死んでない。
俺が目を覚ますとそこは自分の部屋で、ちゃんと布団を被っていて、どうやらさっきまでのは夢なんだな、と思ったら頭がずきずき痛んで、やっぱり夢じゃない? なんて混乱したりした。
とりあえず部屋には俺ひとりで、朝日が猛烈に差し込んできていて、全身汗まみれ、時計は午前六時を指していて、やばい、部活に行かなくては! と俺は飛び起きダッシュで下の階へ行って朝食を急いでかきこんで、ユニフォームに着替えて、行ってきます! と叫んだところで姉に、
「昨日、最後の試合が終わったんじゃないの」
って言われてなんでもっと早く言ってくれなかったんだと思った。
ユニフォームを脱いでいて、唐突に俺はもうあのキツい練習とかしなくていいんだなとか実感して泣きたくなったり、なんてしなかった。
正直に言ってヘンな気分だった。骨折してずっとはめていたギブスを外したときのような、自由になったはずなのに、なんだか居心地の悪い感じだった。取り残されてしまったような気分にも、似ていた。
ともかく外へ飛び出そうとしていた己の身体と純情を持て余しながら居間へ突入したら姉がにやにやしながらこっちを見ていたから「何見てんだこのやろう」と言ったら「あんなに部活嫌がってたんにね」とか言い出したから無言で冷蔵庫を開けてよく冷えた牛乳をラッパ飲みしてむせた。
さて、することがなくなってしまった、と思っいながら姉と並んでテレビを見ていたら姉の奴が急に、
「ラジオ体操行けば?」
「なんで?」
「夏休みだから」
「うん、一理ある」
「でしょ」
「でも行かない」
「リョーコちゃんがおいでって言ってたよ」
「嘘だ」
「嘘だけど、でももしかしたら「あれ、あいつったら真面目にラジオ体操に来るなんて素敵抱いて」ってなるかもよ?」
「なるほど、一理ある」
「ないよ」
「そもそもあいつがラジオ体操になんて来てるのかもわからないじゃん」
「あの娘、ラジオ体操大好き小学生だったじゃん」
「ふむ、一理ある」
とにかく、会ってみようと思った。昨日のことを、はっきりさせておきたかった。何をはっきりさせたいのかはよくわからないけど。
というわけでラジオ体操に行くことになったので外に出たら死ぬほど暑かったので太陽バカヤロウコノヤロウテメーと思いながら空を見上げたらあまりの光に目が潰れそうになったので太陽大先生すみませんでしたと心のなかで謝りながらラジオ体操会場の公園に向かって涙目敗走するのだった。
ラジオ体操というものはそもそもとあるアメリカの保険会社が普及させたものらしくて、その目的はといえば、保険の加入者に「健康」になってもらうことだったという。その結果どうなったかと言えば、ご存知の通りラジオ体操はこんな極東の島国にまで定着するほどインフルエンザみたいに爆発的に普及して、人々はみんな健康になって平均寿命が延び、かくて生命保険金の支払額は減り、保険会社は大儲けをしましたとさ、とのことだそうだ。
というどうでもいいウンチクを大得意で俺に披露するほどラジオ体操大好き小学生だったリョーコさんは今ではラジオ体操大好き中学生に立派に成長なさったようで、参加証明のスタンプをもらう列に別に興味なさそうな風を装って、しかしちょっとそわそわしながら並んであらせられた。
というより彼女はどこであのラジオ体操スタンプ帳を手に入れたのだろうか。あれは確か小学生にしか配られないはずなんだけど、と思いながら彼女のことを眺めているうちに昨日の夜を思い出す。
あれは一体なんだったのだろうか?
夢だったのか。あるいは俺の都合のいい妄想か。はたまた記憶の捏造か。人は自分にとって都合のいいように記憶をねじ曲げるという。事実を改竄するより、記憶を改竄する方がいくらかお手軽で手間もかからず、そして物理の法則には「水は低きに流れる」という原則があるので、誰もが自分の記憶を捏造して暮らしている。世界を変えるより自分を変えるほうが簡単ということだ。なにより恐ろしいのは多くの場合記憶の捏造には自覚がまったくないことで、辛い記憶にまったく蓋をしてしまうなんてのは実のところそんなに多くなくて、大抵の人はものすごく辛い記憶でも「今思えばいい経験だったかもな」なんてとんでもなく万能かつ便利なフレーズで自分好みに捏造してしまっている。もしくは「思い出補正」なんて言葉があるように、本当は大したことない記憶を、主に自分の経験の貧困さを補う必要から、とんでもない一大物語に仕立てあげてしまうというような心の動き、これも原理的には辛い記憶を書き換えるのとまったく同じようなもので、単にベクトルが違うだけだ。長々とこんな演説をぶって一体俺が何を言いたいのかというと、リョーコを見ているうちに、ああそういえばつい何年か前まで俺と彼女は二人で仲良くここでラジオ体操してスタンプもらって帰りにガリガリ君買い食いしてめちゃめちゃ叱られたりしたもんだ、とかいった「思い出」って奴がやってきて、まったく恥ずかしい話だけど、少し胸が締め付けられるような気分になってきたわけではないと言えば嘘になる。
まったく。
昔はよかったよな。
なんて言ってばかりもいられない?
