夢を見た。俺は、神社にいた。神社には色とりどりの提灯が吊るされ、賑やかな縁日が立ち上がっている。
夏祭りだ。毎年行っていたからすぐにわかる。だけど、少し様子がおかしい。
あたりを見回してみて、すぐに気づく。全てがいつもより少し大きく見える。巨人の世界に迷い込んだのでないなら、俺が縮んでいる、ということだ。
実際、俺は縮んでいた。この夢の中で俺は幼い子供だったのだ。
「ケンちゃん、どうしたの?」
今ここにいるのが幼い頃の俺だと言うなら、こんな言葉をかけてくるのはもちろん、幼馴染のあいつに違いなく。
幼いリョーコはひまわり柄の浴衣姿で、頭に大好きなアニメのお面を引っ掛けて、手には水フーセンと金魚、リンゴ飴という完璧なお祭りスタイル。
よく覚えている。幼い頃の彼女はいつだってお面を欲しがって、水フーセン釣りをやりたがり、金魚すくいはへたくそだから一匹も掬えなくて、涙目になっていると決まってテキ屋のおっちゃんに一匹おまけしてもらって、ちなみにその一匹は必ず秋前には死んでしまって、リンゴ飴をいつも買うけど、絶対に食べきれなくて残り半分を俺に押し付けるのだ。
全部覚えてる。
彼女は本当にお祭りが好きだった。今も好きかどうかは知らないが。いや、きっと好きなんだろう。彼女が友達と一緒に縁日を歩いてた、って姉から毎年のように聞かされる。俺は毎年、その様子を想像しながら部屋の中で花火の音を遠くに聞くだけだ。
俺は、お祭りが好きな彼女を好きだった。
「具合悪いの? 少し休む?」
幼いリョーコは何も答えない俺を心配そうに見つめ、おでこに手を当てて熱を測ろうとしてる。その手を優しく払いながら、
「ううん、なんでもない」
幼い俺は幼い子供らしく答えるのだ。
「ふーん……あっ」
焼きそばのソースの焦げる香りが漂ってくるとリョーコはそっちを気にし、しかし手に持った半分食べかけのリンゴ飴に目をやって、少し泣きそうになり、俺は「持っててあげるから買ってきなよ」と言って、「ほんと? ありがとう! 残り全部あげる!」とリンゴ飴を押し付けられて、焼きそばの列に並ぶ彼女を見送る。
ああ、覚えてる。俺はこの風景も覚えている。
やがて焼きそばのパックを手にし、戻ってきたリョーコは、口の周りをソースと青のりでべたべたにしていて、俺は、懐かしくて、懐かしくて、これが夢だなんて信じられなくなる。
夢。そう、今のこの情景は全て夢だ。
だけど、かつては確かに現実だったはずの、夢だ。
時間は戻らない。俺と彼女はこの夢のなかのように、かつてのようにはもう戻れない。
戻れない?
俺はあの馬鹿馬鹿しいメイドさんごっこを思う。一体全体、あの茶番は俺と彼女にとって、なんなのだろう。
なんなのだろう、なんて、もちろん本気で思ってるわけじゃない。
俺はわかってる。わかってるんだ、あの間抜けでふわふわしたごっこ遊びが、どういうことなのかってくらい。月並みなラブコメの鈍感な主人公じゃないんだ。
十五歳の俺は、もうすぐ大人の俺は、あのメイドが自分の妄想なんかじゃなく、ちゃんと現実にいるってことくらいわかってて、リョーコが実際に、俺の部屋に毎晩やってきてるってことくらいわかってて、それで。
……たぶん彼女が俺のことを好きなんじゃないかってことだってわかってる。
だってそうじゃないか。どこの誰が、嫌ってる男の部屋に、あんな馬鹿な嘘をついてまでやってくる?
それでもわからないことが二つ。
そもそもなぜ彼女ははじめのあの日、俺の部屋に来たのか。何のきっかけもなしに現れるはずがない。何はともあれ俺と彼女は何年も疎遠で言葉を交わすことすらなかったのだ。
もう一つは。
俺は、一体リョーコとの今この現状を、とぼけたラブコメごっこの現在を、どうしたいのかということ。
思案にふける俺を、いつの間にか幼いリョーコはじっと見つめてた。なんだかふわふわした微笑を浮かべながら。
「僕の顔、何かついてる?」
と俺が聞けば、彼女はにっこりと笑って、
「ううん。ただ、大きくなっても、毎年ケンちゃんとお祭り、来れたらなって」
あぁ、そうだといいな。と俺は言いたくて言えなかった。だって、そうはならなかったんだから。
どうして俺はこんな夢を見る? なぜこんな情景を思い出す? いや、思い出したんじゃない。俺は、この情景を片時も忘れたことはない。ずっと、小骨が喉に刺さるように心のどこか片隅にちくちくと刺さり続けていた。
毎年、彼女と一緒じゃない夏祭りを迎えるたびに、痛みは鮮明になって、だけど祭りがすぎればすぐにまた少し引っかかるくらいの痛みになった。忘れない程度の、だけどのたうち回るほどでもない程度の痛みに。
「きっと、わたしたち、大きくなってもこうして二人で仲良しだね?」
リョーコは星空を見上げながら、そんなロマンチックなことを言った。
そうだな、そうなるといいな。俺も心からそう望むよ。だけどな、全ては変わってゆくんだ。望むと望まざるとに関わらず。この現実世界ってやつでは、人の望みなんて結局何の役にもたちはしないんだ。なんて警句めいた言葉を俺は叫びたくなったけど、幼い俺はもちろんそんなしゃらくさいことは言わず、
「うん! 約束、大きくなってもリョーコと一緒にお祭りくるよ」
小指を差し出したんだ。
やめろ。
守られないとわかってる約束が交わされるのを見届けるのは、辛い。
辛いんだ。
なんか臭い。
臭い?
吐瀉物の臭い。
急にあたりの風景がぐにゃぐにゃと、シュールレアリスムの絵画みたいに歪んでいく。音が、臭いが、景色が、全てが胸糞悪くなっていく。
目が覚めた。最悪の目覚め。