臭い女とババア
4、矢
退院した時に先生に紹介してもらってピルの処方を受けた。飲んで二、三時間すると眠くなって、いつも以上に寝て過ごして夏休みは終わりかけた。その間に悪夢ばかり見て、急に恐怖を感じて後期最初の一週間を水子供養の旅にまわすことにした。どうせガイダンスで終わるから聞かなくてもいいし、誰かに聞けばいい。
「マジ波乱万丈じゃん」
「でしょー、私もう今年の不幸全部使い果たしたと思うんだよね。あ、ほら、単位全部取れてるし」
「いや、私だって取れてるよー」
友達と前期の成績を情報処理室で並んで確認しながら笑う。皆が聞き耳を立てているかもしれない中で平気で中絶の話をする私達はきっと気が狂ってるんだろう。そんな奴らにこの学校はそこそこの点数をくれるが。二人で酒を片手に一夜漬けをして受けた試験の結果は特に悪くも良くもなく、GPAは4弱をキープ出来ていたから安心して画面を閉じる。
「後期週休何日?」
「四日ー。うーん、でも一限が一つ入ってるからなー」
「偉いじゃん。私は週休三日だなー、ジェンキンス先生のは取りたいから」
「あー、何だっけ、西洋文化論?全部英語とか私無理」
「あの先生聞き取りやすいよ?」
「無理無理」
英語が得意な友達と違って首を振って時間割を見直す。何の面白みもない授業ばかり。単位認定が厳しく無いものやテスト一発勝負のばかりを選んだ。どうせ行ったり行かなかったりするんだから。私がログアウトを選んでいると、友達の携帯のバイブが鳴った。開いて見ているあたりメールらしい。
「アヤ今日暇?」
「ええ、暇ですよ。常に暇ですよ」
「今日急にメンバー足りなくなったから合コン出ないって誘われたけど私合コン嫌いだからさー」
「えー、行けばいいのに。何?何時から?誰とどこで?」
「わかんない。あ、でも医学部だって!医学科かどうかが重要だよね」
「マジ!?医学部?医学科?絶対行くわ!私次行くなら絶対医学部だと思ってたんだよ、ツキまわってきたわ!」
私の急なテンションの上がりようを見て、友達は良かったじゃんと笑ってメールのやり取りをしてくれた。最近は彼女に頼りきっている。今度上手い酒でも買って送ろうと思った。お礼をするにも物で解決しようとする自分に苦笑いをする。医学部を狙おうと思った矢先に医学部と合コンなんて運が良い。だけど、こういうのはどうせメインが居て、その子とターゲットが被ったら最悪だな、今の私なら被りかねないなと背もたれに寄りかかって溜息をついた。
友達にやり取りをしてもらって、呼ばれた場所は中華風のダイニングバーで、入り口付近で私は女の子達と合流した。ギャルが無理して清純系を気取ったみたいな格好をしていた子達の中に入って挨拶をする。私も似たようなものだ、医学部と聞いて露出の少ない清楚なスカートとブラウスを着た。あまりにも私らしくなかったからストッキングは履かなかった。でも、医学部と聞いてスカートブラウスの組み合わせにする辺り私も単純だ。メインと思われる子の隣の子に今日はよろしくねと言われる。私はメインの子に笑いかけて、その後に続いた。四対四だから被る確率は少し低くなった。室内に入ると、半個室の部屋に四人が待機していて、私は三番目に部屋に入った。一番最後は色々注文を言ったりと面倒かもしれないから。メインの横でメインの様子がわかる場所に位置した。うーん、可もなく不可もなくという顔ぶれ。でも一番右側の男が薄い顔をしていて、私好みだった。色が白くて髪が真っ黒だから余計に映える。グレーと黒のボーダーの七分シャツもシンプルだけど似合っている。腫れぼったい二重の目元が松田何とかって俳優みたいでとても好みだ。小奇麗な格好も好きだ。後は声だけだなと思っていると、自己紹介が始まって声も少し低くてほっとした。
「矢沢拓矢です。俺も同じく新都大学医学部一年で、同じサッカーサークルです。よろしくお願いします」
皆と一緒に拍手をして、医学科かどうかが問題だなと冷静に判断した。メインの子が誰を選ぶかわからないから、適当に目の前の男と喋る。とても背が高くてひょろ長いという表現が似合う男と意味のわからない話を合わせる。お酌をして、サラダや春巻きなんかを取り分けて、きちんとサブに徹した。メインの女が私達の会話に入ってくる様子が無かったからこの男がターゲットじゃないんだろうと思ったけれど、矢沢君がターゲットかもしれないなと横目で盗み見た。合コンはそこそこ盛り上がっていて、普通に楽しかった。お酒も料理も美味しくて、幹事はセンスがあるなと感心する。女の子全員でトイレに行って作戦をするなんて馬鹿な真似はしないけれど、二人組くらいでトイレに立って、狙いの子を教えてもらった。メインは一番奥の彼を狙っているらしい。ああ良かった矢沢君じゃないと安堵したけれど、席替えに乗り遅れて、結局ずっと喋っていた男の隣になった。ワックスのような臭いがして、あまり近づかないようにしてカシスオレンジを飲んだ。この男は好みじゃないしどちらかと言うと嫌いな部類だ。自慢なのか何なのかわからない話に、ずっと凄いですねって相槌しか打っていないのに話し続けられる。今度時計買おうと思って、部屋のテレビがどうとか、この前フランスに行った時に、FXをしていて、お爺ちゃんからここの医学部で、全部何の興味も湧かない。そうなんですか、凄いですねと笑うと男は満足したように酒を飲んだ。お前は私からそんな言葉を貰うためだけに一生懸命喋るのか、馬鹿じゃないのか。あ、私よりは頭いいのか、医学部だから。看護とかだったら私より馬鹿だけど。作り笑いに疲れたから、ちょっと、と言って立ち上がってトイレに向かった。
「マジ波乱万丈じゃん」
「でしょー、私もう今年の不幸全部使い果たしたと思うんだよね。あ、ほら、単位全部取れてるし」
「いや、私だって取れてるよー」
友達と前期の成績を情報処理室で並んで確認しながら笑う。皆が聞き耳を立てているかもしれない中で平気で中絶の話をする私達はきっと気が狂ってるんだろう。そんな奴らにこの学校はそこそこの点数をくれるが。二人で酒を片手に一夜漬けをして受けた試験の結果は特に悪くも良くもなく、GPAは4弱をキープ出来ていたから安心して画面を閉じる。
「後期週休何日?」
「四日ー。うーん、でも一限が一つ入ってるからなー」
「偉いじゃん。私は週休三日だなー、ジェンキンス先生のは取りたいから」
「あー、何だっけ、西洋文化論?全部英語とか私無理」
「あの先生聞き取りやすいよ?」
「無理無理」
英語が得意な友達と違って首を振って時間割を見直す。何の面白みもない授業ばかり。単位認定が厳しく無いものやテスト一発勝負のばかりを選んだ。どうせ行ったり行かなかったりするんだから。私がログアウトを選んでいると、友達の携帯のバイブが鳴った。開いて見ているあたりメールらしい。
「アヤ今日暇?」
「ええ、暇ですよ。常に暇ですよ」
「今日急にメンバー足りなくなったから合コン出ないって誘われたけど私合コン嫌いだからさー」
「えー、行けばいいのに。何?何時から?誰とどこで?」
「わかんない。あ、でも医学部だって!医学科かどうかが重要だよね」
「マジ!?医学部?医学科?絶対行くわ!私次行くなら絶対医学部だと思ってたんだよ、ツキまわってきたわ!」
私の急なテンションの上がりようを見て、友達は良かったじゃんと笑ってメールのやり取りをしてくれた。最近は彼女に頼りきっている。今度上手い酒でも買って送ろうと思った。お礼をするにも物で解決しようとする自分に苦笑いをする。医学部を狙おうと思った矢先に医学部と合コンなんて運が良い。だけど、こういうのはどうせメインが居て、その子とターゲットが被ったら最悪だな、今の私なら被りかねないなと背もたれに寄りかかって溜息をついた。
友達にやり取りをしてもらって、呼ばれた場所は中華風のダイニングバーで、入り口付近で私は女の子達と合流した。ギャルが無理して清純系を気取ったみたいな格好をしていた子達の中に入って挨拶をする。私も似たようなものだ、医学部と聞いて露出の少ない清楚なスカートとブラウスを着た。あまりにも私らしくなかったからストッキングは履かなかった。でも、医学部と聞いてスカートブラウスの組み合わせにする辺り私も単純だ。メインと思われる子の隣の子に今日はよろしくねと言われる。私はメインの子に笑いかけて、その後に続いた。四対四だから被る確率は少し低くなった。室内に入ると、半個室の部屋に四人が待機していて、私は三番目に部屋に入った。一番最後は色々注文を言ったりと面倒かもしれないから。メインの横でメインの様子がわかる場所に位置した。うーん、可もなく不可もなくという顔ぶれ。でも一番右側の男が薄い顔をしていて、私好みだった。色が白くて髪が真っ黒だから余計に映える。グレーと黒のボーダーの七分シャツもシンプルだけど似合っている。腫れぼったい二重の目元が松田何とかって俳優みたいでとても好みだ。小奇麗な格好も好きだ。後は声だけだなと思っていると、自己紹介が始まって声も少し低くてほっとした。
「矢沢拓矢です。俺も同じく新都大学医学部一年で、同じサッカーサークルです。よろしくお願いします」
皆と一緒に拍手をして、医学科かどうかが問題だなと冷静に判断した。メインの子が誰を選ぶかわからないから、適当に目の前の男と喋る。とても背が高くてひょろ長いという表現が似合う男と意味のわからない話を合わせる。お酌をして、サラダや春巻きなんかを取り分けて、きちんとサブに徹した。メインの女が私達の会話に入ってくる様子が無かったからこの男がターゲットじゃないんだろうと思ったけれど、矢沢君がターゲットかもしれないなと横目で盗み見た。合コンはそこそこ盛り上がっていて、普通に楽しかった。お酒も料理も美味しくて、幹事はセンスがあるなと感心する。女の子全員でトイレに行って作戦をするなんて馬鹿な真似はしないけれど、二人組くらいでトイレに立って、狙いの子を教えてもらった。メインは一番奥の彼を狙っているらしい。ああ良かった矢沢君じゃないと安堵したけれど、席替えに乗り遅れて、結局ずっと喋っていた男の隣になった。ワックスのような臭いがして、あまり近づかないようにしてカシスオレンジを飲んだ。この男は好みじゃないしどちらかと言うと嫌いな部類だ。自慢なのか何なのかわからない話に、ずっと凄いですねって相槌しか打っていないのに話し続けられる。今度時計買おうと思って、部屋のテレビがどうとか、この前フランスに行った時に、FXをしていて、お爺ちゃんからここの医学部で、全部何の興味も湧かない。そうなんですか、凄いですねと笑うと男は満足したように酒を飲んだ。お前は私からそんな言葉を貰うためだけに一生懸命喋るのか、馬鹿じゃないのか。あ、私よりは頭いいのか、医学部だから。看護とかだったら私より馬鹿だけど。作り笑いに疲れたから、ちょっと、と言って立ち上がってトイレに向かった。
トイレでメイクを直すと鏡の中の自分に笑いかけた。いつもなら目の周りをある程度濃いアイシャドウで縁取るから崩れなんてそんなに気にしないけれど、今日は面倒だ。その後に顔を無表情に戻して携帯をチェックする。いつも通り少年からと思われるパソコンアドレスからメールが届いていたけれど開かずに削除する。しつこい。しつこい男は嫌いだ。そんなに私に執着しなくたって実加ちゃんとやらとくっ付けばいいじゃないかと思う。もう一度手を洗って髪を直してトイレを出た。通路を歩いていると、横目に矢沢君と店員さんが話している様子が見えた。足を止めると、彼は私に気付いて会釈をした。手に財布を握っていて、間の悪いところに出くわしたと思ったけれど、これはチャンスだと店員が去ってから近づいた。
「すみません、自分達の分くらい払いますよ」
「いやいやいや、まさかそんな事してもらうわけにはいかないんで!俺が皆に怒られるってか、今見られちゃったことで怒られるかな……」
