Neetel Inside ニートノベル
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十月の旅
日本:会津さざえ堂

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 十月も終わり。今年もあと二ヶ月。
 先月の最後にも、似たような事を思った気がするが、この一ヶ月は間違いなく、俺の人生で最も濃密な時間だった。
 エジプトから始まったこの旅は、五大陸を駆け巡り、日付変更線を何度もぴょんぴょんと飛び越えて、挙句の果てには宇宙まで行った。俺はこの目で様々な物を見てきた。どれもかけがえの無い、大切な景色だ。
 などと言いつつも、この疲労困憊っぷりは半端じゃない。何せ一ヶ月で世界中を回ったんだ。いくら俺が若さ有り余る高校生といえどもそりゃ疲れる。
 そして最後の日。今日になって、俺は再び日本に戻ってきた。とはいえ、東京からは遠く離れた福島県会津若松市。なぜ、ここを選んだのかと問うのも野暮なようで、俺は黙って四ツ目についてきた。
「次の場所で、この十月の旅も最後」
 隣に座った四ツ目が呟いた。バスの中、外はしとしとと雨が降り、俺は微熱に火照っていた。
「なあ、そろそろ教えてくれよ。どうして十月の旅なんだ?」
 何気なく、そう尋ねる。いつも無視されるか、話を摩り替えられて真相は聞けなかった。
「そうね……そろそろ話しても良いかしら」
 四ツ目は窓から外を見る。俺は四ツ目の横顔を見ながら、黙って言葉を待つ。
「私の誕生日なのよ。十月一日」
 ……え?
「そ、それだけ?」
「不満?」
「い、いや不満じゃないけど……」
 なんというか、拍子抜けだ。
「それで、この旅は誕生日プレゼントって訳」
「誰からの?」と、聞きかけてやめた。なんとなく見当がついたからだ。
 その代わり、俺は今更ながらこう言う事にした。
「誕生日おめでとう」
 四ツ目はこっちを向いて答えた。
「ありがとう」
 初めて見た四ツ目の笑顔は、どこかおぼろげで、とても不器用で、それでも俺は満たされた。


 十日前、四ツ目の家に行った時、俺は四ツ目からこんな話も聞いた。
「私の父はね、ロシア人と日本人のクォーターで、いろんな国を回りながら、武器商人をしていたの」
 武器商人。当然、聞きなれない単語だ。古い映画でしか出てこないような職業だが、仕事の内容はおおよそ分かる。
 第二次世界大戦以降、ずっと平和の続いているこの日本と比べて、世界の様相は日々変化している。どこかで生まれた小さな価値観の違いは、やがて人と人の間を伝染して巨大に膨らんで、そして、ある日突然鳴り響く轟音。この旅で学んだ事の一つは、戦争の始まりは思ったよりも容易くやってくるって事だ。
「母との間に私が生まれて、商売も引退したのだけれど、買った恨みは清算できなかったようね。私と暮らせたのはたったの一ヶ月だけ。未だにお墓の中に父の骨は無いわ」
 家に連れてこられて、こんな話を聞かされるとは思ってもみなかった俺は、どうしていいか分からずただ沈黙を守った。かける言葉も見つからなければ、四ツ目の言った通りに、部屋を出て行く事も出来なかったのだ。
「だけど、私は別に父がかわいそうだとは思っていないし、ましてやあなたの同情を買おうなんて思っていない。だから、軽蔑したなら、さっき言ったように出て行ってくれていいのよ。変な事に巻き込んでごめんなさいね」
 俺はそう語る四ツ目の背中に尋ねる。
「なんで俺だったんだ?」
 仲の良い友達は他にも居たはずだ。一緒に旅をしたい奴がいたかどうかは分からないが、少なくとも俺と一緒に行くメリットなんて無い。
 四ツ目は少し考えた後、こう答えた。
「なぜでしょうね」
 俺は肩の力を一気に抜いて、
「四ツ目に分からない事は俺にも分からんさ」
「……だけど、」
 そう言って振り返った四ツ目は、涙を溜めながらこう続けた。
「あなたはとても暖かい」


 会津さざえ堂。ここが今回の目的地であり、この旅の終着点だった。
「変な建物だな」
 俺は率直な感想を述べた。
 会津さざえ堂は、正式名称を旧正宗寺三匝堂と言い(二回聞きなおした)、今から約二百年前に建てられた三階建ての木造建築で、元は仏堂だったらしい。日本の重要文化財に指定されていて、世界の名建築百選にも選ばれたそうだ。まあ全部四ツ目の受け売りだけど。
 まずはぐるっと周りを回りながら角度を変え、この建物の全貌を捉えようと俺は試みた。やはり、奇妙だ。一番上以外の屋根が、斜めに傾いていて、しかもそれがどうやら繋がっている。さざえ堂とは良く言った物で、確かにその通り、建物が巻き貝のような形をしている。
「何をしているの?」
 四ツ目は俺を置いて、既に傘をたたみ入り口で待っていた。俺はせかされるように後に続く。
「この建物の面白い所は、全体が二重螺旋構造になっている事よ」
 入ってすぐ左を見ると、木の板が何枚も重なってスロープになっていた。中心の柱には小さな仏像があったりお札が張ってあったり。当たり前だが、窓も外から見たまま斜めに配置されている。
「二重螺旋構造?」
 俺は頭の中でどんな構造だったか描いてみる。えーと、螺旋ってのはあれだ。ぐるぐる回って上に上る形。いや、下に下るのか? 上に下る? 下に上る? そうか、上下が無いんだ。それが二重になっているという事は、つまり、
「上った道を使わずに下りられる構造という事よ」
 なるほど、これならあの奇妙な概観も納得できる。
「二重螺旋といえば、有名なのは遺伝子かしら。二本のポリヌクレオチドとリン酸、四つの延期から成る生命の設計図」
 テレビの再現CGみたいな物で見た事がある。確かにあれは二重螺旋だった。俺はふと、疑問に思う。
「でも、なんでわざわざそんなややこしい形にしたんだ?」
「一般には、二重螺旋構造をとることによって塩基の状態が対になり、遺伝情報を安定して伝達できるという……」
「いや違うよ。この建物の事」
「ああ、そうね。……一番上に行ってから話しましょう」
 俺が差し出した手は四ツ目に握り返された。なんとなく、手を繋ぎたくなったんだ。


