Neetel Inside ニートノベル
表紙

宵の凪―仔猫少女と自棄少年―
弐、仔猫メタモルフォーゼ

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 気がつくと目の前に少女の顔があった。俺も鷲原みたいな夢を見るようになったか、落ちぶれたな、などと自嘲しつつまた目を閉じようとする宵乃。しかし彼は目を半分閉じた事に事実に気がつく。
 目を瞑る、つまり眠りに戻るということイコール今この現在は現実。
 思い出した。
「うわああああああああああっ!」
 一瞬で起きあがり、とりあえず少女から離れる。
「お前っ! なんなんだ!」
 そんな台詞しか思いつかなかったが言わないよりはましだろう。
「何と言われましても……簡単に言えば人類破滅専用人為的産出生物兵器対抗兼破壊専用人為的改造人間0-0試作タイプ別名PROTO-WO。もしくは試作零型と呼んでもらってかまいません」
(え、何? 全然分からねえ……)
「じんるいはめつ……せんようざくてきなさんすうなんてへいきってなんだよ?」
 とりあえず一個ずつ確認していくことにした。ちなみにひらがなを直すと宵乃は「人類破滅専用ザク的な算数なんて平気」、すなわち人類破滅専用ザク的な算数なんて平気だと言っている。
「人類破滅専用人為的産出生物兵器というのは某国の組織が作った、人間を殺すためだけに作られた生物兵器のことです。通称『継承の中断(ラストストップ)』と呼ばれます」
 愛くるしい口から信じられない言葉が飛び出してくる。人間を殺すための生物兵器? 通称ラストストップ?
「は、信じらんねえ」
「ほんとだもん」
 突如敬語からすねた口調に変わり、宵乃はほんの少し戸惑う。だが、彼女も戸惑うように口に手を当てているのは何故だろうか。
「で、それを信じるとして対抗兼……わりい忘れた、それってなんだよ」
「人類破滅専用人為的産出生物兵器対抗兼破壊専用人為的改造人間は私達のことを表す名称の一つです。国家機密機関HDPによって作成されました。現在は3体が実験的稼働されており1体が凍結中、6体が本格的に戦闘タイプとして作成中、および5体が作成予定です。用途としては継承の中断の破壊、それのみです。機能としては融合した生物と同等の身体能力、融合した生物との容姿転換があります。ただし、適合する人間がいなければ一部の地域以外での容姿の転換は不可能です。ちなみに私たちは通称『次の時代(ネクストステージ)』と呼ばれます」
 敵がラストストップ。こちらの兵器が通称ネクストステージ。まあなんとか理解した。信じるつもりはないが。
(こいつはとんでもない電波少女だな……あれか? 首輪にホログラムでも仕掛けて遠隔操作してんのか? この街ならやりか ねねぇし……あぁそうか、だから首輪がつけっぱなしだったんだな)
 それならば少女に手をのばしてみれば彼女の身体をすり抜けて仔猫がてに収まるはずだったが、宵乃にはホログラムといえども少女の身体に手をのばす事は出来なかった。度胸なし。
「……じゃあさ、その適合する人間っての所に帰れば? 悪かったな拾っちまって」
 するとホログラムの少女はこっちをまっすぐと見据えていった。
「だからここにいるのです」
「は?」
 宵乃が素っ頓狂な声を上げ、目をきょとん、としばたたき、口を半開きにした。傍から見ればそれをアホ面と呼ぶ。
「要約すれば貴方が適合者ということです」
「あー、ごめん俺そんなつもりないんだけど」
「私は適合者に動物の状態で人間と認識された場合のみ人間に変化、及び適合者だということを把握します。貴方は私が……銭湯に浸かっているおじさんのように見えた、何とも微妙な理由から人間と認識し、同時に私は人間状態へと転換したということです」
 感情を込めず事務的に話す少女は今更ながら一糸まとわぬ姿だった。ちょっと股間に熱いものを感じてしまった。最近のホログラムってリアルだよなぁ、と宵乃は思うがそれどころではない。
「あー、その、適合者って俺なの? マジで?」
「ええ、事実です」
 彼女は特に表情も変えず淡々と宵乃の目を見て話す。その目はやはり無表情だった。
「ちなみに貴方が適合者ということはあらかじめ機密機関によって検出されていたことですので」
「ちょっと、いいか?」
「なんでしょう?」
「お前、ホログラムとかじゃないの?」
「……それならば触れば分かるでしょう。確かめてみればよろしいのでは?」
 失礼な人です、と小さな声が聞こえたが宵乃は無視する事に決め、遠慮がちに少女の肩に右手をのばす。結果として、手に生乾きの感触と少し冷えた皮膚の感触の二つが伝わった。宵乃は再度アホ面をつくり、水滴がついた自分の右手を凝視する。 
(オイオイ待て待ておかしいだろこれなんだよなにが起きてんだよ?)
 人間というのは自分の理解の範疇で物事を片付けようとするが、もはやこれは彼の理解の範疇を大きく超えていた。が、こんな時でも便利なのが人間で、彼は自分の知らない技術があってもおかしくないのだから、こういうこともあるのかもしれないと勝手に納得した。
「で? そのラストストップってのは何処にいるんだよ?」
 これがいればホログラムじゃなかった猫少女の電波話も信憑性が出てくる。鍵はこの『継承の中断』だ。
「本日この街への出現としては一体目の『継承の中断』がこの町の上に出現しています。時間帯としては午前11時頃に町の上空をほんの数瞬怪鳥の姿になって飛行しました」
 午前11時頃?
 ちょうど俺があの鬼教師に怒られて怪鳥が飛んでいるような錯覚を見た時間帯――。
「え、あれ錯覚じゃなかったの!? てっきり地の文の表現の一つだと思ってた! そういえば妙にリアルだとは思ったけどマジか!」
 それにしてもそんなものを見れば当然驚いて騒ぐと思うが……あまりに非現実で脳が勝手に判断したのだろうか?
(はあ。信じるほかないか。)
「で、適合者って言われても何すんだかわかんねーぞおい」
「『継承の中断』は現在破壊されましたので今の所は問題ありません」
「やることねえじゃねえかおい」
「いえ、今後また現れる可能性がありますので……くしゅっ」
 少女は可愛らしくくしゃみをした。濡れた体でずっと浴室の床に座っていれば無理もない。
「とりあえず私と共同生活を送ることになります」
 要するに養えと。宵乃は無責任な国家機関に奮然としつつ考えた。(共同生活はできるだろうか? 寮の部屋は2人で暮らすとしてもおそらく問題ないだろう。中には女を泊めている奴もいるらしい。うらやましいなぁ畜生)
 ぶつぶつと文句を言い出した宵乃は十数秒経ってから思考を戻した。 
(金銭の面は? まあ別に今のバイト代ならあと一人分ぐらい何とかなる。さて、最大の問題は俺が女(しかも年下)と暮らしてなんつーか、欲望に狩られたりはしないか? あ、でも猫だし大丈夫か)
「よし、養ってやる」
 猫を飼うことに変わりはないと思う。
「あ……りがとうございます」
 そう言う少女の顔は少しうれしそうに見えた。少女の背中で黒いしっぽが揺れているのもその証拠だろう。
「え、しっぽ?」
 今さら気づいた。
「バランス感覚を人間よりも安定して取るためには必要不可欠なので」
「あぁ……そう……」
 今さら驚かねえよ、うん。
「くしゅん」
「あ、わるい、そんままだったな、えーと……」
「試作零型が一番呼びやすいかと」
 味気ない。
「お前今日から凪な」
「ナギ?」
 不思議そうに首を傾げる少女。
「おまえの新しい名前」
「……」
 俯く少女。ちょっとショック宵乃。
「そんなに気に入んなかったか……」
「……いえ、うれしくて……こんな名前初めてだから」
 少女の、凪の表情はうつむいた髪の毛で隠されて見えない。
「そーか、ならいい」
「あなたのことはなんと呼べば?」
「裕李でいいぞ、敬称略で頼む」
 そう言って宵乃は凪についていた泡をシャワーで洗い流した。
「その、つめたいです……」
「あ、わりぃ」