「じゃあ見てない事にします」
にこっと笑って口を人差し指でおさえた。本当はグロスが付くから触れていないけれど。前見たミナちゃんが可愛かったので、私もやってみたのだが自分でやると媚びているようで気持ち悪い。矢沢君はじゃあ内緒でと私に合わせて人差し指を口に置いた。ミナちゃんとは違って可愛いというより良い人だなと思う。話を続けようとしたのに、最近言い寄られる事が多かったのでどうしたら良かったのか忘れてしまった。セックスに誘う以外に男に近寄る方法ってどうしたら良かったのだろう。飲みに誘うってのも、携帯すら聞いてないしここでいきなり携帯を聞くのも唐突だろう。別に良いのかな。
「矢沢君、って呼べばいいですかね?」
「はい、どうぞ。俺は……清原さんでいいですか?」
「え、全然呼び捨てでいいですよー」
清原さんって何て他人行儀な、この人あまり女の人慣れていないのかなと顔を見る。でも別に女に不慣れという感じはしない。きちんと目を合わせて喋ってくれる。矢沢君は首を横にふって、いやいやと笑った。それから会話は上辺を滑るような機械的なもので終わって、そこで一応赤外線はやって番号交換はした。あとでメールで攻撃していこうと二人で皆の元に戻った。結局席はひょろ長の隣しか空いていなくて、目的を果たした私はひょろ長の話を相槌のローテーションで流した。途中から面倒くさくなって、酒をもっと飲んでやろうかとか、だから何だよ、何言いてぇんだよとか言ってやりたくなったけど、矢沢君も同じ空間に居るから押し留まった。相槌を打ちながら、矢沢君にどんなメールを打とうかとか、絵文字はどれくらい入れたほうがいいのかとか、デコメはやりすぎかなとかそんな事ばかり考えていた。
お開きになった後ひょろ長にも携帯を聞かれたから、充電が足りなくて赤外線が出来ないと嘘をついた。それでも奴の携帯番号とアドレスを書いた紙を渡されて、私も同じように紙を渡した。間違った番号とアドレスだけど。もう二時間以上付き合ってやったんだ、存分にブラウス越しの胸も堪能しただろうし、生足だって何度か当たっただろ、わざとらしく。お前の下らない話にこれ以上興味もない。お前が石油王か何かだったら考えるけれど、百万程度の時計の話だから高が知れている。そんな心持を隠して、私は笑顔で一次会で退散をした。何人かは二次会にカラオケに行こうと言ってたけれど、これ以上ひょろ長にアプローチを受けるのも面倒だ。ひょろ長が付いて来そうだったから、友達の家に用事あるんでと言って素早くタクシーを拾って帰った。本当は歩いて帰れる距離だったからタクシーに乗った瞬間に舌打ちをしそうになった。タクシー運転手も距離の近さにあまりいい顔をしなくて、察しろと思って仏頂面で窓の外を眺めた。流れる夜景は街灯の明かりと飲み屋の明かりとコンビニの明かりで照らされていて、私は短い間だったがシートに身体を埋めた。
家に帰ると暑苦しい室内にクーラーのスイッチを入れて、すぐにシャワーを浴びた。酔いも何もしない量の酒しか飲んでいないから、風呂からあがるとビールを飲んだ。クーラーに直に当たりながら飲むビールは最高だ。クーラーからの風で髪を乾かしながら、ビールの缶を空にした。合コンから離脱して一時間以上経過していたから、携帯を手に取る。また少年からメールが来ていて、スパムかてめぇはと思いながら削除をする。メール新規作成を選んで、矢沢君をアドレス帳から選ぶ。内容は無難でいいだろうと今日はありがとうございました、楽しかったですと送った。髪をきちんとドライヤーで乾かして、スキンケアを済ませてベッドに転がると、携帯のバイブが鳴った。矢沢君からこちらこそと絵文字が入ったメールが返って来て、あまりの短さに切なくなったが、おやすみなさいと言われていないと思って持ち直した。ああ、恋している女の子みたい。恋してなくて良いなって思うだけだったら、すぐに誘えて、メールの一つや二つで浮き沈みをしないのに。でも私は矢沢君の何も知らないから、どんな対応をしたら良いのかよくわからない。女の好みや趣味や好きな音楽や諸々を知らないと相手に合わせる事なんて出来ない。サッカーサークルなんだから、サッカーは確実に好きなんだろうけれど。ベッドで転がりながら、無難なメールを何度かやり取りして、おやすみなさいと来たからメールは終わった。おやすみなさいって言われるなんてあまり脈は無いのかもしれない。久しぶりだ、脈の無い男を攻めるのは。何だか面白くなってきたと携帯を枕元に置いて、明かりを消した。少し疲れたから、オナニーをせずに眠った。明日は水子供養旅のための買い物に行かないとなと思いながらも目覚ましはかけなかった。
「ふーん、良かったじゃん当たり物件が居て」
「まぁね。でもまだ医学科かどうかがわからないんだよね」
買い物に行った帰りに友達のバイトしているファーストフード店に向かった。本当に私は友達が居ないなと苦笑いしながら、彼女のシフトが終わるのを待った。ボストンバックと帽子と日焼け止めと旅行用のスキンケア用品を買いに行ったけれど、結局無駄に服や化粧品を買ってしまった。シフト終わりの彼女は少しも嫌な顔をせずに私の席に来て喋ってくれた。週一のファミレスデーまで待てなかったし、メールをどうしたらいいのか教えてもらいたかった。今日はミナちゃんのシフトではなかったらしく、彼は居なかった。
「確かにアヤ楽な恋愛して、この所も彼氏探すって感じじゃなかったもんね。忘れ去りましたか、恋愛の始まりを」
「忘れ去りましたよー。長く付き合う男はすぐベッドに誘っちゃダメってことぐらいしか覚えてない」
「最低だなー」
友達と笑い会って、色々相談をした。私はさっき貰った試供品と、バスセットを彼女に謙譲した。彼女は笑いながらありがとうと言って、ドリンク無料券をくれた。
「いらないのにー。最近お世話なってるから気持ちだよ。あ、お土産買ってくるからね、今度のファミレスデーに渡すよ」
「いらねー、マジ水子供養行った先の土産とかロクなもんじゃないでしょ」
「えー、別に供養先で買うわけじゃないのに、そこの名物だよ」
その後は供養の場所の名物って何だろうと妄想をして笑って終わった。その日も少年からメールが来ていて、また削除をした。指を何度か動かす労力すら勿体無い気がした。矢沢君に送るメールに対しては友達に相談してまで考えようとしているのに、その大差に一人で笑った。
「すみません、自分達の分くらい払いますよ」
「いやいやいや、まさかそんな事してもらうわけにはいかないんで!俺が皆に怒られるってか、今見られちゃったことで怒られるかな……」
「じゃあ見てない事にします」
にこっと笑って口を人差し指でおさえた。本当はグロスが付くから触れていないけれど。前見たミナちゃんが可愛かったので、私もやってみたのだが自分でやると媚びているようで気持ち悪い。矢沢君はじゃあ内緒でと私に合わせて人差し指を口に置いた。ミナちゃんとは違って可愛いというより良い人だなと思う。話を続けようとしたのに、最近言い寄られる事が多かったのでどうしたら良かったのか忘れてしまった。セックスに誘う以外に男に近寄る方法ってどうしたら良かったのだろう。飲みに誘うってのも、携帯すら聞いてないしここでいきなり携帯を聞くのも唐突だろう。別に良いのかな。
「矢沢君、って呼べばいいですかね?」
「はい、どうぞ。俺は……清原さんでいいですか?」
「え、全然呼び捨てでいいですよー」
清原さんって何て他人行儀な、この人あまり女の人慣れていないのかなと顔を見る。でも別に女に不慣れという感じはしない。きちんと目を合わせて喋ってくれる。矢沢君は首を横にふって、いやいやと笑った。それから会話は上辺を滑るような機械的なもので終わって、そこで一応赤外線はやって番号交換はした。あとでメールで攻撃していこうと二人で皆の元に戻った。結局席はひょろ長の隣しか空いていなくて、目的を果たした私はひょろ長の話を相槌のローテーションで流した。途中から面倒くさくなって、酒をもっと飲んでやろうかとか、だから何だよ、何言いてぇんだよとか言ってやりたくなったけど、矢沢君も同じ空間に居るから押し留まった。相槌を打ちながら、矢沢君にどんなメールを打とうかとか、絵文字はどれくらい入れたほうがいいのかとか、デコメはやりすぎかなとかそんな事ばかり考えていた。
お開きになった後ひょろ長にも携帯を聞かれたから、充電が足りなくて赤外線が出来ないと嘘をついた。それでも奴の携帯番号とアドレスを書いた紙を渡されて、私も同じように紙を渡した。間違った番号とアドレスだけど。もう二時間以上付き合ってやったんだ、存分にブラウス越しの胸も堪能しただろうし、生足だって何度か当たっただろ、わざとらしく。お前の下らない話にこれ以上興味もない。お前が石油王か何かだったら考えるけれど、百万程度の時計の話だから高が知れている。そんな心持を隠して、私は笑顔で一次会で退散をした。何人かは二次会にカラオケに行こうと言ってたけれど、これ以上ひょろ長にアプローチを受けるのも面倒だ。ひょろ長が付いて来そうだったから、友達の家に用事あるんでと言って素早くタクシーを拾って帰った。本当は歩いて帰れる距離だったからタクシーに乗った瞬間に舌打ちをしそうになった。タクシー運転手も距離の近さにあまりいい顔をしなくて、察しろと思って仏頂面で窓の外を眺めた。流れる夜景は街灯の明かりと飲み屋の明かりとコンビニの明かりで照らされていて、私は短い間だったがシートに身体を埋めた。
家に帰ると暑苦しい室内にクーラーのスイッチを入れて、すぐにシャワーを浴びた。酔いも何もしない量の酒しか飲んでいないから、風呂からあがるとビールを飲んだ。クーラーに直に当たりながら飲むビールは最高だ。クーラーからの風で髪を乾かしながら、ビールの缶を空にした。合コンから離脱して一時間以上経過していたから、携帯を手に取る。また少年からメールが来ていて、スパムかてめぇはと思いながら削除をする。メール新規作成を選んで、矢沢君をアドレス帳から選ぶ。内容は無難でいいだろうと今日はありがとうございました、楽しかったですと送った。髪をきちんとドライヤーで乾かして、スキンケアを済ませてベッドに転がると、携帯のバイブが鳴った。矢沢君からこちらこそと絵文字が入ったメールが返って来て、あまりの短さに切なくなったが、おやすみなさいと言われていないと思って持ち直した。ああ、恋している女の子みたい。恋してなくて良いなって思うだけだったら、すぐに誘えて、メールの一つや二つで浮き沈みをしないのに。でも私は矢沢君の何も知らないから、どんな対応をしたら良いのかよくわからない。女の好みや趣味や好きな音楽や諸々を知らないと相手に合わせる事なんて出来ない。サッカーサークルなんだから、サッカーは確実に好きなんだろうけれど。ベッドで転がりながら、無難なメールを何度かやり取りして、おやすみなさいと来たからメールは終わった。おやすみなさいって言われるなんてあまり脈は無いのかもしれない。久しぶりだ、脈の無い男を攻めるのは。何だか面白くなってきたと携帯を枕元に置いて、明かりを消した。少し疲れたから、オナニーをせずに眠った。明日は水子供養旅のための買い物に行かないとなと思いながらも目覚ましはかけなかった。
「ふーん、良かったじゃん当たり物件が居て」
「まぁね。でもまだ医学科かどうかがわからないんだよね」
買い物に行った帰りに友達のバイトしているファーストフード店に向かった。本当に私は友達が居ないなと苦笑いしながら、彼女のシフトが終わるのを待った。ボストンバックと帽子と日焼け止めと旅行用のスキンケア用品を買いに行ったけれど、結局無駄に服や化粧品を買ってしまった。シフト終わりの彼女は少しも嫌な顔をせずに私の席に来て喋ってくれた。週一のファミレスデーまで待てなかったし、メールをどうしたらいいのか教えてもらいたかった。今日はミナちゃんのシフトではなかったらしく、彼は居なかった。
