Neetel Inside ニートノベル
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この身体はキモチイイ……!
ep14.墓前風景

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 まだ陽が昇る手前に、私達は車で鳩山邸を後にした。

 運転手は毎日私とユキを送ってくれる人だったが、隣に据わるのはイチタロー君だった。

 彼は眠そうな目を擦っている。私は黙ったまま、窓の外を眺めていた。


 二月の終わりに、母はこの世を去った。ちょうど今日と同じ日付の、二月前。

 母は天井から吊されて、小さく小さく揺れていた。汚物を撒き散らして。

 見つけた私はずぅっとそれを見続けていた。

 動けなかった。

 私は立ち尽くし、座り込み、仰ぎ見て、そして日が傾いた頃、ようやく認識した。

 母が死んだことを。

 その景色は、私の心にこびりつき、決して色褪せることはなかった。揺らめく吊り縄は、幾度も私を隔世に誘惑した。

 ――だから私は、『それ』に気が付かなかった。私は母が亡くなったこと自体がショックなんだと思いこんでいた。

 慕っていた母の死に様を忘れることが出来なかった私は、それ以後なるべくそのことを考えないように努めた。考えれば、私も死にたくなったから。

 生きたかった。

 あるいは、死にたくなかった。

 意識の内から消去し、なるべく他のことに意識を割き続けた。私を受け入れてくれた家のこと、私を所有しようした人のこと、私が自ら従属してしまっていること、学校のこと、仕事のこと。

 一時も暇を作らなかった。常に動き続けた。何かぐるぐると考え始めた時には走った。考えないように、書を読んだ、あるいは勉学に努めた。何かもする気が起きないときは、部屋の静寂に怯えて、はしたなく人の温もりを求めたりもした。

 目を背け、逃げ続けた。

 そうでもしなければ、きっと……きっと小泉純は終わっていた。生を閉じていた。私はそう思う。


 隣の席のイチタロー君が、時折私の顔を不安そうにちらりと覗く。私は気付かないフリで、相変わらず車の窓から、流れていく景色をぼうっと見ていた。

 こんな時でも私は『気付かぬフリ』だ。いつの間にか、そんな真似も随分上手になった。

 私は今、母のお墓に向かっている。

   *   *

 年に数回しか訪れない私の家系の墓は、ある幼稚園に併設された墓所にある。この幼稚園を経営するお寺が、ここの墓を管理しているのだ。

 運転手に見送られ、私とイチタロー君はお墓へと向かった。

 明け方の冷たくしんと張った空気が、死者の眠る場所に溶けて、私の肌を不必要に冷やした。

 何となくいつものこの時間の空気と違いを感じるのは、この場所のせいか。それとも私の気持ちのせいか。

「ジュンさん」
「ん?」

 彼の口調は微かだが、不安そうだった。

「ここに来るのは、まだ早かったかもしれません」
「どうして?」
「……それは、」

 彼は躊躇う。口にすべきか迷って、一度言葉を飲み込んだ。けれど、結局私の方を見て、曖昧に唇を開いた。その真摯な眼差しを、私は冷たく見返した。

「さっきから、ずっと表情が優れませんから」
「……そうだね。でも、良いよ。今日はせっかく月命日だしね」
「来月にもありますよ?」
「うん。でも、今日で大丈夫。ちょうど良い機会になるかもしれないから」

 昨夜の夜、イチタロー君は私に、母の月命日の墓参りを提案した。

 お墓参り。死者を想う通い路。

 聞いた瞬間に、こびり付いた記憶が全て戻ってきた。

 私はその時に分かってしまったのだ。明日お墓参りに行く行かないに関わらず、この記憶に苛まれることを。一度でも思考に侵入を許せば、それは意識から中々離れてはくれないから。

「どうして父は、お墓参りなんて言ったんでしょうね?」

 イチタロー君は曇った空を見上げながら、そんなことを呟く。もともとこのお墓参りは、彼の父からのメールによってきっかけを与えられたのだ。

「私には分かんないよ。会ったこともないんだもの」
「そうですよね。すいません」

 私達は墓所に入って、桶に水を汲んだ。

「君たちのお父さんってどんな人なの?」

 ずっと聞いてみたかったことだった。もう一ヶ月は鳩山の家に住んでいるが、私は未だにユキの父親を見たことがない。夕食の会話でも、仕事でも、名前すら出ることがない。私にとって、鳩山の主は霞のような存在だった。

