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現神凉子と人造人間をつくろう
現神凉子と人造人間をつくろう

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 フランケンシュタインと聞けば誰もが頭にぶっといネジのささった大男を容易に想像することができるだろう。けれど、フランケンシュタインとはそれを作った博士、フランケンシュタイン博士のことであって、怪物自体の名前ではない。どころか、怪物には名前が存在しない。博士は作ったはいいがあまりのおぞましさに名前もつけずにほっぽりだしたのだ。
 フランケンシュタインの怪物は人間に復讐を誓うが最後は凄惨な死を遂げる。そんなような話らしい。
 らしいというのは俺に本を読む習慣がないからだ。お固い本はもちろんのこと、推理小説だって勘弁だし、ライトノベルだって滅多に読むことはない。漫画だけは人並みに読むという現代っ子なのだ。
 このフランケンシュタインの話はどこかでさやっとした声の人が言っていたことを少し聞きかじっただけのことだから真相のほどは各人で確かめてもらいたい。が、別にどうでもいい。
 フランケンシュタインの怪物をはじめとして人間は人造人間というものを夢想してきた。
 ドラゴンボールの18号、人造人間キカイダー、などなど。バイオロイドやヒューマンサイズのロボットだって人造人間と言えなくもないだろう。
 フィクションの世界のそれはたいてい人間と変わらない姿で、変わらない行動をする。
 しかし、現実はではどうだろう。
 機械と肉体の混合だってせいぜい義手や義足といったレベルで、あくまで足りない部分を補うための飾りに過ぎない。もちろん昔に比べればその技術は進歩して入るものの、SF世界の全身義体や部分擬体といった自ら進んで換装するというレベルは夢と遠い。
 ロボットだってせいぜい歩いたり、不恰好に走ったり、少ない言葉を合成音で発する程度のもので、マルチのようなドジメイドロボの実現にはまだまだ時間を要するだろう。
 科学が格段に発達したと言われていても、一般に出回っている情報ではこんなもので、フィクションのような人造人間ができるころはきっと、いればだが、俺の孫子の代になるんだろう。
 現実の話では遠い未来の出来事で、フィクションの世界でも失敗するようなことを一介の高校生がやりたいなんて言うのはバカでしかなく、バカ以外のなにものでもない。と俺は思う。これは夢想ではないだろう。
「はじめ少年は夢がないな」
「夢の問題かよ」
 もちろんそのバカとは俺のとなりでコントローラー握りながら、画面の動きに合わせて、自分の体も動いてしまっている現神凉子のことだ。なんでゲーム初心者は自分の体も動かすのだろうという疑問もあるけれど、それは今関係ないのでまた日を改めて考えたいと思う。
 

 今日は休日で現神が俺の家に来ることになっていた。しかし、約束の時間になってもまるで姿を表さない。とはいってもいつものことだからそれほど心配はしていなかった。
 が、約束の時間を二時間も過ぎれば「いつもの」とも言っていられない。今までの最長記録は一時間五九分だったというのに記録を更新しやがった。
 本人の携帯にかけるがでやしない。忘れてるんじゃないかという俺がむかつくだけですむ可能性にかけて現神の自宅に連絡をいれるけれど、もうとっくにでたという。
 そうなると本当に心配しなければならなくなる。事故か事件か なんて想像もしてしまう。
 俺は現神の行きそうなところ、心当たりをくまなく探してみる。孔雀公園、鶴亀屋、駄菓子屋ぬえ、エトセトラ。が、見つけることはできなかった。
 警察に行ってみるもそれらしい話はなく、どうすることもできないので家に帰ると、見覚えのない靴が玄関に並んでいた。女物の。現神と同じサイズのが、だ。
 俺は階段を駆け上がり、自室の扉を勢いよく開ける。
「……ありがちすぎるだろうが」
 妹二人と現神が俺の部屋で談笑していた。
「やっと帰ってきたか。しかし私との約束をすっぽかして何をしていたんだ」
 なんてことを抜かしやがる。俺がどれだけ走りまわったと思ってんだ。と言っても、こいつがそれを知っているわけがなく、またそれを言ったら負けな気がして、俺は言わなかった。
「コンビニでな漫画読んでたんだよ」
 適当な言い訳をすると、現神はあきれた顔をした。
「また成人コーナーか」
「またってなんだ」
「これはなんだ?」
 にやっと笑いながら現神は後ろ手に隠していた書籍とDVDを俺に見せた。
「なっ、おま。それ、どうやって」
「どうやってもなにも普通のDVDや漫画と一緒に棚に並んでたぞ」
 まっ、そうなのだ。隠すものでもないし普通に棚に並べていたのだ。
「きみはこういうこんがり日焼けした女性が好みなのか? DVDもブラジリアン系が多い気がするしな」
「どうでもいいだろ」
 そう、どうでいいのだ。たとえ、日焼けした水着のお姉さんのグラビア誌を一〇冊持っていようと、ブラジル美人やインド美人のDVDを二〇枚持っていようとそんな話はどうでもいいのだ。
