Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
愚かな世界

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「……というわけで、世界は平和になったんだ。ここまではいいかな?」
「うん!」

 子供たちが元気に答えてくれた。俺は満足して、その顔を順繰りに見渡していく。午後の日差しも明るい公園の芝生、そこに居並ぶ顔は、どれも同じ。それがコンビニに並んだペットボトルのようにどこまでも続いている。
 彼らは遺伝子治療を施されて人工的に作られた新人類だ。もう五十年も前から、いわゆる普通の人間はいなくなった。そして孤独も差別もなくなり、平和になったのだ。
 不幸とはなんだろう。
 戦争とはなぜ起きるのだろう。
 それはすべて、他者と自分が違う、ということから発生する。それがよくない。
 だから、人類はそれを捨てた。
 今ではどんな人間も同じ顔をして、同じ才能を持ち、同じ背丈、同じ話し方で喋る。そこには意思疎通の障害など何もない。完全な平等、永遠の平和だ。人口は完全に統制され爆発などしない。宗教は完全に最適化されて教義に疑問や解釈が差し込まれる余地はない。犯罪をする意味はなく、犯罪に情熱を注ぐ狂人も生まれない。パートナー不在によるストレスもなく、この子たちは生まれながらに異性のパートナーをあてがわれ、彼氏彼女と共に育ち、結婚し、時が来れば子供を持つ。それも体外受精でストレスフリーのペインレス。なんの問題もない。孤独、差別、障害、知恵。そんなものはもうどこにもない。

「せんせー、昔は大変だったってほんと?」

 子供の一人が俺に言う。俺は老人だ。もはや『悪の時代』の生き残りは俺ぐらいだ。俺は笑って言う。

「ああ、ほんとさ。ひどい時代だった。差別、貧困、戦争。そんなものばかりが溢れていた……ひどい時代だったよ」

 クローン人間で世界を統一しよう、という意見が出たとき、世界は猛烈に反発した。愚かな人間たちには、差別や相違がないということの素晴らしさが理解できなかったのだ。いろいろな言葉で着飾って、彼らは己のくだらない遺伝子や習慣を守ろうとした。科学による殺戮だとか、偽物の平和だとか。偽物の平和? これが? あの腐った、馬鹿が馬鹿を生み散らすだけの吐き気がする世界が本物なら、この静かで透明な偽物の世界の方がよほどマシだ。もう弱いものいじめや、才能がないことから来る懊悩、容姿や常識から外れて性的弱者になるものもない。誰もが同じことを考え、同じ方向を向き、同じ道を行く。それを強制されることなく、生まれながらに実行できる。それがクローン人間のいいところだ。クローンによるクローン教育、脳内麻薬の完全制御。彼らはストレスも苦痛もない。それでいて生きる喜びは知っている。詩歌に親しみ芸術を礼賛し、毎日を楽しみそして慎みを忘れない。人間が得られる幸福を五十年間の寿命で出来る限り引き伸ばし、飽きることなく死んでいく。かつて寿命は長すぎた。八十年も生きることは不幸だった。いまは死ぬべき時に人が死ぬ。いい時代だ。誰もが同じなのだから、死ぬことによって失われるものなどなにもない。必ず誰かが後を継ぐ。それに、継がれるべきものも特にない。この平和な社会が維持・運営されていく基盤さえ整っていれば、何が起ころうと問題ない。
 人は多すぎた。
 だから減らされた。それは確かに虐殺だったかもしれない。
 しかし、もうこれ以上に大幅に減ることはないのだ。
 永遠と約束するために、愚かな人間が大量に死んだ。それは仕方の無いことなのだ。それに、この天国を見ろ。
 彼らが死んで、いったい何が失われた?
 むしろ産まれたではないか。結構なことだ。意義ある死。俺は貴重なサンプルとしてこの歳まで生きたが、彼らと同じ時期に死んだところで文句はなかった。この平和を見れたことだけが、唯一俺が得たものだ。見ろ。この完全なる平和を。

「せんせー、せんせー」

 この子たちは自分が幸せだと知っている。そして不幸がこの世にあるということも知っている。そのための教育だ。彼らは生まれながらに呪われた才能を持った文学作家たちの書物を幼い頃から読む。悲惨な戦争の映画を涙が止まらなくなるまで見せられる。そして恐怖を覚え、自分の境遇に安堵する。まさに素晴らしき新世界。これこそ理想郷、そのための必須条項。
 恐怖は必要だ。無くせない。
 そしてそれがあるからこそ、謙虚に慎ましく、生きていけるのだ。
 素晴らしい光だ。分かつことの出来ない輝きだ。
 もう努力しても届かないものなど何もない。努力して得られるものも、努力する必要もないからだ。才能が無いなどということに苦しむものも、自分が普通で特別な存在ではないことに苦しむものもいない。そんなものは性が満たされれば消える欲求だ。自己への疑問など貪るようなパートナーとのセックスで無くなる。そしてこの世界にはもうパートナーがいない人間などいないのだ。出生即結婚なのだから。誰もが同じなのだから、べつの人間を選ぶ必要もない。
 もちろん、クローンとはいえ、違いはある。だが、俺の目から、この超精密遺伝子治療を受けた彼らは、まるっきり同じに見える。だが、黄色人種には見分けられなくても有色人種にはお互いの差異が見分けられたように、クローンはお互いを見分けることが出来るようだ。しかし、だからといってそれが差異になるほどではない。どんなにハズレを引こうとも、一年間に降る雨の量で悩むものがいないように、忘れていける程度の誤差。らしい。俺からすればみんな美男美女で、何があろうと不満など起こりそうにもないのだが。
 ああ、もう誰も努力しない。頑張ったりしないのだ。あの胸糞悪くような分の悪い勝負をもう誰もしなくていい。これほど素晴らしいことがあるか? 努力や苦痛の先にこそ人生には輝きがある。そんな馬鹿の世迷いごとに付き合わされる人間の気持ちはどうなる? 馬鹿が馬鹿して死ぬのは道理だ、しかし巻き添えが必ずいる。だから努力も苦痛も情熱も、悪だ悪だ悪なのだ。何もかもが間違っている。そんなものは削除してからの削除してからの削除。消し去ってしまわねばならない。あってはならない。持たざるものなど誰もいない。世界は田園風景で満たされた。

「せんせー? せんせー……」

 俺は自分の人生に悔いは無い。彼らと同じになりたかったが、この世の悪を、吐き気がするようなあの異臭をほんのわずかでも伝えられたのなら、それでいい。もうあんな世界を繰り返してはならない。誰もが同じ、誰もが幸福。それ以外を認めてはならない。才能、情熱、思想、個性。そんなものは悲しみを生むだけだ。かつての世界で、本当にユニークな人間を愛せる人間がいたか? 町を出歩けば同じ顔、同じ格好、同じ考え方、同じ冗談を言う人間が腕を組んで歩き回っていたではないか。我らが総統閣下はこの世界を彼らが望むようにしてやったのだ。誰もが同じ世界に。
 もう誰も苦しまない。俺が最後のオリジナルだ。こんな人生に意味などなかった。俺も他の人間と同じが良かった。眼がもう開かない。光が遠くなる。

「せんせー……」

 愛されるために産まれてきた子供たちの声が、最後に聞こえた。
 どうか、どうか幸せに生きてくれ。
 君たちは、何も間違ってなどいないのだから。
 間違っているのは、いつだって、この愚かな世界のほう。

       

表紙

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