 とりあえずこれ以上裸の少女といるのも心臓に悪いので浴室から宵乃は出た。
「あー、今さらだけど俺って今凄い状況にいるんじゃないだろうか」
 だろうかではない、凄い状況にいるのである。
「裸の女の子と話すとは……これなんてエロゲ?」
 そっちか。
 あ、でも猫だしなぁ、とそこまで考えた所で浴室から声が聞こえた。
「ゆーりゆーり」
 先ほど宵乃が教えた名前を凪は連発している。
「なんだよ?」
 仕方ないので行ってみる。
「これはどうやって使うの……ですか?」
「無理に敬語使わなくてもいいから。で、なにさ」
 凪の手にあるのはドライヤー。
「もしかしてドライヤーとか見たことない?」
「あぁ、これはドライヤーなのですか……で、どうやって使うのでしょう? これ」
「はぁ……?」
 おそらくその機関は全自動ドライヤーでも使っていたのだろう。宵乃は半ばあきれるようにドライヤーを凪の手から受け取ると、ふと床の水たまりに気づいた。
「あぁ、ごめんバスタオル渡し忘れてたな」
「いえ、別にいいですけど……ひゃんっ!?」
 宵乃は適当にバスタオルをだして凪の体を拭き始めた。
(なんか妹ができた感じだなぁ……)
 ほんわかする宵乃と裏腹に、凪はばたばたと暴れていた。
「そこはっ……脇腹はっ……くすぐった……わざとやってるでしょうゆーり!!」
 身をよじりながら笑う凪。宵乃は別にロリコンではないので何の抵抗も覚えずに彼女の体を拭き続けた(いくらなんでも目は背けていたが)。とはいえ、身をよじって逃げようとする凪を押さえ続けるのは容易ではなかったので実際は結構全身の力を込めて拭いていたのが現状である。目をそらすどころかそんなところに見とれている暇も無い。
「ったく……」
 凪にとりあえず自分のシャツを着せた後(なぜか彼女は腕のところから頭を二回も出した)、宵乃は頭をかいた。
「服どうすっかなー」
 現在の凪はソファーでおとなしく座っている。なぜか体育座りなのでちょうどアレな所が見えているはずだが宵乃はそれに気づいた時から見ないように心がけていた。男なら誰もが羨むこんな素晴らしい展開はもう来ることは無いだろうが、宵乃さんは紳士なのである。二、三回チラ見していたが。
「あー……服買ってこなくちゃな……」
 宵乃は、はぁ、と大きくため息をついてから彼女に目をやった。