 しかも言わせてもらえるならば、普通のエロ本のほうがはるかに多いし、ビデオだって欧米系のもののほうが多いのだ。
「てか、人の妹の前でそんな話すんじゃねえ」
「しかし、妹ちゃんたちも興味津々に見ていたぞ」
「見せてんじゃねえよ!」
「見ようといったのはこちらの妹ちゃんだ」
 そう言ってみいを指差す。
 俺は視線をみいへと移す。するとみいはとぼけた顔で横を向く。
「違うよ。凉子さんが……」
 しいがみいの肘のあたりの袖をちょいちょいと引っ張る。みいはそちらに顔を向けて少し驚いたような、あきれたような顔を作った。
「しいちゃん、今、そういう空気じゃないから」
 しいはみいと俺を交互に見比べて、それから少し悲しそうにうなだれた。
 みいはそれを見ると、少し黙ったあと、頭をかきむしって、また黙った。仕方がないという、ややあきらめた表情でしいの肩に軽く手をおいた。俺のほうに向き直り、肩の高さくらいに軽く手をあげて、少し赤らんだ頬で、俯き加減で質問する。
「あー、にいちゃんて巨乳フェチ なの?」
 みいは元気で活発で溌剌とした奴でこんな表情をする奴ではない。だから、何を言い出すのかと身構えてみれば何を言い出すのやら、だ。
「はい?」
 俺の裏返った声を聞いて、みいは慌てて手と頭をぶんぶんと振る。
「いや、違う。そういう意味じゃなくて。いや、そういう意味なんだけど、違くて、違うの」
 まったく意味がわからない。こいつの慌てぶりと発言もそうなのだけれど、意図、思惑、目論見、何を考えてそんな質問をしたのかがわからない。
「あ、いや、だって、おっぱい大きいお姉さんのビデオがいっぱいあるし。ね? しいちゃん」
 しいは自分に振られるとは思っていなかったらしくあたふたとしている。そのしいの代わりに現神が言った。その裏でしいとみいが「もー」とか「だって」と小競り合いをしていた。
「確かにきみはおっぱい星人だな」
「星人じゃねえよ!」
 俺がそう言い放つとなぜかしいがぱあっと明るい顔になった。
「しかし、この量と質は な。ごまかせないぞ」
 俺は現神の胸元に視線をむけて言ってやる。
「普段の反動ってやつだよ。俺のまわりにはいないからな」
 すると現神は俺の妹たちへ目をやって、息を吐いた。
「自分の家族をそういう目で見るのはどうかと思うぞ」
「誰もそんなことは言ってないだろ! お前だよ、お前」
「私のどこが小さいというのだ。やや成長が遅れているだけで、今にこの劣情パインちゃんのような姿になるのだ」
 現神は手に持っていたビデオのタイトルを読み上げて言うが、いい年して夢見てんじゃねえよ。お前の成長期は終わってんだよ。
「きみが巨乳好きだからそんなことを言うのだろう」
「関係ないね」
「いいや、そうだね」
「いい加減だまんねーとカレーねじ込むぞっ!」
「きみこそシチューをねじ込まれたくなかったら訂正しろ」
 龍虎にらみ合うといった様相の俺達の間にしいがわって入ってきた。俺はぎょっと目を見開いてしいを見つめる。
 胸を包むように手をあてている。今にも泣きそうな沈んだ顔で言う。
「やっぱり大きいほうが……いいの? お兄ちゃん」
 しいを抱くようにしているみいが必死に目配せをしてくる。フォローしろということだろう。
「お、お前はそんな心配しなくていんだよ。まだ成長期だろう。そこのおばんとは違うんだよ」
 現神を引き合いにだしてなだめる。しいは一度顔をあげて俺を、俺の顔を見て、すぐに頭をさげた。まあ、俺の顔色を見ればそうもなろう。が、妹相手にこんなことを言わなきゃいけない兄の気持ちもさっしてくれというのは都合がいいだろうか。
 みいが怒った目で俺をにらむ。
「あー、兄ちゃんほんとは貧乳のが好きなんだ よ」
 「嘘」としいは顔もあげずに短くつぶやく。
 みいの目がますます厳しくなる。
「んー、っあ、そうだ。胸の大きさなんか関係ないだろう。そんなことでしいのことを判断する奴はいないさ。本当にしいのことが好きならなおさらそうだ」
 さぶいぼがたつような綺麗事だとは思う。見た目というのは重要なファクターだ。
「……お兄ちゃんは?」
「え、何?」
 みいが口をぱくぱくと動かしているのが見える。納得して、俺は言う。
「ああ、もちろん好きだよ。うん」
 しいは何も言わずに座ったまま動かない。みいと顔を見合わせて駄目か、とあきらめかけた時、しいはおもむろに立ち上がった。それから何も言わずに歩いて行き、部屋からでていく。パタンとドアがしまったと同時に喜声。すぐに叫声に変わり、なにかが階段から落ちるような音がして、声が途切れる。
 みいがすかさず立ち上がって、「見てくる」と部屋をかけ出した。おそらくしいが落ちたんだろう。俺も行きたいところだけれど、たぶん行かないほうがいいんだろうな、と思い、とどまった。
 現神がにやにやと笑って俺を見ている。
「んだよ」
「仲がいいな」
「まあな」と素っ気なく答える。
「きみは童貞だからな」
「いらねえ心配してんじゃねえよ」
 童貞だろうとなんだろうと妹に手を出す馬鹿がいるわけがないだろう。そういうこと一人っ子にはわかんないんだろうな。
「そういうのはフィクションの中だけなんだよ」
 すると現神は平然と言ってのける。「なら、ありえるじゃないか」と。

     

