Neetel Inside ニートノベル
表紙

茨の下
一章(八怪談編)

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 言いたい事、やり直したい事は沢山あるし、全てを無かった事にしてしまいたいとさえ思う
 あの時、こうしていれば ああしていなかったら
 あの場所で、〝ああ〟言わなければ 〝そう〟言ってさえいれば
 たらればの仮定でのみ許される、今とは違う時空の話だ
 そんなことはわかっている そうはならないことも解っている
 実際の僕は友人を極限まで追い詰めていて、しかしその事にも気付いていない
 実際の僕はこの仮定を想起する事さえないのだ
 ではこの僕は一体誰なのか?
 存在しないはずの問いの前に立つだけでなく、還元的な思索により原点へと歩み寄ろうとさえしているこの独白は、一体誰の物なのか?
 魂の円環から外れた今の僕ならば解る その問いの答えが
 僕は彼を助けたい、そう願う者だ

 彼の導き出す結果は朧気ながら見え始めた
 だが、それでもなお彼を救おうと望む、実際の僕の一部だった者だ
 彼の選んだ侠を佐(たす)く、それが僕の望みの全て

 世界は僕らを〝貧者の教義〟に縛られた愚か者と蔑むだろう
 それでいい 今まで賢く生き過ぎた位だ
 NEEDY'S DOCTRINE
 笑わば笑え
 侠に生きる者を支えるのもまた、侠であるはずだ
 ならば僕に 言う事は無い


 一章  ホドけぬナゾでハコばれし


 チャイムが鳴る。倦怠と自由を解放する為の、永らく聴きなれた旋律だ。
「……疲れた」
 教師が教壇を離れるよりも先に、溜め息混じりの独り言が漏れてしまう。もう高校生になって一ヶ月も経つというのに、未だに時間の流れ方に馴染まなかった。
 中学校までの授業よりも、高校の授業は十分長い。休み時間は半分だった。
 どうにも僕の集中力の限界は成長していないらしい。入学してからの僕は、残りの十分間を火の着いた椅子にでも座っているかのように、居心地悪く過ごしていた。
教師が次回の予定と宿題のページ数を告知した後、教室から辞去した。時計を見なくても時間は解る。
 10分間もにらめっこをした仲なのだ。彼の針が指し示す意味も、僕は理解していた。
 そう、お待ち兼ねの昼休みだ。僕は適当な音程を付けた鼻歌を歌いながら、カバンの中から弁当を取り出し来訪者を待った。
 来訪者の人数は3。訪れる順番こそ毎日違えど、その人数だけは変わらない。僕は自分の教室で彼らを待つ役だった。
 教室からクラスメイトの多くが出て行く。購買や学食に向かう奴もいれば、弁当包みを引っ提げて、思い思いの場所へ足を向ける者もいるのだろう。僅か数分で約3分の1が抜け出た教室は少し、僕を寂しくさせる。だがその空席のお陰で友人達と仲良く昼食を囲めるのだから、瑣末な事だ。
 やがてクラスメイトが開け放ったままにしておいたドアから、馴染みの顔が覗いた。
「やあ、良く来たね」
「来たのはオメーだろ。そろそろ他のボケを用意して来いよ」
 笑顔で応える。彼の決まり文句のようなものだから、別段飽きたとは思わない。ジャンクフードみたいに決まりきった味ならではの、親しみと中毒性がある。
「まぁいいじゃないか。ん、今日は僕が一番乗りかな?」
「そうだね。今月初の一番乗りだ」
「そう言われてみれば初だね」
 感慨深げな表情を少し保ち、徐々に頬を赤らめていく。
「……いい響きだ」
 尻の辺りに舐めるような視線と寒気を感じた僕は、それを追い払うように、僕の周りに席を寄せるベく立ち上がった。思考回路を敢えて読もうとはしない。僕もそこまで命知らずではないのですよ。
 この友人は久栖左右一《くぜいそういち》と言う。下がり気味の眉と、垂れ気味の眼がショボくれているようにも見えるが、その心の中にはどんな魔物が棲んでいるのか。僕の興味は尽きない……いや。尽きなくもない。
 同姓から見ても男の色気を持つとは思う。……そうは思うが、先程のように奇怪な行動を起こす為、最近僕は本気で身の危険を感じていた。本気だったらどうすればいいのかわからないのでなんとか冗談として処理している状態だ。
「おいーす」
「あれ、久栖君がもういる。珍しいね」
 背後から掛けられた二種類の声は余りに聞き慣れていて、暗闇から急に響こうとも大して驚きもしないだろう。