 その夜。

 宵乃と凪は同じベッドで寝ていた。布団が一枚しかなかったからである。宵乃はさすがに少女に手を出すほど落ちぶれてはいない。再度言うが宵乃さんは紳士なのである。
「あー凪あったけぇまじ感謝」
 とはいえ布団は大きいわけではないので結構窮屈で、二人はもう肌が触れるかどうかという状態であった。
「私は湯たんぽなのでしょうか」
 今日の夜は昼間とは逆に肌寒い。
 ときおり触れる凪の肌は幼児のように温かく、さらさらとしていて気持ちがよかった。
 すると凪が宵乃に体を押し付けてきた。
「何してんだお前」
「猫は気に入った人間には甘えるのです……」
「要するにお前も甘えたいわけね」
 宵乃は凪のさらさらの髪を撫でてやると少女は、ん、と甘い声を出し、目を閉じた。
「可愛ーな、猫……でいいのか?」
「そーいえば」
「寝てなかったのか」
「よくこんなに普通に接することが出来るですね?」
「日本語おかしーぞ。それと質問の意味が分からん」
「だから、その、私みたいな化け物と」
「だってさ、お前人間じゃねーか」
「え?」
「猫から変身しようがなんだろうが、お前が人間であって猫である事に変わりはねぇだろ」
「え、でも」

「猫も人間も怖がるもんじゃないだろ? まあ人間は怖い事もあるけど」
「……そうですか」
 宵乃は何かが根本的に常人と違っている。そう少女は感じた。だがその違和感は特に考えられる事もなく頭の奥底で泡と消えた。

「でさ、俺からもひとつ質問」

「なんです?」
「俺たちは何をすれば終わりなんだ?」
「戦いの最終目的という事ですか?」
「そう。それとも襲ってくる奴らをただ倒していくっていう感じなのか?」
「……明確なものはまだ分かっていませんけど、破壊衝動というのがキーワードと言われています」
「破壊衝動?」
「えぇ、赤く光る黒い羽をもった女性の姿をしています。以前から注目されていて8年ほど前から目撃されなくなってしまいましたが、彼女が出現した土地には必ずと言っていいほど継承の中断が現れたので何か関係があるのではないかと」
「……そんなに昔からいたのか? どうやって倒してきたんだ?」
 何故宵乃が少し黙ったのか凪は疑問に思ったが今はとりあえず彼の質問に答える。
「自衛隊の戦力を使ってきました」
「……お前ら、作られたんだったよな……? 自衛隊で済むならお前らが兵器になる必要なんてないんじゃねぇのかよ」
 宵乃の言葉には若干怒りが含まれていた。その矛先は国家機関へと向いている。
「昔ならそれで済んだんですよ」
「え?」
「今の敵は自衛隊じゃ倒せません。強すぎるんです」
「でも……」
「過去の出現回数は6回です。その度に自衛隊は一個師団出動して二個旅団が壊滅しています」
 宵乃が息をのむ。二個旅団。たしか一個旅団が二千人から五千人だったはず。つまり一個師団の約半数が殺されたという事だ。
「でも私たちなら一人で倒せます」
「……でも、だからって」
「いいんです。私たちはそれに納得してますし、HDPがなければ私たちはここにいません。私たちは皆HDPに育ててもらったんですから、その恩にそれぐらいは」
 諭すように語る彼女の言葉に宵乃はしばし黙った。そして、一言だけ呟いた。
「それでも、俺は納得出来ない」
「……優しいんですね」
「……違うよ、ただのワガママだ」
 夜は、更けてゆく。

 凪が本当に眠った後、宵乃は思い出す。
 自らの過去を。
 8年前起こった、悪夢。

 翼の生えた女との遭遇を、もう逃げ出したはずの自らの地獄の始まりを思い出す。

       

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