 妹たちがいなくなると現神はテレビに繋がっていたプレステを除去して、セガサターンをセットしはじめた。
「やんのはいいんだけど、普通ことわってからだろ」
 現神はきょとんとしたあと、何をいまさら、とでも言いたげに鼻で笑った。
 現神はソフトの並んだ棚から一本取り出す。何をするつもりなのかと気になって覗き込んでみると、選んでいたソフトは卒業生Ⅱ。
「お前、何時間俺んちいるつもりだよ。てか、一人プレイじゃねえか」
「少年もやりたかったのか」
 やれやれと肩をすくめる現神。何様だ。
「じゃあ、一週ずつ交代でプレイしようか」
「別のにしろよ! なんでお前とギャルゲーしなくちゃならんのだ」
「ふむ。確かにきみが変な気を起こさないとも限らないしな」
「いや、それはない。確実にない」
 俺がきっぱり、はっきり、すっぱり答えると、そうか、と少し残念そうにした。
「じゃあサクラ大戦するか」
「一人だよ!」
「スレイヤーズろいやる?」
「それもだ」
「ロンド? デビルサマナー? プリンセスクラウン?」
「わかって言ってんだろ」
「しかし、一人用ゲームばかりだな。友達いないのか?」
 そんなことをお前にだけは言われたくない。が、一人ゲーが多いのは事実だった。
 現神はやれやれと笑いながらヴァンパイアセイヴァーをセットした。かの有名な格ゲーだ。今でこそ衰退してしまったジャンルではあるけれど、全盛期の当時の作品は今やっても面白い。
 とはいっても俺はほとんど格ゲーをやらない。故に弱い。俺の持ちゲーにもかかわらず、俺はこのヴァンパイアセイヴァーというゲームで現神から勝利をもぎ取ったことは一度もなかった。
 大なり小なりの差異はあるけれど、格ゲーにはコンボというものが存在する。川が上から下へと流れるようなよどみのない攻撃が求められる。俺の指は多指マニュピレーターではできていないし、状況に応じ自在にコンボを変化させることなんて当然できないし、そもそもコンボを複数覚えられる知能を持ちあわせてはいない。
 俺は格ゲーというものが大嫌いなのだ。
「きみは天邪鬼だな、本当に」
 と言う現神は画面も見ずにコントローラーを操作しながら、俺の猫ちゃんをボインのネエちゃんではめ殺していく。
「……きみの猫は野上さんが声優だったな」
 どうでもよさそうに現神は言う。
「お前、よくあんなローカルなOVA知ってるな」
 俺がそう言うと現神は「きみも、な」と笑った。
「ところでお前はなんで格ゲーだけ異様に異常に強いんだ?」
 基本的に現神はゲーム初心者である。こいつのうちにゲーム機の類はない。だから、ゲームに触れる機会は少ない。
 それなのに現神は近所のゲーム屋の格ゲー大会で優勝したり、可愛いキャラクターがいっぱいでる格ゲーで全国大会にも出場したりしている。
 俺なんかほとんど毎日隠れて努力しているというのにこいつに勝つどころか、一緒に出たゲーム屋の大会にて小学生の女児にパーフェクト負けを喫した。
 この差はどこから来るというのか。
「んー? センスだからなあ……うん」
 こともなげに言ってのける現神さん。
 そりゃあそうだ。
 センス。超大事だろう。何事にも才能は必要だ。極めるなら尚更に。
 でも、センスという言葉は時に人を傷つける切れたナイフだ。そう思いませんか? みなさん。などと心のなかに潜む俺のペルソナたちに語りかけてみるものの返事は返ってこず、ただただ嗚咽の音が響くだけだった。
 センス。そのこと自体を否定しようとは思わないけれど、もうちょっと気を使って欲しいものだ。
「少年はセンスないからな」
「………」
「どうした?」
「おまえ、もう帰れよ! 今すぐ帰れよ!」
 俺が立ち上がって急に怒鳴りだすものだから、さすがの現神も画面から目を離して俺の方へ向いた。
 驚いて目を丸くしつつ、どうして俺が怒っているのかわからないらしくあたふたしている。
 そんな現神の様子を見下ろしていると、少し冷静になり大人気なかったかなと思い始める、俺。
 大きく息を吐き出して、心を落ち着かせてから謝ろうと口を開きかけた瞬間、だ。
 現神は軽く手のひらを叩いて、なにか理解したような顔をした。
「ああ。きみはセンスがないと言われたから怒ったのか。しかし、事実だしなあ」
「……ほんと帰れ!」


 一時間もするとさすがの現神も飽きたらしくサターンの電源に手を伸ばした。この一時間の戦績は言いたくない。という俺の言から察してほしい。
 さすがに本筋と離れたなんの意味もない格ゲーの話じゃあ飽きてしまったろうから、話は唐突に本筋へと戻る。
 もちろんこの時点の俺に本流と支流がわかるはずもなく、結果からみて戻ったといえるだけなのだが。
 現神は俺の漫画しか置いていない本棚から某週刊少年誌で二度打ち切りにあったゴルフ漫画を取り出すとそれを読み始めた。もちろん俺に一切の断りもなく。
 それくらいのことで目くじらをたてる仲でもないから、俺も適当に本棚から漫画をとった。とか言ってる時点で目くじらを立ててんじゃないのとも思うが。
 なんども読んだ漫画をぺらぺらと流し読みしていると、現神が急に大きな声を出すもんだから俺は肩を震わせた。それを見て現神はくすりと笑い、俺がにらみつけるとすぐに笑みをひっこめた。
