Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。抱くは大志
最終章 剣のロアーヌ

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 アビス原野の戦は、まもなく終焉を迎えようとしている。すなわちそれは、レオンハルトとロアーヌの二人の勝負がついた時。両軍は今、この二人の為に動いている。
 それは私とて、例外ではなかった。武神の子として、恥じぬ働きをしてみせる。
 私の予想は間違っていなかった。ブラウの伏兵は殲滅され、父はロアーヌに追い込まれつつあった。あのまま戦い続けていれば、エルマンはバロンらに敗れ、その流れで父も飲み込まれていただろう。つまり、私は父の危急を救うと同時に、勝利への架け橋にもなったのだ。
 ただ、まだ勝敗は決していない。あのロアーヌを討ち取るまで、気を緩める事は出来ない。
 スズメバチ隊はすでにズタボロだった。父と死闘を繰り広げた上に、私の騎馬隊の攻撃を何度も受けたのだ。まさに吹けば飛ぶような状態にまで追い込んだが、それでも闘志を燃やし続けている。それ所か、死力を振り絞った。
 スズメバチ隊は、父に、レオンハルト一人に狙いを絞り、突撃を開始したのだ。
「兵力は五百にも満たない。そんな壊滅寸前の軍が出来る事など、もはやそれぐらいしかない」
 私は、口に出して言った。そう、それぐらいしか出来る事はないのだ。これは言い換えれば、スズメバチに突撃を許さずに挟撃し続ければ、ほぼ無傷で殲滅できるという事になる。弄り殺しに近い形だが、そうできる状況下にあるのだ。
 だが、父はそれを肯んじなかった。ロアーヌを一人の武人として、一人の好敵手として、戦い抜く場をわざわざ用意したのである。
 どう考えても合理的ではなかった。ただ、父らしい。そう思っただけだ。
 だからと言って、ジッと見ていようとは思わない。私は、私に出来る事をする。
 私は、すぐに騎馬隊をまとめ直し、ズタボロのスズメバチ隊を追おうとした。だが、父が旗を振らせていた。
 騎馬隊は待機。そういう命令だった。
 舌打ちしていた。
「もう、あなたの時代は終わったんですよ」
 私が来ていなければ、父は死んでいた。私は、それを救ったのだ。老いぼれが。抑えきれない何かが、私の表面に出てきた。
 それに突き動かされる形で、私は騎馬隊を動かした。ただ、二千騎全てではない。百騎のみである。これ以上を動かすと、父の軍と同士討ちしかねない。
「ハルトレイン様、命令が」
「あれは誤りだ。ロアーヌが父に肉薄しようとしている。焦った旗手が、命令を誤認したのだろう」
 それだけ言って、私は馬腹を蹴った。
「行くぞ、剣のロアーヌの命をここに散らせるっ」

 ただ、前だけを見た。父の横にぴったりと付く形で、前だけを見た。
 壊滅の危機だった。味方の兵も決死の表情で、父に遅れまいと共に突き進んでいる。狙うは敵軍総大将である、レオンハルトの首のみ。ただそれだけを見て、スズメバチ隊は突き進んでいる。
 天下最強の騎馬隊が、死力を振り絞っている。それが、ただの一兵卒である俺にも分かった。
「レン、背後から何かが来る。場合によっては、お前を後ろに回さなければならんかもしれん」
 父が剣を振りながら、ぼそりと言った。背後、と言われて、ようやく俺も父の言う何かを感じ取った。
 いつもの父だった。表情はあまり変化を見せず、声色も抑え気味の、いつもの父だった。それで、どこか焦っていたものが、消えてなくなった。
「はい。ですが、バロン将軍は」
 言いつつ、敵の武器を撥ね飛ばす。そのまま、敵の胸を槍で貫いた。 
「バロンは来れん。勝負を急いでいるが、敵が優秀だ。この戦の要点を、しっかりと掴んでいる」
 父が剣で敵を斬り倒す。さらに前に進み、二人の敵を斬って倒した。
 この戦の要点。すなわち、スズメバチ隊の殲滅、という事だろう。それを敵が掴んでいるとするなら、時間稼ぎを重点として軍を動かしてくる、という事になる。そうなれば、打ち破るのは至難の業だ。だから、スズメバチ単体で現状を打破しなければならない。
 その時、背後から喊声が聞こえた。振り返る。
 凄まじい勢いで、敵の騎馬隊が背後から迫って来ていた。味方の兵が遮ろうとしているが、先頭の一人の男がそれを蹂躙している。疲労を重ねていたり、負傷している兵が多い。そのせいなのか、味方の兵がほぼ無抵抗でなぎ倒されている。
 その男の武器は、槍だ。
「レン」
「はいっ」
 言われて、俺は馬首を巡らせた。
「お前と共にレオンハルトと、闘いたかった」
「父上?」
「生きて、帰れ」
 父が、馬の尻を叩いた。同時に駆け出す。
 父上も生きて、言おうと思ったが、もうその余裕はなかった。騎馬隊の先頭で暴れる男の姿が、近付いてきたのだ。
「我が名はハルトレイン、武神の子なりっ」
 そう名乗った男は、味方の兵を物のようになぎ倒していく。これ以上、やらせてたまるか。そう気を放った瞬間、ハルトレインと目が合った。
「童とあろうとも、私の前に出てくると言うならば、容赦はせんぞっ」
「俺は童じゃない。闘神の子、レンだっ」
 槍を構え、吼えた。ハルトレインが、駆けてくる。

