Neetel Inside ニートノベル
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Epilogue...Ride A Wind

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 荷物なんてなかった。
 まァ無人街のど真ん中にいるんだから、いくらでも物資の補充は利く。だからか、カツミはおれが愛機であるチャリンコにまたがったときも、なにも言わなかった。ただ、路地裏に転がっている蝉の抜け殻を見るような目つきをしただけで。
 聡志とマナはチラ、とおれを振り返った。気まずそうだ。べつにやつらが気を揉む必要はないのに。律儀なやつらだ。だが、それがやつらにとっての贖罪なんだろう。罪は贖えないのに。だからおれは罪を切り捨てて罰をぶち壊してきた。人じゃない、獣の生き方。だが、とうとう最後までこのおれを止められるやつは現れなかった。 
 おかげでこんな遠いところに一人ぼっちだ。



 結論から言うと、おれの世界は断線した。
 もう<テレビ>のチャンネルはいくら合わせてもおれの世界を映さない。おれの育った街、おれの通った学校、おれといてくれた溝口や一ノ瀬。もう会うことはない、あのテレビには、似ているけれど、違う世界しか映らない。
 向こうにいるやつによれば、拳銃は五発装填のものに変化したらしい。もはや逃れようのない仲間はずれの証だ。相当こっぴどく神様に嫌われたらしい。もっとも、こちらの方が嫌っているのは間違いないが。
 おれは、チャリにまたがったまま、カツミたちと向き合った。やつらは北へいくらしい。おれは南だ。
「悪く思うなよ。こんな勝手な不始末をしでかしたおまえを、チームに入れておくわけにはいかない」
「何度も聞いたよ。それより、残念だったな、噴水の女神さまを連れていけなくて」
「ああ」
 カツミは思い出したように掲げた甕から清らかな水を流し続ける像を見上げた。
「本当は引っ張ってでも、この素晴らしい造詣と共にありたい。でもそれは、欲張りだし、そもそも無理だ」
「その無理を、なんとかしてみようとは思わないのか」
 カツミはチャリのスタンドを足払いで外した。ガタン、と地面に当たったタイヤが跳ねる。後部にはくくりつけられたテレビと各種雑貨を詰めた箱。旅装がすっかりサマになっている。
「ふふ」
 すいっとおれの隣にエンがチャリを停めた。この炎天下でもやっぱり白衣だ。
「君についていこうかと思ったけど、ぼくはやっぱり弱虫らしい。でも科学者は生きるのが仕事だ。死んだら、観察が続けられない」
「理解できんが、ま、頑張れよ。子種ならおれのよりも上品そうなのが二種ほどいるだろ」
「そうだね……でも、ぼくはクロがよかった」
「言うのが遅すぎる」
「ああ、ほんとに」
 白い綺麗な歯を見せてエンは笑った。
「なにもしなかったから、なにも起こらなかったよ」
「それぐらい研究者としては知っておけよ、常識として」
「今後の教訓として活かすよ」
 おれから離れて、エンはさっそく新しいターゲット候補らしきカツミに擦り寄っていった。にぶちんのカツミがエンの真意に気がつくのはだいぶ先の未来だろう。
 四台のチャリが、おれに向いている。そうして並んでいるのを見ると、夏休み初日にちょっとした自転車旅行にいく前の光景のようだ。
 じっと見られていると、なんだか気恥ずかしい。おれは頬をかいた。
「なんだよ、とっとといけよ。おまえらのことなんて大嫌いだったぜ」
「うわ、最後までそんな態度?」
「クロらしいや。……でも、元気で。もっと仲良くなりたかった」
 カツミは、おれとの離別になにも感じていないようだった。それどころかほっとしているのかもしれない。だが、それを必死で隠そうと、さも悲しそうな顔を作っている。
 いっそすべてぶちまけたら楽になれるのに、カツミはそれをしない。それがおれには少しだけ寂しい。
 おれは、自分とそっくり同じ顔をした違う男に、背を向けた。ペダルをグンッと踏み込むと、弾かれたように自転車が歩道を突っ走っていく。
「あっ、クロ!」
 誰かの声に振り返ると、もうそこには誰もいなかった。地平線まで見える道には、陽炎だけが揺らめいている。
 おれは空をちらっと見て、今度はさっきよりも弱く、ペダルを踏んだ。