「どうした?」
 ただ俺をびっくりさせるだけのいたずらかとも思ったが、一応訊いてやる。そこまで幼稚な奴じゃあないよな、と願いながら。
「礼を言うのを忘れていたと思ってな」
「?」と頭上に疑問符が浮かぶのは特に礼を言われるようなことをした覚えはないからだった。
「エロ本を読んでいたといったが、私を探しに行ってくれていたんだろう?」
「な、んなわけない。だろ」
 誰が見てもそれが嘘だとわかるほど動揺している俺を見て現神は余裕たっぷりのお姉さんぶって笑った。
「照れることはないじゃあないか。優しさは美徳だよ。優しさだけではいかんがな」
 こいつが言うように照れることじゃあないのはわかるが、心配で探しに行ったなんて思われるのは癪に障るというかなんというかもう   思考は纏まらないが、顔が赤く火照っていることだけはわかる。それも異常に。
 そんな俺を見て現神が嬉しそうに笑うからますます熱くなる。
「だあ! もう! んなことはいいんだよ。約束に遅れた弁解くらいしれ」
「ん? うん。うん?」
 俺の言葉の意味を理解しないまま頷いて、それから考えてみたもののわからなかった、といった風に現神は首をかしげる。
「遅刻時間新記録を樹立した現神さんの言い訳を聞かせて欲しいんですが」
 現神は眉をひそめ「凉子と呼べ」と一言だけ言うと頬をふくらませてそっぽを向いてしまう。
 俺は嫌々、仕方なく下の名前で呼んでやると、嬉々とした表情を見せる。無理やり呼ばせておいてなにがそんない嬉しいのやら。
「遅刻の理由だったな。それはあれだ。魔法図書店に行っていたんだ」
「……魔法? 何を言っているんだ!? 現神」
 現神は意味ありげに唇の片端を持ち上げてみせる。
「最初にあったのは宇宙人だったな。その後に会ったのが幽霊だった」
 回想するように最近起こった奇怪との出会いを取り上げる。
「まさかそれがただの偶然で起こった、そう思っているのか? 少年」
「何が言いたい?」
 はじめは小さく、次第に大きくなっていく現神の高笑いに俺は唾を飲み込んだ。
「すべて私が、私の魔法で起こしたことだよ! 少年」
「ふーん」
 と、ノリの悪い返事を返してやると現神はあからさまに不機嫌な顔をした。自分から炊きつけておいてと言いたげな表情だ。
 言うまでもなく魔本なんてものはこの世に存在しない。少なくとも俺はそう思っている。宇宙人と幽霊の存在は知っているが、魔法と出会したことはないから今のところ信じていない。
 それじゃあ現神の発言はなんだ。「私の魔法で」云々というのは俺の言葉に乗っかった悪ふざけにしぎない。しかし、始めの魔法図書店それは違う。その本屋は実在するのだ。
 とはいっても商店街の真ん中にある八〇だか九〇のばあさんが経営する古書店の名前がそれだというだけで、高校生二人が魔法に目覚めて不思議な世界へと足を踏み込むファンタジー冒険活劇が始まるわけではない。
 なんとも胡散臭い本屋で、噂では黒魔術書や呪殺書が売っているらしいのだけれど俺は入ったことがないから真偽のほどはわからない。名前が名前だけに売っていてもおかしくはないかなあ、とか思うけれど。
「きみはそう言うかもしれないがあそこにはなかなか面白い本がたくさんあるんだぞ」
 そう言うと現神はどこから取り出したのか大判の図鑑サイズの本――装丁は黒革に血のような赤色で何語かもわからない文字で題がかかれたもの――を俺によこした。
「なんの本だ?」
「なんだと思う?」
 もったいぶって現神は言う。
 俺は質問に答えず、現神が正解を言うのを待った。
「人造人間解体新書、だよ」

     

「やあ、ひさしぶり。みんなお待ちかねの俺こと『にのまえはじめ』がお送りする愛と青春のSFスペクタル超大作が再始動するよ!」
 どこからかヌッと女があらわれた。知っているような気もするし、そうじゃない気もする。輪郭がおぼろげでよくわからない。
そいつは親しげな声音で言う。
「なにを言っているんだ? 少年」
 どういうわけか俺も親しげに言葉を返していた。
「いや、なにせ久しぶりも久しぶりだからな。読者の皆さん及びどこかの神様にこの物語のジャンルがどんなものだったか思い出してもらおうとおもってな」
「いい心がけだな。しかし間違っているぞ」
「言いがかりはやめてもらいたいな」
「本気で言っているのなら少年はとちくるってしまったといえるな」
「生まれた瞬間とちくるった女にそんなことを言われる筋合いはない」
「………」
 目の前に立つ女は返事をせず少しだけ悲しい顔した。
 気づくと俺は断崖絶壁に立っていた。不意に彼女の手が伸びて俺の胸を押した。いや、触ったという程度の力加減であったにもかかわらず、その微弱な力に抗うこともできないで崖下へまっさかさまに落ちていった。
 落ちていくさ中、崖のへりから女が顔を出してなにかを叫ぶのが聞こえた。俺に向かって。
 落ちている間、俺の頭の中を彼女の最後の言葉がリフレインし続ける。
「……ろ」
 地面なのか海なのかはわからないがいっこうに底が見えてこない。ただただ真っ暗で真っ黒なのだ。崖から落ちたときは昼だったような気もするのだが、すでに記憶はおぼろげであった。
「……きろ」
 声が聞こえた。さっきの女か?