     

 闘神の子、レン。あの童は、自らをそう名乗った。それは、どういう意味なのか。闘神。槍のシグナス。その息子。
「貴様、槍のシグナスの息子かっ」
 槍を構え直し、馬を前進させる。敵兵が二人、私の行く手を阻むように前に出てきた。
「雑魚は引っ込んでいろっ」
 言うと同時に、槍の一振りでなぎ倒す。スズメバチ隊の兵など、何人が束になって来ようが問題ではない。ましてや、負傷していたり、疲れ果てようとしている兵ばかりなのだ。
「違う、俺は槍のシグナスの息子であると同時に、剣のロアーヌの息子だっ」
 レンが勢いに任せて、突っ込んでくる。
 私も、馬の尻に鞭をくれた。迫りくる敵兵をなぎ倒す。レンも、同じようにしていた。槍の動きを見る限り、相当できる。
 顔が見えた。幼さが残っている。思うと同時に、交わる。
 金属音。馳せ違った。槍を通して、レンの気力が身体の芯を貫いた。どこか、ロアーヌの武と似ている。ただ、ロアーヌよりもずっと清廉だった。キレがあると言っていい。ただし、軽い。
 馬を反転させる。レンも、そうしていた。
 再び交わる。槍と槍の柄をぶつけ、押し合った。呼吸のタイミングで、互いに一歩退がる。束の間、睨み合った。気が充溢していく。
 充溢しきった瞬間、吼えた。レンも吼える。前に出た。
 槍。レンと同時に放っていた。互いに身体を開いてかわし、同時に引き戻す。間髪入れず、さらに放つ。レンがかわし、反撃してきた。それを紙一重でかわす。槍の穂先が、具足を削った。同時に槍。放った。反撃に反撃を合わせた形だった。
 終わりだ。そう思ったが、レンは馬上に寝る形で私の槍をかわしていた。そのまま、レンが私の槍を掴む。
 その体勢のまま、時が流れていく。レンの槍が、小刻みに上下に揺れていた。私の隙を狙っているのだ。それに合わせて反撃したいが、槍を掴まれている。
 レンと目が合った。純粋さの奥に、何かが潜んでいる。悲しみか、絶望か、怒りか。実の父を早くに失った負の思念が、純粋さの奥でチラついている。
 来い。目でそう言った。
 気。感じると同時に、レンの槍が飛んできた。それを脇の間に滑り込ませ、がっちりと挟み込んだ。互いが互いの槍を掴んだ恰好になった。レンがしきりに槍を横に振ろうとする。私の身体を払い飛ばそうとしているのだ。童とは思えない力の強さだが、しっかりと抑え込む。
「レンと言ったな」
 私は、射るような視線を放つと同時に、低い声で言った。
「それがどうしたっ」
「メッサーナでは、子供が戦場に出るのか」
「俺は子供じゃないっ」
「子供であるほど、そう言いたがる。レン、お前は何故、メッサーナに居る」
「何だと?」
「メッサーナで戦う理由は何だ、と聞いている」
 私にそう言われたレンは、明らかに戸惑いを見せていた。

