この身体はキモチイイ……!
ex2.聖夜短篇
※クリスマスいイヴなので本編よりも数ヶ月ほど未来の出来事です。
いつも忘れがちなこと。多分私だけじゃないと思う。多くの人がついつい記憶から消してしまうこと。
原則的に鳩山ユキはバカである。
愚かだ、とかそう言った侮蔑的な意図はない。むしろある種の肯定的な意味合いが強い。けれど私はあえてもう一度言おうと思う。
原則的に鳩山ユキはバカである。
「ねぇ、ユキ。どうして……?」
手渡された衣装を片手に、呆れかえった声音で彼女に問うた。仮にもプレゼントに対してそんな応対が失礼なことは重々承知のつもり、それでもそんなトーンで尋ねたのは、ひとえに私の気持ちを察して欲しいからだ。
「絶対似合うと思って!」
ところがこの調子である。瞳をきらっきらに輝かせて、ユキはころころ笑っている。先ほど飲んだシャンパンが回っているのか、少し頬に朱が差していた。酔っているからいつにもまして上機嫌なのか、それ故に私の察して欲しいことを聞いてくれないのか。なんだか考えるのが馬鹿らしい気がしてきた。
今日は聖夜である。確かに夕食は豪華で美味しかった。ケーキもシャンパンも。あまりに幸せ過ぎて思わずほろりときたくらいだ。そしてユキの部屋に呼ばれるまま来てみれば、早速手渡されたのがミニスカサンタのコスチュームである。もっとこう……雰囲気のあるプレゼントでも良いんじゃないかな!
「しかもどうして首輪をセットで……」
前のよりもちょっと太い。そして少し重い。
こんなので拘束されたらすごい圧迫感だろうな。……息もちょっと苦しくなってしまいそうなくらい。
いやいや、何を私は想像してしまっているんだ……。
「それは私の趣味」
「さようで」
どうしてそういう時だけ無駄に目が真剣なんだろうね、ユキ。絶世の美人がそんな表情だともの凄い迫力があるのだけど、いかんせん内容がアレだ。
「早くこっちにおいでなさいよ」
ユキがベッドに転がって隣のスペースをぽんぽん叩いた。彼女が寝そべっている上に、もこもこの毛布があって大変暖かそう、だけど……。
「……そっち行っても何もしない?」
「?」
小首を傾げる。そういう狙いすましたような可愛いらしい仕草はどうかと思う……どうかと思うのだが……可愛いなぁ! もう!
「首輪つけるだけよ?」
「私の自由が根こそぎ奪われるんだけど?」
「うん、そうね?」
「ねぇ、そこで不思議そうな顔するの止めてくれないかな。法治国家の人民にあるまじき態度だからね」
「ジュンは私の所有物だから大丈夫。それに早くこないと寒いよ」
駄々をこねる子供のようにベッドをぱふぱふ叩く。ユキは酔うと幼児退行するタイプなのだろうか。
というか、大丈夫じゃないよ! 人権を寄越せ!
などと脳内でツッコミを入れつつも、ユキに『所有されている』のが満更でもない私はその言葉に弱い。しかしそこまで考えての発言だと思うと素直に従いたくはない。
「はっくしゅっ! さむっ……ジュンはーやーくー! 」
くしゃみをしておられる。その上ちょっと涙目になっての催促。素直になりたくはないなぁと思うも束の間、あっさり心の城塞を陥落させられ、ため息一つで彼女の傍に行く。
衣装とか首輪とかどうしようかと悩みながらベッドに座ると、すぐに抱きつかれて、そのまま二人で寝っ転がった。
「ぬくぬくー」
蕩けるような甘い声で、ユキが囁く。暖房をかけてはいるものの、まだ暖まりきっていない部屋の中で、この体温は耽溺するほど支配的だ。一度味わったら、もう他のことはどうでもよくなるような極甘の抱擁。その上ユキが毛布を被せたせいで、彼女の良い匂いが鼻腔をくすぐる。
耳元にかかる彼女の微かな吐息と身体を包む熱に意識を集中していたら、ユキが私の手から首輪を奪っていった。
「あ……!」
「ん?」
「待った」
「待ったなし」
「バリア!」
「バリアなし」
ええええええ!? 首輪掛けられる前から抵抗も禁止なの? せっかくクリスマスなのだから、もっとロマンチックな雰囲気になっても良いんじゃないかな!