 いや、俺を突き落とした女じゃあない。そいつはずっとずっと上にある崖にいるのだから。
 それに今度の声は底から聞こえてくる。
 空が白んできた。
「空が!?」
 無意識下に浮かんだその言葉で俺は勘違いに気がついた。
 落ちているわけじゃあなかった。逆。
 浮かび上がっているのだ。
 空は完全に白く輝いて、俺はその中に吸い込まれていった。
 瞬転。
「俺と現神のあまくて切ない青春恋愛物語だけはねえよ!」
 飛び起きた俺はそこにボケ役がいるわけでもないのにツッコミを入れつつそんなことを口走っていた。
「いきなり眠りこけて、目が覚めたと思ったらずいぶんとずいぶんなことを言うじゃあないか、少年」
「いや、違うんだ。弁解させてくれ」
 涼子ちゃんは答える代わりに身振りで先をうながした。
「なんか……そう! 言わなきゃいけない気がしたんだ。現神とか言う奴に」
「ほう。どうしてとつぜん私にそんな暴言を吐かなきゃいけない気がしたのかの説明をしてもらいたいな」
「涼子ちゃんじゃなくて現神ってやつだってば!」
 理解力のない、というか少し分けのわからない絡み方をしてくる涼子ちゃんを思わず怒鳴りつけてしまった。
 まずったなと思ってそちらを見るが、どういうわけだが瞳をキラキラと輝かせていた。
「今なんと言った?」
「だからさっきのは現神ってやつに言ったわけで」
「そこじゃあない!」
 ずいっと顔を近づけてくるから興奮気味のぬくい鼻息がかかって気持ちが悪かった。
「えっと」
 いや、待てよ。
 そういえば俺は起きたら目の前にいたこいつとごく自然になんの疑いも持たずに話をしているけどそもそもこいつはだれだ?
 確かさっき涼子ちゃんとか口走っていたけど俺の数少ない女の知り合いに涼子ちゃんなんていたのか。
 龍泉寺先輩に、性別だけ見れば妹のみいとしい、それに母親も女といえるけど少なくとも後者三人とは今、こんな状況になっていたらそれは現実じゃあなくてエロゲーってやつだ。
 なぜかって言えば、上着を脱いでブラジェールとか乳バンドとか言われる谷間を偽装するための女性用下着に――とはいっても谷間なんてものは微塵も存在しない断崖絶壁なわけだが――制服のスカートとおぼしき半裸状態の『涼子ちゃん』がズボンの脱げかけている俺に馬乗りに乗っているのだ。
 どう考えたってそういう行為におよぼうとしていると考えるのが妥当であり、つまりこいつは三親等以内の傍系血族ではないということは確からしい。
 いや、そんなことを冷静に分析している場合ではなくて、あれか? つまりこれはいわゆる流行りの逆レ◯プとかいうバスケ用語っぽい犯罪行為なのか。
「だれだか知らんがとりあえずどけ」
「そんなことはどうでもいいからさっきの台詞をリピートアゲイン!」
 妙に迫力のある語気で「涼子ちゃん」が言う。
 しかしどうでもいいわけがあるか。俺の貞操が危ないのだから。
「せええい!」
 掛け声一発、またがる半裸女をほうり投げるとすぐさま立ち上がり戦闘態勢をとる。
 が、思いのほか強く投げ飛ばしたと見え、ドンガラガッシャーン! 擬音も飛び出るほどの転がりっぷりを「涼子ちゃん」は見せつけてくれたわけで、そうなれば無論騒ぎを聞きつけて妹たちがやってくるのだ。
 ドタドタと軽快さのかけらもない無軽快さで階段を跳ね上がり、ノックもせずに兄の部屋に飛び込んでくるみいとしい。
「ちょっと、にいちゃん! 今の音なに!?」
 言うまでもなくやましいことなどなにもないわけだが、ズボンを半脱ぎの男と半裸で泣いている女(放り投げた際にテーブルの角に頭をぶつけたようだ)が密室でやっていることを想像できないほど俺の妹たちは愚かではないし、というかむしろ最近そのへんに興味を持ち始めて兄としてはちょっと困っているという状態なわけである。
 つまり、この惨状を見て男女の痴情のもつれと勘違いするのは致し方なく、むしろ正確に事の次第を理解できる人間がいるとしたらそれは超能力者以外のなにものでもない。
 だから被害者はお兄ちゃんの方なんだよ。とか、そこの糞女が性犯罪者予備軍なんだよとか言ったところで無駄だろうということはわかっているのだけれどせめてひとつだけ言わせて欲しい。
「俺は」
 が、そんな兄の願いをぶち壊したのは意外にもみいではなくしいで、そのセリフのほども意外なものであった。
「な、な、なにしてるんですか! 涼子さん。おにいちゃんがとつぜん気絶するかのように眠りこけてしまったのをいいことに生殖行為に及ぼうとするなんて! 不潔です! 犯罪です! 途中で目が覚めた寝ぼけ頭のおにいちゃんにほうり投げられてテーブルの角に頭ぶつけたってそんなの自業自得です! 天罰です! 絶対に許せません!」
 いや、なんていうか。自分で言っておいてなんだが、
「お前は超能力者かー! 心が読めるのか、過去がみえるのかどっちだー!」
「おにいちゃん、今は超能力とかそういうおふざけを言っている場合じゃないと思うの」
 あまりにあんまりなんでツッコんだのに冷静にそんなことを言われてしまうと立場がない。
 いや、まあ、そのおかげで俺の寝ぼけていた頭も完全に復活したわけだけど。といっても目覚めたからといってたいしてスペックがあがるわけじゃなし、常時省電力モードみたいなもんなんだけど。
