我が校の生徒御用達、だったのだが……。最近、ちょっと我が校の客足が減っているらしい。
その理由は、最近バイトに入ったある女性にあった。
重いドアを開け、カウベルが鳴り、ウエイトレスからの「いらっしゃいませー」という声と、営業スマイルがやってくる。
「やぁ、セミくんじゃないか」
まるでフレンチメイド服な制服を着ている店員さんが、俺に微笑んでくれた。一本結びにした黒く長い髪、キリッと引き締まった自信満々な目つきと、細い顎。高校生とは思えない、大人びた顔つきと体つきをしている。
「うっす、トワコさん」
「やぁセミくん。キミくらいなもんだよ、私がここでバイトしてから、来てくれる学生は」
微笑むトワコさん。
「え? 朔とか結構来てるはずですけど」
朔は美人なら誰でも好きなので、ここの数少ない常連なのである。
「そうだったかな。よく覚えてないや」
これである。可哀想に、朔め。
「それじゃ、こちらへどうぞ」
やっと仕事を思い出したトワコさんは、俺達を空いている店内の真ん中くらいにあるテーブル席へ通してくれた。木目調の家具や暖色の明かりが、モダンな空気を演出する。
「で、こっちのお嬢さんは何者?」
「あ、ども。夏樹鈴音です。妹です」
頭を軽く下げる鈴音。トワコさんのカリスマ性に押されて、借りて来た猫みたいになってるな。わかるぞ、その気持ち。俺も初対面の時はそうだったから。
「妹? キミにか」
じろじろと俺を見るトワコさん。セクハラかよ。
「キミ、一人っ子じゃなかったか?」
「あー……。いや、まあ、そうなんすけどね」
トワコさんには、そう言ってたっけ。いや、周りのやつらには、基本的にそう言ってたけど。
「義理の兄妹、ってやつかな?」
「血は繋がってます」
ムスっとした表情で、鈴音はトワコさんから目を逸らした。何を不機嫌になってるのさ。
「ふうん? まあ、いいや。遅れたけど、私の名前は
「せ、生徒会長?」
そっぽを向いていた鈴音が、トワコさんを見た。
「なんで、兄貴と生徒会長が知り合いなの?」
「セミくんはね、私が困っている時に助けてくれたのさ」
と、トワコさんは言っているが、そう大したもんじゃない。ただ、ちょっと重たい荷物の所為で階段を上がれず、難儀していた所に通りかかったので、俺が手助けをしたというだけの事。
「で、それ以来、俺はたまーにトワコさん、というか、生徒会のお仕事を手伝ってるってわけ」
「ふーん……。どこまで人脈を広げる気なのかな、バカ兄貴」
「バカってなんだよ? 人との交流は、増やしておくにかぎるさ」
「ははっ。セミくんは、人に対して物怖じしない性格だからね」
トワコさんは、そう言ってカウンターの中に戻り、水とメニューを置き、またカウンターの中へ。
「さー、ここのケーキは絶品だぞー。特に、このチョコレートケーキなんかは、コーヒーと合うんだよ」
「私、コーヒー嫌い」
「あ、そ……」
コーヒー嫌いだと、喫茶店の楽しみって半分にならないか? モダンがわからんやつだぜ。
「ここは紅茶なんてのもあるから、コーヒー嫌いでも安心だぜ」
「ふぅん。……じゃー、これとこれ」
紅茶と、アップルパイか。
「俺は何にしよっかなぁー。……よし、じゃあすいませーん」
俺は手を挙げ、トワコさんを呼んだ。
トワコさんは、ハンディを片手にやってきて、
「はい、おうかがいします」
と、店員モードで営業スマイル。
「鈴音が紅茶とアップルパイで、俺はホットコーヒーと、ナポリタン。コーヒーは先で」
「了解」
ハンディに注文を打ち込むと、そそくさと厨房へ戻って行った。
「なんか、お前機嫌悪くね?」
「別に?」
俺は、数秒ほど鈴音の顔を見つめた。まるで、そこに答えが書いてあるんじゃないかってほどに。けどまあ、書いてあるわけもなく、俺はすぐに諦めた。
