こんにちは、トウキョウ
木星を恒星にしよう、と最初に言い始めたのは誰だったか。数十年ほど前、車椅子の青年が「2010年宇宙の旅」の、木星が恒星に変化するシーンの考察を真面目にやっていたのは、よく覚えている。
当時、太陽の活動が異様に停滞し、地球の平均温度は氷点下20度にまでなっていた。極冠に至っては、液体窒素の海が出きるほど、冷えきっていた。魚介類や動物は絶滅し、農作物も壊滅。一部のドーム農場で栽培された農作物によって何とか人類は生き残っていた。
そんな中、日本の宇宙開発機構が、土星を木星にぶつけて第二の太陽にしてしまおうという途方もなく馬鹿げた計画を提案した。今から見たら相当馬鹿げてる。だが、当時の私たちはあまりにも愚かで、必死だった。計画はあっという間に承認され、「ルシファー計画」は実行された。大量の犠牲者を出した末、10年の歳月をかけて土星を牽引し、木星と衝突させて核融合を起こした。
まさか、あの時話した青年も本当に木星が恒星になるとは考えていなかっただろう。作中で質量を補ったのは、神の象徴たるモノリスだった。
人類は間接的ながらも神の象徴の域まで達した。
だが、皮肉なことに太陽の活動は徐々に元に戻り……。地球は灼熱の大地と化した。
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「今日も暑いな」
大野が言った。暑いとは言うが、今日の気温は39度ほどで、比較的涼しいほうだ。
「いつものことじゃないか」
「北海道いきてえなぁ、あっちは30度前半らしいじゃねぇか」
「南極はどうだ? もっと涼しいぞ」
「南極なんて野蛮なところいけねえよ」
南極は難民で溢れ、無政府状態にある。アナキストの天国だ。南極条約で、すべての国の共有財産となっている。少し前には、アルゼンチンが領有を主張してイギリスと戦争をしていた。
「まだ東京はマシな方だ。沖縄なんか50度こえているらしい。エクアドルなんか、何もしなくても紙が燃えるそうだ」
「さすがに嘘だろ」
「嘘だ」と返した。赤道直下でもせいぜい50度程度だ。
「こんな暑い世界は人間のいきる世界じゃない」
「じゃあ、人間がいきるべき世界って何だ」
「なんだろうな」と、大野はつぶやいた。
都庁の前まで来ると、デモ隊が大挙していた。
プラカードには、「ルシファー計画の責任者を死刑に」だとか、「恒星化はまちがいだった」だとか書かれていた。
今でこそ暑いが、ほんの十年前までは極寒だったのだ。それを解消し、世界は回復にまで導いたのは他でもない、ルシファー計画だ。太陽が元に戻ったからと言って、これまでの恩を投げ捨ててまでデモに走るのはなぜか。私には、彼らの行動が理解できなかった。
密集するデモ隊のせいで都庁には入れない。熱中症や日射病で倒れる人が続出しているらしく、救急車のサイレンが絶え間なく鳴り響いていた。
機動隊が盾で都庁からデモ隊を牽制している。「直ちに解散しなさい。解散しなければ実力行使に訴える」。放水車が放水し、一部は散り散りに逃げて言ったが、あまりにも大多数の前には焼け石に水だった。
「うっぜえな」と大野がつぶやく。「そうだな」と、大方私も同意した。
携帯を取り出し、部長にデモのせいで入庁できない、と伝えた。がんばれよ、とだけ伝えられて電話は切られた。
デモが収まる様子は見えなかった。むしろ、増えているようにも見える。こだまする「責任とれ」の大合唱。「The日本人って感じだな」、と大野がぼやき、「俺も入りたい!」と叫んだ。
「入れ入れ。都庁関係者だとバレたら袋叩きだぞ」
「だよなぁ。背広預かってくんない? これがなきゃ一般のサラリーマンと同じだろ」
「しょうがないな」
大野は、背広を私に手渡すと、デモ隊に突入し、「責任をとれ!」と叫び声をあげはじめた。
ぎゃあ、と叫び声が聞こえた。大野が水をかけられて逃げ回っていた。
○
「バカか」
放水車に水をかけられて逃げ帰ってきた大野に私は言った。
「バカとは何だバカとは」
「デモに参加するのはいいが、びしょびしょになって帰ってくるのはただのバカだ。なにか文句あるか、バカ」
「バカって言う奴がバカなんだ」小学生か。
「そもそも、何もしなくてもルシファー問題は終結するとニュースで宇宙開発機構が言っていただろ。太陽と違って、ルシファーの水素やヘリウムの量は圧倒的に少ない」
「それでもあと100年は続くって言うじゃないか、バカはお前だ」
「たった100年だぞ? 凍結されていた時代が続くよりましじゃないか」
「すでに太陽は、元に戻っている」 大野は大きい太陽を指差した。「ルシファー計画は過ちだ」
「過ちだったかどうかは後世が決める」
私は、ルシファーを指差して、言った。