などと思っている間にユキは容赦なく首輪を取り付けられてしまった。
「ううぅ……」
「その首輪はお仕事モードに入らない感じで」
「え?」
「敬語とかなくて大丈夫だから。リラックスして私のものになろう」
なんだろう、この朗らかな奴隷勧誘は。違和感がありすぎて逆に感覚が麻痺しそうだ。
「はぁ……。それはまたどうして?」
「ジュンに首輪つけちゃうとちょっと従順過ぎるから。本気で虐めたくなるし、いつもくらいにやんわり抵抗された方がお互いにとって都合が良い時もあるかなって」
「どうして従順過ぎると本気で虐めたくなるのさ!?」
「責めてる側としては、こう『ちょっとやだ、でも……』みたいなギリギリの感覚を味わいたいからかな。そうじゃないと徹底的に躾けた悦びを感じられないっていうか」
「うん、ごめん。全然わかんない」
「君は根っからの被虐嗜好者だもんね」
「そ、そんなことない……よ……」
力強く否定できないのが悲しい。
「というわけで、今のやりとりのようにフレンドリーに服従しなさいな」
「フレンドリーに服従という言葉の並びがどう考えても常軌を逸してるんだけどなー?」
「細かいことは気にしないの。……そろそろ暖かくなってきたかな?」
そんなささやかな問題のようにしないで欲しい。
「それじゃあ着替えよう!」
あまりにもユキが楽しそうなので、もう反論する気力がなくなった。惚れた身の弱さだ、仕方ないと諦める。着替えを見られるのも止めようがない。どこかの部屋へ移動しようにも寒いだろうし、何よりユキの部屋に戻るまでのリスクが高すぎる。
「あんまりじろじろ見ないでね」
「ん」
意外と紳士的(織女的と言うべきなのかな?)なユキだけど、騙されるべからず、そもそもこんな状況を要求したのは彼女である。
着てみたミニスカサンタの衣装は予想以上に恥ずかしかった。まず何よりもスカート丈が短すぎる。その上、胸のあたりはどうしても苦しいし、腰回りは比較的タイトに作ってあるせいか、身体のラインがかなり強調されてしまう。
こんなシンプルなデザインで、なおかつ限定的な季節にしか着ない服装だというのに、なんていうか性的なところを浮き立たせるように洗練されている。正直あまり好きじゃない。
……のに。
「ジュン、なんかその格好、すごいえっち……」
半分照れた、半分はやたらと嬉しそうな顔をした彼女がいるのである。
頬を染めて目のやり場に困ったみたいな顔をしないで欲しい! 可愛いから! 大体これはユキが無理矢理着せたものなのに!
そんな彼女のリアクションを見ていたら、満更でもないような気がしてくる。私もたいがいにして愚かだ。
「……もう着替えても良いかな?」
「まだ一分も見てないのに!」
「恥ずかしいもん!」
「えー、あ、そうだ。こっちおいでよ」
またしてもベッドをぽんぽんして招く。どうでも良いけどペットみたいな扱いだ。もしかしてわざとかな。困ったことにユキに限ってはそれでもあまり嫌な気はしない。ああ……なんだか考えていくと憂鬱な気分になりそうだからやめよう。
「あ、それと喉渇かない? シャンパン飲もう」
「ん」
暖房が効いてきたからか、たしかに口が渇いていた。リビングから拝借してきたシャンパンをグラスに注ぎ、ユキに手渡した。彼女はちょっとだけそれを口に含んで返した。ほとんど残っていたそれを、私は一息に飲み干した。
「良い飲みっぷりだね」
「飲まないとやってられないの」
投げやりの答えに、ユキはかんらと笑った。それから、
「おいで」
と一言、断ること許さない調子で、彼女は私に告げた。
言われた通りに、ベッドで彼女のとなりに寝転がる。身体を横にしてユキと向き合った。ユキの目はとろんとしたまま、私を見つめていた。ほんの少し口元を近づければキスできる、そんな距離も随分慣れた。まだちょっと気恥ずかしさはあるけど。
「ちゅーしよっか?」
ユキが私の首に腕を絡めてくる。いつもならこんなこと訊かずにしてくるくせに。
悪戯めいた笑顔が妙に扇情的でどきどきする。
「どうぞ」
応えた瞬間、唇にほんの少し触れる、暖かくて柔らかいユキの唇。雪でも融けたみたいにふっと離れていく。
物足りない。
と思わせる彼女のキス。
だからねだる。
「もっと」
「んー?」
どうしよっかな。そんな風に彼女は笑って。
「ん……」
結局私から彼女の唇を奪うのだ。壊れ物を扱うように、優しく丁寧に口付ける。その感触を確かめるみたいに。
何度も何度も。
「ユキ」
きっとこんなにも彼女のことが欲しいのは、アルコールのせいだ。
「何?」
妙に落ち着いた彼女には可愛げが足りない。余裕綽々というのは面白くない。
だからキスをする、舌を絡めて。
「大好き」
照れてくれるかと思ったのに、彼女はくすぐったそうに柔らかく笑っただけだった。
「私も」
その日のキスはシャンパンの味がしたんだ。
初めてキスする女の子が想像するみたいに甘酸っぱくて。想い出みたいにアルコールがほんのり苦かった。
* *
昨夜の記憶は朧気だ。首輪やら衣装はどこかで脱いだような記憶が微かにあるのだが、ユキと手を繋いでだらだらとベッドでだらだらおしゃべりを続けていた記憶の先が全くない。どこかで寝てしまったのだろう。
意識が覚醒すると、珍しくユキが先に起きていることに気付いた。
「おはよ」
「あ……、うん、おはよう……」
「はいこれ」
彼女は小さな箱を私に渡す。
「なに?」
「クリスマスプレゼント」
「……嘘?」
「本当」
「だって昨日の……」
「あれは冗談よ?」
「嘘ぉ……」
「本当」
ユキは面白がるように「くくっ」と笑みを零した。僅かに落ち込んでいた自分が馬鹿みたい。
「開けても良い?」
「もちろん」
それを開ける時、まるで宝箱でも開けるみたいだと、ぼんやり思っていた。
「わぁ……!」
ネックレスだった。小さなダイヤがついた、ハートの重なったデザインのシルバーアクセサリー。
「ユキ!」
「うん?」
「ありがとう!」
「うん」
柔らかく頭を撫でられ、目を細めてユキに抱きつく。
冬の朝は寒い。
でも彼女の腕の中は暖かくて。
もう少しここでこうしていたいと思った。