「あー、兄貴って、友達多いんだね?」
「それ、さっきも言わなかったっけ?」
「ぐっ……。あ、そういえば、みんなセミって呼ぶね」
「俺が呼んでくれって言ってるからな」
本名も好きじゃないが、実はそっちのあだ名もそんなに好きじゃない。そうなると、消去法だ。名字で呼ばれるのも好きじゃないし。
「なんで、セミっていうの?」
「あぁ、それは——っと、ちょいごめん」
俺は、懐で鳴るスマホを取り出した。友達からのメッセージ通知だった。俺はすぐに返信して、それをテーブルに置いた。
「で、ごめん。なんの話だっけ?」
「……だからぁ」
と、またスマホが鳴った。
「わりっ」
スマホを取り、画面を見ると、またメッセージ通知だった。しかも他の人。俺は素早く返信してから、テーブルに置いた。
「あ、兄貴さぁ……」
「ん?」
なんか鈴音が怒ってるな。……いや、まあ、理由はわかるんだけど。
「こ、こればっかりはしょうがなくね? こういうのは、レスポンスの早さが結構モノを言うっつーか」
「……ムカつくなぁ。ここのお代、おごりだかんね!」
「お前、俺に全部出させる気か……」
「知らないっ」
そりゃ、二人きりでいる時に、自分よりケータイを優先されて怒るのもわかっけどさ。
「妹なんだから、理解してくれよ。兄貴の生き様を」
「い、生き様って、大げさな……」
もうこれは生き様と言ってもいいね、うん。
俺は水をちびちびと飲みながら、コーヒーの到着を待った。
「お待たせしましたー。こちら、アップルパイと紅茶、それとホットコーヒーになります」
トワコさんが、テーブルにその三つを置いて、またカウンターの中へ。
「ここはコーヒーが絶品なんだよなぁ」
俺は、まず香りを楽しんでから、そっとコーヒーを飲む。
正直、コーヒーの味がわかるほど上等な舌はしていないが、それでもここのコーヒーが相当美味いのはわかる。苦いけれど、優しい苦み。
温かくてごつごつした、祖母の手を思わせる。いや、俺おばあちゃん知らないけど。
「久しぶりに会ったんだし、もっとこう、ないの?」
「……なにが?」
鈴音は、小さなフォークでアップルパイを切り分けながら、言った。俺の方はまったく見ていない。
「感動的なさぁ、ドラマチックとまではいかないけどさぁ……」
「あったろ? お前の耳についてるそれなんだと思う」
俺は、鈴音の右耳に手を伸ばし、揺れていたハートのピアスを指で突く。
「やめてよ、ウザイなぁ」
俺の手を払いのける鈴音。まあ、自分でもちょっとウゼーかな、と思ったので、何も言わない。
「いやはや、お年頃だね、鈴音ちゃん」
と、髪を揺らしながら、トワコさんがやってきた。
「トワコさん、バイトは?」
「休憩時間。はいこれ、ナポリタン」
「あ、うす」
俺の前に置かれるナポリタン。おぉ、ケチャップとマーガリンのいい匂い。昼飯はきちんと食べたけど、まるで今日初めての食事ってくらいお腹が空いちゃうなぁ。
「ここ失礼っ」
と、鈴音の隣に腰を降ろし、自分で作ってきたらしいパフェとコーヒーを自分の目の前に置くトワコさん。
「まあ、なんだ、鈴音ちゃん。彼は、なんていうのかな。友達付き合いするなら楽しいけれど、恋人にするとやきもきする。そんな女心がわからないタイプなんだよ」
「納得」
「……しないでもらえる?」
女心だってばっちりさ、なんて言うと、ちょっとこう、逆にわかってない感じがする。「次にあなたは、いいえという」って謎掛けみたいだな。
「これでも、勉強中の身だ」
なので、そう言うのが精一杯。
「勉強の成果はいまいち出ていないみたいだが」
「ほんとですよねー」
女子同士がきゃぴきゃぴとガールズトークに花を咲かせる。こういうときの、男の居心地の悪さは、もっと知れ渡ってほしいもんだ。