Neetel Inside 文芸新都
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レインドッグ
第十三話 崩壊する関係

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第十三話 崩壊する関係

 許せない、あいつ。
 なんで、俺に一言も言わなかったんだ?
 れいん。
 俺を……信用してない?

 許せない、あいつ。
 サーカス団の、社長。
 あたしの妹に。
 ぶん殴ってやる。
 踏ん付けてやる。
 タマ潰してやる!
 
「――あ」

 二人は、ばったりと出くわした。

「雄一」
「れいん」
 二人は、そう互いの名を呼んだ。
「何、帰る途中? あたしはこれからサーカス団に乗り込んでくる」
「乗り込む?」
「社長をね、ぶん殴りに行くの」
「社長って……お前、どこに行くつもりだ?」
「テントに決まってるでしょ! 前行ったあそこに行くのよ」
「…社長は、あそこにはいないぞ。相沢サーカス団の本社ビルにいる」
「本社ビル? そうか、雄一は、詳しい筈よね。美貴と中学の頃から親しい
んだから」
 雄一は、少し戸惑った顔をしていた。しかし、れいんがそれに気付くこと
はなかった。何しろ、夜の薄闇の中だ。表情までは読み取り難い。
「ね、それどこにあるの? 教えて、ありすの為なのよ」
「ありすちゃんが、なんでそこで出てくるんだ」
「あの娘、脅されたんだって。あたしと雄一が別離しないと、サーカス団を
追い出すって!」
 あの男のやりそうなことだ、と雄一は思った。しかしそれを口に出すこと
はなかった。
 口に出したくてたまらないことは、他にあった。
 訊きたい。
 しかし、怖い。
 真実を知るのが怖い。
 れいんの反応が、怖い。
 自分が豹変してしまうのが、怖い。
 れいんに嫌われてしまうのが――怖い。
「…あ……」
 雄一は、『それ』について訊こうとした。しかし、『それ』はうまく頭の
中で言語として構成されず、明瞭としなかった。
「? なに?」
「…れいん……お前、俺に……」
 何か、隠していることはないか?
 真実に踏み込むのは、恐ろしかった。
「なによ」
「…いや……本社ビルは、あそこにあるよ。ほら、冬休みライブ行っただろ
? あのライブハウスの真ん前だよ」
「ああ、あそこか! 分かった、ありがと!」
 れいんはそう言って、走りだそうとした。
 その手を、雄一が掴んだ。

「?」
「…あ……」
「さっきからどしたの? 雄一らしくないね。手、凄い汗掻いてない?」
 手だけでなく、雄一は全身汗だく状態になっていた。体は震え、喉が渇い
て仕方ない。
 水が飲みたい。いや、液体なら何でもいい。唾液だろうが、涙
だろうが、最悪尿だろうが――
 れいんを見ながら、雄一はそう思った。
 ――言え。
 言ってしまえ。
 きっと大丈夫だ!
「…あかちゃん、出来たの?」
「…え?」
 れいんは、力の篭もっていない声を出した。
「ある人に、知らされたんだ。お前が、妊娠してるって。…三ヶ月だ、って
――」
「…美貴?」
 れいんは、拳を硬く握り締めていた。表情は、雄一も同じく見通せなかっ
たが、その目はギラついていた。
「それは違う。別の人だ」
「…誰……?」
 雄一は、それに答えなかった。
「本当、なんだな……なあ、れいん。なんで最初に俺に言ってくれなかった?」
 今度はれいんが黙った。
「答えろ。俺は、正直、お前に腹が立ってる。頬を叩いて、罵倒してやりた
いくらいの気分でいるんだよ。おい、答えろ! なんで俺に言わなかった!」
「…ゆ、雄一が、信用出来なかった」
「…え?」
 雄一の世界が、ぐらり揺らいだ。
 何かが、雄一の中で音を立てて崩壊した瞬間だった。

「雄一は、確かにあたしは愛してくれてるかもしれないけど、でも、子供はど
うなの? 覚悟はあるの? あたしには、あるとは思えない。あの、中に出し
た次の日、雄一は口では『二人で育てよう』と言ってくれたけど、目は虚ろだ
った。あたしはあの時、そんな雄一を見ているのがつらくて、目を逸らしちゃ
った。その後も、妊娠については触れたがらなかった。逃げていた。そう、雄
一は怖かったし、何より嫌だったんでしょ?」
 雄一は、心の中で違うと言った。
 しかし、今は口が開いてくれなかった。
「…あたしは、雄一が好き。大好き。だから――」
 途中から、れいんは涙声になっていた。
「――あたしは、雄一に、迷惑は掛けたくない。一人で、産んで、一人で育て
るわ。前から、そう決めてたの。子供が出来てたら、家を出ようって」
 ちょっと待て、と雄一は言いたかった。
 心のどこかで恐れていたことが、現実になったのが雄一には分かった。
「言いだせなかったのは、それが部屋を出て行くことに繋がるから。好きなの。
大好きなんだよ。それだけは、分かってよ。ねえ、雄一」
 れいんは静かに、同時に激しく、雄一の胸に飛び込んだ。そして、声を上げ
て泣いた。雄一は放心していた。今の雄一には、泣きじゃくるれいんの体を優
しく包み込んでやることさえ出来なかったのだ。
「ホントは……書き置きでも残して、深夜に見つからないように出て行くつも
りだったのになあ……こうして目の前で話したら、つらくて泣いちゃうのは分
かってたし、それに……未練が残るよ。この、あったかくて大きな体に」
「…俺はそんなに大きくない」
 やっと雄一が、口を開いた。そして、言葉は怒涛に流れ出た。
「俺は大きくない! お前にとっては大きくても、野球選手、それも投手とし
ては最も小柄な部類だ! 幾ら雑誌に載っても、注目されても、期待されても
……プロには行けないんだ!」
「…いきなり、何を言いだすの?」
「あと五センチあれば、俺は高校でも野球をしてたさ! プロを目指して、も
っと強豪校に推薦で進んでな! それで、毎日夜遅くまで練習して……勿論、
恋なんてする暇もなかっただろうし、それどころか、雨の中うろついてたお前
を拾うことなんて――」
 ここまで言って、雄一はハッとした。
 自分は、ここまで、野球への未練がたまっていたのか。
 ここまで、俺は糞な男だったのか!
「…雄一、可哀想ね」
 れいんは、強く、抱き締めた両腕に力を込めた。
「あたし達、本当に愛し合っていた筈なのに、どっちも最大の秘密を内に隠し
ていたんだね」
 そう言って、れいんは腕を離し、雄一から少し距離を置いた。
 れいんは、涙を流しながら笑って言った。
「サヨナラ!」
 違う。
 違う。
 違う――
 雄一は、何度も何度も呟きながら、ただでさえ小さなれいんの背中がさらに
小さくなっていくのを目で追っていた。
「違う!! れいんがいたから、俺は――!」
 背は、見えなくなった。
「…俺は……」
 雄一は、右足を高く上げ、左足の爪先に叩き下ろした。
 なんで、追い掛けないのか、と、問い掛けながら。

       

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