 しかし、いくら寝ぼけていたからって涼子ちゃんはないだろ、俺。涼子ちゃんは。
 現神のことを「素」で涼子ちゃんなどと呼ぶとはこの一一一生の不覚。
「しっかし、一一一生の不覚て読みづらすぎだろ」
「おにいちゃん!」
「はい。すみません」
 うう。妹に怒鳴られて謝る兄って。
 すすすっと死角からみいが寄ってきて耳元でささやく。
「しいちゃん、怒っているよ」
「しいちゃん、怒っているな」
 御存知の通りしいは引っ込み思案で恥ずかしがり屋でたまに大胆なことを言い出すけど基本的には口数の少ない物静かなおにいちゃんっ子であるわけだが、ひとたび怒り出すと元気印花丸マークのみいがたじたじになるほどの剣幕で手がつけられないのだ。
 以前、俺の愛すべき妹ばらがくだらないことが原因で本気《マジ》の喧嘩へ発展した時、それを止めに入った俺は一ヶ月半の間、病院のベッドで天井のシミの数をかぞえるハメになった。
 看護婦もとい女性看護師に囲まれた生活は天国であったかもしれないが、しかしだからといって天国へいくためにバールのようなもの(比喩的表現)で強撃されたいとは思わない。
 つまり万が一、しいと現神が本気《マジ》の喧嘩に発展したとしても俺はとめる気はまったくないというわけだ。
「わけだ、じゃないよ、にいちゃん。なに誇らしげに言ってんのか知らないけどしいちゃんをとめられるのはにいちゃんだけなんだかんね」
「そんな漫画の主人公が言われるようなセリフで俺の中のヒロイックな部分を刺激しようとしてもダメなんだからね!」
「なんだからね、じゃないよ、にいちゃん。なにツンデレぽく言ってんのか知らないけどまんざらでもないかなって感じでニヤニヤしてんじゃん」
 俺は意に反して持ち上がってしまう口角を両手で押さえつつ、
「仕方ないだろ。男ってのは夢を見る生き物なんだよ」
「いやいや、なんかカッコいいこと言ったつもりになってんのか知らないけど漫画の主人公に憧れることを「夢」とか言ってドヤ顔しちゃう男がにいちゃんじゃなかったら私はひくね。退くね」
「みい!」
「な、なに?」
 とつぜん大きな声をだすもんだからびっくりして肩を振るわせちゃうみいちゃんは正直言って可愛い。
 だからといって兄として見過ごせないところがみいの発言の中にあった。
「最近テレビでよく使ってるから真似してんのか知らないけど「ドヤ顔」なんて小汚い言葉使うのはやめなさい」
「なんでさ」
「語感が汚いんだよ。みいは女の子なんだからさ」
「にいちゃんがどうしてもそうしろって言うなら使わない」
「ああ。なにがなんでも使わないでほしいね。ただでさえみいは仕掛人に殺される悪人みたいに品がないんだから、せめて言葉遣いくらいは綺麗な……うぐぇっ」
 みいの鉄拳が俺の脾腹を強打した。
「事実をつかれて怒ったかなんか知らないけど痛いじゃないか」
「ふん! ていうか、私が気に入って使ってるフレーズなんだから使わないでよね。いくらかっこいいと思ったのか知らないけどさ」
「みいがどれだけ気に入ってんのか知らないけどすでにお兄ちゃんの心のブックマークに保存されてしまったから受領しかねるね」
 なんて風にいつのまにか状況も忘れて仲良し兄妹をしていたら、
「ねえ。なんでそんなに楽しそうなの? わたしは怒っているんだよ?」
 ゆらり、とでも言うべきだろうか。ひどく緩慢にみえる動作でこちらへ振り向いたしいは低音の、それでいて突き刺さるような尖った声をだした。
そう言った時のしいの炯々たる目からは怒りというよりそれさえを飛び越えて憎悪のようなものが発せられているかのように思えた。
 その一言で無意識から現実逃避をしていた俺とみいは見たくもない現実に引き戻されてしまったのであった。
 漂う空気は重く、それでいて不用意な一言で簡単に壊れてしまいそうなほどもろくできていた。
 はっきり言って俺はしいの怒りを収め、かつこの場の空気を一変させるような術を持っていないし、思いつきもしない。俺がそうなのだから当然みいもである。
 あるいは現神ならと一縷の望みにかけて視線を移すと、
「そんなことはどうでもいいからもう一度、涼子ちゃんと呼んでくれ、少年」
 ああ、どうして俺はあるいはなどと思ってしまったのだろうか。このバカに一縷の望みを託すなどバカ以上のバカ。大馬鹿野郎だ。
 とうぜん空気の読めない現神の言葉はしいの不機嫌をさらに刺激した。
「ねえ、涼子さん。どうしてそんなに平然としていられるの? わたしのおにいちゃんを無理やり襲おうとしたんだよ。そういうの強姦って言うんだけどわかるかな?」
 が、現神は悪びれもせず、むしろ挑発的に、
「自分のものをどうしようと私の勝手だろう。まさか本当に兄妹で×××ができるとでもおもっているのか? 妹ちゃん」
「おにいちゃんと×××××しようと私の勝手でしょう!」
 いや、このさい誰の俺かは置いておくとして、
「俺はお前らのどっちとも××××するつもりはない!」
「おにいちゃんの」「きみの」「意見は聞いていない!」
 どこでどうスイッチが入ったのかは知らないけれど、ヒートアップした女どもが俺の言うことを聞くはずはなかった。
 俺とみいは部屋の片隅で震えながら抱き合っているほかなかった。
 
