Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。抱くは大志
第十四章 英傑の子

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 鷹の目バロンがメッサーナに帰順。俺はこれを、北の大地の首都、ユーステルムで聞く事になった。
 俺とスズメバチの千五百騎は、バロン軍の軍師ゴルドと共に、北の大地の治安維持にあたっていた。これは、バロンが北の大地を抜けてしまった事によって、民が恐慌状態に陥るのを防ぐ為の処置である。本来なら、バロンの副官であるシルベンが適当なのだが、予想外の出来事が発生したせいで、シルベンはバロンと共にメッサーナに入っていた。
 バロンはフランツに殺されかかっていた。いや、正確には闇の軍で、あれには俺も並々ならぬ思いを抱いている。シグナスの仇なのだ。指揮官であるナイツは葬ったが、闇の軍自体は未だ健在だった。
 ヨハンは、バロンとフランツに離間の計を仕掛けていた。この計略は後から知った事だが、これの予想外の出来事として、バロンが殺されかかった。フランツは疑いを深めてあれこれと手を打つよりも先に、即座にバロンを殺す事を選んだのである。それも闇の軍を使うという力の入れようで、まさに一切の容赦がないものだった。
 このフランツの逡巡のない決断は、ヨハンにとっても想定外だったようで、間者からの報告を受けると同時に、ヨハンは火急の出陣を俺に命じてきた。
 そこからは稲妻だった。バロンが命を投げようとしている所に、俺はちょうど間に合い、何とかその命を救う事が出来た。あの時のバロンは、すでに命を捨てていた。いや、だからこそ、最後の最後に自分の夢を貫く、と決める事が出来たのかもしれない。
 それから俺はバロンをメッサーナまで護衛し、スズメバチ隊と共に北の大地に入ったのである。まだバロンは帰順していないという状態ではあったが、事態が事態である。危害を加えない、という約束の元、俺は北の大地で治安維持にあたることになった。
「バロン様も、ようやく進むべき道を見定められたようです」
 ゴルドが馬上で、絞り出すような声で言った。
 俺とスズメバチは、これからピドナに帰る所だった。バロンが北に戻って来るという事で、俺がここに居る必要は無くなったのだ。
「今まで、バロン様の事を坊っちゃんとお呼びしておりましたが、それも出来ませぬのう。もう、立派な一人の男です」
 皺くちゃとなったゴルドの顔から、涙が滴り落ちている。
「バロン様は苦しんでおりました。自らの血に縛られ、その夢を儚いものとして考えておられたのです。しかし、やっと縛りから解放された。これで私も安心して死ねます」
 しばらく、ゴルドの嗚咽が続いていた。息子。ゴルドにとってバロンは、自分の息子のような存在なのかもしれない。
「ご老人」
 俺はタイクーンを一歩、前に出した。
「死ぬにはまだ早い。まだ、国を叩き潰していない。そして、それはこれからだ。だから、まだ死ぬには早い」
 そう言って、俺は馬腹を蹴った。風。すぐにスズメバチの千五百騎がついてくる。後ろで、ゴルドが微笑んでいるような気がした。まだ死ぬな。俺は、そう伝えただけだった。
 それから数日かけて、俺はピドナに戻った。すでにバロンはピドナを発っているらしく、その姿はなかった。
 俺は、すぐに政庁に向かった。現状をヨハンに報告する為である。政務室に入ると、ヨハンの隣にランスが居た。
「おう、剣のロアーヌか。久しいな」
 言われて、確かにそうだ、と思った。最後にランスと会ったのは、すでに半年以上も前の話である。
「何故、ピドナに?」
「バロンに会いたくてな。そうだ、ロアーヌ、お前はバロンと手合わせしたのだろう?」
 言われて、俺はただ頷いた。
「どうだった?」
「弓の腕は天下一」
「お前は無傷ではないか」
「タイクーンのおかげです」
「タイクーン?」
「馬であり、友です。バロンから譲り受けました」
 俺がそう言うと、ランスは笑い始めた。
「全く、武人同士の関係というのは分からんものだな。だが、それがまた良いのかもしれん。所で、ロアーヌ。シグナスの息子のレンとはどうだ。きちんと会っているか?」
 言われて、会っていない、と思った。戦に出ていたのだ。仕方ない、という部分はあるが、戦に出る前から、よく接していたとも言い難い。レンも、もう五歳か六歳になっているはずである。面倒はランドが見ているが、何と言ってもシグナスの息子だった。俺が知っているレンは、とにかく棒を振り回したがる子供で、お世辞にもランドと合うとは言えない。
「子供は大人が思っているよりも愛情に敏感だ。特にレンは両親をすでに失っている。お前も忙しいとは思うが、面倒をみてやってくれ」
「はい」
「お前が居ない間は、クリスがよく相手をしてやっていたぞ。あの男も今や立派な将軍の一人だ。酒も飲めるようになった。今度、語ってみると良い」
 そう言われて、俺はただ頷いた。
 それから俺は現状を報告し、家へと戻った。
「父上」
 不意に横から腰に抱きつかれた。レンである。
「父上? 俺は父ではないぞ、レン。元気でいたか」
 レンの頭の上に手をやり、そのまま撫でてやった。
「はい。兄上と一緒に盤上遊技(囲碁や将棋)をやったり、棒の稽古をしていました」
「兄上?」
「クリス将軍ですよ、ロアーヌ様」
 奥から声が聞こえた。ランドの声である。
「戦よりのご帰還、無事で何よりです」
 居住まいを正しながら出てきたランドは、そのまま一礼した。
「クリスが兄? 話が見えんな。ランド、お前は何と呼ばれている?」
「私はランドさんです。どうにも、軍人を家族としたいようなのです。ロアーヌ様は父、クリス将軍は兄という感じで」
 ランドの言葉を聞いて、俺はランスの言っていた事を思い出した。子供は愛情に敏感、という部分である。
「なるほど、そうか。よし、なら今日から俺がお前の父だ」
「今日からじゃありません。ずぅっと前からです」
 言われて、俺は口元を緩めた。
「そうか、そうだな。とりあえず戦は終わった。しばらくは、一緒に居れる時間も取れるだろう。どうだ、棒の稽古をするか? 盤上遊技が良いか?」
「戦の話が聞きたいです、父上。父上は天下で一番強い、と聞いています。だから、まず話が聞きたいです」
「俺が天下一かどうかは知らないが」
「強くなりたいんです。僕の本当の父上は、強かったってみんなが言います。それなのに」
 レンが口ごもる。どうやら、死という言葉を飲み込んだようだった。今にも泣き出しそうな表情で、そのまま顔を俺の身体に押しつけてくる。
 やはり、子供は子供だった。シグナスの死を、本当の意味で受け止めなくてはならないのは、このレンだ。そして、母であるサラの死も。そう思った時、俺の心に何かが奥深く突き刺さった。
 今まで、俺はレンの気持ちを考えられていなかった。俺が、親代わりなのにも関わらずだ。何をやっていたのだ。そうも思った。
「よし、戦の話だな」
 微かに、俺の声も震えていた。
「いくらでも話をしてやるぞ、レン。その後、棒の稽古でも盤上遊戯でも何でもやろう」
 俺がそう言うと、レンは目を真っ赤にさせて、大きく頷いた。