 最上階には、一体の観音像が置いてあった。安らかな顔をしている。こんな事を言うとバチが当たるかもしれないが、ちょっとうちのオカンに似てる。
 四ツ目は沈黙したまま両手を合わせて観音像を拝んだ。俺も見よう見まねで拝む。とはいえ、別に願い事はしない。何か困っている訳でもなければ、欲しい物もの無いしな。あと、こうして彼女も出来たし。
「行きましょう」
 その声に目を開けた時、四ツ目の表情が変わっている事に気づいた。具体的にどこが、という訳じゃない。ただなんとなく、すっきりしているように思えたんだ。
「生まれ変わり、と言ったらいいのかしら」
 来た道とは違う道を下りながら、四ツ目はゆっくりと、思い出したように言った。
「生まれ変わり?」
「そう。このさざえ堂を参拝する者は、古い精神を捨てて、新しい精神を手に入れられる。行く人と戻る人が決してすれ違う事のない二重螺旋は、きっとそんな意味を持っているのよ。心の生まれ変わりと言えなくもないわね」
「なるほどな……」
 なんとなく、さっきの遺伝子の話ともリンクしている気がする。
 それに、この暗くて狭い感じは、どことなく胎内を思わせる。こうして下っていると、不思議と本当に生まれ変わった気分になる。
「この旅は、私にとって生まれ変わりの旅だった」
 俺は、エジプト王家の谷で見たファラオのミイラを思い出す。わざわざ何重にも重ねた棺の中に黄金と一緒に埋葬されるのは、そうする事で復活が約束されるからだ。
「マトリョーシカにされる前に、生まれ変われて良かったわ」
 振り返った四ツ目は、最高の笑顔を見せた。雨の中にいるのに、曇り一つ無い青空だった。
 四ツ目が手を差し出す。俺はそれを握り返す。
「あなたのする質問の一つ一つが、私を私でいさせてくれた」
 俺は尋ねる。
「どういう事?」
「それよ。あなたは素直に人に物を聞ける人間。あなたにとっては当たり前のように思えるかもしれないけれど、それはとても大事な事よ。質問する。答えてもらう。質問される。答えてあげる。私は確かにここにいるんだと実感出来る」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ」


「ところで、病気の方は大丈夫か?」
 不思議の国のアリス症候群。この旅の最中、四ツ目はずっとそれを発症していたらしい。そんな事にはこれっぽっちも気づかなかった俺も阿呆だが、四ツ目も四ツ目だ。最初から言ってくれればよかったのに。不思議の国のアリス症候群とは、その名の通り、不思議の国に迷い込んだアリスのようになる精神性の病の事だ。周りにある物との距離感が歪み、物が大小が掴みにくくなる。四ツ目は十歳になった時突然それを発症した。原因はおそらく、父の素性を知っての事だろう。毎年の十月になると決まって発症するようになり、何度も苦しめられたらしい。
「ええ、大分良くなったみたい。雨がまっすぐに落ちてるわ」
「そうか。それは良かった」
 訝しげに見返す四ツ目。
「良かった、って顔には見えないのだけれど」
 そう、確かにそうだ。
 巻き込まれて、訳も分からないまま始まった旅だったが、終わるとなると寂しい物だ。明日は十一月一日、月曜日。変わらない日常がまた戻ってくる。
 だけどそれだって言い訳に過ぎない。本当はどこかで気づいている。頭も勘も悪い俺だが、流石に一ヶ月もずっと一緒にいれば、それなりに分かってくるもんだ。
「なあ、もしかしてなんだけど、とんでもない勘違いかもしれんけど……」
 俺は若干の保険をかけた後、決意を固めて切り出す。
「発病してる時、周りの景色や人物が歪んでいる中で、俺だけがちゃんと見えた、とかない?」
 四ツ目はじっと俺を見て、それから至って落ち着いたいつもの口調で答える。
「随分と自惚れているようね」
 チクッチクッと刺さる棘。俺のか弱いハートは、四ツ目の言葉によって最早傷だらけだ。俺は俯いて、わざとらしく咳をする。
「きっと私の父は、自分が傷つけた世界を私に見せたかったのでしょうね。だからわざわざ隠し口座まで作って、こんなプレゼントを用意した。娘である私に受け入れてもらいたかったのね。今、その気持ちが分かったわ」
 俺は四ツ目の横顔をちらりと覗く。やわらかい、暖かさのある表情だ。
「今の質問、正解よ。なんでかまでは、私に言わせないでね」
 四ツ目はそう言うと、早足で歩き出した。
 雨が、止んだ。

       

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