 答えられなかった。目の前の男の問いに、俺は答えを出せなかった。
 自分は何故、メッサーナに居るのか。何故、メッサーナで戦うのか。それは、実父が居たから。父が戦っているから。
 出てくる理由は、そういう主体性のないものばかりだった。むしろ、それを知る為に、俺は今回の戦に出てきた。
 だが、未だにそれは掴めていない。一体、何故、俺は戦っているのか。
「戦う理由もなく、戦場に出てきたのか」
 ハルトレインの低い声。何か、嫌なものが身体の中を駆け巡った。
「お前は何の考えも無しに、人の命を奪いに来たのかっ」
「違うっ」
「違うものか。戦う理由も無しに、子供が戦場に出てくるなっ」
 ハルトレインの槍が、手から抜ける。まずい。思うと同時に、俺も槍を引き抜いていた。すぐに構えるも、何かが浮いている。いや、動揺している。
「私は自らの時代を築く。この国を土台として、真の治世を為すのだ。それに比べて、お前の武は、空っぽだっ」
 瞬間、ハルトレインの槍。かろうじて避ける。槍。突き出す。柄で弾かれた。一撃、二撃と槍をぶつけ合う。ぶつけ合いながら、呼吸を整えた。とにかく、生き残る為に戦う。それが、今の俺の戦う理由だ。
「自分が生き残る為なら、人を殺して良いと言うのか。それは傲慢だぞっ」
 その言葉が、俺の心を貫いた。槍。飛んでくる。それを弾いた。反撃を。そう思った刹那、光。それに反応し、仰け反る。
 瞬間、視界の左半分が消えた。左の頬を、生ぬるい何かが伝っていく。さらに顔面全体に激痛が走る。
 手で頬を拭った。真っ赤な血。それでどうなったのかを理解した。左眼を、潰されたのだ。
「私の剣をかわしたか。ならば、まだ貴様には天命があるという事だ」
 ハルトレインの声。剣。剣と言ったのか。お前の武器は、槍ではないのか。
「このままお前の首を取るのはたやすい。だが、手負いの童の首を取るほど、私は落ちぶれていない」
 言って、ハルトレインが馬で駆け出す。その後を追おうとしたが、身体が思うように動かない。自分が、馬からずるりと落ちるのを感じた。そのまま、地面に倒れ込む。
 左眼が、左眼が見えない。どうすれば良い。
「レンっ」
 声。聞いた事のある声だった。
「総隊長にお前の面倒見を頼まれたが」
 ジャミルだった。八番隊の小隊長。
「血まみれじゃないか、くそっ」
 上半身を持ち上げられた。それから立ち上がり、地面を踏みしめる。
「ジャミル隊長」
「とにかく、ここは敵中だ。まずは離脱するぞっ」
「俺は、まだ戦えます」
「何を言ってるんだ、レン」
「戦う理由を」
 言い終わる前に、馬に乗せられた。ジャミルも馬に乗っている。
「離脱だ。俺が先導するっ」
 ジャミルが俺の馬の手綱を引きながら、敵中を駆け始めた。周囲では、まだ多くの味方が戦っている。
 顔の激痛は、まだ続いていた。

     

 振り返らなかった。ただ、前だけを見た。いや、レオンハルトだけを見ていた。
 身体の奥底から、力が湧いてくる。その勢いは留まる事を知らず、無限に闘い続ける事が出来るのではないか、と思える程だった。
 俺が指揮を執る一番隊以外のスズメバチは、敵中を離脱させた。というより、一番隊と八番隊以外は壊滅状態だった。唯一、まともだった八番隊には、離脱と共にレンを保護するように伝えてある。
 そして、レオンハルトを討つ事以外の全てを、俺は頭の中から追い払った。それは自分の命ですら、例外ではない。死のうとは思っていなかった。ただ、命を捨てる覚悟をしただけの事だ。
 その覚悟をした時、全ての感覚が鋭利になった。上手く言えないが、周囲の状況が手に取るように分かり、敵の動きが遅く見えた。それはタイクーンに伝わり、味方に伝わり、敵兵に伝わった。
 剣だった。スズメバチ一番隊が、一本の剣になっていた。立ちはだかる全てを斬り裂き、薙ぎ払う。一直線にレオンハルトを目指し、剣は駆け抜ける。
 無人の野だった。最初こそ、剣を止めようと敵が前に出てきたが、それらは一瞬の内に肉塊となった。二度、三度とそれは続き、やがて敵は自ら道を空けるようになった。
 その道は、天下への道だった。シグナスと共に見た、夢。たった一つの、夢。それが、天下だった。その天下が、近付いていく。
 剣を天に突き上げた。シグナス、共に闘おう。お前と俺で、天下を取ろう。
 剣の切っ先。真っ直ぐに、突き付けた。武神が、静かに佇んでいる。