     

 国が揺れた。時代が変わった。
 鷹の目バロンが、メッサーナに帰順したのである。これはまさに、国全体が震撼したと言っても良い。メッサーナのみの反乱であったなら、たかが一地方の反乱、という見方も出来たが、これに北の大地が加わったのである。この事から、もう地方の反乱とは呼べなくなった。すなわち、国の中に国が出来た。いや、国が二つに分かれてしまったのだ。
 これは、戦国時代への突入を意味していた。すでに北と中央の境目、今では最早、国境であるが、そこの慌ただしさは相当なものになっていた。特に官軍は長らく呆けていたせいで、軍全体にまとまりがない。戦の準備と言っても、それを上手く指揮できる人間が少なすぎるのだ。しかも準備ができたとしても、本番の戦となった場合にどうなるのかは分からない。
 そんな官軍の中でも力を持った軍隊。その中の一つが、北の軍だった。それが、メッサーナに帰順してしまったのだ。
 一体、誰のせいなのだ。私のせいなのか。いや、誰のせいだとか、そういう話ではなく、起こるべくして起きた事なのか。私の今までの行動は、全て今日(こんにち)の出来事への布石に過ぎなかったのか。
 国は間違いなく腐っていた。その腐りを取り除くために、私は軍と役人を整えた。これに間違いなどあるはずがない。必要な事だったのだ。ただ、時期が悪かった。時代が悪かった。メッサーナが居たのだ。そのメッサーナを叩き潰せなかったのが、全ての元凶だった。
 メッサーナは一体、何なのだ。シグナスを殺して、もうそれで済むだろうと思っていた。だが、実際は鷹の目バロンを糾合し、さらにその力を大きくさせた。メッサーナは一体、何だと言うのだ。
 国へ対する民の不満、怨念。それを具現化したものが、メッサーナなのか。
 私の力だけでは、国の歴史を守る事は出来ないのかもしれない。能力の限界。私は、それを痛感していた。
 人には、それぞれ得手・不得手がある。私をそれを乗り越えて、全てを一人でやろうとした。それは仕事だけではなく、国に向けられる民の憎しみまでも、私は一人で背負おうとしてきた。だが、一人の力には限界がある。これは当然の事だ。だから、私は部下を使い、これまでの全てを取り仕切っていた。これが、盲点だったと言えるのではないのか。
 得手・不得手を考えた時、私が得意とする事は何なのか。そして、苦手とする事は。
「私は政治家であり、軍人ではない」
 政治、つまり内での頂点と、軍事、外での頂点で、頂点に立つ人間を二人にしていれば、今のような事は起きなかったのではないのか。私は今まで、前に出過ぎていた。政治家であるのにも関わらず、軍事に口を出し過ぎていた。軍事の頂点に立つ人間を差し置いて、私はやり過ぎたのだ。
 ならば、軍事の頂点とは、誰なのか。
「レオンハルト大将軍」
 軍神と呼ばれる男。天下最強の軍を率いる男。もう老齢で、前線に立つ事は難しいだろうが、それでも尚、人望厚い男である。そして、国の切り札。
 話をする時が来たのか。今まで、私はどこかこだわりがあった。国を守るのは自分だ。そういうこだわりが確かにあった。大将軍は地方の反乱如きでは腰をあげない。これは、こだわりに対する言い訳に過ぎなかった。今になって、それがよく分かる。皮肉だが、本当の事だった。
 思い立つと同時に、私は軍管区に向かっていた。ひと際、豪壮な屋敷に、レオンハルトは居る。
 レオンハルトが統括する区域だけは、ただならぬ気を発していた。それは遠目からもハッキリと分かり、武術の心得がない私にも即座に感じ取れるものであった。
 大将軍統括区域に入ってから、通行の途中、私は何度も門番に戟で道を塞がれ、姓名やら何やらを審問された。この時点で、すでに他の官軍とは違う。サウスの軍ですら、このような事はないだろう。また、門番の一人一人が、覇気に包まれていた。それは、こちらを圧倒してくる。
 レオンハルトの屋敷に到着した。豪壮な屋敷だが、軟弱な空気はない。むしろ、豪壮ゆえに壮健なる気が感じ取れた。
 レオンハルトは、広大な庭の中に咲く桜の木を眺めていた。まだ花は咲いていないが、芽吹いている。
「これは珍しい客人だ」
 レオンハルトは桜の木を眺めたまま、呟くように言った。こちらには背を向けたままだ。
「レオンハルト大将軍、お久しゅうございます」
 言って、頭を下げた。レオンハルトの年齢は六十前後と、私と大して変わらないが、軍の頂点に立つ男である。国の頂点の立つ宰相であろうが何だろうが、こうするのが礼儀だった。
「槍のシグナスが死んだな、フランツ殿」
 言われて、何の話だ、と思った。シグナスが死んだのは、もう何年も前の話なのだ。
「あの男の無念さを思うと、儂はやり切れん。戦で死なせたかった。あの男は、本当に良い武人であった」
「私が殺しました。というより、私の命令です。大将軍」
「分かっておるよ。そして、フランツ殿の気持ちもな。国の歴史は確かに重く、尊いものだ。それとはまた別に、武人の命も重く、尊い」
「レオンハルト大将軍、今日は」
「そう急くな、フランツ殿。今まで、儂と貴殿はあまりにも離れ過ぎていた。同じ思想を抱く同志であるのにも関わらずな」
 言われて、私は息が詰まるような思いに襲われた。語気は穏やかで、落ち着いた声色であるのに、とんでもない威圧感がある。
「儂とて、今までただ呆けていた訳ではない。もう軍を引退していてもおかしくない年齢ではあるが、世間がそれを許さぬ。武神、軍神、必勝将軍。今では、矍鑠翁(かくしゃくおきな)か。そういった異名は、人を大きくさせ、時を止める」
 レオンハルトが振り返った。反射的に一歩、下がろうとした身体を、私は懸命に支えた。これが伝説の男。そう思わせるには、十分だった。長身に彫りの深い顔。そして、胸まで伸びた灰色の髭。
「貴殿とは語らねばならぬ事が多くある。春が訪れようとしているとは言え、まだ外は寒い。屋敷の中で、話そうではないか」
 レオンハルトの言葉に、私はただ頷いた。威圧感は、別のものに変わろうとしていた。信頼。そういったものに、変わろうとしていた。

