Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
ライズの死体

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 ライズを殺すことにした。
 殺す理由はある。
 ライズは愚兵だ。
 それはわかる。
 ヤツがくしゃみをして敵兵に察知されたのが二度。
 ヤツが料理担当になって食中毒が起きたのが一度。
 なんだ、足してみれば合計三度か。許せるもんだ。
 バイザもそう思いたい。
 が、ここは敵地の中心付近。三度も致命傷のミスをして、部隊が生き残っていることが奇跡なのだ。
 おかげで隊員たちから指揮官への、つまりバイザへの信頼度は急上昇中。
 今日もおかずを一個分けてもらった。ライズもそれをニコニコして見ていた。
 許せるものなら許してやりたい。
 だが、もう無理だ。
 敵はどんどん増えていくのに、こちらの応援部隊は二次遭難したとしか思えないほど到着が遅い。連絡もつかない。
 部下たちも笑顔の裏で不安を抱えている。
 逃げたいのはバイザも同じだ。
 少数精鋭でやるしかなかった。
 バイザは指揮机の上に部下の名簿を置いた。
 情報はすべて頭に入っている。
 他人はバイザを天才と呼ぶ。
 しかし、バイザはそう思わなかったし、突出した能力があるのだとしても、そんなものは捨て去りたかった。
 何度計算しても、ライズを殺す以外にない。
 ライズを殺せばいいこと尽くめだ。兵糧が浮く。不安要素が減る。ヤツが死なせた仲間の恋人が溜飲を下げる。
 殺さない理由がない。
 仮に殺しても、誰もバイザを咎めないだろう。
 七人と九機が未帰還になったあの作戦で、誰がどう見ても戦犯はライズだった。
 ヤツがいなければ全員生きているし、虎の子の英雄機もバラバラにされずに済んだ。
 作戦終了して帰投した後のライズの態度も悪かった。
 笑ったのだ。
 もちろん、ライズに悪気はない。
 心の底から「ごめんね」と思っていただろう。
 それでもあの笑みは、曖昧なお追従としか見えない軽薄な顔は、着けてはいけないマスクだった。
 たとえそれが素顔でも。
 誰からも無視されるようになって、ライズが平気な様子でいることが、バイザには少し恐ろしい。
 そういうヤツなんだろうとも思う。
 助けてやりたいとも思う。だが、バイザにはそれができない。
 明日以降、激戦になる。
 ライズを連れてはいけない。
 追放するのも無理だ。
 ライズはこっちの情報を知りすぎている。
 敵に捕虜にされればイの一番に口を割る。
 拷問にかけられるどころか手に触れられただけで喋り出すだろう。
 ライズはそういうヤツだ。
 悪いヤツではない。
 ただ、弱い。
 弱い――
 バイザも昔は弱いと言われていた。
 アイツは駄目だ、使い物にならない。
 そんなふうに教官から嘲笑され、唾を吐かれたことなど数えきれないほどある。
 教官の目が腐っていたか。
 それはどうだろう。
 バイザは思う。
 俺が生き残って来たのは、ただの運かもしれない。
 少なくとも俺自身はその可能性を切れない。切ったら死ぬかもしれない。
 生きるために自分が愚者だと悟っておく必要があるのなら、バイザはそうする。
 バイザは時計を見上げた。
 机に座ってから三時間が経っている。もう夜更けだ。
 手の中のボールペンを運命のように回した。
 弱いヤツは生きていてはいけない。
 少なくともバイザはそう思う。
 戦時下だ。
 生きてるヤツが割りを喰う時代。
 もちろんうまいこと稼いだり、戦功を挙げたりする奴もいるだろう。
 だが、それだけのことだ。
 元々、生きているなんていうことが、それほど幸せなことではないのだ。
 生きる喜び。闘っている間は、それを感じる。生き残った時、かもしれない。
 確かにそれはバイザの中にもある衝動だ。
 しかし、どこかでそれを虚しく思うこともある。
 死んどきゃよかった。
 そう思う時が、なぜかバイザにはある。
 そしてだからこそ、バイザは強いのだろう。
 生死の天秤が少し、壊れている。
 滅茶苦茶になっていたら狂兵だが、ほんの少し傾いていれば、工夫次第で使い物になる。
 バイザは口の中で呟く。
 ライズ、ライズか。
 死なせてやった方がいいのかもしれない。
 バイザはライズの徴兵書を手に取って眺めた。
 彼がどこに住んでいて、親が誰で、どこの学校を出て、教練を何ヶ月積んだのか。
 そんなことが書かれている。
 書類だけ見ればライズは掃いて捨てるほどいるクズのような二等兵だ。
 でも、バイザにコロッケをくれた二等兵だ。
 そして、バイザの弟分だった男を死なせて笑った男だ。
 机の上に紙切れを撒いた。
 どうすればいいのだろう。
 顔に手をやる。冷汗が浮かぶ。
 誰かに代わって欲しかった。
 勲章なんていらない。部隊を指揮したくない。
 誰を殺し誰を生かすかを決めたくない。
 どうして俺がそんなことをする必要がある?
 これは俺が始めた戦争じゃない。
 俺が始めた戦争なんかじゃない……


 ライズはギャンとミックとバイザで殺した。
 毒を盛った。
 簡単だった。
 寝ているライズの口元に毒入りのブランデーをそっと差し出した。
 ライズはそれを乳飲み子のように口に含んで吸った。結果はすぐに出た。
 紫色になって動かなくなったライザを見て、ギャンが笑った。
「ようやく死んだか、この生まれ損ない」
 バイザはライズの死体を、通路から差し込んだ僅かな光に背を撫でられながら、見下ろした。
「生まれ損ないか……」
「そうですよ、隊長。コイツは生まれてきたのが間違いなんだ。生きてちゃいけねぇ。何を勘違いしてここまで呼吸をしてきたのか知らないが……」
 ギャンの呼吸がどんどん激しくなっていった。
「仲間を殺していいわけがねえ。コイツのせいで大勢死んだ。全部コイツのせいだ。まだ戦争のルールってヤツを守ってくれる敵の方が親しみがありますよ。コイツはそれすら出来なかった。だから死んだ。願ったり叶ったりだ。ふざけやがって。勘違いしてんじゃねーよ」
「そうだな」
 バイザはポツンと言った。
「その通りだよ。お前は正しい」
 ギャンは頬を撫でられたように顔を赤くした後、すっと表情を消した。
 後にはもう、ただ虚しそうに佇む三人の男があるばかりだった。
 バイザは握り拳をゆっくり解いた。
 昔のバイザなら、ギャンを殴っていただろう。
 泣き喚き、罵り、死者の代弁者を騙って雄叫びを上げていただろう。
 生まれ損ないはどっちだ、と。
 しかし、もうバイザは二等兵ではなかった。上級指揮官なのだ。
 部下には部下の、それぞれの事情がある。
 ライズだけを贔屓するわけにはいかなかった。
 世界はバイザを中心には回っていないし、ライズが軸になっているわけでもない。
 ギャンだって、仲間に死なれているのだ。
 そういうギャンを無視して、ライズを殺したことを、罵倒したことを、責めるわけにはいかない。
 それにそもそも、指揮官のバイザが「殺す」と指示したのだから、全責任はバイザにある。
 殴る方がおかしい。
 それでも昔のバイザなら、きっと殴っていたのだろう。

「ギャン」とバイザは言った。
「正しいって、気持ち悪い気分だろう」
 ギャンは何も答えなかった。唇を噛んで、何もない壁にぽっかり空いた小さな穴を睨んでいた。
 ライズの死体は、夜明け前に焼いた。

       

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