く、人の姿は皆無だった。肌が焼かれるのを感じたが、風が強いので全く苦痛ではなかった。
 僕は街を見下ろした。木々はその葉の色を鮮やかな緑に染め、閑散とした街に彩りを与えている。時折強い風が木々を揺らし、サヤサヤと心地良い音を鳴らしていた。
「こんなところにいたのか」
 聞き苦しい声がしたので振り向く。案の定屋上の入り口に西村が立っていた。
 彼は紺色の、真新しいスーツを着ていた。恐らく今度劇で使う衣装だろう。
「なんだ、ホモ村君か」
「……いま、なんて言った?」
「別になんでもないよ」僕は首を振った。
「それより、劇の練習じゃなかったのかい」
「抜け出してきた。あのままだとあの女とキスさせられかねない状況だったからな」
 あの女と言うのは恐らく木下のことだろう。ホモ村と木下は恋人同士という役なのである。
 ホモ村は夏休みの間に失恋した。例の男子生徒に思いを告げ、見事に拒絶されたらしい。僕はその話を姉の家で聞かされた。これでユリカに付きまとう馬鹿が減る、と喜ぶその顔には涙が浮かんでいた。姉は美少年が男の子にふられるという状況に少し興奮しながらもホモ村の失恋を悲しんでいた。
 姉といえば、彼女は時々家に帰るようになった。たまに、母と姉が仲良くリビングで会話している姿を目にする。勘当されたはずだが、父は何も言わない。
 二年前のリビングの光景が、少しずつ戻ってきた気がした。
「そういえばな、あの女からお前に伝言だ。今日教室で待っておいてほしいだとさ」
 その言葉に血の気が引くのを感じた。
「どうして」
「俺が知るはずないだろう」
「じゃあ、どう思う?」
「どうって、お前は人から恨みばかり買うからな。何か文句でも言われるんじゃないか?」
「なにかした記憶がないよ。そもそも会話だって大してしてないし」
 実を言うと、彼女は最近頻繁に我が家に来ている。
 あの雨の日、僕らは姉の家に行った。そこで木下と姉が仲良くなり、二人して我が家に来るようになり、母と仲良くなった木下は一人でも来るようになった。
 僕は彼女の姿を見かけるとすぐ自分の部屋に閉じこもったし、そもそも僕にはバイトがあったのであまり家にいなかった。
 依存のサイクルが続く。その中で物事が上手く回るようになったのは、怪我の功名と言えるかもしれない。
「そうか……わかったぞ」僕は唐突にひらめいた。
「何がわかったんだ?」
「罠だよ。きっと彼女は僕をおびきだして、クラス中の女子と一緒に僕をリンチするに違いない」
「それもあるかもな。常識的に考えてお前をわざわざ呼び出す女なんかいないだろうし」
「黙れ」