     

 私とレオンハルトは、互いに向き合う形で腰を降ろした。部屋の中は大広間になっていて、その装飾ぶりは豪華絢爛というにふさわしい。
「大将軍ともなれば、これほどの贅沢もできる」
 皮肉めいた笑みを浮かべながら、レオンハルトが言った。
「民が貧しい生活をしている中、儂はこれほどの富を持て余しておるのだ」
「私も似たようなものです。富は、ある所にはある。いや、あるべき場所になく、必要でない場所にある、と言うのが正しいのかな」
「そんな状態が、メッサーナを生み出した。そして、メッサーナは勢力を拡大し、鷹の目バロンをも飲み込んだ」
 レオンハルトが茶に手を伸ばす。その微かな香りが、私の鼻を撫でた。
「お恥ずかしい話ですが、メッサーナは、もはや私の手に負えません。国が二つに分かれた。そして、気勢はあちらにある」
 これを止める事ができるのは、レオンハルトしか居ない。これは、口には出さなかった。
「この天下には、多くの人が居るな、フランツ殿。人数の事ではなく、有能な人間、という意味だが」
「確かに。ですが、そのほとんどは」
「そう、メッサーナに入った。剣のロアーヌ、槍のシグナス、鷹の目バロン。特にこの三人は、まさに天下に名を連ねる武人だ。儂の目から見ても、あれほどの武人はそうはおらんだろう。しかも、まだ三十代と若い。これは驚異的な事だ」
 だが、官軍では評価されなかった。いや、むしろ疎まれ続けた。例外とするならバロンだが、あの男も英雄の子孫、という肩書だけを評価されていた。
「儂は今更ながらに悔やんでおる。バロンは仕方ないとしても、ロアーヌとシグナスは、本当に惜しい事をした」
「シグナスは」
「貴殿を責めておるわけではない。儂がもっと早くあの二人を見出し、きちんと志を刻み込めていれば、メッサーナに行く事はなかったという気がするのだ」
 レオンハルトの言う事も分からないではなかった。あの二人の明暗を分けたのは、上官であるタンメルだった。タンメルは国の腐りを象徴する人間だったのだ。だが、広い視野で見れば、やはりあの二人はメッサーナへ行っただろう。当時の国は、それほど腐り切っていた。今ならば。そう思っても、すでに過ぎた話だった。
「フランツ殿、今の官軍で、使い物になる将軍はどれほど居るとお思いか?」
「まず、南方の雄であるサウス」
 私がそう言うと、レオンハルトは静かに目を閉じた。
「サウスは使い物にならんよ、フランツ殿。あれは身勝手すぎる。軍人としての能力は確かなものであるが、貴殿の手に負えるものではなかっただろう」
「仰る通りです。政治家を見下している所もあります」
「儂も軍人が政治家に劣るとは微塵も思ってはいないが、見下しはしていない。要は力を発揮する場所が違うだけの事だ。だが、サウスはその分別がない。あれを起用できるのは、あれ自身が認めた『軍人』だけだ」
「となれば、大将軍、あなたしか居ない」
「何があれを増長させたのかは分からんが、南に行ってからサウスは変わった」
 能無しの政治家がサウスを南に飛ばした。それが切欠と言えば切欠だった。だが、サウスの性格の中にそういった部分があったのも事実だろう。
「今の官軍は人が少なすぎるな、フランツ殿」
 私は、黙って頷いた。これに関しては、レオンハルトと私の見解は同じだった。
「今のメッサーナの勢いは、とどまる事を知らず、か」
「だからこそ、大将軍」
「急くな、フランツ殿。シグナスが死んでからのメッサーナは、まさに破竹の勢いだ」
「止める事はできないと?」
「それはできる。だが、滅ぼす事はできんだろう。今のメッサーナは隙がない。考えてもみろ、剣のロアーヌのスズメバチを筆頭に、シグナスの志を受け継いだ槍兵、獅子軍のシーザー、戦術眼に優れるクライヴ、若き将軍のクリス。そして、知略のヨハンとルイス。これに鷹の目バロンの弓騎兵と良馬が揃ったのだ」
「しかし、このままでは」
「時をかけねばならん」
 だが、私達にはもう時間がない。老いという名の抗い難いものが、その身に迫っているのだ。特にレオンハルトは軍人である。六十近くになって前線に立つというのは、もう無理だと言ってもおかしくはない。
「次代を育てているか、フランツ殿?」
 レオンハルトが、話題を変えた。時から、老いと寿命を連想したのかもしれない。
「一人、目をかけている者が居ますが」
 ウィンセ。今は軍事を中心にやらせているが、政治に関しても非凡なものを持っている。私の後は、このウィンセに継がせるつもりだった。
「儂には六人の子が居るが、一人を除いてあとは皆、凡愚だ」
 英傑の子にはありがちな事だった。親が英傑であるが故に、子もその才能を求められる。そして、それは人よりちょっと優れているだけでは評価されず、常に一番で居なくてはならない。この重圧に耐えきれず、英傑の子はよく才能ごと潰れてしまうのだ。
 だから、私は子を成さなかった。自身を英傑だとは思った事はないが、立場が立場である。親が宰相であれば、やはり子もそれ相応の能力を求められるに違いなかった。
「一番の下の子は、まさに天下一の素養を持つ」
 レオンハルトが、ハッキリと言い切った。
「儂の息子であるというのを抜きにしても、あれは非凡だ。まだ歳は十二だが、武術の才は抜きん出ておる。鍛えようによっては、ロアーヌやシグナスも軽く凌ぐであろう」
 この大将軍も、若い時は武神と謳われた。天下無双の豪傑と評されたのだ。やがて老いによって、武神という呼び名は軍神へと変わったが、その血はしっかりと受け継がれたという事なのか。
「名はハルトレイン。儂は、この子に全てを託そうと考えておる」
「大将軍自身は、メッサーナを滅ぼさないと?」
「そうは言わんよ。軍人として、一度ぐらいは干戈を交えたいしな。だが、時がそれを叶えてくれるかは分からん。要は、巡り合わせだ」
「やはり、今のメッサーナは触れない方が良い。そう仰るのですね」
「その通りだ、フランツ殿。儂の予想では、おそらくコモン関所を奪う所までは来る。サウスがどれだけやれるかが焦点ではあるが、あれも老いてきた」
「コモン関所を奪われたら?」
「儂が動く。とりあえず、この目で力を見なければならん」
 これだけ聞ければ、十分だった。そして。
「レオンハルト大将軍、私の軍権を貴方に託します」
「必要ないという気はするが。儂は配下の五万だけで良い」
「私が持っていても、やはり宝の持ち腐れです。特にサウスを使えるのは、大将軍、貴方しか居ない」
「サウスか。確かにあの男は上手く使いたいな」
 例えば、調練である。サウスは元々、調練で有名な将軍だったのだ。大将軍の命令となれば、あれも張り切るだろう。そうなれば、官軍も再生できる。
 そう考えれば、時をかけるのは必ずしも悪い事ではないと思えた。
「内は私が」
「外は儂がやる、という事か」
 互いに、口元を緩めた。
「ハルトレインの成人が楽しみでならんよ、儂は。その時には、官軍全てが天下最強となっているだろう」
 時代は変わった。だが、それと同時に、動いてもいるのだ。レオンハルトの言葉を聞いて、私はそう思った。