 そんないつもの声に、笑顔を浮かべて振り返った。
「おいっす。珍しいよね」
「そんなに珍しいかな……? ともかく、全員揃ったね」
 うん。これで全員だ。
 僕に声を掛けた内の一人は毒生修慈《ブスキシュウジ》。
 中性的な見た目とは裏腹にかなり怒りの沸点が低く喧嘩っ早い。しかし軽い対人恐怖症持ちであったりと、酷くアンバランスな人となりをしている。
 しかし性根は真っ直ぐで、僕ととてもウマが合った。心を許し合い、正直に付き合っていさえすれば非常に気持ちがいい男だ。
「何ぼーっとしてんの出継《いでつぐ》。まだ椅子が足りてないじゃない。サッサと用意しなさいよ」
「ご、ごめん」
 条件反射的に口を吐《つ》いて出てしまったのは謝罪だった。
「すいオチンませんチーン」
「へいへい」
 残りの二人も同様。左右一は適当に謝っているが、修慈は案外ガチっぽい。
 この居丈高な津出玲《ツイデアキラ》は紅一点で、どうにも僕達は逆らえない雰囲気になっていた。悪癖とかそんな感じ。
 理不尽な命令と、逆らえない自分。
 パブロフの犬は何時だって、内と外の圧力に苛まれている。
 幼馴染ではあるが故にコツコツと積み上げられてきたこの力関係は、一生覆せないかのように思えて仕方がない。
 小さな頃はそれ程でも無かったのに、最近は特に顕著だ。堂に入って命令を下す仕草も、拍車をかけていた。別に弱みを握られている訳でもないのだが、彼女に嫌われたく無いという心理が僕にそうさせているのだろうか。
 ……そうだ。僕は彼女に惚れていた。
 子供の頃には異性として意識していなかったが、いつからか彼女の機微が気になった。僕の事をどう思っているのだろうか、と。
 敢えて言うならそれに関してもう一つ気になる事がある。
 左右一と修慈についてだ。
 彼らは玲の事をどう思っているのだろう。いつもこの四人で昼食を採り、昼休みを雑談で過ごしている。選択授業を決める時や委員会の選択も、クラスの違う僕らは四人で相談をして決めた。
 こんなに親しくしていて、毎日顔を合わせていれば好意を抱かないとも限らないだろう。そうでなくても玲は魅力的なのだ。もしかしたらもう、明確な好意を持っているのかもしれない。
 だがそれでも、僕らが親友であるということにはなんの瑕疵《かし》も与えられない。
 そう頑なに、バカみたいに信じている。
 こんな風に中学からの友人ばかりでつるんでいるから、高校に入ってからの交友関係が拓けないのではないかと、最近少し不安にもなったりしているが、彼らにも内緒だ。
「さーて? 今日の弁当はナニかなーっと」
「おんや、弁当箱が二つ? なんだか豪勢だね」
 修慈の解いた風呂敷の中には、大振りで同型の弁当箱が二つも入っていた。
「なんか気になるわね……早く開けてみなさいよ」
 僕を含む三人の顔を修慈が中性的な面《おもて》でねめつけ、
「そう慌てんなって。2箱同時に行くぜ!」
 との言と同時、修爾は一気呵成に弁当箱を解き放った!
 カパリコっと空気に触れた弁当箱の中身が舞う。
 比喩ではなく実際に、空気中へキラキラと舞ったのだ。
「粉……よね? 見るからに」
「粉は二箱とも同じ色だ」
「修慈、舐めてみろよ」
 ゴクリ……と喉を上下させ、本性を現した少年探偵のような表情で、おもむろに人差し指を粉へ突っ込む修慈。
「ペロッ……これは……ねるねるねるね!」
「テーレッテレー」
「テーレッテレー」
「テーレッテレー」
「……」
 中に敷き詰められていたのはねるねるねるねの原料でした。本当にありがとうございます。
「こんなの……ありかよ……」
「2箱に分けている辺りに、仕掛け人の芸の細かさを感じるわね」
 半ば屍となった修慈をほっぽって、僕らは思い思いの昼食に向かうことにした。僕は毎度のように一番に弁当を平らげ、紙パックのジュースをチビチビとやる。
 登校中にコンビニで調達した物なので、当然結露の痕跡も無く、内容液も外気とガッチリ平均化されていた。最近少し暑くなってきたし、水筒か凍らせたお茶でも持ってこようか。
「そう言えばさ、面白い話を小耳に挟んだよ」
 唐突に左右一が話題を振った。
「んむ……どんな?」
 玲が咀嚼物を嚥下し終えてから、口元に手を当てて左右一へと続きを促した。
「うん。昔学校の怪談って流行ったじゃん? この学校にもそれがあるみたいなんだ。寛道の八怪談って呼ばれてるらしいよ」