 僕はそう言うと、しばらく手すりにもたれて風の音に耳を済ませた。蝉の声と、風の声、木々の声が心地よかった。
「意外とここ、涼しいんだな」
「そうだね」
「そういえば今日、花火大会あるんだってな。知ってたか?」
「知ってても別にどうもしないから興味ないよ」僕は吐き捨てるように言った。
「まぁそうだろうな」
「でも何で急に花火大会の話なんかしたのさ」
「いやな、ユリカから聞いたんだが、ここから花火がよく見えるらしい」
「それを僕に言ってもどうしようもないじゃないか」
「活用するかなと思ったんだが。お前なら一人で花火とか見そうだからな」
「死なすよ」
 僕はポケットに手を入れた。と、何か紙のようなものが手に触れた。取り出すと、黄色く黄ばんだ染みだらけの紙が四つ折にされて入っていた。
「何だそれは」ホモ村が言う。
 広げると紙の正体が分かった。
「これ、進路希望書だ」
 そういえば折りたたんで入れたことを思い出す。何度も制服は洗濯したはずだが、どうして無事にポケットに入っているのだ。はなはだ不思議でならなかった。
「お前まだ出してなかったのか。しかもこんなに汚いなんて……まるでお前の顔みたいだ」
「そういえば、君は進路、どうするんだい」僕は無視した。
「その答えを俺に言わせるのか? 全国模試一位に」
「聞いた僕が馬鹿だったよ」
 僕は偶然胸ポケットに入っていたボールペンを取り出すと紙に「進学」とだけ書いた。大学はまだ決めていない。
 紙はボコボコで書きにくかった。
「お前、進学するのか」
「まぁ、一応。お金も何とかなると思うしね」
 バイト代は結構溜まっている。それに、奨学金を使えば学費も何とかなるだろう。
 ここ数日で、我が家は少しだけ動いた。父は新しく仕事を探し始め、兄は外に出てコンビニのアルバイトを始めた。約二年ぶりに見た兄の姿は以前の倍は太っていた。
 何が兄を変えたのかは知らない。もしかしたらあの日、木下が僕の家にやってきたことが兄の気持ちを揺れさせたのかもしれない。まぁ勘違いだろうけど。
 時間の流れは絶対で、僕らはそれに抗う事は出来ない。身を委ねるか、もがくかのどちらかだ。レールのままに、世界は動いている。
 僕は現状を変える力を持っていなかった。父の事も兄の事も、父と姉の事も、時が解決してくれる。大切なのは、いかに上手く立ち回るかだ。
 全ては相対性理論の下に。
「それじゃ僕はもう戻るけど、君はどうする?」
「俺はもうちょっとここで時間を潰す。俺の居場所を尋ねられても言うなよ」
「わかった」
 僕はそう言うと屋上を出て階段を降りた。途中、クラスの女子に西村はどこかと尋ねられたので、屋上にいる、と言うことを言っておいた。

