Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
『深夜の事件』

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 鹿ノ目が落ちた。つまり、殺しにいかなきゃならない。たとえそれが深夜二時、明日も学校で、もう眠っておかなきゃならないとしても、鹿ノ目を放っておくことは出来ない。俺はジャンパーを羽織って、吐息も白い真冬の夜空の下に出た。寝ぼけ眼を何度擦っても目が冴えそうにない。歩きながらイヤホンから垂れ流してある音楽を聴き、鹿ノ目のマンションへと向かう。
 正面玄関前には、すでに裂ノ賀が来ていた。やつもやつでだるそうだ。無理もない、連日連夜の狩人業務で俺たちは誰だって限界に達しているのだ。安い給料で手前の餌だけ買って、それさえ喰ってりゃ人生みたいな顔して、俺らもそこらの死に損ないとさして違いはありゃしない。俺たちは片手を挙げて挨拶した。
「鹿ノ目か」
「ああ」
 それだけ言って、背中に背負った虚空から剣を抜き取る。エントランスのガラスをぶち破ると、少しだけスカッとした。照明が明滅し続けるロビーへと足を踏み入れる。俺は剣の柄を握り直した。そこにはいるわいるわ、鹿ノ目が呼び出したゾンビどもがぼうっとした顔でぽつぽつと立っていた。両手を突き出してくるスタイルで、俺たちに噛み付こうとしてくる。俺と裂ノ賀は魂からひり出した剣で、ゾンビどもをバラバラにしていった。返り血から悪臭がする。
「黄ノ宮、お前、鹿ノ目の部屋にいったことあるか」
「ない」
「じゃ、虱潰しに探していくか」
 俺たちは生存者のいないマンションを、魂の剣をひっさげて練り歩いた。どこへいっても敵、敵、敵。それをかすみがかった意識のまま斬り倒していく。積もっていくのは気だるい疲労ばかりだ。鹿ノ目が夢から引っ張り出してきた模造品もあるんだろうが、さすがに元は生きていた本物のゾンビが混ざってねえってことはない。俺は斬り倒した幼女のゾンビを蹴っ飛ばしてクイーンサイズのベッドの下に押し込みながら、ため息をついた。疲れ、疲れ、疲れだ。どこまでも疲れるだけの作業だ。殺しが好きだという奴の気が知れない。疲れるだけだ、こんなもの。
 とうとう最上階までやってきた。いよいよ鹿ノ目の精神衛生は最悪らしい。階段は捻じ曲がり、真っ赤な氷柱が垂れ下がり、悪魔の胃袋か地獄の鍾乳洞ってぇ有様だ。心から夢を取り出せる能力者が、その精神を反転させれば、周囲一体は多かれ少なかれこういうざまになる。
 だから、俺と裂ノ賀が呼び出されたってわけだ。
 夢の狩人として。
「――ここだな」
 808号室。ご丁寧に『しかのめ』とネームプレートが飾ってある。だがそれは元からあったものじゃ絶対にない、歪んだひらがなで書かれたそれは血で汚れていた。俺は足元に転がっている焼死体を蹴り転がしながら、裂ノ賀を見やった。やつも俺を見ていた。
「いくか」
「ああ」
 魂の剣でドアをぶち破る。ただの鉄と化した扉がゆっくりと倒れてホコリを舞い上げ、俺たちは鹿ノ目の部屋へと踏み込んだ。
 ひでぇ有様だった。
 歪んだ天井、壊れた椅子、あちらこちらで俺を見る目、目、目。いい加減にしてほしいところだ、俺まで悪夢に引きずり込まれる。俺は左目を瞑って、少しでも、この鹿ノ目の心から垂れ流しにされた夢が自分の中に流れて来ないようにした。本当に、耐え難い。
「いたぞ」
 裂ノ賀の言うとおり、鹿ノ目は奥の部屋にいた。壁紙が真っ青になっている以外は、普通の男子高校生の部屋だ。机があって、本棚があって、制服がハンガーで下げてある。おかしいのは、どろどろになって床や壁と癒着したベッドの上で膝を抱えている鹿ノ目がぶるぶる震えながらこっちを見ているってことだ。俺の知ってる鹿ノ目は、少なくとも誰かに怯えるようなやつじゃなかった。青ざめた鹿ノ目は、紫色になった唇をわななかせて、呟いた。
「く、く、来るな。近寄るな」
「駄目だ」
「うっ、うっ」
 鹿ノ目が泣いている。俺は嫌な気分になった。足元にはやっぱり誰とも分からん死体の断片が転がっている。
 鹿ノ目が、何も無いまま反転するわけがない。
 誰かが何かを鹿ノ目に言ったのだ。言葉がナイフになると何度教えてやってもわからん馬鹿が、鹿ノ目の家族にはいた。夢の狩人の家族には必ず夢想機関から説明が入る。あんたの息子は夢を現実にする能力があって、とても繊細な心の持ち主だ。だから夢を取り扱う仕事しか出来ないし、それ以外をすべきじゃない。そしてちょっとしたことで、本当にちょっとしたことで、『反転』しかねない。そうなればおしまいだ、ちょっとした災害が巻き起こり、あたり一帯に地獄絵図が展開される。そう何度も何度も、絶対に説明されていたはずなのに、鹿ノ目の家族は鹿ノ目に何か言ったのだ。馬鹿どもが、死ななきゃコイツが本当に危険な生き物だっていうことが分からんのか。家族が何人いたのか知らんが、ハッキリ言って俺は鹿ノ目の家族なんざどうでもいい。くたばってせいせいしたくらいだ、狩人を反転させるような馬鹿なんざな。
