Neetel Inside ニートノベル
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豆の木
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パドゥアは夢を見た。
世界を覆いつくす豆の木の夢を。
でもそれが必要な事だという事は知っていた。
豆の木は天を突き抜けてどこまでも高く伸びていく。
先の方で放射状に広がった枝達はまた枝を伸ばしそれらが網のように絡まりあった。

パドゥア達は豆の木の下で生活した。
豆の木が生える以前と比べ、日陰は多くなったものの生活に別段に変化はなかったが、時折、影の他にも上から物が落ちてくる事があった。
それは枝であったり葉であったり、豆であったりする事がほとんどであったが、稀に人の臭いのする物が落ちてくる事もあった。
そのため、パドゥア達は豆の木の上で暮らす人々がいる事を知り、そのたびその人々の生活を空想するのだが、豆の木を上ろうとする事は決してなかった。
それはなんとなく禁忌のように感じられたし、なにより太い幹の豆の木を上る方法がなかった。

だから、彼らと接触するなら彼らが豆の木を降りてくる時しかないだろうと、パドゥアは考えていた。



パドゥア達は魚を捕り獣を狩り、農耕をして生活している。
パドゥアの家で一番年下のグルーメンはヒグという野菜が嫌いで、ドロリとした食感が苦手らしかった。
だからティグルはヒグを使った料理を多く作ったし、工夫もしているようだったがグルーメンの好き嫌いは一向に治る気配も無かった。
パドゥアも一応はグルーメンを叱るのだが、内心はそれほど重要な事ではないと考えている。
嫌いなものぐらい嫌いなままでいいじゃないか、という風に。

ランプの淡い青の光の下、ヒグ料理を食べ終えるとパドゥアはさっさと魚捕りに出かけてしまう。
昼の沼は大きな生き物がいて近づけないので、夜の内に魚を捕り、腐らないよう加工してしまうのが常だった。
夜は夜で道中の森に危険な虫が多くいるため、まだ小さいグルーメンやティグルはパドゥアについていく事を禁じられている。

だからグルーメンは長い夜のお供を欲してティグルにつきまとう。
「ティグル、遊ぼうよ」それはもうグルーメンの決まり文句だった。
ティグルの返事もいつも決まり決まったもので、「ダメよ、先にお勉強しなきゃね」
筆筆記用具と何冊かの本を机の上に広げるのだ。

sin、cos、tan。~~~
こんなものがこんな世界で一体何の役に立つものだろうか。
パドゥアに尋ねた事もあったが「必要な事なんだよ」と言うだけで何の回答も得られなかった。
それでも問題を解くのはパズルを組み立てるようで楽しかったし、こうしてピースを増やしていけばいつかその疑問の解答も導き出せるかもしれない。
だからグルーメンはこのお勉強の時間が嫌いではなかった。
でもティグルはそうでもないようだった。
彼女は本当はこの何の意味も見い出せない勉強なんて嫌いで仕方ないのだ。
ティグルは真面目だからパドゥアの言いつけは必ず守らなければいけないと考えているし、グルーメンにヒグ料理を押しつけるように、好き嫌いはいけない事だと考えている。
たまには勉強なんてサボって遊んでしまえばいいのに。グルーメンは思うのだけど。




パドゥアは豆の木の根元に腰をかけじっと待っていた。何を?魚を。
魚は沼に生息しているが、それを捕るのは暗くて難しくて、どうにもなりようもなくたまらない。
だからこうして豆の木の根元で、待つのだ魚を、大量の幾何学の張り付く吸盤を、振り子が利用して這うフーコーのように、小虫を食うために。
パドゥアは機を見て豆の木から離れた。

見ればもう豆の木は多くの小虫によって、間隙なく埋め尽くされていた。
豆の木の根元には何故か死期の近い獣が多く寄ってくる。
死の間際に大きな物にすがりついて安心を得たいのかもしれない。もしかしたら全然別の理由かもしれない。
豆の木にはそれらの死骸を餌にする虫も多く生息している。
だが彼らはアバウトなもので、パドゥアが木の根元でじっとしていると死体と勘違いして這い出してくるのだ。
だからパドゥアが豆の木を離れれば、潮が引くように彼らも去っていくのだが、それを狙う者もいる。
背後の沼はバシャバシャと激しい水音を立てている。