     

 私は弓騎兵と共に、タフターン山を登っていた。この山の険しさは相当なもので、ロアーヌの騎馬隊もここで力を付けたという。対抗心ではないが、私の弓騎兵もこのタフターン山で鍛え上げる事にしたのだ。
 そして、この山にはシグナスの墓があった。このタフターン山は、あの槍のシグナスが死んだ場所なのだ。シグナスはここで死闘を繰り広げ、最期には闘神としてこの世を去った。
 闘神。英傑の死ということで、多少の誇張はあるにしても、凄まじい異名である。シグナスは、三百という人数を相手に、最期の最期まで闘い抜き、果てた。志半ばだったという事を考えると、これ程の無念はなかっただろう。
 私も死の覚悟をした経験が一度だけあるが、その時には後悔はなかった。何故かと問われれば明確な答えは出せないが、死ぬ寸前には全てをやり切った、という思いがあった。だが、シグナスはどうだったのか。
 シグナスには一人の息子が居たという。だが、その息子は孤児となった。両親を同時に失ったのだ。今ではロアーヌが親代わりだという話を聞いているが、あの男に親が務まるのかは疑問だった。剣と馬があれば、それで良いというような男なのだ。少なくとも、私にはそう見える。
 生きるという事は、実に不思議な事だった。今の私は本当に充実していると言い切れる。ランスと共に天下を目指し、ロアーヌと肩を並べて戦場を駆ける。今の私は、これを夢に見ていると言っていい。そしてこの夢は、すぐにでも実現できる事だった。
 しばらく、山中を駆け続けた。頂上に到着する。そこには、大きな石碑があった。これが、シグナスの墓だろう。
「闘神シグナス、ここに眠る、か」
 地面に視線を落とすと、剣と槍が地に突き立っていた。すでに二つの武器は錆ついていて、ここから時間の経過が読み取れる。
 風が吹く。その風が、妙に寂しい気持ちにさせた。気付くと、私は涙を流していた。
「将軍」
 それに気付いた旗本が、声をかけてくる。
「シグナスの死は、人々の心に訴えかけてくるな。死は、みんな平等に迎え入れなくてはならん。シグナスは、自分が死ぬと解った時、どのような心持ちだったのだろうか。無念で心を埋め尽くされていたのか。それとも、一人の友に全てを託し、未来を感じていたのか」
 あるいは、一人息子の身を案じていたのか。どちらにしろ、残された者達には、一生わからない事だ。死に目にあえた、あのロアーヌでさえも分からないだろう。死とは、そういうものだった。
 しばらく、涙が止まらなかった。シグナスとは話をした事すらないのに、それなのに、その死は心に響く。
「一代の英傑に祈りを捧げよ」
 弓騎兵にそう命じ、私は目を瞑った。
 貴方の志は、今も尚、人々の心の中で生きている。輝きを見せている。心の中で、私はそう言った。
「帰還する」
 再び目を開いた時、私の中の大志は一層、大きくなっていた。天下を取る。国を、私の矢で撃ち貫く。
 タフターン山を降りて、北の大地に向かう前に、私はピドナに入った。今のピドナは北の大地と共に、軍備拡張を行っており、兵の入替はもちろん、馬の入替もやっている。
 特に馬は北の大地のものを取り入れ、ロアーヌのスズメバチに至っては、全ての馬を北の大地の名馬と入れ替えた。これにより、あの騎馬隊はとんでもない魔物となった。馬の質・兵の練度・指揮官。どれを取っても、もはや天下最強だろう。指揮官に関しては評価が分かれるかもしれないが、私の中ではタイクーンを得たロアーヌはまさに鬼神であり、天下最強の男だった。
 私はそのロアーヌの家に向かっていた。メッサーナに入ってから、私はあの男とは一度も会っていない。ロアーヌの方から会いにくるという事がないので、放っておくと二度と会わないような男である。
 まもなく家につき、訪いを入れると、小さな子供が出てきた。年齢は五歳か六歳ぐらいか。
「こんにちは。ご主人は居るかな」
「ご主人? あなたは誰?」
「これは失礼した。私はバロン。人々には鷹の目と呼ばれている。誰か大人は?」
 私がそう言うと、子供の目に輝きが浮かび上がった。
「あっ、たかのめ、たかのめだぁっ」
 ワッとはしゃぎながら、子供が奥に引っ込む。それから、父上、はやく、という声が聞こえてきた。
「父上? そうか、なるほど」
 あれがシグナスの息子か。私はそう思った、となると、父上はロアーヌだろう。あれが父と呼ばれているのを考えると、どこか笑いたくなる。あまりにも不似合いなのだ。
「バロンか」
 ようやく出てきたかと思うと、ロアーヌはそれだけを言った。
「久しいな、ロアーヌ。その腰に抱きついている子供は、シグナスの息子か?」
「いや、俺の子だ」
「ほう」
 言い切った。私が想像しているロアーヌとは、少し違ったロアーヌである。
「たかのめ、弓の腕を見せてっ」
「レン、その前に自己紹介をしなさい。武技に興味を持つのは悪くはないが、その前に礼儀だ」
 それを聞いて、私は思わず笑ってしまった。誰よりも武技に興味を持ち、人に興味を示さない男が何を言うのか。そう思ったのだ。
「はい、ごめんなさい。えと、名前はレンです。歳は六歳です。夢は天下で一番強くなること。あと、馬に乗ることっ」
「元気がいいな、レン。よし、褒美に私の弓の腕を見せようか」
 私がそう言うと、レンは大はしゃぎで私に抱きついてきた。
「しかし、ロアーヌ。何故、レンは私の弓の腕を知っている?」
「俺が話した。剣を教えろとねだってくるが、まだ早いと判断した。それで、戦の話を聞かせてやっている」
「シグナスの息子だろう。槍は?」
「毎日、飽きもせずに棒を振り回している。俺と違ってすでに友人を何人も作ったが、その中では一番の腕だ」
 私はそれを聞いて、声をあげて笑った。友人が少ない。この男は、それを自覚していたのだ。
「たかのめ、はやく、はやく」
「よし。じゃあ、調練場に行こう」
 私はレンを肩の上に担ぎあげた。レンの歓声があがる。
「ロアーヌ、お前はどうする?」
「行く」
 それだけ言って、ロアーヌはタイクーンを曳いてきた。相変わらず、絵になる光景だ。
 私はレンを懐に抱え、ホークに跨った。ロアーヌのタイクーンは荒馬である。レンが乗るには、まだ辛いだろう。
「行こうか、ホーク。レンが乗っているから、優しくな」
 言って、馬腹を蹴った。ホークが駆け出す。
「馬だぁっ」
 そんなレンの歓声が、ピドナの中でこだましていた。

