Neetel Inside ニートノベル
表紙

賭博残虐王シマヘビ
Try Me!!

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蛇崎は固まった足をほどいて壁によりかかった。
 扉に相対する。よわっちい脳みそが、役に立たない脳内物質とニューロンが蛇崎の身体を恐怖と困惑で激震させている。だが蛇崎は認めない。身体が屈しても心は、違う。違ってやる。ポケットのなかの小切手をぐしゃぐしゃに握りつぶす。切り忘れた爪が手の平の薄い皮膚を突き破ったのがわかった。手が濡れていく。泣いているように。
扉が、蛇崎が触れもしないのに開いた。鋼鉄の隙間から、蛇崎の敵が現れる。
シマあやめが、ワンピースの裾を風もないのにはためかせて、笑っている。
「……さぞや、気分がいいだろうな……」息をなんとかひとつなぎ吸って蛇崎は言った。
「おれが、仰天して小便でも漏らすと思ったか?」
「へえ」シマはにやにやしている。
「じゃ、この手品の種を解いたのかな、きみは」
ヘビザキは沈黙し、稲妻の視線をシマにぶつける。まっすぐな眼光は、不可視の迷宮を進んでいく。
「……おまえ、ブレスレットと首飾りはどうした」
さあ? シマは両手を広げてすっとぼけた。まったくつかみどころがない。勝利したというのに喜んでいる様子もなければ、敗者を見下すようでもない。
まるで、まだ勝負をしているだとでも言うように……。
「ヒントをあげようか。わたしは、きみがズルしてるのを最初から知ってた」
蛇崎の脳裏に、白垣のしたり顔は一瞬たりともよぎらなかった。
「おれの態度に、出てたってか」
「うん、まあ、悪臭ってやつ」
「……気づく方が狂ってやがるんだ。おれの演技は完璧だった。てめえのはただの、ヤマカンだ」
「きみもなかなか負けを認めないねー。でも、そーゆーのいいと思います」
蛇崎はそんなこと聞いちゃいなかった。血まみれの手を口元にやり、思考するたびに顔が朱に汚染されていくことに、蛇崎だけが気づかない。
「おまえは歩いてた……おれは足音を聞いたんだ。なのにカウント・ゼロっていうのはどういうことだ……」
さーはたして蛇崎選手は答えに辿り着けるのでしょーか! シマの解説がむなしく響く。
「論理的に考えれば前提が間違ってるってことだ。おまえの足音だとおれが思ったものは、実は足音じゃなかった。じゃあ、なんだ、あのカツン、カツンて音……そうか」
蛇崎は顔をあげ、シマの白い、噛み付きたくなるような首を睨んだ。
「シャクトリ虫」
やりました蛇崎選手パネルオープンあと二つであたっくちゃーんす
「たぶん、あの首飾りは一番上と一番下が、音が出るような金属の環をはめられていたんだ。そこまではよく見なかったが……おまえは、それを一番上から流した。おれが聞いたのはそいつの足音だったんだ。おまえは、あのときまだ上にいたんだ」
ぶっぶーざんねーん答えを教えてあげようか? 器用に両手と両目をバッテンにしてふざけるシマに、蛇崎はこれっぽっちも動揺しない。
「……なに? 待て、言うなよ、いま考える……自分で解ける……」
そう、助けてもらわなくたって、蛇崎はひとりでやれるのだ。
 「おれのカウントが増えてる……てことはおまえがなにかしたってことだ。おれの死角をおまえは突いた……いつだ? おれはひとりで通路に入ってから万歩計を使い始めたんだ。地上でおれになにかできたわけはない。そして、上で出会ってから、おまえと接近したのはいまが初めてのはずだ……おれは……間違ってない」
「いいや」
白い蛇のような手が、するっと伸びてきて、蛇崎の頬をなでた。
鼻と鼻が触れ合うほどの先に、シマの顔がある。その瞳は、底なし沼のように深く、夏の青空のように透き通っている……落ちたらきっと、這い上がれない。
きっと死ぬ。
「ヒントをあげよう。白垣は、ルール説明のときに無駄口を叩かなかった。ちゃんときみには、気づくチャンスがあったんだ。わたしのあだ名も、白垣から聞いてたんじゃないの? たぶん白垣は、わたしとぶつける特約としてきみにいろいr情報を提供したんだろうしね……」
「おまえのあだ名……<好戦的フレンドリィ>?」
――もともとこの建物は、ひとりの逃走者とそれを追う追跡者を観戦するのが主な使い道でね。
「……わざわざバイクをぶっ壊してまで、無知を装ったってわけか。よくやるよ。おれがハマらなかったら、まるっきり無駄骨の努力だぜ」



