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凡人生まれの上本くん
2話「美香保のエースは雛形くん」

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『中学軟式野球の星、美香保中三年雛形くん』
 大きめの写真と文字がローカル紙のスポーツ欄を踊る。
 練習試合に向かう電車の中で、私達は顔を寄せ合ってこの記事を熟読していた。
 ――美香保中学校三年、エースでキャプテンを務める雛形 翔太郎くん(15)は昨年の秋大会から背番号1を背負い、地区予選二回戦レベルの弱小校を一気に全道大会ベスト4まで押し上げた。高校野球関係者からの熱視線が集まる中、今夏の中体連では更なる快進撃が期待されている――。
 だとよ。
 まるで野球漫画の主人公。いや、どちらかと言えばライバルキャラとして立ちはだかる強敵か。その主役が上本貫己では、あまりに力関係が成り立たないが。
「やべー、こんなの絶対打てねーよ」
 誰かが言うと、皆もそうだそうだと後に続く。そう、これから私達はアホ面ぶら下げて美香保中学校との練習試合に向かうのだ。試合を申し込んだのはこちら側だと言うが、ウチの連中はどうにも身の程というものを分かっていないきらいがある。私が持ってきた新聞を読んでようやく慌てふためいているようだが、もう遅い。
「でも、やってみなきゃ分からねえよな? 美香保中だってこのピッチャーが出てくるまでは弱かったんだし、絶対俺らにもチャンスはあるって!」
 しかし貫己のこの一言で、こいつらはまたどっと盛り上がりを見せる。大丈夫、打てる打てる! ちゃんとバット短く持って狙い球を絞っていこう! なんて言い合っている姿は本当にバカ丸出しだ。お前ら、狙い球なんて考えて試合やったことないだろが。
「もし今日美香保に勝ったら、俺らも全道ベスト4ぐらいの力はあるってことだからな……。今年は全国行けるって!!」
「うおおおおお!!」
 うおおおおおじゃねえよ。
 せいぜいズタボロにやられてこい、アホ共。

 ○

 うわっ……。
 ベンチで見ているだけの私も思わず馬鹿みたいに呆けてしまった。
 楽天的だった清陽の選手達が皆、試合の進行と共にどんどん静まり返ってゆく。
 グローブを胸元あたりまで上げるノーワインドアップから、カクカクとテンポよく体の動く軽快なピッチングフォーム。投球後、地面を蹴った右足が一塁方向を向くまで体を捻る姿は、投げているというより「舞っている」と思わせるほど美しい。
 それでも、打席に立つバッターにはそのフォームに見惚れている間もなくボールはミットに収まっていて、まるで手を抜いているのかと思うほど静かにしなるだけの右腕なのに、指先を離れたボールは私が今まで見てきたどんなボールよりも激しくキャッチャーのミットを唸らせた。

     


     

 清陽ベンチのかすれた声援を切り裂いて、ミットの音が上から重なってくる。
 スピードガンなんて用意してきた訳じゃないけど、130キロとか出てるかもしんない。
「ストライークバッターアウト!」
 あっちこっちに曲がる変化球は狙い球なんて絞らせもせず、貫己はこの試合三度目の三振に倒れた。
 最終七回の表、ツーアウト。バッターは岩田、エースで三番。
 ――この試合、牽制死やゲッツーなんて無かったけどね。
 雛形くんの放った四球目、アウトローギリギリのストレートに岩田は手も出さないで、しまったと一瞬天を仰いだだけだった。
「ストラーイクバッターアウト! ゲームセット」
 何事も無く試合は終わって、選手達は力無くベンチを出ていく。
 身の程知らずのバカ共だけど、今は多分、悔しがっている奴すらいないと思う。
 このピッチャーは、きっと高校でも当たり前のようにエースをやって、いずれは大学やプロの世界に進むのかもしれない。そういう未来が待っている選手が一つのステップとして通過する中学野球と、私達が思い出作りみたいにやってる中学野球は、本質のところでは全くの別物なんだと痛感させられた。
 選手達の挨拶が終わっても貫己をバカにする気すら起きず、私は監督の後について美香保中の監督のところへお礼へ行った。そいつは、本当にただの情けないオッサンだった。
「私は指導なんてものは何もできてません……。雛形が凄いからエースナンバーをつけさせたら、突然全道大会まで行けてしまった。雛形はまともな指導者のいないこんな環境でもしっかり自己管理が出来ているようで、何も言われなくても一人で勝手に成長しています。地肩の強さもありますが、変化球もコントロールも素晴らしい……。私は野球はあまり詳しくないのですが、彼がいるなら今年は全国大会まで行けると思います」
 実はうちも全国制覇を目指しているんです、なんて言えるはずなかった。
 今までは心の中でバカにしていただけだったが、マネージャーとしてそのチームに関わっていた自分が急に恥ずかしくなってきた。その恥ずかしさはすぐイライラに変わって、全国制覇なんて言ってた奴らにムカついてくる。
「今日はありがとうございました。機会があれば是非、また――」
 ただの常套句ってだけなんだろうけど、懲りずにこんなことを言っている監督にもムカついてくる。私は黙って頭を下げた。
 ――帰りの電車ではさすがに先ほどの元気は無かったが、別に静まり返るなんてことはなく、そこそこ空気は明るかった。やはり雛形くんに負けたことを本気で悔しがっている奴などいないらしく、それどころか彼の凄さについて興奮気味に話し合っている。
 あいつ絶対プロいくよ。ストレート速かったよなー。変化球もヤバかったって。さすがにあれは打てないわー。
 私はその会話には混じらず、ただその様子を静観していた。
「……頑張ろうよ」
 やはり、身の程知らずの代表は上本貫己。
「絶対、頑張れば雛形だって打てるって! 同じ中学生なんだし、勝てない相手なんかいないよ。今日も帰ったら練習しよう!!」
 行きの電車とは状況が違う。既に、みんな雛形の凄さを体感してしまっている。貫己の言葉に同意する者はいなかった。
「さすがにあれは……な」
 みんながバツが悪そうに目線を逸らす。それ以上貫己の話に突っ込むことなく、さっさと別の話に移って小声でウジャウジャと喋っている。
「つーかよー、明らかにお前が一番打ててないんだべや」
 一気に車内の空気が凍りつき、声の主に視線が集まった。
 五番センター、白仁田 和博。練習に真面目なタイプではないがそれでもかなり能力の高い選手で、少なくとも一選手としての力だけを比べれば貫己よりは圧倒的に上である。「俺に文句つけるならまずお前がいっちょまえに打ってみろや」。白仁田からすれば、そう言いたいのだろう。
「帰って練習したいなら一人でやれよ。一番自主連が必要なのってお前だろ」
 ……誰も何も言わないけど、多分否定はしていない。心の中では皆そう思ってる。貫己が全く打てていないのは数字を見なくても皆感じてる。
「分かったよ。やるよ……一人でも」
 貫己は絞り出すようにそう答えたが、強い雨が降ってきた。貫己の練習に付き合うと言い出す者はいなかった。