 完全に飲み下しこそしなかったが、左右一もやはり口元に手を添えて話す。
「なんか懐かしいわね、学校の怪談なんて。小学生以来じゃない? ちょっとワクワクしてきたかも」
 僕に目を向けた玲に、目で肯定を示す。
「んー。でもそれが妙なんだよね」
「怪談てのは元々妙な物だろ?」
 ねるねるねるねで蕎麦を打っていた修慈が、その手を休めて話に混じる。それにしてもこの男、ねるねるねるねを前にノリノリである。
 ……今のちょっと韻踏んでたな。
「それがどんな風に妙なのか、そこが話の肝なんだろ?」
 左右一へ視線を向けた。
 頷きが返ってきて、左右一が口に力を込めたのがわかる。ほんの少しだけ。
「流石、出継。身も蓋も無いシュウちゃんの指摘と色の変わる蕎麦は置いといて、聞いて貰おうかな? その方が解り易い」
「そうね。じゃあ久栖君、はりきってどうぞ」
 玲のフリを受けた左右一が口元だけを緩め、言葉を吐き出した。
「うん。こんな内容なんだ。
『闇に行軍 洞には凱歌』
『覚者を導く茨の円環』
『花は孤高の騎士を乞う』
『深夜を響く亡霊の剣戟』
『消えゆかん感情』
『消えゆかん感覚』
『十の微笑を得し者へは祝福を与えん』
『目醒めを待つは大輪の王』
 この八つだよ」
「え、これだけ? 聞きそびれたりとかじゃなく?」
「そう。確かに八つ話はあるけど、本当にこれだけで完結された噂なんだ。続きは一切無いみたいだよ。……おかしく無いかい?」
「確かに妙だ……なんというか……そう、具体性に欠けてるって言うのかな」
 普通の怪談というのは、『夜中の3時に校庭を走る二ノ宮金次郎像』だとか、『無人の音楽室で奏でられる血濡れのピアノ』等という、具体的極まりない話が多い。それに比べ、この八つはどうしたことだろう? リアルさの欠片も感じ取れない程に、怪談には付き物の目撃者というファクターが不在だった。
 怪談は真贋にその別無く、目撃者が居たという前提から始まる。何故ならば目撃者が居なければまず怪談が生まれず、また成立もしないからだ。作り話を広めるにしても、「友達の友達が見たっていう話なんだけど……」と鯉口を切る筈だろう。
 『亡霊の云々』と『消えゆかん』から始まる2題を合わせた3つに関しては、目撃者の存在が一見あるように思えるが、視点と怪談からの距離があまりに遠すぎる。怪談の本懐は恐怖心を煽る事であって、必ずしも事実を伝える必要はない。
 そして口伝に従い変化を遂げるのもまた、怪談の本質でなのある。
 この点が最も、この怪談の妙なところに思えた。
 『亡霊の剣戟』以外は、時間帯の設定もない。
 一度流布した怪談ならば、頒布に伴い様々な変化が生まれそうなものだが、全くそう言った印象を得られない。
 『消えゆかん』の2題に関しては、それに基づく根拠がある事を知っている。この学校がそういう性質を持つことを聞いている。だがしかし、事実でありながらもっともらしい説明じみた前述や後述を与えられていないのはどういう理由があるのだろうか?
 そう考えれば、これらの怪談と称される八つの短文が、如何に異質かが解るというものだ。学校という若者が集まる場所に在って尚、視点が遠くにあり続けるのは不自然ではないか。
 若い人間というのは、概して注目を浴びたがる傾向が強い。怪談のような流言に飛びつくような人間ならば、その傾向はより顕著であろう。ならば、脚色や尾鰭の付随は不可避だ。
 何時からこの噂が流れていたのかは知る由もないが、伝わり、伝える過程で弁者の想像が語られる事もあっただろう。
 そして何時しかその想像の産物が、正統であるかのように変容する事も、無くてはならない怪談の面白味の一つではないのだろうか?
 何処か超然としていて、神の視点から語られているような印象。〝上っ面の核心〟という表現すらできそうな、芒洋とした内容。僕個人の感想で言わせて貰うならば、この怪談は在ってはならない、生まれたばかりのような怪談だった。
 勿論。
 この怪談が左右一の創作であった場合のみ、存在を許容されるのだが……。
 僕はここまでの推論をざっと左右一に話し、彼の表情の変化を待った。
「うん。中々いい推察だと思うよ。でもね、いくつかの大前提を忘れているよ。ものすごく致命的な事をね」
 誉められた事は素直に嬉しかった。しかし僕の見逃している大前提とはなんだろう? しかも複数あると言うのか?