 それ故に、その父親のことは強く私の印象に残った。若い子供を置き去りにし、家にすら帰らない。連絡を頻繁に取っているようではない。でも確かに存在する。私の父にお金を貸した人。彼が私の父を死に追いやったのだろうか。

「僕にもよく分かりません……。ときどき来る親戚みたいな感覚なんですよ。家に殆ど帰らないから」

 イチタロー君は寂しそうにそれだけ言った。目線が地面に落ちていて、彼の表情はよく見えない。

「そっか」
「ええ。そういえばジュンさんには会わす顔がないって言ってました」
「……どうして?」
「あなたのお父様を追い込んだって。お金はちゃんと返してくれてるから。追い込まれているのに気が付かなかったと」
「お父さん、お金返してたんだ……」
「お父様のご事情を知らないんですか?」
「知らないよ。私が知ってるのは、私と母さんを置いて、どこかへ逃げたってことくらい」

 私は低く沈んだ声で答えた。口に出したら、また苦い気持ちが胸いっぱいに広がったから。

 お墓の前に着いた。大きくも小さくない、平凡なお墓。真新しく刻まれた、両親の名前。私を残して逝った人達の名前を、感情のない眼で見下ろした。

「僕は、少しだけ聞いています」

 桶を地面において、私達はお墓の前で向かい合った。

「僕の父とあなたのお父様は、昔からの友人だったようです。最も社会人になってからは、父とはほとんど連絡が取れなかったようですが。でもあなたのお父様はなんとか連絡を取ることに成功し、事業の資金を得るに至った」
「……バカな人だよね」

 私の呟きを、イチタロー君は苦い表情で受け止め、話を続ける。

「でも結局事業は成功せず、返金の目処は立たなかった。それでもまだ事業の成功に賭けていたお父様は、他の所からも借金を繰り返し、無利子で貸していた僕の父から、事業の成功後、さらに融資を受けるために、遅れながらもちゃんと返済してたみたいです」
「それで、結局成功することなく、別の借り入れ先からの取り立てにから逃げるハメになったわけ、か」
「……ええ、まぁ」

 返済を受け、なおかつ忙しいユキの父親には、私の父の事情を知る術が無かったのだろう。お金を貸して一家離散の原因になった責任を感じているのかもしれない。それで、会わす顔がないというわけか。私のことを引き取り、学校まで手配してくれるという厚遇の理由はそこにあったわけだ。なるほど。私の鳩山家に対する疑問が次々に氷解した。

 でも、悪いのは私の父親ただ一人だろう。

「そっか。そうだったんだ。話してくれてありがとう。お父様に連絡って取れるの?」
「ええ。メールで、いつ見てるのか、全く分からないですけど。月に一度くらいは返信があります」
「じゃあ、お礼を言っておいて欲しいな。私の面倒をみていただきありがとうございますって」
「でもジュンさんにはむしろ引け目を感じているようですけど」
「いいの。そう伝えておいてくれれば。私の気持ちだから」
「……分かりました。お伝えしておきます」

 私は桶から杓子を取り出し、納得しきれていない様子のイチタロー君に手渡した。

「手伝ってくれない? お墓、綺麗にしたいから」
「あ、はい。もちろん。お手伝いします」

 二人での作業でも、会話はほとんどなかった。

 お墓の近くを草むしりしたり、お墓に水をかけて綺麗にしたり、花を生けたり。黙々と作業をしながら、私は考えていた。

 父のこと。母のこと。それから、ユキのこと。

 父にとって、母と私はどんな存在だったのだろう。借金の取り立てが家まで迫らなかったことを考えると、父の逃亡は、私達家族に迷惑を掛からないようにするためだったのかもしれない。闇金融の取り立てに、女性を風俗店に沈めるという話も聞いたことがある。そう考えれば、父は私達のことも慮ってくれていたとも思える。無論、全てを投げ出して逃亡を図った後に、失敗した可能性も否定できないけれど。

 母は……母はどうだったのだろう。私はユキに聞かされ、初めて父がこの世を去ったことを知ったが、母は知っていたのだろうか。それとも、置き去りに逃げ出したことに悲観して首を吊ったのだろうか。私にはもはや知る術はない。