「確かにアヤ楽な恋愛して、この所も彼氏探すって感じじゃなかったもんね。忘れ去りましたか、恋愛の始まりを」
「忘れ去りましたよー。長く付き合う男はすぐベッドに誘っちゃダメってことぐらいしか覚えてない」
「最低だなー」
友達と笑い会って、色々相談をした。私はさっき貰った試供品と、バスセットを彼女に謙譲した。彼女は笑いながらありがとうと言って、ドリンク無料券をくれた。
「いらないのにー。最近お世話なってるから気持ちだよ。あ、お土産買ってくるからね、今度のファミレスデーに渡すよ」
「いらねー、マジ水子供養行った先の土産とかロクなもんじゃないでしょ」
「えー、別に供養先で買うわけじゃないのに、そこの名物だよ」
その後は供養の場所の名物って何だろうと妄想をして笑って終わった。その日も少年からメールが来ていて、また削除をした。指を何度か動かす労力すら勿体無い気がした。矢沢君に送るメールに対しては友達に相談してまで考えようとしているのに、その大差に一人で笑った。
思った以上に賑わっている寺で供養をしてもらって、おみくじを引いて小吉を得た。恋人が難多しと書いてあって本当だよと苦笑いをした。よくわからない和歌は意訳すると今は曇って月明かりが隙間からしか見えないけど、光があるだけまだ希望あるよみたいなことだった。明けない夜は無いけれど雲間が開けるのは確実じゃない。せっかく来たんだからと寺の敷地内を散策すると、綺麗な場所が沢山あっていい空気が吸えた。砂利が敷き詰められた場所を音を立てながら歩いて、ぼんやりと空を見上げる。何も変わらない。歩いてきた道を戻るのも面白みに欠けたので、方向が同じ道を歩いて駅に戻った。都内に宿を取ったから少し電車に揺られる。
夜遊びする気も起きないからホテル内のレストランで食事をして寝ようと思った。そこそこ良い値段のするホテルを選んだから、室内の設備は完璧で、とても綺麗なクラシックの音を聞く。普段着の女が一人でうろちょろしているのは不審がられるけれど、ホテルのカードを見せて入ったレストランは良くしてくれた。中華料理店でチャーハンとビールを頼んだ。中身は完全に中年のオヤジだ。生ビールはとても美味しくて、チャーハンも美味しくて食べきれるか不安だったが完食できた。割の悪い客だと思ったので、高そうな焼酎の水割りを二杯ほど飲んだ。水割りと言ったのに結構濃いものが来た。だったら三杯にして欲しいくらいだ。家以外で一人で飲むなんて久しぶりだったから、楽しくなってきた。自分で用意しないで飲めるって至極だと思う。だからと言って酒だけで長居する気も無かったから、焼酎を飲み終わるとすぐに部屋に戻った。携帯をチェックすると少年からまたメールが来ていた。美味しい食べ物とお酒を飲んだので気分が良かったから、気まぐれで開いてみる。日記みたいな内容に一気に気分を害される。――今日は天気が良かったので部屋の掃除をしました、文子さんが恋しいです。そういえばお婆ちゃんが近頃毎日のように徘徊していて不安です。昨日も言いましたが、タオルケットを握ると文子さんの香水の匂いがします。愛おしくて洗濯が出来ません……。そんな言葉の羅列を目で追って、気持ち悪ぃと呟いて消去をした。日記なんてブログかツイッターにでも書いとけよ気持ち悪い。自分に酔ってんじゃねぇよと舌打ちをしながら矢沢君にメールを作成した。この所三日に一回くらいのペースでメールを交換している。基本的に私からで、彼から一度今ここに居ますと写メが送られてきてメールが始まった時は本当に嬉しかった。今度は私が昼間に撮っておいた都内の景色を送る。流石に寺の様子なんて送れないから、ホテルの周辺を撮っておいた。こうやって話の切欠を考えながら生活するのなんて酷く久しぶりで、閉まっておいた記憶を奮い起こす。
水子供養の旅先で買ったお土産を片手に矢沢君と飲みに行った。紺のポロシャツを着た彼はシンプルなのに身に着けている一点一点が細かな拘りがありそうで素敵だった。少し薄暗く五月蝿くないけれど、個室ではない居酒屋に入って、まずお土産を渡す。彼はありがとうございますと言って、開いていいですかと私に断りを入れた。良いよ、何でも良いよ貴方のすることならと思いながら笑顔で頷いた。矢沢君が包みを開いている間に注文した物が届いて、少し間が悪いことになったけれど、矢沢君は土産のお菓子を喜んでくれて、その後乾杯をした。
「清原さんって一人で旅とかするんですね」
「ええ、一人で色んな場所に行くのとか好きなんです。ドライブとかも」
そこまで言って失敗したと思った。一人が好きなんて誘い辛い女じゃないか。だからと言って気の合う人同士じゃないと嫌って訂正しても選り好みが激しい女みたいだ。どうしてこの人の前では色々考えて言葉が出てこなくて、失敗してしまうんだろう。物を渡したいから飲みたいなんて酷く言い訳がちだし、素直に貴方と飲みたいと言えば良かった。そこでお土産あるんですって言えば良かった。私の恋愛偏差値は知らないうちに底辺になっている。私が無駄に脳内で色々考えていても、目の前の矢沢君は一つも気にしていない様子で串を食べている。下唇がタレで少し汚れている。舐めたいと思った。でもそんな関係までまだ至っていないし、至っていてもこんな場所では出来ない。必死に話題を変えて、彼の好みを聞き出した。サッカーはプレミアリーグが好きで、好きなチームは私が聞いたことのない名前だった。プレミアリーグなんて全然知らなかったけれど、知っているクラブはいくつかあった。私も昔レアルを生で見た事があると言ったら違うリーグで死ぬほど恥ずかしい思いをした。海外クラブなんて全然どれがどれかわからなかった。ネットで調べてくれば良かったと予習の不十分さを恥じた。馬鹿だ。サッカー好きは唯一に近いぐらい知っていた情報だったのに、全世界のクラブを把握してくれば良かった。それは無理でも日本で有名な所くらい把握すれば良かった。はっきり言って私は日本のサッカーチームも全部言えないだろうし、よく知らない。今日は土産以外にもう一つ用意があったんだ。以前この県がホームのJ2の試合の優待券を貰った。ずっと手帳の中に入ったままだったものを引っ張り出して、ぼろぼろになっていない事を確かめて持ってきた。優待券があるからサッカー観戦に行きましょうって誘うつもりだった。有効期限も確かめて来た。それなのにプレミアリーグか……と溜息をつきたい。
「あの、矢沢君J2に興味はありますか?」
「え、一応ありますよ、サッカー自体が好きなので」
「あのね、優待券があって、良かったら今度見に行きませんか?」
テーブルの上に優待券を二枚出す。矢沢君はそれを手に取って、ああ、ここのと笑った。使える試合の日にちは調べて来ていたのだけど、矢沢君が携帯で日取りを調べてくれて、調べて来ていた事は押し黙った。二人の都合が合う日を決めて、その日のチケットを取っておきますと言った。
「いや、俺が取っておきますよ。優待券預かっていいですか?」
「どうぞどうぞ、ありがとう。じゃあ私車出しましょうか、矢沢君家どの辺りですか?」
「ああ、清原さんって学校の周りに住んでます?」
「え、はい」
「俺も車持ってますし、スタジアム行こうとすると学校の前通ることになるから清原さん拾って行きますよ」
今、通ることになるからって言った。敬語じゃない言葉が混じってきた。所々に混ざるタメ語に心が躍る。そんな事で浮き沈みするの。ああ、私はとてもこの人が好きなんだ。どこが好きになったんだろう。医学部で見目が好みで声が好みで、何だ、好きなところばかりだ。そこでお話は前期の学校の話になって、私は一年で取りやすい科目を教えてあげた。私に出来る事を全部してあげたい。飲みは四時間くらい続いて、解散をして家に帰った。一つの場所でずっと居続けてしまった。だって、出て二次会になるのかどうかもわからなくて、そこで解散になるのが怖かった。二次会に誘って断られるのが怖い。
サッカー観戦の前日から私は悩みでいっぱいになった。お弁当とか作った方が良いのか、それともその場で売っている物を買えばいいのか。私の握ったおにぎりなんか彼は食べてくれるのか、気持ち悪く感じないのか。服はどんな服装で行こうか、スニーカーは確実だろうけれど。夜行われる試合に何を持っていったらいいのだろう。ガムとかハンカチとかは確実だろうけれど。遠足の前日だってこんなに興奮しなかったのに、私は浮き足立って、ネットで色々調べたりした。久しぶりにスーパーに買出しに行って、おにぎりの用のふりかけを買って、ラップに包んだおにぎりを三つ用意した。ラップで包んであるから食べてくれるかもしれない。馬鹿みたいに浮かれて、矢沢君が迎えに来た車に乗り込んだ。名前は忘れたけれどよくコマーシャルをしている車だった。助手席に乗って、車内の薄い芳香剤の臭いを感じた。爽やかな臭いで、矢沢君は応援用と思われるユニフォームを着ていて、何てことだと落ち込んだ。私も買えば良かった。どうしてそう肝心なところに気が回らないのか。
「清原さんユニフォームとか持ってます?」
「いえ、あの、スタジアムで買えますかね?」
「やっぱり、丁度良かった、俺の家から持って来たんで良かったら着てください」
「わぁ、ありがとうございます」
家族の分だと言われて、そこから彼が実家暮らしだと知った。彼の家族については詳しく突っ込めなかったけれど、運転している横顔を見れて幸せだ。彼はサッカーについて色々教えてくれて、本当は知っていたけれど黙って聞いていた。信号で止まった時にガムを渡そうとして、切欠が上手く行かなくて、落ち込んだけど、車の中はとても幸せだった。スタジアムに着いて、車から降りて一緒に並んで歩いた。ユニフォームを着てある意味おそろいなんだ。そんな事言ったら何人も、何百人もおそろいが居るけれど。席に着いて、二人で並んで試合を観戦する。はっきり言って面白くない、テレビでもっとレベルの高いものを見たほうが面白い。でもそんな事はどうでもいいのだ、今隣に彼が居て、一緒に観ていて、一緒のユニフォームを着て、一緒のチームを応援している。それだけで全部補える。飲み物とかは一応持ってきていたのだけど、ハーフタイムに彼に誘われて売店に行った。凄い人数ですし詰め状態になっているそこで、矢沢君からはぐれないように必死に付いて行く。清原さんと、。彼に左腕を掴まれて心臓が跳ねたのと、私の右側に冷たい感覚がしたのは同時だった。
「あ……」
「あ、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
大きなコップを持った女の子が私のユニフォームにジュースらしき物を零していた。彼女も同じユニフォームを着ていたけど、その下から見えるスカートはどう見ても制服で、高校生のようだった。矢沢君から借りたユニフォームを汚したのと、突発的な出来事に頭が急停止して、目を見開いていたら、女の子の彼氏のようなお兄さんのような男の人がすみませんと謝ってきた。その男はすぐに私の足元に転がっていたコップの上蓋とストローを拾っていた。私は大丈夫ですと呟きながら、空気を口から出していた。
「本当にごめんなさい」
女の子はもう一度謝って、私がぼんやりとしていると、矢沢君が大丈夫ですよと声をかけて、女の子に笑った。私もそれに釣られて、大丈夫ですと繰り返して、その場を立ち去った。今すぐにでも洗面台に行きたくて、どうしようもなくて、矢沢君にごめんなさいと頭を下げた。
「大丈夫ですって!良くある事ですよ、気にしないで」
「でも、ホントごめんなさい。洗って返します。あ、弁償します」
「んなマジ気にしないで!それより下の服大丈夫ですか?こっちに」