というわけで収拾のつかないまま次回へ続く――

     

 結果から言うと俺は肋骨二本、左腕、右足を骨折、さらに頭部から血を流して病院へ緊急搬送された。どうやらそういうことらしい。
 らしいというのは俺自身がよく覚えていないからである。
 気がついたら個室のベッドの上で包帯をぐるぐるまきまきされていた。
 意識が途切れる前の最後の記憶。
 巌流島の戦いさながらバールのようなもの(婉曲表現)を大小二本構えたしい。それを迎え撃つは異様とも言える長剣もといバールのようなもの(略)を上段に構え一撃必殺を目論む現神。
 その後の記憶は霞んでいてはっきりとしないが、おそらくはみいにけしかけられて二人の間に割って入り、ご覧の有様なのだろう。
「ファッキュー! 俺のヒロイズム」
「なにひとりごと言ってるのさ。にいちゃん」
 そう言いつつ呆れ顔で病室に入ってきたのはみいだった。
「おうおう、よくきたな。学校はどうだ? 楽しくやってるか?」
「なにその、久しぶりにあった親戚のおじさんみたいなノリ。きもい」
「きもいって言うな」
 兄ちゃんはきもいと言われると傷つく繊細な生き物だということをこのがさつな妹はぜんぜん理解していない。
 まあ、それは置いておいて、
「しいちゃんはどうしてる?」
 みいは黙って首を振った。
「そうか」
 なんでそんなことを聞いたかというと、俺が目を覚ましてから一週間ほど立つわけだが、俺はしいと一度も顔を合わせていない。
 断っておくが、俺に生死の境を彷徨わせたしいのことを怒っていて面会謝絶にしているとかそういうことはない。
 しいのしでかしたことはよくないことだけど、その被害者が俺であったことはよかったと思っている。
 つまり被害者が俺であったことでしいが暴行の罪――ていうか殺人未遂罪くらいにはとわれそうなレベルだけど――で警察にしょっぴかれたりすることがないのは心底うれしい。
 むしろ癇癪持ちだとわかっているのだからもう少しうまく対応してやれなかったのかなあ、と反省しているくらいだ。
「それは甘やかし過ぎだよ、にいちゃん」
 みいは呆気に取られた様子だが、兄妹愛というのは、ことに兄から妹へ向けられるものの強さはそれほどなのだ。もちろんそれは親が子に抱く愛情であり、異性に向けるそれとは性質が違うということは明言しておく。
 それほどしいを愛している俺がどうして怪我以降、彼女と会っていないかといえば、それはしいが引きこもっているからだ。
 怪我を負わせたことにひどく責任を感じてかどうかは知らないが部屋からでてこないらしい。
 前の時は普通にお見舞いに来て甲斐甲斐しく世話を焼いてくれただけに相当なショックであったことがうかがえる。
 しいが来ないのはまだ許せる。あの子は繊細だから。
 しかし、
「現神はどうした! 現神は!」
 俺が怪我する原因になった人物のくせに一度として見舞いに来ないのだ。
 だから俺のお見舞いに来てくれるのはみいしかいなかった。
「にいちゃんって涼子さんには厳しいよね。しいちゃんと同じとは言わないけど、その半分くらい優しくしないと逃げられちゃうよ?」
「ハッ! どうぞ逃げてくれ。俺としちゃあ万々歳だよ。あいつの面倒をみなくてすむようになるならな」
「またまたあ。そんなこといって唯一の友達をなくしちゃあにいちゃん人間としてまずいよ」
「い、いるから。現神以外にも友達くらいいるから」
「ふーん」
 と、言ったみいの目は俺の言葉をまるで信じていない冷たい目だった。まあ、妹ひとりしか見舞ってくれる人のいない兄の言葉に説得力があるわけないのは俺だって理解しているが。
「それはいいけど涼子さんなら一回だけお見舞いに来たよ」
「いつ?」
 それは初耳だった。
「いつって。いつだったかな。まだにいちゃんが目覚ましてないときだったから一週間以上前だよ」
「なんか言ってたか?」
「えーとね。『愛しているぞ、少年。後のことはすべて私に任せておけ。オールオッケー万事大丈夫だ』って言ってにいちゃんにキスして帰ってたよ」
「は?」
「だ~か~ら~」
「いや、言わなくていい。言うな!」
 今、俺はとても恐ろしいことを妹の口から聞いたような気がしたがそんなことはなかった。うん。俺はなにも聞かなかった。だからなにもなかったのだ。なにも起こっていない。うん。そうなのだ。
「あのね。にいちゃん。妹に彼女とのキスシーン見られたのが恥ずかしいからってそれはないんじゃない? 別にそれくらいふつうのコトだよ」
「付き合ってねえし! 彼女じゃねえし!」
 そりゃあもう怒鳴りに怒鳴ったわけだがみいはまるで相手にせず、しまいには
「しいちゃんには黙っていてあげるね」
 なんてしたり顔で帰っていた。
 いや、まじで付き合ってないんだよ。
 しかし、だ。
「私にすべて任せておけ、だあ?」
 現神に何かをまかせてオールオッケー万事大丈夫だったことなど一度としてない。
 嫌な予感しかしないわけで、入院中だというのに俺は心が休まらなかった。
 そして、怪我が治って久しぶりに登校して、やっぱり大丈夫でなかったと実感することになるのだった。