 ○

「あーあ、貫己の奴どこで何やってんだろ。大雨じゃん」
 試合の道具を最後に整理したりスコアをまとめるため中学校に戻った私は、それら雑用を終わらせてから校内を歩き回っていた。既に外は大雨で、この雨の中練習するのは感動的な努力家なんかじゃなくただのバカ。さすがに、自主連してるなら室内だと思うけど……。
 いつも雨天時に使う廊下にも格技室にもいない。もう帰ったのかな? いや、室内にいないならそりゃ帰ったに決まってるんだけど……。一応、グラウンド見てみるか……。
 案の定、やっぱり大バカ者は外にいた。
 視界も隠れる大雨の中、貫己はバッターボックスの位置に立っている。ピッチングマシンなんて使ってるわけじゃなく、単にバットを振ってるだけ。
「おい貫己!!」
 私に気づいた貫己は素振りを止めた。
「千夏!? まだ残ってたの??」
 白いユニフォームは雨ですっかり変色しきっていて、フルフルと頭を振ると水飛沫が四方に飛んだ。
「何やってんのアホ。ボケ。素振りなら中でやれば良いだろが!」
 私もグラウンドに飛び出して、ガツンと貫己のお尻を蹴飛ばした。
「ああ……いや、ねえ」
 貫己は何故か照れ臭そうに笑った。
「イメトレだよイメトレ」
 貫己はもう一度しっかり打席に立ち直し、誰もいないマウンドを向いた。
「俺、もう雛形のピッチングフォームが目に焼き付いて離れないよ。球筋も。今日の試合を忘れちゃう前に、ちゃんと今日の内に確認しなくちゃと思ってさあ」
 ブン! 雨粒を切り裂いてバットがインコースを振り抜いた。
「ああ……ダメだ、今のは空振りだ。まだちょっと振り遅れてるな……」
 なに言ってんだこいつ。
「ちゃんと一振り一振り、マウンドに雛形の姿が見えてるよ。ノーワインドアップからテンポの良いフォーム。軽快に体が上下するからタイミングが取りにくい。投げた後、右足が一塁方向を向くのまで見えてくる」
 そう言うとまたバットを振った。
「ストレート、スライダー、フォークにシュートもあった。一球一球、ちゃんと雛形の球をイメージしてる。こうして打席に立って、雛形の姿を思い浮かべて、頭に焼き付いた球筋をイメージして、一球ずつ雛形と真剣勝負してる」
 今まで素振りをどれだけ繰り返してきたんだろう。この雨と風の中でも、貫己の体はブレることなくしっかりとバットを振り抜いた。
「今はまったく敵わないけど、こうしてると一振りごとに差が縮まっていくような気がするんだ」
 ああ……、もう。こいつは。ほんとに。
「うん。……ちゃんと、ちょっとずつでも差は縮まるよ」
 もちろん、今はまだ天と地ほどの差があるけど。でもいつか、きっと。
「だよな!」
 貫己は嬉しそうに、またバットを振り抜いた。ちょっとは空も晴れてきた。


「うおー! よっしゃあ! 今の左中間抜けたー!!!」
「ウソだー! そんなんじゃ内野も越えないってば!! ちゃんとイメージしてんの!?」
「いや絶対打った! スライダーだった!! よっしゃーっ!!」

     


       

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