 だが、おかげで俺は友達を一人失った。
 その責任は誰が取ってくれるんだ? 死体か、死体になればどんな罪からも逃れられるんだから、死ぬってのはお安い逃げ口上だぜ。地獄がありゃあ、これからすぐそこへいく鹿ノ目が、この血も凍るような惨劇をもう一度繰り返してくれればと願わずにはいられんね。
「黄ノ宮」と裂ノ賀が言った。
「お前、やれるか」
「やる」
「泣いてるぞ」
 俺は顔を拭った。吐く息が震えた。
 鹿ノ目は、頭を押し潰そうとするかのように抱えて、這い蹲って、ベッドの縁に額を何度も打ちつけている。うう、うう、そんなふうに喘ぎながら、誰にもどうにもしてやれない苦しみにもがいている。
 もう助からない。
「なあ、鹿ノ目。お前もツイてなかったなあ。こんなやつらを身内に持ってよ」
「ううっ……」
「どうしてなんだろうな。俺から見て、お前はそんなに悪い狩人じゃなかった。でも、たぶんお前は、自分が狩人だっていうことに、本当は自信なんか持ってなかったんだよな……」
「ううううう……」
「お前が何をこいつらに言われたのか、俺は知らん」
 俺は落ちている、髪がへばりついている頭皮のきれっぱしを踏み躙った。地獄へ落ちろ、夢なき葦め。
「だがな、お前が自分をどう思っていようが、お前が強いってことは変えられないことだったんだ。それは誰にもどうすることが出来ない、夢より硬い本物の現実――それがお前の強さだった。だが、お前はこいつらの心無き言葉を取った。自分の中の真実よりも、物の道理もわかってねぇ誰かの意見に呑まれた。お前に許されない弱さがあるとすれば、たったひとつのそれだけだ――」
「はあっ……はあっ……ああああああ、あああああああああ!」
 もう鹿ノ目の顔面は鮮血で真っ赤だ。俺はもう、そんな鹿ノ目を見ていたくなかった。魂の剣を、構える。鹿ノ目の首に刃をあてがうと、首の皮一枚がすぅっと切れて赤い血の線が流れ始めた。俺は思った。
 なんて脆い肌だろう――
 こいつの心と同じように、それはあっけなく切れてしまった。
 切れてしまった――……
「お前は正しかった。それは俺が保証してやる。だから、
 もう死ね、鹿ノ目。
 お前はよく、頑張った」
「……ああ、あああ、ああああああ、――あああああああああああっ!!」
 鹿ノ目が最後に目を見開いて、俺に掴みかかってきた。ああ、俺には分かる、それは格好だけのもの。鹿ノ目が求めていたのは、ここから破れかぶれで生き残ることなんかじゃなかった。
 俺は剣を振り切った。
 それを求めた鹿ノ目の首が、俺の足元にごろりと転がった。プライドが高かったあいつらしく、その首は顔面を下にして、決して死に顔を俺たちに見せようとはしなかった。
 それで終わった。
 あたりは血まみれだ。首をなくした鹿ノ目の胴体が、びくびくとまだ痙攣していた。裂ノ賀が俺の横から滑り出て、動き続ける死体の心臓に魂の剣を突き立てた。それで鹿ノ目だったものは、もう動くことはなくなった。
 あとに残ったのは、鮮血、悪臭、仲間の死体。それだけだ。
 最悪の気分だった。
「終わったな……」
 裂ノ賀が呟く。俺も頷いた。
「今年、何人目だ」
「さあな、もう覚えてねぇ」
「どうしてなんだろうな。なんで、葦どもは反省をしないのかね」
「痛恨の馬鹿なんだろう」
 そっけなく吐いたその一言で、俺は裂ノ賀が自分よりキレていることに気づいた。燃えるような目で、裂ノ賀は鹿ノ目の死体を見ている。
「なにも鹿ノ目が、死ぬようなことはなかった。こいつは死ぬほど悪いことなんか、何もしちゃいなかった。ただ狩人に生まれただけだ。夢を現実にする力があっただけだ。それの何が悪い――」
「…………」
 裂ノ賀が何もかも正しいことを言っていると感じながら、俺は咄嗟に、賛同の言葉をかけてやれなかった。でも、信じて欲しい、俺は裂ノ賀が正しいと思った。本当にそう思ったんだ。
 正しいと信じていることを、鹿ノ目が死ぬような現実がいつだって汚れた水を差して来る。正しいと信じていることを、大声で「そうだ!」と言う元気がなくなるほど、いつだってこの世界はセンスに欠けてる。
「……帰ろう」
 裂ノ賀が俺の肩を叩いてきた。これから俺たちは夜でもやってる劇場で、安い映画でも流して見て、明け方に家に帰るだろう。そうして現実に渦を巻かれて、この悪夢を少しずつ忘れていくだろう。鹿ノ目のことを忘れようと努力するだろう。
 無駄な努力だ。

       

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