首都に最も近い街、アルテリアシティ。
そこにある墓地で大きな影が蹲っていた。何分も、何時間も、そこにいる影はたまに身じろぎする程度で、全くその場から離れようとはしない。
「…トマス、まだここにいたんですか」
その影の後ろから身なりの整った男が話しかける。その男の顔は悲しそうな表情で、影の前にある墓石に刻まれている文字を見た。
――ゲイル・ジェンドリンここに眠る――
ホーク・ザルトランドの死から5年、犯人の捜索、ザルトランド家の隠蔽工作の手伝い、そして戦地への派遣などトマス達は心休まらない日々を過ごした。
しかし、戦地での激しい戦いの中ゲイルはその命を落とす。流れ矢が喉笛を貫き、もがき苦しみながら死んだ。戦況が膠着状態に陥り、二人はゲイルの亡骸と共に戦場を後にする。その時からトマスは落ち込んだまま今に至っていた。
「そろそろ戻りましょう。気持ちは分かりますが、このまま此処に居ては、ゲイルが安らかに眠れませんよ?」
トマスはキースのその言葉を聞いて、何度も首を振る。泣き疲れて赤く腫れたその目は、ひどく疲れて見えた。
キースは大きく息を吐くと、墓石に向き合うトマスに話しかける。
「私はこの後用事があるので先に帰りますが、無理をして体を壊さないようにして下さいよ?」
そう言いながらキースは墓地を後にする。その時、キースが振り返って見たトマスの背中はとても小さく見えた。
朝、夜が明けたのかどうかも分からないほど曇り、暗い。そんな中まだトマスはゲイルの墓の前で蹲っていた。
1粒、2粒とトマスの頬に当たる雨は、泣き疲れて涙の出無くなったトマスのかわりに、空が泣いているようにも見える。その雨もやがては勢いを増し、トマスの体をずぶ濡れにしていく。それでもトマスは動かない。
ふと、雨が止んだ。
いや、これはトマスの体に雨が当たらなくなっただけだ。周りは未だに土砂降りの雨が降り続けている。
「風邪を、ひきますよ?」
不意にトマスの頭上に差し出される傘。控え目な声。少し怯えるような息遣い。
トマスは疲れ切った眼で、傘を差し出してくれた女性を凝視する。トマスの目の前にいる人物は、こんな貧相な墓地には似合わないような美しい女性だった。
長く栗色の髪を濡らしながらも、女性はトマスに傘を差し出す。
「私は馬車で来ていますから、よかったら使って下さい」
そう言いながら女性はその場を後にした。
その後ろ姿を見つめ続けるトマスは、何が起きたのか理解できていない。一晩中ゲイルの墓の前で蹲っていたこともあり、目の前で起こったことですら夢か現実かの区別がつかなかったのだ。
トマスは再びゲイルの墓を見詰める。
体も、心も重い。しかし、少なくともトマスの体はさっきより寒くなることはなかった。
これがきっかけ。
これが二人の出会い。
そして、これがトマスの幸せと不幸せの始まりだった。