 兵が怯えているのが分かった。僅か百騎にも満たない騎馬隊に、数千の兵が怯えている。ただし、普通の騎馬隊ではない。鬼神が率いる、騎馬隊だった。
 ロアーヌは、人を捨てた。というより、人を超越した。自らの命を力に変える事によって、人を超えたのだ。
 闘神シグナスの死に際と、よく似ている。あのシグナスは、死の直前で人を超えた。たった独りで、数百人という敵と渡り合ったのだ。
 儂は自分でも驚くほど、冷静だった。それでいて尚、ロアーヌと、鬼神と、刃を交えたい、と思っていた。
 いくら老いても、戦人は戦人という事なのだろう。初陣を飾った時から、死に場所は戦場と決めてきた。決めてきた上で、生き残った。それは運が良かった、という事もあっただろう。だが、それだけではない。儂を殺せるだけの男が、居なかった。
 今までは、居なかった。だが、ロアーヌはどうか。儂を殺し得るだけの力を、持っているのではないか。
 ロアーヌは、儂の全てをぶつけるに相応しい男だ。儂は、自らの全てを、命を含めた全てを、ロアーヌにぶつける。
「弓兵隊、目の前のスズメバチにありったけの矢を射込め。他の兵は退がっていろっ」
 何よりも優先するのは、スズメバチの戦力を削ぐ事だった。矢で、ロアーヌ以外を射落とす。というより、ロアーヌに矢は当たらないだろう。今のロアーヌは無敵だ。儂以外に、あれを殺せる者は居ない。ただ、他の兵は射落とせる。
 容赦しようとは微塵も思わなかった。むしろ、最後の最後まで、儂は気を抜かない。やれるだけの事を、全てやる。そうした上で、ロアーヌと対峙する。これは、戦人としての礼節だった。
 大量の矢が射込まれた。スズメバチに向かって、数千という矢が降り注ぐ。それでも、ロアーヌは儂から眼をそらさなかった。それ所か、自分に当たりそうな矢を払い落してもいる。見えているのだろう。矢も含めた全てが、見えている。
 次々とスズメバチが射落とされていく。それに準じて、儂とロアーヌの距離も縮まっていく。
「もっとだ。もっと射込め。最後の一騎になるまで、矢を撃ち続けろっ」
 五十、三十。尚もスズメバチは減っていく。二十を切った時、儂は旗本と共に馬腹を蹴っていた。同時に矢が止まる。
「旗本は十騎一組となり、スズメバチの兵一人を討てっ。相手には鬼神が憑いている。油断せず、十人で連携して仕留めよっ」
 その後、儂の支援に回れ。そう言おうと思ったが、武人の血がそれを抑えた。武人として、戦人として、一対一であの男と刃を交える。
 ロアーヌは、儂だけを見ている。
 剣を構えた。一対一の勝負。
 気が溢れていく。ロアーヌの顔。表情を読み取る寸前、一閃。金属音。同時に、とてつもない何かが、身体の芯を貫いた。
 口端から、何かが流れ出た。血。血が、顎から滴っている。
 剣と剣がぶつかっただけだった。どこも斬られていない。それなのに、血が流れ出た。つまり、剣気だけで身体の中を破壊されたのだ。
 信じられない、とは思わなかった。これが、ロアーヌなのだ。命を力に変えた、ロアーヌの実力なのだ。
 燃えた。自分でも何が起こったのか分からない程、心が燃えた。
 雄叫びをあげていた。ロアーヌが反転している。その間に、旗本が次々とスズメバチを討ち果たしていく。
「来いっ」
 声をあげると同時に、剣を強く握り締めた。気を、いや、命を込めた。
 ぶつかる。馳せ違わなかった。剣と剣で押し合う。同時に、気でも押し合った。さっきは押し潰された。だが、今度は違う。
「この強さ、儂はお前を待っていたっ」
「俺はもう何も要らない。レオンハルト、お前の首以外、もう何も要らないっ」
 自分の命さえも。ロアーヌの眼が、そう言っている。
「ならば、力ずくで奪ってみろ、剣のロアーヌっ」
 互いの気が爆発すると同時に、剣も弾けた。