     

「良いか、レン。一度だけだぞ」
 私がそう言うと、レンは真剣な表情になり、ゆっくりと頷いた。調練場である。雲一つない晴天の下で、私は腰元の弓を手に取った。
「その弓で、父上と戦ったの?」
「あぁ、そうだ。そなたの父上は、本当に強い男だ。レンは、その父上よりも強くなりたいのか?」
「なりたい」
 そう言ったレンの表情は、真剣以外の何物でもなかった。執念すらも感じる表情だ。強さに凄まじいまでの執着を持っている。シグナスが死んだ事を、その心に刻みつけているのか。いや、刻み込まれてしまったのか。
「強くなって、どうする?」
「父上の代わりに戦う」
 この父とは、おそらくシグナスの事だろう。志半ばで倒れた無念さを、幼いながらによく理解しているのか。これは利発というより、感受性に優れていると言える。
 ロアーヌは、ただ黙って聞いていた。タイクーンに跨り、ジッとレンを見つめている。
「よく見ていると良い」
 私はそう言い、背の矢筒から矢を一本抜き取り、そのまま弓につがえた。
 レンが集中するのがわかった。この空気を張り詰めさせるほどの集中力。幼い子供のものとは思えない。やはり、シグナスの血を受けているのか。
 私も集中した。ずっと先にある的の中心。もう、そこしか見えない。戦に臨むような覚悟で、私は的を見つめた。視界が狭まる。集中力は研ぎ澄まされ、矢は離れる機を伝えてくる。
 放っていた。風の音。光を切り裂き、稲妻の如く迸る。次の瞬間、矢は的のど真ん中を貫き、そのまま吹き飛ばした。
「すごい」
 息を呑むようにレンが言った。
「他の兵隊さんは、的の中心に突き立てるのがやっとなのに」
「鷹という鳥を知っているか、レン?」
 私がそう言うと、レンは首を横に振った。
「鷹という鳥は、雄々しき鳥だ。誇りを抱き、大空を自由に舞う。そして、狙った獲物は逃がさない」
「絶対に?」
「あぁ、絶対だ。どんな遠くからでも、獲物を捉え、そして仕留める」
「たかのめ」
「そうだ。私は人々から鷹の目と呼ばれている。その理由が、この弓の腕という訳だな」
 六歳児には難しい話だったかもしれない。だが、レンの表情を見る限り、理解はしているように思えた。
「たかのめは、最初からそんなに凄かったの?」
「いや、そうでもないな。レンは弓が使えるようになりたいのか?」
「僕は槍が使いたい。次に剣。あと馬。あと弓も」
「残念だが、まだ弓が引ける身体ではないな。ご飯をいっぱい食べて、早く大きくなると良い」
「うん」
 レンは無邪気な笑顔を見せて、大きく頷いた。
 この私の弓を見た事で、レンの中の何かが変わるのか。六歳という年齢で、これ程までに武術に興味を示すというのは、どこか変わっている。強くなりたい。本当にそう思っているのだろう。いや、むしろ、本能として、強くなる必要がある、と感じているのかもしれない。
 しかし、本格的に武術を教え込むには、まだ幼すぎる。稽古レベルがせいぜいと言った所だろう。だが、今の内に出来る事もある。
「ロアーヌ」
 私が呼ぶと、ロアーヌは視線だけを私の方に動かした。
「レンに馬を与えたらどうだ?」
「まだ乗れん」
「いや、赤子だ。北の大地の子供は、馬の赤子と共に育つ。そうする事によって、自然と良い騎兵に育つのだ。兵になれない者でも、馬の気持ちをよく読み取れるようになる」
「赤子か」
「父上、僕も馬が欲しいっ」
 レンが声をあげると、ロアーヌはあるかなきかの表情を浮かべた。
「良いだろう。だが、きちんと世話をするのが条件だ。一日も怠ける事は許さない。それでも欲しいか?」
「うん」
「馬も生き物だ。心を持っている。これと通じ合うのは難しいぞ。それでもやりたいと思うか?」
「やる。僕も、父上とタイクーンみたいになりたい」
「よし、なら厩(うまや)に行こうか。世話をする馬は、レン自身が見て、レン自身が決めなさい」
 ロアーヌのこの言葉を聞いて、レンがワッとはしゃぎだした。レンは、馬に乗る事が夢だと言っていた。この夢に一歩、近付いたのだ。気持ちはよく分かった。
「やはり、レンは兵として育てるのか?」
 嬉しそうに走り回るレンを横目に、私は静かに言った。
「本人がそれを望んでいる。シグナスは、子を兵にはしたがらなかったがな」
「槍のシグナスか」
 一代の英傑だった。そして、その声望は、北の大地にまで及んでいた。天下最強の槍使いであると共に、剣のロアーヌと肩を並べる男。もし、まだ生きていれば、メッサーナは今とは違う形で歴史に台頭していただろう。そして、私とロアーヌも、もっと違った出会い方をしていたかもしれない。
「バロン、この先の戦いは、どうなると読んでいる?」
 不意に、ロアーヌがぼそりと言った。ロアーヌが自分から話題を振るというのは、珍しい事である。
「大将軍が動くな。メッサーナは、もはや地方の反乱とは呼べん勢力だ。能天気を人間にしたかのような王も、さすがに焦り出すだろう。あとはフランツの問題だ」
 フランツは全てを自分一人でやりたがる所があった。というより、人に任せておけないのだ。これは、自分がやった方が遥かに効率よく、しかも確実に出来る為である。だが、もうあの男も老年だった。老いを重ねれば、限界も見え始める。特にここ数年のフランツは、失敗続きだ。これが、どう影響するのか。
「レオンハルトか。伝説の男だな」
「私は、お前の方が優れていると思う。レオンハルトも、もう老いた。武神という異名は、すでに廃れたと言って良いだろう」
「俺は、まだサウスに勝っていない」
 ロアーヌが静かに言った。だが、声の底には激情が見えた。
「南方の雄か。軍備が終われば、次はコモン関所だろう。あそこを奪えば、天下に限りなく近付く」
 コモンには、サウスが居る。このサウスは、ロアーヌを二度も打ち負かした男だ。だからこそ、ロアーヌもサウスに対して、並々ならぬ思いを抱いているだろう。
「父上、はやくっ」
 そんな思考をしていると、レンの無邪気な声が聞こえた。

