低い姿勢から力強く踏み込む。切っ先に意識を集中させ仮想の敵に放つ。精神を、意識を、心を精錬し、収束させて刃に乗せる。風を切る音と共に短剣の刃が輝く。
それを何度も繰り返す。素振りは型の確認をする意味もあるが、ジーノが今やっているこれは精神集中の訓練の意味合いが大きい。
一通りのノルマをこなし、ジーノが短剣をしまうと横から声をかけられた。
「お疲れ様です。ジーノ様」
屈託無い笑顔を向けられてジーノは固まる。集中するあまり周囲への警戒が疎かになってしまったことも悔やまれるが、聖唱女であるリーンガーベルに様付けで呼ばれている状態に、ジーノは冷や汗をかいた。幸い周囲に人影はないようだが、こんなところを誰かに見られたらたまったものではない。
「ベル様。自分のことはジーノと呼び捨てていただいて結構です」
「あら、では私もベルで構いませんよ?」
そんな風に先ほどと全く変わらない笑顔で返されて、ジーノは心の中で大きくため息をついた。
エヴァにリーンガーベルと共に行動するように言われてから約2週間、元々友人がほとんどいなかったこともあり彼女は進んでリンと友人になった。実際暇があれば二人は楽しそうに会話をしているようだ。
しかし、リーンガーベルは立場上、男友達が今まで一人もいなかったこともあり、最近はジーノと友人になろうと積極的に行動し始める。ジーノはただでさえ口下手で、人とのコミュニケーション経験が無いので、これには頭を抱えていた。
「ベール―!なんか、お客さんが来たってー」
ちょうどそんなところへ、リンが駆け寄ってくる。リンの方へ歩いて行くベルを見てジーノはやれやれと胸をなで下ろした。そんなジーノにリンの鋭い眼光が突きささる。
(随分お楽しみだったようね!!)
それに負けじと睨みかえすジーノ。
(聖唱女の御守りはお前の役目だろうが!!)
互いに口には出さず目で語り合う…というより、文句を言いあう。そんな息があっているようで、全く意思疎通のできていない二人を、ベルは羨ましそうに眺めていた。
リンとベルは客間へと向かいながらジーノのことを話していた。
「なんか最近ジーノによく話しかけてるわよね」
慣れのせいかもはや何の遠慮も無くタメ口で話すリン。同じコトダマ使いで、世間知らずな彼女に少なからず自分と重ねる所が多いようである。
「ええ、私は殿方のお友達がいませんから、できればジーノ様ともお友達になりたいのですけど…」
ベルの立場上周りに男性はほとんどいない。それは彼女がコトダマ使いであり、いつか義務として自身の後継者を産まなくてはならないからである。相手は勿論コトダマ使いの家計から選ばれ、彼女に拒否権はない。
そのことを理解しているリンは、何とも苦い顔をしながら話した。
「でも、立場上まずいんじゃ…」
「ええ、分かってはいるんですけどね。でも、一度くらいは殿方を好きになってみたいんですよ?今読んでる小説みたいに身分違いの恋愛とか…」
目をキラキラ輝かせながら話すベルは、まさに恋に恋する乙女だった。
客間へと到着する二人。ドアの向こうで仁王立ちしている人物を見てリンは固まった。
「なんで異教徒のあなたがここに居るんです!?」
眉間に深い皺を刻み、全力でガンを飛ばすこの女性は、先日謁見の間でエヴァの隣に座っていた女性である。
「イーちゃん。この間の小説ありがとう。とても面白かったわ」
凄まじい表情の女性を爽やかな笑顔で”イーちゃん”と呼ぶベルを、リンは眼を見開いて凝視した。
「リン、紹介しますね。彼女は信仰の聖唱女、イ―リス・テレプシコレです」
謁見の間での時も険しい表情ではあったが、今日はそれ以上に機嫌が悪そうなイ―リスにリンは少しどもりながら挨拶した。
「よ、よろしくお願いします」
「私は異教徒とよろしくするつもりはありませんわ!ベル!なんでここに異教徒を連れて来たの!!」
語気を強めて抗議するイ―リスに、ベルは少し頬を膨らませて答えた。
「異教徒じゃなくて私の友達です。そんなこと言ってるとイーちゃんの相談に乗ってあげませんよ?」
たじろぐイ―リス。しかし、聖唱女二人で相談など、自分が場違いな気がしてリンは口を挟む。
「あの、なんだったら外しましょうか?」