「やっぱり左右一の作り話だった? 真剣に考えて損したっつーの」
「そんな訳無いでしょ。それだったら『いくつか』なんて言わないよ。一つで足りるんだから」
「そりゃあそうか……」
 先程自身で作り上げた理論を逆順に瓦解させながら、原題に立ち返ろうとしていた最中、左右一のタイムアップ宣告が下された。
「ダメだ~。二人は解ったか?」
「……」
「……」
「玲? 修慈?」
 二人は凍りついたまま動かず、返事がない。一時停止をかけられたビデオのように、僕らとは別の時間を過ごしているような隔絶感があった。
「どうした? おい?」
 修慈と玲に再度の呼びかけを試みるが、やはり反応は返ってこない。修慈の目の前でヒラヒラと手を振ってみるが……やはり同様だ。
「まさかこれが『消えゆかん感覚』ってやつなのか?」
「……手の込んだ意地悪? 確かめてみよう……どうにも気持ちが、悪いね」
 そう言って左右一は修慈の前にしゃがみ込み、何をするでもなくその顔を覗き込んだ。
「え、何?」
「確かめてるのさ」
「座って見てるだけじゃ?」
「知っているかい? 人間の筋肉には意志の力で動かせる筋肉と、意志の力では制御できない筋肉があるんだ」
「不随意筋とか言う筋肉だっけか。心筋や内臓筋だ」
「うん。それを確かめるのもいいんだけどね。一番手っ取り早いし害がないのが眼球運動なんだ。今はそれを見てる」
 雰囲気で僕の不理解を察した左右一が、解り易いように説明を加える。
「どんな訓練を受けようと、人間は一分以上眼球を動かさずにはいられないんだ……六十。だめだね。眼球は動かない」
「動かないと、どうなる?」
 左右一は修慈の襟元に手を当てた。恐らく脈を診ているのだろう。
「意識がないのか、意志がないのかは解らないけど、正常な人間の反応じゃないのは間違いないよ……一応の生命活動はしているみたいだ」
「どうなっちまってんだ……。やっぱり怪談の内容が現れてるんじゃないか?」
「どうかな。怪談の中に『消えゆかん感情』、『消えゆかん感覚』って別々に設けられている点がネックだね。一瞥する限り、二人の症状はどちらとも言えないから……違うと思うな」
 不可思議を抱き、教室を見回した。そこで目にした光景は、困惑を明確な恐怖へと昇華させるに足りた。
「きょ、教室のみんなも固まっちまってる!」
 隔絶されているのは玲達じゃない!?
 僕達の方なのか!?
 反射的に自分の腕時計を覗くと、その秒針は平生通りに働いていた。時間が止まっている訳じゃない。
 ……いや、時間が止まるという発想がもう既にどうかしているが、とにかく頭がどうにかなってしまいそうだった。
「なんだか空気が悪いね。……今日はここで話を留めておこう」
 左右一はこの怪談に関する論議が、この異常を引き起こしていると考えたようだった。
 僕も同意見だ。
 怪談という名の不可思議な八つの短文が〝本物〟かもしれないと、僕らは認めざるを得なくなってしまっていた。
「そう、かも。この話は僕ら二人だけでした方がいい」
「ナニが二人だけの話なの?」
「!」
 心臓が止まるかと思った。
「俺達には話せないことでもあんのか?」
「……あ、玲。修慈」
 このまま世界が止まったまま動かないのではと、悪い予感がその鎌首を擡げた瞬間だった。酷く懐かしいような気分で、僕は親友の言葉を聞いた。
 少し速くなった脈動が、世界が再び動き出した今も首筋を強く叩いている。


     




『……もしもし? やぁ、そろそろかかって来る頃だと思っていたよ』
「長電話になるかも知れない。大丈夫かな?」
『問題ないよ。ドラマの予約も済ませたし、もう雑務は歯磨きだけさ』
 僕は宿題と晩御飯を済ませた後、自室に固定電話の子機を持ち込んで左右一《そういち》の家電にかけていた。時刻は八時半を回ったところだ。彼のように望んでドラマを視聴していないし、何より僕の興味は今ただ一つに向けられていた。
 正直ドラマどころではない。
『昼休みの件だね?』
「話が早い。何処まで話が進んでいたか覚えてる?」
『確か、出継《いでつぐ》の見解を聞いたところでおかしな事になっちゃったんだよね』
「うん。アレは本当に頭がおかしくなりそうだった」
『そうだね。今思い出しても物凄く不思議な現象だったよ。時間が止まっているようにしか思えなかった』
「でもあの場では、時計は確かに動いていたんだ」
 ベッドに五体倒地し、時計に目を遣った。昼休みに見た腕時計ではなく、枕元に据えてある目覚まし時計だ。
『本当かい? あの場面で時計を見ていたとは、流石だね。一体何時から他の皆は動きを止めていたんだろう?』
 何時から、か。大いに疑問の残るところだ。
「寛道の八怪談、と言った時にはまだ、みんなが反応を返していたように思うが……」