     

 兵が死に物狂いで駆けていた。ちょっとでも遅れたら、俺の鞭が飛ぶのだ。それだけでなく、もし転んで隊列を乱してしまったら、鞭打ち二十回が待っている。
 官軍は今までが腑抜け過ぎた。それは目を覆う程のもので、フランツの改革で少しはマシになったが、それでも一度根づいてしまった悪しき体制を覆すには至らなかった。官軍は賄賂を得る為の温床となっていたのだ。だから、どうしても戦う為でなく、金を得る為に兵になる奴が多くなる。特に高官の馬鹿息子などは、まず官軍に送り込まれる。そこで一気に将軍にまでのし上がり、金の収集に全てを費やすのだ。
 俺の軍だけは、そんな事はさせなかった。南方の雄と呼ばれる俺がコモン関所に駐屯を始めてから、少なくとも近隣の官軍は引き締まった。と言うより、引き締めさせた。どれだけ言っても賄賂がなくならないので、見つけ次第、首を刎ねるようにしたのだ。最初の内は政府の高官どもが喚き散らしていたが、俺がやっているのは、ただ過激なだけで間違った事ではない。それを無視し続けていたら、黙認がされるようになった。無論、フランツからの咎めの声も無かった。もっとも、あいつが咎めてきた所で、言う事を聞くつもりは無かった。
 時代が変わった。戦国時代の突入である。英雄の子孫であるバロンが、メッサーナに寝返ったのだ。
 英雄の血だの何だのは、俺は好かなかった。大事なのは今である。親や先祖が偉大だからと言って、その血を受けた子も偉大というのは間違っている。そいつらはあくまで、その先祖の功績にすがっているだけだ。そして、それが何代も続くと今の王のようになる。今の王は誰がどう見ても阿呆だ。始祖の血を受けているだけで王座に座っている、ただの間抜けである。
 だが、それでも良いと俺は思っていた。王は阿呆だが、権力には興味を示さないのだ。ほとんどの権力を宰相であるフランツに渡し、自身は遊び呆けている。こうなれば、あとは宰相の問題だ。そして、フランツの思想は、王にとっても国にとっても、プラスになるものだった。
 そのフランツが、軍権を大将軍に渡した。これで軍事関係は大きく変わった。政治家の意見が軍事に挟まれなくなった事で、本当の意味で軍が強化され始めたのだ。調練面に関して言えば、これはかなり大きい事である。今までは、どうしても政治家が軍事面に対しても大きな顔をしていたのだ。これは、フランツが権力を握っていたからだ。
 フランツの改革で実力の無い者は上に立てなくなった。これは良い。だが、それだけだった。それだけで、政治家の権力が削がれたという訳でなかったのだ。
 そして政治家は、自分の息子が、知り合いの息子が、親族が、こういったくだらない理由で軍事に口を挟んでくる。だが、それも出来なくなった。大将軍が軍権を握り、各将軍が、本当の意味での権力を得たのだ。これで政治家どもは、やっと軍事に口を出せなくなった。
 一人の兵が、息を乱して遅れ始めていた。それを見止めた俺は、すぐに馬で追い付き、背中を鞭で引っ叩いた。兵が悲鳴をあげる。
「何をする、この老いぼれがっ。私の父上は政府の」
 言い終わらぬ内に、俺は再び兵に鞭をくれた。悲鳴。
「お前の父は政府の高官か? だからなんだ。俺は南方の雄だ。その偉い父上様を俺の前に出してこい。すぐに首を刎ねてやるぞ。おら、さっさと駆けろ」
 鞭をくれる。兵は地べたに顔をうずめ、身体を痙攣させていた。
「ゴミ屑が。お前のような屑が、今までの官軍には溢れ返っていた。お前、元々は将軍だっただろう。フランツの改革で兵に落とされても、未だに官軍に居るとは根性が据わっていると思ったが、まだ賄賂を得られると思っていただけか」
「こ、殺してやる」
「やってみろ」
 言って、俺は腰元の剣を投げ渡した。
「俺は丸腰だ。ほら、かかってこい。それとも、父上様が居ないと何もできないか?」
 そう言うと、兵が叫び声をあげて斬りかかってきた。大抵の屑は、剣を投げ渡しても震えて泣いているだけだが、こいつは斬りかかってきた。少しは肝があると言っていい。
 俺は剣を蹴り飛ばして、片手で兵の首を掴み、そのまま持ち上げた。
「だが、お前は政治家の息子だ。ゴミ屑だ。このまま、くびり殺してやる」
 兵の顔が赤黒くなっていく。
「サウス将軍、お戯れを」
 側に居た大隊長が言ってきた。俺は軽く笑い、首から手を離した。兵が無造作に地面に転げ落ちる。
「これから官軍は強くなる。再び、天下最強の軍に戻るのだ。俺はそれを手伝っているに過ぎん。俺の調練に耐えきれないなら、お家に帰るんだな。弱兵は必要ない。メッサーナと戦っても、その命を無駄にするだけだ」
 口から泡を吹き、白目を剥いている兵に、俺は唾を吐き付けた。
「邪魔だからどこかに捨てて来い」
 他の兵達が明らかに怯えていた。だが、その中でもあぁなって当然だ、という顔をしている者も居る。これだけ絞りあげても、まだ兵は一枚岩ではない。
「何を眺めている。さっさと駆けろ」
 俺がそう言うと、兵達がハッとして駆け始めた。
 調練はそれぞれの将軍に任せるというのが、大将軍の意向だった。大将軍の調練は、これほど悪辣ではないが、俺以上に厳しい。だから、天下最強の軍なのだ。俺は、その大将軍の軍に少しでも近付けたかった。そして、メッサーナを叩き潰す。
「メッサーナと言えば、剣のロアーヌか」
 今現在で、天下最強と謳われる男である。こういう噂は誰が流すのか知らないが、とにかく今はロアーヌが最強という事になっている。それまでは、大将軍であるレオンハルトだった。もし、シグナスが生きていれば、天下最強は二人だったのだろうか。
「ロアーヌ、シグナス、そしてバロン。三人を相手に、俺は戦がしたかった」
 もはや叶わぬ夢。だが、俺の心は逸っていた。時代が変わったのだ。戦国時代に突入したのだ。
 バロンがメッサーナに帰順して二年が経っていた。そして、メッサーナがコモンに攻め込んでくるまで、あと一年か二年と言った所か。
 乱れが無くなった兵の調練を見ながら、俺はそう思っていた。

     