「ここに来たことがあるのを、隠すなんてのは」



「ここでどんな賭けをするのかは聞かされてなかったけど、まあ、なんとなく予想はついたからね。最下層までほんとにただの階段だけだし。あとは死体とか……掃除されてるかもしれないけど」
「なんで、万歩計持ってこなかったんだ」
「それだときみと引き分けになっちゃうでしょ?」
 乾いた笑いが蛇崎ののどにひっかかった。
「気狂いめ……わかってきた、わかってきたぞ。答えはいらない。おまえはここに来たことがある。構造を把握していた。おまえはカウントゼロだった。階段は降りてない。でもここにいる。ひとつ目の宝箱はおれが開封。ふたつ目はおまえが開封」
だんだんと蛇崎の声に熱がこもってくる。調子の悪いエンジンがやる気を出してきたかのように。
「おまえはここ……二つ目の踊り場にいる。なくなっているものはシャクトリ虫とブレスレット。わかってきた、わかってきたから、絶対に先を言うなよ!」
「言わないよ」
シマはたぶん、蛇崎のことを気に入り始めていたんだと思う。
そんなことにも気づかず、蛇崎は続ける。
「あのブレスレットだ……そしておまえのあのセリフ……手すりは階段に含まれないかだと? よく言うぜ、くそったれ、よくよく考えればへんな質問だ。手すりなんか歩こうとするやつがいるか? 競争に勝つ気がないなら一番上で動かないのが正答なんだから……なのにおまえは動いた。おれより速く。つまり、自然の力を利用したんだ。あのブレスレットはたぶん、入れ子構造になっていたんだろ?」
「ふうん?」
「SPが持ってる警棒みたいに、伸びるんだ。たぶん、手すりから手すりまでの距離を。おまえは、一番上でシャクトリ虫を流し、伸ばしたブレスレットを手すりに乗せたんだ」
「で?」
「くそ、むかつく、ガキの頃におれもやった……<豚の丸焼き>だ。ばかみたいだ。
 おまえは、ブレスレットにぶら下がって、脳みそぐちゃぐちゃにしながら滑走したんだ」
人差し指で作った拳銃が、蛇崎を狙い済まして、
「ズドン」
当たった。
「ばかじゃないのか。ばかみたいだ。くそ……おまえは、おれよりも速く最初の踊り場についたんだ。そして宝箱を開封せずに、扉のそばで待ち構えていた……おれはおまえが先にいたなんて思いもしない。そりゃあそうだ、宝箱は開封されてなかったんだからな……」
「人を信じるからそうなる」
「――まったくだぜ、おれはばかみたいに扉から身を乗り出して、シャクトリ虫の足音に注意を引かれた。そのすぐうしろで、おまえは、爪かなんかでおれの万歩計を弾きやがったんだ、プラス1だ、畜生ッ!」
「勝負の瞬間は、いつだって短いし、すぐなくなるものだよ。そしてわたしは――」
「言うなッ! 最後まで……おれが解く。おれが解くんだ。おまえは、黙って聞いてろ……」
「…………」
「おれの万歩計を弾いたおまえは、もうひとつのブレスレットで次の踊り場、つまりここまで滑走し、自分の宝箱を開けた。これでおれが下降を選んだとしても負けはなくなったわけだ。おれは、すでにスティングを喰らったことにも気づかずに……ここにきて……いや……もう負けていたんだ。あの一瞬が、おれとおまえの勝負、そのすべてだったわけだ。階段なんかおまけだったわけだ。おれとおまえの、勝負は……」



「おれが、振り向くかどうか……」



そう。
 シマは呟くと、スカートの裾から一丁のリボルヴァを抜いた。
ケリはついてる。
蛇崎は、自分に向けられた奈落の穴を見つめた。リボルヴァの鋼が、赤くなりそうなほどに。
「おれは……負けない……負けて……たまるか……まだだ、まだ……ケリは……」
「これでも?」
パン、とあっけないほど軽い音がして、蛇崎の太ももが裂けた。ジーンズに空いた穴から傷口は見えなかったが、そこから血は溢れ、本物の傷よりもグロテスクだったが、それでも蛇崎は、呻き声をあげなかった。
シマが撃った本人とは思えない、やすらかな表情を浮かべた。
「痛がらないんだね」
「……おれの……こと……」
「知ってるよ。蛇崎香介。好きなコを醜くしたあとに撲殺しないと気が済まない<キリング・ラヴァー>」
「……痛みはな……知ってる……おれは、殴られながら育ってきた……親に……同級生に……」
蛇崎の脳裏に過去の記憶が、あいまいな色彩となって溢れかえった。
なにひとつとして、はっきりと思い出せない汚物のような記憶が。
「おれは、おれの痛みを知ってほしかった……だから殴った……壊した……そんなことしたくなかった……でもそうするしか、自分を、おれを、蛇崎香介を知ってもらう方法を知らなかった。もっと冴えたやり方は、教科書には書いてなかった。だれも、教えてはくれない。
だからぁっ……!!!!」
蛇崎は唇を噛み締める。ぷつっと柔らかい皮膚が破けて、赤い雫が滴る。
「おれは、おれを受け入れる……受け入れなきゃならない……この世で、たったひとり、このおれだけは……痛みを、苦しみを、おれを、愛してやらなきゃいけないんだ……おまえにわかるか? わからないだろうな……殺したければ殺すがいい。おれが殺してきた女どもに地獄で詫びろとでものたまうがいい。おれは地獄へ堕ちても、後悔だけはしてやらない。おれは正しい」
「じゃ」
その笑顔は、匂いのきつい花のようだった。
「試してみよう」


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