だけどさ、やっぱり怖いだろう。もし俺が話しかけて、いつもみたいに露骨に嫌な顔をされて、それでもめげずに昨日の夜の話をして、「はぁ?」って言われて、苦し紛れに俺は、昔は仲良かったのに、なんて苦笑いしながら呟いて、「それは、あなたの勘違いです」なんて言われたら?
美しい思い出は全部思い出補正だったなんてことを思い知らされるようなことになったら?
そしたら今度こそ辛い記憶にまったく蓋をしてしまうかもね。
とかグズグズしてたら、ベンチに設置されたラジカセからあのおなじみのラジオ体操のメロディーが流れだすのだった。あわててラジオ体操の列に加わり身体を動かし始めてみたらこれがまたどうして、ラジオ体操なんて退屈なもんだと思っていたら、そういえば体操に参加するのは小学校卒業以来のことなのであって、また三年間曲がりなりにも体育会系の部活動に参加していた経験から、ラジオ体操というものが実によく考えられた理にかなっている運動なんだなとかよくわからない納得をしたりして、とにかく意外と楽しいものだった。
心地良い疲労感と馬鹿馬鹿しい満足感に浸りながら木陰のベンチに座っていたら、ラジオ体操の列からとことこ歩いてきた色の白い女の子(またの名を幼女)が俺のことを指さして、
「お兄ちゃん、まっくろー」
とか言い出したから、
「うん」
って返したらこの愛らしいながらも真剣なお付き合いは主に法律的な側面からお断りさせていただきたいながらももしここが絶海の孤島で法の支配など及ばぬ俺がルールだ状態空間だったらもしかしたら燃える炎が知らず知らずのうちにお互いの身も心も焦がすようなこともありえなくもないと言い切れなくもない女の子は(長いよ)可愛らしく小首を傾げて、
「なんでまっくろなの? ココアのみすぎたの?」
「うん」
「やっぱりだ! ココアは危ないんだ!」
「あとコーラとめんつゆと黒酢も危ないぞ」
「でもわたし黒くなりたい」
「じゃあたくさんごはんですよを食べな。あったかご飯に乗っけてさ」
「うん、わかった! それにしてもお兄ちゃんはくろすぎるね!」
「ちょっとは白くなりたいね」
「まってて!」
と女の子はどっかへ走って行ってまた戻ってきて、
「はい!」
と瓶白い液体の入った瓶を差し出した。白い液体といってもみなさんの想像するようないやらしいものじゃなくて、単なる精液です。本当にありがとうございました。嘘です。どう見ても牛乳です。
「え、なに?」
「ぎゅうにゅうのめば、しろくなれるよ!」
「ありがとう」
俺はカッコつけて一気に牛乳を飲み干そうとしてまたも今朝に続いてむせた。女の子は笑ってた。日差しが暑かった。夏休みなんだな、と思った。
なんて少しばかり風流なことを考えながら視線を猛く眩しく雄々しく輝いてらっしゃる太陽大先生の方向に向けるとそっちにはリョウコがいた。ラジオ体操参加証明のスタンプを少々満足気に眺めながらなにやらペットボトルに入った白い液体を飲んでいた。白い液体と言ってもみなさんが想像するようないやらしいものじゃなくて、精液です。本当にありがとうございました。嘘です。カルピスです。カルピスということはつまり精液です。嘘です。もういいですか? いいですね。すみません。
じゃなくて。
俺は真夏の太陽の後光にくらむようにも見える彼女をしっかり見据えた。まだこっちには気づいていないようだ。ぼーっとどこかよくわからないところを眺めている横顔。何も変わっちゃいない。ずーっと見てきた横顔だ。つい何年か前まで俺は彼女がああして佇んでいるのを見たら、一も二もなく駆け寄って行って、肩にパンチの一つでもくれてやったのだ。そうだ、俺は、彼女に、話しかけるのだ。クソ暑いけど頑張る。