矢沢君が私をもう一度引っ張って、階段のすぐ横で私はユニフォームを捲り上げた。下に来ていたTシャツは少し汚れていたけれど、気にするような程度じゃなかった。そんな事より掴まれた腕の方が、もっともっと気になった。
夜遊びする気も起きないからホテル内のレストランで食事をして寝ようと思った。そこそこ良い値段のするホテルを選んだから、室内の設備は完璧で、とても綺麗なクラシックの音を聞く。普段着の女が一人でうろちょろしているのは不審がられるけれど、ホテルのカードを見せて入ったレストランは良くしてくれた。中華料理店でチャーハンとビールを頼んだ。中身は完全に中年のオヤジだ。生ビールはとても美味しくて、チャーハンも美味しくて食べきれるか不安だったが完食できた。割の悪い客だと思ったので、高そうな焼酎の水割りを二杯ほど飲んだ。水割りと言ったのに結構濃いものが来た。だったら三杯にして欲しいくらいだ。家以外で一人で飲むなんて久しぶりだったから、楽しくなってきた。自分で用意しないで飲めるって至極だと思う。だからと言って酒だけで長居する気も無かったから、焼酎を飲み終わるとすぐに部屋に戻った。携帯をチェックすると少年からまたメールが来ていた。美味しい食べ物とお酒を飲んだので気分が良かったから、気まぐれで開いてみる。日記みたいな内容に一気に気分を害される。――今日は天気が良かったので部屋の掃除をしました、文子さんが恋しいです。そういえばお婆ちゃんが近頃毎日のように徘徊していて不安です。昨日も言いましたが、タオルケットを握ると文子さんの香水の匂いがします。愛おしくて洗濯が出来ません……。そんな言葉の羅列を目で追って、気持ち悪ぃと呟いて消去をした。日記なんてブログかツイッターにでも書いとけよ気持ち悪い。自分に酔ってんじゃねぇよと舌打ちをしながら矢沢君にメールを作成した。この所三日に一回くらいのペースでメールを交換している。基本的に私からで、彼から一度今ここに居ますと写メが送られてきてメールが始まった時は本当に嬉しかった。今度は私が昼間に撮っておいた都内の景色を送る。流石に寺の様子なんて送れないから、ホテルの周辺を撮っておいた。こうやって話の切欠を考えながら生活するのなんて酷く久しぶりで、閉まっておいた記憶を奮い起こす。
水子供養の旅先で買ったお土産を片手に矢沢君と飲みに行った。紺のポロシャツを着た彼はシンプルなのに身に着けている一点一点が細かな拘りがありそうで素敵だった。少し薄暗く五月蝿くないけれど、個室ではない居酒屋に入って、まずお土産を渡す。彼はありがとうございますと言って、開いていいですかと私に断りを入れた。良いよ、何でも良いよ貴方のすることならと思いながら笑顔で頷いた。矢沢君が包みを開いている間に注文した物が届いて、少し間が悪いことになったけれど、矢沢君は土産のお菓子を喜んでくれて、その後乾杯をした。
「清原さんって一人で旅とかするんですね」
「ええ、一人で色んな場所に行くのとか好きなんです。ドライブとかも」
そこまで言って失敗したと思った。一人が好きなんて誘い辛い女じゃないか。だからと言って気の合う人同士じゃないと嫌って訂正しても選り好みが激しい女みたいだ。どうしてこの人の前では色々考えて言葉が出てこなくて、失敗してしまうんだろう。物を渡したいから飲みたいなんて酷く言い訳がちだし、素直に貴方と飲みたいと言えば良かった。そこでお土産あるんですって言えば良かった。私の恋愛偏差値は知らないうちに底辺になっている。私が無駄に脳内で色々考えていても、目の前の矢沢君は一つも気にしていない様子で串を食べている。下唇がタレで少し汚れている。舐めたいと思った。でもそんな関係までまだ至っていないし、至っていてもこんな場所では出来ない。必死に話題を変えて、彼の好みを聞き出した。サッカーはプレミアリーグが好きで、好きなチームは私が聞いたことのない名前だった。プレミアリーグなんて全然知らなかったけれど、知っているクラブはいくつかあった。私も昔レアルを生で見た事があると言ったら違うリーグで死ぬほど恥ずかしい思いをした。海外クラブなんて全然どれがどれかわからなかった。ネットで調べてくれば良かったと予習の不十分さを恥じた。馬鹿だ。サッカー好きは唯一に近いぐらい知っていた情報だったのに、全世界のクラブを把握してくれば良かった。それは無理でも日本で有名な所くらい把握すれば良かった。はっきり言って私は日本のサッカーチームも全部言えないだろうし、よく知らない。今日は土産以外にもう一つ用意があったんだ。以前この県がホームのJ2の試合の優待券を貰った。ずっと手帳の中に入ったままだったものを引っ張り出して、ぼろぼろになっていない事を確かめて持ってきた。優待券があるからサッカー観戦に行きましょうって誘うつもりだった。有効期限も確かめて来た。それなのにプレミアリーグか……と溜息をつきたい。
「あの、矢沢君J2に興味はありますか?」
「え、一応ありますよ、サッカー自体が好きなので」
「あのね、優待券があって、良かったら今度見に行きませんか?」
テーブルの上に優待券を二枚出す。矢沢君はそれを手に取って、ああ、ここのと笑った。使える試合の日にちは調べて来ていたのだけど、矢沢君が携帯で日取りを調べてくれて、調べて来ていた事は押し黙った。二人の都合が合う日を決めて、その日のチケットを取っておきますと言った。
「いや、俺が取っておきますよ。優待券預かっていいですか?」
「どうぞどうぞ、ありがとう。じゃあ私車出しましょうか、矢沢君家どの辺りですか?」
「ああ、清原さんって学校の周りに住んでます?」
「え、はい」
「俺も車持ってますし、スタジアム行こうとすると学校の前通ることになるから清原さん拾って行きますよ」
今、通ることになるからって言った。敬語じゃない言葉が混じってきた。所々に混ざるタメ語に心が躍る。そんな事で浮き沈みするの。ああ、私はとてもこの人が好きなんだ。どこが好きになったんだろう。医学部で見目が好みで声が好みで、何だ、好きなところばかりだ。そこでお話は前期の学校の話になって、私は一年で取りやすい科目を教えてあげた。私に出来る事を全部してあげたい。飲みは四時間くらい続いて、解散をして家に帰った。一つの場所でずっと居続けてしまった。だって、出て二次会になるのかどうかもわからなくて、そこで解散になるのが怖かった。二次会に誘って断られるのが怖い。
サッカー観戦の前日から私は悩みでいっぱいになった。お弁当とか作った方が良いのか、それともその場で売っている物を買えばいいのか。私の握ったおにぎりなんか彼は食べてくれるのか、気持ち悪く感じないのか。服はどんな服装で行こうか、スニーカーは確実だろうけれど。夜行われる試合に何を持っていったらいいのだろう。ガムとかハンカチとかは確実だろうけれど。遠足の前日だってこんなに興奮しなかったのに、私は浮き足立って、ネットで色々調べたりした。久しぶりにスーパーに買出しに行って、おにぎりの用のふりかけを買って、ラップに包んだおにぎりを三つ用意した。ラップで包んであるから食べてくれるかもしれない。馬鹿みたいに浮かれて、矢沢君が迎えに来た車に乗り込んだ。名前は忘れたけれどよくコマーシャルをしている車だった。助手席に乗って、車内の薄い芳香剤の臭いを感じた。爽やかな臭いで、矢沢君は応援用と思われるユニフォームを着ていて、何てことだと落ち込んだ。私も買えば良かった。どうしてそう肝心なところに気が回らないのか。
「清原さんユニフォームとか持ってます?」
「いえ、あの、スタジアムで買えますかね?」
「やっぱり、丁度良かった、俺の家から持って来たんで良かったら着てください」
「わぁ、ありがとうございます」
家族の分だと言われて、そこから彼が実家暮らしだと知った。彼の家族については詳しく突っ込めなかったけれど、運転している横顔を見れて幸せだ。彼はサッカーについて色々教えてくれて、本当は知っていたけれど黙って聞いていた。信号で止まった時にガムを渡そうとして、切欠が上手く行かなくて、落ち込んだけど、車の中はとても幸せだった。スタジアムに着いて、車から降りて一緒に並んで歩いた。ユニフォームを着てある意味おそろいなんだ。そんな事言ったら何人も、何百人もおそろいが居るけれど。席に着いて、二人で並んで試合を観戦する。はっきり言って面白くない、テレビでもっとレベルの高いものを見たほうが面白い。でもそんな事はどうでもいいのだ、今隣に彼が居て、一緒に観ていて、一緒のユニフォームを着て、一緒のチームを応援している。それだけで全部補える。飲み物とかは一応持ってきていたのだけど、ハーフタイムに彼に誘われて売店に行った。凄い人数ですし詰め状態になっているそこで、矢沢君からはぐれないように必死に付いて行く。清原さんと、。彼に左腕を掴まれて心臓が跳ねたのと、私の右側に冷たい感覚がしたのは同時だった。
「あ……」
「あ、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
大きなコップを持った女の子が私のユニフォームにジュースらしき物を零していた。彼女も同じユニフォームを着ていたけど、その下から見えるスカートはどう見ても制服で、高校生のようだった。矢沢君から借りたユニフォームを汚したのと、突発的な出来事に頭が急停止して、目を見開いていたら、女の子の彼氏のようなお兄さんのような男の人がすみませんと謝ってきた。その男はすぐに私の足元に転がっていたコップの上蓋とストローを拾っていた。私は大丈夫ですと呟きながら、空気を口から出していた。
「本当にごめんなさい」
女の子はもう一度謝って、私がぼんやりとしていると、矢沢君が大丈夫ですよと声をかけて、女の子に笑った。私もそれに釣られて、大丈夫ですと繰り返して、その場を立ち去った。今すぐにでも洗面台に行きたくて、どうしようもなくて、矢沢君にごめんなさいと頭を下げた。
「大丈夫ですって!良くある事ですよ、気にしないで」
「でも、ホントごめんなさい。洗って返します。あ、弁償します」
「んなマジ気にしないで!それより下の服大丈夫ですか?こっちに」
矢沢君が私をもう一度引っ張って、階段のすぐ横で私はユニフォームを捲り上げた。下に来ていたTシャツは少し汚れていたけれど、気にするような程度じゃなかった。そんな事より掴まれた腕の方が、もっともっと気になった。
結局ユニフォームはトイレで軽く濯いで、私が持ち帰って洗濯することにした。矢沢君が送ってくれて家に着いてすぐに洗面台にお湯を張って手洗いをした。目立たないくらいに落ちて、ネットに入れて脱水すると部屋に干した。室内洗濯物干しに彼のユニフォームが揺れる。洗濯に夢中だったから結構時間が経ってしまったけれど、矢沢君の携帯に今日ありがとうとお礼のメールを入れた。返信は少し経ってから返って来て、私がユニフォーム洗って返しますと言うと飲みに誘われた。嬉しくて、ユニフォームを抱いて寝たかった。けれども生乾きのそれを抱くわけにはいかなくて、手持ち無沙汰に寝た。矢沢君をオカズにオナニーする気は起きなくて、想像するとクリトリスが感じなくなった。どうしてかよくわからないけれど、汚してはいけない気がした。彼はどんなセックスをするのだろう。
約束の日に私は二時間かけて用意をして、彼に会った。あまり露出の多くないけれど、胸の大きさのわかる服を選んだ。だけど、矢沢君が胸を見るとは思えなくて、失敗だった。カウンターみたいな所に二人で横に並んで話す。ユニフォームを元彼が置いていったショッパーに入れて返すと、彼はその袋に食いついた。どうやら好きなブランドらしい。この辺りの話なら付いていけると思って、彼の服の話を聞いた。今度一緒に買いに行きましょうって誘ったらいい、誘え、誘え私!男女双方が揃っている店だ!誘え!