 レンは音を上げなかった。何度、打ち据えても立ち上がる。そして、また打ち据えられる。この繰り返しは、端から見れば虐待のようにも見えるだろう。クリスが側で見ていなければ、何事かと騒ぎになっていてもおかしくなかった。
 槍の稽古だった。今までは、クリスと二人でやらせていたが、レンが八歳になってから、俺自身が稽古をつけるようにした。十歳までは、クリスとやらせるつもりだったのだが、予想以上に飲み込みが早かったのだ。それで、八歳で本格的な対人の稽古を積ませる事にしたのである。
 レンには木の棒を持たせ、俺は竹で作った剣で相手をしていた。今はとにかくレンに打たせ、俺は隙のある所に竹を叩き込むという事をやっていた。まずはどこが脆いのかを教えなければならない。攻撃は最大の防御だが、その攻撃に隙があるというのは話にならないのだ。
 口で説明する、というのはやらなかった。そういう事は俺は得意ではないし、意味があるとも思わなかった。身体で覚える。どうやれば、反撃を貰わずに打ち込めるのか。どうやれば、反撃されないのか。これは実戦で習得するしかないのだ。
 レンがジッと構えていた。どうやっても反撃される。一体、どうすれば良いのか。そう考えているのが分かった。
 容赦はしなかった。その構えの隙に向けて、竹を打ち込む。レンが地面に倒れ込み、呻いていた。
「レン、もう終わりか。槍のシグナスの息子は、剣のロアーヌの息子は、この程度なのか」
 俺がそう言うと、レンは目を真っ赤にさせて俺を睨みつけてきた。純粋な憎悪が、俺を貫いてくる。強くなりたい。しかし、弱い。この弱さが憎い。憎悪が、そう言っている。
「父上のように強くなるんだ、強く」
 レンが立ち上がる。俺が打ち込んだ所は赤く腫れ上がっていて、それは身体中にあった。毎日、こんな稽古をやっているのだ。さすがの俺もどうかとは思ったが、止める事はしなかった。レン自身が望んでいるのだ。そして、レンは一人の男だった。八歳と言えども、一人の男なのだ。
「来い」
 レンが打ちかかって来る。棒を出す瞬間、腰が回っていなかった。下半身を使っていない証拠だ。上半身だけの打ち込みなど、実戦では武器を撥ね飛ばされるだけだ。そして、武器の次は首である。
 俺はレンの棒を虚空へと弾き飛ばし、腹に竹を叩き込んだ。レンがうずくまる。
「武器を無くすな。武器を無くしたら、その時点で死だ。これは騎乗でも同じだぞ。戦場だったら、お前は身体ごと真っ二つだ」
「強く、なりたい」
「何故、武器を撥ね飛ばされたのか考えろ。何故、腹を打たれたのか考えろ。そして、どうすれば良いかを考えろ。今のお前には、そうできる時間がある。戦場では、一秒ごとが命のやり取りだ。だから、そんな事を考えている暇はない」
 これ以上は、何も言わなかった。レン自身が行き着かなければならない答えなのだ。多くを語れば、それはレンを惑わすだけだ。
 レンは呻きながら、小さな身体を震わせていた。これ以上続けるのは、今日はもう無理だろう。
「今日の稽古は終わりだ」
 俺がそう言うと、すぐにクリスが駆けつけてきた。
「大丈夫か、レン」
「兄上、僕は強くなりたい。強く」
「なれる。だから焦るな」
 レンは涙を流しながら、鼻をすすっていた。そのままゆっくりと、木の棒まで這っていく。
「ロアーヌさん、レンはまだ八歳の子供です」
 クリスが俺の側に来て、小声で言った。
「関係無い。それに、レンが望んでいる事だ」
「しかし」
 これ以上は取り合わなかった。クリスの言い分も理解できる。だが、それはレンを傷つける事になるだろう。子供だからと言って手を抜けば、それはすぐに分かるのだ。これぐらいの事が理解できる程度には、レンはすでになっている。
 俺はタイクーンに跨り、調練場を出た。あとのフォローはクリスに任せる。俺がやれば、変な事になるからだ。
 調練場を出た俺は、そのまま軍議室へ向かった。
 戦が始まろうとしていた。まだ準備段階の域を出ていないが、コモン関所攻略戦である。すなわち、あのサウスと再び干戈を交える時が近付いているのだ。あの男には、因縁がある。そして、俺が勝たなければならない人間の一人だった。
 軍議室の中では、それぞれの面々がすでに席についていた。バロンも居る。
「クリスはどうした、ロアーヌ?」
 ランスが言った。この男も、出会った頃に比べるといくらか老けた。髪の毛には、白いものが混じっている。
「レンの世話です」
「おいおい、親父が真っ先に来てどうすんだよ」
 シーザーが言った。このシーザーも今では親である。娘と息子が一人ずつ居て、娘は絵に描いたようなお転婆であり、息子は親に似てかなりの乱暴者らしい。この息子とレンは友人らしいが、あの真面目なレンと気が合うのかは甚だ疑問だった。
「そう言うな、シーザー。稽古の後か、ロアーヌ?」
「はい」
「なるほど。お前の愛情は真っ直ぐすぎる所があるからな。稽古後は、兄と慕われているクリスに任せる方が賢明だ」
 ランスのこの言葉を聞いて、俺はただ頷いた。バロンが微かに口元を緩めている。
「レンはまだ八歳だろ? よく稽古をつける気になったな」
「シーザー、お前の息子のニールも一緒につけてもらったらどうだ」
「いや、その必要はねぇよ、ランスさん。ニールは喧嘩で強くなるからな」
 シーザーがそう言うと、みんなが笑い始めた。
「? 何がおかしいんだ?」
「鳥頭の息子は、やはり鳥頭だという事だ」
 ルイスのこの言葉に、シーザーが怒鳴り声をあげた。

     