それはぞっとする光景だな、とパドゥアはいつも思う。
虫達に覆われていた豆の木は一転、灰褐色の魚達に覆われている。
木の根元に獣の死骸があれば、それを食う小虫が沸く。
そして沸いた小虫を食うために、沼から木へと大量の魚が飛び出してくる。
これら魚もまた、飛び出してきたところをパドゥアや他の獣達に捕らえられてしまうのだが。
魚達はべちゃりと粘着質な水音を立てて、吸盤のようになっている口唇を使って幹に張り付き、口腔の縁にある数本の触手のようなヒゲで小虫を口内に捕らえると、そのまま重力に従ってズルズルとみっともなく地面へとずり落ちていく。
いつ見ても気味の悪い生き物だな、と沼に帰ろうとする彼らを拾い上げながらパドゥアは思う。
捕った魚を加工して持ち帰るのは何も日持ちするからというだけではなかった。
沼に住む魚達は切っただけではその生態活動を停止させられないようで、小さな破片になりながらもヌメヌメと身を捩りあちらこちらへと不規則に動き回る。
完全に殺してしまうには、焼くか、細菌類の力を借りて別の物にしてしまう必要があった。
これは豆の木に住む虫にも言える事で、身体を真っ二つにされようが平然とした様子で動き回る。
長くここで暮らす内に踏み潰してしまった何匹かの虫も、そのままの姿で捕食活動を行っているのだ。
自分達がこんなグロテスクな物を食べていたなどと知れば、ティグルはきっと卒倒してしまうだろう。
獣の少ないこの界隈では魚は貴重な栄養源となる。食べられないでは済まない。

     

魚の加工を終える頃にはちょうど空も白み始める。
パドゥアが家に帰るとグルーメンが畑に肥料を撒いていた。
肥料には残飯を砕いて埋め、土に還したものを使う。
決して大きい畑ではないが、三人で暮らしていく分には十分な量の野菜が採れた。
「お疲れ様、グルーメン」
パドゥアがそう声をかけるとグルーメンは決まって満面に喜色を浮かべながらはしゃぎ気味に応える。
「パドゥアお帰りなさい!」
「ただいま、少し休んだら僕も手伝うよ」
そう言って家に入るとティグルがまだ眠っているのが見えた。
あどけない寝息を立てながら、彼女はどんな夢を見ているのだろうか。
それはきっとこんな色彩の無い世界よりも遥かに騒々しく、華やかな場所だろう事を考えると、パドゥアの胸は微かに痛むようだった。
パドゥアは椅子を引き出すと物音を立てぬよう静かに腰を掛け、じっと身体を休める 。
そして目を瞑り深い思考の中へ身を委ねた。


鼠達が行進する。色とりどりの紙吹雪の中を。
けたたましいファンファーレはテンポよく鳴り響き彼らの進軍を景気よく祝う。
高らかに足を振り上げ左、右、左、右。一分の狂いもなく揃えられた足並みは鼠達が
よく訓練されている証だった。
一心不乱にパレードする彼らと同じように彼らを見守る鼠達もその目の中に不安や疑
問を抱いているものは誰一人いない。
彼らの行進は絶対的で魅力的で輝かしい不変の未来の象徴だった。
鼠達は鼠達に取り巻かれながら行進を続ける。
ファンファーレはついに鳴り止む事はなかった。



ティグルが目を覚ますと、家の中にはパドゥアもグルーメンもいなかった。
どうせまた眠っている自分に気遣って外へ狩りにでも出掛けたのだろう。起こしてくれてもいいのに。
ティグルには誰かに起こされた、という経験がなかった。
いつもこうやって自然に起きるか、グルーメンが足りない背丈で無理に食器を棚に直そうとして落としてしまった物音で起きるかだ。
まったくあの二人には人を起こしてやろうという気概は無いのかしら、ティグルはいつもその事について憤慨している。
日はとうに高くなっており、もう畑の手入れや家内の事もパドゥア達が済ませてしまっているだろうし、一人で出掛けるのも些か心細かった。
こうして手持ち無沙汰な時間が出来る事はままある事で、ティグルはそうした時間を絵を描く事に使うことにしている。
たまに写生などもするが、大抵は思いつくままに想像のものを描くようにしていた。
家やその周りにあるものはほとんど描き尽くしていて、飽きてしまっているのだ。
たまに上から落ちてくる物などはティグルの食指をふんだんに刺激するものであるが、それもそうおいそれとあるものではない。
従ってティグルは自分が見た事の無い生き物を、自分が知らない物をよく描いた。
ティグルのそうしたイメージは尽きる事がなかったし、数を重ねるにつれ想像はより具体的になっていった。
まるで彼女の中に一つの世界があるかのように、彼女は紙の上にイメージを吐き出していく。



猟に使う物はたっぷりの香料と豆の木の枝、それからロープとナイフだ。
一人でも出来るが二人ほどいれば尚いい。
森の中で集団でいる獣達を見つけると、それを覆い込むようにロープを上下に分けて二本張る。
獣には足が一本しかないため、高く跳ぶ事も出来ないしロープをくぐり抜けようとするととても時間がかかるのだ。
獣達はパドゥアの作る香料をひどく嫌がるため、それを身体に振り撒いて近づくと一目散に逃げてゆく。
そうしてロープ際に追い込んだところを一、二匹、グルーメンが枝で叩いて気絶させ、パドゥアがナイフを刺して殺す。
それだけだった。

       

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