     

 教室に入ると驚いたことに全く作業が進んでいなかった。大雑把に切られたベニヤ板、作業道具、ペンキ等が教室内に放置されていた。
 室内には誰もいなかった。皆、劇の練習でも見に行っているのだろう。劇の練習はエアコンのついている広くて涼しい部屋で行われているからだ。西村の逃走によって今は練習も滞っているかもしれないが、だからと言ってわざわざ涼しい部屋からこの暑い部屋へ戻ろうとは思わないだろう。
 大道具と小道具の係は全部で十人以上いる。にもかかわらず全員がサボっていたことに僕は呆れた。
「あ、東君どこ行ってたのよ、さっさと作業してよ」
 見るとクラスの大谷が僕を睨みつけていた。彼女は監督兼脚本だった。
「なんでみんなサボっているのさ」
「知らないわよ。あんた裏方の代表なんだからあんたがまとめるんでしょ、普通」
 僕は絶句した。なんて自分勝手なんだ。そう思わずにはいられなかった。
 しかしよくよく考えると最初にサボり出したのは僕なのだから一概に文句も言えない。
「何でもかんでも僕に押し付けられても困るよ」
 大谷の言うことをそのまま受け入れるのもしゃくなので一応は反論しておく。
「代表なんだからもっと皆を使えば良いじゃない。今は誰もいないと言ってもさすがにそろそろ戻ってくるでしょ」
「そうかね」
「そうよ」大谷は強く頷く。
 僕は彼女の強い視線を信じる事にすると作業を開始した。
 大谷は僕のその様子をみて満足げに去っていった。
 しばらく作業を進めた。誰かが戻ってくる様子はなかった。
「皆まだかな。さすがに一人でこんな大量の道具を作れるわけないじゃないか」
 僕は呟いた。呟きながら、手に数本釘を持つ。持った釘を、程よい間隔をあけて打ち込み、ベニヤ板と角材をくっつける。それが終わると左手でペンキを塗る。塗りながら右手でのこぎりを操る。
 一時間経った。二時間経った。誰も帰ってこなかった。誰もやってこなかった。そのうちにアブラ蝉の声はひぐらしにかわり、空は茜色に染まっていった。
 僕は額から流れる汗をぬぐって教室を見渡した。一つも作れていなかった大道具、小道具たちは全て完成していた。天才ではないだろうか。
「すごい、これ、全部完成したの?」
 不意に背後から声がしたので振り向くと木下が立っていた。制服を着ているところをみると、今日の練習は終わったのだろうか。
 そう言えば教室で待っていてと言われていたのを思い出す。そんなつもりは毛頭なかったが、結果的にこうして会ってしまった。
「まぁね。天才的過ぎる僕が一人で作り上げてしまったわけさ」僕は胸を張った。「それより、みんなは?」
「帰ったわよ、とっくに」
 なんて薄情なやつらだ、とは思わなかった。入学した時からこんな扱いだったからだ。三年も経てば慣れる。僕はただ文化祭の手伝いは今後一切関与しない事を固く決意するだけだ。
「じゃあ片付けるか」
 僕はロッカーから箒を取り出すと床に転がっている木屑を集めた。木下も黙って短くなった木材を集めだす。その様子を見てふと彼女と初めて会った日の事を思い出した。公園で煙草を吸っていた時の事だ。こうやってゴミ拾いを手伝う姿などあの時には想像もつかなかった。
 最近、彼女が公園でたたずむ姿は見ない。
 彼女はもう、煙草に依存する必要はなくなった。
「終わった」僕はゴミ袋をまとめた。
「早!」
 木下は驚いたように僕を見た。僕の仕事速度の速さに恐れをなしたに違いなかった。どう見ても尊敬の眼差しだ、ドン引きしている訳じゃないはずだ。自分に言い聞かせた。
 ふと窓から空を見る。茜の空は少しずつ暗くなり、星が見え始めていた。
「ねぇ、少し屋上に行かない?」木下が言った。
「屋上? なんでさ」
「ほら、今日花火大会があるらしいからさ。見えるかな、と思って」
「そういえば西村がそんなこと言ってたな」
「じゃあ行きましょ。ホラ早く」
 木下は僕の手をつかむと引っ張るように屋上まで連れて行った。何だこれは。


 屋上のドアを開けると暗くなりかけた空が目に入ってきた。夜の色が徐々に空に浸透していく。月が昇りはじめていた。綺麗な満月だ。
 木下は少し嬉しそうに手すりまで跳ねるとくるりとこちらに振り向いた。スカートがフワリと舞う。生足。僕は凝視した。
「どうしたのさ。なんか今日は変だよ」僕は凝視したまま言った。
「そうかな」木下は嬉しそうに言う。
「そうさ。いつもなら罵倒の一つや二つを僕に浴びせているからね」
「そうかもね」彼女はなおも笑う。
 僕は不気味になってきた。普段人を罵倒しかしなかった人間が急にご機嫌になり、妙に優しいのだ。当然といえば当然なのかもしれない。
 もしかしたらもうすぐ屋上の入り口やそこらの物陰からたくさんの人間が飛び出してきて僕はリンチされるのではないだろうか。その様な不安が僕の脳裏をよぎった。
「ほら、上がるわよ」
 僕が身構えていると木下が言った。一瞬何のことか分からなかったがすぐに理解した。