 正直に言えば俺は友達が多い方ではないし、クラスの中心とはほど遠いわけでいくら入院明けの初登校日だからといってクラスメイトはおろか、学年も性別も関係なく身動きできないほどの大人数から出迎えを受けるとは微塵も思っていなかった。
 ほんの数分前だ。
 俺が教室の後ろのドアを開け(もちろん無言で)中に入った瞬間、それまで朝の教室の乱雑さをいろどっていたクラスメイト達の動きがとまった。
 とまったと言いつつ教室後方のドアへ視線が集まってくるのがわかる。というか俺が見られていた。
 普段なら誰も気づかないうちに自分の席について突っ伏すミクロな存在であるはずなのに。
「……おはよぅ」
 どうにもいたたまれなくなってとりあえず挨拶をしてみるものの返事を返してくれる奴はいなかった。
 いや、まじでいたたまれなくなってきたその時だ。
 背後から肩を掴まれた。
「てめえ、昨日の今日でよく顔が出せたな」
 振り向くと、まあ仮にA君とでもしておこうか(決して名前を覚えていないとかそういうことではない)。坊主頭をどぎつい金色に染めあげ、ワイシャツをズボンからだらしなくだし、不良のようなものを気取っている別にどうってことないA君だ。
 同じクラスになってから一度として――少なくとも俺の記憶にはない――話したことのないA君に因縁を付けられてしまった。
 しかし「昨日の今日」というのは解せない。
 昨日はまだ病院にいた。かといってA君がお見舞いに来てくれたなどということはない。
 昨日出会っていないのにこの因縁の付け方は素人臭い。
「誰かと勘違いしてないか?」
 言い終わらないうちに脾腹を強撃され、
「うう」
 呻いて倒れ伏す俺。
 相手がなんちゃってヤンキーだろうとそれ以下の俺である。
 しかしバールのようなものには勝てないまでも兄妹喧嘩で鍛えられた俺だから打たれ強さは人一倍。不意打ちだったために思わずうずくまったもののさほどのダメージではない。
 立ち上がろうと顔を上げたところへ蹴りが飛んできた。頭を振ってかろうじてかわしざま素早く立ち上がり、反撃。とはいかず、三歩ほど後退した。
「なにを怒ってんのか知らないけど事情くらい聞かせて欲しいんだけど」
「いまさら事情もクソもあるか!」
 聞く耳持たないA君である。満面に血をのぼせてこめかみのあたりに血管が浮き上がっている。
 なにがなんだかわからないが「相当」怒っているらしい。
 と、そこへ。
「やめてよ!」
 ひとりの女生徒、まあBさんとしよう。何度も言うが名前を覚えていないわけではない。
 そのBさんが俺とA君のあいだに割って入ってきた。
「おまえ、そんなやつをかばうのかよ」
「あんたには関係無いでしょ」
「関係ないわけねえだろ! 人の彼女に手だしておきながら」
「だれがあんたの彼女なのよ! 一回シたくらいで彼氏面しないで」
 おお。おお!?
 よくわからないが痴情のもつれらしい。
 しかし一回シたくらい、か。なんとも凄いセリフである。童貞の俺にも恩恵を――げふんげふん。
 注目すべきはそこじゃあなく、人の彼女に手をだした、というところだろう。
 どうやらA君は彼の彼女であるBさんにちょっかいをだしたナニガシを昨日シメてやったようだ。そのナニガシと俺とを勘違いして「昨日の今日で」などといって殴りかかってきたわけだ。
 Bさんが間に入ったおかげかクラスメイト達も加勢してA君を追い出してしまった。
「大丈夫?」
 と、Bさんが近寄ってきて俺の頬をさすった。
「殴られたのは腹なんだけど」
「あ、そうだよね。ごめん」
 と言いつつBさんは顔面を紅潮させた。
 それから次々とクラスメイト達も周りに集まってきて、いつのまにやらどうやって話をききつけたものか他のクラスや学年の生徒たちも集まっていた。
 その全員が俺のことを心配しているし、親しく声をかけてくる。
 どうも
「おかしい」
 のである。
 不当に殴られたことに対してクラスメイト達が加勢してくれたり、渦中の人であるBさんが謝ってくれるのは当然といえば当然だが、「俺」の心配をしてこんなにも人が集まるなんていうのは異常だ。
 さっきも言ったとおり友達は多くない。
 その俺がなぜか人気者である。
 しかも、
「そういやはじめくん、この前一緒に遊びに行ったときも絡まれてたよね」
「あったあった。でもあんときははじめくんの空手でボコボコにしてやったじゃん」
 などとチャラい雰囲気の二人組が言ったりする。もちろん一緒にどこかへでかけたことはないし、顔すら知らない相手だ。
 そういう人間が何人も馴れ馴れしく「はじめくん」などと話しかけてくる。
 おかしいを通り越して気持ち悪いとさえ感じる。
 と、人でできた生垣の外縁で声が上がった。
「え? え! なんで?」
 驚きと戸惑いがない混ぜになったようなそんな声であった。
 その声は次第に周囲へ伝播していき、中心まで届いた時。
 俺はおどろくべきものを目にした。
「なんだよ……おまえ」
 驚愕に飲み込まれて俺はそう云うのが精一杯だった。
 しかし、そいつは驚きの渦の中心でひとり平然とし、そして俺の顔を見て口の端を持ち上げニヤリと笑ったのだ。
 その姿は「俺」そのものであった――。

       

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Neetsha