 では母にとっては私はどんな存在だったのだろう。父と違って、彼女は私のことを気にかけてくれていた可能性は考えにくい。もしも私の存在を気に留めるならば、あんな選択はしなかったはずだ。それとも、私の存在など天秤にかけることが出来ないほどに、彼女は父の失踪、あるいは死亡という事実が重たかったのだろうか。

 ああ、でもいずれにせよ。私の存在が、露ほども彼女の選択に考慮されていないことには変わりがない。娘というのは、母親にとってそれほどの存在なのだろうか。

 でも気が付いた。父の失踪よりも、私が母の死の方がショックを受けた理由。

 私は母の死を以て、無意識ながら、しかし明確に悟ったのだ。私を必要とする存在は、もうこの世にはどこにもあり得ないということを。

 ――だから、私は死のうと思ったのだ。

 そして、私はユキに会った。彼女は私を求めた。必要としてくれたかというと、それは分からない。でも少なくとも彼女は、私を死の淵から押し戻してくれた。

「ジュンさん……?」
「ん?」
「一通り終わったみたいですけど?」
「あ、うん。ごめん、ちょっと考え事してた」

 いけない。手が止まっていた。イチタロー君に余計な心配をかけさせることになってしまった。

 私は線香に火を灯し、それをお墓の香炉に立てて、両手を合わせた。隣でイチタロー君も私と同じようにする。彼は何を想ってこのお墓の前で手を合わせるのだろう。やはり私には分からなかった。

 私は手を合わせたまま、心中で両親に語りかけた。お墓の前でそうすれば、返事は返ってこなくても、聞いていてくれるような気がしたから。

 蕩々と思うさま、私は両親に語りかけた。意味はない。けれど、区切りがついた気がした。

 ゆっくり目を開けると、隣にいたイチタロー君が、私の顔を覗き込んでいた。

「どうしたの?」
「いえ。綺麗だと思って」
「何が?」
「ジュンさんが」

 彼は真顔でそんなことを言った。顔を赤らめもしない。小生意気なことに他意はなさそうだ。

「随分長い間目を閉じてましたね」
「うん。ちょっとね。色々と。一つ分かったんだ」
「何です?」
「私ね、母さんが首を吊った時、ずっとそれ自体にショックを受けてるんだと思ってた」
「……違ったんですか?」
「うん。唯一の家族が居なくなったことじゃなくて、その家族さえ私のことなんか考えもせずに、置き去りにされたことが受け入れられなかったんだ。私には母さんはどうしようもなく必要な存在だったけど、あの人は私のことなんかどうでも良かったんだ。それが一番悲しかったんだ」

 イチタロー君は表情を曇らせる。

「でもね、良いの。なんかすっきりしたよ。胸のつかえが取れたっていうかね。それにね、今は一人っきりじゃないし」

 私の脳裏に、彼女の姿がちらりと浮かんで消えた。

「……そうですか。それなら、良かったです」
「うん」

 私は微笑んで頷く。

 そうだ。良かった。ユキが私を求めてくれて。そうでなければ、私は今ここにはいなかっただろうから。

「ジュンさんにとって、姉さんは必要な存在ですか?」

 イチタロー君の口調がふいと変わった。どこか問い詰めるような、鋭さが滲んでいる。

「そうだよ。でもどうしてそんなことを聞くの?」

 彼はどこまで、私達の関係を知っているのだろうか。あるいは、もう全て知っているから、そんなことを聞くのか。弟としてみれば、確かに私とユキの関係を受け入れられざるものだろう。

 けれど彼の返した言葉は、もっと意外なものだった

「姉さんもあなたを必要としているでしょうから」

 ユキが? そう、なのだろうか。確かに私とユキの関係は、浅くはないものだけれど。

「どうして?」

 でも、私を必要としているというのは、どういうことだろう。もし私と今あるのような関係を望むなら、別にユキならば他の誰だって可能なはずだ。私である必要がない。

「気が付かなかったですか? 姉さんがある点で破綻していること」

 彼は、ここに居ない誰かを哀れむように、目を細めた。

 ――破綻。

 その言葉は、酷く重く、私の心を揺らした。

       

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Neetsha