Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
少女異聞

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 はっきり言ってしまえば、私には物事の要点を掴む才能のようなものがあったのだと思う。あるものをパッと見た時、それが人でも物でも、何をするもので、何を望み何を拒み、これからどうなっていくのか、どの程度まで高みへ近づけるのかまたは落ちていくのか、そういったことが瞬時にわかってしまうのだった。だから、何を見ても『見た』その瞬間に私の中でそれは終わってしまう。仮に自分に幸福をもたらすものを見たとしても、それがわかりきっていて、どこをどう突けば簡単に瓦解してしまうか理解できるものに、心から信頼を預けることができるだろうか? そして、そういったものを信じられるということに何か価値があるだろうか? 私はないと思う。
 だから、彼を初めて見た時、私には何がなんだかわからなかった。初めて出会った時、私たちはお互いに仮面をつけていて、でもそんなことは私の才能にとっては関係なく、瞬時に私は彼の本質と最後を見抜けるはずだった。
 見抜けなかった。
 二言三言で別れた彼の背中を見ながら呆然としていた私の気持ちが誰かにわかるだろうか。その場に見えない誰かの手が覆いかぶさっていて私を捕まえているようだった。私の目と心には残像のように去っていく彼の少し猫背気味の背中だけが残っていた。ずっと。
 それからまた彼と再会して、何食わぬ顔をして付き添った。いろいろなおためごかしの言葉を並べてみせたが、なんてことはない、私は最初の最初に彼に真底惚れていた。つり橋効果だったのかもしれない。私は、初めて出会った、自分の見通せない心を持った人間に恐怖を感じていたのかもしれない。その恐怖を恋だと勘違いしていたに決まっていると突っつかれれば、頷いてあげないこともない。そうじゃないと言い切る何かが私の中には存在しない。
 思い返してみれば、彼と過ごした日々は幸福だった。この異界で過ごす時間が『日常』と呼べるものならば、私は確かに穏やかな暮らしに浸っていた。永遠にこんな時間が続くのではないかと信じかけていた時点で私はとっくのとうにおかしくなっていた。
 変化は突然訪れた。私は、今まであって当たり前だと思っていたものを失った。辛く、身をチーズみたいに裂かれたようだったけれど、何より悲しかったのは、その痛みが、私の想定していたものを寸分違わなかったこと。私にとってその痛みは最初に『見た』時に感じたものをまったく変わらなかった。この期に及んで色あせた悲しみしか感じられない自分には、きっともう幸せになる権利も資格もないのだろうと思った。なんてことはない、私は彼以上にどうかしているおかしな人間だったのだ。
 それからは、少しずつ、覚悟を決めていく時間を重ねた。彼の前で明るく振舞ってはいても、私の心は少しずつ死んでいった。元の状態に、自然な形に近づいていった私の精神は、かえって穏やかで、恐れるものなど何もなかった。彼の横顔を盗み見る時以外は。
 自分が消える、ということについて考える。それを不幸だ、恐ろしい、と人は言う。でも本当にそうだろうか。私は思う。やるべきことをやり、為すべきことを為したと思えれば、それはいつでも『消えていい』時なのではないか。そうやってあの人も何かのために私を置いて先に消え、そうして次は、やっぱり、私の番というだけなのだ。
 そう、これは元々ずるいお話だったのだ。
 死んだ後に、まだ何かを為せる世界があるなんていうことは。
 たとえどんな綺麗事を重ねても、たとえどんな奇跡を見せびらかしたとしても、それは絶対間違っていて、生きていることへの冒涜で、どんな言葉も卑屈さも、その結晶じみた事実の前には無力をさらすほかにない。
 それでもここに残れる魂があるというなら、きっとそれは、永遠に苦しみ続けられる誰かの痛みだけなのだ。あまりに深く辛い、取り戻したくて、取り消したくて、どうしようもない痛みを受けてしまった誰かしか、ここで苦しみ続けることは許されないのだ。
 苦しむことは、悪いことだろうか。
 違う。
 苦しいから生きていると感じられるのだ。
 苦しさから逃げないひとだけが、ここにいていいのだ。苦痛に満ちた闘いの果て、最後に残った王座に座る、その名はきっとチャンピオン。世界で一番強い魂に贈られる無限の時間。それに負けずにいられる彼だけが、きっと――
 今。
 彼の腕の中で消えていくこの私に、ほんの少しも後悔はない。苦しげに歪む彼の瞳に映った私の顔は、自分のものとは思えないくらいに穏やかだ。こんな顔ができるなんて、どうやら私もそうそう捨てたものではなかったらしい。そうしてちょっと、やっぱり私はどうかしていて、私のために苦しむ彼の顔がたまらなく愛おしい。もっと苦しんで欲しいとさえ思う。私のために。私だけのために。
 零れ落ちていく生命の金貨の音を聴きながら、私は最後の力を振り絞って彼の頬を撫でる。
 ああ。
 これでいいんだと、私は思う。
 これが、
 私の、
 為すべきだった、
 ことがらだ――









 『少女異聞』――終

       

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