 空に花火が上がっていた。

 ドン、ドン、と力強い音と共に、花火は僕らを自身の色で照らした。それほど大きくはないが、十分見ごたえがある。
 花火はどうやら学校の横にある川辺で上げられているようだった。本来なら打ち上げ場の向こう岸がベストポイントなのだろう。下を見ると花火の見物客で溢れていた。
 不思議な事に屋上には僕ら以外の人影がなかった。今日が花火大会ならここに誰かいてもよさそうなものなのだが。
 もしかしたら僕は西村にはめられたのかもしれない。実はここは誰も知らないスポットじゃないのだろうか。普段の西村と僕の関係から言ってその様な粋な計らいなど決して起こりえないとは思うが、そうでもないと説明がつかない気がした。
 僕は彼にただ依存されていただけではなかったのだ。
「あんなに人がいたんだ。まったく気付かなかった」僕は見物客に視線をやった。
「ホントね」ふと見るといつの間にか僕の横に木下がいた。
「あんたのお母さんから色々聞いてるわよ」
「色々?」
「うん。色々。どこでバイトしてるのか、とか、シャンプーにこだわりがあるとか、へたくそな歌をよく歌うとか」
「余計なことを……」
「お姉さんもいい人ね。あんたと違って」
「それは君の精神が歪んでいる証拠だよ。客観的に見て僕が一番良い人だからね」
「はいはい」笑顔を浮かべたまま木下は続ける。
「両親がね、離婚したのよ」
 僕は彼女を見た。無理をしている様子はない。
 彼女は照れたように僕のほうを向き直ると言った。
「ほら、あんたには色々愚痴ってたからさ、一応結果報告だけしとこうと思って」
「別に言わなくて良いよ。重いから」
「いいから言わせてよ。今のところ、順調なんだから。今はね、お母さんと暮らしてるのよ。そこそこ上手くやってるわ」
 それはよかった、とでも言うべきだろうか。
『順調なんだから』
 それは順調とは呼べるのだろうか。
 僕には分からないし、分かろうともしたくない。それに人の家庭の事情など正直どうでもよい。
「また家に行っても良いかな」
「好きにすれば良いよ」どうせ拒絶しても来るのだろう。
「あんたの部屋にも遊びに行くわね」
「それは」困る、と言いたかったが、木下の爛々と輝く目を見ていると言えなかった。
「好きにすれば良いよ」
 彼女は嬉しそうに笑った。
「あんたには感謝してるのよ。救われた気分」
「僕は特に何かした記憶もないけど。何かしようとも思ったことないし」
「あんたらしいわよね、その言い方」
 花火が再び空に上がった。連続して上がる、美しく光る。
 お前に僕の事が分かるのか。そう言いたかった。彼女とは普段たいして話さないからだ。
 わからない。なぜ彼女は僕を信頼しているのだろう。
 消えていく花火が、辺りを再び静寂に彩った。木下は相変わらず機嫌のよさそうな顔で空を眺めている。
 初めて会った時とは全く違う、美しい笑顔。
「なんかあんたって、憎めないのよ。口は悪いし、性格も変だけど、心を見透かされてるというか、そんな感じがして。あんたなら何話しても大丈夫って、そんな気がした」
 恐らく彼女は僕に関して認識違いをしている。僕は人の人生を救うことなんて出来ないし、何を話されても許容できたりなどしない。もちろん誰かを助けようなんて思ったこともない。
 僕はただ仮面を被っていなかっただけだった。自分を偽らず、あるがままに生きてきただけなのだ。だからこそ、彼女は僕の前では仮面を脱げた。彼女にとって素の自分を出せるのは僕だけだった。だから心を見透かされている気になったのだ。
 そうか、だから信頼しているのか。
 花火が上がった。大きな花が空に広がった。音の余韻は僕の耳に残り、静かに消えていった。
 すべて解決したわけじゃない、だけど少しだけ光が見えた、そんな感じはしていた。
 今後も時は緩やかに流れるだろう。
 天使のように美しい少女は、少しずつ本当の笑顔を取り戻しつつある。
 僕の家庭も徐々に昔の姿を取り戻して来ている。むしろ、どれだけ崩壊しても崩れない、それが我が家なのかもしれない。
 僕の進路も少しずつ見えてきた。
 花火が上がる。僕らを照らし出す。
 彼女とは長い付き合いになる。優しく微笑む彼女の笑顔を見ながら、そんな気がした。
 
 ──了

       

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Neetsha