「いえいえ、二人より3人で考えた方が解決の糸口が見えるはずです!イーちゃんもいいですね?」
「…不本意ながら、ベルにも一理ありますわね。いいですか、ここでのことは他言無用でお願いしますわよ?」
「はぁ…わかりました」
どんな内容かもわからないまま、話に参加することになったリンはとりあえず話を聞くことになった。
神妙な面持ちのイ―リスは俯き、目を閉じて絞り出すような声で報告する。
「結果なのですけど、また…駄目でした…」
ガックリ項垂れるイ―リスに、ベルが優しく慰めの言葉をかけた。
「そうですか…。イーちゃん、気を落とさないで下さい。反省して次に生かしましょう?」
「?」
話の内容が分からず、ついていけないリンだったが、雰囲気的に割り込めずオロオロしている所へ、ベルが小声で説明してくれた。
「イーちゃんは今8連敗中なんです」
「8連敗?いったい何の?」
「勿論恋愛ですよ~」
リンはその単語を聞いた瞬間、俯いたままのイ―リスを凝視した。仮にも国で立場のある彼女が恋愛で8連敗中とは、ものすごいスキャンダルな内容ではなかろうか。
「いったい何がいけないのかしら…」
「今回の相手は庭師のジョシュアって方ですよね」
「少し見つめただけなのに、”すいません、すいません”っていいながら頭下げられたわ」
それはまあ、この国の象徴的な聖唱女に睨まれたら、普通の人は何か自分が粗相をしたのではないかと考えてしまうだろう。しかも、よりにもよって睨んでいる人物は眼光の鋭いイ―リスである。
「わたし、もうどうしていいのか分からないわ」
どちらかと言うと、リンはこの話にどう口出ししていいか分からなかった。
「こんな時こそリンさんの出番ですよ」
「へ?」
いきなりベルに話を振られてリンは驚く。
「だって私達よりは殿方と接した経験があるでしょう?せっかくですし、殿方はどういう女性を好むかを教えていただけませんか?」
そんなことを言われても、リンには恋愛経験など無い。男と離した経験はこの二人よりはあるだろうが、全て仕事上の話である。
「男と接した経験があるって言っても、家族以外だとジーノくらいしかいないし…」
「では、せっかくなのでジーノ様の話を伺いましょうか」
「え!?あいつの話?」
この場にフィーがいないことが悔やまれる。彼女ならジーノのことを余すことなく語ってくれるだろうが、生憎ここにはジーノのことを話せる人間がリンしか居ない。
「そう、ですわね。参考にはなるかもしれません」
イ―リスも同意し、いよいよを持ってジーノの話をしなくてはならなくなったリンは頭の中を整理した。
「これはジーノのことに詳しい人から聞いた話ですが…」
無論フィーのことである。
「ジーノは年上の女性にトラウマがあるみたいですね」
「トラウマ、ですか?」
「なんでも少年時代に世話になっていた宿屋のお姉さんが、いろいろ強烈だったみたいで…」
その話に目を輝かせながらベルが口を挟む。
「じゃあ、私は大丈夫ってことですね」
にこやかに微笑むベルを見て、リンは素直に同意できなかった。そんな気持ちを振り払うために、リンはイ―リスに話を振る。
「まあ、ジーノは一般男性とは言い難いし、あまり参考にはならないと思いますよ?あいつ自身恋愛に積極的じゃなさそうだし、これ以上のことは私も知らないので…」
少々申し訳なさそうに話すリンに、イ―リスが訊ねた。
「やっぱり殿方によっては、年齢やら体型やらの好みに偏りがあるんですね?」
「え、ええ多分…」
思いのほか食いついて来るイ―リスに少々引き気味のリン。そんな様子にはお構いなしで、イ―リスは自ら答えを出した。
「なら、今までの私の連敗記録もそれで説明がつきますわ!」
妙な納得の仕方をするイ―リスにリンは頭を抱える。
ここから話は更にヒートアップしながら続いていく。その過程で、リンの心労がさらに嵩んでいくのは言うまでもない。
アイノコトダマ
癒しと威光と信仰と
3人が恋愛の話で盛り上がっていた頃、ジーノは木陰で気にもたれかかりながら休んでいた。
目を閉じると、探し続けてきた人物の姿が瞼の裏に浮かび上がる。
病的に白く美しい髪も
純真無垢な少女のように笑うあの顔も
家族を血まみれにしたその手も
――ナニモカモガ――