『そうだね。そして周囲が動きだしたのは、僕達があの話題から直接的な言及を避け、一旦の終局を迎えた時。もしくはそう心を決めた瞬間かな?』
 状況を客観的に見て、言動の持つ意味を振り返ればそうなるだろう。
「うん。忘れもしない。僕が左右一の提言を受けて、返答した直後に『何が二人だけの話なの?』って玲《あきら》に聞かれたんだ」
『そうだね、あれは驚いたよ。何しろ僕のステキ妄想群が、一瞬で散っていったんだもの』
「ステキ妄想群?」
『人類の始祖はアダムが二人でもいいんじゃないかって、ね』
「ねーよww」
『そうか……そうだね。子供が作れないから始祖にはなれないね』
「僕の突っ込みはもっと広範囲に及んでる!! 鶏姦から離れろ!!」
『残念だ。しかし鶏姦とは……将来が楽しみだよ』
「は、話を戻すぞ。時が止まったのは一体どの時点なんだか、それが知りたい」
『そうだね。急いては事を仕損じるとも言うし、話を戻そうか』
「人生諦めが肝心、って方を思い出して欲しかったぜ。で、左右一はどう思ってる?」
『そうだなぁ……八怪談の中身に話が及んだ時点と考えるのが妥当じゃないかな?』
 やはりそう考えるべきか。
「でも、そんなことって在り得るのか? 口にした途端に人が動きを止めてしまうなんて、考えられない」
『違うよ、出継。『口にした途端』じゃなく、『耳にした途端』だと思うよ』
「細かい違いじゃないのか?」
『いや。ニュアンスだけの問題じゃ無いんだ。僕達に特別な力があるなんて事はありえないし、動きが止まったのは、僕達以外の話を聞いた人なんだ』
「そりゃまぁ……そうか」
『話を聞いた人間が金縛りに遭う。勿論これは異常なんだけど、それを棚上げしてももっとおかしな事があると思わないかい?』
「これ以上におかしな事か」
『そう。話した僕が金縛りに遭うのが自然じゃないかな?』
「うー? よく解らないけど……」
『これは完全な想像だと前置きしておくけど……この怪談には色んな意図が隠されていると思う』
「意図?」
『周囲の動きを止めさせたのが何者かは解らないけど、僕らは金縛りに遭わなかった。話の拡散を防ごうとしているのならば、吹聴者である僕が動きを止められるのが自然なんじゃないかな。
 でも事実は逆なんだ。話した僕ではなく、聞いた中で君以外が硬直してしまった。しかも僕らの言葉が耳に当たった程度で、話の内容を理解していたとは思えないような教室の隅っこの人たちまでだよ。これが意味するのは恐らく……』
「……え、選んでるって言うんじゃないだろうな?」
 怪談を聴くに価する人間を、何者かが選別しているとでも言うのだろうか?
『恐らくね……あれ? 僕が思う八怪談のおかしな所と、出継の推察から抜けている大前提って話したっけ?』
「いや、聞いてないよ」
『そうかゴメンよ。道理で聡明な君にしては、結論までの説明が多いなと思ってた』
「あの八怪談を評するにはどうしても足りていない大前提って奴がそんなに重要なのか?」
『すごくね。あの時出継は簡単にまとめると、寛道の八怪談に3つの批評を下していたんだけど、覚えている?』
「っとね……『具体性の無さ』と、『目撃者の気配がしない事』、それと『怪談が原典以来の肥大化をしていない』と考えられるって3つだったかな?」
『よかった。それなら話は早いよ。僕が思う不可解な点の一つ目はね、まずタイトルなんだ。八怪談が持つ形態的な無秩序さは、区分で言えば怪談よりも都市伝説であると言うべきだと思う。しかし僕が聞いた時点ではまだ、怪談という表題が与えられていた事なんだ。このアンバランスさにまず、僕は眼を留めたんだよ』
 左右一は僕よりも、八怪談を大きく掴もうとしているようだ。
 触れる前に臭いを嗅ぐ犬のように、彼の警戒心と好奇心の強さが、その思考方法にも表れていた。
「でもそれは単に、符丁や慣用語句、もっと言えば固有名詞化が進んで改編がされ難くなってしまっただけなんじゃないか?」
『それも大いに考えられるよ。しかし寛道高校に入学して、思わなかったかい? クラスメイト達が優等生でエリート面した、妙に鼻持なら無い連中だって』
 そうだ。正直思ったし、今でも思っている。
 どこか冷めた眼。対面者の能力を値踏みするような眼差し。エリート特有の他人との接し方が、相手の知能、詰まる所成績を探るような言動と相俟って、皆が皆同じ顔をしているように見えた。
 それが酷く、気味悪く映った。
『あんな連中がこの噂話を叩かない筈がない。僕はそう思う。
 しかし今もってそのタイトルは八怪談のまま。もっと言えば、この噂話は一瞬の内に立ち消えになっているべきなんだ。この不審点は君の言った、八怪談が『成長』、『肥大』、『傍流が存在しない点』とも関わって来ないかい?』