 なにもない日々が続いた。
 コンビニを襲って飯を食う。湯を沸かしてラーメンを食ったり、弁当を温めたり。もう領収書はつけない。ルールはおれが壊してしまった。もうルールの方だって不躾なおれの顔なんて見たくはないだろう。
 誰のものともわからない家の窓を割って、誰のものともわからない部屋の布団で、たったひとり眠る。
 寂しくはなかった。ただ、あるべきものがあるべき風になった。そう思った。もう何年も前から同じ暮らしをしている錯覚さえ起こす。
 ひとりはよく馴染んだ。
 だが、それでもおれは旅を続けた。
 動かなくたって暮らせていけたのに。
 この嘘みたいな世界では、なにひとつ、やめようと思って困ることはないんだ。
 生きることさえ。
 でも、おれは走り続けた。
 夏の道を。
 いまにもどろりと溶けて崩れ落ちてきそうな灰色の街。
 何日経っても同じ軌道を辿る太陽。
 アスファルトのどこから涌いてくるのか、いつまでも元気な蝉。
 自転車はいつからか乗り捨てた。急ぐ必要はないからだ。
 あれきりカツミたちとは出会わない。
 このまま、寿命を終えるまで、一人きりなのかもしれない。
 それもいい。終わらない夏休みを望んだやつの末路としては相応しい。
 そう、諦めかけていた頃だった。
 それが聞こえてきたのは。



 パラリラパラリラ
 パラリラパラリラ



 絶滅危惧種に指定された暴走族の六連ホーンから響くラッパの音。
 気がついたとき、おれは駆け出していた。なにを期待したわけでもない。なにかわかったわけでもない。ただ音の出所にわけもわからず突進していた。
 路地を曲がって大通りへ。四車線の幅広い幹線道路。
 普通だったら絶えることのない交通に轢かれているだろうが、死人さえうろつかないこの街では、飛び出したおれを跳ね飛ばすものはなかった。
 いや、正確には一つだけその可能性を秘めたものが走っていた。
 真っ黒い単車、バカでかい音の発生源が、道路のど真ん中で息を荒げているおれへと突っ込んでくる。乗り手はノーヘル、顔は――

 キィィィィィ

 おれをかわそうとして単車が横滑りになった。走っているのと横転しているのの中間状態を十メートルほど維持したあと、乗り手は愛車から振り落とされ、バイクはそのままショウウインドウを突き破ってファッション店の中へ消えていった。いまさらのようにガラスの砕け落ちる音。
 ゆっくりと、おれは振り落とされた乗り手に近づいた。
 寝相の悪い幼児のような体勢で倒れている。おれは人目でそいつがおかしいことに気づいた。肌が白いのは自前のものとしよう。だが、その髪まで真っ白いというのはどういうことだ。老人というわけじゃない。真っ白いスカートから覗く足はカモシカみたいに無駄がない。
 おれは、そいつの名前を呼んだ。
「風止」




