Neetel Inside ニートノベル
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わが地獄(仮)
いろんなもやもや

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 ドクターストーンのアニメを二期まで見た。
 いつも唐突にネタバレしているから、ネタバレコメントはやめてくれとお願いしたいんだけども、大丈夫だろうか。三期を追っかけているので、先のことはあまり知りたくない。
 なので、二期までの感想を書きたい。


 話を作るのがうまい時代に、そしてチームで創作される時代になったな、という感想をまず得た。
 話の展開が自然だし、段階を踏んでいて、面白い。キャラクターもきちんと個性づけられていて、つかさと千空の関係なんかも、コードギアス的というか、本当は協力したら最強のタッグ、という納得のいく演出ができていると思う。
 科学技術が少しずつ発展していくのも、コミカルなロードマップのおかげでわかりやすいし、物語の進捗にも合致していて置いていかれずに済む。
 かなり面白くてサクサク見れた。
 千空が科学の力で毎回いろんな打開策を打ち出すのも、肝心な時に運がないという描写も、どこか『嘘喰い』のようなコンゲームものの技術を踏襲している気がする。そういった点でも、タイジュやコハクのようなパワー系があまり頭よくないところが、読者に寄った視点を置くという意味で効果が出ている。
 ただ、面白い、とは思うんだけど、好きかというとそうでもない。

 スパイファミリーを読んだ時の感想に似ていて、ああこれは面白い、きちんと考えられているという印象がまずある。そしていろんな人の意見、いろんな人の需要を最大限に活かそうとしている作品だとも感じる。
 なんというか、ドクターストーンに関しては作品のテーマでもあるけれども、『蓄積、継続、努力』によって作られた作品だなと思う。
 決して一人の孤独な天才がブチキレて作ったタイプの作品ではない。

 それが悪いということではないんだけれども、俺はこういう努力や話し合いの末に作られた作品は、精度があがったり、結果を残したりすることには効果があっても、いやあるからこそ、『努力では生きていけない人間』を駆逐してしまう効能があるような気がしている。
 身勝手な天才に頼らずとも俺たちだってやれるんだ!という勢いや結果というのは、確かに高揚感もあるし、日々の積み重ねは無駄じゃないんだよ、という暖かい世界観の中にあるとは思う。ただ、それは『努力しなくても才能だけでやっていけたのに、努力する連中が塊になって襲ってきたからなすすべもなく駆逐されてしまった天才』の立場からしたら、自分だけの水場を占領して生き長らえていたのに、全部横取りされてしまったようなものじゃなかろうか、と思う。
 確かに、水場を占領するのは悪いことかもしれない。身勝手かもしれない。
 ただ、『水場を占領しなければ死ぬ』人間は、水場を取られたら死ぬんである。

 努力というものの恐ろしいところはそこにあって、決してプラスでポジティブな結果だけを製造する願望実現器なんかじゃない。そもそも努力することは、マイナスを強制的にプラスに変えてしまう面がある。
 たとえば整形する。ブサイクが美人になる。確かにそれで、ブサイクだったときより生きやすくなったり、パートナーができたり、自分に自信がついたりする。それはプラスだ。
 怖いのは、もともとマイナスだったものの裏側にあるプラスを使うのではなく、マイナスそのものを消し去ってプラスにしてしまうところ。
 ブサイクだから、変なストーカーに粘着されずに済んでいたり、化粧とかに使う時間的コストを削減したり、気持ちが通じ合えばそれでいいというパートナーを見つけたりできたかもしれないプラス、確かにそれはマイナスが大きすぎてかき消されてしまうようなプラスだけれども、確かに存在していたプラスなんだ。それを、すべて書き換えてプラスにしてしまったら、元からあった小さなプラスも消えてしまう。
 俺は、努力というのは、そういうものだと思っている。

 マイナスを受け入れて、変えられないマイナスと生きていくのではなく、それを強制的にプラスに変えてしまう。それがまったくなんのデメリットもない、最善の方法のように賞賛されることが俺は好きじゃない。
 確かに、プラスの面、メリットで殴り合わなければこの社会では死ぬ。それはわかる。あまりにも大きすぎるマイナスで死にかけている俺が言うんだから間違いない。多少、文章が速く書けたり、よさげな雰囲気が出せたとしても、双極性障害で休職や転職は繰り返すわ躁状態の時の激しさに嫌気が差した友達がみんないなくなってしまうわ、まったくいいことがない。マイナスばかりだ。
 それでも、このマイナスのおかげで、俺はプラスを作れている。書く、ということは、俺のマイナスの側面から間違いなく生み出されている。