 どうだろう? 理由としては弱い気がする……。
「うーん。確かにそうだけど、それだけで片付けられるとは思えないが……」
『勿論それだけじゃないさ。昼休みの怪現象がこの論点の持つ意味を強烈に裏付けるんだ』
 いいかい? と前置きし、左右一は含ませるようにゆっくりと話し出した。
『まずこの話を論じるという最初のステップに立てるのは、怪談の内容を聞いて金縛りに遭わなかった者に限定されるよ。今日昼休みの教室には、大体30人弱くらいの生徒がいたけど、僕達2人だけが難を逃れている。乱暴だけど、そこから弾き出される確率”15分の1”を学校の総生徒数から換算すると、約36人が第一ステップに立てる計算なんだ。
 更にその人数が友人の枠やクラスで細分化され交流が分断されるならば、金縛りに遭わない人間は極々少人数の間でしか、ネットワークないし交流を確立出来ないんじゃないかな?』
「なる、ほど! そう言うことなら、また話が変わってくる!」
 力を込めて握り込んだ電話が、プラスチック特有の軋みをあげた。
『うん。例えば僕達が明日から、八怪談の符丁を『くそみそ』に設定し、それが遂行されたならば、八怪談にはすぐにでも別の呼称が与えられてしまうんだ。しかし未だそれが為されていない。どう考えてもおかしいだろう? 改編なんてとってもとっても、本当にとっても簡単なんだよ』
 若干ヒートアップしかけていた左右一の口調が、水を掛けたように深呼吸で萎んでいった。僕と同じように彼も興奮しているのかもしれない。
『同じようにこの怪談が消えてしまわない事だって、同じように異常だしね。極少人数の中で話題が存在し続けるには、ずっとその俎上に乗り続ける必要がある。その為には絶えず新味が必要なはずだよ。
 何故ならば論じる者達は皆、思い出話として過去の共有を再燃させているわけではないからね。怪談という形態上、すべからく外から伝えられ〝識って〟いるだけのお話だからなんだ。 そうなれば新味とは『改編』、『肥大』、『傍流の派生』と同義と言って過言では無いだろう?』
 具体的な例は浮かばないが、そういう事もあるだろう。
「加えて言えば、誰かに話したくなるような内容でもないし、って所か。教室にいた奴らが固まらなければ、今もこうして話してないかもね」
 少し笑いを含ませて言ってみたが、返ってきたのは意外にも、
『その話はまた後で出てくるから、もうちょっと待ってね』
 という言葉だった。
『さてそれはそうとして、仮に創作によって新たにスパイスが加え続けられたとしても、いつかは頭打ちになる時が来るはずさ。どうしたって少人数の間に留まっていたのでは消えてしまう筈だし。なのに、未だ存在し続けている。かと言って、伝播されている訳では無いのは、シンプルな原典のみが流布している現状を見れば明白だしね』
 あるあるネタがウケるジャンルの一つとして昔から存在し続けているのは、多くの聴衆からシンパシーを得られる共通認識があるからだ。生活の中の〝古典〟と言い換えてもいい。
 そして過去に成功したお笑いのあるあるネタには、共通認識をネタに昇華させる新たな視点が必ず存在しているのもポイントだ。
 話を聞き、それを更に他の人に話したくなるような〝ネタ〟に作り込むには、事実に〝何か〟が加えられていることが往々にしてある。
 それらは構成力であったり、順序の入れ替えであったり、或いは無駄な因子の排除であったり、俗に漠然と〝話術〟と呼ばれるものであったりする。
 伝播に従って、話し手の話術力によって劣化もすれば磨がれもし、無駄話に失墜もするだろう。
 ――深い。
 僕は自分で言い出したにも関わらず、この八怪談が持つ底知れぬ異常さに改めて恐れを感じた。前腕だけだった粟立ちが、今では首筋までをもチリチリさせている。
 考えれば考えるほど見えなくなるその様はまるで、握ろうとすればする程拡散する煙のようだ。
「……な、何故こんな事が起こりえるんだ……」
 僕の口から、自然と疑問が零れていた。あまりに大きな謎の前に、僕の精神は自失状態に陥ってしまったのだろう。
 しかし、親友の口から得られた言葉が、更に僕の戦慄を煽った。
『理由と言うか、原因は二つしか考えられないね』
「mjd!? お、教えて欲しくぁwせdrftgyふじ」
『だが断る』
「ちょwwwwwおまwww」
『まぁ落ち着いてよ。今までの話はまだ、僕が見受けた一つ目の不審点なんだよ?』
 そうだ。確かに『一つ目は』、と言っていたような気がする。
「こんなとんでもないのが、一体あと、いくつあるんだよ?」
『2つだね。でも安心してよ。残りはもっとライトさ』
 2つ……か。彼の言うライトとは、どういう捉え方でのライトなんだろうか?