     

 生きてきた。一人の男として、俺はここまで生きてきた。大志を抱き、剣と共に生きてきた。
 一体、何の為に。その答えは、今ここにある。
「儂は、お前と巡り合う為に存在していたのかもしれん。戦だけが儂の人生だった。そして、勝利だけが儂の人生だった」
 戦だけが人生。それは、俺も同じだ。レオンハルト、俺もお前と同じ人生だった。
「分かるか、ロアーヌ。武神、軍神、必勝将軍。このあだ名が示すとおり、儂の人生は、まさに戦と勝利のみで構成されていたのだ」
 レオンハルトは、激しく息を乱していた。顔は汗で濡れている。
「お前は、そんな儂の人生を、ぶち壊してくれそうな気がする。そして、儂自身も、それを望んでいるのかもしれん」
 何も答えなかった。ただ、レオンハルトの眼だけを見据えた。猛っていた。今まで見てきた誰の眼よりも、猛っていた。
 剣を握り締めた。自分でも信じられない程、力が湧いてくる。この目の前の男を倒す為に、俺は生きてきた。だから、もう何も要らない。この男の命以外、何も要らない。
 タイクーンの腹を腿で絞り上げた。共に闘おう。そう心で伝えた。
 駆け出す。
「来い、天下最強っ」
 交わった。火花が飛び散る。同時に、剣を通してレオンハルトの気力が身体の中を駆け巡った。剣を振る。レオンハルトが弾く。それを、幾度となく繰り返した。一歩ずつ、押していく。タイクーンが一歩、踏み出し、俺が剣を振る。
 すでにスズメバチ一番隊は全滅した。いや、俺を残して、全滅した。
 共に生きてきた兵達だった。激しい調練を乗り越え、共に闘ってきた兵達だった。天下最強の騎馬隊と謳われ、プレッシャーを感じた時もあっただろう。部下に対して上手く振る舞えない俺に、不満を感じた時もあったはずだ。それでも尚、兵達は俺に付いてきてくれた。こんな死地にまで、付いてきてくれたのだ。
 自慢の部下だった。全十五小隊ある中で、一番隊はもっとも自慢できる部下達だった。ただ、それを言葉で伝えた事はなかった。一番隊は、俺の、剣のロアーヌの旗本だったのだ。
 俺とレオンハルトを囲む敵の輪が、拡がっていく。俺がレオンハルトを押す度に、それは拡がっていく。
 敵は近寄ろうとしてこなかった。武器を構え、突っ込む準備はしているが、何かに憑かれたようにそこから前に進もうとしない。いや、進む事が出来ないのか。
 レオンハルトの表情が、苦悶に満ちていく。俺はそれを読み取ると同時に、剣ごとレオンハルトの腕を跳ね上げた。真正面。空いている。そこに向けて、俺は渾身の力で剣を振るった。
 血。同時に咆哮。レオンハルトの、咆哮だった。見ると、左腕が無くなっている。斬ったのは、左腕だった。すぐに首を。そう思った瞬間、鮮烈な気が俺の背を貫いた。
「何をしている、お前達っ」
 振り返ると、そこにはあの若武者が居た。レンを向けた、あの若武者だ。ならば、レンは。
「大将軍をお助けしろ、何を見ているのだっ」
 その瞬間、弾かれたように敵兵が突っ込んできた。一気に、周囲の敵兵が全て、突っ込んでくる。
「やめろぉっ、馬鹿ものどもがっ」
 レオンハルトが吼える。それに反応し、敵兵が僅かに躊躇した。
「行けぇっ」
 再び、若武者が叫ぶ。それで、敵兵が一気に波のように押し寄せてきた。
「ハルト、貴様ぁっ」
 天下が少し遠のくか。俺はそう思った。まだ、力は湧いてくる。まだ、闘い続ける事ができる。
 敵兵。四方八方だ。それは感じていたが、俺が見ていたのはレオンハルトだけだった。馬から降ろされ、兵に両脇を支えられている。
「儂とロアーヌの勝負に、手を出すなっ」
 そうだ、レオンハルト。これは、お前と俺の勝負だ。そこに余人など交える必要はない。