 髪はだいぶ伸びていておかっぱではなくなっていた。それでもおれにはすぐにわかった。
 顔を隠していた前髪が、単車を追いかけてきた風を浴びてひらりとそよぐ。
 目が合った。おれは息を呑んだ。なぜってそいつの目は、おれの知っている焦げ茶色ではなく、夏の青空のような琉璃色だったからだ。
「風止?」
「あ……あ……」
 口をわななかせるさまは、狼に育てられた子どものようだったので、おれは本当に風止が言葉を忘れてしまったのかと思った。
 背筋を伸ばして辛抱強く待った。だが、今回はそれが珍しく功を奏した。
 風止はゆっくり、ゆっくり言った。
「誰も、誰も」
 その瞳に涙が浮かぶ。虹彩が陽炎のように揺れた。しばらく張力を発揮してたゆたっていた瞳の湖面は、あるときを境に一気に決壊した。栓を締め忘れた蛇口のように、涙が静かに頬を伝う。
「誰もいないかと、思った…………」
 ぐす、と鼻をすすり上げて、はああと息を漏らす。
 膝はすりむけて、血と砂利が張り付いている。
「わ、わたし、わたし、うっ、ひとり、で、わからなく、て」
 おれはなんとなくわかってきた。単車がやってきた方を指差す。北だ。
「あっちからきたのか?」
 白髪頭がぶんと頭を縦に振る。
「誰かいたか?」
 白髪頭がぶんと頭を横に振る。
 そうか、とおれは言って、風止を立たせた。急に掴まれて驚いたのか、わっ、と言って風止は身体を強張らせる。
 バシバシと真っ黒いブラウスについた埃を払ってやる。
「あ、ありがとう。ごめんね、轢きそうになって」
「おまえバイクなんか乗ったことないくせに、背伸びすんなよ、バカ」
「ない……のかな?」
 風止は首を傾げる。
「わたし、自分のこと、よくわからないんだ」
 そこでパッと顔を輝かせて、ポンと手を叩いた。
「ねえ! ひょっとして親切なきみ、わたしのこと知ってるの!?」
 よっぽど、知らねえと言ってやろうかと思った。でも、やめておいた。悪者にも、手を出さない例外があるのだ。
「知ってるよ。何から聞きたい?」
 どうせ自分の名前もわからないんだろうな、と思って放った言葉だった。だが、予想と結果は食い違った。
 いつだって、風止はおれの思ったとおりになんてならないやつなんだ。
「きみの名前」
「え?」
 ぼう、と中空を見つめていた風止は、ハッと顔を赤くした。
「わ、わたしなに言ってるんだろ! 自分の名前もわからないのに……お、おかしいな、きみのこと見てたら、なんだか……わたしもきみのこと知ってるような気が、して」
 風止はわたわたして、親指同士をくるくる回した。ちら、とおれの顔を見る。
 おれは答えた。
「…………クロだよ」
「え? ネコ?」
「ちがう。おれの名前。クロ。カタカナでクロ。あ、カタカナってわかるか?」
「それぐらいわかるよっ!」
 風止は本気で怒って、ぐっと身を乗り出してきた。
「ばかにしないでよね! わたしやるときはやるオンナなんだからっ!!」
「ぷっ」
「わ、笑うなったら! まったく、いじわるなんだね、きみって!!」
 これが笑わずにはいられるか。まったくなにをしても喜劇にしかならないやつだ。
 おまえができるオンナだなんてことは、たぶん、おれ以外に知ってるやつはいないだろうさ。
 突進してくる風止の額を押さえながら、おれは笑いをかみ殺した。
「悪い、悪かった、悪かったよミィ」
「ミィ?」
 白い少女が目を丸くする。
「それがわたしの名前?」
「ああ。いいか、カタカナっていうのはな、まず五十個あって」
「うがぁーっ! わかってるって言ってるでしょこのばかクローっ!」
 おれは激怒の極地に達し髪を逆立てたミィから逃げ出し、割れたショウウィンドウの中に飛び込んだ。
 レジ前に単車が横倒しになり、タイヤがぐるぐると空転している。だがまだ乗れそうだ。
 おれはそれを起こして外まで引きずり出した。まっすぐ立ててやって、六連マフラーを蹴り落とす。いくら誰かに見つけてもらえる確率を増やそうと思ったからといって、暴走族の真似事とはとてもおれの発想力では及びもつかない。奇行だ。
 おれはまた笑ってしまって、ミィの機嫌を損ねた。本当に、どっちがネコだかわかりゃしない。
 シートにまたがる。当然のようにミィがうしろに乗って、頬をおれの背中に当てる。
「汗かいてるからしめってるぞ」
「いいよ。わたしもそうだし、こんな暑かったらもう気にならないもん」
 午後を少し過ぎた日差しは、ますます強く強くおれたちを熱している。だが、なぜだかいまは、それが心地いい。全身を消毒されているような気分。邪魔で小さな細菌や埃は熱が綺麗に殺してくれる。あとに残るのはおれたちだけだ。
「あのさ、これからどこにいく?」
「とりあえずいこうぜ。ネコでも探すか?」
 そんないい加減な言葉を交わして、おれたちは走り出した。
 爆音が響き渡り、排気ガスを撒き散らして、単車がだだっ広い道のど真ん中を突っ走る。









「ねぇ、見て、クロ。空」
「ああ――――」
 見上げると、西の空から、黒く恐ろしい形をした雨雲が、ものすごい勢いで近づいてきているのが見えた。
 もうすぐ雨になるだろう。
 だが、いまはまだ、晴れている。


       

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