「じゃあ今度秋物買いに行きましょうよー」
「ああ、いいですね。丁度チェックしたかったんですよ」
彼はビールを片手に笑ってくれて、私も嬉しくて笑った。デートの重ねても、肉体的進展は何も無い。付き合おうって口約束をしないと進展というものはないのかもしれない。カウンターはどんどん埋まっていって、私はつめる振りをして彼に近づいた。馬鹿な店員が彼側に置いたサラダを取り分けてもらって、青じそドレッシングの味が口の中に広がる。矢沢君も同じものを食べている。そういえば、と話の切欠を見つけ出す。
「矢沢君ご実家なんですよね?」
「そう、実家、ずっと実家ですよ。一人暮らし羨ましいですよー」
「そんな事も無いですよ、家事とかしてもらえて羨ましいです」
「そうですかねぇ、清原さん家事とか得意そうですよね?この前おにぎりとか作ってきてくれましたし」
おにぎりくらい誰でも作れるし、私は家事が得意なんかじゃない。でも矢沢君のために得意になったっていい。きっと実家住まいだからどの程度で家事が得意とか全然わからないんだろう、無知なところも愛おしい。私は笑って、普通ですよと言った。二人で結構なペースで飲んでいて、私は平気だけれど、矢沢君の目が据わってきた気がする。目の淵が充血していて、笑顔だけれど珠にふと真顔に戻る。もっと酔って私にも酔ってくれればいいのにと、オヤジギャグみたいな事を思った。
「あ、高校はどこら辺ですか?」
「私立なんで馬鹿学校ですよ、中高一貫制ってのがウリなだけで」
「知ってます!ガチで頭良い所じゃないですかー!」
少年と同じ学校のはずだ。ここで中高一貫なんてそこしか知らない。舌打ちしたい気持ちが湧き上がるのを抑えて、矢沢君の目を見つめた。母校が同じだからって何だっていうんだ。話題を変えよう、ビールを軽く一気して、矢沢君に視線を戻した。
「じゃあずっとサッカー部ですか?」
「いや、サッカーは大学からです。中高はバスケ部です」
ああもう嫌な気しかしない。でもあいつが中一の時に高三の先輩なわけだし、直接顔を知っていたりなんてしないだろう。どうせあいつ不登校していたんだろうし、真面目に学校に行っていただろう矢沢君と面識なんて無いに決まっている。
「へー、そうなんですかぁ。バスケ飽きたとかですか?」
「元々俺そういう執着無くて、バスケも好きだしサッカーも好きだしって感じなんですよね。でもバスケは一応六年やったんで思い入れあるんすけど」
「……もしかして母校に指導に行ったりとかします?」
「まさか、そんな権力無いんで!ああ、でも妹が今マネージャーしてるんですよ」
私の時間だけ止まった。もしかしたら違うかもしれない、可能性はゼロじゃないし、中高両方にマネージャーなんて居るだろうし人数はわからない。頭の中がフル回転したけれど、ろくな作動はしなくて、微笑みだけを返した。
「今中一で結構年離れてて、喧嘩とか一切無いんですよ。もう、俺シスコン入っちゃうんすけど、凄い良い子なんですよ。今不登校の先輩学校に通えるように尽力しているらしくって、毎日その人の家通ってるって言ってました。贔屓目かもしれないんすけど、実加ホント可愛いんで、その男何で学校来ないのか不思議で仕方ないんですよね、俺」
笑いが漏れてきた。知ってるよ、その女。実加ちゃんだろ?何だよそれ。世間は狭いっていうか狭すぎだろ。私の心が一気に冷め切った。冷め切ったというか急速冷凍をされて金槌で叩き割られた感じ。何だよ、どこまで邪魔すんだよあの糞ガキ。良い子だ?人を階段から突き落とす女のどこが良い子なんだよ、節穴かお前の目は。それともそんな事もわかんねぇような家族付き合いしかしてねぇのか。そんな事に騙されるくらい馬鹿なのか。シスコンとか自分で言ってんじゃねぇよ気持ち悪ぃ。矢沢君への気持ちが一気にどす黒く生まれ変わる。馬鹿らしい。何で私ここでこんな男のご機嫌とって、むしろ何日も何のために生きていたんだろう。私の変化に気付かずに、声を発していないだけできちんと笑顔を作っているからか、矢沢君は妹の話を続けた。その横で私はドリンクメニューを取って、日本酒を頼んだ。お猪口は二つでいいですかと聞かれたから、一つでと返した。
「あ、俺飲めますよ?」
「あ、そうですか、じゃあ二つで」
知らねぇし興味もねぇよお前が飲めるかどうかなんて、私の酒飲むんじゃねぇよ。数分前だったら凄く嬉しかったはずの仕草が今はイラつきの対象でしかない。来た日本酒を片手で矢沢君に注いで、矢沢君が注ごうとしたのを無視して自分にも注いで一気した。喉が熱い。
「清原さん、大丈夫ですか?一気しましたよね、今?」
「ああ、大丈夫ですよ。私強いんで、体調悪く無いと朝まで飲み続けられるんで」
笑顔で返す私に一瞬矢沢君は怯んで、そうですかと返した。ああ、酒が不味い。鞄から携帯を取り出して、少年からメールが来ているのを見て、着信みたいと笑った。席から離れて携帯をとるフリをして、呼び出しを受けたフリをして、席に五千円札を置いて帰った。あの少年のせいでもあり、おかげでもある一人での帰り道は思ったより肌寒くて、コンビニで缶ビールを買って飲みながら帰った。結局私は一人だ。泣きたいのに泣けなくて、ビールを一気した。
約束の日に私は二時間かけて用意をして、彼に会った。あまり露出の多くないけれど、胸の大きさのわかる服を選んだ。だけど、矢沢君が胸を見るとは思えなくて、失敗だった。カウンターみたいな所に二人で横に並んで話す。ユニフォームを元彼が置いていったショッパーに入れて返すと、彼はその袋に食いついた。どうやら好きなブランドらしい。この辺りの話なら付いていけると思って、彼の服の話を聞いた。今度一緒に買いに行きましょうって誘ったらいい、誘え、誘え私!男女双方が揃っている店だ!誘え!
「じゃあ今度秋物買いに行きましょうよー」
「ああ、いいですね。丁度チェックしたかったんですよ」
彼はビールを片手に笑ってくれて、私も嬉しくて笑った。デートの重ねても、肉体的進展は何も無い。付き合おうって口約束をしないと進展というものはないのかもしれない。カウンターはどんどん埋まっていって、私はつめる振りをして彼に近づいた。馬鹿な店員が彼側に置いたサラダを取り分けてもらって、青じそドレッシングの味が口の中に広がる。矢沢君も同じものを食べている。そういえば、と話の切欠を見つけ出す。
「矢沢君ご実家なんですよね?」
「そう、実家、ずっと実家ですよ。一人暮らし羨ましいですよー」
「そんな事も無いですよ、家事とかしてもらえて羨ましいです」
「そうですかねぇ、清原さん家事とか得意そうですよね?この前おにぎりとか作ってきてくれましたし」
おにぎりくらい誰でも作れるし、私は家事が得意なんかじゃない。でも矢沢君のために得意になったっていい。きっと実家住まいだからどの程度で家事が得意とか全然わからないんだろう、無知なところも愛おしい。私は笑って、普通ですよと言った。二人で結構なペースで飲んでいて、私は平気だけれど、矢沢君の目が据わってきた気がする。目の淵が充血していて、笑顔だけれど珠にふと真顔に戻る。もっと酔って私にも酔ってくれればいいのにと、オヤジギャグみたいな事を思った。
「あ、高校はどこら辺ですか?」
「私立なんで馬鹿学校ですよ、中高一貫制ってのがウリなだけで」
「知ってます!ガチで頭良い所じゃないですかー!」
少年と同じ学校のはずだ。ここで中高一貫なんてそこしか知らない。舌打ちしたい気持ちが湧き上がるのを抑えて、矢沢君の目を見つめた。母校が同じだからって何だっていうんだ。話題を変えよう、ビールを軽く一気して、矢沢君に視線を戻した。
「じゃあずっとサッカー部ですか?」
「いや、サッカーは大学からです。中高はバスケ部です」
ああもう嫌な気しかしない。でもあいつが中一の時に高三の先輩なわけだし、直接顔を知っていたりなんてしないだろう。どうせあいつ不登校していたんだろうし、真面目に学校に行っていただろう矢沢君と面識なんて無いに決まっている。
「へー、そうなんですかぁ。バスケ飽きたとかですか?」
「元々俺そういう執着無くて、バスケも好きだしサッカーも好きだしって感じなんですよね。でもバスケは一応六年やったんで思い入れあるんすけど」
「……もしかして母校に指導に行ったりとかします?」
「まさか、そんな権力無いんで!ああ、でも妹が今マネージャーしてるんですよ」
私の時間だけ止まった。もしかしたら違うかもしれない、可能性はゼロじゃないし、中高両方にマネージャーなんて居るだろうし人数はわからない。頭の中がフル回転したけれど、ろくな作動はしなくて、微笑みだけを返した。
「今中一で結構年離れてて、喧嘩とか一切無いんですよ。もう、俺シスコン入っちゃうんすけど、凄い良い子なんですよ。今不登校の先輩学校に通えるように尽力しているらしくって、毎日その人の家通ってるって言ってました。贔屓目かもしれないんすけど、実加ホント可愛いんで、その男何で学校来ないのか不思議で仕方ないんですよね、俺」
笑いが漏れてきた。知ってるよ、その女。実加ちゃんだろ?何だよそれ。世間は狭いっていうか狭すぎだろ。私の心が一気に冷め切った。冷め切ったというか急速冷凍をされて金槌で叩き割られた感じ。何だよ、どこまで邪魔すんだよあの糞ガキ。良い子だ?人を階段から突き落とす女のどこが良い子なんだよ、節穴かお前の目は。それともそんな事もわかんねぇような家族付き合いしかしてねぇのか。そんな事に騙されるくらい馬鹿なのか。シスコンとか自分で言ってんじゃねぇよ気持ち悪ぃ。矢沢君への気持ちが一気にどす黒く生まれ変わる。馬鹿らしい。何で私ここでこんな男のご機嫌とって、むしろ何日も何のために生きていたんだろう。私の変化に気付かずに、声を発していないだけできちんと笑顔を作っているからか、矢沢君は妹の話を続けた。その横で私はドリンクメニューを取って、日本酒を頼んだ。お猪口は二つでいいですかと聞かれたから、一つでと返した。
「あ、俺飲めますよ?」
「あ、そうですか、じゃあ二つで」
知らねぇし興味もねぇよお前が飲めるかどうかなんて、私の酒飲むんじゃねぇよ。数分前だったら凄く嬉しかったはずの仕草が今はイラつきの対象でしかない。来た日本酒を片手で矢沢君に注いで、矢沢君が注ごうとしたのを無視して自分にも注いで一気した。喉が熱い。
「清原さん、大丈夫ですか?一気しましたよね、今?」
「ああ、大丈夫ですよ。私強いんで、体調悪く無いと朝まで飲み続けられるんで」
笑顔で返す私に一瞬矢沢君は怯んで、そうですかと返した。ああ、酒が不味い。鞄から携帯を取り出して、少年からメールが来ているのを見て、着信みたいと笑った。席から離れて携帯をとるフリをして、呼び出しを受けたフリをして、席に五千円札を置いて帰った。あの少年のせいでもあり、おかげでもある一人での帰り道は思ったより肌寒くて、コンビニで缶ビールを買って飲みながら帰った。結局私は一人だ。泣きたいのに泣けなくて、ビールを一気した。
思いも寄らない方法で失恋してしまった。失恋と言っていいのかわからないけれど、向こうからしたら私がフったみたいになっているのかもしれないけれど。あの糞ガキの兄とわかった飲み会の翌日にメールが来て、酔ってすみませんとか買い物いつにします?と書いてあったけれど、何も返信していない。それ以降もう一週間以上経ったけれど何も連絡はない。きっと矢沢君も私に執着なんて無かったんだ、好意を抱き始めていたぐらいで、私の事好きでも何でも無かったんだろう。良い人ってどうせ誰の事も好きじゃないから誰に対しても良い人なんだ。彼にとって特別なのは実加ちゃんだけで、それ以外は全部同等でどんぐりの背比べみたいな事が起きてるだけなんだ。その特別と思ってる子があんな女なんて高が知れている。毎日ビールを飲みながら、一人で笑って、酔っ払って、オナニーをして、寝て、起きてビールを飲んで、という怠惰な日々を送る。その中で、友達のファミレスデーに報告をして、二人でそのままバーに入って飲んで、それから気まぐれで授業に出たらサークルの友達に捕まって、カラオケに行って、フリータイムに飽きたから死ぬほど暗い曲を入れてドン引きをさせてやって、トイレに立ったら新田の後釜みたいなデジャブみたいな男に言い寄られたから一言で潰して、ミナちゃんに連絡して久しぶりにセックスをして、また気まぐれで授業に出て、私はこうして年老いていくんだとベッドに寝転がる。携帯が光っているのを見て、少年からのメールをまた削除する。本当にスパムだ。家や学部なんか具体的に教えなくて本当に良かったと思う。いつもより飲み始めが早かったのと、ここの所ビールばかり飲んで食べていない生活が続いたせいか体調が優れなかったのとで、頭痛が広がって早めに眠りについた。