 不審点や謎、そしてそこから導き出される答えについて話すのだ。ならば謎と事象と答えという、三幅対の因果関係の比重についてがライトなのだろう。
 とすればパッと思い浮かぶのは3つ。
 その中で最も望ましいのは、答えが簡単に出ると言う意味でのライト。改めてもうこれ以上考える余地が無いならば、すっきりしていて歓迎できる。
 次に望ましいのは、答えは出ていないが、それは謎の大きさに根ざしているのでなく、紐解く為の情報量が足りていないケースだ。
 答えが出てない分だけ気にはなる。しかし、探究心と到達点を切り離している切断面は思い切りが良く、鮮やかだ。その分諦め易くもあるだろうな。
 最後に考えられ、出来れば遠慮したいのが、理屈じゃない場合だ。単純に印象や心象だけで謎と答えを断じているならば、左右一にとってはライトだろう。しかし問題は、彼の感性が僕の感性と合致しない場合に起こる。
 口頭で迎合するのは簡単だが、適当に話を合わせてるのは親友を欺くようで気分が悪い。
 さて、どれに分類されるのやら……
『出継?』
「あ、ごめん。ちょっと心構えをしてた」
 スピーカー越しに、さも可笑しそうな声が聞こえてきた。
『かわいいね。あんまりビビらせるのもナンだから、ざっといこうか。
 一つは、『無理にカテゴライズすれば、都市伝説という語り手の技量に囚われず、ある種では物語性をも必要としないお手軽で雑談向きなこの話が、ウチの高校の外では流布していない』こと。
 もう一つは、『恐怖感が軸に無く、どこかファンタジックな語句選びは、聴いた者を誘っているのが目的であるような雰囲気すら見せる』こと。この二つだよ』
 後の方は、さっき僕が冗談を交えて言ったファクターが喰らい付いていた。
 しかし順序を守り、そちらは後回しにすることにする。
「前者だけど……単に僕らが聞いたこと無いだけかもよ」
『でも、僕達は中学時代に聞いたことがあるよね? 八怪談なんかより、もっと現実的で具体的で、酷い寛道高校の裏側』
 ある。
 あった。
 僕が寛道を受験するにあたり、担任からは勧められた。だが両親からは諸手を上げての賛成とはいかなかった、その要因になった話だ。
 『消えゆかん~』の2題を聞いたときにも思い出した、〝暗鬱な未来への思い出〟がハートの温度を、ざわ、と下げた。
 538。
 今年度の総生徒数。
 22。
 過去五年間の生徒の年間平均死者数。
 すべてが自殺だった。
 寛道高校は県内でも最高峰の偏差値を誇る名校で、しかも他校の追随を許す事無くその名誉を保持し続けている。
 文武両道。自由な校風。高水準な教師達による授業。高名な教育分野の学者が提供する、革新的な授業形態。そして、私立としてはやや良心的な学費。それらの謳い文句は事実だ。
 87%
 有名大学への進学率。驚異的な数字だと思う。
 98%
 校内無記名アンケートで弾き出された、大変勉強にストレスを感じる、との回答率だ。
 中学三年の時、左右一が僕に見せたのはこんなデータだった。
 名校ではあるが内情を照らせばとんでもない学校だと、知る人は口を揃えて言うそうだ。
 アンケートでも明白なように、酷いのはイジメでは無い。学年を負う毎に他人に干渉する暇等無くなる程、学校から生徒への要求が苛烈を極めるのだ。
 登校すれば授業前課題と冠したプリントが机の前に山を成し、日々の授業からの宿題は当然として、下校時には閃きを重視する有名幼稚園や有名小学校、有名中学校の過去入試問題が束で配布される。
 不思議と不登校になったり中退する生徒がいないのは、耐えられなくなった生徒は皆、自殺の形でドロップアウトを敢行するのだという。今まで学力で他人とは一線を画してきたという自負が、ライバル達を前に逃げるという選択肢を不可視にしてしまうのだろうと左右一は言った。
 その話を最初聞いたとき、僕はそんなバカな話があるものかと思ったが、そのデータや考察は冷たく硬い〝本物〟だった。
『ごめん、嫌な事を思い出させちゃったかな? 辛いのは三年になってからの話だよ。まだ二年あるさ』
「まぁ、大丈夫だ。心配もしてない。僕らが支え合っている限り、三年になってどんな事があっても乗り越えられるって信じる。それより続き続き!」