 迫りくる全てを、斬り倒した。人を、馬を、武器でさえも、剣で両断した。そうやって、タイクーンを前に出した。
「ロアーヌ、儂の元に来いっ」
 行く。必ず、行く。剣を横一文字に振るった。敵兵が、物のように吹き飛ぶ。タイクーンの腹を腿で絞り上げ、前へ、と伝える。
 瞬間、視界が反転した。地に倒れていた。タイクーンごと、倒れたのだ。見ると、タイクーンの身体には、矢が突き立っていた。十数本。槍も二本、身体を貫いている。
 そうか、闘い抜いたか。友よ、ここまでか。タイクーンの眼から、生気が消えた。さらば、伝えたのは、それだけだった。
 立ち上がる。何かが迫って来る。それを剣で撥ね飛ばし続けた。血が、金属が、肉塊が、視界の中で舞っている。
 レオンハルトだけを見ていた。レオンハルトだけを。
「ロアーヌっ」
 俺は、必ず、お前の所まで行く。
 歩みはゆっくりだった。しかしそれでも、進んでいる。右。何かを感じた。それを剣で撥ね飛ばす。その瞬間、背に何かが入ってきた。
 槍だった。
 構わなかった。とにかく、前に出る。レオンハルトまで、あと二歩という所まで迫った。障害を、剣で斬り飛ばす。刹那、剣が折れた。そんな状況を、俺は冷静に読み取っていた。
 折れた剣で、尚も前に出る。さらに槍が、俺の身体を貫いた。それでも、力が湧いてくる。
 レオンハルトの傍まで、歩み寄った。両脇を支える敵兵が、全身を震わせていた。恐怖で、震えているのだろう。
「剣のロアーヌ、儂を、殺してみろ」
「あぁ」
 言って、折れた剣を振り上げる。しかし、それが振り下ろされる事はなかった。腕が、斬り飛ばされたのだ。レオンハルトの、剣だった。
 まだ、左腕がある。
 そう思った刹那、左腕も斬り飛ばされた。両腕が、無くなった。
 腕が無ければ、剣を振るう事もできん。剣が振るえなくて、何が剣のロアーヌだ。剣を失った俺は、一体、何だというのだ。
 しばらく、レオンハルトの眼を見つめていた。何故か、もう一歩も、動く事が出来なかった。
「また、儂は生き残った。戦場で、死ぬ事が出来なかった」
 レオンハルトが、涙を流していた。武神でも、泣く事はあるのか。だが、泣いている理由は、わからない。
「すまなかった」
 言えたのは、それだけだった。それだけ言って、目を閉じた。
 生きてきた。精一杯、生きてきた。そうだ。俺は、生きてきたのだ。
 シグナス、もう良いか。俺は、疲れた。お前を失い、俺はただひたすら、前に進んだ。バロンと出会い、タイクーンと出会った。サウスにも勝った。あの男は、強かったぞ、シグナス。
 だが、信じられるか。あのサウスよりも、手強い男が居たのだ。名はレオンハルト。大将軍、レオンハルトだ。俺達が官軍に居た頃、それこそ雲の上のような存在だった。そのレオンハルトと、俺は軍を、剣を、交えたのだ。
 できれば、勝ちたかった。勝ったという土産話を持って、そっちに逝きたかった。だが、もう剣がないのだ。剣を振る腕さえも、ないのだ。
 だから、もう良いだろう。もう、眠らせてくれ。
 自分が地に倒れるのを感じた。
 やりきった。やるだけの事を、全てやった。男として、人生を全うした。シグナス。これから、お前の元に逝くぞ。
 そして、レン。生きているか。もし、生きているのならば、俺とシグナスの夢を、大志を成し遂げてくれ。そして、お前に全てを託してしまう愚かな俺を、許してくれ。父親らしい事を何一つしてやれなかった俺を、許してくれ。
 剣のロアーヌは、この地で果てる。逝く、シグナスの元へ。
 さらば。

       

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Neetsha