無理やり私を起こしたのは、マナーモードにし忘れた携帯だった。着信音が響いて、ぼんやりと混濁した景色の中画面を覗くと電話番号が映し出されていた。見覚えがある。少年の家の電話番号だ。着信を知らせる画面の右上に小さく写る時計を見ると朝の七時過ぎだった。こんな朝っぱらから何の用だというのだ。終了ボタンを押して着信音をぶった切る。見ると二度着信があって、メールも何通も来ていた。一日にこんなに何通も寄越すのは久しぶりだと、複数選択をして削除しようとした手は滑ってメールを開いた。内容はお婆ちゃんが居なくなったというものだった。少し頭がまともに覚醒して、スクロールをする。早朝に徘徊はよくしていたので、今日はいつ出て行ったのかわからないけれど近所を探しても居ないらしい。もう二時間以上探しているけれど見つからず、私に一緒に探して欲しいと頼んできた。面倒臭い。男手が二人も居るんだから頑張れよと、メールを削除して、もう一度寝転がった。ただ、最近は少し寒くなってきているからなぁと思った。その時また着信音が鳴り響いた。舌打ちをして画面を見るとまたあの番号だった。
「……もしもしっ!」
「もしもし!!文子さんっ!!あの、あ、早朝にすみません。その、メール見てもらえました?」
「見たけど、てか涼介君家に居て電話してる暇あったら探しに行けば」
「いや、あの、俺も探してたんです!あの、でも俺の徒歩圏内って限界がありますし、親父からの指示もあって家で連絡待てって言われたんですけど、全然連絡無くて心配で」
「この電話の間にも入れ違いになってるかもよ。はぁ……頼る相手間違ってない?」
「間違ってないです!俺には……文子さんしか、居ないから!あのっ……俺のことは嫌いでも構いません、婆ちゃんの事は、嫌いじゃないですよね?本当にお願いします」
嫌いでも何でもないよ、興味ねぇんだよ。お前もお前の家族も全部。けれども、少し切羽詰った感じの泣きそうな少年の声に仕方ないという気持ちが生まれてきた。これからずっと着信続けられても気持ち悪いし、私が参加しないうちにババアが怪我なんかしていても何となく気持ち悪い。舌打ちをして、わかった、私も探すから見つかったら携帯に連絡して、とだけ言うと電話を切った。本当にお人よしだ。馬鹿みたい。私が老体になったら周りに迷惑かけるようになる前に安楽死しようと思った。二日酔いなのかただの頭痛なのかわからない頭の痛みは少し残っていたけれど、服を着替えて化粧はしないまま大きなサングラスをかけてリップだけ塗って車に乗った。
朝の空気は廉潔で、逆に気持ち悪くなった。車内でサングラスを外して眼鏡に替えてエンジンをかける。どこを探せばいいのかわからないからとりあえず少年の家に向かっていた頃のように車を走らせた。久しぶりで、お婆さんの姿形もおぼろげにしか思い出せないのに、私は何かを探して車を運転する。出勤ラッシュには少し早いのか、それでも車はそこそこ走っていて、制服を着た学生が道を歩いている。ここから少年の家まで二十分程度くらいだったろうか、その間に見つかればいい、私じゃなくてあのおっさんが見つける形で。けれど、私の通った道上に居たのを見過ごしたりなんかしたら面倒そうだったから一応歩道等に目は光らせる。大体毎日毎日徘徊して何が楽しいんだ、何がしたいんだ。どこか遠くにでも行きたいのか、逝っちまぇばいいんじゃねぇのか、とろくでもないことを思う。勝手に流れて来たラジオのおじさんの声が偽善者ぶっていて、自分が爽やかだろうと思っているようなのが透けているような声でイラついてボリュームをゼロにした。大型のスーパーの駐車場が左手に見えてきて、何となく駐車場に入った。こういうのはスーパーの出入り口にベンチがあったりするはずだ。疎らに停められている車が見えて、いつもだったら指示通りに動く道をスーパーの入り口近くに置いてあるベンチに直行する。
あーあ、見つけちゃった……。あのおっさん何してんだよとし舌打ちをして、久しぶりに見たお婆さんの元に車を寄せる。ベンチの上で小さくなっているお婆さんを間違いじゃないことを確認して、車から降りた。
「お婆さん、帰りましょう」
「あ、ああああ、文子ちゃんーー!!」
「お久しぶりです。それより皆心配していますよ」
この私に迷惑かけるくらいにな、と付け足したいのを飲み込む。お婆さんは顔を上げて私を確認すると笑顔で手を振った。今思えば車で十分以上かかるここにお婆さんの力で歩いてくるのは結構大変な事じゃないのか。私は一生懸命笑顔を作って、お婆さんに近寄った。お婆さんは私の言葉を流して、何故か自分の横に座るよう促した。本当にいい加減にして欲しいと思いながら、一度断ったけれど言う事は聞いてもらえなくて、私はベンチに座った。何だこれ、デジャブか。最近多いなとちらりと横を見ると、お婆さんは笑顔で私を見つめていた。私も苦笑いを返して、そこであの家に連絡をしなければと携帯を出そうとして、車内であることに気付いた。
「とりあえず、息子さん達に見つかったこと連絡しますね」
「いいのよ!!あんなの!!それより、どうして最近来てくれないの?」
「はぁ……まぁ、私も授業始まっちゃったんですよ」
「ああ、そうだったのぉー、大変ねぇ」
ホント大変だよ、お前らに振り回されて。私が黙って頷くとお婆さんは急に歌を歌いだした。どうしたんだマジで。しかもよくわからない歌だ。軍歌のような、何だか強い思いが込められていそうな歌。小学生みたいな純粋さで歌われて、止める事も出来ずに私はそれを見守る。その曲が終わると今度は多分韓国語だと思われる知らない歌を歌われた。何故ワンマンショーをこんな場所で繰り広げてくるのか。もう疲れてきたのでベンチの背もたれに背を預ける。韓国語の歌が終わると私はこれ以上続けられるのを止めるために拍手をした。
「ありがとー」
「とても素敵でしたよ、じゃあ帰りましょうか」
「あ、待って!」
立ち上がった私の手首はお婆さんの手に捕まった。全身が強張って、お婆さんに視線を移すと、その手はすぐに離された。お婆さんが自分の左手の指輪を取ろうとしている。長年はめていて皺皺な手に馴染んだ指輪はお婆さんの指から離れるのを嫌がっているようだ。無理やりに近い形でお婆さんは左手の薬指から指輪を引き抜いて、一度私の手を握って掌にその指輪をのせた。
「は?」
「貰って。きっと、文子ちゃんとはこれでお別れだろうから」
「いやいや、貰えませんよ!これ結婚指輪ですよね?」
「そう、主人に貰った唯一高いものよぉ、ちゃんとダイヤが入ってて、プラチナで」
お婆さんはにこにこして指輪の説明をした。ぼんやりと掌の指輪を見たけれど何となく薄汚くて、どう見ても本物には見えなかった。ああこうやってこの人は騙されていったんだろうか。それとも私を騙しているのか、もう記憶を幸福だった記憶に書き換えているのか。掌を握ってお婆さんに突き返したけれど、首を振られて、私の方に掌は押し出された。こんなもの貰うためにやったわけじゃないし、こんなおそらく屑みたいなもの貰いたくもない。とりあえず預かっておいて後で返そうと、承諾したフリをしてお婆さんを車に乗せた。車内に酷く老人特有の臭いが充満して辛かったけれど、私は少年に連絡をして、お婆さんを家まで送り届けた。私達が着いた時まだおっさんは帰ってきていないみたいで、車は無かった。好都合だと私はお婆さんを送り届けて、少年に預けると、即座に車に戻った。少年がすぐ私を追いかけてきて、彼も私の手首を掴んだ。今日はババアにも少年にも掴まれてばかりだ。久しぶりに見た少年は髪の毛が伸びてダサくなっていて、少し痩せていた。いや、やつれていたと言った方がいいのかもしれない。
「文子さん、ありがとうございます」
「いいよ別に、ああ、そうだ、忘れてた、お婆さんに指輪頂いたの。無理やり押し付けられたんだけど、申し訳ないから返します。あと手離して」
そう言ってポケットから少年に指輪を差し出したけれど受け取っても貰えなくて、手も離して貰えなかった。一体何が望みなのかわからなくて怪訝な顔をして少年を見つめる。少年は泣き出しそうな顔で私を見つめていた。早く離して欲しい。これでおっさんが帰ってきたら面倒そうで嫌だ。
「文子さん……もう、無理なんですか?」
「うん、無理」
「…………これで、さよならですか?」
「うん」
少年は私の手を離して、指輪は貰っておいて下さい、今までありがとうございましたと聞こえるか聞こえないかわからない声で言うと家に戻っていった。私は空を見上げて溜息をついた後に車に乗り込んだ。結局指輪は返せなかったなと思いながら自宅に向けて車を動かした。
無理やり私を起こしたのは、マナーモードにし忘れた携帯だった。着信音が響いて、ぼんやりと混濁した景色の中画面を覗くと電話番号が映し出されていた。見覚えがある。少年の家の電話番号だ。着信を知らせる画面の右上に小さく写る時計を見ると朝の七時過ぎだった。こんな朝っぱらから何の用だというのだ。終了ボタンを押して着信音をぶった切る。見ると二度着信があって、メールも何通も来ていた。一日にこんなに何通も寄越すのは久しぶりだと、複数選択をして削除しようとした手は滑ってメールを開いた。内容はお婆ちゃんが居なくなったというものだった。少し頭がまともに覚醒して、スクロールをする。早朝に徘徊はよくしていたので、今日はいつ出て行ったのかわからないけれど近所を探しても居ないらしい。もう二時間以上探しているけれど見つからず、私に一緒に探して欲しいと頼んできた。面倒臭い。男手が二人も居るんだから頑張れよと、メールを削除して、もう一度寝転がった。ただ、最近は少し寒くなってきているからなぁと思った。その時また着信音が鳴り響いた。舌打ちをして画面を見るとまたあの番号だった。
「……もしもしっ!」
「もしもし!!文子さんっ!!あの、あ、早朝にすみません。その、メール見てもらえました?」
「見たけど、てか涼介君家に居て電話してる暇あったら探しに行けば」
「いや、あの、俺も探してたんです!あの、でも俺の徒歩圏内って限界がありますし、親父からの指示もあって家で連絡待てって言われたんですけど、全然連絡無くて心配で」
「この電話の間にも入れ違いになってるかもよ。はぁ……頼る相手間違ってない?」
「間違ってないです!俺には……文子さんしか、居ないから!あのっ……俺のことは嫌いでも構いません、婆ちゃんの事は、嫌いじゃないですよね?本当にお願いします」
嫌いでも何でもないよ、興味ねぇんだよ。お前もお前の家族も全部。けれども、少し切羽詰った感じの泣きそうな少年の声に仕方ないという気持ちが生まれてきた。これからずっと着信続けられても気持ち悪いし、私が参加しないうちにババアが怪我なんかしていても何となく気持ち悪い。舌打ちをして、わかった、私も探すから見つかったら携帯に連絡して、とだけ言うと電話を切った。本当にお人よしだ。馬鹿みたい。私が老体になったら周りに迷惑かけるようになる前に安楽死しようと思った。二日酔いなのかただの頭痛なのかわからない頭の痛みは少し残っていたけれど、服を着替えて化粧はしないまま大きなサングラスをかけてリップだけ塗って車に乗った。