『おっとごめん。まぁ色んな裏側が、限られた人脈にではあるけど広まってるよね? それでも八怪談を耳にしなかったのは不思議じゃないかい? 『消えゆかん』から始まる二つなんかは、生徒の自殺ととても相性がいいと思うんだけど、聞いた覚えが無いんだよね。僕が情報収集した中には、寛道の卒業生なんかも含まれていたのに……彼らは八怪談に全く触れなかった。思い出してみても、話を聞いている最中、八怪談に触れてもいいような流れになったりしたんだけどなぁ』
「確かに変かもな」
『些細な事と言うには不思議でしょ? 過去には八怪談が無かったとしても、今は怪談もあるし、依然として自殺者も存在する。
 尾鰭が付かない事や、自殺した生徒の実名が出ないのは考えられないんだよ。ひょっとしたらこれも、金縛りと同じような強制力が働いていると考えるのが妥当だろうね。イマイチ情報が足りないし、何より僕の興味が沸かないから次の不審点に移るよ?』
「おkおk。確か、恐怖心が軸に無いってやつだ?」
『そうそう、さっき出継が言ったときにドキッとしたけど、正直そのまま。
 王とか騎士、祝福であったりなんて、まさにそんな感じじゃないか。僕は昼休みに話した抜けている大前提がいくつかあるって言ったけど、今までの話の中で大体消化できてるものが殆んど。
 それで、これが最後の一つなんだ』
 大前提。
 推理のもととなる仮定の判断。既知の命題。
「確かに……そうだ! 僕はこの話の形態の不自然さにばかり目がいっていて、その中身を見ようとはしなかった!」
 言われて見れば本当に妙だ。怪談とは名ばかりで、その内容が恐怖に彩られた原因を持つ話なのかすら解らない散文詩調。これでは怪談という体裁が立っていないだけでなく、怪談の本質的な意図に反することばかりが詰め込まれている気さえしてきた。
 ……いや待て。待て待て!
「左右一の言っていた、題名と内容の不釣合いの指す意味がやっと……骨の髄まで、解った」
『ありがとう』
「そして、あの話題は布石でもあったんだろ!? 怪談という似つかわしくないタイトルを与えられているのは、都市伝説でも無いようなファンタジックな語句が選ばれている、その内容が導くの先にある物への!!」
『……』
「……」
 しばしの静寂。後の――
『完璧! いやいや本当に良い感じに辿ってくれたよ。……さて、その点と今までの不審点3つを総括すれば、一つ目の謎を解く原因が解るんじゃないかな?』
 歓喜と、更なる思考の要求だった。
「え? あれ? 3つは繋がってんの?」
『そうだよ。不審点が沢山あるのは、物事を多元的に見た結果であって、考察対象である謎は一つしかないんだもの。最後は繋がるさ」
 電話から聞こえる口調は、謎を明かす直前の名探偵を連想させた。
 さしずめ僕はボケた助手といった風情だろう。
「そして1つ目の不審点で考えられる原因二項は、正解であった場合には他の二つの不審点をも片付けてしまえるんだ』
「……マジでか」
『マジマジ。昼休みのような異常だって起きるような謎なんだ。今の僕らには常識は邪魔にしかならないよ。考えてるだけなら誰も文句は言わないし、早々に想像の翼を大きくはためかせる事をオヌヌメするよん』
「そこまで言うってことはつまり、答えは自分で考えろってことだな……」
『イエス。タイムアップは明日の放課後にしようかな。あと、出継の挙げた不審点だけどね』
「うん?」
『具体性の欠如っていうのは、さっき気付いた『題名のアンバランスさの指す意味』から繋げて考えれば、その意図は解る筈だよ。
 『目撃者の臭いがしない』って言った時に『何処か超然としていて、謎の視点から語られているような印象』とも言ったよね?
 それと原典のまま変容を見せていないと思われる八怪談が流布しているという点を交えれば、きっと簡単に答えは出るよ。……というか、殆んど答えだね、これ』
 そう言ってフフッと悪戯っぽく笑うが、左右一は急に真剣な口調に居直った。
『……それと最後に一つ』
「お?」
『僕は怪談に挑むことにしたよ』
「それはどういう――」
 訊ね切るよりも先に電話は切れていた。

 耳元の間の抜けた等間隔が
 呆然に縛られた僕を
 解けぬ謎で
 嘲笑う

       

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Neetsha