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変態×GL/私を溶かして/NAECO


 中学生のころの、理科の実験。それがきっかけだったことは、はっきりと覚えている。
 ビーカーに塩酸を注いで、亜鉛のかけらを落とす。すると、銀白色の金属片は泡を出して溶けてしまう。ごくごく簡単な実験でしかなかったが、その光景は私の胸を打つのには十分すぎるほど強烈だった。
 ……塩酸。そう、塩酸だ。金属を放り込めば溶けてしまう、強い酸。
 その現象は中学生だった私にとって、とても不思議で、興味深くて、何よりも――……淫靡、だった。思春期特有の未熟な性知識しか持たない私が、なんと塩酸にエロティシズムを感じずにはいられなかったのだ。
 ――私も溶けてみたい。形を失って液体になってみたい。
 そんな願望がふつふつと、実験で見た水素の気泡のように湧き出てきて、どうしようもなく淫らな気分だった。

 その日から、私は液体を性的な対象として見るようになった。見境などない。液体であることだけが唯一の条件だった。
 蜂蜜のように粘り気があればよりいやらしく感じるというわけでもない。例えば化粧水なんて、肌につけることを想像するだけでもいやらしい。
 食用、飲用のものだと、レモン汁なんかは最高にエッチだと思う。舐めたらあんなに酸っぱい。考えるだけでもたまらない。炭酸飲料を考え出した人は、稀代のエロティック思考回路の持ち主だったのではないかとさえ疑う。気泡が次々と口の中で弾けるなんて、淫らにもほどがある。
 もちろん、飲めないものでもいい。
 雨水、泥水、温泉、消毒液、液体洗剤、血液、アルコール――。
 澄んでいても濁っていても、熱くても冷たくても、酸性でもアルカリ性でも、ドロドロでもサラサラでも。とにかく液体ならなんでもよかった。
 それぞれが特有の淫靡さを持っていて、どれもが等しく私に興奮をもたらす。
 言うまでもなく、こんな性癖が特殊すぎるのは自覚していたから、恋人ができても黙ったままでいた。
 
 ついこの間、彼に初めて、帰りに家に寄らないか、と言われた。両親は不在らしかった。
 彼のことは嫌いではなかった。むしろ、純粋に愛しく思っていた。とにかく私に優しかったし、外見も良かったし、話も合った。学生同士の付き合いとしては、これ以上を望めないほどのいい相手だったと思う。
 そんな彼からの誘い。何も知らない子どもでもない限り、これが「そういう誘い」であることは誰でもわかる。
 私がいくら倒錯的な性癖の持ち主だとしても、そういうことは本来、男女の間で営むものだなんてことはわかっているつもりだし、興味だってある。
 そういうわけで、私は迷うことなく頷いた。

 初めてあがった彼の部屋で、私たちは他愛もない話を続けた。わかりきっているのに互いの腹積もりをうかがう、滑稽な時間。
 そんな目的のために始めたどうでもいい話なんて、すぐに途切れるに決まっている。
 決まっているが、途切れてからは早かった。
「しずく」
 座ったまま、後ろからお腹ごと抱え込まれる。私の名前を呼ぶ優しい声は、耳に触れそうなほど近いところで聞こえた。普通なら、抑えきれないほどの多幸感が溢れてくる、そんな場面だと思う。
 だけど、私が抱いたのは耐えがたいほどの違和感だった。
 ――彼の腕が、そして肌が、硬い。男の人の肌は、こんなにも硬いものなのか。
「あ、あの、私――」
 彼は私が「いい」と言うまで服に手をかけることさえしなかった。あまりに裏切りにくい優しさを、私の感覚は拒もうとする。
「……怖い?」
 焦れている様子もない。とにかく脱がそう、なんて彼は考えもしない。ただただ、優しい。無慈悲なほどに優しい。
 それでも、その肌はあまりに硬すぎた。
「ごめんなさい!」
 彼の腕を振りほどくようにして、私は部屋を飛び出した。
 そして、直感した。
 ――あの肌には……違う、男の人の肌には私は溶けられない。
 彼自身には何の不満もなかった。ただ、肌が――男性の肌が――溶けて混ざりあうには硬すぎただけだ。
 「肌を重ねる」。そんな風にさえ表現されるセックスという行為。溶けあえない肌に抱かれるなんて、とうてい考えられないことだった。



「――だから、私と?」
「……うん」
 ベッドの上で洗いざらい話した。白くて、柔らかい肌。混ざりあって、ドロドロになれるような相手。
 彼女は、私を軽蔑したりなんかしなかった。
「嬉しいよ」
 話を続けながらも、彼女の細い指は私の身体のいたるところで、遊ぶように跳ねまわる。まるで、鳥の羽根で撫でられているようだった。
「んっ……」
 くすぐったくて、息が漏れる。
「液体、かあ」
 彼女は楽しげに言い、悪戯っぽく笑った。そして、おもむろに傍らのペットボトルをつかみ、中身のミルクティーを口に含む。
「んふふー」
 私はこれから何をされるのか想像して、胸を高鳴らせた。
 口を閉じたまま笑い声を漏らし、私の唇を奪う。
 柔らかい唇が重なり、甘い紅茶が私の口内を喉まで犯した。
 甘くて、茶葉の香りがして――……ミルクティーは、最高に淫らだった。
 こくこくと私の喉が動き、淡いブラウンの液体が胃へと流れていく。この紅茶はやがて身体に吸収される。私は紅茶に、紅茶は私になるのだ。
 ――意識した途端、身体が燃えるように熱くなった。
 ああ、滲みる。浸透していく。
 合わさった二人の唇の端から、こぼれたミルクティーが雫となって流れ落ち、私の頬に跡を残す。
 私の身体が、ぬかるんでいく。
 お腹の奥、次に股の間から始まって、ゆっくりと、太もも…………味わうように、お尻――焦らしながら、腰……とろけるようにふくらはぎ、やがて背中、さらには肩、そして腕、足、手、指先、首筋から脳天まで。ぜんぶ。ぜんぶがぬかるんでいく。
 そして、彼女も一緒に溶けていく。絡みあった甘い舌先から順に、一緒になっていく。

 ――私が液体となって溶け込めるのは、柔らかな女の子の肌と重なりあえたときだけだ。
 わかってくれる人なんて、いないと思っていた。
 だから、私のことをわかってくれるこの柔らかい肌と、どこまでも、どこまでも。
 混じり気なく、澄んでサラサラになってしまうまで溶けあってしまいたいと思う。
 
 
 
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 お題が「変態×GL」だったので、ちょっぴりエッチにしてみました(むしろ、せざるを得なかった)。
 液体性愛という変態性欲の投影として、男性と肌を重ねられなくなったヒロインは、GLに解決策を求めた、という感じのお話でした。
 お楽しみいただけたのであれば嬉しいです。

 現在連載を持っておりませんため、僭越ながら完結作の宣伝をさせていただきます。
「永遠の如月」(長編・全59話・完結)http://neetsha.com/inside/main.php?id=4633
 とても長いので暇で暇でどうしようもなくなったときにでもお読みいただけると幸いです。
 また、文芸新都の短編企画のうち「珠玉のショートショート七選(と玉石混交のショートショート集)」「一枚絵文章化企画」にも、それぞれ「ノートの中の彼女」「姉弟ゲーム」、「ウソツキ・タロット」で参加させていただいております(企画物につきアドレスは割愛)。
 興味があればご一読下さると嬉しいです。

 「私を溶かして」をお読みいただき、ありがとうございました。

       

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