朝の空気は廉潔で、逆に気持ち悪くなった。車内でサングラスを外して眼鏡に替えてエンジンをかける。どこを探せばいいのかわからないからとりあえず少年の家に向かっていた頃のように車を走らせた。久しぶりで、お婆さんの姿形もおぼろげにしか思い出せないのに、私は何かを探して車を運転する。出勤ラッシュには少し早いのか、それでも車はそこそこ走っていて、制服を着た学生が道を歩いている。ここから少年の家まで二十分程度くらいだったろうか、その間に見つかればいい、私じゃなくてあのおっさんが見つける形で。けれど、私の通った道上に居たのを見過ごしたりなんかしたら面倒そうだったから一応歩道等に目は光らせる。大体毎日毎日徘徊して何が楽しいんだ、何がしたいんだ。どこか遠くにでも行きたいのか、逝っちまぇばいいんじゃねぇのか、とろくでもないことを思う。勝手に流れて来たラジオのおじさんの声が偽善者ぶっていて、自分が爽やかだろうと思っているようなのが透けているような声でイラついてボリュームをゼロにした。大型のスーパーの駐車場が左手に見えてきて、何となく駐車場に入った。こういうのはスーパーの出入り口にベンチがあったりするはずだ。疎らに停められている車が見えて、いつもだったら指示通りに動く道をスーパーの入り口近くに置いてあるベンチに直行する。
あーあ、見つけちゃった……。あのおっさん何してんだよとし舌打ちをして、久しぶりに見たお婆さんの元に車を寄せる。ベンチの上で小さくなっているお婆さんを間違いじゃないことを確認して、車から降りた。
「お婆さん、帰りましょう」
「あ、ああああ、文子ちゃんーー!!」
「お久しぶりです。それより皆心配していますよ」
この私に迷惑かけるくらいにな、と付け足したいのを飲み込む。お婆さんは顔を上げて私を確認すると笑顔で手を振った。今思えば車で十分以上かかるここにお婆さんの力で歩いてくるのは結構大変な事じゃないのか。私は一生懸命笑顔を作って、お婆さんに近寄った。お婆さんは私の言葉を流して、何故か自分の横に座るよう促した。本当にいい加減にして欲しいと思いながら、一度断ったけれど言う事は聞いてもらえなくて、私はベンチに座った。何だこれ、デジャブか。最近多いなとちらりと横を見ると、お婆さんは笑顔で私を見つめていた。私も苦笑いを返して、そこであの家に連絡をしなければと携帯を出そうとして、車内であることに気付いた。
「とりあえず、息子さん達に見つかったこと連絡しますね」
「いいのよ!!あんなの!!それより、どうして最近来てくれないの?」
「はぁ……まぁ、私も授業始まっちゃったんですよ」
「ああ、そうだったのぉー、大変ねぇ」
ホント大変だよ、お前らに振り回されて。私が黙って頷くとお婆さんは急に歌を歌いだした。どうしたんだマジで。しかもよくわからない歌だ。軍歌のような、何だか強い思いが込められていそうな歌。小学生みたいな純粋さで歌われて、止める事も出来ずに私はそれを見守る。その曲が終わると今度は多分韓国語だと思われる知らない歌を歌われた。何故ワンマンショーをこんな場所で繰り広げてくるのか。もう疲れてきたのでベンチの背もたれに背を預ける。韓国語の歌が終わると私はこれ以上続けられるのを止めるために拍手をした。
「ありがとー」
「とても素敵でしたよ、じゃあ帰りましょうか」
「あ、待って!」
立ち上がった私の手首はお婆さんの手に捕まった。全身が強張って、お婆さんに視線を移すと、その手はすぐに離された。お婆さんが自分の左手の指輪を取ろうとしている。長年はめていて皺皺な手に馴染んだ指輪はお婆さんの指から離れるのを嫌がっているようだ。無理やりに近い形でお婆さんは左手の薬指から指輪を引き抜いて、一度私の手を握って掌にその指輪をのせた。
「は?」
「貰って。きっと、文子ちゃんとはこれでお別れだろうから」
「いやいや、貰えませんよ!これ結婚指輪ですよね?」
「そう、主人に貰った唯一高いものよぉ、ちゃんとダイヤが入ってて、プラチナで」
お婆さんはにこにこして指輪の説明をした。ぼんやりと掌の指輪を見たけれど何となく薄汚くて、どう見ても本物には見えなかった。ああこうやってこの人は騙されていったんだろうか。それとも私を騙しているのか、もう記憶を幸福だった記憶に書き換えているのか。掌を握ってお婆さんに突き返したけれど、首を振られて、私の方に掌は押し出された。こんなもの貰うためにやったわけじゃないし、こんなおそらく屑みたいなもの貰いたくもない。とりあえず預かっておいて後で返そうと、承諾したフリをしてお婆さんを車に乗せた。車内に酷く老人特有の臭いが充満して辛かったけれど、私は少年に連絡をして、お婆さんを家まで送り届けた。私達が着いた時まだおっさんは帰ってきていないみたいで、車は無かった。好都合だと私はお婆さんを送り届けて、少年に預けると、即座に車に戻った。少年がすぐ私を追いかけてきて、彼も私の手首を掴んだ。今日はババアにも少年にも掴まれてばかりだ。久しぶりに見た少年は髪の毛が伸びてダサくなっていて、少し痩せていた。いや、やつれていたと言った方がいいのかもしれない。
「文子さん、ありがとうございます」
「いいよ別に、ああ、そうだ、忘れてた、お婆さんに指輪頂いたの。無理やり押し付けられたんだけど、申し訳ないから返します。あと手離して」
そう言ってポケットから少年に指輪を差し出したけれど受け取っても貰えなくて、手も離して貰えなかった。一体何が望みなのかわからなくて怪訝な顔をして少年を見つめる。少年は泣き出しそうな顔で私を見つめていた。早く離して欲しい。これでおっさんが帰ってきたら面倒そうで嫌だ。
「文子さん……もう、無理なんですか?」
「うん、無理」
「…………これで、さよならですか?」
「うん」
少年は私の手を離して、指輪は貰っておいて下さい、今までありがとうございましたと聞こえるか聞こえないかわからない声で言うと家に戻っていった。私は空を見上げて溜息をついた後に車に乗り込んだ。結局指輪は返せなかったなと思いながら自宅に向けて車を動かした。
お婆さんに貰った指輪はやせ細った私の薬指にぴったりで、私の指は老衰したババアと同じサイズなんだと笑えた。右手の薬指に着けると、私の手が皺皺に見えた。鈍い光を放つ指輪は一気に私の手を老け込ませる。らしくないかもしれない、こんな指輪を着けるなんて。らしくない序でに無理やり起こされたから学校に向かう。一限にぎりぎり間に合いそうだ。一限を取っている友達なんて居ないから、一人で後ろの方に座る。真面目に授業を聞いてみたけれど、教授の黒板の文字が汚すぎて顔を上げるのを止めた。聞きながら大事そうな場所をノートにとる。どこが大事なのか本当はわかっていないから勘でしかない。机の上に置いていた携帯が光ったから、見ると、元彼からメールが届いていた。斜め前に居るよ、久しぶりというよくわからない内容で、そちらに視線をやると彼がこちらを見ていた。後ろを振り向くのは気持ち悪いから止めた方がいいとメールで送った。何をしたいのだろう、彼もこの授業を取っていたんだというくらいの感情しか湧かない。メールはすぐ返信されて来て、この後暇?と聞かれたので、暇だよと返した。今日アヤの家行ってもいい?すぐには無理、散らかっているから。じゃあ夕方とかは?それだったらいいよ。じゃあ五時くらいに行くからよろしく。はーい。以前彼としていたような短文のメールを行き来させる。この授業が終わったら部屋掃除をしなければならなくなった。別にいいか、久しぶりに元彼とセックスでもするかと携帯を机の上に戻した。授業の内容はメールをしている間に進んでしまって、完全に私には行方不明になった。
家に帰って窓を開けて掃除機をかけた。気持ち悪く長い髪の毛が何本も落ちていて、よくこんな中で生活出来たなと自分の図太さに感心する。布団を干して、水周りも掃除して、玄関も掃除して、その後に風呂に入ってもう一度メイクをした。浮き足立っていて馬鹿みたいだと思いながら、薄手のワンピースを着て、ムスクをつけて準備を完了した。本棚というか物置きのようになっている棚にあるコンドーム箱の確認をしたら二枚あったから、十分だろうとベッドに腰掛けた。そういえばピルを飲んでいるんだからコンドームなんて無くてもいいんだ、あいつが性病にでも感染していない限りは。結局掃除なんて夕方になる前に終わってしまって、音楽をかけながらマニキュアを塗った。薄いピンクベージュは指に馴染んで、時間があったから足にも塗った。布団を取り込んでシーツをかけると良い匂いがした、ダニが死んだ臭いとかって以前聞いたけれど、良い匂いなら何でもいい。死骸が良い匂いがするなんてダニは人間以上に優秀だ。元彼を待っている間にする事もなかったからオナニーをしていると、イく直前でインターフォンが鳴った。寸止めかよと手を洗って、コンドームの箱の横に置いてあったムスクをつけ直して彼を迎えた。玄関の扉を開けると、いきなり玄関で抱きしめられてキスをされた。溜まっていたのか、お互い気が合うね等と思いながら舌を絡めあった。彼は靴を履いたまま、私と舌を絡めたまま、右手を肩から下ろして服の上から乳首を触った。先ほどのオナニーのせいで立っているせいか、長年付き合っていたせいかわからないけれど、彼は下着の上からでも場所を間違えない。玄関で数分絡んでいると、パンツを脱がされそうになったから、流石に嫌だと思って身体を接がした。
「こんな所で最後までしたくない」
「えー、玄関でとか感じ違って興奮するかと思ったんだけど」
「興奮はしたけどね……」
私は笑いながらもう一度キスをして、部屋に戻った。元彼は靴を脱いで部屋に上がってきて、そのままベッドに雪崩れ込んだ。以前より丁寧に愛撫をされて、成長したんだなと少し寂しさを感じた。右の二の腕から肘の内側の舐められて、思ったより感じて声をあげる。こんなサブみたいな部分を前だったら触りもしなかったくせに。オナニーと元彼の前戯で濡れきったマンコはパンツも随分濡らしたようで、引き抜かれた時太ももに当たって冷たかった。指を入れられただけで気持ち良くて、何度か往復されただけでイった。
「あぁ、やだ、ぁ。どぉ、したの……っ」
「こっちの台詞だって。排卵期とかだっけ、感じやすくなんの」
「知ら、ない」
ただマグロのように寝転がっているだけで、何も彼に愛撫出来なかった。久しぶりの元彼とのセックスの良さにどうにかなってしまったようだ。金属の音がして、体勢を整えられてチンコが挿入された。生でどうしようかと思ったけれど、枕を握っていた手を離して、彼の首に腕をまわした。顔が近づいてきてまた舌を絡めあう。足を彼の腰に絡めると、自分の格好は第三者から見たら酷く馬鹿っぽいんだろうなと少し冷静になった。舌も腕も足も絡めて、彼にしがみ付いている虫みたいだ。彼が無理やり身体を起こして、足が解かれた。
「な、中で出していい?」
「え、ぁ、いっ……いいよっ」
「は?マジで?」
「うん、早く」
動いてという言葉は空気と喘ぎが混じって消えた。元彼は一瞬躊躇したようだったけれど、私が腰を動かすと身体を倒してキスをしてきた。顔のすぐ横に肘をついて、腰を動かす彼の動きに合わせて私も腰を動かして背中に手をまわした。口を塞がれて変な喘ぎをあげながら二度目の絶頂に達して、彼も中で達したようで、何だか容量が増えた後に減っていった。上に圧し掛かられて、きつく抱きしめられる。今私が変な動きをしたら抜けて精液が布団に付くかもしれないと思って、私はまたマグロをしていた。重い。彼が顔だけ起こして軽く何度かキスをしてきた。そして上半身を動かしてヘッドボードにあるティッシュを取った。チンコを引き抜かれて、代わりに軽くティッシュを突っ込まれた。元彼は立ち上がってティッシュでチンコを拭いていた。それをぼんやりと見つめながらマンコに入れられたティッシュを引き抜いて拭いた。