ゆっくり目を開ける。世界が揺れているような錯覚に陥り、眼の前の何もかもが赤く見えた。この世の全てが、ジーノをあざ笑っているかのように揺らぐ。
歯を食いしばり、拳を握る。その感覚がゆっくりとジーノを現実へと引き戻す。
爪が食い込み、血がうっすらとにじみ出ている掌を見つめながらジーノは物思いにふけった。
ジーノは誰よりも理解している。
長年内に秘め続けたこの感情は、押さえつけることは不可能だということを。
この感情を表に出したまま、自身を見失うことなく行動できるようにならなければ、目的を達成することができないということを。
故に自分に強く言い聞かせる。何のためにここまで来たのかを、どれだけのものを踏みにじってきたのかを。
そんな風に考えながら再び瞼を下ろそうとしたところで、ジーノはこちらに歩いて来る人の気配に気づいた。
「おー、あんたがエバァちゃんが言ってた傭兵かー」
陽気な感じで話しかけてくる女性を見て、ジーノは一度立ち上がって礼をした後に跪いた。その女性の首にはクリスタル製の十字架が揺れている。
「ああ、そんな堅苦しいのはええって。正式な謁見とかならまだしも、今はプライベートな時間やからね」
女性は明るく笑う。ジーノはゆっくり立ち上がると、ぶっきらぼうな表情のまま挨拶をした。
「自分はエネ・ウィッシュに雇われている傭兵でジノーヴィといいます」
「ご丁寧にどーも。うちは威光の聖唱女、ニーナ・ヘブンズレイや。まあ、よろしゅうな」
ニーナは深くベールを被っているため、目元がぎりぎり見えるくらいだったが、明るい口調からその表情は容易に想像できた。
「自分に何か用ですか?」
「いや、外国から来た奴らがどんな人間か見に来ただけや。まあ興味本位とも言うけどな」
そう言いながらニーナはジーノの肩を叩いて横を通り過ぎ、客間の方へ向って歩き出す。
「んじゃ、うちはもう一人の傭兵を見てくるわ。邪魔したな―」
そう言いながら去っていくニーナの後ろ姿を見ながら、ジーノは毒気を抜かれた様子で頭をかいた。
目を閉じると、探し続けてきた人物の姿が瞼の裏に浮かび上がる。
病的に白く美しい髪も
純真無垢な少女のように笑うあの顔も
家族を血まみれにしたその手も
――ナニモカモガ――
ゆっくり目を開ける。世界が揺れているような錯覚に陥り、眼の前の何もかもが赤く見えた。この世の全てが、ジーノをあざ笑っているかのように揺らぐ。
歯を食いしばり、拳を握る。その感覚がゆっくりとジーノを現実へと引き戻す。
爪が食い込み、血がうっすらとにじみ出ている掌を見つめながらジーノは物思いにふけった。
ジーノは誰よりも理解している。
長年内に秘め続けたこの感情は、押さえつけることは不可能だということを。
この感情を表に出したまま、自身を見失うことなく行動できるようにならなければ、目的を達成することができないということを。
故に自分に強く言い聞かせる。何のためにここまで来たのかを、どれだけのものを踏みにじってきたのかを。
そんな風に考えながら再び瞼を下ろそうとしたところで、ジーノはこちらに歩いて来る人の気配に気づいた。
「おー、あんたがエバァちゃんが言ってた傭兵かー」
陽気な感じで話しかけてくる女性を見て、ジーノは一度立ち上がって礼をした後に跪いた。その女性の首にはクリスタル製の十字架が揺れている。
「ああ、そんな堅苦しいのはええって。正式な謁見とかならまだしも、今はプライベートな時間やからね」
女性は明るく笑う。ジーノはゆっくり立ち上がると、ぶっきらぼうな表情のまま挨拶をした。
「自分はエネ・ウィッシュに雇われている傭兵でジノーヴィといいます」
「ご丁寧にどーも。うちは威光の聖唱女、ニーナ・ヘブンズレイや。まあ、よろしゅうな」
ニーナは深くベールを被っているため、目元がぎりぎり見えるくらいだったが、明るい口調からその表情は容易に想像できた。
「自分に何か用ですか?」
「いや、外国から来た奴らがどんな人間か見に来ただけや。まあ興味本位とも言うけどな」
そう言いながらニーナはジーノの肩を叩いて横を通り過ぎ、客間の方へ向って歩き出す。
「んじゃ、うちはもう一人の傭兵を見てくるわ。邪魔したな―」
そう言いながら去っていくニーナの後ろ姿を見ながら、ジーノは毒気を抜かれた様子で頭をかいた。