 自分が老いているなどとは、微塵も思わなかった。いや、正確には、老いているから若い者には勝てないとは思わなかった。老いと若さは、優劣ではない。それぞれに、それぞれの長所があるのだ。そして、老いとは今までにどういう歳の取り方をしてきたのか。これが、重要なのである。そして、その歳の取り方に、儂は大きな自信を持っていた。
 年齢を言えば、誰もが老いぼれ、という目で見てくる。だが、儂は大将軍なのだ。大将軍とは、軍の頂点に立つ男。頂点に立つ男とは、他の者には無い圧倒的な才能と、類稀なる実績を持っていなければならない。少なくとも、儂はそう考えている。
 メッサーナの統治者は、何の才能もないという。武芸も並以下で、戦はできないと聞くし、政治手腕もフランツには及ばない。それなのに、頂点に立つ人間として仰がれているのだ。
 理解できなかった。そんな男に、何の魅力があると言うのか。誰が付いていきたい、と思うのか。その点、フランツは長い間、この国を支えてきた。国を支えるだけで一生を終えれば、これは凡人と評価されただろう。だが、あの男は国の改革に乗り出したのだ。それも他者の反発をも受け入れる形で、だ。これは誰にでも出来る事ではない。だからフランツは、メッサーナの統治者などより、よっぽど魅力のある人間だ。少なくとも、儂はそう思っていた。
 儂は三十二歳で今の大将軍の地位につき、あれから三十年間、軍の頂点に立ち続けた。全てにおいて儂は勝ってきた。特に戦と武芸に関しては、ただ勝つ、というのはやらなかった。圧倒的勝利。二度と立ち上がれないように、儂は敵を叩きのめしてきたのだ。
 それを繰り返していたら、いつの間にか敵が居なくなっていた。そして、国は腐っていった。敵が居なくなり、平和が訪れた国は、内部から朽ちていったのだ。その結果、忠臣は国を去り、多くの戦友は憤りを胸に死んでいった。
 虚しさはなかった。というより、どうでも良い、という思いしか無かった。儂はやる事をやったのだ。国に害をなす敵を殲滅し、政治家が力を発揮できるようにした。そこからは政治家の問題であって、軍人の問題ではない。
 フランツがもっと早く世に出ていれば、国はここまで腐る事はなかっただろう。フランツが宰相についたのは、あまりにも遅すぎた。だからこそ、改革が始まった、と言い換える事も出来るが、すでに忠臣や、儂と共に戦った猛者達は居ないのだ。これは、はっきり言って痛手だ。そこに、メッサーナが歴史に台頭してきたのである。
 儂個人としては、今の状況は悪くないと思っていた。フランツには悪いが、楽しんでいる自分が居るのだ。生涯無敗、必勝であり続け、武神、軍神などと異名をつけられた儂でさえも、血が躍る。今のメッサーナは、それほどの敵だという事だ。
 メッサーナの軍は、どれもこれもが強い。ロアーヌのスズメバチばかりに目が行きがちだが、その他の軍も天下で争える精強さだ。もはや官軍など、有象無象のようなものだろう。シーザーの獅子軍の攻撃力は圧倒的であるし、クリスとクライヴの堅実さはシーザーの無謀さを上手く打ち消している。そして、シグナスの遺した槍兵隊は、ロアーヌのスズメバチとの相性が抜群に良い。バロンの弓騎兵は、もはや言うまでもないだろう。
 もし、シグナスが生きていれば、メッサーナは天下が取れたはずだ。国側は、儂が出て行った戦には勝てる。だが、それだけだ。その他方面を同時に攻められたら、これはもう無理だろう。いくら儂とて、一人の人間である。儂の出向く戦場で勝利を収めても、その他方面が負ければ意味がない。そして、バロンを得たメッサーナは、それが出来る勢力になっている。
 メッサーナ軍の兵力は、推定で二十万にまで膨れ上がっていた。一方の官軍は、軍を整理した事もあり、四十万に減っている。さらにこの内の十万は異民族の抑えや、王の護衛という無意味な任務についている兵である。つまり、実質は三十万の兵力なのだ。そして、質はメッサーナに劣る。
 これはつまり、メッサーナ軍に対する国の優位性が消えた事を意味していた。天下二分。今の状況を言うならば、これである。
 しかし、フランツは良いタイミングで儂に声をかけたものだった。メッサーナが小粒である頃ならまだしも、十分に大きくなってから、あの男はやって来たのだ。それもシグナスを殺し、国とメッサーナの力関係を五分五分にして、だ。
 人は、我慢してでも生き続けた方が良い。儂は切にそう思った。戦友らは国に失望し、自殺を計ったりしたが、儂は生き続けた。そして、今に至るのだ。戦友らは深く考え過ぎた。国の腐りをどうこうするのは、政治家の仕事なのに、まるで自分の事のように考えてしまったのだ。
「父上、稽古を終えました」
 池の中を泳ぐ鯉を見ていると、息子のハルトレインが後ろから声をかけてきた。
「どうであった?」
「剣、槍、戟、弓、体術。全て、勝ちました。父上、相手が弱すぎます。本当にこれが天下最強の軍なのですか」
 ハルトレインは才能の塊だった。儂には六人の息子が居るが、ハルトレインは六番目の末っ子である。他の五人も良い軍人に育ったが、せいぜい大隊長が良い所だった。万単位の指揮をさせるには、器量が伴わない。だが、ハルトレインは違う。僅か十五歳にして、大隊長にまでのし上がり、その武芸の腕はすでに官軍一だ。戦の経験はまだ無いが、模擬戦では無敗である。
「お前が強すぎるのだ、ハルト。だが、思い上がるなよ。お前はまだ初陣すら飾っていない。天下には人が多く居る。今の官軍では、サウスか。あの男は武芸はもう駄目だが、戦は老練で上手い」
「私よりも、ですか」
「当然だ。お前はまだ十五歳だぞ。サウスと軍歴を比べるべくもなかろう」
 儂がそう言うと、ハルトレインは舌打ちをかました。
 ハルトレインの欠点は、この傲慢さだった。才能の塊で強すぎるが故の話なのだが、何よりもまだ子供だ。そして、世界を知らない。この傲慢さは、時と共に薄れて行くだろう、というのが儂の考えだった。
「父上、今の天下最強の男は、剣のロアーヌと聞いています」
「そうだな」
「私の方が強い」
 言ったハルトレインを、儂は睨みつけた。
「思い上がるな、と言ったはずだ、ハルト。剣のロアーヌの強さをその目で見たのか。実際に打ち合ったのか。空想で物事を語るな。それは身を滅ぼすぞ」
「しかし、私は誰にも負けていません。すでに死んだ槍のシグナスなど、闘神と謳われています。それが気に入らないのですよ」
「確かにお前は強い。だが、剣のロアーヌや槍のシグナスと同列に語るのはやめておけ。笑い者にされるだけだ」
「父上」
 ハルトレインが殺気を醸し出した。実の父である儂にさえ、牙を剥いてくる。だが、これは別に悪い事ではない。力を持て余しているだけなのだ。要はこれを、正しい方向へと持っていかせれば良い。
「そろそろ、メッサーナがコモンに攻め込んでくる。兵力はまだ分からんが、間違いなくロアーヌが出陣する。そして、鷹の目であるバロンもな」
「だから?」
「この戦がお前の初陣だ。だが、コモンの統治者はサウス。故に、お前はサウスの指揮下に入る」
「私は父上の下につく大隊長です」
「だから、なんだ?」
「軍令ですか、これは」
「そうだ。サウスの指揮下に入り、メッサーナ軍と戦ってみろ」
「拒否したら? サウス軍は天下最強の軍ではありません。私は、天下最強の軍を率いたい」
「ハルト、怖いのか? 天下最強の軍と一緒でないと、恐ろしくてたまらんのか」
 儂がそう言うと、ハルトレインの眼に殺気が宿った。
「朗報をお待ちください、レオンハルト大将軍」
 そう言ったハルトレインの声には、明らかな怒気が混じっていた。

       

表紙

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Neetsha