「中出ししていいとかホント良かったの?」
「ああ、ピル飲むようにしたから」
「何で?」
「私生理痛とか酷かったでしょ、それで」
「そっかー」
納得したのかしていないのか、わからない返事をして、彼はチンコに付いたティッシュの滓を指で取っていた。その光景は面白いと思ったけれど、私もこの後精液を掻き出さなければならないからおあいこだ。
「ウェットティッシュある?」
「あったと思う、えっとねー、ちょっと待って」
面倒臭くなったのか、彼は手作業を諦めたらしい。私はもう一度ティッシュをマンコに入れて栓をすると、立ち上がって本棚にある収納ボックスを取り出した。奥のほうに鎮座していた二十枚入りのウェットティッシュを見つけて、彼に渡す。終わった後のこのさばさばとした空気も心地よい。やっぱり一番気が合うのはこの人なのかもしれない。結局ピル後の初中出しを許したのも彼だし、私の初めては大体この人に奪われていく運命のようだ。復縁でも持ちかけるべきなのかなと収納ボックスを元に戻した。本棚に置いてあったコンドームの箱が目に入って、そういえばヘッドボードに置いておくべきかと思って手を伸ばした。
「あのさ、俺彼女出来たんだよね、だからこれでアヤとやり収めってことで」
「は!?」
コンドームを掴むはずだった私の手は驚きで彼の元に振り返ろうとした行動と交錯して、隣にあったムスクに引っかかった。ムスクが音を立てて床に落ちて容器が割れる。香水の瓶のくせにそんなに簡単に割れてしまうことに驚いた。
「うわっ!!何してんだよ!!」
「え、ちっ、臭っせぇ。あーもう、驚いて落としちゃったじゃない!!」
「知るかよ、ティッシュティッシュ」
元彼と素っ裸のままティッシュで床のムスクを吸収していく。部屋の中にムスクの甘いどうしようもない臭いが充満していく。コンビニの袋におざなりに容器の破片とティッシュを入れ込んで口を閉じても、水拭きをしても臭いは収まらない。元彼は素早く服を着てそのコンビニの袋をごみ収集所に捨てに行ってくれた。彼の居なくなった部屋で少し座り込んでしまった。これで終わりという言葉にそんなに私は動揺したのだろうか。臭いを拡散させるために部屋の窓を開けて空気を入れても、ムスクの臭いは完全に消えない。戻ってきた彼にやっぱり臭いなぁと言われて、仕方ないよねと乾いた笑いを返した。
「風呂場に逃げるか?一緒に風呂入ろうぜ、もう少し換気したら少しはマシになるだろ」
「私もうちょっと水拭きしてみるから先入っていいよ」
「そうか?バスタオル借りるな」
彼はそう言って私の横を通り過ぎて箪笥からバスタオルを取り出した。もう一度横を通り過ぎる時、横で一度止まった。
「何?」
「お前さ、その指輪何?何でそんなレプリカ、てか偽物つけてんの?らしくねぇよ?」
「……ふふっ、やっぱ偽物だよねー」
彼に右手を掲げて指輪を見せ付けると、彼はどう見てもそうだろと笑って風呂に入っていった。水拭きのティッシュを床に置いたままにして、私は指輪を右手から引き抜いた。私も彼も偽物と思うのなら偽物なのだろう。するりと簡単に引き抜けた指輪は私がババア以上に老衰していることを暗示しているみたいだ。開けっ放しの窓の傍に行って、網戸を開けると沈みかけた夕日に向けて指輪を投げつけた。素っ裸で窓辺に立っているなんて痴女でしかないけれど、誰も見てはいないだろう。指輪はそんなに飛ぶ事なく近くの駐車場に落ちたようだった。指輪は夕日の光を受けて光って、なんて絵になるような事態も起きず、そのまま薄汚く私の視界から消えた。それから、マンコに流し込まれた廃液を洗い流そうとバスタオルを出して風呂に向かった。チンコで掻き出してもらえば中で腐ることもないだろうと今度こそやり収めを誓った。
家に帰って窓を開けて掃除機をかけた。気持ち悪く長い髪の毛が何本も落ちていて、よくこんな中で生活出来たなと自分の図太さに感心する。布団を干して、水周りも掃除して、玄関も掃除して、その後に風呂に入ってもう一度メイクをした。浮き足立っていて馬鹿みたいだと思いながら、薄手のワンピースを着て、ムスクをつけて準備を完了した。本棚というか物置きのようになっている棚にあるコンドーム箱の確認をしたら二枚あったから、十分だろうとベッドに腰掛けた。そういえばピルを飲んでいるんだからコンドームなんて無くてもいいんだ、あいつが性病にでも感染していない限りは。結局掃除なんて夕方になる前に終わってしまって、音楽をかけながらマニキュアを塗った。薄いピンクベージュは指に馴染んで、時間があったから足にも塗った。布団を取り込んでシーツをかけると良い匂いがした、ダニが死んだ臭いとかって以前聞いたけれど、良い匂いなら何でもいい。死骸が良い匂いがするなんてダニは人間以上に優秀だ。元彼を待っている間にする事もなかったからオナニーをしていると、イく直前でインターフォンが鳴った。寸止めかよと手を洗って、コンドームの箱の横に置いてあったムスクをつけ直して彼を迎えた。玄関の扉を開けると、いきなり玄関で抱きしめられてキスをされた。溜まっていたのか、お互い気が合うね等と思いながら舌を絡めあった。彼は靴を履いたまま、私と舌を絡めたまま、右手を肩から下ろして服の上から乳首を触った。先ほどのオナニーのせいで立っているせいか、長年付き合っていたせいかわからないけれど、彼は下着の上からでも場所を間違えない。玄関で数分絡んでいると、パンツを脱がされそうになったから、流石に嫌だと思って身体を接がした。
「こんな所で最後までしたくない」
「えー、玄関でとか感じ違って興奮するかと思ったんだけど」
「興奮はしたけどね……」
私は笑いながらもう一度キスをして、部屋に戻った。元彼は靴を脱いで部屋に上がってきて、そのままベッドに雪崩れ込んだ。以前より丁寧に愛撫をされて、成長したんだなと少し寂しさを感じた。右の二の腕から肘の内側の舐められて、思ったより感じて声をあげる。こんなサブみたいな部分を前だったら触りもしなかったくせに。オナニーと元彼の前戯で濡れきったマンコはパンツも随分濡らしたようで、引き抜かれた時太ももに当たって冷たかった。指を入れられただけで気持ち良くて、何度か往復されただけでイった。
「あぁ、やだ、ぁ。どぉ、したの……っ」
「こっちの台詞だって。排卵期とかだっけ、感じやすくなんの」
「知ら、ない」
ただマグロのように寝転がっているだけで、何も彼に愛撫出来なかった。久しぶりの元彼とのセックスの良さにどうにかなってしまったようだ。金属の音がして、体勢を整えられてチンコが挿入された。生でどうしようかと思ったけれど、枕を握っていた手を離して、彼の首に腕をまわした。顔が近づいてきてまた舌を絡めあう。足を彼の腰に絡めると、自分の格好は第三者から見たら酷く馬鹿っぽいんだろうなと少し冷静になった。舌も腕も足も絡めて、彼にしがみ付いている虫みたいだ。彼が無理やり身体を起こして、足が解かれた。
「な、中で出していい?」
「え、ぁ、いっ……いいよっ」
「は?マジで?」
「うん、早く」
動いてという言葉は空気と喘ぎが混じって消えた。元彼は一瞬躊躇したようだったけれど、私が腰を動かすと身体を倒してキスをしてきた。顔のすぐ横に肘をついて、腰を動かす彼の動きに合わせて私も腰を動かして背中に手をまわした。口を塞がれて変な喘ぎをあげながら二度目の絶頂に達して、彼も中で達したようで、何だか容量が増えた後に減っていった。上に圧し掛かられて、きつく抱きしめられる。今私が変な動きをしたら抜けて精液が布団に付くかもしれないと思って、私はまたマグロをしていた。重い。彼が顔だけ起こして軽く何度かキスをしてきた。そして上半身を動かしてヘッドボードにあるティッシュを取った。チンコを引き抜かれて、代わりに軽くティッシュを突っ込まれた。元彼は立ち上がってティッシュでチンコを拭いていた。それをぼんやりと見つめながらマンコに入れられたティッシュを引き抜いて拭いた。
「中出ししていいとかホント良かったの?」
「ああ、ピル飲むようにしたから」
「何で?」
「私生理痛とか酷かったでしょ、それで」
「そっかー」
納得したのかしていないのか、わからない返事をして、彼はチンコに付いたティッシュの滓を指で取っていた。その光景は面白いと思ったけれど、私もこの後精液を掻き出さなければならないからおあいこだ。
「ウェットティッシュある?」
「あったと思う、えっとねー、ちょっと待って」
面倒臭くなったのか、彼は手作業を諦めたらしい。私はもう一度ティッシュをマンコに入れて栓をすると、立ち上がって本棚にある収納ボックスを取り出した。奥のほうに鎮座していた二十枚入りのウェットティッシュを見つけて、彼に渡す。終わった後のこのさばさばとした空気も心地よい。やっぱり一番気が合うのはこの人なのかもしれない。結局ピル後の初中出しを許したのも彼だし、私の初めては大体この人に奪われていく運命のようだ。復縁でも持ちかけるべきなのかなと収納ボックスを元に戻した。本棚に置いてあったコンドームの箱が目に入って、そういえばヘッドボードに置いておくべきかと思って手を伸ばした。
「あのさ、俺彼女出来たんだよね、だからこれでアヤとやり収めってことで」
「は!?」
コンドームを掴むはずだった私の手は驚きで彼の元に振り返ろうとした行動と交錯して、隣にあったムスクに引っかかった。ムスクが音を立てて床に落ちて容器が割れる。香水の瓶のくせにそんなに簡単に割れてしまうことに驚いた。
「うわっ!!何してんだよ!!」
「え、ちっ、臭っせぇ。あーもう、驚いて落としちゃったじゃない!!」
「知るかよ、ティッシュティッシュ」
元彼と素っ裸のままティッシュで床のムスクを吸収していく。部屋の中にムスクの甘いどうしようもない臭いが充満していく。コンビニの袋におざなりに容器の破片とティッシュを入れ込んで口を閉じても、水拭きをしても臭いは収まらない。元彼は素早く服を着てそのコンビニの袋をごみ収集所に捨てに行ってくれた。彼の居なくなった部屋で少し座り込んでしまった。これで終わりという言葉にそんなに私は動揺したのだろうか。臭いを拡散させるために部屋の窓を開けて空気を入れても、ムスクの臭いは完全に消えない。戻ってきた彼にやっぱり臭いなぁと言われて、仕方ないよねと乾いた笑いを返した。
「風呂場に逃げるか?一緒に風呂入ろうぜ、もう少し換気したら少しはマシになるだろ」
「私もうちょっと水拭きしてみるから先入っていいよ」
「そうか?バスタオル借りるな」
彼はそう言って私の横を通り過ぎて箪笥からバスタオルを取り出した。もう一度横を通り過ぎる時、横で一度止まった。
「何?」
「お前さ、その指輪何?何でそんなレプリカ、てか偽物つけてんの?らしくねぇよ?」
「……ふふっ、やっぱ偽物だよねー」
彼に右手を掲げて指輪を見せ付けると、彼はどう見てもそうだろと笑って風呂に入っていった。水拭きのティッシュを床に置いたままにして、私は指輪を右手から引き抜いた。私も彼も偽物と思うのなら偽物なのだろう。するりと簡単に引き抜けた指輪は私がババア以上に老衰していることを暗示しているみたいだ。開けっ放しの窓の傍に行って、網戸を開けると沈みかけた夕日に向けて指輪を投げつけた。素っ裸で窓辺に立っているなんて痴女でしかないけれど、誰も見てはいないだろう。指輪はそんなに飛ぶ事なく近くの駐車場に落ちたようだった。指輪は夕日の光を受けて光って、なんて絵になるような事態も起きず、そのまま薄汚く私の視界から消えた。それから、マンコに流し込まれた廃液を洗い流そうとバスタオルを出して風呂に向かった。チンコで掻き出してもらえば中で腐ることもないだろうと今度こそやり収めを誓った。