「おまえの小説は好きだけど、おまえのことは大嫌いだから、小説ごと嫌いになったよ!」

と言われたこともあるし、かなり俺に対してそう思っている人は多いと思う。俺もそう思う。俺だって自分が嫌いだ。
 それでも、俺が俺でなくなれば、その「好きだと思えた文章」は、間違いなく生まれない。
 これも言い方がきついかもしれないけれども、おいしいところだけ食べて無責任に去って行く、その根性が甘かったんじゃねぇのかと思わなくもない。少なくとも俺が逆の立場で、自分が好きな作家に「おまえは俺が困ってる時、何もしてくれなかったじゃねぇか」と言われたらぐうの音も出ない。そりゃそうだとしか言えない。
 それを否定するのは、現実を否定しているだけだ。

 もし俺が自分の狂気を治療できたとしたら、俺はたぶん幸福になるけれども、それは俺の努力の結果かもしれないけれども、間違いなく俺の創作は消える。
 マイナスは、プラスにすればいいなんて簡単なものじゃない。努力はそれを忘れさせる。少しでもよりよく、誰もが楽しめるように。

 昔、ネウロの松井先生が「自分はどのタイミングで打ち切りになったとしても、そこで着地できるポイントを作っていた」と言っていた。
 今では、たぶんどの作品も、そういう軟着陸を技術として取り込んでいて、珍しくもないけれども、当時そこまできちんと考えていた人はあまりいなかったんじゃないかと思う。少なくとも「自家製の秘伝のたれ」みたいなもんではあったと思う。
 俺が思うのは、ネウロの松井先生は、それが読者のためになるとか、売り上げに繋がるとか、作家の義務とか責任だとか、そういう小難しいことじゃなくて、

「単純に、俺が嫌だからやらない」

 と思っていたんじゃなかろうか、と思うのである。妄想だけれども。
 あくまで読者の一人として、まるで投げ捨てられるかのような、作品を大事にしていない打ち切りは、やむにやまれる事情があったにせよ、そんな事情に関係なく、やりたくない。 そういう、「本人としての需要」があって、やっていたことであって、何か打算的な側面があったようには俺には思えない。当時から、俺はそう思っていた。

 それが正しいから、見栄えがいいから、言い訳にしやすいから、体裁がいいから。
 そんな他人主導の理由じゃなく、シンプルに「俺が嫌だったからそうしなかった」というほうが、ストレートだと俺は思う。
 今の創作というのは、こういった最初に言い出したやつが自分主導でやっていたことを、効果があるからといって、よく考えず効能だけ把握して取り込んでしまう、というような作り方が多いんじゃないだろうか。
 誰しも模倣はするものだけれども、俺はなんとなく、「意味があるから真似する」というのは好きじゃない。自分がそうしたいからそうする、という根源的熱求よりも、純度が薄れている気がしてならない。

 なんだかドクターストーンを批判しているようだけれども、そうではなく、楽しい作品だと思っている。だから三期のネタバレもいやだ。
 ただなんとなく、死んだ友達がいたとして、「あいつが好きだったゲームより、こっちのほうがやっぱおもしれーぜ! な、顎!」と言われているような気がして、「うん……まあ、そうかもね」と答える時のような、周りが悪いわけではないけれども、なんだか居心地が悪いなあ、という感想なのである。

 作劇上、効果的な演出というものはある。たとえば千空のような頭脳派が運がなく体力的にひ弱、というキャラクターテリングは今後も末永く使われるだろうと思う。これはものすごく効果的だから、不運やひ弱を別のデメリットにマイナーチェンジしたとしても、基本構図として使われ続けるだろうと思う。頭脳も体力も信念もあるやつは、どちらかというと主人公より主人公に影響を与える過去の人物に割り振られることが多い。

 ただ、そうして効果的なものをたくさん取り込んでいった先で、「で、俺たちは何がしたいんだっけ? 誰か知ってる?」と誰かが言い出してみんなキョトンとする。そんな創作世界になっていくような気がちょっとだけする。
 まあ、その前に人間そのものの寿命でサイクリングが起きて、また古典的な題材が人気になり、衰退しを繰り返していくんだろうけれども。


 俺に言わせてもらえれば、身勝手にしか思えなかったやつらだって、普通に生きられなかったという大きなマイナスを支払って、代償に能力を得ていたのだから、なにもそいつらが呼吸できる水場を奪わなくたっていいじゃないかと思うんだけれども、やっぱりこれも、淘汰されていく理想論でしかないんだろうなあと思う。
 だけれども、たとえばパワハラを繰り返す映画監督が傑作ばかり作るからといって、パワハラを許していいかといえば、それはやっぱりダメだろうなあと思う。ただ、もし、どうしてもその力が欲しいのであれば、ぞっとするほどのマイナスを許容しなければならない瞬間というものがある。
 それを打ち消したいがために、そんな選択も悲劇も拒否したいがために、努力と基礎構図とチームワークで、天才を殺して回っているのだと言われれば、まあ確かに、それもいいのかもしれないなあ。







       

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